軽文ストレイドッグス   作:月詠之人

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貮章

「僕、あの人苦手なんだよね……」

 

 手に持った透洋杯(グラス)の中身を煽る様に飲んだ後、呟く様にして猪上が言った。其の一言に僕と亘が首肯する。

 

「あの人が得意な奴なんて、なかなかいねえだろ」

 

 失礼な物言いではあるが、此れ(また)首肯せざるを得ない。僕は二年間、彼の講義を受けているが、彼に好意を持っている人間を見た事が無い。

 特別嫌われていると言う事は無いと思うのだが、何となく腫れ物に触れると言うか、引き気味に接してしまうのだ。本人は気にしている様子は無いのだが、此れではいけないと、僕は平素な態度を心掛けている。しかし、滲み出る様な気味の悪さというか、気持ち悪さを抑える事はなかなか出来ない。

 現在僕達は、構内(キャンパス)にある茶寮(カフェ)に来ている。僕と亘の目の前には珈琲が置かれており、猪上は金が無い為に水だけを頼んでいた。どうやら本当に何も食べていないらしく、水で腹を膨らますと言っていた。何というか、逞しい奴である。

 亘が珈琲に、砂糖と加工乳(フレッシュ)を此れでもかと言う程に入れているのにも慣れたもので、其の様子を横目に僕は其の儘(ブラック)で珈琲を頂く。

 

「本当は練乳が欲しいんだがな」

 

「毎回そんなに珈琲を甘くしてたら、病気になるぞ」

 

「甘党なんだよ。それに、人生は苦い事ばかりだからな、珈琲位は甘い方が丁度いいんだよ」

 

「ハッ、その珈琲みたいに甘っちょろい考えだな。人生が苦い事ばかりなら、そんなものを入れずに飲んで、少しでも苦味に慣れておく事をお奨めしよう」

 

 亘の戯言に、僕が直ぐ様切り返す。此れも亦予定調和である。そんな僕達の何時も通りのやり取りを、水の御代わりを頼んだ猪上が退屈そうに、拗ねた様な顔で見ていた。何だろう、仲間に入りたいのかな。そう言う態度は可愛らしい女の子がするから心打たれるのであって、男がやっても心の揺らぎは半分以下である。

 

「それより、課題どうするの?」

 

 珍しく猪上から課題についての話題が出る。そう、抑々(そもそも)僕達が此処に来た理由は、課題についての話し合いだ。

 課題については同じゼミの島田さんに詳しく聞いた所、巷に溢れる噂話や都市伝説について調べ、自分なりの考察を纏めるだけだ。

 さて、都市伝説。風の噂、街談巷説道聴塗説。言うなれば世間でまことしやかに囁かれている出所の分からない話の総称である。信憑性の有無よりも、話題性や娯楽性の高さが優先される印象が僕の中にある。香田ゼミの研究テーマの一つに『民俗学と都市伝説』という物があるのだが、今回の課題は其の一端であろう。此の手の話題は学生であればやはり気にする所なのか、教授本人の人気とは裏腹に、彼の講義は人気である。

 

「お前達はどうするつもりなんだ?」

 

 僕はまず、取っ掛かりを他人に求めてみた。僕の言葉に二人は一瞬だけ考える様な仕草を見せたが、あてがあるらしく直ぐに答えてきた。

 

「僕は友達に聞いてみるよ、そういうの詳しそうな奴がいるし」

 

 成程、僕や亘と違って猪上には友人が多い。其の伝手で調べる様だ。抑々、課題の詳細を教えてくれた島田さんも彼の友人の一人だ。

 

「俺は妹に話してみる」

 

 亘は妹さんに訊くのか。確か亘の妹さんは高校生だった筈だ。噂話や都市伝説と言った類いには興味のある年頃だろう。

 二人の話を聞いた上で、僕自身の遣り方を考えてみる。僕は友人がそう多くは無い為、相談出来そうな人は思い当たら無い。妹と言うのは良い手だとは思うのだが、僕は亘と違って妹とあまり仲が宜しく無い。彼奴等、特に一番下の妹は僕の事を舐めている節があるので、相談事をする等という()()を作りたくは無い。となると、自ずと方法は絞られてくる。インターネット等の書き込みを見るか、地道に聞き込みである。

 何方も悪くは無いと思う。然し(なが)ら、問題もある。まず、インターネット上の情報は少々情報過多な嫌いがあるという点だ。別に指定がある訳では無いのだが、裏の取りやすい此の近辺の噂や都市伝説について調べたいと思うのだが、ああ言う大規模な情報を取り扱う場所は地方的(ローカル)な情報になるほど手に入りにくい。此れは僕の勝手な印象で、実際は調べ方に因るのかも知れないが、残念ながら僕は其処までパソコンやインターネットと言った物に詳しくは無い。

 もう一つの聞き込みに関してはもっと単純だ。面倒臭い事と、知らない人に声を掛けるのが気恥ずかしい、只其れだけである。抑々、調べる事がある程度決まっているのであれば兎も角、ただ漠然と噂話を訊くだけでは何となく聞き辛い物がある。

 何か良い案は無いだろうかと考えていると、亘が此方を見て頷いているのが目に入る。

 

「……何だよ?」

 

「いや、ネットは情報過多で裏取りが面倒だし、聞き込みも気恥ずかしいとか考えてるんだろうと思ってな」

 

 な、何故それを!? 此奴、もしかして超能力者(エスパー)か!? 等と、まるで中学生の様な科白を脳内に浮かべながら、驚愕の視線を渡に向けると、亘は、彼にしては珍しく優しげな微笑みを浮かべた。

 

「……元ボッチ同士の共感(シンパシー)って奴だな」

 

「待て! 僕は別にボッチだった訳じゃないぞ!」

 

 と言うか、そんな悲しい事をそんな良い笑顔で言うなよ。

 確かに僕は(かつ)て、友達を作らなかった時がある。当時の僕の言い分としては『人間強度が下がる』からという少し痛々しい理由ではあるのだが、あの当時はあの当時で人間関係で色々あったのだ。抑々だ、前述の通り、僕は友人を()()()()()()のであって()()()()()()訳では無いのだ。今此処で、二人とこうして茶寮にいる事が、何よりの証拠である。敢えて言わせて貰うが孤独(アローン)だった訳ではない孤高(マーヴェリック)だったのだ!

 そんな意思を込めて亘を睨め付けてみるのだが、何を勘違いしたのか、亘は僕の肩に手を置いて優しく頷いて見せた。まるで、自分だけは分かっているとでも言いたそうな態度だ。

 

「そんなお前に、俺の持つ48のボッチ技の一つを教えてやる」

 

「お前、超人だったのかよ……」

 

 残る47の技もさる事ながら、後に追加されるであろう52の技も気になる所である。屁のつっぱりはいらないのだろうか。

 

「人知れず情報を手に入れる。その名も『姿なき諜報員(エージェント・インビジブル)』だ」

 

「エ、『姿なき諜報員』……?」

 

 何故だろう、こう言う謳い文句(フレーズ)を聞くと胸の辺りがザワザワとするのは。こういった、所謂中二病的な感覚は完全に捨て去る事は出来ない物らしい。其れは僕だけでは無いはずだ、誰だってそうだ、僕だってそうなのだ。其の証拠に、猪上も興味深そうに亘を見ている。

 

「いいか、まずはイヤホンと携帯を準備する。あとは簡単だイヤホンを付ける、この時に音楽は流すな、無音だ。何ならイヤホンを何にも繋げてなくていい。そして、駅前や喫茶店なんかで話してる人間の近くを陣取り、いかにも待ち合わせや暇潰しをしているかのように携帯を弄りながら話を聞くんだ」

 

「ただの盗み聞きじゃねえか!」

 

 僕の叫ぶ様なツッコミに、茶寮にいた数名の客が何事かと此方を見るが、そんな物を気にしていたらツッコミ役は務まらない。いや、別に好きでツッコミ役に収まっている訳では無いのだが、僕の周りにはボケに回る人間が多い為、僕の様な常識人は――もう一度言おう、僕の様な常識人はツッコミに回らざるを得ないのだ。

 ……何故だろう、何処からか異議を唱える声が聞こえた様な気がするが、何度でも言ってやろう僕は常識人(モラリスト)誠実な人間(モラリスト)道徳家(モラリスト)である。

 

「おいおい、人聞きの悪い事を言うなよ、一人で静かにしてたら()()()()会話が聞こえてくるだけだ。何処でもかしこでも騒ぎ立てるリア充共が悪い、俺は悪くない」

 

 相変わらずの亘節である。どうして此奴はこんなにも捻くれているのだろうか。一度だけ訊ねた事があるが、『俺が捻くれてるんじゃない、世間が歪んでいるから真っ直ぐな俺が捻くれて見えるだけだ』と捻くれた返事が返ってきたので其れ以来訊いていない。

 悪い奴では無いのだが、こう言った言動が誤解を招きやすく、勿体無い性格をしていると思う。まあ、此れも彼らしさと言う奴だ、個性は大事にしなくてはならない。

 

「なるほど、何かその方法って、スパイみたいでカッコイイね!」

 

 ……猪上、少し素直過ぎやしないか……? 此奴は此奴で心配だ。悪い女に騙されて、高価な壺など買わされない様に眼を光らせておく必要がありそうだ。信じられないだろうが、此れでいて此の男は僕より歳上である。

 しかし、正攻法とはけして言えない此の作戦、よくよく考えると悪くは無いのかもしれない。確かに常識的、道徳的には問題のある行動かも知れないが、噂話と言うのは結局的に人の口から人の口へと渡り歩く物である。情報は鮮度が命と言う言葉が何かの娯楽小説に書いてあったが、進行形で話されている物など鮮度は抜群である。少し気は引けるが、やってみる価値はあるだろう。

 其の後、暫く雑談を楽しんだ後に解散という流れになった。亘は早速課題に取り掛かるらしく、猪上は友人とゲームをするらしい。僕らは友人同士であり気も合うのだが、行動を共にする事は、実は余り多くない。疑問に思うかも知れないが、猪上は他の友人との付き合いがあるし、亘は連れ立って行動する事を余り好まない。其れでも僕は、此の関係を心地好く感じるし、此れが僕達の在り方なのだと思っている。気の向いた時に会い、語らい、巫山戯あい、そして亦各々の生活に戻る。此れも亦友情の形なのだと僕は思うのだ。そして、恐らくではあるのだが、二人もそう思ってくれているのでは無いのかと思う。

 僕は一人茶寮に残り、洋杯(カップ)に残った珈琲を見つめる。黒洞々とした夜の色をした液体を見つめていると、不意に寒さを感じた。視線を上げると、蒼天に座していた彼女は、其の身を朱に染めながら、少し西に傾いていた。

 

 

 




 今のところは書き溜めがあるので更新は早いですが、無くなると急激に遅くなると思います。ですが、なるだけ早く更新出来るように頑張ります。

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