ソードアート・オンライン -The Revenger-    作:こもれび

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最終話 新たな世界【挿絵有】

 光が広がっていく。一面の金の輝きがその世界全体を覆っていく。それは駆け抜けていくかのような激しい勢いで、眼下のその大地を海を飲み込んでいった。

 世界が飲まれて行く……ただ破壊され行くために……

 

 その光景を俺はただ呆然と見つめていることしか出来なかった。

 たくさんのものを失って絶望の縁に立って、そしてこの結末を望んでしまった彼女のことをいったい誰が責めることができようか……

 しかし、命をかけて世界を滅ぼすその行為それ自体が本当に悲しく本当に切なかった。

 なぜ彼女がこうなってしまったのか?

 なぜ自分を殺さなくてはいけないのか?

 

 絶え間ない問答は答えにたどり着くことができず、ただただ悲しかった。

 それでも……

 

 俺は助けたかった。

 

 だから、俺は口を開いた。

 

「頼む教えてくれ、茅場。どうしたら、彼女を救えるんだ? なにか方法はあるんだろ? そうじゃなきゃお前が俺たちの前に姿を現すわけがないんだ」

 

 それを聞いて茅場は言った。

 

『方法なら……ある』

 

「本当か?」

 

 しかし茅場はそれだけ言うとまるで次の言葉を躊躇うかのように口を閉ざした。

 

「どうした? 頼む、方法を教えてくれ」

「お願いします団長。山形さんを救う方法を教えてください」

 

 俺に続いてアスナもすぐに頭を下げる。

 奴は俺たちを見下ろして、そして大きくため息を吐いた。

 

『確かに方法はあるよ……しかしね、その為には代償を支払う必要がある、それもとても大きな……ね』

 

「茅場! 今はそんな風にもったいぶって話す時じゃないだろう。良いから言えよ」

 

 こいつのこういう物言いは本当にイライラしてしまう。この期に及んでまだ俺達を試そうとしているのか……

 茅場は、俺に視線を向け、言った。

 

『このツヴァイクラッドはSAOのアインクラッドをベースになっているということは君たちも承知していることだと思う。さて、現在の危機とは、山形先輩本人が世界中の端末の破壊を行うことで、世界が破綻することと、先輩本人が死んでしまうことの双方にあるわけだが、これを解決する方法はいたって簡単だ』

 

 茅場はさも当然という感じで言い放った。

 

『このツヴァイクラッドを破壊してしまえばいい』

 

「お、お前……何を言って……」

 

『それほど複雑な話をしたわけではないよ。先ほど言った通りさ、先輩はツヴァイクラッドを起点にして世界中の端末へアクセスを仕掛けている。つまり、この浮遊城さえなくなれば先輩は何もできなくなるわけだ。そしてそのツヴァイクラッドには当然だがあのアインクラッドにも組み込んでいたプログラムも搭載されたままだ。それが何か……君たちになら分かるだろ?』

 

 茅場のその言葉に、俺達は二人で声をそろえて答えを言った。

 

世界崩壊(ワールドブレイク)プログラム……」

 

『正解だ。このプログラムを起動させることでこの浮遊城は消滅する。そしてそれを起動させるために必要なことは……』

 

「ああ、もうわかったよ。ラスボスを倒せばいいんだな」

 

 茅場は頷いた。その通りだとその顔は語っていた。

 

「でも待ってキリト君。このゲームのラスボスって……」

 

『そう、山形先輩本人さ。君たちは先輩を倒すことで現実の身体が死んでしまうと考えているかもしれないが、そこは心配はない。この強固なツヴァイクラッドの防壁さえ無くなれば、この私が彼女を必ず助けて見せるからね』

 

 そう決意を込めた顔の茅場の言葉に嘘はないのだろう。

 

「だったら何も問題はないじゃないか。いますぐにでも行動しよう」

 

『いや、ことはそう簡単にはいかないんだ。先に言ったろう? 『代償』が必要だと……ツヴァイクラッドを消すということはここに存在している『彼ら』も消えてしまうということだ』

 

「『彼ら』って……いったいなんのことだ、茅場!」

 

 嫌な予感に全身の神経が粟立つ。奴は澄ました顔で俺を見て、そして再び口を開いた。

 

『もう分かっているんじゃないか? 君は『彼ら』に出会ったはずだ。この世界で君達の意識に彼らは何らかの干渉をしてきたはずだ。そして君はそれに助けられた。違うか?』

 

 その言葉に全身が震えた。

 やつが言っているのは間違いなく『サチ』達、月夜の黒猫団のみんなのことだ。

 くじけそうになったあのとき、俺達の前に現れたのはやはり幻ではなかったのか……

 

「お、お前……それを分かっていたのかよ……」

 

『分かっていたわけではない。ただ、可能性として死んだ彼らの『かけら』が存在しているだろうことは予測できていた』

 

 よ、予測できていただって……!

 

「茅場ぁっ‼……お前が殺したみんなのことをよくもそんなふうに……」

「待ってキリトくん。今はダメだよ」

「放してくれアスナ。俺はこいつが許せない」

「私だって許せないよ。でも、今はそんなこと言ってる時間ないよ。やれることをやらなくちゃ」

「くっ……」

「団長……お願いします。知ってることを教えてください」

 

 茅場は俺たちを見ながら大きく溜め息を吐いてから話始めた。

 

『では最初から話そうか。私が開発したナーヴギアには、ブレインスキャニングマシンの試作機と同等の性能を備えさせてあった。脳神経の全組成、全反応をデータとして読み取る機能と言えばいいか……私は先に全員のデータを取っていたと言ったが、つまるところは全員の脳をスキャニングしたということだ』

 

「え? じゃ、じゃあみんなは団長と同じように電脳世界に……」

 

 アスナのその言葉に茅場は首をふる。

 

『残念ながらそうではない。ナーヴギアの機能はあくまで試作段階のもの。人格のデジタル化の成功率は限りなくゼロに近いものだった。私がSAOで死亡した全員のデータのお陰でこの身体を得たことは間違いない事実ではあるが、カーディナルシステムが崩壊するとき、取得した全員のデータはそのままの状態で霧散するはずだった……』

 

 茅場は滔々と事実を述べる。その姿に怒りを覚えるも俺はグッとこらえた。

 

『ところがだ。君たちも同時に見た、あのアインクラッド崩壊の時……全てのデータが消失していくあの時に、この世界のデータはある規格外のシステムプログラムによって全て吸収されたのだ』

 

「団長……それって」

 

『隠すこともないことだから全て話そう。それを為したのは先輩の開発した『セイヴィアシステム』。アインクラッドの崩壊に呼応するかのように自動的に動き始め全てのデータを自身に取り込んだのさ。つまり今いるこの先輩の作りあげたツヴァイクラッドこそ、紛れもなくあのSAOの舞台『アインクラッド』そのものであり、ここにはブレインスキャニングで死んでいった者達のパーソナルデータも残っている……これがどういうことか、君たちならわかるだろう』

 

 こ、ここがあの『アインクラッド』だって?

 い、いや、それなら辻褄が全て合う。

 59層からこの75層に至るまで、俺はボス戦も全てこなしてきた。ここに至るまでのすべてのフィールド、モンスター、行動パターンなどはかつて自分が体感して見知ったものだった。

 つまりこの世界は『似ている』じゃなくて『そのもの』だった……

 そういうことなのか……?

 

『電脳世界には私だけでなく、君たちにとっても大事な存在があるはずだ』

 

 頭に思い浮かぶのはユイの姿。そしてこの世界でのたくさんの思い出。永遠を思いに刻んだ、確かな俺たちの生きた証しの全てを思い出す。

 

『この世界と彼女を救うには、彼女自身を倒しこの『ゲーム』をクリアーしなければならない。しかし、それをすれば、このツヴァイクラッドもろともここに存在した全てのSAOプレイヤーたちの存在は消滅する』 

 

 まるで他人事のように話す元凶、茅場に俺は怒りを必死に押さえながら聞いた。

 

「なら茅場、お前何がしたいんだ?」

 

 茅場は俺を見据えていた。

 

『今さら私が殺した全てのプレイヤーを救いたいなどと言う気はないよ。先輩の命と共に私が消滅するのもやぶさかじゃない。だがね、本当にもったいない。この世界にまだ『彼ら』が存在している以上、その扱いを先輩に委ねたい……私では出来なかったが、先輩なら彼らを復活させることができるのではないかと思ってはいたが……いずれにしてもだ、私が救いたいのは先輩だけだ』

 

「言いたいことはそれだけか……お前に何が分かる。奪われ、絶望に落とされ、生きる希望すら失った人間の思いがどんなものか……茅場、お前に……」

 

「キリト君……」

 

「茅場……お前の思い通りになんてなってやるものか……俺は諦めない。山形さんも、そしてサチ達も救う。そして、この世界も壊させやしない」

 

 その俺の言葉に茅場は面食らった顔になる。それをみながら俺は背中の剣を引き抜いた。

 

「お前にはわからないだろうけどな、俺たちはいつだって絶望の縁にいたんだ。でも、諦めなかった。どんなに追い詰められてもどんなに絶望しても、俺たちは最後まで諦めたくなかった。だから……」

 

『…………』

 

「俺は諦めない」

 

 そう宣言した。

 俺には茅場のようなやつの考えはまるで分からない。でも、絶望のままに死んでいこうとしている人を見捨てる選択肢なんてない! 

 山形さんがまだ生きているのなら、サチがまだ存在しているのなら、たくさんの人をまだ救えるのであれば、俺は最後まで足掻いて、戦って見せる。

 

 チャリ……

 

 金属音がして隣を見れば、アスナも剣を引き抜いていた。目を見れば、薄く微笑んで俺を見返して来てくれる。

 アスナ……

 俺の戦友であり、パートナーであり、そして俺の命。

 ありがとう……

 心で感謝し、そして光に飲まれた山形さんへと向き直った。

 

『君達はどうする気なんだ』

 

 茅場にそう聞かれ、俺は即答する。

 

「決まっている。山形さんと戦って、その目を覚まさせる」

 

 山形さんがラスボスとして自身を設定しているのは明白。このゲーム開始時に、クリアーの為の標的は自分自身だと明言したのは他の誰でもない、彼女自身だ。

 そして、ゲームはまだ終わってはいない。

 残り時間は少ないが、まだ24時間を経過してはいないのだ。

 

『彼女を殺せばそれで全ておしまいだ』

 

「ああ、わかっているさ」

 

 不意に茅場にそう言われても俺の決意はもう揺るがない。ただ戦う。そして『助ける』だけだ。

 

『そうか……ならば』

 

 俺たちのそばに近寄っていた茅場が突然その姿を変える。そこに立っているのは銀の長髪を垂らした深紅の全身鎧を纏ったキャラクターだった。やつはその片腕をアスナへと差し出している。

 

「ヒースクリフ」「団長……」

 

「先輩を救う方法はもう一つだけある。それは先輩自身がこの『行為を止める』ことだ。今の固い決意の彼女の想いを変えさせることができれば或いは……」

 

「想いを……変えさせる……」

 

「私の導くことができた答えは破滅しかなかった。しかし、君たちが言うのであればきっと『希望』はあるのだろう。さあ、『神聖剣』を」

 

「ヒースクリフ……なにを」「待ってキリト君。はい、団長……お返しします」

 

 ヒースクリフへとその剣と盾を渡したアスナ。

 奴はそれを受け取った直後、その剣を大きく振りかぶった。

 そして、光に包まれた山形さんに向かってその一閃を放つ。

 空間に大きな振動が走った。

 一瞬で外の全景を写していたそれは消え去り、ふたたび75層のボスエリアへとそのステージが戻る。

 そして、そこに現れたのは、中空に浮かぶひび一つなく輝く光の玉の中に立つ山形さんの姿と、巨大な3匹のボスモンスターの姿だった。

 

「ザ・スカル・リーパー!?」「そ、それも3体も……」

 

 こいつのことは忘れもしない。

 もっとも手強く、もっとも凶悪だったボスモンスターの存在がそこにあった。

 巨大な鎌状の腕を振り上げ、球の中の山形さんを守るように囲み俺たちを威嚇してた。

 

「やはりただでは済まさないということですか……先輩」

 

 盾を構えスカル・リーパー達と対峙するヒースクリフ。

 俺も前へと出ようとしたその時、ヒースクリフが声を出した。

 

「勘違いしないでくれよ、君たち。私はただ山形先輩を救いたいだけだ。ただ、残念ながら私ひとりではこのモンスターを全て相手にするのが大変でね。君たちを助けようと思ってのことでは決してないからな」

 

「ツンデレかよ」

 

「気持ち悪いです、団長」

 

「ぐっ……ま、まあいい。それよりもアスナくん、これを」

 

 言ってヒースクリフがジェネレートさせたのはアスナ専用の武器『ランベントライト』。中空で輝きながら現れたそれがアスナの手の中へと収まる。

 

「君にはやはりその剣《レイピア》が良く似合う」

 

 茅場の声を聞いた俺たちはお互い視線を交わして微笑みあった。

 そして敵を見上げる。

 

「行くぞ、アスナ、ヒースクリフ」

「うん」「ああ」

 

 こんなパーティーを組むことになるとはな……

 妙な感慨に囚われながら、俺は二刀流のソードスキルを発動させた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『ギュオオオオオオオオオオ』

 

 3体のスカル・リーパーはその長大な体躯をくねらせながら俺たちを囲むように接近してはその強烈な鎌の一撃を放って来る。

 それを『秩序の盾』で受け流しながら胴体へと攻撃を入れていくヒースクリフと、完全に高速移動でかわしつつその足を切断していくアスナの二人。

 俺は背中に二人を見ながら正面の敵の頭部にソードスキルを叩き込んだ。

 

「っらああああああああああああああああっ」

 

 20連撃に迫るその怒濤のラッシュがモンスターの巨大な頭部にダメージを与え続けるも、それはまったく怯まない。俺は防御体制を取ったまま着地をしたそこへスカル・リーパーの両腕が降り下ろされる。

 

「くっ」

 

 当たるかと思ったその瞬間、横から盾が滑り込んできて、目の前の鎌は弾かれた。と、同時にその盾を持った奴はふたたび自分の正面の1体へとその視線を戻し、そして自身も強烈な3連撃を叩き込む。その1体は片腕の鎌が大きく仰け反るも、再び回り込んで俺たちへと迫ってきた。

 

 息をつく暇さえない。

 もともとが強力な上頑丈。高レベルパーティでレイドを組んだあのときでさえ、何人もの死者が出た相手なのだ。しかもそれが3体。

 はっきりいって勝ち目はない。

 

「おい、茅場……お前なんでこんな頑丈なボス作ったんだよ。いい加減にしてくれ」

 

「いや、キリトくん。そもそもこの敵はパーティの枠を越えた連携の上で倒せるように設定した巨大モンスターだ。それを3人で倒すなんてもともと想定してはいないよ。しかも3体だしてくる辺り、堅実な山形先輩らしいな」

 

「関心していないで急所とか弱点とか教えてくださいよ。いくらなんでも3対3じゃじり貧ですよ」

 

「こいつには弱点はない。そのかわり全身でダメージ蓄積可能なタイプだ。とにかく切るしかない」

 

「ほんっとに使えないじゃないか。俺は今までで一番お前にむかついてるよ」

 

「それは、申し訳ないな」

 

 ちっ……

 話している間もまったく休む間がない。ひたすら切ってひたすら避けるしかない。

 このゲームを作った茅場なら、簡単に倒せるかと思ったけど、今のゲームマスターは山形さんだった。ということは、今の茅場はただの高レベルプレイヤー。本当につかえねえ。

 くそっ……いったいどんな無理ゲーだよ。ボスモンスターと3on3《スリーオンスリー》とか本当に洒落にならないぞ。

 でも、いつまでもこんなところでぐずぐずはしていられない。茅場の話の通りだとすれば、今世界中のコンピューターは山形さんの開発したウイルスで順次破壊され始めているはずだ。もう時間がない。

 そんな時、アスナの声が聞こえた。

 

「キリトくん……私が囮になるから、その隙に山形さんをなんとかして! たぶん……キリト君じゃなきゃどうしようもないと思うから」

 

「キリト君……私からも頼む。ここを抑えているうちに、先輩と話を……」

 

「アスナ……ヒースクリフ……ああ、分かった。なんとかしてみる」

 

 その瞬間アスナの全身が光に包まれた。そして、2体のスカル・リーパーの周囲を高速で駆け回り始める。

 

「はあああああああああああああっ」

 

 超加速!

 目で追えないほどの凄まじい速度にスカルリーパーたちの鎌が宙を舞い、そして……

 その長大な胴体が絡まった。

 

『ギュギャギャギャ……』『ギャガガガガ……』

 

 そしてそのうちの1体の頭部から背中にかけて走りながら連続突きを放ち続ける。

 ヒースクリフはといえば、今度は盾でその強力な鎌を完全に受けきり、そしてスカル・リーパーの胸部辺りに身を屈めて踏み込んだ直後、その盾と剣の両方をその腹に突き立て、そしてそのまま一気に持ち上げた。

 

「うおおおおあああああああっ」

 

 持ち上がったその上半身。ヒースクリフは一度膝を深く屈めたあと勢い良くそれを放り投げた。

 宙を飛ぶスカル・リーパー。

 壁面へと叩きつけられたそれは一度ふらつくも直ぐに起き上がり、再びヒースクリフへと突進してきていた。

 

「今だキリト君。頼んだ! 先輩を説き伏せてくれ!」

 

 俺はそのやつの声を合図に、山形さんの存在しているその球へと飛び上がった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ごぽ……

 

 ごぽぽ……

 

 世界が見える……全ての世界が私と繋がっている……膨大なデータが電気信号となって私の脳を駆け巡る。これだけの負荷がかかれば普通では耐えられない。

 だから私は人を辞めた。

 脳に直接電極を刺し、全ての神経とダイレクトに信号を交換する。そして自分の意識を切り離し情報処理の全てを外部端末へと割り振り、脳は生体コンピューターとして超高速の演算処理のみをその用途とさせた。

 これにより私の意識は完全に切り離され、まるで水の中を漂っているかのような安らぎすら感じることが出来るようになっていた。

 でも不思議だ……触覚も感覚も何もないはずなのに、血の味がしている気がする。それはその通りなのだけどね……私の今の身体はまるで燃える太陽と同じ。自分の全てが燃え尽きるその時まで、熱く熱く燃えたぎって世界を壊すというその一点の為だけに血をながし続けるのだから。

 壊すのは簡単だ。

 作るよりもずっと……

 だからこそ私はその簡単なことを、茅場君のゲームの世界で行うことにした、私と田口さんの復讐という題目はあったけど、結局はただのきまぐれだったのだ。

 

 私がラスボスか……

 

 ふふ……やっぱり面白かった。私の命を賭けた最後のゲーム。

 全くの予定通りではなかったけれど、みんなとってもいい子達で……本当に良かった。

 あの子達ならがきっと素晴らしい新しい世界を作ってくれる。そう確信出来る。 

 

 茅場君……

 あなたがかつて求めた人の可能性……

 その何かをきっとあの子たちが持っているということなのかもしれないわね。

 

 これでようやく……

 

 美幸に会える……

 

 

 

”…………さん!……形さん”

 

 ごぼ……

 

 ごぽぽぽ……

 

 

 誰?

 

 私を呼ぶのはだれ?

 

”山形さん!”

 

 この声は……桐ケ谷……さん?そう……やっぱり貴方は助けにきてしまうのね……ふふ……そうね、仕方ないわよね……だってあなたは美幸のヒーローなんだもの……

 

”山形さん‼ もうやめてください‼ お願いします”

 

 必死な声……

 

 でもねキリト君。もう私は決めたのよ。この世界はあまりに汚れすぎてしまった。人の欲望が渦巻き人が人を貶めすぎてしまった。人は一度世界をリセットすべきなのよ……

 

”山形さん! 聞こえていると信じて言います! 聞いてください”

 

 きちんと聞こえているわ。でも、私は揺るぎはしない……

 

”この世界には『サチ』が『生きて』います”

 

 …………

 

”聞こえているんですよね? この世界にはサチが……美幸さんがまだいるんです。俺も……アスナも会いました。会って助けられました。山形さん……お願いします。早まらないでください。美幸さんに会ってあげてください”

 

 …………

 

”お願いします。お願いしますから……”

 

「聞こえているわ、桐ケ谷さん……」

 

「山形さん……」

 

 覚醒したわけではない。ただ、私の分身体とも言えるこのアバターに接続しただけ。

 球状の透明な外殻となった私の身体の一部に、桐ケ谷さんはが触れている。

 

「山形さん! もうやめにしましょう。ネットワーク世界を破壊してなんになるんですか? 壊しても何も生まれやしない。ここにはサチもいるんです。だから……」

 

「知っていたわ……」

 

「え……?」

 

 きょとんとしてしまった彼を見つめて、私は言った。

 

「ずっと前から知っていた。いいえ、感じていたわ。この世界のいたるとこで、美幸の気配を私はいつも感じていた。そして」

 

 彼が何かを言おうとして固まっていたけど、私は構わず続けた。

 

「貴方がデリンジャーと戦っていたあのとき、死んだはずの貴方の身体から聞こえたあの『声』の中に、まぎれもなく美幸の声もあった」

 

 そう、この私が聞き間違えるわけがない。あの子は確かにあそこにいた。

 そしてあの子は、彼を……桐ケ谷君を助けた。

 それが分かったとき、私は本当に『嬉しかった』。あの子がここに『生きて』いたんだとはっきりわかったから……でも……

 

「でもね、私はこのままこの世界とともに……美幸と一緒に死にます。そう決めたんです」

 

「なぜですか? 美幸さんはまだ存在している。あなたなら、美幸さんを蘇らせることがきっとできるんじゃないですか? 現に茅場は存在できている。このままではそんなみんなも消えることになる」

 

「美幸の肉体はもう死にました。それに……私は……美幸をそんな『永遠の地獄』に閉じ込めたくなんかない」

 

「あ……」

 

 わかっていた。

 美幸を蘇らせる方法だってずっと考えていた。

 そしてその手段もなんとなく掴んでいた……

 でも……

 それは私のエゴだ。

 人の死は覆すことはできない。死んだ人間は還らない。それが自然であって、当たり前のこと。

 肉体を持たないあの子に人間として生活する術は……ない。

 

「だから……もう終わりにするんです。これでもう私たちは……」

 

 一緒に消えよう……美幸。あなたとはずっと一緒に居てあげるから……

 その時、彼が思いっきり強く私の外殻を叩いた。

 

「それでも……それでも俺はあなた達に生きていてもらいたいんだ! 肉体が死んだ? 永遠の地獄? そんなのただ生きる為の器が変わっただけじゃないか。俺達にはそんなのは関係ない。誰もがサチを避けるなら、避けないでいい世界に俺達が変える。現実の世界に出たいなら俺達が身体を作ってみせる。だから、だから、たかがそんな理由だけで、サチを……山形さん自身を殺さないでくれ」

 

 それは切ないくらい純粋な思いの丈。不器用で青臭いけどとてもまっすぐな叫びだった。だからなのか、私は思わず言ってしまった。無垢な彼のその想いを打ち砕いてしまおうと思ったから。

 

「ふふ……そうね、わかったわ。なら私を倒してこのゲームをクリアーしてみせなさい。3体のボスモンスターを倒せば、この外殻が消滅します。そしてこの私を葬ることができたなら……私はこの世界の破壊をやめましょう」

 

 ただの戯言……

 不可能の上に、不可能を重ねて宣言しただけのこと。

 あの強力なボスモンスターを助けもないこの状況で、たった数名の彼らだけで倒せるわけがないことは当たり前のことだったから。

 あのモンスターは茅場君が作り上げた中でももっとも強固なもののひとつだった。私はそれをさらに強化させ、そして3体を用意した。

 ここに辿りつくことが出来たとしても私を倒すことはできない。

 デリンジャーを始末し人質を解放した上で、ゲームクリア―を諦めさせるためにあえて用意したこの強力なモンスター。私はそして世界を滅ぼす光景を全員に見せるつもりだったから。

 でも……

 

「言質とりましたよ。絶対に約束を守ってくださいね」

 

「え?」

 

 急に明るい声に変わった彼を見やれば、凄く明るく微笑んでいた。その顔に微塵の恐れも後悔の念も表れてはいない。

 そんな彼がパッと手を放し飛び降り様私に言った。

 

「もう一つ約束してください。必ずサチを復活させると。俺はまだ、サチに話したいことがたくさんあるんですから」

 

 訳が分からないと、満面の笑みで落ちていく彼を見つめていた私は、そこに広がる光景に思わず声を上げてしまった。

 

「は……ははは……あははははは……」

 

 なに……? なにこれ……?

 

 も、もう……あなたたちってば……

 

 湧き上がる笑いに、心が同時に満たされていくのを感じていた。そして知らず知らずのうちに頬を涙が伝っていた。

 そこに広がっていたのは『不可能』を『覆す』光景だったから。

 

「正面の敵に火力を集中させろ! MPをけちるなよ! これが最後だ気合をいれろ!」

「今回は俺達風林火山がタンク(盾持ち)だ! ここで決めろ! 絶対にリーダーを救い出すぞ!」

「あいつらは胴体も弱点だ。少しでもいいからソードスキルで削れ」

「シリカ、あいつすばしっこすぎるから、ドラゴンで抑え込んで。これじゃあシュトルムで狙えない」

「い、いやですよぉ、あんな気持ち悪いムカデにさわるなんて」

「ぴゃぁぁー」

「背面は攻撃手段がないぞ! 機動力のあるやつは背面から攻撃しろ!」

「こいつかってぇ……全然効いてないぞ」

「大丈夫だ! ダメージは蓄積されている。防御力の低いプレイヤーは私の神聖剣の後ろにまわれ」

「ガドランブル・ペイン‼」

「アスナさんに続け~‼」

「回復させます!」

「集中攻撃! ハンマーで相手の防御力を削れ!」

「一気に葬れ!」

 

「お兄ちゃん!」

「リーファ!」

 

 頷き合ったその二人が剣を構えて、ソードスキルと魔法の詠唱に入っていた。次第に溢れてくる巨大な魔法の輝きの中で凄まじい剣の乱舞を繰り出した黒の剣士……

 こんなに多くの人が戦ってくれて……

 ここまでたどり着くことさえ不可能であったはずなのに……

 もう心が折れて絶望していたはずだというのに……

 私の前で……

 不可能と思っていたそれがついに、為された。

 

 3つの巨体が光へと変じるその最中……私と共に復讐にその心を焼いたあの二人がそっと私を見上げていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ケイタ……? ……なのか? それに田口さんまで……」

 

「ああ……そうだよ、キリト。久しぶり……」

 

 俺の目の前には二人の人物があった。

 一人は言わずもがな田口さん。そしてその隣で立っていたのは、ついさっきまでデリンジャーがその姿をしていた『彼』の姿だった。

 

「ケイタ……お、俺……俺はあの時……」

 

「いや、待ってくれキリト。俺も君に言いたいことがたくさんある。でも、今は『彼女』だ」

 

「ああ、そうだな」

 

「さあ、行こうか、二人とも」

 

 俺とケイタの背中を押すのは田口さんだ。

 他の面々は心配そうに俺達を見ている。

 

「お兄ちゃん……」

 

 たたたっと駆け寄ってきたリーファが俺へと声を掛けて来てくれた。

 

「遅くなって本当にごめん」

 

「いいや、助かったよスグハ……お前のおかげだ。ありがとう」

 

 頭をぽんぽんと叩いてやると、直葉は恥ずかしそうにはにかんだ。

 そしてアスナとヒースクリフを見れば二人はジッと俺を見つめていた。俺は一度頷いてから山形さんへ向かって歩む。

 山形さんは地上へと降りてきていた。そして彼女の宣言通り、侵入不可能であったあの外殻は消滅しそしてそこに輝く彼女が目を瞑って立っていた。

 俺とケイタと田口さんの3人で向きあって声をかけた。

 

「約束通り来ましたよ。ボスを倒しました。そして後はあなたと決着をつけるだけだ」

 

「ふふ……そのようね……約束は……約束だものね……でもひとつだけ聞きたいことがあるの。どうして皆さんはここにたどり着けたのかしら……? 私は彼らに情報の開示はしていなかったはずだけれど」

 

「それは私ですよ、雪谷さん。私があなたに貰った管理者権限を使用して全てのプレイヤーにオンラインで状況を知らせていました。ここまでの貴女の発言も貴女の行動も全部ね」

 

「そう……田口さんの仕業だったのね……それならしかたないわね……」

 

「山形先生……」

 

「圭太君……」

 

 見つめ合う二人……

 ケイタの目からは涙が溢れていた。

 

「もう……もうやめましょうこんなこと……俺はもう誰も失いたく……ないです」

 

「圭太君……うん、ごめんね」

 

「せ、先生?」

 

「うん……彼と……『キリト』君と約束したから……ね。だからこれで終わりにする」

 

「じゃ、じゃあ、先生は生きて……」

 

「ええ……生きることにするわ……生きて罪をつぐなわないと……ね」

 

 そう言って山形さんは田口さんを見る。そして頷きあっていた。

 

「キリト君……お願いがあるの。あなたの手でこのゲームを終わらせて頂戴。これは私のわがままよ。でも君にお願いしたいの……この世界を滅ぼそうとした私を討つべき人はやはりあなた以外には考えられないわ」

 

「そ、そう言われても、もしそれで本当に死んでしまったら……」

 

 山形さんはおかしそうに笑った。

 

「このゲームをクリアするとあなたは私に約束したはずよ。そしてこの私が最後の相手……あなたは約束を(たが)えるのかしら?」

 

「わかりました」

 

 俺はエリュシデータを引き抜く。

 そして、直立する彼女の胸の中心にその切っ先を当てた。

 彼女は目を瞑っている。

 と、唐突に彼女は声をだした。

 

「茅場君、まだそこにいるわね?」

 

「ええ、居ますよ」

 

 ヒースクリフの姿のまま茅場が山形さんへと視線を向けていた。

 

「私はあなたを許さない。あなたの存在そのものをいつか必ず別の方法で消します。覚えておきなさい」

 

 威圧するようなその言葉、でも決してその口調は怒りには染まってはいなかった。

 茅場はそれに答える。

 

「ええ、その時はいつでもお相手させていただきます。貴女が生きている限りは……ね」

 

 山形さんは薄く微笑んでいた。

 でも何も答えない。代わりに俺へと一言発した。

 

「さあキリト君……止めを……」

 

「ああ……」

 

 俺はそのまま一気に彼女の胸へと剣を突き入れた。

 

 ダメージの輝きがまるで風に舞う花弁のように辺りへと舞い散っている。その身体を抱いている中、彼女のLIFEゲージは完全にゼロになった。

 掠れ始めるその身体。最後に彼女はその頬に一筋の涙を走らせたのだった。

 

「……美幸」

 

 煌めくエフェクトは彼女の残滓。

 辺りに飛び散りながら彼女は消滅していった。

 言葉なく立ち続ける面々の中で、一人茅場がその声を発した。

 

「ツヴァイクラッドの崩壊が始まらない……浸食していたバグの動きも完全に止まっている。世界は救われた」

 

 その一言が呼び水だった。

 上がる歓声。

 みんなが抱き合って、この戦いの本当の終了を体感していた。 

 駆け寄ってきたアスナと抱き合いながら、彼女が胸にしまっていた宝石からユイが飛び出してくる。リーファもシノンもシリカもみんな抱き合って笑顔だった。

 

「おい、クラインだ!」

「リズベット‼」

 

 声が上がり見て見れば、さきほどまでまるで蝋人形の様だった二人のアバターがふらふらと床に座り込んだ。

 

「クライン! 無事だったか」

「お、おいやめろよキリト、抱き着くなって。いろいろ怪我してていてえんだからよ」

「わ、悪い」

「な? リズベット言った通りだったろ? 絶対キリトが助けに来てくれるって」

「バカ……クラインのバカっ! うわああああああああん」

「なんでリズがクラインさんに抱きついてるの? 捕まってる間に何があったの」

「い、いや何もねえよ? ほ、本当に何もねえから」

「クラインのばかあああ」

「なにはともあれこれで全部終わったかな?」

「そうですよシノンさん。お疲れさまでした」

「ぴゃ」

 

 アスナと二人でコンソールを確認してみれば、そこにはログアウトボタンが復活していた。

 二人でそれを見て安堵したのだ。

 そんな中、周りを見渡してみれば、ヒースクリフも田口さんも、そしてケイタの姿も……

 

 もうどこにも無かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「やあキリト君。待ったかい?」

 

「いえ、そんなにでもないです」

 

「そうかい? なら良かった」

 

 ここは都内のとある喫茶店。奥まったボックス席で対面に座ったのは総務省の菊岡誠二郎だった。

 彼は相変わらずニコニコしていて、その実何を考えているのか全く読むことができない。ただ、信頼できる相手だということだけは知っていた。

 

「それで……アスナ君の容体はどうかな?」

 

「それなんですが、腹部のけがはもう大丈夫そうです。ただ、まだ歩くには痛みもあるようなので松葉杖を使ってリハビリなんかもしてますよ」

 

「そうか、大変だな。でも命に別条がなくて本当に良かったよ」

 

「それで、どうでしたか?」

 

「ふむ……」

 

 俺の質問に菊岡さんは腕を組んで俺を見つめてきた。この反応が別段悪いものではないということを俺はもう知っている。つまり……

 

「田口氏の判決には執行猶予が付きそうだよ。4人も殺して……1人は遠隔の上まだ殺人と立証されてもいないわけだが、確実に3人を殺害したとしては異例の判決になると思うよ。これは彼女から提供されたデリンジャー一派の犯行映像の数々が効いていると思うよ」

 

「そうですか……山形さんは?」

 

「ふむ山形……雪谷良子氏についてはサイバーテロの容疑についてはまったくといっていいほど捜査が追い付いていなくてね。各国、各メーカーでは一時的な不具合によるプログラムの損傷としてすでにリカバリーなどを行って話を終えてしまってたりもするらしい。どれほどの規模を破壊したのかは不明だが彼女の犯罪を立証するのは逆に難しいかもしれない。もはややっていることの次元が違いすぎるのでね。ただ、この被害によると思われる死亡事故などの報告は上がってはいないよ」

 

 そうかもしれない。

 山形さんの行った『電脳世界破壊』は通常ならあり得ない現象だ。ただ、今回は完全破壊を免れたかこそ、簡易的なリカバリーでの復旧が容易だったということか。あるいは、そこまでの破壊行為そのものを躊躇っていたか。

 彼女は人の死を恐れていたから、医療や生産関係のプログラムには触らないようにしていたのかもしれないな。

 

「それとアスナ君の傷害に関しては先方と示談がすでに成立しているからなんのお咎めもなしになるね。いやはや、とんでもない事件に巻き込まれたものだね、キリト君たちは」

 

「デリンジャー達については?」

 

 日本を代表するセキュリティー企業の代表が犯罪者であったことについては実は公にはされていない。今回の事件で田口さんが手を下してしまった関係で容疑者はほぼ全員死亡していることと、政財界に多くの関係者が存在してしまったことで表立った捜査は行われていないらしいことだけは知っていた。

 

「ふむ……まあ、君だから話すが、お察しの通り通常裁判などでの追及はなくなった。彼らに感しては雪谷氏と田口氏からの映像を含めた詳細な犯罪の証拠があったからね。犯罪の内容が内容だからと裁判なしに政府とTOSco本社の両面で水面下で被害者に対しての賠償を行うことに決定したよ。ま、色々言いたいことはあるかもしれないが体制を維持するための大人の都合と捉えてくれたまえ」

 

「そういうことなんでしょうね」

 

 コーヒーを啜ると、その苦みが脳を引き締めてくれた感じがした。

 俺は菊岡さんに向き直って頭を下げた。

 

「俺達を助けてくれて本当にありがとうございました」

 

「へ? あ、いやあ、そう君に率直に言われると照れるもんだねぇ。惚れたかい?」

 

「惚れるかよ」

 

「あははは、まあそうだ。君たちを助けたと言ってもあれは全部君の功績じゃないか。君がパーソナルセキュリティーシステムをずっとオンにしていてくれたおかげで、君たちの乗っている船の場所や、君たちのゲーム内での動向が分かったんだからね。まあ、気にしないでいいよ」

 

 確かにそうなんだけどね。

 田口さんが現れて管理者権限をデリンジャーから剥奪した事を知った後、俺はこのシステムの外線で菊岡さんとエギルにオンライン状態にしたまま固定した。つまり、その後の俺達の動向は全て菊岡さんに通達されていたことになる。

 直後、菊岡さんは竹芝桟橋に停泊していたデリンジャーのクルーザーを突き止め、そこですでに死亡していた3人と、船室でフルダイブしていた俺達全員と田口さんを発見。他の関係者を拘束しつつ、ゲーム内のことを監視し続けてくれていた。

 おかげで俺達は安全にゲームクリアすることが出来たというわけだ。

 

「それで……『彼』の様子はどうなのかね?」

 

 菊岡にそう聞かれ、俺は再び顔をあげた。

 

「特になにも……いや、色々と話はしましたよ。俺は『彼』に返すことができないくらいの負い目があります。それは今でも変わりはしませんから。でも……」

 

 彼は……ケイタはあまりに多くのものを失いすぎてしまった。それは俺も同様ではあるのだけど、アイツの場合はもう戻ることは出来ないだろう。それだけケイタの心の傷は深いのだから。

 これからはあの世界で死んでいった人と向き合って生活していくことになるのだろう。

 

「ケイタは田口さんの家で同居しながら山形さんの元で働くようですよ」

 

「そうか……まあ、そうなるだろうね。くれぐれも了承の得られなかった故人(・・)のデータには触れないようにと伝えておいてくれよ」

 

「それは問題ないでしょう。山形さんがすでに各個人単位でのデータの仕分けを終わらせてますから」

 

「そうか……なら結構だ。いや、今はやれ個人情報だプライバシーだ公権力濫用だとうるさいものでね。いずれ来る日まではそっと眠らせておいてあげてくれ」

 

「言われるまでもありませんが、わかりました。そう伝えます。これからケイタにも会いにいくところでしたし」

 

「そうか、なら宜しく伝えておいてくれ。それと……犯人扱いして済まなかったとも伝言を頼めるかな」

 

「そういうのは自分でしてくださいよ。まあ、言っては起きますが」

 

「宜しく頼む。さて、君に伝えるべきことは全部伝えたし、これで今回の事件はお仕舞いになるね」

 

 そう言って立ち上がった菊岡。俺はもう一言だけ尋ねた。

 

「山形さんが……リヴェンジャーが起こしたあの事件……24時間あの戦いを見ていた全ての人はいったいなにを思ったのでしょうね」

 

 気になっていたことだ。

 俺達はただ遊んでいたわけじゃない。結果として俺達に死んだ人間は出なかったがあれは紛れもないデスゲームだった。

 嬉々として見ていたかもしれないそんな人々は、何を思い、どう行動していくのか……

 菊岡は俺をじっと見ていた。

 

「さあ、それこそ私ごときでは分からないよ。でもね、確実に人々はあの世界を認識したことは間違いなかった。あの美しい幻想の世界……もうひとつの現実が人々の心に刻まれたことは確かだと思うよ」

 

「そう……ですよね」

 

「や、今日は悪かったね。ゆっくり休んでくれたまえ」

 

 菊岡はそれだけ言うとテーブルにおいた伝票を手に、それをひらひらと振りながら出口へと向かっていった。

 

「ふう……」

 

 残っていた冷めたコーヒーに口をつける。苦味がやはり口内に広がって今度は終わったことへの安堵に力が抜けた。

 店を出て海岸に向かって歩いていく。

 その道すがら俺は考えていた。

 

 あの仮想現実をインターネット世界まるごと一緒に破壊しようとした山形さん。彼女はその姿を知らしめるために敢えてその世界の壊れ行く様を人々に見せようとした。

 しかし、結果として報じられたのは目映(まばゆ)く美しいあの幻想の世界、そしてそこを駆ける戦士達の勇姿。

 憧れ、焦がれ、あの世界を欲する人々が増えたことは間違いなかった。

 皮肉な話だよな……

 絶望の末に破壊をめざして、そしてその世界をより完成に導いてしまった。

 いや……

 もしかしたら、初めから彼女はこうなることを期待していたのかもしれない…… 

 

 蘇ったサチが生きていける場所を作るために……

 

 もしそうだとしたなら……

 はは……

 茅場も俺もみんな踊らされていただけだったのかもな……

 そう思い浮かんだ考えが自分でも可笑しくてつい笑えてしまった。

 

「なにニヤニヤしてんだよ、キリト」

 

 急に横から声がして振り向けばそこには白の大きなミニバン。その後部座席から指に包帯を巻いたクラインが身を乗り出して俺に手を振っていた。

 

「やっほーキリト!」

 

「もうキリト君全然気づかないんだもん」

 

「お兄ちゃん、通りすぎちゃいそうだったよ」

 

 そう声がして車内を見れば、椅子に座ったリズベットとアスナと直葉。椅子に深く座るようにしているアスナをリズと直葉が抱くようにして支えている。

 

「悪い悪い、ちょっと考え事してて……シリカとシノンは?」

 

「ああ、今こっちに向かってるってさ。もう聞いてよキリトぉ。クラインの奴にお礼でご飯御馳走することになってたからどこに行きたいかって聞いたら、『ラーメン次郎』だって言うのよ。ほーんとコイツどうしようもないわよね」

 

「いーじゃねーか、次郎。なあ? キリトなら分かってくれるよな。それに、彼女の財布の負担を減らしてやろうってデートで気遣ってやったんだから文句言われる筋合いはねーな」

 

「か、かの……で、で、ででででデートなわけないでしょ! バカなの! 調子に乗るな!」

 

「いてて、勘弁してくれよぉ」

 

「あはは……」

 

 もう笑うしかない。

 あの世界でリズを助けるためにクラインが身体を張ってデリンジャーたちからリズを守った話は聴いた。

 そのせいでクラインは両手両足に大ケガを負ってしまってけど、それ以上の被害は二人にはなかった。

 本当に無事でよかった。

 

「スグもありがとうな。アスナのこと看てくれて」

 

「いーんだよぉお兄ちゃん。これも妹の仕事のうちですからね!」

 

「なま言って」

 

「へへへ」

 

「アスナも平気か?」

 

「うん、もう結構平気だよ。ずっと寝たままだったから身体が重いけど、SAOから帰ってきたときよりはずっといいよ」

 

「そうか、無理するな」

 

「うん」

 

「ようよう、キリト。みんなと話すのもいいが、今回何気に一番活躍した俺のことを無視するなよな」

 

「あ、ああ。いたんだなエギル」

 

「ひっでえな、誰が運転してきたと思ってんだか。それと、今日はお前のお友だちもいるんだからな」

 

 そう言って助手席から顔を出してきたのはケイタだった。

 

「キリト。今日は一緒させてもらってるよ」

 

「ああ、気にするなよケイタ。これから仲良くやっていこう」

 

「ありがとう」

 

 そう言ってケイタは微笑んでいた。

 

 あの世界で戦っていたあの時、ダイブしなかったエギルはひたすらに警察や総務省の菊岡さんたちに連絡を繋ぎ、俺達の救助のために尽力してくれた。

 そして、それのみならず田口さんの内情がわかった時点で俺達が気がつくよりも早く、エギルは山形さんの身体とケイタの居場所に迫ってくれていた。

 おかげでケイタの説得も出来、山形さんが帰還後はすぐに病院への移送の手配もできたというわけだ。

 正直エギルがいなかったらどうなっていたことか…… 

 

 ケイタとは色々あったがもう過去に縛られることはなくなったように思う。目指す先は同じであったのだから。

 

「やっぱりこの海岸にも人は多くなるもんなんだな」

 

「そりゃそうでしょ、なんと言っても夏の風物詩だものね」

 

 大分暗くなってきたその周囲を見渡しながらクラインとリズベットがそんな話をしていた。

 

「アスナ……」

 

「うん、ありがとうキリト君」

 

 手を取って彼女を車から降ろし、そして近くの芝生へと誘導した。

 

「怪我してなかったら、アスナさんの浴衣姿見れたのにね、お兄ちゃん」

 

「本当だな」

 

「わっ、お、お兄ちゃんが惚気てる!」

 

 いや、煽ったのはおまえだろ?

 アスナも赤くなってたから、俺は頭をぽんぽんと撫でた。

 それから俺は用意していた端末を2基鞄から取り出した。

 

「さて、じゃあ始めるか! ケイタも手伝ってくれるか?」

 

「OK! まかせてくれ」

 

 芝生の上に球状のマシンを固定する。そして電源を入れて、各二つずつ搭載した広角レンズを調整する。

 そして、画像がそれぞれ立体視出来るような位置で固定してから、ケイタに頼んで通信機器と接続してもらった。

 

「おーい、ユイー! 聞こえるかー?」

 

 端末に向かってそう声をかけるといつもの可愛らしいユイの声が。

 

『はいパパ。よく聞こえますよ。それに、わわわっ! すごいです! 景色がすごくはっきり見えます』

 

「そうか? よかった。広角レンズ2つを使ってその解像度を飛躍的に向上させたデュアルカメラ仕様だ。今までのモノアイと比べたら約5倍は視野が広がってるはずだぞ」

 

『本当にすごいです! うわー、うわー!』

 

 ユイがそう言いながらカメラをぐるんぐるん回転させ始めた。

 それを見ながら俺とケイタはサムズアップを交わした。

 

 ケイタは山形さんの元でAIのプログラムの構成作業を進めている。ユイも有している『感情プログラム』についてのメンテナンスもケイタが受け持ってくれた。正直人の脳の動きに近づける作業がいったいどのようなものなのか想像もできないけど、確かにユイの喜怒哀楽の表現はより深いものになった。

 当の山形さんはと言えば、あの事件後覚醒してすぐに病院へ搬送。頭蓋へと打ち込まれたたくさんの電極の摘出手術が行われた。どうやら機器の脳への接続は自分で行ったものだったらしく一時期は生命の危険もあったようだけど一命はとりとめた。

 その後彼女はセイヴィアシステムのアーカイブ内に分散していた膨大な量のプレイヤーのパーソナルデータを回収、個人別に管理し、人格形成に必要なデータの補完方法についての研究を進めているとの話は聞いていた。そしてその成果はすでに表れてきていることを俺も知っていた。

 茅場のその後は全く分からない。あの戦いの後消えてから音沙汰はないから。

 ただ、俺には分かっている。今回の事件でこの結果となってもっとも喜んでいるのがあの男なのだと。奴が天才と認めた存在、山形さんは、ひょっとしたら茅場のことを理解できるこの世界で唯一の存在であるのかもしれない。いずれにしても茅場はいつか必ずその姿を現すのだろう。その時奴がいったい何を為そうとするのか……

 でもそれはその時の話だ。

 

「そろそろ花火が打ちあがる時間だよ。ねえ、キリト君。『彼女』はまだなの?」

 

 海の方を眺めていたアスナにそう聞かれ、俺は作業のペースを速めた。

 

「ああ、もうちょっとなんだ。ユイと違ってデータが重すぎてこの端末に上手く接続できないんだよ」

 

「ちょっとそれ女の子に言うセリフじゃないよ。もう少し気を使ってよね」

 

「うう……ごめん」

 

「キリト……俺の方の端末を仲介させて呼び出すよ。こっちの方がCPUの性能が良いから」

 

「サンキューケイタ……よし……接続できた……っと」

 

 顔を上げればそこにはアスナやケイタや直葉……みんなの微笑んでいる顔があった。

 シノンとシリカも丁度来たところ。

 みんな生きている。生きて一緒に今を楽しむことが出来る。

 俺はどんな形であれ、この今を大事にしていきたいと思っているんだ。そうすることで俺達は失ってしまったたくさんの物をきっと取り戻していくことが出来る……と。俺はそう信じていた。

 

「いいかユイ。お前の方が先輩なんだから色々教えてやるのはいいけど、向こうの方がお姉さんだからな。生意気言ったらだめだぞ」

 

『はいパパ。りょーかいです!』

 

 ユイがそう返事したのを確認して、俺は隣に据え付けたもう一台のデュアルカメラのついたマシンに声を掛けた。

 

「もうそろそろ花火が上がるよ。どうかな? こっちに来れてるかな?」

 

 そうかけた声に返事が来た。

 それは俺を励まし、俺の心を救ってくれた優しいあの声……

 もう2度と会うことが叶わなかったはずのあの少女の……

 

『うん、いるよキリト。ただいま』

 

 暗がりで見上げてきているそこには確かに彼女がいた。

 

「ああ、おかえり、サチ」

 

 きっと俺達はこの新しい世界でたくさんの想い出を作っていける。

 俺はそう……

 

 信じることにした。

 


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