ソードアート・オンライン -The Revenger-    作:こもれび

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システムを超えるモノ

 『第75層迷宮区ボスモンスターエリア』

 

 宙空に浮かぶスクリーンを見つめていた黒のフーデッドローブ姿の『彼』が、端末を呼び出して慌ただしい様子でシステムチェックを繰り返し行っていた。

 

 何が起きているのか……

 どうなってしまったというのか……

 突然起きた事態にここに来て初めて『彼』は困惑していた。

 

 つい先程まで、静観すると固く誓っていた『彼』は漆黒のローブの内からただただその光景を見守っていた。

 しかし激しい戦闘の中、突然アスナに発現した『神聖剣』のユニークスキルを知覚してからというもの、『彼』は急転していく事態をつぶさに調べ始めていた。

 

 許されざる悪意の塊……その象徴とも呼べる『デリンジャー』。

 利己的で保守的で非人道的。全ての倫理観が崩壊し殺人の忌避感すら消失した存在……しかし、卓抜したその頭脳は彼をただの『獣』ではなく『悪』へと昇華させた。

 『人』としての(たが)が外れ、ひたすらの営利と享楽の為に人を貶め続けるデリンジャーを産み出したのは紛れもなくこの『世界』であった。

 だからこそ、『彼』は利用することにした。

 

 あの死の世界を再現するために。

 

 多くのプレイヤーがデリンジャー達に蹂躙されることは既定路線。彼らの暴挙を暴くことも今回の依頼主(クライアント)との『約束』の内であったのだから……。

 だが、その暴力には際限がなかった。多くのプレイヤーの身と心はすでにズタズタに傷つけられていた。このままではデリンジャー達の圧倒的な勝利で終わる。そう思えたし、実際そのように推移していた。だが『彼』にとってはそれもどうでも良いことだった。

 

 『彼』にとって重要であったのはこの世界をただ『見る』こと。

 死と隣り合ったその極限の世界で人がどう振る舞うのかを……。

 彼は見続けた。ひたすらに凝視した。

 この作られた『世界』を知るために……。

 この『世界』に生き、この『世界』で死んでいくことの『意味』を感じるために……。

 そして……『真実』を得るために……。

 

 しかし、ここで全く予想していなかった事態が起こる。

 それが、ユニークスキル『神聖剣』。

 確かにこのスキルが『SAO(ソードアート・オンライン)』の基幹プログラムの中枢に残っていたことを『彼』は知っていた。だがそのプログラムは旧カーディナルシステムの管理下のディレクトリに封印されるように格納されており、それを呼び出すことは『彼』であってもほぼ不可能であったのだ。

 そしてスキルの取得条件……『神聖剣』のみならず、内包されていた既存の他の『ユニークスキル』については全て、その取得条件についての項目を『彼』が確かに削除した。それは、万が一にもデリンジャーとキリトの対決に水を差されないようにするため……そうであったにも拘らず、スキルは発現し、そして彼女……アスナはそれを行使してしまった。

 

 まだある。デリンジャーの管理者権限の逸脱だ。

 『彼』がデリンジャーへと与えたのは、一部のキャラクターパラメータの操作とフィールドの改造変更等についての権限のみ。これにより、キャラの強化や復活、フィールドの破壊・非破壊設定の切り替えなど、特定したもののみ操作が可能となっていた。

 しかしデリンジャーは、本来『彼』にしか操作出来ないはずのアミュスフィアの電磁パルスコントロールまで可能にしている。初めはただの(ブラフ)かと気にも止めなかったが、調べてみると実際に各プレイヤーのアカウントドメインをデリンジャーの端末が掌握しており、さらにそれは強固な多重ロックを施され隔絶されてしまっていた。

 『彼』はその解除を試みるも、まるで編み込まれたかのような複雑な螺旋状のロックのせいで(ようや)くコントロールは掌握したものの、短時間でのこれの解除は不可能であると『彼』は判断した。

 ここに至り、明らかな『第三者』の介入を『彼』は確信した。

 

 そして、これだ。

 今まさに目の前で起きていることに、『彼』は瞠目して思わずごくりとその喉を鳴らしていた。そして呟いた……

 

『あ、ありえない……』

 

 そう、まさに今『彼』の眼前では普通ではありえない、起こり得ない『怪異』が発生していた。

 

 そこには彼……『黒の剣士』キリトが立っている。

 そう、立っていた。

 全ての手足を失い、アバターの急所である胸部に致命の攻撃を受け、且つ、つい今しがたそのLIFEは完全に0になった……そんな彼が、デリンジャーに襲われ、その身体を今まさに暴行されているアスナを見下ろすように立っていた。

 そう、今の彼は『死』んでいる。

 『システム上の死』、それが今の彼の状態。

 にも拘らず、失っているはずの手足ももとのままの様子で、キリトはそこに立つ。

 

「バグ……?」

 

 ポツリとそうこぼした『彼』は急いでプレイヤーの状態確認の画面を開くも、やはりそこには『DEAD(死亡)』の文字。

 そしてプログラムの確認を行うも、そのフィールドに『キリト』というプレイヤーは存在していないことになっていた。

 理解が出来ず、情報整理が追い付かず、困惑の境地であったその時だった……画面のキリトが動いたのは……。

 固唾を飲んで見守る『彼』の前で、キリトが唐突に言葉を放った。

 

『アスナを放せ……』

 

 それは彼の声ではなかった。

 複数の人の声が重なるかのような不思議な声。男性のような女性のような高い響きのそれも含まれている。

 デリンジャーは驚いた顔をキリトへと向けている。

 相対しているキリトは背中の二本の剣を引き抜いてそれを構えた。

 

 と、その時……。

 虚空のスクリーンを見上げていた『彼』は、急によろめくようにして地面に膝をつき、そして突然嗚咽をあげ始めた。

 

『あ……あぁ……おおぉ……おおおお……ぉぉ』

 

 他に誰もいないこの大空洞。深い闇のフードの奥……天上のスクリーンを見上げながら止まらぬ嗚咽に『彼』は身体を震えさせ続ける。

 それは紛れもなく慟哭であり、もし今ここに誰か他の人物がいたとしたのなら、きっとそのあまりの悲しい声に、その醸し出す雰囲気とのギャップに驚いたに違いない。だが、幸いか不幸か、ここには誰も存在してはいなかった。

 

『…………』

 

 今『彼』の内で何が起こっているというのか……声が収まり暫く沈黙していた彼は再び立ち上がる。そして見上げた先のキリトに視線を送りつつ、胸に湧く全ての感情を握りつぶすかのような声を漏らした。

 

『全てをここで終わらせる』

 

 と……

 

 その声は悲哀に満ちていた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ここは……『カームデッド』か?

 

 俺は……どうして……

 

 夢……だったのか……

 

 いや……違う……

 

 アスナ!?

 

 アスナっ‼

 

 やめろ! アスナを放せ! 放すんだ‼

 

 身体は……

 

 まだ動く……な……

 

 俺は……まだ死ねない……

 

 みんなを……アスナを助けるまでは……

 

 ……絶対に……

 

「て、てめえ……こ、この死に損ないがぁっ」

 

 その時俺はすでに抜剣していた。

 左手にエリュシデータを握っている。でも、感覚がおかしい……

 剣は確かにそこにあって、そこに見えているのに、たまにノイズが走ったかのように掠れている。それは俺の手足も一緒だった。まるででき損ないの3D映像のように掠れ、下手をすれば向こう側が透けてしまっている。

 視界を確認しても、もともとそこにあったはずのLIFEゲージなどのパラメーターはどこにも存在してはいない。

 不思議な感覚……だけど、俺はこれを知っている……

 

 ああ、そうだ。あの時、ヒースクリフと戦った時と同じだ……そうか……俺は死んだんだな……はは……

 

 死んだという現実はやはり受け入れ難いな。当然か。でも目の前で暴力を振るわれているアスナを助けたいという思いの方がずっと強い。そのためならば、こんな身体いくらでも捨ててやる。

 

 アスナ……待っていてくれ……今助ける。

 

「てめえっ、さ、さっさと死ねえ」

 

「い、いやぁっ」

 

 眼前のデリンジャーがその手のエクスキャリバーをまっすぐに俺の身体へと突き入れる。その一撃が鈍い音をともなって俺の胸へと差し込まれた。俺の耳には、確かにアスナの悲鳴が聞こえていた。

 

「へ、へへ……じっとしてればこんな思いしなくて済んだのにな……てめえはそこでアスナの裸でもじっくり眺めてれば良かったんだよ、くはは……なっ! なんだ……? てめえ、なにしやがる」

 

 俺は突き刺さっている奴の剣の刃を、右手でぎゅうっと握りしめた。掴めるな……なら、ここからだ。

 死んでいるからだろうかダメージエフェクトや硬直は入らず、身体もぎこちなくだが動く。このまま、お前の好きにはさせない。

 デリンジャーは引き抜こう、引き裂こうともがいていたが、途中でフッとその力を抜いた。

 と、次の瞬間、奴はその身を翻した。

 

「なら、てめえの首を斬り落としてやる」

 

 言ってデリンジャーはもう一本の剣を素早く引き抜いて、それを横凪ぎに切りつけてきた。

 首狙いか……なら……

 俺は胸に刺さった剣を握ったままで、左手のエリュシデータを剣の軌道に合わせて振り上げた。

 

 ガッキンッ!

 

「な……」

 

 俺の振るったその一閃は、奴の剣を粉砕。跡形もなく消し飛ばした。

 思った以上に身体も動くな……

 

「なんだ……? なんなんだてめえは……? なぜ生きてる? なぜ死なない?」

 

 驚愕の表情に変わってしまったデリンジャー。その身から発される恐怖の感情が確かに俺の身にも振りかかった。

 だが、油断は決してしない。この相手が如何に悪辣非道であるかそのことは十分に身に染みている。

 

 こいつだけは絶対にここで終わらせる。

 

 そう、沸き上がる使命感が俺を包んでいた。

 胸に刺さったままの奴の剣を引き抜いた俺はそれを投げ捨て、自分の二本目の剣……エクスキャリバーを引き抜いた。

 今の俺が後どれくらい持つのか分からない……だからすぐにでもこいつを始末しなくては……

 

 頼む……俺の剣が届いてくれ……

 

 念じながら、ふわふわとした自分の足を一歩一歩踏みしめ、前へと歩く。

 そんな時、ふと、頭に彼女の声が響いた。

 

 ──大丈夫……まだ大丈夫だよ。君は死なない……

 

 いや、もう死んでるだろ。気を使わなくていいよ。

 

 ──ううん、違うの……本当に大丈夫だから。ほら、アスナさん達ももう治ったから……

 

 え?

 

 そんな声が頭に響いた直後、今度は俺が驚愕した。眼前のデリンジャーの背後……すでに装備が破壊されほとんど裸になってしまってはいるが、そこに確かにアスナが立っている。

 そして、その隣で田口さんも頭を振りながら起き上がろうとしていた。

 

 サチ……君が……君がやったのか?

 

「てめえ……今度こそ、本当にぶっ殺してやる」

 

 その答えをもらう前に正面のデリンジャーがいきり立って吠えた。

 奴は再び二本の剣を顕現させるとそれを掴んで猛ラッシュを叩き込んでくる。

 

「キリト君!」

 

「死ねえっ!」

 

 その時再びアスナの声が聞こえた。

 斬撃の嵐が俺の身体をむちゃくちゃに切り刻む。周囲に迸るのは七色のエフェクト。どうやら、デリンジャーはスターバーストストリームを放ったらしい。

 自分の肉体に刃が何度も食い込んできている。

 これは分かる。確実な終わりだ。

 この必殺のソードスキルが如何に強力かはこの俺が一番理解していることでもあったから。

 

 だからこそ、『今』だ。

 

 俺の身体はすでに失われている。

 どうして今こうしていられるのか、そんなことは俺には分からない。

 でも、今この時をおいて、このデリンジャーを仕留める機会はないと思えていた。

 システムアシストはあくまで『回避』のアシスト。全回避行動に対してそれは機能している。だからどんなに素早く攻撃しようと、包囲殲滅の剣の嵐を叩き込もうと全て回避されてしまった。しかし、どんなことにも例外が必ずある。俺が知っている『回避』出来ない唯一の状態……こちらの攻撃が100%当たることが約束され、かつ相手は回避不可の上絶大なダメージを受けることになるその『行動(アクション)』。それが俺の切り札であった。それは……

 

 切り刻まれながら俺は自分の全身に力を込めた。両方の剣の切っ先から徐々に光があふれ始める。ソードスキルが発動を始めた証だ。

 それを見ながらも、これが多分自分の最後の攻撃になると、そんな予感が脳裏を過ぎっていた。

 覚悟はとうに固まっている。この先の自分の運命もすでに俺は受け入れていた。

 奴の攻撃が体中にヒットしながらも俺はそこで必死に耐え、立ち続けた。

 アスナ……君が生きていてくれさえすれば……俺は……

 

 視界が霞む……アスナの姿も既に見えなくなっていた……

 

 そして……

 

 奴の乱舞が終盤に差し掛かったその時、俺は渾身のソードスキルを奴目がけて放った。

 

「らあああああああっ!」

 

 デリンジャーの攻撃は俺を細切れに変えるほどの凄まじいラッシュ。しかし、俺のこの今の身体はまだ動くことが出来ていた。そんな俺が狙ったそれ。それは『反撃攻撃(カウンターアタック)』。

 奴がソードスキル使用後硬直をキャンセル出来ることはすでに先の戦いで知っていた。そして、例え硬直状態であっても、システムアシストは奴を強制回避させてもいた。

 だとすれば、奴に攻撃を浴びせることができる可能性のある攻撃は、ただ一つ。

 奴の攻撃を完全に受けきり、その攻撃挙動から硬直挙動へと移行するわずかな瞬間、まだ、攻撃状態と判定されているであろうそのタイミングの時のみ繰り出すことが出来る、二倍以上のダメージ係数を叩き出す強力なカウンターの一撃。これであればきっと奴に届くはず。

 そして、使用するのは奴の急所を狙った一撃必殺のソードスキル。これが奴へと通れば、きっと……

 

 交差する奴との視線……まさかこのタイミングで俺が動くとは微塵も思っていなかったのだろう、奴の目は驚愕に見開かれている。

 奴はソードスキルの挙動のままにその両腕を俺に向かって突き出している。俺はその止めの一撃を紙一重で身体を反らし躱しながら、身を翻して渾身のソードスキルを奴の胸目がけて一気に放った。

 

 この一撃は奴へと届く……

 

 そう確信した時だった。

 

「甘いんだよ」

 

 再び奴の声……

 奴は俺のこの攻撃を読んでいたというのか、最後の一撃のモーションを小さいものにしていた。身体は思ったよりも遠い。このままでは届かない……

 攻撃挙動(モーション)はすでに始まっている。これが奴の身体へと届いて初めてカウンターとしての一撃となる。

 頼む、届け、届いてくれ……

 俺は必死に自分の身体を前へ進めた。

 

 あた……れ……‼

 

 その時、周囲に光があふれた。

 俺の剣の切っ先が奴の胸へと確かに触れている。そしてその反撃攻撃(カウンターアタック)が成った証とも言える金色のエフェクトが発現したのだ。

 しかし……

 

 くっ……浅い……

 

 剣は奴の胸を貫くことは出来なかった。その皮膚一枚を辛うじて切った程度……

 近づいた奴の口が囁いていた。

 

「ここまでだな、キリト君」

 

 奴のニヤけた顔がそこにあった。勝利を確信した卑しい顔。人の絶望を願い、愉悦に打ち震えているその顔が。

 やはり敵わない、俺一人では無理だった。

 この残忍な『悪』を滅ぼすことはやはり……

 

 しかし……

 俺は知っていた。

 

 わかっていた。

 

 俺がもう一人ではないということを。

 俺と思いを同じくしてくれる者がいるということを……

 

 俺の攻撃が輝いているその最中……俺は静かに呟いた。

 そこに必ず居てくれると、確信を抱いて。

 

『スイッチ』

 

 光り輝くその剣を……俺はその時確かに見た。




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