オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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ミカの過去 その1


ミカ -1

/War …vol.09

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 ミカの脳裏に過ぎる、昔日の記憶。

 

 

 

 

 私はNPC。

 私は、とあるギルド拠点の、とある創造主の手によって、創り出された。

 

 

「…………ミカ『起動』」

 

 

 それが、

 その声が、

 NPCとして造られた存在が認識した──いちばん最初に聞いた、創造主の声。

 

 その音声と共に、NPCは己を認識した。

 

 

「『外装(グラフィック)』は、前も横も後ろも……よし、と」

 

 

 ミカとよばれたNPCは、その素晴らしい声の持ち主を、両の瞳にしっかりと焼き付ける。

 ふわりと浮かび輝く球体に、大きな三対六翼を広げた熾天使の姿。

 異形種らしい人外の形状。

 私を創造してくれた主人。

 至高の存在の名は、

 

 ────カワウソ。

 

 彼の名前は──カワウソ!

 

 ああ、この世の何よりも尊く、どんなものよりも素敵な御名前!

 

 

「ミカ『プログラムチェック』…………うん。バグらしいバグは、なし。うんうん。商業ギルドの“ノー・オータム”から買った基本NPC動作データは、信頼と実績があるからなぁ。前のギルドの時にも、結構流用させてもらったし……」

 

 

 彼が呼ぶ名前は、女性NPCである自分の深部記憶、存在の根幹に刻まれた、愛しい音色。

 NPCの私に与えられた名は、──── Micha ────

 ミカ。

 ミカ!

 それが、この私。

 ああ、なんてすばらしい名前!

 そして、この私の身体、魂、忠誠、心!

 何もかもすべてが、素晴らしい贈り物でございます!

 

 

「NPCの『設定文』は、んー…………あとで考えるか。とりあえず『種族データ』と『職業(クラス)データ』も詰め込んで、と」

 

 

 ミカの目の前に存在する熾天使────創造主たる彼から、これ以上ないと思っていた以上の贈り物を、次から次へと授けられていく。

 

 種族レベル……熾天使(セラフィム)Lv.5。天使長(エンジェルロード)Lv.15。救世主(セイヴァー)Lv.5。etc

 職業レベル……聖騎士(ホーリーナイト)Lv.10。聖上騎士(パラディン)Lv.10。守護者(ガーディアン)Lv.10。etc

 

 ああ、なんという数!

 次々と私の中に充足していく力の結晶が、種族レベルと職業レベルを合わせて100も授与された!

 

 

「『ステータス』……ここもバグなし。──おお、我ながらすごい数値になったな。これなら防御役(タンク)もバッチリこなせる。いや、すごいな、ミカは」

 

 

 ──まさか。

 今、目の前の御方に、私は、誉めていただけたのか?

 いいえ、そんなはずはない──誉れを受け取るべきは、私を創って下さったあなたの方では?

 

 

「次は『装備品』か。──女騎士の基本武装な感じだと、……こんなもんだよな?」

 

 

 烈光の剣“究極(アルテマ)”。閃光の盾“最大(マキシマム)”。黄金の兜“輝煌(グロリアス)”。

 すべてが我が身の力を増強させていくことがわかる。

 とんでもない多幸感だ。ミカは創造主への飽くなき感謝と礼賛を捧げるしかない。

 

 

「はは。すごいな。これじゃあ、まるで……リーダーと、そっく……り……ッ」

 

 

 ?

 カワウソ様?

 どうされたのでしょうか?

 

 

「…………まぁ、いい。次」

 

 

 ────カワウソ様?

 

 

「じゃあ、ガブ『起動』」

 

 

 ミカの創造主は、いきなり顔をそむけるように、ミカの横に控えていた銀髪の乙女……無装備状態で、肌着姿に褐色の肌が目立つNPCを起動させた。コンソールを六翼の内二枚で巧みに操りながら、ミカにしたような確認作業とデータ入力を行う。それが済むと、さらに横に控えている銀髪の青年──ラファの設定画面を。それが済めばウリの設定をイジった。

 こうして、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)……最初の四体たる拠点NPCが創造された。

 しかし、ミカは大きな疑問を懐いた。

 

 

 

 

 どうして、私は自分の声を、創造主の耳に届けられないのだろうか?

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 拠点NPCとなる天使のネーミングを付ける時、当時はまだ純粋な熾天使(セラフィム)であったカワウソは、ユグドラシルのデータの他に、天使について語る参考書籍なども閲覧していった。

 天使の代表格たるミカエルをはじめとして、ガブリエル、ラファエル、ウリエルなどから、神を意味する“エル”の字を抜くことで、それっぽい感じの拠点NPCたちを四体試作してみた。

 ミカ。

 ガブ。

 ラファ。

 ウリ。

 カワウソが取得したヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)──仲間たちの置き土産を存分に活用して創設されたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、カワウソという存在を首領とする組織として、広大なユグドラシル世界の、最盛期では四桁のギルドが乱立したゲームのなかに設立された。

 ギルドの名前は、異形種の街の片隅にあった占い師のNPCを使って、適当に。

 ギルドメンバーも、ギルド長・カワウソ“たった一人”のみという、弱小も弱小。

 ただ、立地条件として、他のプレイヤーたちに攻め込まれる可能性の低い、ニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯──厄介なマイナスエフェクトの森、悪辣極まるモンスターの巣、ニヴルヘイムの二大支配者たる腐食姫……その住居たる黒城(くろじろ)を囲む大叫喚泉(フヴェルゲルミル)の近郊も近郊──真っ黒い森の、他の樹々と大して違いのない双樹の間に、隠れるがごとく位置していたため、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)はほとんど他のプレイヤーに認知されることなく、結局、サービス終了の日まで、隠れ潜み続けることができただけであった。

 

 カワウソは新ギルドを設立し、拠点NPCたちを適当に制作する傍ら、ある活動をはじめた。

 それこそが、天使の澱の至上命題にして絶対目標。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの再挑戦──

 あのナザリック地下大墳墓、第八階層の再攻略──

 

『敗者の烙印』という“×印”を頭上に浮かべるカワウソは、かつての仲間たちと共に挑んだ場所へ、今一度挑戦すべく行動を開始した。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 熾天使であるカワウソ──唯一絶対の主人に創造されてから、数週間が過ぎた。

 その間にも、至高なる御身の手で作り出される同胞は増えていった。

 死の天使たるイズラ。聖天使であるイスラ。

 ウォフ。タイシャ。ナタ。マアト。アプサラス。クピド。

 さらには城砦出入口の罠となる動像獣(アニマル・ゴーレム)や、拠点維持管理用の十人のメイド隊。

 誰もがカワウソというただ一人の主人を信奉し、忠誠を捧げ、己の命を賭してお仕えするNPCとして、この世界に生を受けた。

 しかし、誰一人として、カワウソと言葉を交わせるものは、いなかった。

 ミカたちNPCは、創造主と語り合えない……否、至高の存在と言の葉を交わすなど、畏れ多いことだと……自分たちNPCは、彼と語らうほどの存在ではないのだと──そう納得することにした。

 彼の言葉の中から、『反応するように』定められた一節に従って行動し、それ以外の動作は慎むことが、NPCの在り方であると心得るようになった。主人の命令(コマンド)は絶対だ。そういった法則に即しながら、ミカたちはカワウソという創造主への忠誠を示した。

 示すしか、なかった。

 

 そんな中で、ミカは最初に創られたNPC故か、創造された当初はカワウソに贔屓されているとしか思えないほど、よくお言葉を頂いたものだ。

「リアルの仕事でクソ上司が手柄を横取りした」とか、「ナザリックのあのルートを通るには、ミカみたいに頑丈な防御役(タンク)がいればなぁ」とか、折に触れてNPCのレベル構成や装備品項目をイジりながら、カワウソは寂しそうに語り続けた。

 彼が独り言を呟く己を自戒し、俯くたび、ミカはその身を助け起こそうか迷った。

 しかし、彼と対話することすら畏れ多いことなのに、NPCたる自分が直接手で触れるなど、憚りがあるどころの話ではない。

 ミカは──自分自身では丁寧に相槌を打っていたが、まったくカワウソに反応されることなく、彼がたった一人で、単独で、外へ狩りに出かける姿を、幾度となく見送った。

 そうして、彼が帰還されるときを、不動の姿勢で待ち続けた。

 帰ってきたカワウソの表情は、本当にいろいろであった。

 時には、狩りの成果に満足したような笑みを浮かべ、ミカたちに声をかけてくれた。

 そうでない時は、不満そうに、不機嫌そうに、彼に仕えるミカたちを遠ざけていた。

 

 そんな日々の中で、カワウソが最大の目標として語る、ナザリック地下大墳墓の、そのダンジョンを統べる悪のギルドのことも、ミカたちはすべて記憶していった。

 彼が研究のために蒐集(しゅうしゅう)し、何度も、何十度も、何百何千も繰り返し視聴する──カワウソが、かつての仲間たちと共に冒険した最後の記録を、彼の傍近くで、NPCたちは視聴し続けた。

 

 ミカには、さらなる疑問がひとつ生まれた。

 

 ミカは最上位天使──熾天使(セラフィム)だ。

 その種族は、強力無比な“希望のオーラⅤ”を常に解き放ち、自軍勢力のステータスをマイナスの効果から遠ざける能力を誇る。味方に勇気を与え、敵の恐怖をものともせず、回復と蘇生の力が働く限り、熾天使の力はあまねくすべての希望として光臨し続ける…………なのに。

 

 何故ミカは、

 創造主カワウソの悲しみを、

 彼の心痛を、寂寥を、嗚咽を、慟哭を、あまりにも深い絶望の涙を、

 癒し、治し、やわらげてさしあげることが……………………できないのか。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソは、アインズ・ウール・ゴウン再討伐およびナザリック地下大墳墓の再攻略を志す同行者や同盟を募った。

 しかし、その活動はまったく実を結ぶことがなかった。

 それどころか……

 

 

「──はぁ?」

「何言ってんだ?」

「ナザリック、再攻略?」

「それがギルドの方針だぁ?」

 

 数日後……

 

「え、なにそれ?」

「ちょ、アンタ、あたま大丈夫?」

「そんなの、無理に決まってんだろ?」

「ま。やりたきゃどうぞ、ご自由に?」

 

 数日後……

 

「いや。ていうか、なんだってそんなことを?」

「仕返しとか……復讐って、本気で言ってるそれ?」

「うっわ。ダッサ」

「ていうか、キモすぎ」

「あー。熾天使は良い回復要員になると思ったけど。ゴメン。今回の話、ナシで」

 

 数日後……

 

「あんたが、例の?」

「噂には聞いたよ。頭がオカシイって」

「『敗者の烙印』持ちの熾天使(セラフィム)──ナザリックの再攻略だっけ?」

「よくもまぁ、そんな馬ッ鹿なことを目指せるよね」

「無駄なことにプレイ時間を浪費して。お気の毒~」

「恥ずかしいと思わないわけ?」

 

 数日後……

 

『こちらは、保安用NPCです。この中立地帯の都市は、街頭勧誘行為が禁止されております。警告を無視し続ける場合、五分後に強制措置を──』

 

 数日後……

 

「あ! 熾天使発見!」

「よっしゃあ、PKポイントよこせ!」

「負属性と冷気属性でタコ殴りにしろ!」

「は? 大事な待ち合わせに遅れるだぁ?」

「そんなの知るかボケ!」

「俺らハンター集団に見つかった自分の不運を恨みな! ヒャッハー!」

 

 数時間後……

 

「……残念ですが。私たちはあなたに協力することはできない。

 いえ、約束の時間に遅れたことへ腹を立てているなどの理由は、一切ありません。遅れた理由もお察しします。

 ただ──あなたの協力要請を受けるメリットがまるでない。控えめに言っても、常識的ではない。リスクリターンは合わないし、あなたの言っている作戦も、すべて机上の空論だ。あの極悪なナザリックの構造上、天使種族が第八階層まで到達できる確率は、一割を完全に割ります。ほぼ0(ゼロ)とすら言える。たとえ天使プレイヤーばかりを数百集めても、“墳墓”にいるシャルティア・ブラッドフォールンに削減され、“氷河”のコキュートス戦で全滅するでしょう。私たちのギルド:セラフィムが、あなたのギルド……いえ、たった御一人と同盟を組むような理由も意味も、その価値すら見受けられない。あなたの提示できる報酬も、我々にとって魅力的なものは何ひとつないとなれば──おわかりいただけますね?」

 

 

 

 とある日……

 

 

 

「囲め囲め!」

「そっちに逃げたぞ!」

「久しぶりの天使狩りだ! ぬかるなァ!」

「網もってこい、網! 翼に引っ掛けろ! 狩人(ハンター)のスキル!」

「よし、つかまえたぞ!」

「やれ、やれ! やっちまえ、やっちまえッ!」

「とっとくたばれよ熾天使(セラフィム)。ドロップがもらえねぇだろ?」

「おっしゃぁ! ポイントゲッツ! あと二つで転職(クラスチェンジ)!」

「ヒュー! いい素材が落ちてくれたぜ! これでやっと神器級(ゴッズ)装備が完成できる!」

「クソ、そっち当たりかよ。俺なんて雑魚の防具一個しか貰えなかったのに」

「──ていうか、コイツなんで『敗者の烙印』浮かべてるんだ?」

「さぁ?」

「つか、どうでもよくね?」

「自分たちのギルドも守れない弱小だったってことだろ?」

「おまけに、ギルドの再結成も出来なかったってところだな。超・(みじ)め」

「あはー。だからソロでいるのか。珍しい奴がいるもんだ」

「はい、じゃあ、お疲れさん」

「またポイントよろしくね、熾天使さん♪」

 

 

 

 

「「「「「「「  あッはははははははははははははは!  」」」」」」」

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 カワウソが、ホームポイントとしているヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)へ帰還を果たした。

 それを出迎えるのはミカの公然の務め。彼に一番最初に創られたNPCは、彼のかつての大恩人……旧ギルドの長の役割に寄せられていた。それが影響しているのか、ミカはカワウソの独り言を聴く役に徹することも、ままあった。

 プログラム(いつも)通りに出迎えるミカは、主人のレベルが微妙に落ちていることに気付いた。装備していたはずの剣や盾なども喪失されていた。

 広大なユグドラシルの世界には、常に危険が付きまとう。

 自分たちは一切外に出されることはなかったが、カワウソという至高の存在が死に戻ってくることもあるほどに、外の世界には彼以上の強者が(ひし)めいているようであることは、彼の言動などから完璧に理解(わか)っていた。

 その事実を思うたびに、ミカは口元が歪みそうになる。

 自分も彼と共に外へ繰り出し、彼を護る一助を(にな)えれば、どんなに良いか。

 しかし、ミカは思ったことを口にはしない。

 口にしても、カワウソの耳には届かないと心得ている。

 なのに、

 

 

 ──カワウソ様?

 

 

 いつになく意気消沈した様子の創造主の姿に、ミカはたまらず声をこぼし、首を傾げそうになる。無論、首を傾げるというプログラムは、ミカというNPCには組み込まれていない。

 だから、ミカはじっと突っ立ったまま、カワウソから頂けるはずの言葉を、待ちわびるだけ。

 しかし、

 

 

「うわぁぁああぁぁああああぁぁぁああああああ!!!!」

 

 

 喚き声と共に、ミカはカワウソの翼に殴り飛ばされていた。

 ミカには体力の減少はありえなかった。

 だが、それ以上の衝撃が、ミカの脳を駆け走った。

 光を放つ球体に六翼という外装でしかない姿の創造主が、泣いて、喚いて、狂乱と絶望にいろどられた叫喚を吐き零していた。

 

 

「なんで……なんで、なんで! なんで、みんな、皆ぁ! 皆してオレをッ!!」

 

 

 お、お気をお鎮めください。なにか──何か私が、不調法を?

 

 

「どうして……どうして、ぁぁ……たすけて……助けてよォ、皆……ミンナァ……」

 

 

 お助けします!

 絶対にお助けします!

 お助けするに決まっております!

 何なりとお命じください──どんなことでも叶えて御覧に入れます!

 私たちは、私は、そのために、そのためだけに、あなた様に創られたのです!

 

 

「アア、アアアア、アアアアアア、アアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 

 お応えください、創造主(カワウソ)様!

 

 

「う、あああ、あああああ……」

 

 

 ……どうして。

 どうして……私の声は。

 あなたに、届かないのですか?

 

 

「──あああ……もう、イヤだぁあああああッ──、──   」

 

 

 血に濡れたような嗚咽と涙声を吐き落とし、ミカをサンドバックのごとく殴り続けていた熾天使は、いずこかへと姿を消した。

 女天使の祈りが通じた、というわけではない。

 ミカには理解できなかったことだが、神経に負荷がかかりすぎたことで、ゲームシステムがカワウソに対してログアウト処理……強制退去を施し、現実世界へと帰還させただけであった。もちろん、NPCでしかないミカには、そんなリアルの事情などわかりようがない。

 

 ミカは切実に思った。

 熾天使である自分の力が、味方を癒し護る“希望のオーラⅤ”が、何故、創造主に対して機能していないのか。

 ミカが気づかないのも無理はないが、ゲームでの効能と、リアルでの感情や精神状態が、直で作用するわけがないのだ。

 だからミカは、自分の力が、創造主に対して何の効能も上げられないのは、自分が無力であるからだと、結論するしかなかった。

 そうして、カワウソは、そんなミカの劣悪ぶりに、嫌気が差しているのではないかと──

 そう思うたびに、ミカは絶望の闇に捕らわれかけた。

 自責の念を深めていくしかなかった。

 

 ……待って……

 ……待って、ください。

 どうか、どうか、いかないで。

 私の力が至らないことを御許しください。

 あなたに与えられた力を十全に使いこなせない、不明で無能なミカを御赦しください。

 あなたが望めばなんでも差し上げます。

 ご命令とあればなんでも叶えます。

 だから──

 どうか──

 棄てないで、ください──

 捨てないでください──

 私たちを……私を──

 

 見捨てないで!

 

 

 

 

 

 

 あくる日。

 ミカが危惧していたような……もう二度と、彼はこの拠点・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)へ帰還することはないのではないかという、最悪にして最低の予測は、完全に外れてくれた。

 熾天使のカワウソは、再びユグドラシルの世界での冒険を続けに来たのだ。

 しかし──

 

 

「……………………」

 

 

 彼はミカのことを眼中に入れず、拠点の外を目指し、去っていった。

 昨夜のことを気にされているのかもしれない。

 だとしたら、ミカはいくらでも否定することができた。

 創造主である彼から与えられるものであれば、苦痛でも汚濁でも、侮辱でも凌辱でも、すべてが祝福と同義になる。創造主である彼から求められさえすれば、何でもして差し上げる所存であった。少しでも、彼の心を、悲嘆を、慟哭を、慰めることができるように。

 だが──

 

 

 カワウソは一顧だにせず、ミカを置いて拠点の外へ向かった。

 

 

 それからというもの、カワウソはNPCたちを無視することが多くなった。

 以前までのように、かつての仲間たちを模倣した存在たちに対する親愛や哀惜の情を言葉にすることなく、あまり深くかかわらないように努めた。だが、時折外で見つけた強力な装備やアイテム、日課となっていたNPCデータのガチャでレアものを引いた時などは、面と向かって、彼らを強化することを忘れずに行い続けた。

 これより後に、ミカが“女神(ゴッデス)”のレベルデータを与えられたのも、その一環に過ぎない。

 彼から与えられるものは、すべてが祝福であり恩寵であり、──同時に、彼の言語化不能な感情の()け口にされる機会ともなっていた。

 

 

「これだけのNPCが外に連れ出せたら、少しは攻略や狩りもはかどるのかね…………はは」

 

「今日はいい素材が手に入ってよかった。PK連中の包囲を抜けるのはメンドウだったけど」

 

「思い切って第四階層を作ってみたけど、ミカは気に入っ…………ッ、なに言ってんだ、俺」

 

「なんか久々にふらんさんからメール来たけど。どうしよ、これ……会った方がいいかな?」

 

「お久しぶりです。ふらんさん。五ヶ月、半年ぶりでしたっけ? こちらこそ御無沙汰して」

 

 

 その日。

 ミカはカワウソ様の御仲間というプレイヤーが拠点に招待されると聞き、歓迎の用意をしようかどうか悩んだ。

 彼が常々、ミカたちNPCに面影を重ね合わせていた“かつての仲間”の御一人。興味が尽きることはなかったし、おさおさ無下に扱うのも憚られる。

 いかに、このギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)支配者の一人(ギルドメンバー)でないとしても、相手は創造主様の個人的な友人。挨拶を交わす程度の礼節は、カワウソに造られたものとして、あって当然の処法だと思われた。

 だが、カワウソから命じられるべき内容は特になく、第一階層から第四階層の定期巡回しか命じられなかった。

 お二人は私が見回りの間、円卓の間で話し込まれているのがわかった。

 屋敷の巡回をやり尽くし、ほぼ定刻通り、円卓の間へと戻ろうとしたミカの耳に、扉越しの主人の声が聞こえた。

 

 

「────────────忘、れる?」

 

 

 悪寒がした。

 その、調律が狂った楽器のような音色は、あまりにも不吉すぎて。

 ついで、女性の声がかぶさるのを聞いた。友人であるカワウソを思いやる慈しみを感じさせるそれは──だが、彼の心を責め苛むものにしか、なりえなかった。

 

 

「大丈夫、です。ふらんさん」

「でも、カワウソさん。いくらウチの妹が、エリィが、ナノマシンの障害で入院していたからって」

「さすがに。そんな事情がある以上は、謝れなんて言う方が(こく)ってものでしょう? リーダーの、エリ・シェバさんの体質で、ナノマシンが過剰動作……暴走なんてしたら、今のご時世、ネトゲどころか日常生活だってつらいでしょうし? ネットに繋がれないなんて、アーコロジーの富裕層でもないと、即死亡案件じゃないですか? 少なくとも自分みたいな底辺の独り身だと、確実にヤバいことになりますね。だから、うん、お二人が連絡できなかったのも、無理はありません」

「──それは、そうですが」

「ふらんさんが、たった一人の家族を大事にするのは当たり前です。(リーダー)の入院の世話に、ご自身のゲーム会社での仕事。それを両立しながらユグドラシルを、ゲームを続けるなんて、普通に考えれば無理ってもんです。自分でもそんなことできませんよ。家族とゲーム。どっちが大事かなんて、ハッキリしてます。連絡する余裕さえなくなっても、全然ふつうです」

「いいえ、でも」

「それにリーダーは、まだ14歳。ここで引くべきなのはドチラだって話になれば、間違いなく大人の自分になるはず」

「では。せめて、私に謝罪させてください。連絡もできなかった私のことを、一生恨んでくださって構いません! あなたが望めば、どんなことでも、なんでもします! だから!」

「いいや、だから、大丈夫ですって。

 ──自分は、──俺は、……もう、とっくに、とっくの昔に…………“許してます”」

 

 

 リーダーを。

 みなさんを。

 あなた(ふらん)のことも。

 そう引き絞った声が、あまりにも痛々しい。

 彼の心が汚穢にまみれ、涙と血が噴き零れるほどの傷を刻み込まれたと、わかった。

 ミカは堪えきれなかった。

 ミカは扉を開けた。

 何か言ってやろうと思った。

 創造主を傷つける者は、たとえ御友人であろうと、ミカには許容しきれなかった。

 だが、

 

 

「ミ、ミカ! 見回りの時間は……あ、もう、過ぎてたか」

「カワウソさん……え……その人、いえ、NPC、は?」

 

 

 しかし、ミカは言葉を発せられない。

 少なくとも、二人のプレイヤーに届けられる声は発することができない。

 至高の創造主と対等に言葉を交わすような権利も機能も、NPCには存在しえない。

 ただの被造物ごときが、至高にして絶対の存在である造物主と対等になれるなど、ありえない。

 

 

「ミカ、もう一度、『屋敷を巡回』」

 

 

 命じられた以上、ミカには否も応もない。

 後ろ髪引かれる思いはぬぐえなかったが、カワウソの命令は絶対だ。

 

 そうして、再びの巡回を終えたミカは、円卓の間に戻った。

 

 そこには、長卓に突っ伏して震える、創造主の姿しか、ない。

 彼の友人、ふらんという名のプレイヤーは、どこにもいない。

 ひとりで震える熾天使の許へ、ミカは危ぶむように歩み寄る。

 

 

「ああ、最悪だ。最悪最悪最悪……なんで、俺、なに、なん、で……あ、ああ、あああああッ!!」

 

 

 テーブルを砕かんばかりに振るわれる翼の強音。

 創造主の震え壊れた怒声が、ミカの耳を引き裂き抉り千切らんばかりに轟いた。

 

 

「ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな! フ、ザ、ケ、ル、ナァッ!」

 

 

 卓を持ち上げてひっくり返す熾天使の荒々しさが見るに堪えない。存在していない脚で椅子を蹴り上げ、天井や照明や窓ガラスにぶつけまくった。

 それだけの暴虐でありながらも、〈道具破壊(ブレイク・アイテム)〉などの専用の手段でない以上、その行為はいかなる破壊ももたらさない。一脚の椅子が跳弾のようにミカの翼に当たっても、同じこと。

 円卓の間に恐慌と狂然の叫びが(こだま)した。

 そして、ついでとばかりにカワウソはミカに詰め寄り、天使の顔面を殴り倒し、その体を蹴り飛ばす。

 ──だが、同士討ち不能な世界で、ミカの体力に干渉することはできないこと。

 ミカには目にすることはできないが、カワウソの一撃ごとに、0pointの虚しい表示が浮かんでは消える。

 それでも──

 

 

「なにが俺のためだ! 何が忘れた方がいいだ!

 何が『他のゲームに招待(コンバート)できますから』だ!

 何が『もう、忘れた方が、あなたのためだと思う』だ!

 なにが、『こんなことを続けても、他の皆から嫌われてしまいます』だ!

 なんで、なんでナンデ、ナンデナンデナンデ、こんな、コトに……ッ」

 

 

 絶望し混沌化する創造主の狂態に、ミカは幾億の刃に貫かれるような気を味わった。

 

 ──それでも

 

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 

 ミカの目の前で、翼で自分の頭を覆うように──血色の涙を抑え込むように喚き散らし──この世の全てを恨み呪い尽くす絶叫をあげながら、熾天使のプレイヤーが消え失せた。

 当然、精神状態の過剰昂奮による強制退去(ログアウト)──ゲームの仕様を、ミカは知らない。

 知らないが──彼が、今ここに、この場にいることがつらくて、つらくてつらくて、つらくてつらくてつらくてたまらないことだけは、完全に理解できた。

 

 それでも。

 だとしても。

 

 彼がこの世界にいることを拒絶したがっていると理解しても──

 立ち上がるミカは、願わずには、いられない。

 

「…………いかないでください」

 

 震える祈りと共に、ミカは(こいねが)う。

 

「……見捨てないでください」

 

 ミカは心から、彼のことを想う。

 

「私たちを……、私を……」

 

 

 

 

 おいていかないで

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソは、たった一人になった。

 もはや旧ギルドにこだわる理由など、これっぽっちも存在しなかった。

 

 リーダーは、今どき珍しい──導入最初期は頻繁に報告されていた──ナノマシンの異常暴走で入院し、数ヶ月もの間、意識混濁になるほどの重傷を負い、長いリハビリを余儀なくされたという。そんな14歳の妹の看病と介護、ならびにユグドラシル運営の親会社でチーフプロデューサーとして業務にあたるふらんは、ユグドラシル内で勃発した事件「ナザリック地下大墳墓のチートじみた逆転劇」の対応……調査と収束に追われ、多忙を極めた。これだけのリアル事情が重なって、あの討伐戦失敗後、彼女たちがカワウソたちに連絡を怠ったことを責めるのは不可能だ。企業が絶対とされる社会秩序において、余暇で遊ぶゲームを疎かにしても、誰も文句は言えない。

 むしろ企業の(いぬ)として、ふらんはまだ幸運な立ち位置にいられたのだ。酷い企業であれば身内の病気や事故・死亡ごときで便宜を図る──保険の適応や忌引休暇を与えることすら“ありえない”社会の中で、ふらんは可能な限り、家族と仕事を両立できるように計らってもらえたのだ。彼女の社内での地位と、その技能と経営手腕を喪うことを回避したかったのも確実にあるだろうが、「ユグドラシルを遊んでいてナノマシンが暴走した」という事実を隠蔽しようという、企業側の圧力もあったのかもしれない。

 

 

 

 

 ナノマシンは言うまでもないが、人間の体内に極小の機械を……異物を注入することで、その機能を発揮する。

 仮に、人間の免疫不全を解消するために『免疫機能を代替すべく、体内で自己増殖するナノマシン』があったとして、そのナノマシンが何らかの事故で過剰に暴走し、増殖規模が増大したら、いったいどうなるだろうか。人の体内で無限に機械物質が生成され続け、気がついた時には……想像するだけで恐ろしいことになる。

 2100年代のディストピア世界において、ナノマシンに自己増殖機能を持たせない……使用すれば使用するほど劣化摩耗し、体外へ排出されていく仕様になっているのも、そういう暴走の危険を取り除く意味では有用であった。

 しかし、すべての暴走要因を排除しても、何がきっかけでナノマシンに誤作動があるのかわからない。

 それが脳神経や脊髄に直結していれば、ナノマシンの異常動作──暴走で、被験体に何が起こるのか。

 ナノマシン事業を一手に担う世界規模のメガコーポレーションが推奨した、新世代のニューロン・ナノ・インターフェイス。

 富裕層・中間層・貧困層を問わず、生まれた瞬間に取り付けられるのがほぼ義務化されているほどの普及率を誇っている、人の脳を巨大な演算機とするための、新技術の粋。

 が、その導入には懐疑的な意見も多かった。人の体内に、機械などの異物を注入することを忌避する自然主義者や宗教家の批判は免れず、ナノマシンが何らかの原因で暴走や事故を引き起こすかもしれないと知れれば、単純に危険視する場合も十分あり得る。

 もっとも。企業が世界の舵取りを行う時代において、そういう異論反論は揉み消されて当然の異分子。金にモノを言わせ、あるいは家族を人質にとってしまえば、あとはどうとでもなる。それでどうにもできない場合は、この世界から反抗する者達を存在ごと「排除」することだってできる。……世界を牛耳(ぎゅうじ)る彼らならば、それが十二分に可能なのだ。

 無論、彼らナノマシン製造の最大手たる巨大複合企業も、度重なる実験と症例を研究し、考えられうる限りの暴走要因や事故原因を排斥し、そうして何重にも働く安全装置を機能させている(自分たち富裕層も使うのだから当然だ)。ユグドラシルなどのゲームにおいて、五感の内、嗅覚や味覚二つを遮断し、触覚にも制限処理を施しているのも──使用者の意識が過分に興奮した状態を記録した場合に、強制ログアウトが作用するのも──すべてはナノマシンの暴走から、利用者の脳や体機能に対し、過剰過大に過ぎる影響を与えないようにしてのこと。

 しかし、今でも年に数例ほど、ナノマシントラブルに見舞われる患者は存在している。だが、それは普及している人口率と照合すると、「ほぼ存在しない」レベルであった。──少なくとも企業側の発表では。

 この暴走事故は多くの場合、患者の体質とナノマシンが合わないことが大きな要因とされているが、場合によってはゲームの体感覚制御機能がうまく調整できていない──五感全てを再現しようとするなどの無理を企業が開発初期に試行・実験した場合──あるいは悪質なユーザーが違法改造を断行したことで、ナノマシンの危険領域に触れることもありえる。電脳法でこれら体感覚の制限方式が規定されているのは、現実と仮想世界の混同を引き起こさない以上に、技術面における不安要素を根絶するためなのだ。

 脳とナノマシン──人と機械が繋がるということ自体に、何らかの原因があるのかもしれないが、いずれも企業側の人間のみが知りうる情報であり、一般の人間にはそこまでの情報が開示されることは、あまりない。

 

 そして、

 

 そういった巨大複合企業の、是が非でも秘匿したい情報を手にした一般人は、企業の許で監視されるか、あるいは企業の手で「処理」されるかの二択しかない。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーのとある一人も、企業に「処理」された側の人間であることは、彼から情報を与えられた一人しか、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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