石も呼符も使い果たして、☆3すら呼べなかった馬鹿な男がここにいるぞ?
つーか、期間限定☆3とかマジふざけんな。
日本、某地方都市。
「な、何だったのよ、いまの……」
駒王学園に通う少女、桐生藍華は呻くように呟いた。
現在、彼女がいるのは自宅の自室だ。先程まで頭痛に襲われていた頭を抑えながら、身体を起こす。そこで藍華は自分が床に倒れていたことを理解する。
足元には先程まで読んでいた雑誌が転がっている。ページは『紛争地域に現れた謎の看護師集団』『現代のナイチンゲールか』『目撃者は語る。“死神のような、天使たちに出会った”と』という変な海外の特集だった。藍華は特にそれに目をやることもなく、頭を振るって意識を整える。
「ソロモンとか、唯一神とか、何なのよ……。戦えって、どうやって戦えばいいのよ……。いや、そもそも何と戦うのよ」
つい数秒前まで、彼女は『天啓』という名の呪いに襲われていた。その頭痛は幻聴としか思えない奇妙な声が聞こえていた。『ソロモン』だの『人理否定式』だの『戦え』だのという言葉が聞こえてきたのだ。藍華には覚えのない単語ばかりだ。かろうじて『ソロモン』がどこかの国の古い王様だと知っていたくらいか。
耳を澄ませば部屋の外が慌ただしい。家の外まで何か騒がしい様子だ。まさかこの付近一帯の人が同じ幻聴を聞いたとでも言うのか。
「いや、そうじゃなくて……」
現状で確認すべきことはたくさんあるが、少女は純粋にひとつの疑問を口にした。
「あの声は、誰のことをあんなに怒っていたの?」
■
この宇宙『D』において、現代使用されている魔術や魔法は、伝説の魔術師マーリン・アンブロジウスが悪魔の魔力を独自に解析し、人間でも扱えるようにしたものである。
マーリン・アンブロジウス。言わずと知れた大魔術師。アーサー王伝説を始めとするウェールズの神話に多く登場する人間と夢魔のハーフ。
しかしながら、彼が生まれる以前からこの世界には『魔術』も『魔法』もあった。にも関わらず、何故、彼の作り出した系譜が主流となり、現代でも息づいているのか。これだけの影響力はどこから生まれたのか。否、そもそも何故マーリンは新しい形の魔術や魔法を生み出したのか。
その真実の一片を、魔法使い協会『灰色の魔術師』の理事、『番外の悪魔』メフィスト・フェレスは語り出す。
「――黙示録の獣トライヘキサ。世界の片隅で泥の中から誕生し、神の檻で眠り続けた彼を見つけ出せたのは、歴史上で三組。最初に二千年前、『神の子』、君たち人間が『あの御方』と呼び、僕たち悪魔が名を呼ぶのも憚る『彼』とその弟子たち」
神の子は黙示録の獣と戦うことを拒否した。倒す道を放棄した。いずれ、自分ではない誰かが彼を倒し、救ってくれると信じたが故に。
「順番が狂うが、最後が最近だ。あの鬱陶しいルシファーの息子、リゼヴィム・リヴァン・ルシファーとその配下。一緒にどんな面子がいたかは知らないし、まあどうでもいいだろう」
黙示録の獣を見つけた明星の王子にどのようなドラマがあったとしても、本筋には関係のないことだ。本人たちが知っていればよいことだろう。
「そして、僕、メフィスト・フェレスと
悪魔が滅んだ今日に間に合った良かった、とその悪魔は嬉しそうに呟いた。
「……ずっと疑問でした」
幾瀬鳶雄はこの悪魔の下を訪れた。ヴァーリの後を追うでもなく、山の翁を足止めするでもなく、他の戦場の援護に行くでもなく。山の翁から教えられたソロモンと『真理』の真実を聞いて、何よりもこれを優先した。
神の天啓という名の頭痛から解放されたばかりの彼はよろめきながら口にする。
「番外の悪魔メフィスト・フェレス。ベルゼブブに匹敵する大悪魔で、原初の悪魔のひとり。ですが、その存在が語られるのは十六世紀頃からで、十九世紀初頭にゲーテが発表した戯曲がきっかけで世界に認知されたと言ってもいい。それこそ、人類が聖書を唱えた時代には誰も貴方の名前を知らないことになる。だけど、そんなことは有り得ないでしょう?」
それは質問であると同時に確認であり、糾弾だ。
「――ああ、そうさ。僕は『真理』を利用して自分の名前を人間界から消し去った。ソロモンにアスモデウスやベリアルという共犯者がいたように、マーリンこそが僕の理解者だった。すべてはこの時のために。いずれ訪れるであろう悪魔の滅びに備えて、世界の『魔術』を発展させるために。……ファウストはともかくゲーテにはしてやられたよ」
「備えていたというのは、いつからですか?」
「そんなもの、ギルガメッシュやモーセの時代、四千五百年前からに決まっているだろう?」
ソロモンが誕生するよりも更に昔。一万年の時を生きる悪魔から考えても、それは半生をつぎ込む巨大計画。
「僕は旧魔王たちのことは大嫌いだし、リリスから生まれたわけでもない。かと言って、人間の守護者でもない。無論他の神話の味方でもない。グレートレッドと同じ『星』の側だ。この宇宙観の抑止力の末端だよ。四千五百年前、悪魔こそがこの星の進化の礎になる道を選んでしまった。だからこそ、魔法や魔術といった概念を改める必要があった。滅びの日が訪れるまで、悪魔を最も有効利用できる道だった」
「……何があったんですか、四千五百年前に」
「それは――いや、君は知るべきではないだろう。君たち人間は知るべきではない」
それ以上何か言うつもりはない、とメフィストは瞑目する。
「君たちが知るには千年ほど早い。神殺しの救世主が生まれた世界ならともかく、この世界の人間に知る権利はない」
「では、話題を変えるのです」
「フォウフォフォ、ンキュ!」
そう言うのは、金髪碧眼の美女。『灰色の魔術師』所属の魔術師にして神滅具『永遠の氷姫』所有者ラヴィニア・レーニだ。ちなみに、彼女が両手で抱えている白い獣は鳶雄についてきた謎生物だ。
「会長はかつての魔王たちが嫌いだと言っていたのです。同時に、サーゼクス・ルシファーたち新しい魔王のことは好きだと言っていたのです。アジュカ・ベルゼブブとは『ゲーム』の関係で対立関係にあるといっても、彼本人に悪感情はないと」
「ああ。よく覚えているね」
「実はあれは嘘で、新魔王たちのことは嫌いだったのです?」
「いいや? 僕は彼らのことが大好きだよ」
ラヴィニアからの問いに、メフィストは首を横に振った。それに対して、白い獣が懐疑的な鳴き声を出す。
「フォ~? フォウフォフォフォフォフォフォ~?」
「嘘じゃないよ。これまでだって今だってこれからだって、そこらへんの石ころと同じくらい大好きさ」
■
何の前触れもなく突然出現した相手を見て、サーゼクスは呆然とした。トライヘキサは目を見開いた。カルナは驚かなかった。
「シャルバ……?」
「そうだ、そうだとも。貴様らに魔王の座を奪われた負け犬だとも」
シャルバ・ベルゼブブだった。
おかしい。
何故なら、彼はすでに死んでいたはずだ。ソロモンに殺されたと、リゼヴィム・リヴァン・ルシファーが言っていた。それに、何故今の今まで、彼の存在に気づかなかった?
「裁きの時だ、サーゼクス・
驚愕から立ち直れないサーゼクスに飛びかかってマウントを取る。そして、その首を絞めつける。通常のサーゼクスであれば振り払うことができだろう。しかしカルナやゲーティアとの闘いで満身創痍になっている上、あまりに驚愕の事態に頭がついていかない。
「待っていた、待っていた、待っていたぞ、この瞬間を! ああ、ようやくだ。ようやくおまえを殺せる――遅すぎるんだよ、馬鹿野郎が!」
その罵倒はサーゼクスにではなく、己自身に向けたもの。
「しゃ、るば、待て――」
「おまえには分かるまい、サーゼクス。同胞たるクルゼレイの身体をソロモンに奪われ、己も一度殺され、魂を実験材料にされた苦痛! 異世界の技術を試すための被験体にされた屈辱! 魂を人形に封じ込まれた屈従の挙句の果てに――幻霊などという下級な存在を混ぜ合わされた絶望! それが理解できるかああああ!」
シャルバ・ベルゼブブの中には、ジャック・オ・ランタン、ジェヴォーダンの獣、ジャージーデビル、セイレーン、レプラコーン、透明人間、スプリガン、レッドキャップ、ラプラスの悪魔、ウェンディゴ、ビッグフット、犬神、天邪鬼、グレムリン――その他多くの幻霊が詰められている。その中には、この世界では英霊に届かなかった切り裂きジャックやオペラ座の怪人も入っている。
ソロモンがシャルバにこれだけのことをした理由は、ただの実験だ。魂と肉体に関する知識は『F』から仕入れた。自分が神になれるかどうかの、実験。魂の許容を試す実験。位相の昇華を知る実験。だから、ソロモンは最終的にシャルバを切って捨てた。一応は共犯者の末裔に何らかの感情があったのか。
もはや、彼が本当にシャルバというべきなのかは不明だ。肉体は人形で、魂はほとんど幻霊。精神も彼の裡から起こるものかは曖昧。しかし、そこまで魂の純度を下げながらも、一つの感情だけは本物だった。この憎悪だけは薄れない。
「魂さえ穢される屈辱に耐えたのは、何としてでもおまえを殺してみせるというただ一点のみ……! この瞬間を待っていた。私のような負け犬ですら殺せるほどに、おまえが弱るのを待っていた……!」
冥界を滅ぼしたおまえを殺す、とシャルバは吠える。魔王の座を奪われたことなど、すでに些事だ。笑ってしまうほどどうでもいい。
「全部、全部、全部、全部! 全部、おまえのせいだ……! 冥界は、おまえが滅ぼした!」
「ち、違う! シャルバ! これは異世界の魔神による悪魔への攻撃であって――」
「いいや、おまえが滅ぼした! おまえたち偽りの魔王が悪魔を滅ぼしたのだ!」
シャルバは知っている。この冥界を焼いたのが誰であるか。そこにどんな目的があったのか。サーゼクスよりも知っている。
だからこそ、犠牲者として戦犯を糾弾する。
「おまえが殺した。おまえが殺した。おまえが殺した! おまえが殺したんだ! 私たち悪魔を殺した! 魔王でありながら、悪魔を滅ぼしたぁ!」
偽りの魔王を断罪する。
「私たち真なる魔王が魔王として君臨していれば、このようなことにはならなかった! 我々悪魔はあのまま天使や堕天使と戦うべきだったのだ!」
「だが、あのまま戦えば悪魔は滅んでいた――」
「いいや、そんなことはない! 私たちの方がよっぽど悪魔を存続できたと主張できる! なぜなら、おまえは現実として滅ぼしたからだ! おまえのせいで、冥界はこのように焼き尽くされた……! 真なる魔王の闘争ではなく偽りの魔王たちの平和主義が悪魔を滅ぼした。それが紛れもない真実だからだ!」
古き魔王として弾劾する。
「ぐあっ……!」
「私! カテレアやクルゼレイ! 真なる魔王に付き従った忠実なる悪魔たち! おまえに誑かされた貴族たち! おまえのような非道な魔王に騙された憐れな民衆! これからの冥界を築いていく若き悪魔たち! 冥界の子どもたち! それら全て、貴様が殺した!」
ひとりの悪魔として、一個の生命として憎悪をぶちまける。
「や、やめ……」
「死ね、死ね、死ね、死ね、死んでしまえ! よくも――よくも私を殺したな! よくも私たち悪魔を滅ぼしたな! 悪魔もどきのバケモノめ! バケモノはバケモノらしくひとりで死んでいれば良かったものを! おまえが悪魔に混ざって生きるからこうなったんだ!!」
生まれた時から悪魔ではない。だったら、やはり、サーゼクスやアジュカが魔王になるのは間違いであった。悪魔ではないものに、悪魔の王が務まるわけがないのだ。
神に人が導けなかったように。
「違う、違う、違う違う違う違う! わ、私のはずがない! 私が悪いわけがない! だって、私は――」
「
だって、おまえがいなければこうはならなかったのだから。
たとえシャルバたちが魔王の座を追われることがなかったとしても、ソロモンの憤怒もサマエルの狂気も聖書の神の妄念もゲーティアの憐憫もトライヘキサの憎悪も止めることはできなかっただろう。だが、そこに込められた意味は変えられたかもしれない。
どれだけ思考を重ねたとしても、タラレバになってしまう。だが、この現実よりは価値がある。この燃え尽きた世界よりは救いがある。
サーゼクスのせいでこうなったのでなければ、希望も夢もないではないか。どうあっても悪魔が滅ぶなんて結末しか許されないではないか。この終焉が何かの間違いではないのならば、どうやっても悪魔には生きる権利がないと認めることになってしまう。
「嗚呼、すまない、全ての悪魔よ。この男を殺すことでしか詫びることができない。――こんなバケモノに魔王の座を奪われなければ、冥界を滅ぼさずに済んだというのに! 魔王たる私は、その座に相応しい責任がある。貴様という元凶を殺さなければならないという責任が!」
「違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う! 私は、悪くない、私は悪くない! 私は悪くない! 私が悪いはずがない! 私は悪魔を――」
「滅ぼしたんだろうが! おまえが、滅ぶように追い詰めたんだろうが! 新しい世界の礎? 天地改変のための燃料? 私たち悪魔は、石油か何かか!? ふざけるなよ、ふざけんな! 私たちは生きていた……生きていたんだよ!」
「あああ、あああああああああああああアアアああああああああアアぁ!」
「死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」
死んでしまえ、無能な王め。
それはシャルバひとりだけの罵倒などではなく、この冥界に散ったすべての生命からの怨嗟の声だった。
そして、最後の魔王――サーゼクス・ルシファーは死んだ。
決して屈さない、と吠えた女がいた。
おまえたちを許さない、と男が続いた。
自分たちの未来のために負けない。
おまえたちのような邪悪には負けない、と彼らは世界に挑んだ。
聞くに堪えない戯言だった。
見るに堪えない妄想だった。
北の神は鼻白んだ。南の魔は笑った。西の龍が呆れ、東の王は怒った。
結果として、世界は彼らを滅ぼした。
彼らの屍を築き上げた救世主は神のいない天を仰いだ。
――俺は悪魔を許すべきではなかった。
憎悪の義務の放棄。
それこそが、最新の救世主最大の罪だった。