ターニャとレルゲンがらぶらぶちゅっちゅする話   作:佐藤9999

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今回は少々短い上に説明じみていますが、どうかご容赦ください。
今話に限っては、面倒だと思ったら読み飛ばして頂いても結構です。

今更ですが、話の中で触れている帝国の文化は、1910~1940のドイツ文化を都合よく抜き出してモチーフにしています。(幅のある情報しかリサーチできかったとも言う)
なので「これは1910年台だけどこれは1940年台じゃないの?」という風に異なる時代背景が混ざっている可能性がありますが、広い心でお許しください…

PS:コミック版5巻(2017/03/26現時点では未発売)ではターニャが家(宿舎?)でバスタブに入っている描写がありましたが、今作ではそれは無かったことにしてください…




ターニャとレルゲンの温かいお風呂③ 自問自答

 

 

 朝から微妙な気分させられたが、いつまでもそれを引きずっているわけにはいかない。

 

「いってらっしゃい。エーリッヒさん」

 

 気を取り直し朝食を終えたターニャは、いつものように食器を片付け、いつものようにキスをして、笑顔でレルゲンのお見送りをした。

 

「ああ、行ってくる。留守を頼んだ」

 

 目の間で扉がとじ、ターニャは少し間を置いてからそっと扉の鍵を閉める。

 

「よし」

 

 レルゲンを見送る時、ターニャは必ず鍵を閉める音がレルゲンに聞こえないように気を使っている。なんでもないことのようだが、この細やかな気配りが大事なのだとターニャは考えている。

 他にもターニャがレルゲンの家に居候するにあたって気をつけていることは多岐にわたる。流石のレルゲンも日々の中でそれらの心配りの全てには気づいていないかもしれないが、さぞかし気が利く女だと思ってもらえていることだろう。

 

「……ん?」

 

(女…? いや、現在私の性別は確かに女なのだが、その言葉で褒められるのは複雑な気分だな…)

 

 ふいに思い浮かんだ疑問を振り払うように、頭を振りながらターニャは台所へと戻っていった。

 

 

 ターニャはレルゲンを見送った後、食器を片付け、新聞を読み、掃除をする。その後必要ならば洗濯屋に衣類を出したり、食材を買い出しに行ったりする。そして最後に夕食の準備をしてレルゲンの帰宅を待つ。これらの作業の合間合間がターニャの自由時間だ。

 自由時間には、己の趣味として書物を読んだり論文を書いたり、物思いに耽ったりして過ごす。いずれの場合も軍事や政治などが題材となることが多く、この時間で得た知見が夕食後にレルゲンと語らう時間の材料になったりする。

 

 今日のターニャは、少し考え事をしたい気分だった。

 ただ、そのテーマは決して高尚なものなどではなく、ターニャの頭の中を占めていたのは「風呂」の二文字だった。

 

 湯船につかりたい。シャワーを浴びたい。そう、風呂に入りたい。

 昨夜、眠る前に「風呂に浸かりたい」と思って以来、なぜか風呂のことがターニャの頭から離れなかった。

 

 朝に寝汗をかいたが、それは結局シャワーではなく濡らした布で身体を拭って済ませた。それが余計に拍車をかけたのかもしれない。なぜだかわからないが、今、ターニャは猛烈に湯船に浸かりたかった。温かい湯の中で、体がふやけるほどのんびりしてみたかった。

 

 一通りの仕事を終え、書斎の立派な椅子に腰かけたターニャは真剣に考える。

 家でゆっくりと湯船に浸かるにはどうしたらいいか。

 以前ならばそのような思いは些事として頭の中から排除されていただろうが、今のターニャには余計なことを考える余裕があった。

 

 

 前世の西洋と酷似した文化を持つ帝国では入浴という行為は一般的ではないが、その概念と文化自体はちゃんと市井にまで浸透していた。

 かつて前線でセレブリャコーフ少尉が「シャワー浴びたい」などと愚痴をたれていたのをターニャは見た事があるが、身体を拭ったり水を浴びたりするだけで過ごすより、偶には入浴したほうが衛生上効果的であるということは帝国では広く一般に知られている。

 帝国はもともと温泉を多く持つ国であり、温泉での保養という文化さえ存在するのだ。

 しかし、ならば風呂に入るのは簡単かというとそうでもない。

 風呂という文化はあれど、自宅に入浴できる設備を持っている家は殆ど無い。バスタブは高級品だし、浸かるほどの湯を大量に沸かしてしかも使った後に捨てるなど、庶民の発想ではなかった。

 今朝、ターニャが汗を拭うだけで済ませたのも、居候の身分で朝から湯を沸かしてシャワーを使うのは憚られたからだ。

 前世の日本では、無駄に、惜しげもなく使うという意味で「湯水のように使う」という言葉があったが、そのような恵まれた環境ですら「人の家で優雅に朝シャン」というのは気が引ける行為である。ましてや、シャワーも給湯器もやっと家庭に普及しはじめたようなこの時代だ。ちょっと汗をかいたからといって朝からシャワーを浴びるのは、慎み深い日本人の魂を宿すターニャの感性ではあり得なかった。

 

 金の問題と言えば、多少の贅沢…具体的に言えばバスタブを購入し、設置し、湯をためてやれるくらいの貯金をターニャは持っていたが、無駄遣いが許容できるような立場ではない。

 

(無駄遣い…家で風呂に入ることは……いや、無駄か…しかし…しかし公衆浴場だけは…)

 

 アームレストに肘を置き頬杖をついてぼんやりと中空を見つめていたターニャは、大きくため息をついて目を閉じた。

 

 実は帝国には風呂屋が存在する。

 自宅で入浴するということは、帝国では富裕層や貴族だけに許される贅沢だ。ならば一般市民はシャワーしか使わないのかというとそういうわけでもなく、入浴設備を家に持たない者は、家ではなく公衆浴場にて入浴するのが一般的だった。

 個人で風呂に入るのが難しいのならば、よそに入りに行くのだ。

 帝国では国民の衛生という観点から政策として公衆浴場が作られており、都市部には風呂屋が存在した。当然、ターニャの暮らす帝都ベルンにも公衆浴場は複数存在する。

 

 ターニャももちろん公衆浴場の存在は知っていた。

 だが、これまで足を運んだことは一度も無かったし、今でも足を踏み入れるのには躊躇していた。

 帝国の公衆浴場は「銭湯」と呼ぶには抵抗があるほど日本のものとは異なっている。その違いがターニャには受け入れがたかったからだ。

 

 

 帝国式の公衆浴場のメインは浴槽ではなくサウナであり、基本的に混浴だった。

 よりにもよって混浴。しかも、水着などの着用は基本的に許されず、タオルで体を隠しもしない。

 

 

 国や時代が変われば生活も変わるというのは当たり前のことだ。文化には培われた土壌というものがあり、それを外側から見た価値観で頭から否定するのは傲慢な過ちであるとターニャは知っている。

 宗教などという非科学的な基準にもとづいて異種文化を否定した結果ヨーロッパは文明を大きく後退させ、数百年にも及ぶ暗黒期を迎えたのだ。現代戦争においても「イデオロギーの対立」という概念を避けて通ることができないのは言うまでもない。

 しかし帝国の裸文化について知ったとき、ターニャは「なんと野蛮な」と頭を抱えずにはいられなかった。

 

 ここ1世紀の間に帝国は急速な近代化を遂げたが、それに対する反発が強くなった結果、自然志向が高まったという。そして生まれたのが、リラックスするべき場所では衣服を全て取り払って最大限の開放感を得ようというこの思想だ。ターニャに言わせればまさしく野蛮への回帰である。

 これは近代化とともに勃興した思想であり、歴史はさほど深くないのだが、その割に国内にはそれなりに根付いてしまっている。

 もとより禁欲的な態度をよしとする帝国の精神性が開放感を求めていたのと同時に、敢えて裸体を晒しながらそれを性的欲求と切り離すことで禁欲的な姿勢が強調される。それが帝国国民の気質とマッチしたのではないかとターニャは考察しているが、そんなことはどうでもいい。

 

 前世が男性であるターニャは、裸の女性が何人も至近距離をうろついていては落ち着けない。かといって、現在ターニャは女性なわけで、裸の男性が至近距離をうろついているのはもっと落ち着けない。それらが両方セットとくれば、もはやリラックスして湯に浸かるどころではないのだ。

 

 そうでなくてもターニャは隻腕である。衣服を着用できない浴場ではターニャの左腕はさぞかし目立つことだろう。

 そろそろ忘れられている頃だろうとは思うが、新聞や映像などに映ったこともあってそれなりに顔が知られている身分でもある。「あのターニャ・デグレチャフ」が戦傷により不遇をかこっていると宣伝するようなことになれば、今後ターニャが始末されるようなことは無くなるかもしれないが、同時に軍の怒りを煽る可能性もある。

 やはり公衆浴場に行くというのはターニャには考えられない選択肢だった。

 

「……………」

 

 

 試したことはないが、演算宝珠がなくても湯を沸かすことくらいならできるのではないか。だとしたら燃料代は節約できる。

 幸いにも体が小さいことだし、湯船もバスタブではなく大きいタライなんかだったら懐も痛まない。しかし、それではあまりにわびしいし、何より人間の入れるサイズのタライをシャワールームに置くなんて、家主のレルゲンにどう説明すればいいのか。

 ああ、前世の日本ならば、家でゆっくり湯船に浸かりたいと言ってもまさか無駄とか我儘などと非難の対象にされたりはするまいに。

 

 

 どうしたら風呂にゆっくり浸かることができるか、ターニャは様々な方面からあらゆる可能性を検討し続けた。相対した敵だけでなく、味方である帝国参謀本部のエリート達をも唸らせ続けた明晰な頭脳が最大回転し、答えを模索する。

 

 

 

 

 しばしの間を置いてターニャは、ふ、とため息をついた。

 

 

「くだらん」

 

 

 そして一言つぶやき、思考を打ち切った。

 

 

 その日、ターニャは夕食の買い出しの際につい余計なものをいくらか購入した。

 

 

 




 
文中にある帝国の裸文化、混浴文化というのは、実際に1900年台初頭に生まれ、今なお実在するドイツ特有の文化だそうです。
決してやましい気持ちで混浴だとか全裸だとか言っているわけではないんです…ただ、調べていく内にいつのまにか……


ちなみに「シャワー浴びたい」というのはアニメ版3話からです。
そして娘TYPEという雑誌には、大浴場で入浴を堪能するセレブリャコーフ少尉と、その肢体を複雑な表情で見つめるターニャという構図のピンナップポスターが存在するらしいですぞ?

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