オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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終戦 -3 ~盟約~

/War is over …vol.03

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、アインズ・ウール・ゴウンの支配下に下った。

 ギルド武器である本(ブック・オブ・エンジェル・グラウンズ)は、アインズが所有権を握るところとなり、実質の上ではカワウソに代わってギルド:天使の澱のすべてを掌握することに。

 だが、アインズは天使の澱のギルド武器を、そのまま祭壇の間に──カワウソのギルド拠点内に残した。その管理をカワウソに命じることで、事実上ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長は、カワウソがそのまま担うに任せた。アインズ・ウール・ゴウン──彼個人はあくまで、「ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長」であり、複数のギルドに所属し、さらには長の役割を兼任することは、不可能な仕様に即したのだ。

 そのうえで、アインズはカワウソたちに、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の全存在に、ある程度の自由を保証した。

 復活した天使の澱のLv.100NPC──ミカは、創造主であるカワウソにのみ、臣従を誓った存在。

 たとえ、ギルド武器を第三者が担うことになろうとも、自分たちを製作してくれた創造主のことを忘れ軽んじることは不可能な摂理。これは、ツアーが盟を結び掌握する者たち──ギルド武器を八欲王の一人から預かり続けてきたエリュエンティウの都市守護者と同じことであったので、驚くほどの情報ではない。

 

 カワウソはミカの復活以降、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)内での蟄居(ちっきょ)──軟禁状態を余儀なくされた。

 第八階層“荒野”に、ギルド拠点が転移したことへの悪影響の有無などの調査が終わるまで、カワウソはアインズの指示の下で、ギルド拠点内に転移したギルド拠点という奇特な状況──さらには復活したカワウソ本人やミカたちNPCの状態を日々検証する役割を担いつつ、アインズへの協力姿勢を貫いた。

 最初は、敵対者たるプレイヤーへの疑心と警戒を続けていた守護者たちであったが、何故かミカに対し親身に接しようとするアルベドなどを筆頭に、双方のギルドは融和関係を徐々にではあるが構築されていった。

 主人たるアインズの人心掌握術によって、敵の首魁すらも篭絡せしめたと思えば、早々に納得がいくものというところか。

 

 そうして──

 

 ガブ。ラファ。ウリ。イズラ。イスラ。ウォフ。

 タイシャ。ナタ。マアト。アプサラス。クピド。

 

 およそ三ヶ月ほどかけて天使の澱のLv.100NPCは一人ひとり復活を果たし、カワウソの命令によって、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対する戦闘行為は、完全に禁じられた。無論、その命令内容に納得できるものは多くなかったが、カワウソという唯一の創造主が命じる以上、否も応もない。

 さらには、あれだけ敵への復讐に燃え焦がれていた堕天使が、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかな表情で「よく戦った」と労ってくれた。今までにないほど優しい声で誉めてもらえただけで、当の戦いを覚えていないとしても、NPCたちには十分以上だったのだ。

 天使の澱の唯一の支配者たる男が、アインズ・ウール・ゴウンその人に協力している光景はいろいろと疑義が飛び交った。が、それが精神支配などによる──悪質なものではない以上、抗弁の余地などなかった。

 

 カワウソは、Lv.100NPCの復活費用の借財を負った。「ユグドラシル金貨60億枚分、きっちり返済する」と表明し、アインズもまた「気長に待つさ」と言って、二人の契約関係……そうして、『世界の盟約』は、成立した。

 

 

 

 

 こうして、カワウソが転移してより、数ヶ月が経過した。

 魔導国は、堕天使のユグドラシルプレイヤーが引き起こした戦いなど知らぬ様子で、穏やかな日々の中で、建国99周年の節目を迎えた。

 多種族が規律よく(くつわ)を並べ、各領地・各一族・各臣民の中から選ばれた精鋭たちにより行われる、平和の式典。

 幾万幾億にも及ぶ民が、アインズ・ウール・ゴウンの統治と安寧に感謝を捧げる祭典は、十日もの間、大陸中を席巻することに。

 アインズ・ウール・ゴウンの計らいにより、拠点内での軟禁を命じられているカワウソは、それら魔導国の国事に参じることなく、飛竜騎兵の領地で結ばれた族長たちの婚姻の儀も知らぬまま、ナザリックの中で、その中の第八階層に転移したギルド拠点の中で、自分のNPCたちに囲まれながら、健やかで安らかな日々を過ごした。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 カワウソたちが平和な日々を享受される以前。

 あの第十階層での戦いが終わり、ミカの復活が遂げられた直後の、その日のこと。

 

 

 

 

 第九階層の執務室に、アインズと守護者たちは集まっていた。

 

「何故ですか、アインズ様!」

 

 カワウソ率いるギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)との戦いが終結した後、一人の階層守護者が、アインズの決定に対し、明確な疑義を申し立てた。

 火山噴火もかくやという灼熱の声色が、皆の集まった執務室の隅々まで轟く。

 デミウルゴスは跪拝(きはい)しながらも、アインズの裁可の甘さを指摘せずにはいられなかったのだ。

 

「連中は至高なる御身に刃を向け、あまつさえ御身を戮殺せんとした大罪人たち! それをあのように生かしておくなど! 寛恕のほどを逸しておられると、そう苦言を申し上げるほかありません!」

 

 激昂を面に表すデミウルゴスを筆頭に、執務室に集ったナザリックの守護者たちは、多かれ少なかれ、デミウルゴスの疑念を、至極当然のものであると思考していた。

 何故、アインズは自分たちの敵を許したのか。

 何故、アインズはカワウソを『世界の盟約』に参画させたのか。

 まるで理解が及ばなかった。

 無論、ただのシモベたる者達にとって、至高の御方々のまとめ役であるアインズ・ウール・ゴウンの決定は、絶対的権能を誇る。それが、拠点NPCを制作してくれたギルドの長の権限であり、ある種の自然法則とも言えた。

 だが、今回の決定は、どうしても首をひねるしかない最難題である。

 シャルティアもコキュートスも、アウラもマーレも、あのセバスですらアインズの決に対し、疑問符の嵐を脳内に乱発させるしかない事態といえた。

 例外は、椅子に腰かけるアインズの背後に控える、アルベドのみであった。

 まったくもって意外なことに、アルベドは天使の澱に対する──もっと言えば、その中のNPCの一人・ミカに対する、慈悲の想念を懐いていたようだった。

 今回の議題に対して、デミウルゴスと比肩する智者・アルベドは口を挟むことなく、アインズの決めたことに追従している。こういう時、真っ先にアインズの我儘な主張を諫めるはずの最王妃が、すべてを承知し観念したような表情で、事の成り行きを見守っていたのだ。「まさか連中に対し、臆病風にでも吹かれたのでは」と詰問を受けても、アルベドはアインズの決定を第一という姿勢を貫いた。

 他の守護者たちも同様に、今回のアインズの決定に対し異論反論を挟まず──なれど、連中を許せるか否かと言えば、あまりにも微妙に過ぎる。同じ王妃の座に列するシャルティアが、とりあえず親友(アルベド)の支援に回った程度で、そのほかの守護者各位──アウラ、マーレ、そしてコキュートスとセバスは、完全にデミウルゴスの疑念に首肯している。

 どうしてアルベドがここへ来て、天使の澱への敵愾心を萎えさせたのかは、ミカと直接対話していないNPCたちには、理解不能な状況。アルベドはあまり明言したくない調子で、アインズの言葉を待つばかり──

 故に。

 デミウルゴスとの問答は、アインズ・ウール・ゴウンその人が務める。

 

「デミウルゴス。おまえの忠義の誠は認めよう」

「ならば!」

「だが、これは私の決定────いや、俺の願いだ」

「ッ…………ねがい、ですか」

 

 その言葉の重みを、デミウルゴスは無論理解している。

 拠点NPCたる者にとって、それは当然の思考回路の帰結とすら言える。

 そう理解できても、こればかりはシモベの一人として、忠言を繰り返すほかにない。

 

「──アインズ様がお優しく、慈悲深いことは存じております。“なれど”──あの連中がやったことは、御身への明確な戦闘行為に他なりません! 御身の傷は、すでに〈大致死〉の魔法で回復できているとしても、我らが()えあるナザリック地下大墳墓を、あの第八階層“荒野”を土足で踏み荒らし、貴重なギルド資金を減耗せしめた所業は、断固として許し難い! そもそもにおいて! あの堕天使風情は、マルコを通じて行われた、至高なる御身からの御厚情を一度は反故(ほご)にし! あまつさえ第十階層“玉座の間”にて、あの、よう、に……ア ノ ヨ ウ ナ──!」

 

 牙を物理的に剥く悪魔は、掌で抑えつけた顔面──眼鏡の奥にある宝石の眼を剥き出しにして、憤死も危ぶまれるほどの熱量に身を焦がし始めた。傍にいたコキュートスに冷静になれと諭されても尚、マグマのごとき暴熱は衰えることを知らない。デミウルゴスは先の戦闘を思い出すだけで──アインズが床に転がされ、その体が斬り砕かれようかという光景が脳裏に過ぎるたびに、半魔形態を通り越した完全形態……“溶岩”の階層守護者にふさわしい姿への変形ぶりを露呈しかける。

 無論、アインズの前でそんな醜態を演じる参謀を、守護者たちは炎のオーラを払い除けつつ諫めた。

 

「ちょ、こら待ちなんし、デミウルゴス!」

「ばっか! ここアインズ様の執務室っ!」

「ぜ、ぜんぶ、もも燃えちゃいますよぉ!」

「イイ加減ニシロ! デミウルゴス!」

「アインズ様の御前ですぞ!」

「ッ、──し、失礼いたしました、アインズ様」

 

 義憤に駆られる気持ちは解るが、御身の前で憤懣の醜愚をさらす無様が、どれほどアインズの心を痛めていくのか──それを判っているが故に、守護者たちの大半は大人しくできている。

 だが、デミウルゴスは、魔導国の大参謀たる悪魔は、普段の冷厳な様子とは打って変わって、劫熱を従える悪魔らしい激情を抑えることが難しかったようだ。すべては、この100年をかけて錬成された、アインズへの忠義心が深すぎるが故のことであり、また、彼は天使共への敵対関係に位置する悪魔の種族──あんな奴儕(やつばら)が、アインズの協力者……“仲間”ではなく、ただ協調関係を結んだことに対し、本気で理解が追いつかなかったのだ。

 勿論、アインズの個人的な『目的』や、ツアーとの『計画』があることも熟知している。熟知できていても、よりにもよって何故、100年後に転移してきた堕天使とギルドごときと、偉大なる御身が、仮初(かりそめ)の友誼を結ぶ必要があるのか。

 デミウルゴスの当初の計画──悪魔(じぶん)の命すら勘定に入れた作戦が、何もかもすべてうまくいけば、あるいはナザリック地下大墳墓のさらなる軍拡……未知を既知に変え続けていく雄図大略の事業……プレイヤーや他ギルドのNPC、拠点そのものを用いた「実験」なども行えた“はず”。

 だが、それはもはや難しいどころではなく、完全に不可能な段階に終着していた。それほどまでに強固な関係が、あの『世界の盟約』……始原の魔法(ワイルド・マジック)の使い手たる竜王・ツアインドルクスや、八欲王の都を守る別ギルドのNPCたちとの、盟友関係の構築であった。

 変形し炎上するデミウルゴス。彼の憤怒は、近くにいたコキュートスから極冷気の氷雪を背中から浴び、セバスにまで羽交い絞めにされたところで、どうにか正気に戻った。だが、仲間たちの叱責から解放された後も、悪魔の論舌は休むことなく繰り返される。

 

「アインズ様。どうか、『連中を誅せよ』──と。『天使の郎党を殲滅せよ』と。

 偉大なる御身に楯突いた『ナザリックの敵対者共を壊滅せよ』と──どうか!」

 

 その命令さえ頂ければ、デミウルゴスをはじめ、守護者たちは我が意を得たりと誅戮の戦いに挑むだろう。

 アルベドとシャルティアも、アインズの決断さえ覆れば、否と言えるはずがない。

 だが、アインズは決して、一度決めたことを、誓った物事を覆すことは、しない。

 

「……“何故”──と言ったな、デミウルゴス」

 

 アインズは、癇癪をおこして我儘を言う子を窘める父のような口調で諭し始める。

 

「カワウソは、彼ならば……私の協力者として、素晴らしい働きが期待できる、と、そう考えたからだ。無論、ただの協力者ではなく、『私が私でなくなった時』に、『私を殺せるのに十分な知と力を備えた“敵”』として」

「な……それは……」

 

 それは、守護者たちにとっては、耳を塞ぎたくなるような……可能性の話。

 だが、過去において、この世界に存在していたプレイヤーたちに起こった、現実的な大問題である。

 

「忘れたのか? ツアーから聞いた邪神の話──六大神の最後の一人──スルシャーナという男の話を」

 

 忘れるわけがない。

 こと、アインズ・ウール・ゴウンその人が、今や最も警戒して当然の、最悪の事態。

 不老不死を誇る異形種のプレイヤーが、ほぼ必ず辿るという破滅の道筋──“真の異形化”について。

 

「あの戦いにおいて……この目で、カワウソの異形化を目にして実感した……異形種のユグドラシルプレイヤーは、何かが違えば、こうまでも狂い果てることになるのだな、と」

 

 あの戦闘を通してアインズが見てきた、カワウソの狂心に汚染された──堕天使としての心に蹂躙されかけた光景。思考は千々と化し、意識を保つことも難行を極めた、あの壊れっぷり。そのたびに、彼はミカという熾天使にして女神に回復されることで、ようやく己の理性と正気を保ってきていたという事実。聖なる力はアンデッドを焼き滅ぼすので、アインズにはまったく使えないにしても、異形種たるカワウソを、プレイヤーを異形化させない力を顕示できているミカの存在は、アインズには非常に有用と思えた。

 

「そして、私も──俺もまたアンデッドとして、死の支配者(オーバーロード)としての“異形化”を、この身に深く感じても、いる」

 

 スレイン法国の六大神が一柱・スルシャーナの悲劇を、アインズはツアーを通して──そのツアーは、ツアーを保護した八欲王最後の一人たるワールドチャンピオンから、事の真相を聞いて知った。

 

「あと100年、200年を持ちこたえることが出来ようとも、1000年2000年の先にまで、俺の心が確実に不変であるという保証はどこにもない。あるいは俺以外に、こちらの世界に来ていた異形種プレイヤーがいたとするならば、それが誰一人として生き残っていないというのは……そういうことなのではないのか? 無論、『まったく一人も来ていない』可能性もなくはないが、あのカワウソがみせたような異形化に耐え切れずに、自死自滅したものが多かったと仮定すると、なかなかありえそうな話ではないか?」

「お──おっしゃることは判ります! なれど、至高なる御身が、そのような外の愚物たちと同じ結末に至るはずがありましょうかッ?!」

「おまえにしては軽挙かつ浅薄な発言だな、デミウルゴス。俺は、自分がそれほど特別だとは思っていない──あるいは俺も、鈴木悟というプレイヤーも、カワウソやスルシャーナのように、何かが違っていれば、もうとっくの昔に狂い、壊れていたのかもしれないのだ……」

 

 (いな)

 今もアインズは、気づかない内に狂い、壊れているのかもしれない。

 だが──仮に──最悪を想定するのなら──

 もしも、ナザリック地下大墳墓を喪っていたら。

 愛する友らの子供(NPC)たちを、目の前で壊され尽くしていたら。

 きっと、アインズ・ウール・ゴウンは、ただの死の支配者(オーバーロード)……最上位アンデッドの精神に、取り込まれてしまったのではあるまいか。

 

 

 

 /

 

 

 

 スルシャーナは、六大神の仲間たちが残した子や孫……そして、法国という居場所を、神の席でずっと支え続けた。そんな折に、自分を本当の意味で愛してくれる現地の恋人を見初め、契りを結び、その女が死ぬまでの50年もの間、ずっと人間の心を維持し続けた。

 たとえ、法国内部の人間たちが、次第に人間第一主義の教義を先鋭化させ、そのほかの人間種や亜人種などへの陵虐と悪辣……エルフなどの同じ人間種を奴隷とし、ゴブリンなどの亜人たちをモンスターとして討滅する蛮性を振るい始めても、スルシャーナは必死に、法国の民を守り続けた。

 

 その結果。

 法国内に、そこに住まう民たちに、「人間は神に選ばれた種族なのだ」という教範が浸透し尽し、他の種族を排斥し侮蔑し劣等視する傾向に転落し始めた。絶滅の憂き目にあっていた人間を保護した六大神たちの本分を逸脱し、我ら人間こそが、世界の確たる支配者たらんと増長させる──そんな悪循環に陥ってしまった。

 無論、法国内部の人間にも、そういった傾向を倦む勢力は生まれた。だが、そういった少数派は「非国民」「神に歯向かう反逆者」「神の教義に反する大罪人」として、死刑台か私刑(リンチ)の宴に連行される始末を露呈していった。やがて、そういった圧政に耐えかねた者達は、スルシャーナを含む六大神信仰を捨てた。ある者は森妖精(エルフ)の里や竜王の国に難を逃れ、ある者は四大神信仰への帰俗を果たし、小国として分離──後の世にて、リ・エスティーゼ王国やバハルス帝国、この二つの国のもとになった大国での、主信仰の地位を確立した。

 

 そうして、スルシャーナの友たちが残した子孫らは暴走し、他の種族への差別意識が根付いてしまった法国内部でも、不和と戦火……離反と内乱……犯罪とテロリズム……天罰や浄化という名の弑逆と破壊が横行し、互いの正義と教義を賭けた生存競争にまで発展する事態に。

 それに対し、スルシャーナはアンデッドの種族特性を超える規模で、精神的な疲労困憊に陥っていた。自分が守るべきものが、互いに相争うような事態など、ただのプレイヤー(ニンゲン)に過ぎない彼には手の打ちようがなかった。スルシャーナは死の神。アンデッドでありながらも、法国の民を慈しむ最大神の一柱。そんなものが、どちらかの勢力に加担し、どちらか一方の民たちの期待に反する姿を……どちらか一方を見放し見捨てて虐殺するなど、論外だ。ただの人間の男で対応できる限界を、もはやとっくの昔に超過していた。

 さらには、そういった有象無象を、一切合切、うるさい蠅として叩き潰すように滅ぼしたいという──実にアンデッドらしい、だが、人として最悪の欲求に駆られ始めた結果、彼は進退を窮めていく事態に。

 彼の本当の姿を、心を、懊悩を、人間としての在り方を知ってくれる人は、もう、彼を愛してくれる恋人以外に、存在しなかった。

 

 だが、スルシャーナの恋人は──50年もの間、死の神の巫女として寄り添い続けてくれた女は──死んだ。

 

『……ぃやだ』

 

 スルシャーナは、涙を流すことなく、泣き叫んだ。

 

『いやだ! イヤダァ! おまえまで(・・・・・)、俺をおいていかないでくれェ!』

 

 喚いても恋人は目覚めない。

 

『あ、ああ、あアア……ァ……!!!』

 

 その日、ついにスルシャーナは────壊れた。

 男は恋人の死を超克しようと、彼女を死から蘇らせる秘法を探していた。

 けれど、そんな方法は存在しなかった。老衰によって死んだ現地の人間を復活させることはできない。死の神として崇められるスルシャーナは、恋人の死体を、意思の通じぬ中位アンデッドとして傍におき、唯一にして第一のシモベと称して、寄り添わせた。

 スルシャーナは、後の世に“邪神”と呼ばれるほどに、世界を静かな混沌に追いやった。『盟約』を結んでいた各国の代表も気づかない水面下で、最上位アンデッドとしての完全な変貌……“真の異形化”を果たした。六大神の仲間たちが残した遺物──世界級(ワールド)アイテムと、愛用の戦鎌(ウォーサイズ)をもってして、彼は遍く存在の「死」そのものへと、化身。

 

『“我”が(いと)()たちよ…………“我”に「死」を献上せよ!』

 

 スレイン法国は、死の神の加護と恩寵の許で、全盛の時代を迎えた。

 スルシャーナは、愛する者たちの絶えた世界で、愛する者たちが守ろうとしたモノのみを守りながら、それを邪魔する一切衆生を狩り殺し、異を唱える不信仰者を処刑し続け、最上位アンデッドの欲望のまま、生贄の皿を「死」で満たし尽くした。

 その空っぽの胸に宿る慈愛と友情のまま、邪神として、死の神として、彼は仲間たちが残したものを──殺しながら──守り続けた。

 プレイヤーとしての彼の心は、もはや風前の灯でしかなかった。

 

 

 

 そうして、孤独に壊れ狂ったプレイヤーは、後に八欲王──ワールドチャンピオンたちと出会い、その生涯を、境涯を、ようやく終えることができたのだ。

 

 

 

 /

 

 

 

 その事実を、アインズ・ウール・ゴウンは、ツアーから聞いて知らされていた。

 

「だからこそ。いざという時、私を殺してくれる存在が、殺してでも私を止めてくれる力が、どうあっても必要なのだ」

 

 スルシャーナのような悲劇を繰り返さないために、二の轍を踏まないように、アインズは常に心掛けている。死を(いたずら)に大量に蔓延させては、最上位アンデッドとしての心が、嗜虐や陵虐の側に傾いて、心の天秤を振り切ってしまう事態になりかねない。

 ツアーより話を聞いてからというもの、用心と注意を怠ったことはない。

 それでも、やはり、万が一の保険は用意しておかねば。

 

 せっかく築き上げた“アインズ・ウール・ゴウン”の名を戴く超大国を、他ならぬアインズ自身の手によって、「死」が蔓延し席巻する廃墟に変えることになっては、アインズの仲間たちに申し訳が立たない。

 

 たとえ、どんな事態になろうとも、アインズが、モモンガが、鈴木悟たる自分が──“死ぬ事態に陥ろうとも”──『皆と創ったギルドの名前だけは、永遠不朽のもの』として、この異世界に留め残したいという、そういう覚悟が、魔導王の内に存在している事実。実際として、エリュエンティウの守護者たちは、八欲王の生き残り・亡きギルド長の命令と訓戒を、数百年の長きに渡って維持し続けている。ならば、アインズがたとえ道半ばで(たお)れたとしても、その跡を継いで、アインズ・ウール・ゴウン魔導国を治め、その名を不動のものとして残すことくらい、ナザリックのNPCにできないということはないだろう。──この話をすると決まって守護者たちは「そんなことにはなりえない!」と首を横に振り続けるが、万が一に備えておく必要性があることぐらいは、もはや全員が了解できている。

 そのために、利用できるものはすべて使う。

 ツアーやエリュエンティウの者たち、さらには嫡子たるユウゴたちには、アインズが暴走した時のための歯止め役を任せている──それだけの戦力を、彼ら彼女らは所持できている。

 そして、100年後に現れたプレイヤー・カワウソも、“復讐者(アベンジャー)”という必殺スキルや、“亡王の御璽”たる世界級(ワールド)アイテムの「自軍勢力の無敵化」という、とても素晴らしい力を保持していた。

 これを利用しない法があるものだろうか。

 

「おまえたちはカワウソたちを許せない。そして、“それはそれでいい”。警戒は大事なことだ。何もすぐに連中と仲良しこよしをしろという話でもない。だが、彼らは今、我々の仮想敵であると共に、盟友として共に進むことを約束した、いうなれば同士なのだ。おまけに、首魁たるカワウソは完全に降伏し、こちらの提示する条件をすべて無条件でのみこんだ。そして、勝利者たるアインズ・ウール・ゴウンは、敗者に鞭打つような振る舞いなどするはずがない。弱いものイジメなど言語道断だ。この状況で、もしもカワウソたちを、天使の澱を害するものがいたとしたら、それはこの私──アインズ・ウール・ゴウンの顔に、しこたま泥を塗ることになる」

 

 デミウルゴスは肩を揺らしかけた。

 自分が計画していた、連中を煽動し、今度こそ連中を討滅せんとする策謀は、『読まれている』と確信して。

 実際にそうであるような──そうでもないような──調子で、魔導王アインズは語気をやわらげたまま言い募る。

 

「無論、天使の澱のNPC──カワウソのシモベたちが独断専行を働く可能性も否めないのは理解している。だが、それは彼らの主人たる堕天使の沽券にかかわること。同じNPC同士として、そのような愚昧を働いたものが、本当に主人から褒められると思考できるか? 我が身の安全を(なげう)ち、死すらも容易に受諾できるおまえたちが、主人と仰ぐ私の期待を裏切る行為を、ほんとうに『是』であると、認めることができるのか?」

 

 問われるまでもない。

 たとえ「不忠者だ」と叱責され、「自害せよ」と命じられても、シモベたる者にとって、御方のためになることならば、自分の命などいくらでも差し出せる。そういう覚悟と矜持は、どの拠点NPCでも共通だと、エリュエンティウの都市守護者たちや、天使の澱の配下たちを見ても、そう確信できていた。

 しかし、だからこそ。

 デミウルゴスたちが何よりも恐れるのは……主人(アインズ)の思いを裏切ること。

 

「おまえたちが『私の敵』たる者達を許さない・許せないというのは理解できる。同時に、おまえたちのそれら思いを是正・改変する権限など、私には“ない”ことも。100年前の『事件』にしても、遠因としては私が、愚かにもアルベドの設定を変えていたがために起こった事──」

 

 ナザリックの最高支配者らしからぬ弱音に聞こえるが、実際として、あの『事件』を覚えている守護者たちは息を呑んだ。

 あれは紛れもなく、改変されたアルベドだけなく、ナザリックの全NPCにとっての失態──暴走であった。

 

 それに加えて、あのスレイン法国が保持していた、『盟約』に反する存在。

 番外席次……“絶死絶命”……その力。

 

 あの『事件』の責によって、アルベドは守護者統括の地位から降ろされ、“()守護者統括”という地位に落とされた。それでも、彼女は新たに得ていた「魔導国の宰相」という地位でもって、アインズ・ウール・ゴウンへの忠節を新たにし、さらには「最王妃」として、アインズの御嫡子を産む栄誉の極地まで賜っている。

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンは100年が経った今でも、その罪は我にありと、今もここに表明し続けている。

 

「おまえたちは、私がカワウソに対する措置を「甘い」という。私でもそう思うのだから、当然だ……だが、私はカワウソを……カワウソと「友達になりたい」と思う」

 

 実利的とは言えない、あまりにも感傷的に過ぎる、まっすぐな言葉。

 アインズ・ウール・ゴウンは立ち上がる。

 

「だが、だからこそ────頼む。デミウルゴス。

 俺の願いを叶えてほしい。

 彼らを殺し尽くすのではなく、彼らと共に生きていく道を、その明晰な頭脳で導き出してほしい。ただ敵と戦い、屠り、殲滅するよりも、間違いなく困難で険しい道のりとなるだろうが──だからこそ、おまえたちナザリック最高の叡智と力量を誇る守護者たちにしか、頼めないことなのだ」

「…………アインズ様」

 

 デミウルゴスは俯くように頷くほかない。

 主人にここまで言わせて、確実かつ安易な道を……天使の澱を害し誅戮し消滅させる手段を選択することは、アインズの思いを、期待を、切なる願望を、シモベたるデミウルゴスが、自らの足で踏み躙るに等しい蛮行である。

 そんなことを魔導国の大参謀が、ナザリック地下大墳墓・第七階層“溶岩”の守護者が、できるはずがない。

 忠烈の徒たる悪魔は、刃を呑むがごとく、己の意を決する。

 守護者の列に歩み寄るアインズの望む通りの選択──まったく不確かで困難に満ち溢れた道筋を、御方の御心に即する道のりを、選ぶ。

 

「──かしこまりました。

 彼奴(きゃつ)ら天使の澱との完全融和政策──彼らに対し、絶対的かつ完全に、一切の危害実害を加えることなく、協調し協力し、共存していくプランを、必ずや、御身の許に御奏上いたします!」

 

 こうして、天使の澱の完全破壊を目論む急先鋒──魔導国の大参謀は、その矛を収めた。

 アインズは、我儘な願いを受け入れてくれた悪魔の肩に、感謝の言葉と共に手を置いた。

 

「ありがとう、デミウルゴス」

 

 悪魔は深く──さながら許しをこうかの如く──頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




完結まで、あと三話

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