翌日、僕は横浜市街地から少し外れた場所にある建物の前に立っていた。其の建物は、白い石壁に円錐状の屋根――確か尖塔アーチとか言ったか、其れ等を極端に細い石柱が複数本で支えており、窓には教会の様な
先日、志蔵と別れて帰路に着いた僕は、最後の台詞は『当然!! 正位置ッ!!』にしておくべきだったか等と脳内で反省会をしながら、自宅でパソコンを弄っていた。早々にレポートを書き終えた僕は、志蔵の言っていた協力者について調べていたのである。検索
しかし、此処まで来てから気付いた事ではあるのだが、探偵社って予約とか必要なんじゃないか? こんな風に急に訪ねて話を聞いて貰える物なのだろうか。更に、追加の問題点は話を聞いて貰えたとして、何をどうやって依頼するかである。占いで不吉な結果が出たから守ってほしい、なんて言おう物なら叩き出されてしまいそうだ。とはいえ、高が都市伝説に過ぎない『横浜連続暴徒事件』の黒幕を探してくださいとも言い辛い。
見切り発車だったかと
音の発生源が気になって周囲を見回してみると、少し離れた場所にある
其の儘にしておくのも可哀想なので、バケツンの頭部である馬穴に手を掛け、引っ張ってやると軽い抵抗の後、意外とすんなり抜けた。内側と外側、両方から力を加えたからか、其れともバケツンの中の人が非力だっただけか、はたまた
何が起こったのか理解が追い付いていないのか、暫く倒れたまま呆けていた中の人だが、やがてのっそりと起き上がった。身長は僕より少しだけ高いだろうが、猫背気味なせいで視線の高さはあまり僕と変わらない。縒れたワイシャツとズボンにはバケツンの内容物だったのであろう塵がくっついていた。あまりヤル気だとか生気だとかが感じられない瞳が僕を写すと、其の特徴的な髪型――詳細を言うなればツンツンと雲丹みたいに尖らせた黒髪――を無造作に引っ掻き回しながら口を開く。
「はー、いつも通りの不幸な朝かと思ったけど、まさか助けてくれる人がいるなんて……地獄に仏とはこのことだな」
そういって中の人は手を差し出してくる。此れは……もしかしなくても、握手を求められているのだろうか? いやいや、元バケツンさんの手は塵だらけじゃありませんか。僕は特別に綺麗好きという訳ではないが、流石に此の手を掴むのは憚れる。そんな僕の躊躇いを感じ取ったのか、中の人は自分の手を見て、苦笑しながら引っ込めた。
「いやはや、申し訳ない。俺は蒲池和馬、其処の『灰狼探偵社』で探偵助手として働いている者だ」
そういって朗らかな笑顔を浮かべた元バケツンの中の人――蒲池さんは再び手を差し出してくる。どうやら鎌池さん、僕が手を取ってくれなかった理由は、まだ自己紹介をしていないからと勘違いしているらしい。しかし、二度も求められておきながら応じないというのも無作法に過ぎるというものではないかと思い、少し躊躇いがちに其の手を握る。手は後で洗えば良いだろう。
「西緒維新……大学生です」
そういって返した僕の愛想笑いをどう解釈したのか、蒲池さんは両の手で僕の手を握りしめると、幼子がやるように上下にぶんぶんと大きく振った。
「いやぁ、貴方のお陰で助かりましたよ!」
そう言いながら手を振る度に大きく揺れる、
数分後、僕は灰狼探偵社の応接室に通されていた。助けて貰った礼をしたいと、蒲池さんに連れてこられたのだ。其の蒲池さんは入口で鉢合わせた事務員姿の女性に、汚れた格好で入ってきた事を叱られて、其のまま風呂場に叩き込まれていた。余談ではあるが、其の事務員の女性――山田なぎささんと名乗っていた――は地味目な見た目ではあったが、結構な美人であった事も追記しておこう。
さて、今現在は僕一人で応接室にいる訳なのだが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。何せだだっ広い部屋の中、素人目にも高級と分かる調度品に囲まれている訳だ。しかも、生まれてはじめて入る探偵社。緊張こそすれ、
そうして、極力山田さんの方を見ないように気を付けながら、彼女の淹れてくれた紅茶を啜る。紅茶に詳しければ色々と蘊蓄を垂れたのだろうが、残念ながら紅茶に詳しい訳ではない僕としては、パックや缶の紅茶より美味しいという人並み以下の感想しか浮かばなかった。
洋杯の中身が半分位になった頃、奥の扉から少女が二人出てきた。しかも、只の少女ではない。二人とも超が付く程の美少女だ。
二人とも年の頃は十歳そこそこだろうか、背丈、顔立ち、身体付きを見る限り小学校の高学年辺りだろう。
先に入ってきた少女は幼くもキリッとした表情の美少女で、
先の日本刀の少女と変わらぬ位の長さの金の髪は、最高級品質の絹糸の様な光沢を放ち、白磁の様に白く滑らかな肌とうっすらと朱が差した頬は可愛らしさと美しさを兼ね備えていた。切子細工の様な碧の瞳は、其の金の絹髪と併せて窓から入った陽光を反射する様にキラキラと輝いている。伏せ気味の長い睫毛は、彼女の妖精の様な見た目と相俟って、触れたら瞬時に消え失せてしまいそうな儚さを演出していた。白いフリルの付いた黒いドレスは、華美ではあるが上品さを失っておらず、手に持った陶器製の
絵画の様な少女は、歩調を崩す事無く歩みを進め、僕の目の前の机を挟んで反対側に置いてある
「西緒維新……といったか」
見た目の可憐さとは裏腹に、
「ウチの従業員が迷惑を掛けたな、謝罪と、礼を言おう。申し訳ない。そして、ありがとう」
謝罪と礼。そう口にしてはいるが尊大な態度もあって、其の言葉に心が籠っているとは思えない。何よりも、二人して僕に警戒心を抱いている事が、表情に良く出ている。まあ、女所帯に男が入り込めばこういった反応だろう。良く、女子校が共学になって、主人公のハーレム状態という物語があるが、正直な話、男の妄想以外の何物でもない。良くてもいない者扱い、悪ければ村八分って所だろう。
「いや、流石に放っては置けない状態だったからな」
嘘偽りも、紛れもない本音だ。というより、あの状態を放って置ける程に薄情な人間はそうはいないだろう。そんな僕の一言に、二人共僅かに眉を顰める。まあ、二人共事情は聞いているだろうし、同僚があんな状態になっていたと考えれば、こんな表情になってしまうのは分からなくもない。
取り敢えず此処は、警戒心を解く為にも自己紹介が必要だろう。そして、僕が不逞の輩ではなく、紳士である事を知って貰うべきだ。別に、今回の話で僕が殆ど言葉を発していないからとか、美少女とお近づきになりたいからとかでは無い。断じて無い。僕は
「はじめまして、見目麗しいしお嬢さん方! 僕の名前は西緒維新! 西南戦争の西に異国情緒の緒、
僕の元気一杯夢一杯な自己紹介を聞いて、
そして、其の黒髪美少女が、恐る恐るといった風に口を開く。
「……あんたって、もしかしてロリコン?」
甲高いが耳障りでは無く、幼さを感じさせながらも凛とした声だ。まるで彼女の見た目の麗しさを、其の儘音声にした様な声。虎の異名を持つ小柄な女学生や、魔術の名門に生まれながらも魔力を持たない少女の様な声と言えば伝わりやすいだろうか? いや、伝わりにくいな。しかし、そんな可愛らしい声で言われても、
「失礼な美少女だな。僕をそんな不逞の輩と一緒にしないでもらいたい。僕は飽くまでも自分の価値判断基準に従って、美しいものを美しいと認める事が出来る素直な人間なんだ。そこに君達の年齢は考慮に入っていないし、僕の性的嗜好や興味は関与していないさ」
「そ、そう……」
遺憾の意を示すかの様に早口で捲し立てた僕に、彼女は不承不承といった感じで頷いた。髪を弄りながら、俯き気味なその顔は少し朱に染まっていた。恐らくだが、勝手に人を女児愛好家扱いした事を恥じているのだろう。しかし、其の様な表情を見ていると、僕も少しキツい物言いだった事を反省せねばならないな。相手は年下だ。此処は大人として、寛大な態度で対応しよう。
「少し言い方が強くなってしまったな、済まない」
「いや、別に……」
「仲直りの為にと言うほど親しい仲ではないが、二人の名前と年齢、身長、
「そうね……って、ちょっと待ちなさいよ! 名前と年齢はともかく、身長とスリーサイズは要らないでしょ!? 本当はロリコンなんじゃないの!?」
「いやいや、ちょっと噛んだだけだ」
「どんな噛み方よ!? 絶対本気だったでしょ!」
少し間違えただけで大袈裟な。本気で三位寸法を知りたいのなら、お前じゃなくて蒲池さんのを聞くわ! と声を大にしても構わなかったのだが、紳士たる僕は其れを口にはせず、やんわりと謝ってから自己紹介の流れに誘導するのだった。
「……鷹橋よ」
渋々といった様子で自己紹介をした黒髪美少女――鷹橋は、短く自分の名前だけを、いや、姓だけを名乗った。
「いやいや、
僕の一言に小さく呻いた後、鷹橋は顔を紅くしながら俯いた。そして、小さい口を小さく開けて小さく呟く。かなり恥ずかしそうだが、異性に名を教えるのがそんなに緊張する事なのだろうか?
「……しち……う」
「シチュー?」
随分と変わった名前だな。
「違う! 弥七郎よ! 鷹橋弥七郎!! これが私の名前よ!」
「そうか、それじゃあよろしくな鷹橋」
そういって差し出した僕の手を、きょとんとした表情で見てくる鷹橋。
「バカにしないの?」
「何がだ?」
「名前よ。男みたいで変だとか……」
なんだ、そんな事か。気にすることは無いのにな。僕なんて「維新」だぜ? 人の名前として付けるかどうかも怪しいのに……まあ、言葉の意味はけして悪くはないのだが。其れに、NISIOISINと書けば、回文の上に点対称だ。面白いだろう? だが、少女にとっては人と違うというのは重要な問題なのだろう。
「鷹橋の親が鷹橋の為を思って付けた良い名前だよ。馬鹿にする奴こそが馬鹿馬鹿しい。七は日本では最大値の吉数だ。郎には良いものをが長く続くようにと意味がある。それらを
長々と語った僕の目に写ったのは、顔だけではなく、耳まで真っ赤になって俯く鷹橋の姿だった。ふむ、考えてもみれば、思春期の少年少女にとって、両親を誉められるというのは複雑で気恥ずかしい物だろう。実際、僕も昔はそうだったしな。なんなら今でもそうだ。嬉しい半面、気恥ずかしいという思いが彼女の中で渦巻いているのだろう。
「……そ、そう、ありがと……」
しかし、素直に礼を言える辺り鷹橋は実に良い子だ。僕みたいに素直な人間なら兎も角、亘や猪上辺りは下らないことを言ってはぐらかしてしまいそうだ。そんな鷹橋を微笑ましく思い眺めていると、彼女は不満気に此方を睨んできた。
「何よその眼は。言っとくけど、私は今年で十九よ。だから、その子供を見るような眼を止めなさい」
な、なんだと……! あまりの衝撃に、言葉にすることどころか、呼吸すらも忘れてしまう。此の見た目で、まるで小学生の様な、ランドセルと吊りスカートが似合いそうな見た目で成人手前だと……!?
硬直してしまっている僕に対して、少し得意気で、其れでいて嘲笑うかの様な笑みを浮かべる。彼女が年齢通りの見た目なら、妖艶な雰囲気が出そうな表情だが、見た目の幼さのせいで悪戯を成功させた子供にしか見えない。
「その反応はもう慣れたものね。どうかしら? 子供じゃなくて残念だった? ロリコンさん」
嫌味たっぷりに言ってくる鷹橋に対して、僕は何も反応を返せずにいた。彼女の実年齢は、其れ程までに衝撃的だったのだ。何時迄経っても反応を見せない僕に、鷹橋が怪訝な視線を向けるが、段々と其れが不安の色に染まっていく。そして、僕に近付くと、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。其の、不安に揺れる彼女の瞳を見て、漸く僕の頭と身体は再起動を果たした。
「合法ロリ万歳ッ!」
「キャワァッ!?」
僕が急に大声を出したせいか、鷹橋が素頓狂な声を上げて飛び退り、其のまま金色の少女の後ろに逃げ隠れてしまった。しかし、そんな事を気にしてはいられない。僕には高橋の持つ素晴らしさを、彼女自身に知って貰うという使命があるのだから。
「鷹橋、君は素晴らしい! 此の世界の救世主と言っても過言ではない!」
「過言よ!」
「何を言っているんだ? 手が出せる年齢でありながら此のロリ度の高さ! 完璧じゃあないか!」
「ロリ度!? というか、手が出せるとか言うな!」
「あー、もう、焦れったいな! 何故、この素晴らしさを伝えるだけの語彙を持ち合わせていないんだ僕は! よし、分かった! 今すぐ結婚しよう鷹橋!」
「け、けけけけ、結婚!? 何言ってんのよあんた!? というかじわじわ近寄って来ないでよ! 来るなってば! 変態!
大財閥のお嬢様アイドルの様な台詞で罵りながら、僕を押し退けようとする鷹橋。しかし、そんな事で僕の溢れ出る愛は止まらない。鷹橋に近付き、彼女を抱き締めようとした時、肩に何か軽い衝撃を受けた。
「……落ち着かんか馬鹿者」
隣を見ると、何時の間にか椅子から降りた金色の少女がいた。僕の肩に当てられているのは陶器製の西洋煙管。白地に青い模様が美しい一品だ。其の青さが僕を冷静にさせてくれる様だった。
気付けば目の前には怯えきった高橋、少し離れた場所には汚物を見るかの様な表情をした山田女史。
「すまない。鷹橋が可愛すぎて、つい暴走してしまった」
素直に謝る僕に苦笑いで返す金色美少女。彼女が止めてくれ無かったらどうなってた事やら。市警のご厄介……なんて、勘弁だね。
「いや、構わんよ。私としても、従業員を助けてくれた恩人を、従業員を傷物にした不届き者として叩き出すのはしのびないからな」
そう言って亦、少女は安楽椅子に腰掛ける。西洋煙管を咥えているが、煙は出ていないので恐らくは伊達西洋煙管だとは思うのだが真相は謎である。其の西洋煙管を二、三度吸っては吐く様な仕種をした後に口から離し、僕を真っ直ぐに見つめてくる。そして、桜の花弁を思わせる薄紅の唇が開き、言の葉が紡がれる。
「改めて、私の名前は桜場一樹。この『灰狼探偵社』の社長をしているものだ」
静かな部屋に響く声。金色の少女は、灰色の狼を名乗ったのだった。
相も変わらず文字数の割には話が進みません。というより、文字数の多い話ほど進みが遅いですね……何故でしょう……。