ターニャとレルゲンがらぶらぶちゅっちゅする話   作:佐藤9999

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またしても遅くなりました…もはや次こそは早くなどとは言いませんが、ちゃんと完結はさせますのでどうか気長にお待ち下さい。
 


レルゲンの不在① ぼんやり

 

 

 穏やかな夜。レルゲンは己の書斎にて古ぼけた本を開いていた。

 

 指先でひとつページを捲ると、紙の擦れるかすかな音が耳に届く。

 年季の入った紙面の上には、平易で格式を感じさせない言葉が印刷されている。それはいわゆる大衆向けに書かれた娯楽小説だった。

 内容はサイエンスフィクション。児童文学というほど幼稚ではなく、しかし子供にも親しめる程度には噛み砕かれている。

 かつて、遠い昔、レルゲンはこの本を愛読していた。

 初めてそれを手に取った時、その内容を読み解くにはレルゲンはまだ幼かった。しかし、少し背伸びしながらもその本を読み終えたという経験は、大きな感動と達成感を伴うものだったことをレルゲンは覚えている。読書、ひいては勉学の楽しみを知った原体験だ。

 成長するにつれ、下らない本を好んだものだと恥じることもあったが、それでも手放したりすることはなかった。今ではなんとなく読み直してみることもある。そんな本だった。

 

 ふいに、レルゲンは己の住処に招いた少女のことを思う。この本を初めて読んだ当時の自分と、軍へと志願した時の彼女とは、同じ年齢だった。

 自分が他愛もない物語を読み解いて喜んでいた頃、彼女は大人の中にあって尚ひときわ優秀な成果を挙げていた。今更敢えて言うまでもなく彼女の異才は明らかである。

 しかし。レルゲンは考えずにはいられない。

 彼女の人生はいまだ短く、そしてそのほとんどが戦火に彩られている。果たして彼女は心震わせるような体験をしたことがあるのだろうか。

 

(…きっと、無い)

 

 レルゲンは椅子の肘掛けに肘を置き頬杖をつきながら、小さくため息をついた。

 幼年期を孤児院で過ごしそのまま軍属となった彼女の世界は徹底的に閉じている。常に何かに餓え、脅かされながら生きてきた中で、いかなる喜びや感動が存在しただろうか。少なくとも彼女がそれを口にしたのをレルゲンは聞いたことがない。

 仮にその機会があったとして、それを理解できる感性は彼女の中には恐らく存在しないのだろう。なにしろ、育まれることがなかったのだから。

 こうして考えてみれば、かつてレルゲンが忌避していた彼女の気質は、まさしくその生い立ちから形作られたものに他ならない。ここにレルゲンの過ちと後悔がある。

 レルゲンは、衣食住などの即物的なものだけではなく、もっと彼女の心を満たせる何かを与えてやりたかった。休日を共に過ごしたのをきっかけに、その思いはますます強くなっていた。

 

「………」

 

 レルゲンは視界の中央に据えられた文章を再認識した。いつの間にかレルゲンの意識は完全に本から離れていた。結局、本を開いてからほとんど読み進めていなかった。

 まあ、どうせ真剣に読もうと思って手に取ったわけでもない。自分自身に言い訳をするように思いながらレルゲンは本を閉じた。そしてしばし表紙を見るでもなく眺めた後、本を机の上に置いて椅子から腰を上げた。

 その時、ふいに部屋にノックの音が響いた。

 

「エーリッヒさん」

 

 扉越しに聞こえてくるくぐもった声を聞き、レルゲンは、そんな時間だったか、と思った。

 返事をすると扉が開き、先程までレルゲンの思考を占領していた少女が部屋に入ってくる。用件は言わずとも互いに理解していた。就寝する前の挨拶だ。

 規則正しく生活している彼女はおおよそ決まった時間に現れることをレルゲンは知っている。

 

 寝間着をまとった少女はレルゲンと向かい合う位置に立つと、青い瞳で見上げてくる。レルゲンは腰を屈めると、その頬に指先で触れた。

 挨拶の一環として頬に口付ける行為は二人の間ですっかり習慣となっていた。以前は少女からレルゲンにする一方だったが、今は朝と夜でどちらからするのかが決まっている。夜はレルゲンの番だった。

 指先に伝わる感触の心地よさについ指を滑らせると、少女はくすぐったそうにぴくりと首を動かした。相変わらず白い肌だったが、また少し肉付きがよくなった。それを嬉しく思いながら、レルゲンはそっと反対の頬に口付けた。

 レルゲンが体を離すと、緊張がとけたように少女の体から力が抜けるのがわかった。自分がされるのにはまだ慣れないらしい。微笑ましい気持ちを覚えながら、レルゲンは夜の挨拶を告げる。

 すると、少女は僅かに頬を染めながらなんとも言えない表情でレルゲンを見上げていたが…ふいに、柔らかい笑顔を浮かべた。

 

「……おやすみなさい」

 

 その満足げな笑みは、どうしてかレルゲンをどきりとさせた。

 

 波紋に満ちたレルゲンの胸中をよそに、少女はひらりと身軽に部屋を後にする。

 レルゲンはしばし立ち尽くしてから、また椅子に腰掛けた。即座に就寝前の身支度を始める気にはなれなかった。

 僅かに紅色に染まった少女の頬を思い返し、レルゲンはどうしてか、自分の頬が熱を帯びるのを感じた。

 いつも少女は恥ずかしがってかそそくさと去っていってしまうのだが、今日は違った。レルゲンからキスをして少女があのような表情を浮かべたのは初めてのことで、そのことがやけにレルゲンを動揺させていた。

 

 

 

 

 

 ふと気づくと、レルゲンはうっすらと煤煙の香る部屋の中に居た。

 すぐ傍の窓から見える景色は目まぐるしく流れていく。レルゲンは自分が汽車に乗っていたことを思い出した。

 

 それと意識すると、座席を揺らす振動や線路を走る車輪のけたたましい音が体に伝わってくる。

 小脇に抱えた鞄がちゃんと元あったように存在するかを無意識に確認して、レルゲンは一つため息を付いた。

 

(…夢、か。なんという夢だ)

 

 他に乗客のほとんどいない汽車の客室。レルゲンは見るともなしに周囲を一度見まわしてから視線を窓の外へと戻した。しかし薄暗くなり始めている風景には何の感慨も見いだせず、その脳裏には夢の中で見た少女の顔が浮かんでは消える。

 

 レルゲンは上からの命令によって帝都を離れ、方面軍司令部へと赴いている最中だった。

 帝都の家には留守を任せたターニャが一人。気が進まないとは思っていたが、夢にまで見るとは。

 軍属である以上、指令があればその通りに行動するのは当然だ。しかし今回の旅行に関しては、レルゲンもいささかもやもやと煮え切らないような思いを感じざるを得なかった。

 

 ターニャは並の大人をも軽く凌駕するだけの知性を持っている。しかし、演算宝珠を取り上げられたその体は、不具を抱えた幼い少女以外の何ものでもない。体調が思わしくないというのは彼女が軍務から離れるための言い訳だが、それも真っ赤な嘘というわけではなかった。

 はっきり言って、レルゲンは自分の目が届かないところにターニャを置いておくことに不安を感じていた。

 しかし、だからといって彼女を任せられる場所に心当たりなど無かった。原則を考えれば病院に預けるというのが筋だろうが、一度退院しておきながら今更病院に戻すというのも手続きが不審だし、下手を打てば彼女の正確な病状を軍に把握されてしまう可能性もあった。

 …それにレルゲンには、ここでひとたび手を離せばもうターニャは二度と自分の元には戻ってこないのではないかという予感があった。

 結局、レルゲンはターニャを一人家に残して帝都を発った。

 

「………ふん」

 

 レルゲンは自嘲するような思いでひとつ溜息をついて目を閉じた。

 寝ても覚めてもターニャのことばかりを考えている。そのことが急に滑稽に思えた。ターニャという存在は、もはやそれほどまでにレルゲンの奥深くまで根を下ろしていた。

 

(どうせ汽車を下りるまではまだしばらく時間がある。寝てしまおう)

 

 考えるのをやめようと思いながらも、レルゲンは思う。

 そういえば、かつてこれほど誰かのことを親身に想ったことなど、一度たりとてあったろうか。

 

 

 

 

 

 

 その朝、ターニャはいつも通りの時刻に目覚めた。

 

 朝の眩しい陽光と鳥のさえずりを感じながら、大きく伸びをして体をほぐし、いつものように手早く服を着替えて部屋を後にした。

 これだけならばいつもと同じ朝だが、心持ちは全く違っていた。レルゲンが居ないのだ。

 

 レルゲンが数日がかりの出張に出たのが、昨日の昼の事だった。

 

 元々レルゲンは参謀本部所属ではあったが帝都に居ないことの多い軍人だった。ターニャ自身も彼と何度か前線で顔を合わせた記憶がある。参謀本部人事部として各方面軍にも顔が利く若手で、それなりのプロジェクトを任せて単独行動をさせても問題のない有能な男だ。さぞかし便利に使われることだろう。

 ターニャがレルゲンの家に転がり込んでからひと月近くの間レルゲンが家を離れたことは一度もなかったが、この度与えられた指令によって、レルゲンは数日間の出張を命じられた。

 家主の不在という事態に一体どうなることかと気をもんだターニャだったが、幸いと言うべきか、ターニャはレルゲンの信用を得られていたらしく、彼の出張中にも家を使って良いとの言葉をもらうことができた。

 家主の居ない家に居座るのもそれはそれで気が引けるが、今更どこかへ行けと言われても困る。ターニャはありがたく家に居座らせてもらうことにした。

 留守を任せると言ってくれた彼の信頼を裏切らないよう、ターニャは完璧に留守番をこなして見せると決意した。

 そうして迎えたのが、この朝だった。

 

 レルゲンが出張に行って人が一人少なくなっただけのはずが、家事はと言えば一人分以上に減るのだということを昨夜ターニャは痛感した。

 考えて見れば当然のことである。レルゲンのために丁寧にしていたものが自分一人が過ごせればいいとそこそこで済ませるようになるのだから、かける時間が全く変わってくる。

 レルゲンの家に居候して以来、日々ターニャの日常は家事と共にあると言ってもよい。家事のない空き時間もそれなりにはあるが、飽くまでそれらは家事の間にあるものだった。しかし、その家事がそもそもなくなったとなると、途端にターニャのスケジュールは色合いが変わる。昨夜からターニャはこのことに頭を悩ませている。

 

 ターニャは自分の置かれた立場を理解している。今はレルゲンの庇護によってモラトリアムを得ているが、いずれそう遠くはないうちに己の身の振り方を決めなければならない日が来る。全ての空き時間は己の将来を少しでも良くするために使うべきであり、それをわかっているからこそ、ターニャは日々読書や論文の執筆に励んでいた。これはもはや義務であると言っていい。

 重ねて言うと、レルゲンのために時間を使う事もまたターニャにとっては義務である。

 すなわち、ターニャの1日は殆どが「すべきこと」で埋め尽くされている。そしてターニャはこれに満足を覚えていた。

 真の幸せは義務の甘受のなかにあると、とある飛行機乗りの文豪は語ったという。ターニャはこの言葉を自分なりの人生観に当てはめ、真理であると考えている。

 ターニャにとって人間とは組織の中にある精密な歯車であり、その克明な働きを過不足なく評価されていくことこそが人生だった。

 

 しかし今、ターニャはその「人生の幸福」に綻びを感じていた。

 

 論文の執筆にせよ読書にせよ、自己研鑽というのはそれなりの体力を要する作業だ。休息なしに長時間続けるのは効率が悪く、今のターニャの体力を考えれば実質無理と言っていい。

 そしてこのような状況になって初めて気づいたが、ターニャにとって家事や対話を含めたレルゲンのために使う時間は、義務でこそあったが、同時に良い息抜きとなっていた。

 つまり、レルゲンが居ない今、ターニャは自分の意志で作業を中断し、さりとて他に何かすることがあるわけでもない無為な休息を得る必要がある。それはすなわち不本意にも義務から開放される瞬間である。

 それを認識した瞬間、ターニャの胸の中に、ここ暫く蓋をしていたはずの焦りという感情が顔を覗かせた。

 

 

 朝の準備を程々に済ませると、ターニャはぼんやりと考えごとをしながら、適当に作った朝食を何の感慨もなくもそもそと口に運んだ。

 料理は美味くも不味くもなかった。そのように作った以上、当然のことである。

 

「………」

 

 こんな日に限って、失くした腕の傷がしくしくと痛んだ。

 それは猛烈に痛みというわけではなかったが、いかにも不愉快な痛みだった。

 

「痛い」

 

 どうせ誰も聞いていない。試しにターニャは口に出してみた。しかし、何かが変わることもなかった。

 ターニャはため息をついた。

 

「あぁ、いたい…」

 

 

 

 

 




 
  
夫が出張に行ってしまって寂しい新妻です。

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