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緋色の剣影が蒼天を切り裂くように頭上へ穿たれる。白銀に染まる世界でその剣の造形を視認するのに、さほどの時間は要しなかった。
賑わうメインストリートから少しだけ乖離した人気のない路地裏。仄暗さを感じさせるそこでは人々と街の心の闇を刻々と描いていたのだが、そんな閑静な世界も突如として現れた斬裂の雨によってかき消されていった。
耳障りな轟音を発しながらも空から飛来する刃は地に到達した瞬間に衝撃へと変わり、地響きを起こしながらその場に居た者たちを襲う。
斬る、という表現では生ぬるい。
射程内にいる物すべてを叩き潰すかのように、殲滅するかのように、それらは辺り一帯に降り注いでいった。
「火」の属性力を宿したその技――アローレインは彼女の持つ天星器「七星剣」から放たれたものだった。
瞳孔が開き、刺し殺す程の威圧を含めた眼が傷だらけのフードの下で妖しく光る。明らかに仲間に向けるものとは思えないそれには確かな殺意が込められており、その全身から迸る狂気は重圧に満ちた空間の中で重くうごめいている。
一瞬即発の空気の中、彼女――ジータは抑揚のない声でぽつりとつぶやいた。
「――逃がさないよ」
そんな彼女の眼前に見据える人物――カリオストロは今、死地に陥っていた。
苦虫を噛み潰したような顔でジータを睨み、そして本気の一撃を繰り出した彼女に微かな狼狽を見せている。
「チィッ……!」
想定外だった。まさかこんなにも早くエリクシールを持ちだしたのがバレてしまうとは。
恐らくくすねていた現場を他の団員に見られてしまい、それがジータの耳に入ったのだろう。
団員たちの散財に頭を悩ませていた彼女のことだ。この一件が怒りの引き金を引いたに違いない。
現に目の前で蛇蝎の牙の如く七星剣を向ける彼女に躊躇いなど一切見えてはおらず、隙を見せれば瞬く間に切り伏せる意思が見受けられる。
しかし、それでもカリオストロは叡智の錬金術師にして、全ての錬金術師たちの開祖。いくら全空に名を馳せる十天衆に鍛えられようとも、青臭さが抜けきっていない彼女に後れを取ることはない。
直情に燃え上がる憤怒は、いってみれば冷静さを欠く原因に過ぎない。
その一瞬を突き、自らの股肱となるウロボロスを顕現させてジータを昏倒させることも出来なくはないが――圧倒したとしても、事後の処罰が更に重くなるだけだ。
それに加えてグランの耳に入ってしまえば、当面の間は自由な行動をとらせて貰えなくなる。
それだけは何としてでも避けたい。オシャレが出来ない軟禁生活など想像もしたくないし。と言ったカリオストロの考えには歯牙にもかけない様子で、ジータは虚ろな眼房を険しく細めてこういった。
「弁明はない? ないんだったら次で終わらせるけど」
「……え、えっとぉ、カリオストロはぁ☆ 笠地蔵とかけまして、今の気温と説いちゃいます☆」
「……その心は」
「寒そうだったから、つい」
「情状酌量の余地なし」
その言葉を最後に、ジータは静かに燃える怒りを胸に彼に向けて駆けだした。
慈悲はない。茶化した様子に笑うはずもなく、その様相は鬼気迫る。
じわりと放たれるは闘気。口から溢れ出るは呆れ。
そして全身から迸るは、先程から発せられていた――直情に抱く殺意の波動。
ジータが放つ冷たい眼光は、赤き軌跡を僅かにその場で残したかと思えば、ゆらりと過ぎる時間の最中で消え失せる。
それは軌跡だけではない――彼女の姿さえも、この世から消滅してしまったかのように。
――タンッ。
砂利交じりのステップが静まり返ったその場で小さく響き。
――タンッ。
続けて奏でられた足踏みと重なって不均衡なリズムを形成したかと思えば。
――タンッ――。
最後に力強く聞こえた足音が余韻を残し、終わりを迎える。
しかし、数拍の間を置いたその瞬間――ジータはカリオストロの目前へと瞬時に出現した。
その姿は瞳から漏れた軌跡よりも早く――そしてカリオストロの動体視力よりも素早く。
「――ここだッ!」
けれども。身体が追い付かずともその行動自体を予測することはできる。
流れるようなジータの動きは闇に流離う影のようではあったが、気配を殺して襲い掛かったところで、奇襲の場数を踏んでいた彼にそれが必ずしも通用するとはいえない。
目前に出現するのを察知していたカリオストロはジータの一手よりも早く身を躱し、すかさず距離を取って魔力を練り上げる。
二頭のウロボロスを顕現、破壊目標は――ジータではなく周囲の建造物。
かく乱の一撃を見舞うため、カリオストロは威風堂々と吼えた。
「――ふっ、はははははは!! 錬金術の開祖を舐めるんじゃねぇぞジータァ! あのニヤケ面に鍛えてもらっても、その素直実直な性格は治らなかったようだな! 安心しろ、オレ様は慈悲深いから命までは取らねえ! ここは退散させてもらうぜ!!」
練り上げた魔力の奔流を一点に集中させ、再生と破壊を繰り返した膨大な力を今度は四つに分散させる。
意思を持つように放たれたその力はカリオストロが穿とうとする方向に飛翔し、それはジータを囲む建物群に狙いを定めていた。そして建物の中に居る人たちの被害を考えぬまま――彼は無慈悲な攻撃を繰り出した。
「これがァ――真理の一撃だ! アルス・マグナァアアアアア!!」
そうして四方に放たれた真理の一撃は、彼の目論み通り建造物を破壊して大仰な爆発をあげて崩れていく。
砂塵が舞い、残留した魔力の素がそれに追随するように空に昇る。建築の根幹を成していたそれらは裏通りを塞ぎ、瓦礫と化して轟音をあげながら折り重なっていく。
目先に居たジータとの距離を取ったカリオストロはと言えば――姿の見えないジータを確認するため、煤煙で悪くなった視界の中で忙しなく眼を動かしていた。
そして、自分の周囲にはジータの姿はない。
「やったか!?」
「残像だ」
「アッ」
背後から聞こえるジータの声にカリオストロは間の抜けた声をあげた。
振り返ればそこには相も変わらず冷え切った相貌でこちらを見下すジータの姿があった。
してやられた。と彼は憤慨する。直前に目の前に現れたジータはブラフで、実際の彼女はカリオストロの動きに同化して気配を消していたのだ。ジャミルがそこにいれば、ジータを崇拝せんばかりの鮮やかな手際だっただろう。
後れを取ったカリオストロはへし折らんばかりに奥歯を噛みしめ、らんらんと危なげな光をその眼から放つジータを睥睨した。
もはや言葉すら語るのも憚られるのか。彼女は無言で七星剣を天高くに振り上げていた。
「(――チッ。こんなくだらねぇことで身体を一つ失っちまうとはな)」
実際のところ本当にくだらない案件ではあったが、憤怒に満ちていても冷静さを失わなかったジータに軍配が上がったのも事実。自身の慢心が招いた結果に少し憤慨しつつ、さらばスペアボディ――そう言ってジータからの最後の一撃を甘んじて受け止めようとして――。
――アルケミック・フレアアアアアアアアアアア!!!!!
それが出来ないことに気付いた。
「えっ?」
「え?」
素っ頓狂な声が二つ上がる。どこかで聞いたような声が裏路地に響き、次いでカリオストロに劣らないほどの魔力を秘めた「それ」が放たれた。黒色で不均衡なバランスを孕むそれは「分解」に特化された一撃。ありとあらゆる生命を原子まで崩壊せんばかりの魔力に満ちており、高速で接近してくる一撃はぽかんと呆けていた二人に無情にも襲い掛かった。
慌ててカリオストロが防御壁を展開するも時既に遅し。その威力を軽減できたのは良かったものの、タガの外れたそれは裏通りの周辺一帯を焦土と化し――その場に居た人間を遠く、遠くに吹き飛ばすほどの衝撃を放った。
「「あああああああああああッッ!!?」」
ドップラー効果を残しながらジータとカリオストロが吹っ飛んでいく。曇天の裏側に隠れる蒼穹まで飛ばされるかの勢いで二人は空の彼方に消えていった。錬金術師特有の爆発オチを見事に体現したその様を見られたものは誰もいない。
焦土と化した裏路地はひたすらに無音に満ちて。
そこに残っていたのは、無情にもその出来事を嘲笑うように出来上がった瓦礫の山だけ。
けれども、そんな無法地帯と化した場所に、一つの慟哭が響いた。
渦巻く混沌が生み出したこの結末を嘆くように――声の主であるクラリスは、
「……うわああああああああああんっ!!! どうして、どうしてこうなるのさーー!!」
人目も憚らず、そう叫ぶのであった。
――どうしてこうなったのか。話は少し前に遡る。
◆
露店で買い物を済ませてからも、二人は変わらず散歩を楽しんでいた。
普段のクラリスならたかが散歩、と言って不満たらたらにグランを引っ張って知的好奇心をくすぐる場所に連れまわしていたことだろう。
けれども、こうやって二人きりで歩いていく街並みを一緒に眺めることに、自然と彼女は楽しさを見出していた。
横に並んで、同じ景色を同じ場所で眺めていく。別段何もしていないはずなのに、心地よい気持ちになるのは何故だろうか。
さくさくと新雪を踏みしめながら、胸元で光るネックレスを眺める。
小さく揺れるそれに触れば、ひんやりとした冷たさが指に伝わった。
「……ふふっ♪」
「ご機嫌だね、クラリス」
「それはそうでしょー☆ だってこのネックレス、すっごく可愛いし!」
「あはは、それは良かった。それだけ喜んでもらえると僕も嬉しいよ」
隣だって笑うグランにつられて、クラリスも口角をあげて朗らかにほほ笑んだ。
幸せだった。こうやって二人きりで何気ない会話をして盛り上がって、戦いから離れたひと時の平穏を感じることが出来て。思い返せばこのデートで色んなことをやってきた。初めは手を繋ぐことすら躊躇いを生んでいたはずなのに、今ではごく自然に手を繋いで、手袋越しの温かさを感じることが出来る。それは二人の心の距離がぐっと縮まった証拠だった。
いける。この雰囲気ならきっと――成功する。不慣れながらも始めてしまったアプローチデートではあったが、手ごたえはある。最後まで何事もなく切り抜けたい――。
そう願う彼女であったが、それでも楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまうもので。
気が付けば服の受け取りを行う時間が間近に迫っていた。
「あ、やば。グラン、そろそろ時間だね」
「うん? ……ああ、スペシャルマッチの服を受け取りに行くんだっけ。
それなら早速向かおうか。何処にあるんだっけ?」
「えっと、確か……」
ファスティバが言うには、行商の街の裏通りにこじんまりとした仕立て屋があり、そこに納品をお願いしているとのこと。シェロカルテに紹介されたそこは代々伝わる老舗の名店らしく、実力も折り紙付きで街の人たちもよく利用しているらしい。予めファスティバからもらった地図で位置を確認する。幸いにもその仕立て屋は近場にあった。
「よぉっし! それじゃいこっか☆」
そうクラリスに促されて、グランは鷹揚に首肯を返した。
地図を頼りに二人は服屋へと足を運ぶ。中央通りからわき道を通ればすぐに裏通りへの道は出るのだが、その場を通りすがる人たちの視線や態度が、表通りとは一線を画すような雰囲気がある。
明らかに堅気とは思えないゴロツキ染みた人相の者たちがその周辺に佇み、二人の動向をちらちらと眺めていた。妙な物々しさを怪訝に思いつつも、クラリスとグランは目的のサンタ服がある仕立て屋へと向かった。
そうして目的の場所についた一行。しかし、到着したのはいいものの――果たしてこれは老舗という言葉で済ませてよいものなのか。
確かに、年季が入って所々に経年劣化が生じるのは建物ありきだから仕方がない。
けれどもこの店を見る限り、これは老舗というより、小汚いならず者たちが拠点としてそうな住処に他ならなかった。
あまりに想像とかけ離れた店ゆえに、グランはもう一度クラリスに訊ねた。
「クラリス、本当にこの店であってるのかな?」
「う、うん。うちも最初は間違えたかな、って思ったけどさ。でも地図だとこの店で間違いないみたい。……何か、うちが思ってたブティックとはちょっと、いやかなーり違ってるっぽいけど……あ、でも中に入ってみたら意外と綺麗かも! ほら、外観がちょっとアレでも中は綺麗なお店とか結構あるじゃん! きっとそうだよ!」
そういってプラス面を強調するクラリスだが、当のグランは難しい顔でその店を眺めていた。
あのシェロカルテが紹介するだけあって、グランはその実、納品に関しては問題ないだろうと安心していた。
しかしいざ実状に目を通してみれば、明らかに服を販売するとは言い難い建物が自分たちの目先にある。
清潔感もへったくれもない塵溜めが周囲に散乱するような場所だ。
表通りの華やかな街並みとは相反して負の一面をこと細かに彩っている。
「(……どうもキナ臭いな)」
入るべきか否かと、眉根を狭めてグランが思慮に耽るが――正直のところ、ここで悩んでいたって仕方ない。
今までは普通に遊んでいたが、本来の目的は荷物の受け取りだ。スペシャルマッチを成功させるための依頼でもあるし、ここで悩んで立ち止まっていても仕方ない。もしもの時は自分が丸腰のクラリスを護らなければいけない。
そう思い、帯刀している剣をいつでも抜けるように、警戒心だけは怠らずグランはその店の中に入った。
それにクラリスも続く。
◆
中に入れば、少しは清潔感溢れる店内になっているだろうと思っていたのだが――入店して早々にむせ返るようなアルコールの匂いが店内に充満しているのを知り、その期待が無駄だったと理解する。
薄暗くほのめく蛍光灯はいつから交換していないのか、耳障りな音を立てながら羽虫が周囲を飛び回っている。
服を取り扱うお店というだけあって、流石に商品を置いていない、ということはなかったが――展示の方法がハンガーラックとワゴンだけというのも如何なものか。
取り扱う服も粗雑なものばかりで、とてもではないが常連のお客が来るような店とは思えなかった。
埃だらけの店内にむせつつ、グランは警戒しながら周囲の状況を確認する。近くには、明らかに商売人とは思えないゴロツキが二、三。瓶酒を呷りながら、舐めるような視線でこちらの様子を窺っていた。
客人に向けるそれとは全く思えない。むしろネギを背負ったカモを見るような下卑た視線である。
それに気が付いてか、クラリスも苦々しい顔でこう言ってきた。
「な、なーんかヤな雰囲気のお店だね」
「そうだな。依頼の服だけ受け取って、さっさと出よう」
「そだね。……あ、でも一応試着だけはしとかないと。試着……うーん、こんなところで試着したくないなぁ」
今回受け取る依頼の品は、クラリスが着こなす予定のサンタ服だ。前もって情報を伝えてはいるのだが、それでも実際に着こなしてみないと分からないこともある。
いざ本番という時にサイズが合わずに断念するという事態が起こらぬよう、入念な下準備が必要だったりする。それ故に少々気は乗らないが、ここで試着して確実に着れるようにしておかないといけない。
入ってなおも気難しい顔でいるグランに、クラリスはにへへと笑って冗談を飛ばした。
「でも、何かあったらグランが助けてくれるっしょ?」
「ああ、必ず守るよ。だから安心してくれ。危険な目には絶対合わせないから」
即答だった。思わぬ力強い返事にクラリスは言葉を窮するも、真顔のグランにはそんな彼女の様子には全く気付かず。
店内に居たガラの悪い店員に声をかけ、依頼された服の受け取りに来た旨を説明し始めた。
その傍らでクラリスは
「(……グランって、うちより年下、なんだよねぇ……)」
なにやら複雑な心境を馳せながら、その様子を眺めるのであった。
奥から出てきた店主に依頼された服を渡されて、クラリスは試着室にその身を寄せる。
室内で服を広げてみると、前回着ていたクリスマス服と比べても謙遜ない出来ではあった。
樅ノ木をモチーフにしたフリル付きスカートから赤を基調としたインナーと大きな鈴付きのリボンが可愛さを引き立てている。サンタをイメージしたフード付きのインナーも備えられており、頭の両端に奇妙な通し穴があるのは少々気になったが――おそらく自前のリボンを通すための穴だろうと納得する。
なかなかの仕立てにクラリスは満足そうに「ふーむ!」と唸った。
「いいじゃんいいじゃん☆ かわいいし、さっそく着てみよっと!」
といった感じで嬉々として試着を始める。着終えたら、早速グランに見せてみようか。どんな反応してくれるだろうか。また、可愛いって言ってくれるだろうか。そんなことを考えながらも、にへへと満面の笑みで服を着替えていく。――雲行きが怪しくなってきたことは露聊かも知らず。
その試着室の外では、グランと店主が何やら物々しい口論を交わしていた。
◆
「な――? ど、どういうことですか!」
「どうもこうも。シェロカルテさんからご依頼を受けて服の仕立てを承りましたが、まだその代金を頂いていない、と申し上げているのです。つきましては、お代として50万ルピ。こちらで支払って頂きたいのですが」
「そんな……僕らは受け取るだけでいいって事前に伝えられたんですよ。だからそんな大金払えないですし、何かの間違いじゃないんですか!」
「いいえ、間違いなんかじゃありませんよ。交わした契約書にも、支払い能力が無い場合は受取人が肩代わりするという旨が記入されております」
「そんな……」
クラリスが試着室に入ってから数刻。店の奥から出てきた店主とやり取りを交わしていたグランだったが――その依頼の内容に若干、いやかなりの齟齬が生じていた。受け取りだけを済ませたらいいという事前の情報とは相変わって、店の言い分は支払いが済んでいない故にこの場で払え、とのことらしい。
クラリスから聞いていた話とは違う事実に、グランは苦虫を噛み潰したような顔で唸った。
シェロカルテとジュエルリゾートを経由して連絡が来ていた今回の依頼だ。関係者であるファスティバもその道には長けており、そうそうこんなミスをするとは思い難い。前払いですでに取引を終えた旨も彼女から伝聞されていたが、グランはあくまで聞いただけでそれが本当かどうかは分からない。
けれども。
この醜悪な店の雰囲気から察して、この店主が偽りの暴利を吹っかけてきていることは目に見えて分かる。
そして、近くにいたゴロツキが彼を取り囲むように動き始めているのを見て、グランは確信した。
この店は《クロ》だと。
「払えないんじゃ仕方ありませんね。……おい、お前ら。死なない程度に痛めつけろ」
屈強そうな男たちが獲物を片手にグランを包囲する。数は三。短剣を携えて彼の出方を窺っている。
荒事は避けたかったんだけど、仕方ない。そういってグランは帯刀していた剣を引き抜いた。抜き身の刃に水の属性力を込めると、その剣身が藍色のベールに包み込まれた。両手で構えるその剣は薄暗い店内でも眩く煌き、それはゴロツキたちの興味を引いた。子供が持っていいモノではない、極めて高価な武器だ。
「へえ。ガキの癖に良い武器持ってんじゃねぇか。高値で売れそうだ」
下賤な顔で男たちが口笛を鳴らす。目的はグランたちの身包みを剝ぐことと、次いで身代金か。
ジュエルリゾートが関わっているとなると、おそらく法外な金銭を要求してくるだろう。監禁した後、グランたちの騎空団とジュエルリゾート側にその旨を通知、そして多額の金と引き換えに身元を引き渡す算段だ。その流れが分かるからこそ、捕まるわけにはいかなかった。クラリスも居る今、ここで自分が捕まるのは何としてでも避けたい――。
「……悪いけど、手加減はできそうにないよ」
最初から全力で飛ばす。幾たびも死地を乗り越えたグランにとって、このような事態はよくある光景の一つに過ぎないが――クラリスを人質に取られる前に済まさなければ。形成が逆転する前に男たちを捕縛して街の警備に突き出さないといけない。柄を握る掌に力を込め、いつでも俊敏に動けるように腰を落として大腿への負担を軽くさせる。
感覚を研ぎ澄まし、四方から放たれる殺気を細緻に感じ取って動く。敵の動きを読み、柳のように流れる仕草で相手を昏倒させ、事無く終わらせねば――。
並外れた集中力を全身に漲らせ、男たちの出方をグランは窺う。
そしてしびれを切らした男たちが、グランめがけて一斉に飛びかかってきたところで――
――アルス・マグナァアアアアアアアアアア!!!!
どこかで聞いたことのある声が響いた。その声の主が錬金術の開祖・カリオストロだと理解するよりも前に――グランの視界は真っ黒に染まった。集中していた五感がぶつりと切れる。
襲い掛かってきていたはずの男たちは背後から飛翔してきた膨大な魔力の一撃で吹っ飛ばされ、店の壁に叩き付けられて小さく沈む。それは男たちだけではなくグランにも言えることで――予想だにしていない不意打ちを受けて、その一撃を真正面から浴びてしまった。
ギリギリで剣を構えて防御するも、激しい衝撃が彼に襲い掛かり、壁際に打ち付けられた。
背中を強打したグランは鈍い痛みを覚えるが、それよりも恐ろしい事実が目先で起こっていることを知って、背筋を震わせる。
四散せず店内で激しく大暴れした《破壊と再生の一撃》は、軌道を不規則に変更させながら行く当てもなく高速で彷徨った後、急速な光を放って大爆発を起こしたのだ。
劈くような轟音をあげて、店を支えていた基盤が瓦礫と化して崩れ始めた。
「わっ――あああああああああっ!!?」
理解の追いつかない事態に巻き込まれ、グランが叫び声をあげる。
しかしその声がかき消されるのも瞬く間。非情なる瓦礫の山がグランに襲い掛かるまでそう時間はかからなかった。
◆
「い、いだだ……い、いきなり何なの!? 急に部屋が暗くなったと思ったら、試着室めちゃくちゃになってんじゃん! 何、一体何が起きたのさ!?」
一方その頃。嬉々とサンタ衣装に着替えていたクラリスは、突然の爆発に驚きを露にしていた。クラリス自体に外傷は見られないものの、強固に作られていた試着室も半分ほど崩壊し、今では薄布一枚だけを隔てた場所に成り代わっている。この格好をグランに見せてあげようと思っていた矢先の、突拍子もない出来事だ。思考が定まらないのも無理はない。
「そうだ、グラン! グランは何処に――」
居るのか。そう考えてクラリスはぞっとする悪寒に襲われた。あの大爆発だ。自分はまだ少し離れた場所に居たから大丈夫ではあったが、グランはその渦中に居たはずである。
「き、着替えなきゃ! 着替えて、グランを探さないと!」
焦燥感と危機感を募らせながら、慌ててクラリスが元の服に着替えていく。この決断が後のクラリスを大いに悩ませる結末になったのだが――今はまだ、その事実を彼女が知る由もない。
「いつつ……僕、生きてる、のか……?」
瓦礫の下から這いずるように。グランは爆発のあった場所から、何とかその身を守ることに成功していた。周囲を一瞥すると、気絶した男たちの姿がちらほら。あれだけの爆発でも、幸いなことに死者は出ていないようだった。これ以上崩壊の危険性がないことを知り、ほっと安堵する。けれどもその安心は次なる心配を招いた。
「そうだ。クラリス! クラリスを見つけないと!」
打撲した背中に鈍い痛みを感じつつ、膝をついて起き上がる。試着室は確か少し離れた位置にあったはず。ここより被害はないとは思うが、それでも彼女の身に何かあってからでは遅い。
「げほっ……クラリス、どこだ!」
埃まみれの店内でむせ返りながらも呼びかける。
すると案外近い距離で彼女の声が耳に届いた。
「グラン? ――グラン!? 無事だったの!?」
声の先は、そう遠くない場所にある。目を凝らすと、停電した店の中でもうっすらと姿見が分かる。
クラリスの姿だ。あの布きれ一枚の先に彼女はいる。安心と心配がグランの中で激しくかき混ぜられ、興奮冷めやらぬまま駆けつける。
「よかった! クラリス、無事か!? 今開けるからじっとしていて!」
「うん、うちは無事――って。うん? 開ける? 開けるって――いやちょっと待って!! 待って待ってグランまだ開けないで!! 今開けられたらやばいからいまうちはだ――」
――サッー! と迫真の音をあげて、布切れ一枚がグランの手によって開け放たれる。
大丈夫そうなクラリスの表情を見てグランはほっと一息を吐き、次いで彼女の状態を見て――硬直した。
嫋やかな彼女の肢体は無駄一つなく整っていて。
白磁色に染まる身体は、まるで後世に遺されし彫刻のような輝きを見せていて。
けれども芸術には放てない生身の色香がそこで静かに強調されていた。
蠱惑的なプロポーションがグランの眼に宿る。そこにいたのは確かにクラリスだった。
しかしただのクラリスではない。
布切れ一枚の先に、布切れ一枚しか着ていないクラリスの姿が、そこにはあった。
「――はだ、かだから待って――」
真っ白な肢体と相反して、見る見るうちにクラリスの顔が真っ赤に染め上がる。
見られた。グランに。自分の裸を見られた。いつかは見せるかもしれないと妄想に耽っていたそれとはまったく違う、こんな想像もしていなかった事態で、自分の生まれたままに近い姿を見せてしまった。
心拍数が増大する。動悸がまるで重機を動かすかのように、激しく回数を増していく。
羞恥が最高潮まで達し、興奮と混乱冷めやらぬ状態のまま、ぐるぐると廻る視界の中でクラリスは――壊れた玩具のようにこう言った。
「――あ」
「……あっ」
「――――あっああああああああああああああああああああああああああああアルケミック・フレアアアアアアアアアアアアア!!!!」
――本日二度目の爆発が、グランを襲った。
彼女から放たれた膨大な破壊の魔力(と羞恥)がその場で爆散し、その威力は先程のアルス・マグナに劣るとも言えない威力だった。その一撃を間近で受けたグランは防御する気力もあるはずがなく――素の身体のまま直撃を受け、壁を破壊し、弧を描きながら遥か彼方に吹っ飛んでいった。
瞬く星のようにきらりと蒼天の中に吸い込まれていくグラン(とどこかで見覚えのある二人)。
その姿が見えなくなってから幾数分、クラリスは荒い息を止めてふっと我に返った。
「――あれ、グラン?」
すうっと意識が正常に戻り、きょろきょろと周囲を見回すクラリス。けれどその彼の姿はどこにもおらず。しばしの間きょとんとその場で佇んでいた彼女だったが――事態を察して、さあっと顔面が蒼白色に変わった。
「……あっ」
やってしまった。羞恥心故に全力で力を使って、グランをぶっ飛ばしてしまった。
呼びかけるもその姿は遥か彼方。破壊された裏路地は、爆発的な魔力によって半ば更地と化してしまっている。自分以外に誰一人もいない。孤独な世界に一人取り残されたクラリスは、放心した様子で空を仰ぐ。
白銀に染まる世界が妙に美しくて。センチメンタルな気分に浸らせるのと同時に――彼女の瞳から、つうっと涙がこぼれ落ちた。
「あ、あああああああ」
大失敗だ。告白をするどころか、何もかも、今まで積み重ねてきたものがすべて、すべて無に帰してしまった。良い雰囲気だったのに。グランもようやく意識してくれた矢先だったのに。全部、全部自分がぶち壊してしまった。耐えきれない恥ずかしさの衝動で放ったその一撃は、悲惨たる結果を彼女に招いてしまった。
ぼろぼろ零れる涙が彼女の心情を語るように。
誰もいない、想い人すらそばに居ないこの状況下で、クラリスは天に向けて慟哭を放った。
「うわああああああああああんっ!!! どうして、どうしてこうなるのさーー!!」
力いっぱい放った一撃は、かなしく、せつない。
◆
リア充爆発しろ(殺意)
次回、最終回。クラリスの恋路や如何に。