ソードアート・オンライン -The Revenger- 作:こもれび
美幸が事件に巻き込まれたことを知ったのはあの後すぐのことだった。
夕飯の支度をしている時、ふとTVで報じられていたニュースに目を向け愕然となる。そこにあったのは『ソードアート・オンラインプレイヤーの同時多発死亡事故』のニュース。プレイヤーからヘッドギアを強制的に脱がさないで下さいとのアナウンスが語気を強め繰り返されていた。
──み、美幸
慌てて美幸を確認するも、自室のベッドで横になった彼女は安らかな様子で目を閉じていた。しかし、その被られたナーヴギアは信号送受信のランプが灯り、その身体は呼吸と反射が著しく低下。明らかな昏睡からの機能低下状態にあった。
異常を察し、直ぐ様昔の知り合いからナーヴギアの設計図面を調達しその内部構造を確認した私は絶句した。なぜなら、大型の内臓バッテリーから伸びる電磁波発生機には工業用の高出力変換器が取り付けられていたのだから。しかも前頭葉から延髄に至る各電極の間には生体センサーも取り付けられていた。つまるところ少しでも脱がそうとすればセンサーが異常を検知し……考えうる最悪の結末としては、高出力電磁波の脳への直接照射。この出力の電磁波に人体が耐えられる訳がない。
いったいなぜこんな構造にしたのか。各種センサーはゲームなどの体感向上に有効のようにも思えたけれど、これほどの出力は
明らかに人を害する目的が垣間見える構造。
すぐにメーカーや開発に関わった研究機関と連絡をとるも、どこもかしこも蜂の巣をつついたような大騒ぎであり要領を得ない。少なくとも把握出来たことは、ナーヴギアの開発には茅場君が全工程において関わっていたこと。製品化の際の最終検査にも彼が立ち会い何の問題もなく量産体制に移ったということであった。
ここに至って、私は茅場君の犯行を確信した。
マスコミ各社や警察はまだ事故の線を追っていたようだけど、ここまで徹底した殺傷機構の開発とこのタイミングでの集団死は、明らかな彼による人為的な大規模テロで間違い無かった。
私はすぐに茅場君の行方を探すも居所は掴めない。
後に分かったことだけど、彼の身柄は後輩のとある女性の元にあり、そこで彼自身もSAOに
ならばと、古巣の東都工業大学の重村先生に連絡をとってみれば、先生のご息女も美幸と同じ状況であるとのこと。そこで私は先生に今回の事件に茅場君が関わっている可能性が高い旨を伝え、さらにナーヴギアの構造解析と運営会社であるアーガスが管理しているソードアート・オンラインの開発段階からのプログラムの徹底的な調査を早急に行う必要があると提案をした。
先生はそれをすぐに受諾。この後、半日を待たずに警察と内閣にそれぞれ大規模テロ対策本部が立ち上がることになるのだけど、これはデジタル産業分野の権威でもある先生の影響が大きかったことは間違いなかった。
私はこの時、正直それほど心配をしていなかった。不幸にも多くの人がすでに亡くなられてしまったが、ナーヴギアにしろソードアート・オンラインにしろ、所詮は人の作り出したもの。機械は直せばいいし、プログラムは書き換えてしまえば良い……。
私は眠るように横たわる美幸を見つめつつ、必ずママが助けてあげるからねと、心の内で呟きそっとその頬を撫でた。
でも……
この時、私は大事なことに気が付いていなかった。
彼……茅場晶彦はすでに人を辞めていたということに。
× × ×
事件発生から約5ヶ月。事態は未だ終息していないどころか被害者は一気に増加。2000人を越える人命がすでに失われた。
「ふぅ……」
私は自宅を
当然美幸も自宅にいて、介護サポートも受けてはいたけれど、できる限り自分の手で世話を続けた。
覚醒することのない美幸は、点滴による栄養補給のみで日に日に痩せ細っていく。その姿に焦りを覚えつつも私は、普段と変わらずに美幸に話しかけ続けていた。いつか返事をしてくれると信じて。
事件発生後すぐに国内外の脳神経医療、機械工学、インターネット関連など各分野の世界的権威が集められ即座に事態の終息に向けた対応に入った。
確かにこの事件は電脳世界との
でも、そんな甘い考えは長くは続かなかった。
『ソードアート・オンライン』
茅場が用意したこのVRMMOは予め認証登録したプレイヤーアカウント以外の全ての信号を拒絶。外部からの一切の干渉を絶ってしまった。
これは通常ではあり得ない状態だった。
外部から干渉できないということは、何らかのバグやイレギュラーが発生した際の復旧も行えないということ。
当初この世界に対してメンテナンス用の管理者アカウントを使用しての侵入を考えた者達の目論見は完全に外れてしまった形だった。
これは、このゲームが、他と決定的に違うシステムを導入していた事が原因であった。
『カーディナルシステム』
このシステムはただのゲームプログラムでは無かったのだ。『自己診断』、『自己修復』、『自己生成』の機能を併せ持つこの基幹システムはまさにこのSAO世界の管理者その物。
ゲーム内で発生する様々なイレギュラーに対し、このシステムは適切に状況を把握、そして様々な対策を立案提起し、そして独自で実行することができる代物だった。さらに、各種条件を勘案し、新たなステージやNPCなどを創造する機能までをも併せ持っていた。
まさに一個の人工知能……いや、この世界においてならば『神』と呼んでも差し支えがない存在だった。
そして、大きな障害が他にもまだあった。
『ナーヴギア』
このヘッドギアタイプのフルダイブ用VRマシンについては私を含めた多くの技術者が完全にお手上げの状態になってしまっていた。
なぜか……? このマシンを改めて検証し直した結果、SAO起動時に限りこのヘッドギアの全周にある種の『磁場』が発生することが判明し、その磁場が侵食された瞬間高出力の電磁波が照射される仕掛けになっていたのである。例えばナーヴギアの外郭を取り外そうとボルトを数本取り外した段階でもこの電磁波は発生し、さらに、磁場自体を消失させようと供給する電力を下げると、今度は内臓バッテリーが過剰放電してしまい、それにともなってやはり装着者が焼かれることになってしまった。
この『磁場』の発生については、本来のフルダイブマシンとしての設計のどこにも存在しない機構であり、事実製造メーカー及び開発スタッフのいずれであってもこのような『疑似センサー』が形成されるなどとは夢にも思わなかった事態であった。
これは紛れもなく茅場君が仕掛けたことで間違いはない。
彼はナーヴギアの基礎設計の中に敢えて他に知られないようにこの磁場センサーの条件を満たす部品を紛れ込ませたのだ。
それとは知らず量産させてしまった結果、SAO起動後のある種の信号を鍵としてこの磁場が形成され、それにより誰の侵入も許すことのない鉄壁の冑となってしまったのである。
私たちはまさに茅場君が描き出した『シナリオ』に踊らされている最中であった。
彼の施した様々な仕掛けを解除するどころか分析すらままならないでいるこの状況は、彼にどんな風に映っているのであろうか……
無能な私たちを嘲笑ってでもいるのか、あるいはそのことすらお見通しで『仕方ないことですよ』と何時ものようにさも当然な顔でいるのか……。
そうは言っても諦めることなどできはしない。
この何重にも施された侵入者を拒む様々なトラップを必ず解除しなくてはならない。そうしなければ囚われまだ生存している8000人の人命と……そして美幸の命が掛かっているのだから……
ここに来て私は起死回生のある一つの
ナーヴギアはネットワーク端末というその性質上ある一定の時間であれば通信の途絶を許容していた。そこで私が立案したのは、信号拒絶のタイミングにてプレイヤーのアカウントをそっくりそのまま『もうひとつの世界』へ移してしまおうというもの。これを対策本部に提案した際はその場の全員に正気を疑われてしまった。
言葉で表現するのは容易でも、これが如何に実現不可能であるかの見解を誰もが持っていたから。
一つ目として、都度更新され続けるプレイヤーIDとパスの変更。各プレイヤーのナーヴギアとカーディナルシステムとの間で不定期にログイン状況の変更が為されていることはすでに判明していた。今の状況でこれを掻い潜ることが如何に困難かは容易に想像出来ることであった。
もう一つはその全体の規模のことについてである。
現在SAOに囚われている人の数は8000人。仮にナーヴギアを一時的に騙すことが出来たとして一人や二人ならまだしも、全員を移行するにはその膨大な情報量からしても時間的な見地からしても到底不可能。自己判断の機能を持つカーディナルシステムはそれを傍観することは決してないはずである。必ず何らかの対策と措置が講じられると推測できていた。
このような判断が多数を占める中、重村先生は私に賛同してくれた。それは先生が私と境遇を同じくしていたことが一番の要因だったけれど、やはり私がフルダイブシステムの前身たる装置を開発していたことと、茅場君との付き合いの長さから彼の思考をある程度私なら把握出来ているだろうと理解を示してくれたのだ。
結局私の案は危険な上実現不可能とされ却下されてしまう。
しかし、ここで引き下がるつもりも毛頭なかった。世界的な権威の集合であるとはいえ、各人にそれぞれ持論があり誇りも高いのだから、特に奇抜な他人の意見に追従することは難しいことは分かりきっていたことであったから。
私は重村先生の協力のもと、アーガスが保有していた開発段階のソードアート・オンラインの複製データを入手していた。これにはまだゲーム舞台である『浮遊城アインクラッド』はまだ設定されておらず、各種プログラムもまだ試作段階の物が積み込まれているだけで到底完成版には遠く及ばない代物ではあったのだけど、ほぼ完成された状態の『カーディナルシステム』がそこに存在していたことが重要だった。
私は直ぐにそのシステムの解析に走る。そしてこのシステムがどのような思考を有しているのか、どんな事象にどんなリアクションを起こすのか、それらをつぶさに検証、実験を繰り返した。
私が作ろうとしているものは、『もう一つのSAO』。
各ナーヴギアとSAOカーディナルシステムとの間での膨大な量のデータのやりとりについては既にかなり解析が進んではいた。後はその通信接続先を切り替えた瞬間、ナーヴギアが異常と検知できない『もう一つの世界』に全員を移してしまえばいいのだ。私はそれが可能であると信じ、そしてその瞬間、中にいるであろう茅場君の目の前から全てのプレイヤーが消失する、その光景に絶句するだろう彼の姿に思いを馳せていた。
ふと、こう行動している私自身の考えも、彼に読まれてしまっているのではないか……そんな不安が過るもこれについては結果として成功させれば良いだけの話だと頭を振って考えないようにすることにした。
とにかくこの退避先の世界を完成させることが重要だ。このプランを絵に描いた餅ではなく、実物として提起出来れば、頭の固い教授陣や政府だってきっと話に乗ってくれるはず。
それだけを信じた。
その日は雨だった。
ずっとモニターに向かっていたのだけれど、ふと窓の外に目を向けると、少し空の上の方が明るいのに気がつく。
「あ、狐の嫁入り……」
雨が結構降っているのに一部黒雲の合間から陽が差し込んできていた。
私は知らず知らずのうちに誘われるように美幸の部屋へと移り、今は見ることは叶わないと分かりつつも空を指差して話しかけた。
「ほら美幸……雨の中だけど陽が射してるよ。雨粒がキラキラしててとっても綺麗だよ」
窓辺には昨日買ってきた紫陽花の鉢植えが置いてある。ここに蝸牛でもいれば完璧なのにな……そんなことを思いながら美幸の手を握り、梅雨の時期に入ったことを実感しながらそれに見いっていた。
その時だった……
「き、キリト……」
「え」
握っていた美幸の手に微かに力が入っている。美幸に何が起きているのか……すぐには理解できず、慌ててその装置を見て愕然となった。
『ナーヴギアの通信状態が解除されていない』
この事が示している事実はたった一つ。私は即座にそれを理解してしまった。
「美幸! 美幸っ! だ、だめ! まだダメなの! お願い! 助けて! 誰か! だれか助けて! 助けて……」
私は叫んだ。そして願った。どうかこの子を助けてくださいと。神様を信じたことなんて今まで一度だってなかった。でもこの時はもうそれにすがるしかなかったから。
荒い息遣いに変わっていく美幸……それに合わせるかのように大きくなっていくナーヴギアの駆動音に私の心は焦り、動揺し、そして壊れていった。
微かに動いた美幸の口。その震える唇は本当に小さな声で言葉を紡いだ。
「……ありがとう…………さようなら……」
その時私が何を叫んでいたのかもう分からないし覚えてもいない。
一条の涙の筋をその頬に走らせた美幸から無理矢理ナーヴギア引き剥がし投げ捨て、そして力いっぱい抱き締めた。ひょっとしたらもしかしたらまた元気になってくれるかもしれないと、そう願い祈り、私は既に事切れた美幸を抱き締め続けた。
雨の中を照らしていた輝いた世界はまるで幻のように消え去り、空は暗く淀んだ陰鬱な闇に染まる。
この日、2023年6月12日、最愛の娘の命と共に、私の心は……
死んだ。
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