ソードアート・オンライン -The Revenger-    作:こもれび

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脱出

「すぐに治療にあたれ。回復した奴から順に集まってくれ、転移結晶を配る」

「インベントリにポーションがない人はこっちです‼ お分けしますので、急いでください」

 

 『第55層グランザム』

 

 かつてSAO時代に最大派閥ギルド『血盟騎士団』の本部があった、鉄の都とも呼ばれた城塞都市。

 74層の惨劇から命からがら逃れることが出来たプレイヤーたちは、浮遊城の外壁を伝って、ひとまずここへ逃げ込んで来ていた。

 皆、一様にその表情は暗く、声を出す者も殆どない。

 彼らは心身共に疲れ切ってしまっていた。

 当然のことである。

 ゲームとして体感していたはずのこのALOの舞台が、突然完全なデスゲームへと変じたのだ。

 仮に、あの『デリンジャー』を名乗った男の言が嘘だったにしても、ひょっとしたら、もしかしたら、本当に死んでしまうかもしれないという、その可能性が忍び寄る恐怖となって彼ら全員を襲い続けていた。

 そんな中、声を張り上げている者のほとんどは、デリンジャーらに翼を消されてしまっているSAO帰還者(サヴァイバー)達であった。

 やはりそこは経験者と言えば良いのか、2年以上に渡って死と隣り合わせであったあの世界に囚われていた彼らには幾分かの耐性があったのだろう。今すぐに行動しなくてはならないこの状況において、彼らの今の振る舞いは、その場の人々にとってまさに天の助けであった。

 

「ふう……やっぱり『アルン』への転移は出来ないね……シリカの方はどう?」

 

「ダメですね、ALOに新しく設置されたはずの他の転移門(ゲート)はどこも反応してくれません」

 

「はあ、やっぱりアインクラッドからは出られないか……」

 

「ぴゅいー」

 

 長大な鉄砲を担いだシノンと青竜ピナを肩に乗せたシリカの二人が手に転移結晶を持ってそう話し合っていた。

 その隣では、自分のコンソールを呼び出して、ひたすらに外部端末との接続を試みているリーファの姿。

 先程兄キリトが外部との連絡をとれたことから自分にもそれが可能ではないかと試してはいるのだが、上手く行っていない。そもそも、旧カーディナルシステムのIDを持ち合わせていない以上そこ経由でのログインは不可能なのだが、それでも執念深く接続を繰り返し試み続けていた。

 

 そんな彼女に声がかかる。

 

「外部との交信は出来たのかな?」

 

 その声の主は大柄なサラマンダーのリーダー、ユージーン将軍。リーファは一度見上げてからそっと首を横に振った。

 

「そうか……しかし、ここでモタモタしているわけにはいかない。キリトのお陰で全員なんとか生き残れたのだ。むざむざ死ぬわけにはいかぬ。我らは散り散りになって各層に潜伏する」

 

「そ、そんな……」

 

 ユージーン将軍の言葉にリーファは声を張り上げる。

 

「だ、だって、そうしたらお兄ちゃんは……ここで態勢を整えて、お兄ちゃんを助けに行くって、さっき言ってくれたじゃないですか」

 

 詰め寄るリーファに、ユージーンは声を詰まらせる。本当は言わなくてはならない事がたくさんあるにも拘らず、彼はグッと顔をしかめて、ただ一言だけ呟いた。

 

「すまない……」

 

「!?」

 

 顔を背けたユージーンにリーファは慌てて詰め寄る。しかし、それ以上なにも言わないユージーンに、焦った彼女は背後のシリカとシノンに視線を送った。

 だが、二人もそっとその視線を外す。

 それを見て、リーファは初めて自分が彼らに謀られたことに気がつき絶望した。

 

「どうして……お、お兄ちゃん」 

 

 リーファは焦っていた。

 今の今まで、兄キリトを救おうと必死に考えていたのだ。

 あの時、兄をあそこに置いて逃げることも最後まで反対したのは彼女であった。しかし……

 それを説得したのは他ならない、この仲間達。

 そして、最も信頼を置いている頼れる姉、アスナその人であった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「いい? みんな、聞いて……」

 

 あの時、キリトがデリンジャーの前に立った直後、前線から走り戻ってきたアスナがリーファやシノン達に口早にこう伝えた。

 

「今この瞬間に、キリト君が魔法で私たちを隠してくれたの。だから、今のうちに全員をこのフロアの外縁部から飛んで、すぐに脱出させて‼」

 

 そう静かに、僅かな笑みを(たた)えた彼女にそう言われ、絶望に沈んでいたその場のメンバーに微かな希望が湧く。そして、すぐさま行動に移ろうとしていた。

 でも、一人だけは違っていた。

 優しく微笑むアスナに向かって、掠れるような声で問いかけたのはリーファ。

 

「お兄ちゃんは?」

 

 その言葉に、その場の全員の動きが止まる。

 そして、そんな彼らの目の前で、今まさに片腕のみとなったキリトが、デリンジャーに向かって切りかかるところであった。

 チラリとそちらを確認したアスナはそれでも口調を変えなかった。

 

「大丈夫。キリト君は絶対に負けないから。それにね、今私たちがここにいると、キリト君の邪魔にしかならないの。それは分かるでしょ? 直葉ちゃん」

 

 そう言われ、リーファ……直葉は何も言えなくなる。

 自分だけではなく、多くのプレイヤーの攻撃はあの相手には通らないことをつい先ほどの戦闘で痛感してしまっていたから。

 なにより自分が今、兄を助けられるほどの力を有していないことを誰よりも自分自身が分かっていたのだから。

 しかし、それでもここに居続けようと思っていた彼女に、アスナは言う。

 

「今は逃げて、そして戦力を整えて。そして、可能なら、私たち(・・・)を助けにきて。お願いね、直葉ちゃん」

 

 にこりと微笑む彼女に、直葉は頷くことしかできなかった。

 

 そしてそれは、シノンとシリカも同様であった。

 今やらなければならないことがなんなのか、彼女達はとっくの昔に理解していた。時間が切迫しているということも。

 こうして、彼女たちはすぐさま倒れ伏しているプレイヤーに声を掛けつつ治療も何もかもを後回しにして、このフロアからの脱出行に移った。

 それがこうもスムーズに出来たのは、このフロアまでの連戦で培われてきた連携の賜物であったのだろう。

 浮遊城外縁部から次々に下層に向かい飛翔していくプレイヤー達。

 SAOアバターのプレイヤーは複数人で抱きかかえながら降下していく。

 最後の一人がその場から飛び立つまで、その様子をずっと見つめ続けていたのはリーファであった。

 全ての人が脱出したのを確認した彼女が縁に手をかけ一度兄たちを振り返ったその時、対峙する兄とデリンジャーが目に入る。そしてそのずっと手前でまるで逃げる自分達を守る様に立つ後ろ姿、スッと振り返って微笑みを浮かべてくれたそのアスナと目が合った。

 アスナは直後、正面に視線を戻して剣を鞘から静かに引き抜いた。そしてもうこちらを振り返りはしなかった。

 そんな彼女の姿を祈る様に見つめたリーファはそっと外縁から飛び降りた。

 

 願うのは二人の生存。再び会えることだけを切に願う。

 

「お願い……死なないで……アスナさん……お兄ちゃん……」

 

 心からの願い……

 今このとき、何もできない自分自身を恥じつつ、彼女は祈りながら逃げるようにその場から離れていった。

 

 死を賭した最悪のデスゲーム。

 生身の肉体も、精神さえも完全に掌握されてしまった今の状況。

 絶望に晒されながら逃げる道しか選べなかった彼らに残された、キリトとアスナという、たった二つの微かな希望。

 

 戦いはいよいよ最終局面を迎えようとしていた……




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