狂女戦記 作:ホワイトブリム
長考の後にデウスは考えておくと言って消えてしまった。それと同時に止まっていた時が動き出す。
それとほぼ同時にトイレへと駆け出すクレマンティーヌ・エステル。
勝手知ったる修道院なので案内は不要。しかし、我慢してたどり着いた先では熱心に性行為中の子供が居た。
「………」
相変わらず混沌とした場所だと思いつつ中に居た者達を殴って昏倒させ、排除する。
空間を作った後で下水への穴を軽く見ると死んだ胎児らしき肉の塊が積み重なっていた。中には辛うじて動いている者も居たがエステルは構わず用を足す。
暢気に助けてはいられないし、助ける気も無い。
事が終わると精神的にも肉体的にもすっきりしたが、問題は残っている。
「〈
便利な魔法に感謝の意を表しつつ行使する。
神との対話を終えたばかりだが本来の目的を果たさなければならない。
この場所が昔のまま混沌としていれば浄化するのが神の信徒としての責務だ。
改めて
「……改善を要求したいが……、貴女達では何も出来なさそうだね」
「善意が無ければ何もできません。……残念ながら我が修道院は万能ではありません」
言われずとも分かっている。
だが、それでも周りの現状を変えようとはしなかったのか。大人として努力はしたのかと聞きたいところだ。
逆の立場ならばきっと、どうすることも出来ない事を神に懇願するか、一方的に恨む。
欲深い人間は結局のところ我がままである。
「……ならば今すぐ天に召されませ。後は神の信徒が綺麗に致しますよ」
「……そんな……」
ここは地獄だ。それを見て見ぬ振りをする大人が居ては子供たちが不幸だ。
エステルは神より貸与された『エレニウム工廠製九五式演算宝珠』を起動させる。
「我は敬虔なる信徒である。天に
黄金の瞳に輝く小柄な少女は物騒な文言で威圧する。しかし、その身は光り輝く天使に
敬虔なる信徒である
言わんとすることは理解出来るが自分達の今までの苦労は分かってほしいという思いがある。
誰が好き好んで荒廃を選ぶというのか。
倫理観や貞操観念が崩れているのは戦争と時代、そして無力な大人たちのせいだ。
だからこそ自分達は日頃から救いを求めて祈っている。
★ ★ ★
祈りがどれだけ厚かろうとエステルには関係ない。
同情の余地があるとしても変革は必要だ。
確かに彼女たちには荷が重く、事態を変える能力が無いかもしれない。けれどもそれをそのまま放置して良い理由にはならない。
逆の立場ならば皆殺しだ。
優先順位を間違える事は確かに
「命を投げ出さず……、他人に責任を転嫁するか……」
素直に自害するほど人は強くない。責任感もない。けれども言葉は強く発せられる。
お前たちに言われる筋合いは無い、と。
もちろん修道院を一つ潰したところで意味は無い。
こんな地獄の様相を呈している建物など他にも探せば出てくる。だが、今は目の前の事が大事だ。
「〈
四つの隅に移動しつつ計四回魔法を唱える。
迂闊な命令をすると外の部下達にも妙な効果が及ぶかもしれないので、まずは全員を一箇所に集める。動けない者は協力して運ぶように命令する。
洗脳系の魔法を使えば何ごとも楽に進むのではないかと思われるが、他の国との戦争があり、世界の様相を把握していない。それと自分はこういう魔法は個人にしか使いたくない。
現地の人間でこの魔法を無効化出来る者は演算宝珠を持っている者に限られる。だからこそ万能とはいいがたい。
何より、この手の魔法を感知する機能があるらしい。
「外出している者達の情報を包み隠さずに教えてね」
そうして手間をかけつつ情報を集めた後、外に出る。
銃殺や刺殺する方が早いかもしれないが、あまり目立つ行動は捜査機関に指摘された時、弁明できないおそれがある。
特に自分は殺しを楽しむ傾向にあるので迂闊な発言で拘束されそうな予感がする。
そんな事を考えていると部下達が集まってきた。
「拝礼ならばお供しましたのに」
「ごめんね。……でも、外からでも祈りは捧げられるよ。……ああ、それと君達は中に入らない方がいい。その手に持つ武器が大活躍するかもしれないから」
不敵な笑みを浮かべるエステルの物騒な発言にそれぞれ顔を青くする。まさか中に居た人間を殺してきたのではないかと思ったので。
返り血などは確認出来ないが、勝手に民間人を殺害してはいけない。なにより教会関係者を手にかけることは重罪でもある。
悪いと分かってエステルの武器を改めさせてもらう事にした。これは例え上司だろうと見逃してはいけない問題だ。それにエステルは直属の上司ではない。
「いいよ。私はここからもう一度、神に祈るよ。君たちも一緒にどうかな?」
「は、はあ」
受け取った武器『スティレット』に血の跡は無く、自分達の標準宝珠でも異常は確認されなかった。
中で何が起きたのか確認するには自分達自身が教会に入らなくてはならない。
エステルの言では尋常ならざる光景が待っていそうだが、ひとまず祈りだけは付き合う事にした。
★ ★ ★
部下達が教会に向かって片膝を付く姿勢で手を組み、静かに目を閉じて祈りを捧げる。
文言は天に
他人に聞かせるための者ではないので。
神に対する畏敬の念さえあればいい。
半ば黙祷に近い行為から数分後に異変が起きる。
ドシャ。
音としては高い位置からゴミ袋を落としたようなものに近い。それから苦悶する人の声。更にまた何かが落ちる音と共にかき消されていく。
異常に気づいた部下が祈りを中断するもエステルは未だに祈りの最中だ。
駆け出す気持ちを優先すべきか、それとも気にするのをやめるか。
迷う部下が居る中で音は連続して聞こえてくるし、嫌な予感が広がっていく。
「ま、まさか……、まさか……」
エステルによって何かされたのか。いや、それよりも確認しなければならない事がある。
ローラン・ヘルダーリン学生は教会の裏手に回ろうとした。だが、ここでエステルに顔を向ける。
迂闊に駆け出せば自分は殺されるのではないか、という殺気を感じた。
命令されたわけではない。なによりエステルの暴挙を確かめなければならない。
場合によれば彼女を本部に突き出さなければならないし、犯罪に加担する気も無い。
「……ローラン学生」
静かに名前を呼ぶのは小さな少女エステルだ。
祈りの姿勢を崩さない様は先ほどまで神々しい存在だと思ったのが今では嘘のように感じられる。
この女は危険だと身体*2が通告してきた。
「もう少しここに居なさい。私は逃げはしないよ」
「や、やはりっ!」
「だけどねー。神の信徒たる私の行動に君たちが異を唱えるのは冒涜ではないか? その辺りをよーく考えて行動したまえ。……それにいい音じゃないか。異教徒の呻き声ではない。敬虔な信者たちがその身を神へ差し出す音だよ」
うっとりと言葉を紡ぐ少女の瞳は黄金に輝いていた。
思わず手持ちの銃をエステルに向けてしまうローラン。だが、即座に他の仲間達が取り押さえる。
彼らはエステルの命令によって行動したわけではない。
迂闊な暴挙を止めようとしただけに過ぎない。
ここで事を起こせば銃殺刑しか待っていないぞ、と。
多少は手荒だったかもしれない。けれども今は何もしない方がいい。
それはエステルの首から下げられている演算宝珠が今も
向かったところで手遅れだし、何も出来ない。そう小さく彼に告げる。
ドシャ、ベグッ、確かに何かが落下している。それも連続で。
その正体にもし気が付けば大声で叫んでしまうかもしれない。いや、それを知らないように必死に務めている自分を自覚する。
エステルはここに居る。なのに音が止まらないのはどうしてなのか。
「君達がやるべきは私の捕縛ではない。世の中の不浄を清める事だ。その為に君達は祖国の為に戦っているのだろう?」
「……しかし」
ドシャ、グシャ。
話し*3ている最中にも嫌でも聞こえてくる鈍い音に彼は身体をびくつかせる。
「……あそこには使われていない墓石がたくさん置かれていたから……、派手に飛び散っているだろうねー。でもまあ……、集団自決とは悲しい事だ。私が
わざとらしく言うエステル。
堅い墓石に落ちれば助かる確率は低くなるし、万が一助かっても五体満足ではあるまい、と。
だが、その場で銃殺しなかったのはどうしてなのかとローランと他の者は思った。
持ち武器の短剣を使う選択もあったはずだ。それとも、と考えを巡らせようとすると嫌な予感が強くなってくる。
「そろそろ本部に応援を頼まなければ……。死体処理はどこの管轄だったかなー?」
ニッコリ微笑んだまま残酷な言葉を告げるエステル。
小さな少女とは思えない悪魔的な笑みにそれぞれ見えた。
★ ★ ★
音が止んだ後、重い足取りのまま司令部に連絡を入れる。
現場は凄惨を極めていて直接見る勇気は部下達には無かった。けれども、先にエステルが様子を見に行って楽しそうにはしゃいでいた姿は記憶に焼きついてしまった。
演算宝珠の輝きは既に無いのにいつもと変わらぬ様子のエステル。
宝珠の影響だと思い込んでいたが、そうではないのかもしれない、という恐ろしい事実に戦慄し始めたので必死に考えを散らす努力をした。
「……少し範囲外だったかな……? でもいいや。義理は果たしたよー」
空を見上げつつエステルは告げた。
焼け石に水かもしれない。けれども一つの時代を浄化した。
後から来る者が同じ徹を踏むかもしれないが、もはや関知する義理は無い。
この地での自分の役目の一つは終わったのだから。
現場が慌しくなった頃、実況検分などに借り出されるエステルは元気はつらつと質疑応答していった。
主犯格の分際で、とローランは思うのだが、また宝珠を使用して今度は現場に居る全員が自殺に追い込まれるかもしれない。
死体を集める人員は現場の凄惨さに悲鳴を上げたり、嘔吐する者が多数にのぼり、仕事は遅々として進まなかった。
★ ★ ★
深夜まで続いた作業が一段落した後、現場待機を命じられていたローラン達は口封じの恐れを抱いていた。
しかし、学生身分の自分達に軍の上層部を相手に何ができるのかと仲間内で意見を交わしてみるも答えは出ない。いや、出るわけがない。
「遺書はきっと……改竄されるんだろうな」
「暗号にしてみるか?」
「その授業はまだ習ったばかりなんだ」
気だるげに話し合う男連中の下に悪魔の申し子たるエステルが姿を見せる。
「神に祈りを捧げたのに浮かない顔だねー」
「……よく言う、この悪魔が」
直属の上司ではないが階級が上の者に逆らう事はご法度だ。それを分かってローランは悪態をつく。
エステルは口を軽く結んだもののすぐにニコリと微笑む。
嫌な事があれば気持ちが荒むものだ。だから、ローランも今は不機嫌なだけだと思った。
「私の事をどう思おうが好きにしなよ。……興味があるなら教会の下水道でも調べてみるんだね。……本当の地獄って何なのか……、何となく理解出来るかも……しれないよー」
「……う」
教会の下水道。それだけで更に嫌な予感がする。
それを確かめる勇気が今の自分にあるのかとローラン達は問いかける。
答えはすぐに出た。
そんなものは無い、と。
「国は弱者を救済する余裕がありません。だからこそ戦争を早期に終わらせなければならない。そんな単純な事に我々は長い時間をかけて取り組んでいるのです。……でも、一部の富める者は弱者救済より大事な事に気づくのです。奴らは放っておけ。勝手に死に行く者に払う金貨は一枚たりとも無いのだと……」
歌うように言いながら男所帯に割り込む幼い軍人のエステル。
身体の大きい彼らが本気になればいとも簡単に取り押さえられるほどの体格差があった。
そんな彼らでさえ異様なエステルに近づくことを今は躊躇う。
手を出せば死ぬ、と身体が警告を発する。
★ ★ ★
静かに手を合わせ黙祷を始めたエステルはその後、物騒な話しはせずに去って行った。
何か警告でもしにきたのかと危惧したのだが、翌朝になっても応援から非常呼集のようなものは発せられなかった。
現場検証が翌日も続いたがエステルは気軽に散歩を続けたり、近くの町で買い物が出来ないか模索していたりと気楽そうな雰囲気だった。
ローラン達は教会の上から落ちて墓石に叩きつけられる音が耳から離れず、少し寝不足気味に陥っていた。
「うわっ、酷い顔になったねー」
無邪気に笑うエステルを少し睨みつける男連中。しかし、相手は階級が上だ。手を出せばただではすまない。しかも今は人が多すぎる。
「誰のせいだと思っているんですか」
「私は無実だよー。悪いのは世の中。……それに彼らを哀れむ前に真実を調べたらどう? それでもまだ私が悪いと言い張れるのなら、君は素敵な軍人さんだ」
「言われなくても……」
「君らの行く末の邪魔をする気は無いけれど……。別に私は君たちをどうこうする気はない。もちろん、敵になったら容赦はしないけれど……。それまで長生きしようね」
と、鼻歌まじりで立ち去るエステル。
彼女による暗殺などが頭を過ぎるけれど、今は真実の追究か、それとも自己保身かで
その日の午後に解放されたエステル達は軍司令部に帰投する。
帰りの道中、エステルは普通の子供のように惰眠を貪り、何かしてくるというような事は無かった。いや、洗脳によるものかと疑ったが。
首を絞めてやろうかと思った別の部下が手を出そうとすると眠っているエステルを守ろうとしたのか、宝珠が輝いた。
自動迎撃の術式でも発動しているのかもしれない。
神の恩恵を受けた宝珠が悪魔を守るのは遺憾な事だ、と思いつつ黙って車の運転を続けた。
★ ★ ★
数日かけて軍本部に戻ったローラン達はエステルと別れてすぐに行動を開始する。
暗殺部隊は差し向けられなかったようだが、直属の上司に嘆願書を提出。再調査などの依頼を要望する。
その後は自分達の処遇に関してだが、最悪の場合は禁固刑を覚悟した。
それから三日と経たずに上司から再調査は認められない旨を伝えられた。その時、エステルに握りつぶされたのではないかと危惧した。
「お前たちの危惧は理解している。だが、上層部は彼女の行動について不問とした。これ以上は言いがかりになるぞ」
「ですがっ! 洗脳による自害の強要は明らかです」
「宝珠の調査によれば、そのような兆候は認められていない。会話の記録も同様に」
「改竄したんですよ」
「あの宝珠を改竄できる技術者が居るとすればただ一人だ。その一人が異常無しと通告してきた」
上司に何を言っても無駄だ、と思ったローランは直接更に上に直談判しようと思ったが、さすがに身の危険を感じた。
いや、事が自分ひとりであれば責任は取れる。しかし、仲間にまで迷惑をかけるわけには行かない。
言うべき事は伝えた。後は時間が解決するしかない。
仲間から無言の嘆願が寄せられる。
「……だが、何のお咎めも無しでは体裁が悪い事は上層部も理解している。後は上に任せて下がりなさい」
「申し訳ありませんでした。……自宅謹慎などは?」
「彼女からの苦情でもあればそうなるだろうな」
タバコに火をつけつつ上司の男性は言った。
苦情などの申し立てはエステルの耳にも入っている筈だし、何らかの対抗策がとられてもおかしくない。けれども今のところ目立った行動は確認されていない。
また、ローランに何かがあれば真っ先に疑われてしまう。だからこそ今以上にエステルから嫌がらせのような事は起きないと予想している。