墨埜谷暮羽は新兵である。
歳は十四。
黒髪を赤いリボンでくくり、ツインテールにした少女である。
第1121小隊の砲手となるべく三日前に配属された新人である。
「どうだ、ここでの生活は慣れたか?」
「はい! 思ってた軍隊の生活とはかけ離れてましたけど……」
第1121号要塞のダイニングルームでクレハともう一人の少女がお茶を飲みながら会話をしている。
彼女の名前は
リオは小隊の先輩としてクレハの教育を担っていることもあり、今クレハが最も親しい人物であり、尊敬する先輩でもある。
「ははは! まあ、そうだろうな。ローマと休戦してからまだ二ヶ月とはいえ、セーズの街は平和そのものだ」
「良いこと……なんですよね?」
クレハは正統ローマ帝国との国境線に直接面する地域で常に気を張っている同僚たちに対して何だか申し訳なく思ってしまう。
「少なくとも、この街が戦争に巻き込まれるよりはずっといいさ」
「そうですよね!」
「ああ、ここに配属されたクレハの運が良かったのさ」
リオの言葉により少し気が紛れたように感じるクレハだった。
「運がいいと言えば、最初はあの藤堂少佐の隊に配属されてそれこそ「ラッキー!」って、思ってたんですけどねー。まさかあんな人だったなんて……」
クレハは頬杖をついて拗ねたように呟く。
彼女には尊敬する五人の軍人がいる。
撤退線で活躍した(と、クレハは聞かされている)自身の父と父を含めた傷ついた兵士たちを治療していた衛生兵の母。
三日間飲まず食わずで砂漠を横断して敵の砦を奪取し「砂漠の狼」「ミラクル・クラウス」と称された英雄的人物。
ビネンラントの英雄、砂漠の狼と並ぶ戦車乗りの神様、国民からの信頼も厚い今は亡きイリア・アルカディア公女。
そして最後に、その公女殿下の傍で支え、彼女の勝利の裏には必ず奴がいるとも噂された藤堂平九郎である。
彼女にとってヘークローは公女殿下の勝利のために尽力し、その功績は全て公女殿下のために捧げ、それを決してひけらかさない騎士のような人物だと考えていた。
しかし、三日前のヘークローとの邂逅ににより、彼女が抱いていた藤堂平九郎像は粉々に砕けてしまっていた。
そのためだろうか、彼女の表情からはヘークローに対する失望の感情がありありと伺える。
そんなクレハに対し、先ほどまでの快活とした様子はなりを潜め少しうつむき加減になるリオ。
静かにカップをソーサーに置いたリオはクレハに静かに尋ねた。
「クレハはヘークローが嫌いか?」
「い、いえ! そんなことはないです! なんだかんだ言ってヘークローさんが私のことを気遣ってくれていることはわかりますし、意外と仕事もちゃんとやっていることも知ってます…………隊長にお尻を叩かれながらですけど……」
改めて言葉に出してみるとおかしくなったのか、クレハは苦笑いしてしまう。
そんなクレハを見てリオもつられて苦笑い。
「でもやっぱり、信じられませんよ。ヘークローさんがあのイリア公女殿下の副官として、ビネンラント戦線でも活躍した当時中尉の藤堂平九郎だとは」
「……まあ、そうだろうな」
リオは第1121小隊での彼とそれ以前の彼の姿を思い浮かべて彼のいいところでも教えてあげようと思ったが、擁護のための言葉がパッと出てこなかったために断念する。
「実は同姓同名の別人とかじゃないですか?」
「いや、確かに本人だよ。私はイリア公女の傍に立つヘークローを見たことがあるからな」
「そうなんですか…… ん? じゃあもしかして公女殿下にもお会いしたことがあるんですか!」
「それ、は…… 昔、遠目にな」
「いいなー! いいなー!」
クレハはイリア・アルカディアという有名人に会ったことがあると言うリオに羨望の眼差しを送る。その喜ぶさまは年相応であり、今まで軍人として努力していたクレハの姿ばかり見ていたリオにとっては新鮮なものだった。
「あっ、その…… 恥ずかしいところをお見せしました……」
「ふふ、いいさ」
思わずはしゃいでしまったことを自覚したクレハはわずかに顔を赤くして小さくなってしまう。心を落ち着けるためだろうか、それとも赤くなった自分の顔を隠すためだろうか、ぬるくなってきた紅茶を一飲みしている。
そんな姿がおかしかったのか、リオは笑みをこぼした。
「そういう先輩はヘークローさんのことをどう思ってるんですか? もしかして、あまり好ましくは思ってないんですか?」
クレハは照れ隠しのためにさっきから気になっていたことを質問してみる。クレハはヘークローの話題になってからリオの様子が少し変わったことに気が付いていた。
しかし、察しがいいクレハだからこそ、この話題は地雷だったのではと思い浮かぶのも早かった。
「そうだな」
「あ、いやその、今のは……」
ちょっと考える様子を見せるリオ。
やってしまったー! と、心の中で絶叫しているクレハ。
「私は……」
「たっだいま~」
リオの言葉を遮るように聞こえてきたのは
「ヘークロー、また仕事を放って街をぶらついてたな?」
「なに、ちょっとした息抜きだよ。い・き・ぬ・き。仕事を効率的に行うために必要なことさ」
相変わらずのヘークローに呆れた様子のリオは軽くたしなめるが、ヘークローはどこ吹く風と聞き流している。
「お、クレハちゃん。良いところに」
そう言ってヘークローは肩にかけていたカバンをゴソゴソとあさり始めて三つの小さい木箱と一つの大きい木箱を取り出した。
取り出した大きな方の木箱をクレハちゃんに渡す。
「私にですか?」
「おう、開けてみ」
ヘークローに促されてクレハは木箱をのふたを開ける。
「これは……」
「Zf-41、ヘルベチア陸軍で正式採用されてる狙撃眼鏡だな」
Zf-41は同じくヘルベチア陸軍で採用されているボルトアクション式小銃Kar98kにマウントすることができる、いわゆるスコープである。
「
クレハの持つ、まるで新品のように傷のないスコープは光に反射して鉄色に鈍く輝く。
「ありがとうございます! 感激です!」
「うん? なーに、大したことないって。装備はしっかりしとかないといけないからな。ま、俺はそいつがそのままピカピカで居てくれることを願うがね」
ヘークローは手をひらひらさせてクレハの謝意を受け取る。
「っと、そっちはおまけで本命はこっち」
ヘークローはニコニコというよりニヤニヤといった様子で小さい木箱をリオとクレハに渡す。
リオとクレハはそんな怪しい表情のヘークローをいぶかしみながらも木箱のふたを開ける。
「こ、これは……」
「あ、かわいい」
初めのひきつったような声はリオのもの。
感嘆の声をあげたのがクレハだ。
「ピーマンと花だな」
「お前……私に喧嘩を売っているな……」
「落ち着けリオちゃん。それはピーマンはピーマンでも、ピーマンの形をした練り切りだ」
「「ネリキリ?」」
聞き覚えのない名前にクレハとリオの頭上には疑問符が浮かんでいる。
「和菓子っていうこの国の東の方で古くから伝わる菓子の一つでな、白あんを主原料としてるんだ。んで、この間偶然セーズの街で和菓子を作れる菓子屋のじーさんに知り合ったんで、作ってもらった」
簡単に練り切りの説明をしたヘークローは自分用の三つ目の木箱から小鳥の形を模した練り切りを取り出し、一口食べる。
「ほのかな甘み…… うん、美味いな。そういえばじーさんが緑茶を飲みながら食うと美味いって言ってたな。なるほどなるほど……」
右手に持った頭を無くした小鳥の形をした練り切りをしげしげと見ながらヘークローは呟く。
「で、なんでピーマンなんだ」
「それは、これを切っ掛けにリオちゃんのピーマン嫌いがマシになればと思ってな」
「ヘークロー……」
自分のことを考えてやってくれたことだと知ったリオは感激した様子でヘークローのことを見つめている。
「ま、理由の九割は嫌がらせなんだけどね」
「ヘークロー!」
椅子から勢いよく立ちあがり声を荒げるリオだが、気付いた時にはヘークローはダイニングルームのドアから廊下に脱出していた後だった。
フィ、フィリシアちゃん……
え? あ、いや…… これはただの散歩で……
あっ、それは俺の分で……って、和菓子を一口で食う奴があるかっ……
あ、いえ…… なんでもありません。はい、仕事に戻ります……
「ったく……」とぼやきながら再び席に着いたリオとクレハにドアの向こうからこんな話声が聞こえてきた。
「ぷっ……」
先に堪え切れなくなったのはどちらだろうか。
「「あははははははははは!」」
結局二人とも堪え切れずに声をあげて笑い始めてしまう。
「はーあ、クレハ、私はな」
「ひぃ…… はい?」
リオはクレハに問われた質問に答える。
「私も、ヘークローのことは好きだぞ。もちろん男としてではなく、人として、上官としてな」
「はい!」
ヘークローのお土産に舌鼓をうちながら、少女たちの話の花は咲く。