オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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【陽言】
 いつわって言いふらすこと。


陽言

/War …vol.04

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 ツアーは、カワウソの狂態を……兇変を……強暴なまでの混沌を、己の宮殿の中で視認している。

 アインズの息子たるユウゴ王太子を経由して送られる戦闘映像を共有する白金の竜王は、父たる竜帝・先代の白金の竜王が生きていた頃、まだ幼い竜だった時分から、ユグドラシルプレイヤーを幾人か見てきた。

 

 

 200年、否、もう300年前の御伽噺にのみ残された、ツアーの親友たち──リーダーと、彼の仲間──口だけの賢者、など。

 世界を守る協定を結んだ六大神──その最後の一柱として、当時から法国において信仰されていた「死の神」・スルシャーナ。

 そのスルシャーナ殺害の疑いをかけられ、逃亡の末、各地で戦乱に陥った八人のユグドラシルプレイヤーたち……後の八欲王。

 

 

 

 八欲王の中で、異形の姿に成り果てた自分の醜悪さに恐怖し、異形種の発揮する非人間性を、最終的に抑止できなかった三人の王たち──“深祖”・“天狼”・“祟鬼”。

 

 人間に戻る方法を誰よりも希求し、あらゆる命を犠牲にすることも厭わなかった、吸血魔。

 深祖は狂いながら叫んだ。

『俺は人間だ! ニンゲンなんだあああああぁぁアアアアアアアアアッッ!!』

 

 天衝くほどの巨体にふさわしい暴威と悪虐に憑かれた、今は絶えて久しい人狼国の、大王。

 天狼は笑いながら吼えた。

『邪魔はさせねぇ……この世界も、ヒトも何もかも、全部ブッ壊れちまえ!!』

 

 南の地に微かに存在していた鬼の系譜と迎合し、彼女らを守護し続けんと欲せし、祟り神。

 崇鬼は憤りながら諭した。

『人間に、人間という生き物に、守る価値など、あるというのでしょうか?』

 

 そして、他の王たちとの死闘暗闘──裏切りと策謀の末に、彼らは“世界の敵”と化した。

 

 彼ら“世界の敵”を止めるために、他の王は死力を尽くし、ほとんどの王が死んだ。

 その戦いの後──

 たった一人だけ生き残った王は、竜王との生存戦争の末に保護していた竜帝の子・ツアーを養い、アーグランドの地や自分たちが壊した世界の再生と再建に努め、自分の統治下となった南方の一地域────浮遊都市型の拠点に引き籠りながら、自分が打ち倒した八欲王の仲間たちと、犠牲になったあらゆる命への祈りを、終生にわたって捧げ続けた。

 そして、彼は老いた。

 老衰した彼は死期を悟り、成長したツアーに自分のギルド武器を託し、都市管理者30体のNPCたちとの協力関係を結んで、この世を去った。それが、500年──今では600年前の出来事。

 

 八欲王の物語は、「互いが互いに持つものを求め争った」とされている。

 それは、一面において正しい。

 だが、よくある金銭や財宝を求めたのでは、まったくない。

 

 異形種の王たる三人は勿論、亜人種の王たる二人もまた、自分から失われた人間性を取り戻したいがために、人間として生きることができる仲間たち三人を羨み、人間になることを求め欲した──どんな手段を行使してでも、人間になるためならば、どんなことでも(ため)(こころ)み、研究と探求を繰り返して──結果として彼らの多くは、この世に混沌と擾乱と不破と大戦争をもたらすことに、なってしまった。

 一方で、人間種として異世界にわたり来た三人の王たちもまた、世界の頂たる人外じみた力を遺憾なく発揮し、欲望と衝動のままに戦い続ける他の五人の王の在り方に、心の奥底では惹かれ続けた──強すぎる力を持ちながらも、人としての形をもって存在する王たちは、現地の人々に「対等な存在」と扱われることは、まったく完全にありえなかった。過ぎた力の保有者は、神聖視されるか、白眼視されるかの二択しかない。

 

 彼らの力は、始原の竜を等しく根絶し、次元を断切するほどの威を、世界に対し行使し続けた。

 そして、あまりにも強大かつ莫大に過ぎる力は、彼らを孤独に追いやった。

 

 人であることを求め欲し、結局、人になることはできなかった、王の物語。

 人になることを望み欲し、結果、人ではない王として存在し続けた、プレイヤーの話。

 人という存在から「わかたれてしまった」──ユグドラシルという異世界(ゲーム)からやって来た、客人(まろうど)たちの、悲劇。

 

 ──人であることを欲した王。

 ──人でないことを欲せられた王。

 ──人というものから“わかたれた”、欲の王。

 

 かの都市に眠る王たちの墓碑に、そう刻み残されている。

 

 

 

 故に、八欲王……

 

 

 

 だが、実際に数百年の時が経ち、風聞される八欲王の物語は、細部を省略したり歪曲したり脚色されたりなど、その当時を完全に伝達するような内容からは程遠いものへの変質を余儀なくされた。偽って言いふらされる──陽言(ようげん)されるのは、物語を誇張する吟遊詩人(バード)たちには日常茶飯事。民間で読み書きも出来ない農村だと、口伝されるのが関の山というのも、その傾向を加速させる材料となった。

 竜帝を含め、アーグランドの有力な竜王は悉く死滅し、当時の様子を完全に知る者は、ツアーなどのごく一部のものに限られている。今を生きる竜王で、ツアーよりも上の年齢のものは、アーグランドに属さない、世界への関心をほとんど持たない孤独主義者たちばかり。

 協定によって──何より、死の間際に残したギルド長の命令によって、浮遊都市内を護る守護者(NPC)たちは、外の世界への侵攻と進行を完全に停止している。──彼女たちが行動を起こす時は、浮遊都市への害意や侵略の企図があった時のみとされ、それはアインズ・ウール・ゴウン魔導国との協調を結んだ今も、変わっていない。彼女たちは、八欲王なる御伽噺を、修正し訂正しようという気概すらないのだ。そんなことをしたところで、彼女たちの主人は、戻ってくることは、ない。

 何より忘れ去られることこそが、彼女たちの信奉する王の、望みであったから。

 

 そして、人の世は常に忘却と共に歩むもの。

 

 どんなに言語や学術や魔法を発達させ、歴史や真実や記録を残そうと努力しても、100年どころか、ほんの10年も経てば、人々の記憶は自然と風化されていく。どれほどの厄災も、どれほどの戦乱も、子々孫々にわたり“事実”だけを留め残す法など、この世界の──否、どんな世界の人の術理にも、存在しえない。人は年を重ね、代を重ね、竜などの異形種よりも多くの子や孫を残すことで、脆弱な血脈を残し続ける、劣等の(うから)

 故に、御伽噺にまで堕した八欲王の物語は、「愚かな王たちの物語」と切って捨てられ、忘却の底に落ちることになるのは、必定自然の流理でしかなかった。

 六大神しかり。

 八欲王しかり。

 ──ツアーが最も大切に思う、十三英雄にしても、そうなのだ。

 

 

 

 そして、アインズ・ウール・ゴウンが渡り来てより、100年後の今。

 ツアーは、アインズと戦うプレイヤーの姿──その変貌ぶりに愕然となる。

 

「莫迦な。──あまりにも早すぎる」

 

 ツアー自身、映像越しに確認されるカワウソの狂状は、目を覆いたくなるほど憐れなもの。

 だが、ツアーが見てきた異形のプレイヤーと比較すると、彼の“異形化”の速度と深化は、本当にありえない。亜人種に訪れる“真の亜人化”でも、このような事例は見たことも聞いたこともない。

 いったい何がどうして、カワウソの異形化が促進されているのか──

 

「堕天使という種族であるが故のものか? 装備品の速度上昇──は関係ない。それを言ったら、八欲王において最速を誇った崇鬼は、最も早く異形化が進行したはず」

 

 だが、崇鬼は最も長く異形化を抑止できていた。

 かつての記憶を、幼少の頃とは言え、王の一人に保護されたツアーは、八欲王全員と面識を得ていた。

 アインズから聞いていた、堕天使という種族の特徴を、脳内で一挙に総覧する。

 その中でありえそうな要因となると……

 

「──“状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ”か?」

 

 アインズの取得した死の支配者(オーバーロード)は、精神の昂奮や人としての強い感情を、問答無用で「鎮静化」する作用が働くという。

 これは、死の支配者(オーバーロード)の身体にそなわる特性が、精神的作用などの影響を受け付けないスキルが働いているせいだろうと、アインズは推測していた。

 

「だとすると、カワウソくんの精神異常も、堕天使の特性故のもの、か?」

 

 竜であるツアーに、人の機微や心情は掴みづらい。数百年を生きるうちに学習し、理解し、納得することはできているが、それを竜の感性に落とし込むこと……体感することは実に難しい。そういったことが苦手なせいなのか、この齢でも人化の始原の魔法(ワイルド・マジック)は習得できずにいる。

 しかし、堕天使は比較的人間と近しいモンスターであり、ユグドラシルの設定だと、人間に感化され共感した異形の天使たちが、やがて人間の世俗に毒され、そうして人間と同じ姿かたちをもって、享楽の(とりこ)となった──とかなんとか。

 つまり、堕天使は並の人間と同等か“それ以上”に、精神的に不安定な存在と成り果てているわけだ。

 人が喜ぶことで狂喜に酔い、人が悲しむことには悲嘆に暮れ、人が怒ることに対し激しい憤怒を覚える。

 ゲーム的には“恐怖”“恐慌”“混乱”、“興奮”や“高揚”などの状態異常に罹患しやすく、アルコール摂取による“毒”や異常作用持ちの食材摂取による“麻痺”や“睡眠”などにも陥りやすい──それが“状態異常脆弱Ⅴ”を有する堕天使の、最大の弱点であった。彼らは一部の状態異常──もともと『狂っている』という設定が故の“狂気”や、『神の下僕』としての設定故の“精神支配”系統には一切罹患しない程度の耐性しかない。

 ふと、気づく。

 

「まさか……もともと……もとから──狂っている?」

 

 堕天使は狂気や精神支配には絶対耐性を有しているが、それは種族設定としてそうなっているものと聞く。

 であれば、何故──

 

「どうして、カワウソくんは、普通にしていられたんだ?」

 

 ツアーは自分の中で何かを掴みかける。

 もともとが狂気に侵された存在であるというのなら、どうして彼は正常な思考能力を持って行動できていた? 追われていた飛竜騎兵の乙女を救出し、マルコ・チャンと魔法都市を目指し、魔導国の様子を静かに見聞しつつ…………しまいにはツアーとの個人的な面識まで得る時にも、狂気に汚染された様子は見受けられなかった。いずれもまっとうな人間としての行為であり、プレイヤーという存在がみせる人間性の発現であった。

 だが、本当は“逆”なのではないか?

 そう。むしろ。

 

「あの盛大に狂った鬼顔を、凶相をさらす今の方が、堕天使という種にとっての“通常”なのか?」

 

 あれこそまさに、異形種(モンスター)の名にふさわしい異形である。

 世界級(ワールド)アイテムの赤黒い輪っかの下にあるのは、純黒の面貌。臓物のような色調の涙を流す部分は、絶望と狂気にとらわれた心を(あらわ)にしたような虚無の様を呈している。世界の全てを見たくなくなったと言わんばかりに、落ちくぼんだ眼球はどこぞへと消え失せた。狂い笑う堕天使は、泣言を囁く人間を喜んで虐罰するかのように、カワウソの助けを呼ぶ声を、鞭打つがごとき笑声で蹂躙していく。

 あのアインズですら、カワウソの異変ぶりに手をこまねくしかない状況の中で。

 

「ん──治癒空間の生成スキルか?」

 

 熾天使が即座に動いた。

 アルベドの猛攻を、装備されている右籠手を犠牲にして耐えながら、主人が泣き崩れ笑い転げる地点を中心に、あるスキルを発動していた。

 玉座の間に立ち込める清浄な湧き水の気配。

 復讐を望み、いつしか諦めたツアーは、映像に映る復讐鬼──堕天使の黒い鬼相が、熾天使の腕の中で快癒していくのを、まじまじと眺めた。

 

「アインズが発する“絶望のオーラⅤ”が立ち込める空間を、熾天使の“希望のオーラⅤ”で中和しているらしいが────?」

 

 最初は、アンデッドのアインズを、カワウソから遠ざけるためのスキル発動だと誤認した。

 だが、ミカの胸の中に抱かれ、太陽のごとき光輝と言葉に包まれるカワウソの表情を見て、愕然となる。

 

「まさか……“なおっている”? ……いや、一時的に抑え込んでいるとみるべきか?」

 

 天使(ミカ)の腕に抱かれ護られる堕天使(カワウソ)の表情が、見慣れた通常のそれに戻っていた。

 ふと、ツアーは疑念が膨らむ。

 異形化の力を、抑え込むだと?

 治癒の力が働いたおかげ──というのは、考えにくい。

 そんなことが、単純な治癒魔法や治癒効果のアイテムなどで“真の異形化”を完璧に阻止できるのであれば、八欲王たちの異形化も阻止できたはず。スルシャーナや深祖などのアンデッド系統に属する者に正当な治癒は与えられないとしても、人狼(ワーウルフ)の四足獣形態に馴染んだ彼や、(オニ)の種族を極めていた彼は、治癒の正常な力を十分に供与されていた。

 なのに、カワウソは異形化の状態から、一時的にだろうが、脱出してみせた。

 

「あの女天使、いったい──?」

 

 再度、アインズとカワウソたちの戦闘が始まる。

 その時、ツアーの傍近くで、共に映像を共有していた娘が、無機質な声をかけてきた。

 

「ツアー様」

「うん。どうしたんだい、カナリア?」

「我々は、というか、ツアー様は、ここで見ているだけでよろしいのですか? アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、ツアー様の同盟者にして御友人。あのカワウソなる復讐の鬼を、討滅しに赴いた方が良いと判断できますが?」

 

 ツアーは鎌首を横に振った。

 それには及ばない──以上に、アインズが明示した戦闘方法は「三対三のチーム戦」であることを考えれば、ツアーが参戦しに行っても、逆に無礼に値するだろう。

 

「ですが、あのような暴虐の徒に、アインズ殿が万が一にも打倒されることになれば、義父(ツアー)様たちの計画に支障が出ます」

 

 確かに。

 ツアーの望む計画には、アインズ・ウール・ゴウンの……モモンガの協力は必須である。

 それを思えば、アインズに敵対するだけの郎党など、ツアーにとっては邪魔者以外の何でもなかった。

 それでも、ツアーは首を横に振り続ける。

 

「カナリア。君は、カワウソくんが気に入らない?」

「復讐など、“人形”である私には理解できません」

 

 生まれてこの方、復讐どころか誰かに対して感情的になることすら知らない人形の少女は、カワウソの述べ立てた嫉妬の感情に、まったくの不理解を示した。

 

「それに、彼の嫉妬に狂った様子も、甚だ理解不能です。やはり私には、感情というモノを理解することができません」

 

 カナリアには感情という機能がない。それは特異な生まれ故のものなのだろうが、ツアーは「気にすることはない」と言って薄く笑う。

 

「何故、カワウソはあそこまで過去にこだわるのでしょう。過去の出来事など忘却し、何だったら記憶を操作でもして、今の環境に馴染んでしまうことの方が、もっとも有意義なはず。なのに何故?」

「それは、ね。

 彼が“人間であるから”だよ」

 

 今の状態など関係なく、カワウソもまた、己の人間性に──彼自身の望む復讐(こと)に忠実でいることを良しとしている。

 アインズと同じように、人間としての残滓を強固に保つことで、彼は彼としての自我を有し続けている、この状況。

 

「人間を人間たらしめるのは、姿形というよりも、心の在り方こそが、比重としては大きい。彼ら異形種のユグドラシルプレイヤーは、自分自身であることを選び続ける限り、人としての心を保つ限り、異形種の精神に食い尽くされることはない。それは、アインズの例から見てもわかるだろう?」

 

 もっとも。

 それこそが一番、異形の姿に変わった者には難しいことなのだ。

 

「ですが。人らしい心というもので、嫉妬に狂う在り方など、恥ずべきもの。嫉妬とは、悪しき心の代表、バケモノのごとき醜悪な感情ではないのですか?」

 

 カナリアには不思議でならないようだ。

 嫉妬というものは、大概の物語において卑近かつ猥雑で、唾棄すべき罪の感情だと吹聴されるもの。

 だが、ツアーはそれらとは異なる意見を持っていた。

 

「嫉妬というものを、一概に悪だと論じるのは、あまりにも浅はかだよ。カナリア」

 

 白金の竜王は、超然とした瞳で、自分の騎士たる義理の娘を諭す。

 

「この僕、白金の竜王(ツアインドルクス)でさえも、若かりし頃は嫉妬に狂ったものだ」

 

 意外なことを聞いたという風にきょとんとする娘をおいて、ツアーは思い返す。

 父たる竜帝や数多くの兄姉、親族たち竜王を悉く打ち負かした、八欲王への復讐の想念。

 その根底にあったものは、憤怒や哀惜というよりも──力を持っていた者達、八欲王(プレイヤー)への嫉妬心が大きい。

 自分にも、彼らほどの力があれば。

 自分に彼ら以上の能や質があれば。

 そうであれば、ツアーは数多くの仲間を、兄姉たちを、父を、死なせずに済んだのではあるまいか……と。

 だが、ツアーは幼かった。

 生まれて数十年程度の若輩者であり、彼らとの戦争に駆り出されるほどの力は、一片も保持していなかった。父母や兄姉が扱えたような、人への変化も、道具の作成も、誰かを癒すような始原の魔法(ワイルド・マジック)も、すべて苦手を極めた。当時のツアーが得意だったことは、ただ世界を滅ぼすほどの熱量──“炎”の放出だけという、不出来な末っ子であった。

 しかし、戦いが終わった後、「復讐してやる」と豪語し断言したツアーに対し、他ならぬ王の一人──アースガルズ・ワールドチャンピオンだった“アイツ”に保護され、若き竜帝の子は、敵であった王から、教えられた。

 

「誰かしら何かしらを嫉み妬むことは、(ひるがえ)って考えれば『いつか必ず、その位階その領域に到達してみせよう』という、『向上心』の現れだ。嫉妬を懐けないものは、遥か遠い高みを目指すようなことは、絶対にしない。自分はここまでだ。自分ではこれ以上いけない。そういう思いにとらわれ、完全な敗北を自明のものと認めてしまった落伍者は、重力にとらわれた路傍の石コロのように、地の上を転がるだけの境遇に甘んじるだろう。

 嫉妬を懐けないモノとは、ただの敗北者よりも陰惨な、賢者や覚者のフリをしただけの────“永遠の停滞者”となる」

 

 だが、嫉妬を懐くものは、遅くても這ってでも、『前へと進む』だろう。

 どんなに無様でも、どんなに不格好でも、どんなに不器用だろうと、……関係ない。

 自分もきっとそこへいける、それになれる、絶対に出来る──そう信じて、前に、進める。

 それが嫉妬という悪感情を養分として成長する、普遍的な「進歩」のメカニズムだ。

 遥かな目標へ向け、妬みながら嫉みながら、“上”を向いて、歩いていく。

 

 きっと、そこへ。

 いつか、それに。

 不可能など、ない。

 だからこそ、前へ。

 ──そう信じる「心」こそが、嫉妬という感情の底に、潜在しているもの。

 

「だから、僕はカワウソくんにも、生きていてほしいと思う──」

 

 復讐に憑かれた鬼と化すプレイヤーにとって、復仇の対象を目の前にしながら、「過去のことなど忘れろ」「そんなことをしても、仲間たちが戻ってくるわけないだろう」と教え諭したところで、何にもならない。ツアー自身が、親兄姉を殺し尽くした王たちへの復讐に憑かれた過去があり、幾度となく挑んでは返り討ちにされていったもの。

 そうして、復讐の対象として挑み続けたアイツが、老衰で死ぬときには、かつて懐いた、劫火のごとき感情は、見事に綺麗さっぱり消失していたのも経験している。

 膨大な過去の記憶から、とある日のページを紐解く。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

「儂は、いい王でいられたのだろうか……」

 

 彼には死期が迫っていた。

 

「儂のやってきたことは、正しかったのだろうか……」

 

 只人の死などには興味のないツアーであったが、浮遊都市の寝所で横になる“王”の死とあっては、話は別だ。

 神殿のように広く高い空間。

 都市の中でも特に厳重な警備が敷かれている城の中で、枯れ木のごとく真っ白に染まり果てた男の眠る場所は、多くの臣下たち──NPCや都市を治める現地の人間が数人、彼の最後を看取るべく参じていた。

 王に保護され、アーグランドの地へと還された、ツアインドルクス=ヴァイシオンも、その一人であった。

 

「ツアー……すまなかった」

 

 こいつは、ツアーに謝るのが癖になっているように、儚げな表情で笑う。

 かつては新緑色の髪──ゲームのキャラメイク──を鮮烈に輝かせていた美男子は、もはや灰塵のような燃えカスの様を呈している。木の根を思わせる大量の髪はすべて白灰色になりかわり、かつての短髪姿を想起することすら難しくさせた。精悍な肌色は谷のように深い皺が幾筋も刻まれ、世界を──次元を切断するほどの力を振るった豪腕は、もはや小さな蝋燭と同じく、容易(たやす)く折れそうなほど、細い。

 彼は弱くなった。強さ(レベル)ではなく、老いが、彼の肉体を死に追いやりつつあったのだ。

 

「いまさらになって言うのは卑怯だろうが────儂らのせいで、おまえの家族を、仲間たちを、他にも多くの異世界の人々や命を、失うことになった」

 

 人間になろうと努力し、それがもとで狂気を加速させていった王たちの惨劇。

 そうして──最終的に“世界の敵”と化した八欲王(なかま)たちとの、世界の命運を賭けた戦い。

 その余波はいくつもの国を滅ぼし、いくつもの地を次元の淵に落としたほど。

 とても許されることではない。

 事実、八欲王は数十年前に絶滅したと、そういう風聞を広めた。互いに持つものを求め争い、自滅した愚極な王として、一人残らず滅び尽きたということになっている。さらに着色され脚色された王の物語は、ほんの数十年で、原形を読み解くことは難しいほどに変質していた、あと数百年も経てば、八欲王の恐怖の支配や、世界を引き裂くほどの脅威など、誰の記憶からも消え失せるだろう。そうした方がいい。彼らはユグドラシルの中でも、最上位に位置する存在たちだ。たとえ後続が現れたとしても、彼らほどの混沌と擾乱をもたらすことはないだろうと──逆に、次に来るプレイヤーたちへの恐慌や差別を助長するだけになることが危惧されてならない。八欲王は、過ぎ去る嵐の中でも、極めて特異な一例に過ぎないのだ。

 

 しかし、ここにいる王は、一人だけ生き残った。

 

 生き残って、自分や仲間たちが壊し尽くした──元の世界に帰りたいがために、普通の人間に戻りたいがために、そんな仲間たちを止めようと足掻いたがために、数多くの蛮行と非道と我儘の限りを尽くしたがために、滅びかけた世界……その再生に貢献し、そのためだけに一生を費やした。ギルド長たる彼にのみ従う浮遊都市のNPCたちの協力もそうだが、ツアーという現地の外部協力者の存在もあって、世界は混沌の時代から回復することができた。

 そして、今日。

 八欲王の最後の一人が、死の(とこ)に就こうとしている。永遠に。

 

「できれば、──大きくなったツアーの背中に乗って──、世界を見てみたかったなぁ……」

 

 強力な竜騎兵(ドラゴンライダー)としての職を有する王は、結局、ツアーへの罪悪感から、そういった軽率な行動をとることはなかった。王はツアーの仇。ツアーの一族を殺し尽くし、アーグランドの竜王を潰滅させた、郎党の一人。そんな奴に、誇り高き白金の竜王が背を預け、頭の上に乗せるなど、あってはならない狼藉に相違なかった。

 事実、ツアーはこの王に保護されてからも、復讐の爪牙を研ぎ続けていた。

 会えば必ず憎悪の言葉を舌にのせ、隙を見つけては王の背後から奇襲し、コテンパンに返り討ちにされたのは、数十年の間で、軽く一万回は数えるだろう。

 ツアーがそういった騙撃伏撃をやめるようになったのは、彼が不治の病に侵され……やがて老衰という事態に陥ることになったから。

 かつては並み居る竜を悉く吹き飛ばし、強制隷属させた騎乗職の王は、見る影もなく痩せ細り、今ではベッドの上で寝たきりの生活を強いられる姿を見て、ツアーの復讐の炎は、見るも無残に鎮火していった。

 

「ごめんな……ツアー……。『復讐させてやる』って、約束してやったのに……もう、儂は、戦うことも……」

「黙れ!」

 

 幼少の頃とは違う、青年期を迎え成熟しつつある竜の身体から、魔法のガラスでなければ窓が全損していただろう呼気を飛ばす。

 

「そんな声で笑うな。そんな声で鳴くな。そんな声で、この僕に語り掛けるな! 王ッ!!」

 

 ツアーは詰め寄った。

 

「いいとも! 頭でも背中でも、乗りたいというのなら、いくらでもどこへでも乗せて飛んでやる! ──だから!!」

 

 忌々しい好敵手に、ツアーたちへの罪滅ぼしを続けた老王に、肺腑の許す限り吼え立てる。

 

「死ぬな!!!」

 

 耳すら遠く成り果てた老王の鼓膜にも、ツアーの喝破は心地よく響いたようだ。

 過日の、若かりし頃の面影が、老爺の顔面に浮かび上がる。

 木漏れ日のように眩しい笑顔。

 太陽のように温かい言葉と共に、王は心の底から、笑う。

 

「乗せて…………くれるのか?」

「あたりまえだろう!」

 

 ツアーは涙を流すように怒声を零す。

 

「お、おまえ。この僕が、いつまでもせこい復讐をすると思ったら、大間違いだ!」

「あはは……あー、そりゃあ……そうか…………ああ、それが聞けて、よかった」

「おい、王。──目を閉ざすな! 僕の眼を見ろッ!」

「だいじょうぶ……ちょっと、だいぶ、眠い、だ、け」

「目を開けろと言っているんだ、王!」

 

 いつかのように。

 幼く震えているばかりだった白竜を匿った時のように、王は寝台に迫ったツアーの鱗に、手を伸ばす。

 

「また、明日、な…………」

 

 白竜の鼻先を撫でる優しい手が、こぼれた。

 

「──、王?」

 

 寝台の端から投げ出された(しわ)だらけの掌は、ピクリとも動かず、いかなる血流の脈動を感じない。

 悲鳴が、悲嘆が、王の寝所を鳴動させる。

 

「お父様!」「王よ!」「陛下!」「御主人様!」「目をお開けください!」「そんな!」「蘇生を! 蘇生の魔法を!」「ダメ、……やっぱり、効かない──」「ああ、なんという……」「崩御、ナサレタ──」「嫌ぁ……イヤッ!」

 

 都市守護者たち三十人と臣下達が泣き崩れ、喚き散らし、この世の終わりのような声と表情で、目の前にある現実を認識していく。

 他ならぬ王自身が、このときのために、準備していた。

 自らの終焉の時を──死の訪れを──彼はずっと備え続けてきたのだ。

 

「……違う」

 

 だが、ツアーは受け入れなかった。受け入れることは難しかった。

 もしかしたら、父たちが死んだ時以上に、目の前の現実を認められなかった。

 

「王! 約束が違うぞ!」

 

 竜の巨体から咆哮を飛ばし、何故か潤む瞳の中で、復仇の存在として君臨し続けた王を──人間の老爺を、……その死体を、睨み据える。

 

「おまえ、僕に言っただろう! 復讐させてやると! いつだって挑戦を受け入れると! なのに?!」

 

 これでは、もう約束は果たせない。約束は、果たされない。

 

「おまえは! 約束を(たが)えるような男じゃない! 嘘つきでも、不誠実な奴でも、ない! なのに!?」

 

 今になって、最後になって、すべてを台無しにするのか。

 ツアーとの約束を。これまでの日々を。

 

「目を開けてくれ!」

 

 ツアーは叫んだ。

 

「────友樹(ユウキ)!!」

 

 

 

 

 八欲王と呼ばれた、その最後の王が、この世を去った。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 ツアーは長い一瞬から、目を開ける。

 そして、不思議そうに見つめる騎士(カナリア)に、言い含める。

 

「復讐は何も生まないという……だが、復讐から生まれる“何か”も、この広い世界には、確かに存在しているのだよ」

 

 ツアーは、ナザリックで進行する戦闘状況を眺める。

 過日の自分と同じく、敵にぶつかることでしか自分(おのれ)になれない存在(カワウソ)の行末を、見つめ続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ──人であることを欲した王。
 ──人でないことを欲せられた王。
 ──人というものから“わかたれた”、欲の王。


 人という字を二つに分けて──“八”。


 だから、八欲王。

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