ソードアート・オンライン -The Revenger-    作:こもれび

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アスナという半身

 ピッ……、ピッ……、ピッ……

 

 静かなその白い部屋に、小さな機械音だけが定期的なリズムを刻んでいる。それが、彼女の生命の証だということを、彼、桐ケ谷和人ははっきりと理解していた。

 

 今この部屋には、彼と彼女の二人だけしか居ない。

 彼は、憔悴しきった表情のままで彼女の手を握り続けた。

 彼の虚ろな瞳に映るのは、まるで死人のように真っ白になってしまった彼女のやつれた顔。

 つい昨日まで、いや、つい十数時間前まであの世界で共に居て、共に触れ合っていた彼女は今、ようやく死の縁から脱したところであった。

 腹部を刺された彼女は緊急手術を受けたのだが、多量の出血のために一刻を争う予断を許さない状態が続いていた。長時間に及ぶ手術の末、なんとか死線を乗り越えた彼女は幸いにも内蔵の損傷もないことがわかった。

 しかし、依然として意識は戻ってはいない。そして今後、どんな後遺症の症状が彼女の身に現れるか、そして、どんな苦しみを彼女が背負うことになるのか、様々な憶測が不安となり、彼を苛んでいた。

 そんな彼に、彼女の両親は言った。

 

『君の責任ではない』と、『君を苦しめてすまない』と。

 

 その言葉は、彼の胸を締め付けた。

 彼には分かっていた。

 同じ家に居ながら最愛の娘を守ることができなかった二人には、想像もつかないほどの後悔や自責の念が駆け巡っているということを。

 ただ、彼には二人を慰められるだけの言葉は持ち合わせていなかった。 

 だから、ただ頷いた。

 そして、彼女の側に居続けることを選んだ。

 

 その後、彼に後を託し、彼女の両親は警察へと出掛けていった。今ごろは色々な取り調べを行っていることだろう。

 彼は、少なくとも彼女の意識が戻るまでは、ここを離れるつもりはなかった。

 彼は彼女の顔を見つめながらポツリとこぼした。

 

「また、眠るお前を見ることになっちまったな……、アスナ」

 

 当然彼女はなにも答えない。

 ただ、彼の脳裏には彼女の優しい微笑みがはっきりと思い出されていた。

 

『キリトくんのことは私が守るから』

 

「アスナ……」

 

 彼の胸に沸き上がるのは、ひたすらに彼女を愛しいと思う切ない想い。

 苦しんでいた彼をいつも支えようとしてくれた彼女の優しい微笑みばかりが彼の脳裏によみがえっていた。

 

 なぜ、こんなことになってしまったのか。

 

 その答えは幾条もの槍の穂先となって、彼の心に突き刺さり続けた。

 自分のせいで、彼女は傷ついてしまったのではないかという思いが恐怖となって彼のうちを駆け巡る。

 その恐怖に押し潰されそうになるギリギリのところで、彼は必死に耐えているのだった。

 

 そのような時だった。

 

 病室の戸を叩く音が響いて、その戸がすうっと開いたのは。

 

「やあ、失礼するよ、キリトくん」

 

 開いた戸の方を振り向いた彼が目にしたのは、すでに顔見知りでもあり、SAOクリア後の彼とも協力関係にある総務省の官僚、菊岡誠二郎その人だった。

 

「誰も入っていいとは言っていませんよ。帰ってください」

 

「連れないなあ、君は。おっと、そうだったそうだった、アスナ君が眠っているのだったな。これは失礼した。なあ、なら廊下で少し話せないかな」

 

 その飄々とした菊岡の言葉に、彼は眉をしかめる。

 今は彼女の側を離れたくはなかったこともあったが、なにより、こんな状態の彼女に対しての菊岡の物言いに憤りが込み上げてきてしまっていたから。

 そんな菊岡を彼は黙ってにらむ。

 

 菊岡はその視線をどこ吹く風といった様子で、普段通りに彼へと言葉を投げ掛けるのだった。

 

「『犯人の手がかりがある』、こう言ったら乗ってくれるかな?」

 

「は?」

 

 彼は一瞬何を言われたかわからなかった。

 その菊岡の言葉の真意は明解そのものだが、事件発生からまだ半日も経っていない。そして、その容疑者の存在も得てして不明のままなのだ。

 

 彼女が襲われたその時、早出してきた家政婦が腹に刃物を刺されたまま、床に倒れ込もうとしている彼女を見つけ、急いで救急車を呼び、そして、寝室で休んでいた彼女の両親と共に彼女を介抱したことで一命をとりとめたのだと彼は聞いていた。

 だが、その現場からは犯人は完全に消えてしまっていたのだそうだ。

 

 そうだというのに、目の前の菊岡はその犯人の情報を持っているという。

 理解できなくても仕方がない。

 

「菊岡さん、まだ警察だってなにも足取りを掴めていないはずなのに、なんであんたがそんなことを言えるんだよ。それとも、警察ももう犯人を特定してるってことなのか?」

 

「いや、違う。僕はただのしがない役人さ。警察のように地道な取り調べも出来ないし、あそこまでの公権力だって持っちゃいない」

 

 どうだかな……

 と、そう彼は思う。

 

 菊岡はただの役人ではない。

 あの茅場晶彦が引き起こしたSAO事件対策の責任者だ。

 そんな彼に力がないなんて言われたところで、それを信じられようはずがない。むしろ彼には警察を上回る圧倒的な公権力があることも彼は知っていた。となれば、そんな菊岡が確信を持って語ったその言葉にははっきりと裏付けのとれた確信があるはずだ。

 そう思い至った彼は、そっと眠る彼女を見た。

 

 そして、その頬をそっと撫でてから立ち上がり、菊岡を振り返った。

 

「なら、この部屋の外で聞くよ。それでいいな」

 

「了解、仰せのままに」

 

 にこりと微笑んだ菊岡を連れたって彼はその部屋を出た。

 彼女は静かに寝息を立て続けていた。




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