固有結界。
それは心象風景の具現化。魔法に最も近い魔術。禁呪であり、最大級の奥義であり、魔術の到着点の一つ。言ってしまえば、現実を使用者の心に刻まれた風景に塗り替える魔術だ。
本来は悪魔が持つ異界常識であり、この魔術はその存在そのものが「世界の染み」である。異物であり、矛盾である。よって、世界の抑止力はこの魔術を修正しようとするため、一部の例外を除いて、長時間の展開はできない。
一部の英霊は宝具として、この固有結界を使用できる。クラスがキャスターでない場合や、そもそも生前魔術師でない場合もあるが、いずれも独自の性能を誇る。例えば、墓標の如き剣の丘。例えば、征服王とその臣下たちが目指した果てない地平線。例えば、マスターの夢を反映する英霊そのもの。例えば、楽園を創り出すためのゴーレム。例えば、威光を具現化した複合神殿。例えば、渇望と理想が昇華された機関鎧。ゲーティアの時間神殿もまた固有結界の一つである。
「我、つまらない」
そして、オーフィスが作り出したこの空間もまた固有結界である。この世界には、何もない。次元の狭間とは似て非なる空間。次元の狭間には廃棄物も多いが、この世界には正しくオーフィスしかいない。オーフィスの心象というよりは、『無限の龍神』の属性ゆえだろう。無限、虚無、混沌。何よりオーフィスが求めているものは、静寂だ。よって、この世界には一切の異物がない。
仮に名前をつけるならば、『龍神の深淵』。
オーフィスは最強だ。それこそこの世界原産の生命では、『神の毒』という例外を除けば、グレートレッドと封印されている666でしか相手にならない。次に強いとされるインド神話のシヴァとさえ圧倒的な開きがある。そんなオーフィスの固有結界だからこそ、この世界は修正できない。世界如きには消すことができない。むしろ無理に修正しようとすれば、世界の方に異常が発生してしまう。
ゲーティアがオーフィスに固有結界の存在を教えたのは、時間稼ぎだった。まさか本当に使えるようになるとは思わなかったが、計画に支障がないと判断されたため、魔神柱も看過することにした。むしろオーフィスがグレートレッドと戦う必要がなくなったため、計画を補ったとなったとさえ認識された。
願っていた静寂を、願っていた以上の静寂を得たオーフィスであったが、愉快そうではなかった。無感動で無表情のドラゴンであったが、本来感じないはずの退屈さが滲み出ていた。
「ゲーティア、我に構ってくれない」
ゲーティアにとってオーフィスとの出会いは余分なイレギュラーだが、オーフィスにとってゲーティアとの出会いは運命だった。当然と言えば当然だろう。同じ次元で、同じ視点を持つ相手なのだ。よく知らない666や、自分を次元の狭間から追い出したグレートレッドとは違う。
このドラゴンは果てしない生涯を送りながら、精神性がまったくと言ってよいほど育っていない。つまり、子どもなのだ。姿形を自在に変えられるが、現在は少女の姿となっている。その精神性は、その見た目相応に、下手をすればそれ以下に幼い。
その幼さゆえに、オーフィスはゲーティアの中にある『憐憫』という名の父性を見出し、求めた。しかし聖書焼却で忙しい魔神柱に、オーフィスに構っている余裕などない。オーフィスが気になる魔神柱も数柱いるが、やはり聖書焼却の計画のために奔走している。
静寂を得るための固有結界だったが、ゲーティアを相手に拗ねて逃げ出したというのが正しい。
「我、寂しい」
無表情で呟いたオーフィスの前に、二つの人影が投げ出された。どちらも血だらけだった。どちらも死にかけだ。オーフィスは特に感情を動かすこともなく、自分の前に立つ男を見た。先ほどの二つの人影をここに運んだのも、彼の仕業だ。
「どうやって入ったのか不思議そう、ではいないね。まあ、この世界は他ならぬ君の心象風景だ。気づきさえすれば、出入り自由なのは承知しているか」
その男は、一目で魔術師と分かる恰好をしていた。その男は、どこか胡散臭そうだった。その男は、幻想的な雰囲気を漂わさせていた。その男の通ってきたであろう道には、花が咲いていた。
「おはよう。そしてこんにちは、オーフィス。君の頼れる相談役、マーリンさんだよ」
花の魔術師マーリン。冠位魔術師のひとりにして、人と夢魔の混血。現在のすべてを見通す千里眼の持ち主。
「マーリン? おまえ、我の知るマーリンと違う」
「だろうね。私は別宇宙のマーリンさ。まあ、こうしていられるのも君の固有結界の中だけなんだけど」
マーリンは摩訶不思議な固有結界を観察する。固有結界とは元々矛盾しているものだが、この固有結界は性質そのものが『矛盾』なのだ。構築が矛盾しているのではなく、あらゆる矛盾を許す構築となっている。この空間ではあらゆるものが『停止』と同時に『進行』している。だからこそ、マーリンがこの世界に投げ入れた二人は死なない方がおかしい重症でありながら、死んでいない。
アヴァロンから出られないはずのマーリンであるが、この固有結界の特性ゆえに入ることができたのだ。別にマーリンのように千里眼を持っている必要も魔術師である必要もない。ただ認識するだけで、この世界に入ることができるのだ。もっとも、認識するためには千里眼が必要なので、本当に誰でも入ることができるわけではない。
「アルビオン?」
死にかけの片割れに向かって、そう問うオーフィス。返事は本人ではない誰かから返ってきた。
『オーフィスか。禍の団の頭目になりながら行方不明と聞いていたが、このような処にいたとはな』
サクソンの白い龍アルビオン。『白龍皇の光翼』に封印されているドラゴン。今の宿主であるヴァーリは絶対に怒らせてはならない相手の逆鱗に触れ、殺されかけた。次の白龍皇は誰になるのかと考えかけた瞬間、マーリンがヴァーリを助けたのだ。
『マーリンを名乗る男よ。貴様、何のためにヴァーリと美猴を助けた?』
「え? 決まっているじゃないか。キングゥへの嫌がらせだよ」
思わず絶句するアルビオン。
「あ、じゃなくて意趣返し、でもなくて、餞別だよ、餞別。あそこで、キングゥはヴァーリ・ルシファーを殺すべきではなかった。ただそれだけだよ」
端から意味のある答えなど求めていなかったのか、アルビオンは話題を変える。
『貴様。別宇宙のマーリンだと言ったな? それが本当ならば、目的は何だ?』
「一言で言うならば、様子見かな。それ以上のことをするつもりはないよ」
『様子見だと?』
マーリンという男には珍しく苦虫を噛むような顔をしていた。
「自分の撒いた種がどうなったのか見に来ただけだよ。いや、本当に予想外だった。やっぱりベディヴィエールじゃなくてランスロットかガウェインにすべきだったか。でも、法則的にベディヴィエールが一番召喚しやすかったんだよね。サーヴァントとしてではなく英霊として召喚できるのは彼だけだった。……だからこそ連鎖召喚が発生してまったのか。僕としては、エクスカリバーだけ返還できればそれで良かったんだけど。予想外と言えば、キャスパリーグだよ。あいつ、何であれほど嫌がっていたのに……いや、これはいいか。うん、どうにかなるだろう。この世界にも、それなりに美しいものはあるんだし。にしても、こっちの聖書の神様も面倒なことをしてくれたものだ」
一人で喋るだけ喋って、方向転換をするマーリン。
「じゃあ僕は帰るよ。こっちに来ることはもうない。聖剣はもういいや。ベディヴィエールや他のサーヴァントの回収は抑止力がどうにかしてくれるだろう。魔神柱や獅子王に関しては、此方の世界の人々に頑張ってもらうとしよう。特に、ヴァーリ・ルシファー君には頑張ってもらわないと。彼が強くなれば、ゲーティアの計画も失敗する可能性がある。そうなったら彼らも暇になるんだろうけど、何をするのかな」
次の瞬間にはマーリンの姿はなくなっていた。最後の台詞は、明らかにオーフィスに向けたものだった。その言葉の意味を理解したオーフィスは、自分なりに意味を反芻する。
「……アルビオン強くなれば、ゲーティア、我に構ってくれる?」
オーフィスは自分の手の中に、力を分け与えるための『蛇』を作り出す。旧魔王派や英雄派に与えた『蛇』よりも、巨大なサイズだ。
『ま、待て! オーフィス! 早まるな!』
アルビオンの制止虚しく、オーフィスは意識を失ったままのヴァーリの口に特大の『蛇』を押し込んだ。
「が、がああ■■■■■■■■■■■■■■■■!」
■
当然ではあるが、
「……………………………」
かつてと同じ手を食らった上に勝ち逃げされたことを理解したキングゥは、筆舌に尽くしがたいほどに、絶句するほどに、笑顔になるほどに激怒していた。そして、この憤怒が晴れることはきっとない。
彼の不機嫌は、狐の親子との語り合いで宥められることだろう。
■
「驚いたぞ、獅子王。よもや、其方から此処に来るとは」
「驚いたのは此方も同じだ、魔術王を騙った魔神王。いや、人王と呼ぶべきか」
「宣戦布告か? まさかとは思うが、共同戦線でも結びに来たか?」
「安心しろ。そのまさかは有り得ない。ただ、私の騎士のひとりがお前達と接触したと聞いてな。彼はどこにいる?」
「さてな。確かに時間神殿にいたが、貴様の情報を伝えたら血相を変えて飛び出したぞ。止める意味もなかったから引き止めなかったがな。用事がそれだけならお帰り願おう。我々は七十二柱の名を穢す異形を滅ぼす算段を立てるので忙しいのだ」
「いや、用件はまだある。お前達の計画は予想できる。そして、それは私にとって看過できないものだ。だからこそ、私はお前達を止める」
「ほう? 我々が地獄を焼き、天国を焼き、歴史を書き換えようとしていることを見抜いたと?」
「違うだろう。お前達の目的からすれば、それは半分に過ぎない」
「何?」
「お前達の目的は、むしろ聖書焼却の前にある。お前達が集めた神滅具――聖槍、聖杯、聖十字架がその証拠だ」
「では、言ってみろ、最果ての王よ。聖書焼却の他に、我々が何をするつもりだというのか」
「聖遺物を、十番目の指環の代わりとし、魔術王を超越した全能を手に入れることだ。唯一神の遺したすべてを、システムから吸い上げるために亜種の『覇輝』を使用する」
「…………」
「お前達自身が抑止力――ガイアやアラヤに相当する存在となる。いや、それらと融合するつもりなのか? 過去の改竄を自分たちの望むように……いや、これからの未来のすべてを貴様の裁定で決める。三千年もの間、抑止力を出し抜き続けたお前達だからこその発想だ。神滅具の所有者達は、アヴァターラのような扱いにするつもりだな?」
「……ギャハハハハハハハハハハハハハハハ! その通りだとも、死に損ない、天に成り上がった女神め! それが最も手っ取り早い方法だ。それが最も確実な手段だ。
「お前達は気づいていない。お前達の計画に致命的な欠陥があることを」
「
「ああ。敗北ではない。彼らが来るまでもない。お前達は
「ない。そんな選択肢はない。奴らが生き直すことなどできない」
「私はできると判断している」
「では貴様に何ができる? その聖槍で、あるいはこれから騎士から返還される聖剣で、目の前にある敵を薙ぎ払う以外に貴様に何ができるというのだ! 貴様では国を守ることも、民を満たすことも、臣を従えることができないと人間であった頃に理解できなかったか?」
「ではお前達に何が分かった? 七十二の個を得た程度で、すべての人間を理想に導けると? たかだか全知全能如きで、誰が救える? 他ならぬソロモン王にそれができなかったことを忘れたのか?」
「私はあの無能で無慈悲な、権利のなかった王とは違う」
「そうだな。そして、この世界は私たちの世界ではない。
「埒が明かないな」
「話が合わないな」
「私がお前を殺せば早いが、事態はそう単純ではない。貴様の首はいずれこの世界の、この時代の人間が奪いに行く。それを待っていろ」
「お互い歪な復活をしたものだ。私も此処で決着のつもりはない。自分達の計画を省みて、その欠陥を知るがいい。私に挑む人間がいるというのならば、私こそが彼らを導こう」
「貴様が負ければ、我々が人間の絶望を書き換える」
「私が勝てば、人間の希望は私が支える」
ゲーティア「我々自身が抑止力となることだ」
というわけで、これまで伏せていた聖遺物の使用方法は指環の代わり。
成功した場合、帰還派が元の世界に戻る方法はサーヴァント召喚みたいに一部分を飛ばす感じになるかな。