軽文ストレイドッグス   作:月詠之人

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 今回は似非ミステリー要素が入るため、少し長めです。……過度な期待はしないでください。毎回トリックやら事件やら考えているミステリー作家の方は本当に凄いですね、尊敬します。

 追記:トリック部分を修正しました。


拾貳章

 

 数十分後、掃除が完了した部屋の真ん中で、僕と桜場は対面していた。本は本棚に仕舞われ、服は洗濯機に、お菓子は深皿に纏め、食べ滓も掃除した。僕が掃除している間、桜場は応接室にあった物と同じ型の安楽椅子(ロッキングチェア)に座った儘、読書の続きをしていた。手伝おうと言う気は一切無かった様だ。

 

「どうですか社長。綺麗になると気分が良いでしょう?」

 

「……まあ、それなりにはな」

 

 やりきった表情で訊ねる僕に対して、桜場は本から眼を離さずに返答する。人と話す時は相手の眼を見て話しなさいと、お母さんから習わなかったのかお前は?

 

「だったら、何か言うことがあるんじゃないですか?」

 

「そうだな………………君が私に対して敬語だと、何だか気色が悪いな」

 

「マジでふざけんなよ!」

 

 幾ら上司と言えど、此奴には絶対に敬語を使わないと心に決めた瞬間である。しかし、こうして見ると凄い数の本だ。出入り口の扉の周辺以外の壁は天井まで届く程の背の高い本棚で隠されており、其の殆どは小難しい洋書で埋められていた。数少ない日本語の題名(タイトル)だけ拾って見ても、伝記伝承の類いや学術書から小説まで種別(ジャンル)は様々である。正に本好きの為の部屋と言えよう。亘辺りを連れてきたら喜びそうだな……いや、彼奴が洋書を読めるのかは分からないが。逆に猪上何かは連れてきたら発狂しかねない。因みに僕も本は嫌いでは無いので、こうして本の薫りに包まれているだけでも少し心が安らぐのを感じる。……洋書は読めないから読まないが。僕が辺りを見回していると、読書が一段落着いたのか、桜場が本を閉じて此方を見ていた。

 

「……では改めて、西緒維新君。私、桜場一樹と我が灰狼探偵社は君を歓迎しようじゃないか」

 

「それはありがたいが、さっきの部屋の惨状はもう一寸(ちょっと)どうにかならないのか? 女の子なんだから、最低限小綺麗にしておくべきだと僕は思うんだが」

 

 僕の苦言に対して、桜場はつまらなさそうに目を細めて鼻を鳴らした。

 

「この男女平等を掲げる近代社会において、随分な偏見主義者だな君は」

 

「じゃあ、人間として問題があると言った方が良かったか?」

 

 僕の台詞に言葉を詰まらせた桜場は、不機嫌そうに頬を膨らませて外方(そっぽ)を向いてしまった。此の社長の肩書きを持つ少女、普段は平静(クール)を装っているが、どうやら中々に感情の起伏が激しいらしい。

 先程迄寝転がっていたからか、少し髪が乱れている。其の波打つ黄金色を手櫛で解かし乍ら、桜場が不満気に口を開いた。

 

「……君を雇ったのは失敗だったな。こんなに口煩い人間だとは思わなかったぞ」

 

 可愛らしく膨らませた頬を(つつ)きたい衝動を抑えながら、僕は苦笑する。想定外の事に驚きもすれば、叱られて拗ねる事もある。大人びている様でも、やはり未だ子供なのだ。

 

「……まあ、時間があれば、今日みたいに掃除してやるよ」

 

 妹がいる人間は歳下の女の子に甘くなると亘が言っていたが、此れでは否定が出来ないな。因みに姉がいると、歳上の女性に逆らえなくなるとは猪上の言である。間食用に持ってきていた貯古齢糖(チョコレート)で桜場の機嫌を取っていると、室内に電話の呼び出し音が鳴り響いた。音源は直ぐに分かった。 部屋の中央より少し奥寄りに置かれた、紫檀製の最高級書斎机、其の上に置かれた骨董調(アンティーク)の電話だ。全体的には木目調で、受話口と送話口は磨き抜かれた真鍮製、数字盤(ダイヤル)(ボタン)が見当たらない処を見ると、恐らくは内線用なのだろう。電子音では無く、昔懐かしの金属音で着信を告げる電話機を、桜場は鬱陶しそうに半目で眺めていた。

 

「出ないのか?」

 

「……面倒だ。君が出たまえ」

 

 此奴、僕の事を召使いか何かと勘違いしてないか? しかし、桜場のこう言った態度にも慣れつつあった僕は、特に抗議する事無く電話に出る。

 

「……もしもし?」

 

『あんた西緒? いつまで其処にいるつもりよ!? お客さんが来てるんだから、さっさと社長を連れて降りてきなさいよ!』

 

 此方が何を言う迄も無く、一方的に捲し立てられ、荒々しく受話器が置かれる音がする。其の後に流れる通話終了の電子音。鷹橋さん、中々に御立腹の御様子。鷹橋が耳元で大声を放ってくれたお蔭で、若干の耳鳴りがする耳を押さえ乍ら、僕の後ろで椅子に座った儘で不思議そうな表情を向けてきている桜場に来客の旨を伝える。

 

「……成程、了解した。それじゃあ、ん」

 

 何故か僕に向けて両腕を差し出してくる桜場。

 

「……その手はなんだ?」

 

「決まっているだろう。私をおぶって下まで連れていきたまえ」

 

「いやいや、自分で歩けよ」

 

「……使えん。蒲池君なら私が言わずとも背負ってくれるぞ」

 

 甘やかせ過ぎです、蒲池さん……。子供を甘やかせると碌な事にならないと言うのは良く言われる事なので、僕は桜場を甘やかす事無く其の手を引いて立ち上がらせて、不満気に口を尖らせた桜庭の手を引きながら歩き始める。

 橋元ちゃんが良い子なのは、彼女の持つ生来の資質も然る事乍ら、案外武宮の躾が良いのかもしれない。そんな事を考え乍ら階段を降りていくのだった。

 

 

 

 応接室の扉を開いて真っ先に目に飛び込んできたのは……掘削機(ドリル)だった。何を言っているのか分からないとは思うが、僕も良く分からなかった。さて、曖昧な描写では読者も混乱するだろうから、より明確な描写をすると、目の前に居るのは気障(きざ)な白スーツの男性だった。()つ国の出身なのか、若しくは其の血が混ざっているのか色白の肌と見事な金色の頭髪をしていた。顔立ちは整っており、色男と言う表現がしっくりきた。しかし、弱々しい印象は無い。僕の頭一つ分程背が高く、身体付きも適度に筋肉質で男性特有の力強さを感じる。さて、此処まで描写したら(さぞ)や素敵な美男(イケメン)が立っている様に感じるだろう。確かに彼は美男と呼んで良い顔立ちをしているだろう。問題は其の頭である。禿げていたりする訳では無い。抑々(そもそも)、禿げていても格好良い人は一定数以上いる。特に国外の活劇役者(ムービースター)等に多い。目の前の彼はそんな物を遥かに超える奇抜な髪型をしていた。恐らくは腰の辺りまであるであろう長髪を一つに纏め上げ、前方に角の様に()り出させている。其の様は西洋の伝説にある一角獣(ユニコーン)の様でもあり、某狩りのゲームに出てくる角の生えた甲虫の怪物(モンスター)の様でもある。兎にも角にも奇妙な髪型である。其の掘削機の君は、僕と桜場に気付くとカツカツと踵を鳴らしながら近付いてくる。

 

「……ふぅむ、今日は実に良い日だ。こんな都会だというのに、黒毛の子リスが見られるなんて」

 

「……………………は?」

 

 黒毛の子栗鼠? 何の話だろうか? と言うか何者なんだ此の人は?

 完全に展開に着いていけてない僕に、桜場がそっと耳打ちをしてくる。

 

「……市警所属の警視様だよ」

 

「警視!? この変な髪型の人が!?」

 

 僕の言葉に警視さんの動きが一瞬止まり、笑顔も引き攣ってしまった。失礼な事を言ってしまったと反省する思いもあるが、僕の気持ちも分かって欲しい。市警の警視と言う事は僕の両親の――直属では無いにせよ――上司に当たる人物である。其の人物が奇怪な掘削機頭の人物なのだ。思わず声も上げてしまうと言う物だろう。そんな掘削機警視さんは仕切り直す様に咳払いをすると、芝居掛かった口調と動作で続ける。

 

「さて、なんだかポエムでも披露したい気分だぞ。子リス相手に長ーいポエムでも詠むとするか」

 

 本気(マジ)で何言ってるんだ此の人? 頭の中が御花畑なのかもしれない。僕の可哀相な人を見る視線を物ともせず、金色の掘削機を搭載した警視殿は其の長い“叙情詩(ポエム)”を吟じ始めた。

 

「今朝方、この横浜の街で名士と名を馳せている資産家が死体で発見された」

 

「なっ……!?」

 

 声を上げかけた僕を桜場が片手で制する。彼女を見ると、黙って聞いていろと言わんばかりに鋭い眼光が飛んできた。しかし、僕が声を上げるのも無理はないと理解して欲しい。彼が口にしているのは詩等では無く、殺人事件の概要なのだから。

 

「兇器となったのは洋裁用の裁鋏(たちばさみ)だ。これで喉元をグサリッと刺されていたのだよ。刃が頸動脈を切り裂いていて、兇器は血塗れ。死因は失血死だな。室内は争った形跡があり、椅子や花瓶が倒れ、辺りは水浸しだったよ。兇器の裁鋏は被害者から離れた出入口の近くに落ちていた。そこで我々警察は、第一発見者の資産家の妻を緊急逮捕したわけだ」

 

 ……待て待て、話が飛躍し過ぎていて理解が追い付かない。何故、資産家の妻が捕まらないといけないんだ? 僕の表情から其の疑問を察したのか、警視さんが得意気な表情を見せる。

 

「簡単な話だよ子栗鼠君。兇器には二つの指紋がついていて、その片方が奥方の指紋だった。そのうえ、部屋は完全な密室だったのだよ」

 

「もう片方の指紋は?」

 

 僕の疑問は(もっと)もな物だったが、警察も馬鹿では無い。禄に調べもせずに逮捕するのは漫画の中の話であって、実際は其れなりの証拠があって逮捕に到る訳だ。だから、目の前で警視が鼻を鳴らすのを見ても、苛立ちは無く、其れもそうか位の気持ちしか沸かなかった。

 

「ああ、被害者のものだったよ」

 

「兇器に被害者の指紋? 何故、兇器に被害者の指紋が? 不自然じゃないですか」

 

「ああ、確かに少々不自然ではあるとは思うが、兇器の裁鋏はその家の物だった。何かの拍子に触っていてもおかしくはないだろう。そもそもだ、兇器に被害者の指紋が着いていたところで、容疑者の無実の証明にはならんだろ」

 

 何と無く、某裁判ゲームの主人公になった気分だった。彼もこんな気分で尋問(ジンモン)をしているのだろう。青い背広姿の奇妙な髪型の彼に、何処と無く親近感を覚えながら僕は次の質問に移る。

 

「確かに、それもそうですね。あと、密室……ですか?」

 

「そう、密室だ。現場は資産家の書斎。部屋に窓はなく、扉にも鍵が掛かっていた。そして! その鍵を持っているのは資産家自身とその妻のみ。つまり、犯行が可能なのは彼女しかいないのだよ」

 

 役者かと思う位に演技臭い言い回しと、身振りだった。と言うか、普通に僕と会話してしまっているが、叙情詩と言う設定は何処に行ったんだ? と言う疑問を表情に籠めてみたのだが、今回は汲み取って貰えず、普通に続きを話し始める。

 

「しかし、この奥方、自らの罪を認めようとしないのだよ。昨日は昼から呑んでいて記憶がないだとか、鍵は無くしただとか言い訳ばかりでな」

 

 昼からとは、随分と奔放な奥様だな。人の生活に吝嗇(けち)を付ける心算(つもり)はないが、家の事はどうしているのだろうか? と言うより……。

 

「鍵を無くした? じゃあ、別の人が鍵を拾って資産家を殺したという可能性もあるのでは?」

 

 僕の疑問に対して、直ぐに警視さんが首を振って否定する。嫌味な事に指を振り乍ら、チッチッチッと舌を鳴らす仕種付きでだ。此の仕種、漫画等では良く見るが、実際に見るのは初めてだ。

 

「いや、それは無いな。実はその鍵なんだが、昨日の昼過ぎの時点で交番に届けられていた。死亡推定時刻は昨日の夕刻から夜にかけてと分かっているから、その可能性は除外だ」

 

「でも、それでは奥さんも犯行が不可能になってしまうのでは?」

 

「そう、其処が分からないのだよ。だから私は一つの仮説を立てた。実は奥方が何かしらかの異能力者なのではないのかとね」

 

 自信満々に語る彼に向ける、僕と桜場の視線に呆れの色が混ざる。そんな物は荒唐無稽も良いとこで、若し本当に異能力者による犯罪だったとして、其れが奥方だと言う証拠は全く無い。其れ処か、犯人の候補が増えるだけだ。そんな僕達の白けた視線に気付かないのか、其れとも気にしていないのか、警視殿が大仰な身振りで話を再開する。

 

「私の考えはこうだ。少し前に暇を貰った元使用人によると、被害者である資産家はどうやら気弱な人間だったらしくてな、奥方の奔放な生活や浪費癖に辟易としながらも強くは言えなかったらしい。しかし、堪忍袋の緒が切れたというか、我慢の限界がきてしまったのだろう。兇器である鋏を持って、奥方を刺し殺そうとした。しかし、思わぬ抵抗にあってしまい、逆にグサリッとやられてしまったのだ。奥方は事件の発覚を恐れ、部屋に鍵を閉め、何かしらかの異能力で脱出した。もしくは、何かしらかの異能力で外から鍵をかけたのだ」

 

 どうだと言わんばかりの得意気な表情の警視に、僕はどう返せば良いのか分からなかった。確かに最後の異能力云々の(くだり)を除けば、全体的な辻褄は合っている様な気がしなくも無い。(ただ)、奇妙な不自然さと言うか、微妙な違和感が拭えない、そんな気分なのだ。

 

「……だが、奥方が異能力者だと証明できなくては、この推理は完成しない。其処でだ。その……うむ……エフンエフン、なんと言うかだな……ゲホンゲホン」

 

 急に態とらしい咳をし乍ら、桜場の方をチラチラと見る警視。彼女に何かを期待している様であるが、(しっか)りと言葉にして貰わないと意味が分からない。だが、其れまで黙していた桜場が、警視の態度を見て溜息混じりに口を開いた。

 

「……私の()()で、その女に真実を語らせればいいのだな」

 

「むー……まあ、端的に言えばだな、そういう話にはなるな、子リス君」

 

 何故僕に言う。どうも此の二人の間には、奇妙な空気がある。と言うより、此の警視が桜場に対しての態度が可笑しいのだ。けして目を合わせようとせず、会話も無く、一定の距離以上は近付かない。まるで、猛獣か何かと相対するかの様に、桜場を()()()()()()のだ。桜場は、片手で西洋煙管(パイプ)(もてあそ)び乍ら、此の部屋に入ってから初めて真面(まとも)に警視の顔を見る。其の瞬間、警視が気圧された様に、一歩後退りした。

 

「……昨日一日の、被害者の行動を分かっているだけ教えてもらおうか」

 

 容疑者では無く、被害者の行動を訊くのか。僕は疑問に思ったが、警視はそう思わなかったらしく、普通に話を始めた。

 

「被害者は、この所は部屋に籠りきりだったそうなのだが、昨日は朝から病院に行くと言って出掛けていったそうだ。帰ってきてからは、食事も取らずにまた部屋に籠りっきりだったと使用人が証言している。ちなみに奥方は夕刻頃には帰宅していたそうだ」

 

「この所というと?」

 

「ここ一週間くらいと、言ってたな。その時も医者に行った後だったそうだ」

 

「ふむ……傷は刺傷だけかね?」

 

「いや、傷と言うほどでもないが、注射の痕があった。まあ、医者にいったのだから不自然ではないだろう」

 

 其れを聞いた桜場は持っていた西洋煙管を咥え目を閉じる。

 

「……最後に一つ。被害者に子供はいるかね」

 

 子供? 何故、そんな事を訊くのだろうか。事件とは関係の無さそうな質問だったが、警視は律儀に答える。

 

「ああ、前妻との間に娘が一人。既に自立して家を出てはいるがな。今の奥方は娘が家を出てから娶った後妻だ」

 

 西洋煙管を咥えた儘、目を閉じて黙って聞いていた桜場だったが、(おもむろ)に西洋煙管から離した口を開く。

 

渾沌(カオス)の欠片は出揃った。今から私の中の知恵の泉が再構成をしてくれる」

 

 渾沌だとか、知恵の泉だとかは良く分からないが、口振りから察するに事件の真相が分かった様だ。

 

「それで、奥方の異能とは何なのだね子リス君」

 

「いや、僕に訊かれても困りますよ……。さく……社長に訊いてください」

 

 僕と警視の遣り取りを白けた目で見ていた桜場は、ゆっくりとした動作で歩みを進め、安楽椅子に腰掛ける。そして、小さく欠伸をしてから口を開く。

 

「桜場警視。君の頭は随分と愉快だな」

 

「誰の所為だ!!」

 

 桜場の科白に警視が心外だとでも言う様に大声を出す。警視さん、好きで其の髪型と言う訳じゃ無いんですね。しかも、警視の言い分では桜庭の所為であんな髪型になっている様である。いや、そんな事はどうでも良い。其れよりも、彼奴今、()()警視って呼んだか? 真逆、此の掘削機警視、桜場の血縁者か何かなのだろうか。僕のそんな疑問には触れられず、桜場が淡々とした口調で言葉を紡ぐ。

 

「愉快なのは頭の中の話だよ。いや、外側も十分に愉快なのだがね」

 

 小馬鹿にする様な科白と態度に警視が歯嚙みをする。しかし、警視の反応など意に介さず、桜場は其の淡々とした口調の儘で話を続ける。

 

「確かに君の回りには、私を含めて幾人かの異能力者がいる。だがね、それだからといって、少しばかり自分の理解の及ばない事があったからといって、何でも異能の所為にするのは思考の停止というものだよ。それは知性の墓場だ」

 

「むむむ……な、ならば、異能力無しで、密室から脱出する方法はなんだと言うのだね子リス君!」

 

 だから、僕に振るなよ……。相変わらずの警視の対応に疲れてきた僕は、口に出して突っ込む事はせず、話の続きを促す様に桜場を見る。

 

「無くはないが、その奥方には無理だろうな」

 

「じゃあ、鍵無しで外から施錠を?」

 

 しかし、僕の問い掛けにも桜場は首を振って見せる。それでは密室はどうやって作られたと言うのだろうか? 揃って首を傾げる僕と警視の二人を見て、桜場が盛大に溜息を吐く。殆々(ほとほと)呆れ果てたと言った様子だ。

 

「全く、君達の無能さには、呆れを通り越して感心するよ。いいか、鍵をかけたのは奥方ではないのだよ」

 

「鍵をかけたのは奥さんじゃない……?」

 

 僕の呟きに反応したのは、桜場ではなく僕の隣にいる警視だった。

 

「ば、馬鹿を言うんじゃない! それでは、鍵をかけられるのは()()()()()()()()()()だけではないか!!」

 

 声を荒げる警視を睥睨(へいげい)する桜場。其の鋭い視線に気圧された警視が押し黙る。全身に伸し掛かる様な重さを纏った空気の中、桜場だけが平然としていた。

 

「そういった心算だったが……理解できなかったのか?」

 

 馬鹿にする様な口調であり乍らも、有無を言わせない威圧感を孕ませていた。刹那か劫波か、時間の感覚を忘れる程の静寂と重苦しい空気の中、僕はやっとの思いで口を開く。

 

「待ってくれ、だったら被害者は誰に殺されたんだよ。誰もいないのなら、資産家を殺せ……」

 

 其処迄言ってから気が付いた。そうだ、いるのだ。たった一人だけ、無人の密室内で資産家を殺せる人間が。警視殿も気が付いたのだろう。目を見開いて、酸素の足りない魚みたいに口を喘ぐ様に開閉させ、小刻みに震える指先で桜場を指差した。

 

「ま、真逆、貴様……被害者は、資産家は、()()()()()()()()()()()()と、そう言いたいのか?」

 

 僕の視線と、警視の言葉を受け、桜場が満足そうに首肯する。

 

「その通りだよ。これは他殺などではない。回りくどい自殺なのだよ」

 

 フッと口の端を歪めて笑って見せる桜場に、警視が掴み掛からん勢いで迫る。

 

「馬鹿な! ありえん! 兇器は被害者から遠く離れた場所にあったのだぞ!?」

 

 呆れたような視線を向けながら西洋煙管を空吹かしする桜場は、面倒臭そうに口を開く。

 

「……言語化するのも面倒だが、このまま黙っている方がもっと厄介か……仕方がない、説明してやろう」

 

 そう言った桜場は、椅子に座った儘で西洋煙管を教鞭の様に振るう。其の姿はやはり何かの絵画の様で、妙にしっくりくるのだった。

 

「良いかね、君達が見つけたと言う兇器。それは兇器ではないのだよ」

 

「なっ……!?」

 

 声を上げようとする警視を桜場の鋭い眼光が射貫いた。黙って聞いていろ、と言う言葉が其の視線から伝わってくる。

 

「資産家は部屋に鍵を掛け、兇器と見せ掛ける為の裁鋏を扉の前に置いた。そして、氷で作った刃で自らの首を刺したのだ。真の兇器は解けて無くなり、偽の兇器が残る。家捜ししてみろ、裁鋏に良く似た形の型と、偽の兇器に付けるために血を保管してた容器が出てくるだろう」

 

 其処迄を言い切ると、休憩をするように西洋煙管を咥えて目を閉じる桜場。まるで、探偵小説の世界に紛れ込んでしまったかの様だった。陶人形(ビスクドール)の様に美しい少女探偵と、奇妙な警視、そして、どう仕様も無く凡人な僕。探偵小説の登場人物にはお似合いではないか。そんな意味の無い事を考えていたら、再び訪れた静寂を警視が打ち破った。

 

「……さぁてと、私はそろそろ帰るとするかね」

 

 そう言って出入口に向かう警視の前に僕は立ちはだかる。

 

「なんだね子リス君。私はこう見えても忙しいんだが」

 

「お礼の一言くらい、あっても良いんじゃないんですか……?」

 

 此の二人がどう言った関係なのかは知らないし、二人の間に何が在ったのかも分からない。しかし、急に訪ねてきて、勝手に事件の概要を聞かせて、真相が分かったら何も言わずに帰るなんて、流石に失礼が過ぎると言う物だろう。僕の頭半個分上にある警視の目を、見上げる様にして睨む。

 

「ふむ、それはすまなかったな。私の長いポエムに付き合ってくれてありがとう、子リス君」

 

「僕にじゃない! 桜――」

 

「――西緒」

 

 けして、大きな声と言う訳ではなかった。だけど、呟きにも似た其の声は、僕の耳に響き、言葉を止めるには十分過ぎる程の効果があった。

 

「気にすることはない。いつもの事だ」

 

「だけど……」

 

「構わんさ。警視、帰るのだろう。ならば早く帰りたまえ」

 

 そう言って追い払う様に手を振る桜場。其れを見た警視は、僕を一瞥してから鼻を鳴らし扉を開く。少々恨めしい気持ちで警視を見ていると、今まさに部屋を出ようとしている彼の背中に、桜場が声を掛けた。

 

「桜場警視、資産家の主治医に話を聞きたまえ。彼が鍵を握っているよ」

 

「なっ、それはどういう……」

 

「忙しいのだろう? 早く帰ったらどうだね」

 

 冷たい目で言い切った桜場は、もう話す事は無いとでも言う様に、目を閉じる。其の姿は、(さなが)ら等身大の仏蘭西人形の様だ。歯嚙みをし乍ら、暫く桜場を睨み付けていた警視だったが、埒が明かないと思ったのか荒々しく扉を開いて出ていった。

 暫くは警視の出ていった扉を見ていた僕だったが、何とは無しに桜場を見ると、彼女の口角が少しばかり上がっている事に気が付いた。してやったりとでも言う様な表情に、僕は思わず笑ってしまった。そんな僕の笑いにつられたのか、其れとも彼女も我慢の限界だったのか、小さく噴き出す様な音の後、桜場の可愛らしい笑い声が聞こえた。呵々大笑、思う様笑った僕は、少しばかり気が晴れた気がした。

 

「それで、主治医が鍵を握っているというのは?」

 

 

 散々笑った後、少し呼吸が落ち着くのを待ってから桜場に質問した。密室の謎は解けたが、まだ謎はある。兇器が氷で型どった裁鋏なら、どうして本物の裁鋏に迄血が付いていたのか。抑々、肝心の動機が分かっていない儘ではスッキリしない。

 

「ああ、注射の痕があると言っていただろう? あれは、採血の痕だ。その血を裁鋏につけて兇器に見せかけたのだ。ならば、主治医はある程度は話を知っていたのだろう」

 

「なるほどな。そもそも、何で資産家はそんな回りくどい自殺をしたんだ?」

 

「何、難しいことではないよ。病院から帰ってきて部屋に籠ってしまう程の出来事があった。つまりは、末期的な病が見つかったのだろう」

 

「それで? 何で自分の妻に罪を着せるような自殺をしたんだ?」

 

 質問を繰り返す僕に、桜場が呆れた様な視線を向け、其の視線から想像するに難くない声音で言った。

 

「少しは自分で考えてみたらどうだね? 自分の死期を悟り、自分の財産がどうなるかを考えてみろ」

 

 そう言われて気が付いた。浪費家の妻、子供の有無、其処から考え付くのは一つだ。

 

「遺産か……」

 

「そう、死期を悟った資産家はこれ以上、自分が死んだ後まで財産が好き勝手されるのを良く思わなかった。妻が自分を殺した事になり、逮捕されれば、妻に遺産は行かず、全て血を分けた娘に行く事になる。だから、病で死する前に、自ら命を絶ったのだよ」

 

 何とも虚しい話ではないか。真実が明るみになり、奥方の無実が証明されれば、亡くなった資産家の願いは叶わない。勿論、無実の人間が捕まると言うのを望む訳では無いが、自らの命を捨てて迄の行動が無駄になってしまったと言うのでは、資産家が報われない。確かに奥方は無実なのだろうし、悪人では無いのだろう。しかし、悪人では無くとも善人とも限らない。善良では無い人間が得をする結果になってしまうのは、何とも牴牾(もどか)しかった。

 

「……世の中、そんなものだよ」

 

 僕の心を見透かした様に桜庭が呟いた。彼女は職業柄、そう言った人間の醜い部分や、儘為らない世界の仕組みと言った物を僕より多く見てきたのだろう。但、其の低語には少しの憐憫が混ざっている様にも思えた。

 

「ところで、警視って何であんな頭をしてるんだ?」

 

 重くなった空気を変える為に、話題を変えてみる。急な話題の変更に、一瞬不思議そうな表情になる桜場だったが、直ぐに話題に乗ってきた。

 

「ああ、あれか? あれは、昔依頼料の代わりに、外出時には一生あの髪型でいることを命令したんだよ」

 

 なんて酷い事を……。少しだけ、あのいけ好かない警視に同情してしまった。彼の行動全てを許せる訳では無いが、桜場に対する態度の理由は何となく分かった。其の後、少しだけ桜場と話をした。警視が実は桜場の兄である事、海外の学校に留学していたが、飛び級に飛び級を重ねて直ぐに卒業してしまった事、近所に美味しい洋菓子屋が出来た事、少しずつ少しずつ、ゆっくりとだけど、桜場の事を知れるのは喜ばしい事だった。僕と彼女の雑談は、額に青筋を浮かべた鷹橋が怒鳴り込んで来る迄続いたのだった。




 ……書き終わって、投稿する前に読み返してみて、何処かで聞いたような内容だなとか思ってしまいました。でも、思い出せません。似たような内容の物を知っている方、もしいらしたら教えてください。

 追記:修正前のトリックはアルターソウルさんのご指摘により『名探偵コナン』に使われていたトリックと判明しました。修正はしましたが、これはこれで、何かと被っていそう……。これが筆者の限界です。話の流れを変えないように書いたので、違和感や矛盾があるかもしれません。

 お陰さまでお気に入り登録数も100を超え、UAも5000に届きそうです。本当にありがとうございます。まだ先は長いですが、完結までお付き合い頂けたらなと思います。

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