ソードアート・オンライン -The Revenger-    作:こもれび

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ケイタ【彼女の過去③】

 あの日……私は死んだ……

 

 最愛の存在を失ったあの時に……

 

 もう、生きている意味は無かった。

 

 ただ、私の腕の中で冷たくなっていく美幸のことだけが愛しく哀しく、そのまま美幸と一緒に消えてしまいたかった。

 

 気がつけば私は病院で寝かされていた。

 点滴をつけられベッドの上にいた私。今が夢か現実(うつつ)かも分からないまま呆然となって周囲を見渡したそこは殺風景な白壁の病室。

 これが夢であればと願わずにはいられなかったけど、そんな奇跡は絶対に起きないということを、過去に私が愛し、そして私を残して去って行ったたくさんの人達から教わっていた。

 

 美幸は死んだのだ。

 

 唐突にそれを認識し、そして自分も死ぬことを決めた。

 死ぬのは簡単だ。

 身体の血液の3割を放出するだけでもいいし、ここが二階以上の高さがあるのならこの部屋の窓から飛び降りるだけでもいい。それこそナーヴギアの電極を弄って直接自分で脳を焼いたっていい。

 

 美幸がそうなったように……

 

 美幸……美幸はどこ?

 死ぬ前に御葬式はしてあげなくちゃ。

 きちんとお友達ともお別れをさせてあげて、ちゃんとお墓に入れてあげなくちゃ……

 お姉ちゃんとあの人の……美幸の本当のお母さんとお父さんのお墓に。

 私が死ぬのは……その後でいいや。

 

 こんなに悲しいのに不思議と涙はまったく出なかった。

 誰に着替えさせてもらったのか、私の格好は薄青色の病院着になっている。私はそこに置いてあったスリッパを履いてそのままの姿で廊下へと出た。

 

「サチの……雪谷さんのお母さん」

 

「……え」

 

 廊下に出るとすぐそこで急に声を掛けられた。そこには車イスに座り、私と同じ薄青の病院服を着た一人の男の子の姿。目は虚ろでかなり憔悴している様子。大分痩せているけど、年の頃は美幸と同じくらいか……

 そう思った時、以前美幸と並んで歩いていたのがこの目の前の男の子であることに気がついた。

 

「あ、あなたは……」

 

 そう思わず声に出すと、彼は滔々と涙を溢れさせ始めてしまった。

 

「お、俺……五十嵐圭太です。雪谷さんのクラスメイトです。す、すいません! 俺だけ生きていて、本当にすいません‼」

 

「え? え? あ……」

 

 ガタガタっと大きな音を立てて彼が車イスから転がり落ちる。そして震える身体で床におでこを押し付けたまま泣いて何度も私に謝りだした。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 必死に訴えてくるかのように頭を下げる彼の姿を、私はどこか遠くから眺めてでもいるかのようにじっと見つめていた。この子はなぜこんなに謝ってくれるのだろう? あ、そうか……

 その答えに行き当たり、私は彼に訊ねる。

 

「君は……『SAO(ソードアート・オンライン)』から生還できたんだね?」

 

 その問いの直後、彼はびくりと身体を震わせた。そして恐る恐るといった感じでその顔を上げる。その顔を涙と鼻水でグシャグシャになってしまっていた。

 こんなに怯えて……

 可哀想に……

 

「泣かないで? 君が生きていてくれて嬉しいよ」

 

 そう笑顔を作りながら言ってあげると彼はぎゅっと目を瞑ってまた号泣しそうになる。

 私はやれやれと思いながら彼を抱き起こして車イスへと座らせた。正直言えば彼のことをこの時はなんとも思っていなかった。鬱陶しいとすら感じていた。 

 あの世界からの帰還。それが如何に奇跡的なことかは半年ずっとその手段を求めていた私にはよく理解できていた。

 でも、もう私には関係はない。どんなに努力しようとももう美幸は還っては来ないのだから。これから死ぬ私には必要ない。

 そこまで考えた時、あの世界での美幸のことが急に気になった。あの世界の内情は断片的に拾えるデータからだけでは詳細がわからない。少し落ち着いた様子の彼にそれを聞くと少しずつ話始めた。

 彼は美幸や他の学校の友達と共にずっとこれまで支え合って生きてきたのだという。その話し一つでも私の気持ちは軽くなった。

 

 そうか……美幸は一人じゃなかったんだね…… 

 

 外部からでは全く窺い知ることの出来ないあの世界で美幸が少なくとも一人きりで孤独では無かったということは、少なくとも私にとっては救いだった。

 

「ありがとう圭太くん。それを聞けて安心できたよ」

 

 その私の言葉に彼は再び嗚咽を上げ始めてしまった。仕方ないか……母と友人という立場は違っても、私と彼は同じものを失ってしまったのだから。ううん、彼は美幸だけではなく他の友人も失ってしまった。

 そう考えた時、急に彼が不憫に思えた。

 ゲーム内の出来事とはいえ、彼を含めた全員がその命を散らせたのだ。結果として彼は現実の身体が死ななかったというだけのこと。きっと想像を絶する喪失感を体感したことだろう。

 私はその時、悲しみにくれる彼の気を逸らそうと、本当に何気なくあの話題を振った。

 

「ねえ圭太君、『キリト』って何のことか知ってる?」

 

 それはあの時死に際の美幸が漏らした言葉。ナーヴギアの電磁パルスの影響での身体へのフィードバックによる美幸本人の声だったのか、或いはただの無意味な言葉の羅列だったのか……

 その正体、意味を理解出来ないままに聞いたその瞬間、目の前の彼の顔が一変する。今までの絶望にまみれた表情が、何かの意思をはっきりと宿した瞳へと変わり、その身体は強張り震えだした。明らかな怒りの感情が迸っているのが見てとれた。

 

「キリト……」

 

 そう一言漏らした彼が、私をキッと見つめ返してきて、言った。

 

「キリトが……みんなを……殺しました」

 

 怒りを滲ませる瞳の圭太君の答えが、私に新たな『生きる意味』を与えたのはきっと……

 

 必然だったのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「……桐ケ谷和人……15歳……住所は……埼玉県川越市……」

 

 美幸の葬儀も終わり、一時的にSAO事件対策本部から離れていた私は、重村先生の研究室で全プレイヤーデータの検索を行った。そしてそこでこの少年『kirito』を発見する。

 彼についてのデータは、部分的に収集されていたSAO内部情報にも度々出てきていた。

 プレイヤーネーム『キリト』。第一層を初めとして、多くの階層でボスモンスターに止めを刺していることが知られている。数少ない収集出来たログの内には、彼のことを『ビーター』または、『黒の剣士』と呼んでいた形跡も見つかっていた。

 この『ビーター』というのは圭太君曰く『他のプレイヤーを利用しボスを攻略する卑怯者のキリトを指す言葉』とのこと。二つ名がついている辺りかなり上級のプレイヤーだろうことが予想出来た。

 

 私はすぐに車を走らせ彼が入院している病院へと向かう。

 話しができるわけがないことは承知の上。しかし、会わずにはいられなかった。

 事前確認で病室はすぐに分かった。受け付けでSAO対策本部の者であることを告げ真っ直ぐに病室へ向かうと……

 

「じゃあ、お兄ちゃん、またね」

 

 その病室の扉が急に開き、中から黒髪ショートヘアのジャージ姿の女の子が飛び出してきて、危うくぶつかりそうになる。

 その子は慌てた様子で私に何度も頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。部活があって急いでて……」

 

「だいじょうぶよ。気をつけてね」

 

「は、はい!」

 

 その子はもう一度微笑みながら頭を下げた後、タタタっと小走りでエレベーターへと向かった。

 『お兄ちゃん』と言っていた。あの子がきっとキリトの妹なんだろう。

 チクリと何かが刺さるような胸の痛みを覚えつつ、私は病室へと入る。そしてそこで彼に対面した。

 

 ベッドに横たわるのはまだあどけない一人の少年。その頭部にナーヴギアを被り、腕には点滴のチューブが繋がっている。

 美幸とまったく同じ状況。

 それを見た時、私は自分の足から力が抜けていくのを感じてしまった。

 

 私の鞄にはナイフが隠してあった。

 

 最初からその覚悟があったのか? と、問われれば、よく分からないとしか答えようはなかったけれど、私は美幸を『殺した』相手に復讐するつもりがあった。

 その相手を目の前にした時、私の心がもし『殺せ』と叫べば、直ぐ様殺すつもりだったのは確かだ。

 

 でも……

 

 私はそれどころか、ナイフに触れることすら出来なかった。

 目の前の少年がどんなに悪辣なことをゲーム内でやっていたとしても、ここにいるのはまだまだ子供。美幸よりももっと年若いこの子をこのまま殺してしまおうなどとはとても思えなかった。

 この子にもあの妹さんがいて、母親がいる。みんなが彼の生還を心待にしている。私が美幸を待っていたように。

 そう思えた途端に涙が溢れた。

 殺せない。

 この子が美幸を殺したのだとしても、私にはこの子を殺すことができない。

 強烈な後悔に蹂躙されながらも、私は確かに安堵もしていた。それが美幸に対しての裏切りだと自覚して尚、殺さなくて済んだことに安心してしまったのだ。

 二分する二つの感情の狭間でふらふらと彼から遠ざかりながら私は急に知りたくなった。

 

 あの世界でいったい何が起こったのか?

 

 彼と美幸の間でいったい何が起きたのか?

 

 どうして美幸は死んでしまったのか?

 

 私は美幸が最後に見た光景、美幸が感じたものを見つけると決意する。

 一度彼の顔を見て、そしてなにもせずに病室を後にした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「キリトのことで知っていることは全部話しましたよ。もう、いいですか?」

 

「待って、圭太君。君は『キリトがみんなを罠に嵌めて27層の隠し部屋でモンスターに殺させた』、私にそう言ったわ。でも、君はその時いなかった。なのになぜそんな風に分かるの?」

 

「聞いたからです」

 

「誰に?」

 

「き、キリト本人に……です」

 

「そう……」

 

 言い辛そうにそう返す圭太くんを私はまっすぐ見つめていた。

 彼だって分かっているのだと思う。

 自分の犯罪をそんな言い方で被害者側の人間に伝える者はいないということを。

 でも彼は受け入れられなかったのだ。自分の大切な仲間が死んでしまった事実と、助けることができたはずのキリトだけが生き残ったという事実を。

 そして絶望した彼は『自殺』した。

 

 浮遊上アインクラッドから飛び降りて……

 

 しかし、実際は目が覚めて現実の世界へと回帰してしまった。

 他の仲間が全員死んでしまったのに、一人だけ生還したことに彼はこれ以上ないくらいの罪悪感や寂寥感につつまれてしまったのだと思う。それは想像を絶する苦しみ。

 一人では……到底抱えきれない……

 

 そう思った時、私は彼に話していた。

 

「私は本当のことが知りたい。美幸が最後に何を見たのか、何を思ったのか……それは君が思っていることとは違うことなのかもしれない。でも、私はそれを『君』と一緒に見たいの。お願い、手伝ってくれないかしら?」

 

 彼は私を直視しない。ただ俯いていた。

 だから私は促すように言った。

 

「あの世界のことを知っているあなたにしか頼めないことなの。お願いできないかしら?」

 

 彼は静かに顔を上げた。そしてゆっくりと頷く。

 それは決意した顔というわけではなく、諦めにも似たものであったと思う。

 こうして私は再び歩みだした。彼と共に、あの世界の真実を知るために。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 圭太君は貴重なSAO帰還者として、対策本部において毎日のように聞き取り調査をされた。

 茅場晶彦が事件を引き起こしたその時から、今に至るまでの内部での出来事をプレイヤーとしての視点から発生した事件やその内容、そして、プレイヤー達の生活の仕方まで様々な角度で聞かれた。

 しかし、そこで得られた情報は、あくまでゲームとしてのSAO世界の話であり、SAO事件解決糸口を探す彼らの期待した内容ではなかった。

 これは仕方がないことだと思う。

 巻き込まれたプレイヤーは基本ただの一般人。システムやプログラムに精通しているわけもなく、そんな彼に内部でのシステムの動向を聞き出そうとすること自体がナンセンス。

 それでも彼は辛抱強くその要望に応じわかる範囲で回答を続けていたが、それもすぐに終わりを迎えた。

 

 誰かが彼の事をマスコミ等にリークしたのだ。

 

 『奇跡の帰還者』としてテレビ等で取り上げられたことをきっかけに、彼は一躍時の人となってしまう。他にもナーヴギアの製造不具合による帰還者が複数現れるまでの期間ではあったが、この事が彼と彼のご家族に深刻なダメージを与えてしまった。

 報道されたあとで、あの世界でのことを公開してはいけないとの命令が内閣からあり、彼はマスコミに質問されてもノーコメントを通すしかなくなってしまう。そのせいか、世間では何もしゃべらない彼を次第に悪く言う風潮にとなった。自分だけが助かり、他は見捨てたなどと陰口を叩く者も出る始末。そして、それは現実にまだ未帰還である者達の家族からの直接的な攻撃へと変わっていった。

 日がな一日中電話が鳴り響き、どこで調べたのか本人家族関わらずにメールが送りつけられ続ける。

 はっきり言えば、何もわかっていない見当違い甚だしい内容ばかりではあったけど、四六時中この状態にさらされた彼らは精神的に参ってしまった。

 暫くして圭太君のことをマスコミへリークした人物も特定され、報道各社も事態の終息に向け謝罪などをしたわけだけど、結局家族は逃げるようにして住んでいた町を去ることになってしまったが、これにより一先ず事態は沈静化した。

 当の圭太君はといえば、嫌がらせなどに負けた様子もなく、対策本部から解放された後は、律儀にも私の家へと通って来てくれていた。そして同居のままでは家族に迷惑がかかるからとの理由から、私の家の近所の貸部屋を借り、独り暮らしを始めた。

 

 彼から得られる情報は確かにありきたりのものであり、ゲーム制作者達からもたらされる情報の方が現実的には精度の高いものであったことは間違いなかったが、私が求めているのは『カーディナルシステム』の思考そのものであり、ゲームの内容などではない。

 そんな私にとっては彼からもたらされる情報は(まさ)に宝の山だった。

 階層到達のタイミングや、季節の変わり目、プレイヤーの誕生日など、都度都度事前にイベントや追加シナリオに関する情報が入り、それに合わせてプレイヤーたちはイベント限定アイテムを求めて戦ったり、レベルやスキル上げを行っていたらしい。

 これは当初組み込まれているイベントは違うもので、後からカーディナルシステムが独自に追加し続けていると考えられた。そのタイミングや内容に関しての具体的な条件を見つけるには至らなかったが、おおよそ、プレイヤーの到達人数や、そこに存在するプレイヤーのレベル等のバランスを鑑みて新シナリオを作成していることが推測できた。

 

 私の今の目標は変わってはいない。

 SAOを再現し、ナーヴギアの影響を受けつけないそこへ全プレイヤーを転送させる。

 美幸を失い、生きる意味を失い、絶望の縁にあった私だけど、この圭太君という言わば同類とも呼べる男の子の存在によって、最後まで仕事を全うすることに決めたのだ。

 私たちは日々、完成を目指してこの世界を築き続けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 美幸が死んでから約半年経ったある日、私たちはついにその世界を完成させる。

 基本となる世界をSAOのアインクラッドのデータをベースに作成し、ナーヴギアを完全な制御下におくことが可能な新たなカーディナルシステムも出来上がった。

 私たちはこのシステムのことを『救世主(セイヴィア)システム』と名付け、この世界は通称として『ツヴァイクラッド』と呼んでいた。

 

「雪谷先生、おめでとうございます」

 

「ええ、ありがとう、圭太君。後少しね……後もう少しで囚われた全員を助け出せるわ。君には本当に苦労をかけたわね……でも、ここまでやってくれて本当に助かったわ」

 

「いえ……俺はただ指示していただいたことをこなしただけです」

 

 そう言う彼は確かにやつれてはいたけど、微笑むその表情にはどこか穏やかな様子がうかがえた。

 この半年間、彼は必死に努力した。

 マシンの操作の知識などほとんどない彼に、私はほぼ丸投げの状態で様々なデータの打ち込み、プログラムの組み立て、最終的にはAIの人格構築までもこなせるようになってもらった。半年前までほぼ素人だったとは思えないほどの成長。彼の努力がここまで彼自身を成長させた。この世界が完成できたのは彼のお陰であったと間違いなく私は言えた。

 ツヴァイクラッドとセイヴィアシステムによる、全プレイヤーの一斉救助の案を却下されてからこれまで、重村先生の援助の他にはなにも受けることが出来ず、さりとて、他の方から何か有効な対策が打ち出されたかといえば、それも全くなかった。

 それだけ茅場君が作り出した世界が異常であり、そして全ての天才の叡知をも上回る頭脳を彼が有していた……ただ、それだけのことだった。

 

「雪谷先生、後はこのシステムをSAOのメインサーバーに繋いで、全プレイヤーのアカウントをかっさらうだけですね」

 

 その圭太君の言葉に思わず頬が緩む。

 

「良い表現とは言いがたいけど、まさにそれね。でも、まだやらなければならないことがあるの。セイヴィアシステムはカーディナルシステムの言わば上位互換機ではあるのだけど、あの世界には茅場君本人も存在している上、カーディナルシステムも独自の進化を遂げていてもおかしくはないの。今しなければならないのは、カーディナルシステムが持つ現時点の事態対応速度の把握ね。事前のデータは当てにならないから調査をまず行って、それから対策を練らないと……全プレイヤーの通信を限界である『10秒間』途絶させ、その間に全IDをセイヴィアシステムで乗っ取る。すごく簡単で……非常に難しいことよ」

 

 圭太君は複雑そうな顔で私を見る。

 この先に彼に出来ることは何もない。

 これからは……

 

 私と茅場君との一騎討ち。

 

 私に残された大事なモノを奪い去った彼を決して許しはしない。

 いつか夢を共に叶えようと言ってくれたあの優しい後輩は既にいない。

 私は、彼に必ず勝利してみせる。

 そう、胸の内で静かに決意した。

 

「お兄さん?」

 

 可愛らしい声が聞こえてきたのはそんな時だった。

 

「こら、勝手に来たらだめだろ? ここは雪谷先生の家なんだぞ」

 

「ご、ごめんなさい。そろそろお夕食の時間だからお兄さんを迎えに行ってくれって、お父さんに頼まれたから」

 

 そう言って項垂れるのは、セーラー服姿の三つ編みの女の子。彼女は圭太君と私を交互に見て小さくなっている。

 

「別にいいのよ。ここは家と言っても作業場のようなものだし……そうね、そう言えばもういい時間ね。圭太君、そろそろ上がってくれて構わないのだけど、その前にその娘のこと紹介してくれないかしら? 彼女?」

 

「なっ! ち、違いますっ!」

 

 急に真っ赤になって慌て出す圭太君を見て、その女の子がぷうっと頬を膨らませたのは本当に可愛らしかった。

 

「え、えと、今俺が下宿させてもらってる先のうちのお嬢さんですよ、名前は『田口』……」

 

「もうお兄さん! お父さんとお母さん離婚したから私はもう『田口』じゃないってば」

 

「そ、そうだった……でも、それ先生に言う必要あるのか?」

 

 急に夫婦漫才のように始まってしまった二人は、仲の良い兄妹か恋人の様。その様子に私は、私が失ってしまったものを思い、少し切なくなった。

 美幸も生きていたらきっと好きな人とこんな風に……

 そんな事を夢想していた私は自分に苦笑した。

 

「さあ、今日は終わりにします。せっかくだから二人ですぐに帰りなさい」

 

 はーい、とどこか気の抜けたような声でその娘は返事をして圭太君を従えて帰っていく。

 私はそんな二人の姿が見られたことが無性に嬉しかった。

 

 順調だった。

 当初よりもかなり早いペースでのツヴァイクラッドの完成により、漸くあの世界に穴を穿てる。これでやっと一歩前進出来る。

 そう安堵を覚えた私はやはり最悪のお人好しだったのだ。

 すでに美幸を失った私は気付いていなかった。

 

 あの世界に愛する者を囚われている者の精神がとうに限界を超えていたという事に。

 

 その日の夜、事件が起きた。




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