予想は外れた。
色んな意味でな……。
俺――兵藤一誠の神滅具『赤龍帝の籠手』から、ドライグの魂が抜き取られた。
ドライグの魂が抜き出されたにも関わらず、神器はちゃんと動いた。アザゼル先生曰く、ドライグがそうなるように調節していったかららしい。……つまり、ドライグは俺の下にイリナが来ることを予想していたんだ。だけど、それを俺に言わなかった。そして、去り際のあの台詞。
『俺を倒して、おまえが‟天龍”になれ』
あの言葉の意味が理解できない。天龍はおまえとアルビオンだろうが。俺はただおまえの魂が入っていた神器を偶然持っていただけの元人間の転生悪魔に過ぎないのに。
そんな状態ではあったが、特訓は続けた。イリナや例の騎士たちのことで取り調べを受けたりして余計な時間を使うようなこともあったけど、ちゃんと強くなれた。強くなった、はずだ。
レーティングゲーム本番も近くなったある日、冥界で上級貴族によるパーティーが開かれた。若手悪魔の活躍を願う云々の建前があるけど、実際は貴族様達が酒を飲みかわす口実らしい。部長曰くだけど。
そんなパーティーの途中で、同じ眷属の小猫ちゃんが会場から抜け出すのが見えた。明らかに様子がおかしかったのでついていった。部長も途中で合流して一緒に子猫ちゃんを尾行する。
ついたのは会場近くの森。小猫ちゃんを出迎えたのは、小猫ちゃんと同じ面影を感じさせる着物姿のお姉さん。その耳や尻尾が猫の妖怪であることを明確に教えてくれた。そのお姉さんの使い魔らしき黒い猫を見て小猫ちゃんは飛び出したらしい。
猫のお姉さんの正体は、黒歌。小猫ちゃんの実の姉。かつてある悪魔の眷属だったが、妖怪の力が強くなりすぎて力に飲まれて暴走、主人を殺してはぐれ悪魔になった。妹である小猫ちゃんも暴走しないうちに処分しようという意見があったが、それを救ったのがサーゼクス様だった。そして小猫ちゃんは部長の眷属となって今にいたるが、この時の経験が元になって小猫ちゃんは猫又としての力を使うことをひどく躊躇うようになってしまったんだ。
突然の再会に困惑する小猫ちゃんに、黒歌は言う。
「冥界はもう終わりにゃん。だから私と一緒に来なさい、白音」
白音というのが小猫ちゃんの本当の名前。塔城小猫というのは部長が与えた名前だ。
「……終わりとはどういう意味ですか、黒歌姉様」
「そのままの意味にゃん。魔神柱の連中が勝っても、獅子王とかいう女神が勝っても、冥界は終わる。悪魔は終わってしまうにゃん。旧魔王派の連中も、現魔王の奴らも気づいていない。悪魔ってのはどいつもこいつも呑気なのかにゃー。自分達がどんな奴らに目をつけられているのかも知らないで」
そこには嘲りや呆れというよりも、何でか憤りが込められていた。
「だから私と一緒に来なさい、白音。貴女だって死ぬのは嫌でしょう?」
「……ふざけないでください! 貴女は一体何の話をしているんですか! 魔神柱や獅子王というのは、禍の団の一部なのでしょう? いま世界中の神話が集まって対処しようとしています。冥界が終わるという意味がわかりません」
激昂する小猫ちゃんに、黒歌はむしろ落ち着いた態度だ。まるで癇癪を起した子どもを宥めるみたいに優しく言う。
「白音。お願いだから聞いて。あいつらはね、そういう単位で考えていい相手じゃないの。そういう視点で終わっていい連中じゃないの」
優しく諭すようでありながら、その顔には強い焦燥があった。何だ? ドライグの魂が奪われたことで禍の団に対する認識が若干変わったって話を聞いたけど……。何かが違う。何かが引っかかるんだ。俺たちの認識と、黒歌の認識では何が違う?
と、ここで黒歌が俺たちの方をみた。どうやら気付いていたらしい。部長と俺は小猫ちゃんを庇うように前に出る。
「SS級はぐれ悪魔の黒歌ね。指名手配されている身でこの地に踏み入ったことを後悔させてあげる!」
「……ああ。噂に聞くグレモリーのお姫様に赤龍帝ね。悪いけど、この子は私が連れて行くにゃん」
「ふざけないで! 小猫は私の眷属よ! 貴女になんて奪わせないわ! この子は私が守る!」
「守る? 無理にゃん。私から守ったとしても、奴らはこの冥界を――」
「余計な事を口にすべきではないぞ、猫の怪異よ」
「え――?」
それは誰の声だったのか。俺の声だったのかもしれないし、隣の部長の声だったのかもしれない。黒歌や小猫ちゃんの声だったような気もする。あるいは全員の声だったのかも。
「顕現せよ。牢記せよ。これに至るは七十二柱の魔神なり」
聞き覚えのある呪文が耳に入ると同時だった。その柱型の異形を認識できたのは。
「魔神柱! 何でこんなところに」
不気味な赤黒い目玉が蠢く。一つだけではなく、その身体に張り付いた目玉すべてが一点を捉える。それは、俺に向けられたものだった。
「単刀直入に言おう。我らと手を組め、赤い龍よ。そして獅子王を打倒するのだ」
突然の勧誘だった。前ドライグだと思ったら今度は俺かよ。節操ない怪物だぜ。しかも前の時はなんか俺のこと馬鹿にしてたくせに!
「え? し、獅子王ってイリナの言っていた奴だよな? あれってお前らのことじゃないのか?」
「心外である。我らは獅子王という女神とは敵対関係にある」
ん? 禍の団の中でも色々と揉めているってことなのか? 例のヴァーリの動向が見えてこないってのも、それが関係しているのかな。
「無論、貴様にも利点はある。我らと共に来れば、貴様の兄弟の悲劇もなかったことにできる」
兄弟? なんの話だ? 俺は一人っ子だぞ?
「不知であったか。貴様には
……は?
「何の罪もなく何の責もなく、生まれずに終わった。生まれることさえ許されなかった。なんと無意味な悲劇だろう。なんと無価値な絶望だろう。我らは、そのような意味も価値もない数値として存在するだけの悲劇を否定したい。そのための手段がある」
「…………」
「だが貴様からア・ドライグ・ゴッホを奪った女神は、それら悲劇の悉くを看過するつもりだ。この苦痛しかない生態系を続けていくつもりだ。そのような醜悪が許されるものか。我らと共に来るがいい、赤い龍の担い手よ。真なる赤い龍よ。貴様ならば獅子王を倒せる。奪われたものを取り戻すために――」
「殺すぞ、この野郎」
「――何?」
難しいことは分からないよ。だって俺は馬鹿だ。
だけど理解できることが一つだけある。絶対に許しちゃいけないことを、言われたことだけは認識できた。こいつは、
俺に兄弟がいたかもしれないなんて話、俺は知らない。だけど、もしもこいつの話が本当だとしたら、父さんの想いや母さんの願い、生まれられなかったという兄弟のことも含めて、こいつは俺の家族を馬鹿にした。意味がないと嘲笑った。価値がないと見下した。
両親を殺すヴァーリと同じ、いやそれ以上の怒りを俺は覚えた。
「てめえだけは許さねえぞ、魔神柱ぅううううう!」
『Welsh Dragon Over Booster!!!!』
俺の強い怒りに、『赤龍帝の籠手』が呼応する。ドライグがいなくなったのに、こういう機能だけはちゃんと動くんだから不思議だ。
「ふむ。人間は自分を見下した相手から再評価されることに歓喜するとデータにあったが……例外はあるのか。それとも、人間ではなくなった弊害か」
こいつ、人の心が分からないなんてもんじゃねえぞ!? 今のどこら辺に喜ぶ要素があったんだ。
「アスカロン!」
俺は聖剣を神器から取り出し、異形の目玉の一つに突き立てた。だが、ほんの少しだけ肉体の表面が削れただけだった。想像の何倍も堅い! そういえば、こいつの同族である自称グレモリーは部長の滅びの力を受けてもほとんど無傷だったんだ。同じ種族であるこいつの防御力も高いと見るのが自然だったのか。
「……非力である。焼却式ゼパル!」
「がはぁ!」
一瞬、何があったのか分からないほどの衝撃が俺を襲う。
気づけば、俺は地面に倒れていた。うつ伏せの状態だ。体中に痛みが走っていて、やばいと思うのに身体が動いてくれない。まるで自分の身体じゃないみたいだ。無理やり動こうとするけどぴくぴくと蠢くだけで、起き上がることさえできない。血が大量に出たからか、意識がぐらつく。アスカロンも手元にない。どこかに吹き飛んだのか探すと、怪物の足元……根本? 近くに転がっていた。
「イッセー!」
部長の悲鳴。大丈夫ですよ、部長。俺がちゃんとこいつを倒しますから。
「滑稽である。無様である。無意味である。無価値である。やはり転生悪魔などに利用価値はない。人間の可能性はこの生命から排除されている。我が提案は間違いであったか。こうなれば聖槍使いの案に賭けるしかないな」
悔しい。本当に悔しい! こいつは俺を見ていない。兵藤一誠を見ていない。赤龍帝やリアス・グレモリーの眷属という見方でもない。人間が蜂や蟻を見るみたいに、『そういう種族』という単位でしか認識していないんだ。俺個人なんてどうでもいい。さっきの勧誘も俺が『赤龍帝だから』以上の理由なんてないんだろう。
そんな俺の指先に何かが触れた。それは何かの肉片だ。さっきアスカロンで一部分だけ切り裂いた目の前の怪物の身体。
「……なあ、魔神柱さんとやら、神器は想いに応える。俺はそれで一度、対をなす白龍皇の力を取り込んだんだ」
それを聞いて、柱型の身体に張り付いた大量の目玉がぎょろぎょろとせわしなく動く。
「貴様自分が何をしようとしているのか、分かっているのか?」
「ああ! 下手をしたら死ぬかもな! だけど、死んでもいいからおまえをぶん殴りたいんだよ!」
最後の力を振り絞って、神器に奴の肉片を突っ込む。しょうきゃくしき? ってのを受けて宝玉の部分もボロボロになっていたから、そこに無理やり突っ込んだ。
ヴァーリの時以上の激痛が走る。
「うああああああ! いってえええええええ!」
激痛なんて言葉じゃたりない。身体全体が、この怪物の細胞を拒否しているようだった。五体すべてがはじけ飛びそうな感覚だ。これで戦えるようになるというのならば死んだ方がいい、と肉体の声が聞こえてきた。それほどまでに、俺の身体はこの力を拒絶している。起き上がれないから、陸に上がった魚みたいにのたうち回るしかない。
「無茶である! 無理である! 無駄である! 無為である!」
うるせえよ! 無茶だろうさ。無理かもしれない。だけど無駄かどうかはやってみないと分からない。無為になるかどうかは最後まで試さないと分からないだろうが!
「うおおおおお! 」
『Goetia Power is taken!!!!』
「へへ、
見れば、赤龍帝の籠手は歪な文様が浮かび上がっていた。
すげえ。さっきまでの痛みが嘘みたいだ。すっと立ち上がれた。……ドライグがいてくれたら、新機能について教えてくれたんだろうな。自分でちゃんと分かるんだけど、なんだか寂しいぜ。
「想定外である! 何が起きたというのだ!」
驚愕するゼパルの言葉を受けながら、俺は立ち上がる。駆け抜けて、アスカロンを拾い上げて、そのままゼパルの肉体を切り裂いた。
「うおりゃあ!」
血らしき液体が勢いよく飛び散るが関係ない。俺に剣の技術やら経験なんてないから、我武者羅だ。木場に心得だけでも習っておくべきだったかな。
刃を振り回して一度突き刺す。さっきみたいな手ごたえはない。豆腐を切るみたいに刃がよく通る。ひたすらそれを繰り返す。相手も抵抗するが関係ない。とにかく、このどうにかなりそうな怒りをこいつにぶつけたかった。命を穿ちそうな痛みさえ俺を静めてはくれなかった。
「馬鹿な! 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!」
ゼパルは絶叫を上げる。
「有り得ない。有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない! 私は設計を一新された! 私は機能を更新された! それがどうしてたかが元人間の転生悪魔如きに遅れを取る?! 英霊ですらない、英雄ですらない人間の価値を放棄した汚物などに……! しかも私の力を取り込んだだと!? 統括局は何をしていた! 何故そのような可能性を見逃した! これは明らかな設計ミスである――!」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
俺はおまえと戦ってんだ! 俺がおまえを倒そうとしているのに、統括局だか何だかのせいにしてんじゃねえよ!
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
『Boost‼』
その無駄にでかい図体の傷口に直接手を突っ込んで、零距離で必殺の一撃をぶちこむ!
「ドラゴン・ショット改!」
「ぐあああああああぁぁあぁああぁぁぁあああ!」
赤いオーラが魔神柱のすべてを飲み込み、その身体を吹き飛ばした。跡形もなくってやつだぜ。我ながらすげえ威力だな。もう動けないくらいへばっているけど。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ……? な、何、だ、がぁ…?!」
突然の頭痛が俺を襲う。頭痛……いや、腕から身体中に電気が走ったみたいな感覚が伝わってくる。これは、誰かが見た何かの記憶だった。
『いやぁ、まあ。別に、何も?』
そんな無慈悲な言葉から始まる、彼らの旅の記憶。
■
「……ゼパルより釈明。今回の失敗は統括局の設計ミスが原因であり――」
「黙れゼパル!」
「この無能!」
「交渉下手が!」
「さては貴様が真の敵だったのか!」
「七十二柱の面汚しめ!」
「魔神柱でありながら!」
「観葉植物にでもされていろ!」
「貴様はもう時間神殿から出るな!」
「統括局よ! ゼパルの処分を要請する!」
「つまり例の病に感染している患者を貴方はこの病院に搬送できなかったということですか? それでも救急隊員ですか!」
「それは違うと思うが……。ところで彼らは何故ここまで激怒している?」
「簡単に言うと情報漏洩だね。これまでも倒されることはあったが計算の内だった。だが、ここで倒されることは計算外にも程があった。しかも肉体を取り込まれてしまっただろう? そこから冥界焼却や聖書推敲、我々の世界の存在がバレる可能性もあるんだよ」
「ゲーティアより決定。これよりゼパルの結合を強制解除する」
「なっ! 私は……何、だと? これは僥倖! ゼパルより報告!」
「ほう、最後の言葉か。言ってみろ」
「兵藤一誠は――聖書推敲を肯定した!」
今回は魔神柱会議は省略。ほとんど一緒だからね。
どの台詞がどの魔神柱によるものかはご想像にお任せします。
あと、最後の部分はゼパルが都合の良いこと言っているだけでニュアンスは違うんだからね! 勘違いしないでね!