オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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街道

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.03

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞍の装着を終えた飛竜(ワイバーン)のラベンダを連れて、カワウソたち四人は、森から街道のある北を目指した。飛竜にまたがり飛行するヴェルは、確かに騎兵としての技量に恵まれている。彼女の言が(かた)りでないと解ると同時に、彼女のような強さ……低いレベルの人間が、飛竜に乗れる事実が不可思議でならない。この世界の住人はレベルの概念なく飛竜に乗れるのかと思ったが、ヴェルやマルコの話を聞く限り、飛竜に乗れるのは飛竜騎兵だけで、魔導国最強と謳われる上位アンデッドの航空騎“蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)”ですらも、生きた飛竜に騎乗することは不可能なのだとか。蒼い馬に騎乗する禍々しい騎士たちの強さ(レベル)なら、乗れなくはない気もするのだが、カワウソはそこで考えを保留しておく。深く考えるだけで頭が疲れてしまうから。

 鞍にはヴェルの他にマルコが同乗し、カワウソとミカは地上を走る。

 

「ちょっと、乗りたかったな……」

 

 飛竜は主人以外のものを背に乗せたがらない(マルコはなぜか例外なようだ)上、ラベンダは負傷していた身。あまり大人数を運ぶことは控えるべきだと判断された結果である。彼女たちの騎影を追うと、程なくして、草原を望む街道に抜け出した。

 三叉路が北と東と西に分かれており、その行く先は杳として知れない。矢印のような看板が目に飛び込んできたが、それはカワウソには未知の言語で、どんなことが記されているのか理解できない。翻訳魔法の眼鏡や巻物を拠点に残してきたことが、心底悔やまれる。

 

「マアト。この文字、おまえなら読めるか?」

『しょ、少々お待ちを』

 

 翻訳魔法にも長じているマアトに、監視越しの解析を頼んでみるが、未知の言語と言うことで時間がかかるらしい。彼女に装備させている眼鏡――情報魔法系統の防衛装置を今は外させるわけにもいかないため、解析出来次第連絡するよう命じておくだけにしておく。

 

「ミカ……おまえは読めるか?」

「読めるわけがないでしょう?」

 

 毒舌を送るミカもまた、看板に施された言語を理解できない。会話が翻訳されているのなら、文章だって翻訳されてもいい気がするのだが、この両者の違いとは何なのだろう。

 

『カ、カワウソ様。ヴェルさんとラベンダさん、あとマルコさんのレベル推定も算出しましょう、か?』

「ん……そうだな、頼む。あと、俺が森に残した避難所(シェルター)付近に、ガブとアプサラスを派遣してくれ。壊れた森を隠蔽、ないしは修復するように伝えてほしい」

『か、かしこまりました。あの、引き続き、マッピングも続けます、が?』

 

 脳内に響く巫女の声に、カワウソは短く「頼む」とだけ答えを返す。

 看板と睨めっこをしつつ頷いた男の背後に、飛竜に乗った二人が降り立ったのだ。

 この会話を聞かれるのはマズい。ミカと会話をしているか、さもなくば独り言を言っているのだとしても、文字が読める読めないなどの会話というのは、かなり珍奇な印象を与えて然るべき内容に違いない。

 空を二、三キロほど飛翔した竜は、傷の開く様子もなく、問題なさそうに翼を(たた)む。振り返った時、飛竜騎兵と修道女がほぼ同時に竜の背から飛び降りていた。

 

「一番近い街……都市は、ここから北にあります」

 

 マルコの柔らかな声が注がれる。

 カワウソに近づいてきた修道女が、看板の一つを使って示した方向は、ほぼ北の方角である。

 この辺りは、マアトの作成した地図のはるか北側。

 カワウソたちは、さらに北上することを余儀なくされるわけだ。

 足甲で踏みしめる街道は、黒い鉱石を思わせるアスファルトかコンクリートのようなもので舗装され、しかも幅は飛竜が二体ならんでも通れそうなほどに広い。よく目を凝らすと、何かの紋様が路面に小さく細かく浮かび上がっていて、何かの魔法的な細工が施されているのかも知れなかった。

 

「……あれは?」

 

 ミカが驚くほど低い声を奏でるので、カワウソは視線をあげざるを得ない。

 見ると、街道の向こう──三叉路の一方向から、こちらに向かって走ってくる車体が見て取れた。

 

「うっ……」

 

 カワウソは思わず声が上がりそうになるのを、ぐっとこらえる。

 あまりにも驚くべきものが、四輪駆動の箱を牽引(けんいん)していた。

 こちらに向かってくる馬車の列──馬車というべきか(はなは)だ疑問だ。何しろ馬は魂喰らい(ソウルイーター)首無し馬(デュラハン・ホース)鉄馬の動像(アイアンホース・ゴーレム)ばかりで、生きた馬はいなかった──は、死の騎兵(デス・キャバリエ)……中位アンデッドの御者などによって、街道を整然とした調子で走行している。

 

「どうかされましたか?」

「いや……」

 

 マルコに首を傾げられ、何とか警戒心を剥き出しにしそうな自分を取り繕う。ミカの表情もだいぶ峻烈に研ぎ澄まされていたが、こちらからいきなり先制して襲い掛かることはしなかった。事前に、この大陸にはアインズ・ウール・ゴウンの創造したアンデッドが(ひし)めいていると聞かされていても、まさか一交通手段にまで使われていると、誰が予見できるだろうか。

 男装の修道女に先導され、カワウソたちは馬車たちとすれ違い、街道を進む。

 先頭をマルコが進み、その後ろにカワウソとヴェルが並んで続き、カワウソのすぐ後ろをミカがついてくる感じだ。ちょうど巨体のラベンダの左側に四人が並ぶ感じである。

 カワウソたちのように、徒歩で歩いている者も少なからずいた。彼らはヴェルと同じく、驚くほど装備の整ったものたちが多い。

 剣や刀を腰に()く者。槍や斧、弓矢を背中に(かつ)ぐ者。魔法使いのようなトンガリ帽子に杖、神官のような聖印を施した鎚矛(メイス)鎖棘鉄球(モーニングスター)など、様々な武装や防具で身を包んだものたちだ。性別も人種も、どころか種族や体格まで違いすぎるものたちばかり。

 少年が小鬼(ゴブリン)と共に談笑し、微笑む森妖精(エルフ)の乙女が豚鬼(オーク)の巨躯の肩に腰を下ろす徒党もあれば、蜥蜴の尾を持つ美女や獣耳を生やす青年が二人ずつ道を闊歩する中心で、キマイラに似た双頭の巨獣に据えられた輿に、悠然と騎乗した悪魔の角をもつ童女という集団もいた。

 

 まるで……というか、これは……ユグドラシルでよく見る光景だった。

 ただ、違うのは、彼らはゲームキャラではなく、本当に生きた存在であるという事実。

 

 そういう連中は一様に、首元に同じ規格の金属板が下げられていることで共通していたが、カワウソはそれが冒険者──アインズ・ウール・ゴウン魔導国で人気職に従事する者たち──の証明(プレート)だとは、知る(よし)もない。

 

「冒険者の方々がそんなに珍しいですか?」

 

 無自覚にじっと眺めてしまっていたのだろう、マルコにそう声をかけられてしまう。

 冒険者という単語に疑問を呟きそうになる自分を必死に抑える。カワウソはとりあえず、別方向の疑念を口にしてごまかしてみせた。

 

「いや……あいつらは何処に行くのか……気になっただけだ」

「あの方たちは、装備や進行方向から察するに、冒険都市に向かっていますね」

「冒険、都市?」

「冒険者の都です。そこでは各領域や都市にはないほど、難解かつ複雑なダンジョンが多数建造されており、上級冒険者たちの絶好のレベリングスポットとして著名な場所です。また冒険者専用の武器や防具、治癒薬(ポーション)などのマジックアイテムも数多く取り揃えられております。そこで年に一度だけ行われる闘技大会に、参加するものかと」

 

 なるほどと思った。

 ほとんどの馬車が進む方向も、おおむね冒険者たちと同じだったのは、その大会に参加する同業者か、あるいは観客などを満載しているというところか。そんなことを我知らず呟いていたらしいカワウソに、マルコは確かに頷きを返す。

 

「……あれ? じゃあ、連中は何で、馬車で移動しないんだ?」

 

 わざわざ徒歩で、自分の足で長距離を歩くなど、無闇に体力を消耗するだけでは?

 思わず疑問符が口を滑って出てしまったことに気づいたのは、マルコが丁寧に解説した途中からだ。

 

「いえいえ。むしろ、彼らは優秀であるからこそ、わざわざ金貨を支払ってまで馬車に乗る必要がないだけです。疲労無効のアイテムや、体力を自動回復させるアイテムを装備していれば、徒歩移動は大した労苦にはならず、おまけに節約に便利。街道自体にも〈早足(クィックマーチ)〉などの速度向上魔法の加護が付加されておりますし、いざとなれば、冒険者各々が各種魔法などで強化して、馬車には出せない速度で街道を走破することもできるという感じで──あ、ほら」

 

 指差すマルコの視線を追うと、向こう側から兎の耳を生やした少女と亀の甲羅を背負った少女が競うかのように街道を疾駆していく。その後ろからは、杖や水晶にまたがった魔法使い……人間の男と、人魚の女が、風の如く追随していった。誰の表情も真剣かつ愉快気な調子で、吠えまくる声は「小鬼(ゴブリン)亭の特上ランチは私んだぁ!」「させるかってのぉ!」「おーい、こっちの魔力も考えろ。ったく!」「みんなー、がんばれー!」などと、やかましくも仲睦まじい感じ。

 

 カワウソは思う。

 思い知らされる。

 

 どの顔にも、悲惨で暗澹(あんたん)たる色合いは窺い知れない。

 誰の表情にも、自分の置かれた立場や境遇に、不満の気配を(にじ)ませてはいない。

 

「そうか……」

 

 ここは──いい国──なのだな。

 呟きそうになる唇を、カワウソは必死に引き結んだ。

 隣に立つ少女の視線が、少しだけ、男の横顔を撫でてしまう。

 

「転移を使うものはいないのか?」

 

 少女の視線から逃れたい一心で、前を行くマルコに問いを投げてみた。

 

「魔導国において、確かに転移魔法を扱える魔法詠唱者も、それなりの数が存在します。ですが、長距離を一挙に、また大人数や大質量を伴っての転移は難しいのが現状ですから」

 

 聞いた瞬間、しまったと思った。

 カワウソは歪みそうになる表情を、何とか鉄面皮(てつめんぴ)で覆う。

 

 マルコの言う大人数かつ大質量の輸送運搬に使える転移の魔法と言えば、カワウソが常用している〈転移門(ゲート)〉の魔法くらいだろう。距離無限。転移失敗率0%。おまけに、ギルド攻略戦などの大人数が移動する上で、この魔法があるのとないのとでは大きな差が生じるほどに利便性に富んだ、最上級の転移魔法。それを神器級(ゴッズ)アイテムのおかげで、カワウソはほぼ無限に使用可能なのだ。

 

 だが、魔導国において、それほどの転移を行えるものは限られているという話。

 カワウソは静かに推測する。

 ありえる可能性は、二つ。

 一つは、この世界の住人は、高位階の魔法に習熟できないほど脆弱である可能性。

 もう一つは、高位階魔法を魔導国が故意的かつ意図的に占有独占している可能性。

 あるいは、この両方が同時に成立しているのだと思われる。

 

 しかし、ここでひとつ、それらとは違うレベルでどうしようもない問題発生に直面する。

 

 カワウソは、ヴェルに──現地人たる少女に、〈転移門(ゲート)〉を使うところを見せてしまった。隣にいる少女は自分がどんな魔法の影響を受けたか解っていない……解っていないからこそ、それをこの場では口にしないのだと考えられる。だが、少なくとも転移魔法を易々と使う存在だということは、あの状況下でも察しているだろう。だからこそ、少女はあんなに驚いていたのだなと、一人ごちる。

 自分の浅慮さ軽薄さが憎い。

 いずれにせよ、魔導国民(こいつら)の前で〈転移門(ゲート)〉を開くのは少しマズいということだ。

 今後は慎重に、人目を忍んで発動させるしかないだろう。

 ヴェルには、後で口裏を合わせてもらえるよう説得するか──いっそのこと。

 

「……チっ」

 

 己の内側から溢れる黒い思考に、カワウソは舌を打つしかない。

 自分は、何を、考えている。

 すぐ横にいる、年端もいかない少女を、どうしてこうもあっさり“切って捨てる”可能性を思索するのか。

 かつての自分は、ここまで冷淡な思考の持ち主ではなかった。こんなにも狡猾(こうかつ)で、卑小で、酷薄な思慮を抱くような人間ではなかったと自負している……そして、それは確かだ。

 

 …………まさか。

 

 他にも思い出してみれば、拠点内のPOPモンスターを標的にしようとしたことも、背後に追随する女天使を切り捨てる思考も、かつての自分にはありえないような冷淡さである。

 ひとつの懸念が、頭を貫くのを感じる。

 

 まさか──異形種の堕天使になった──から?

 

 そんな可能性が、すんなりとカワウソの脳内に解答を与える。

 堕天使とは、天使でありながらも、人々を嘲弄し、暴虐し、堕落させ、大罪を犯させることを無上の喜びとする悪魔に近い種族。天上にある頃は、地上にて堕落する人間たちの在り方を理解できず、何故そこまで堕落できるのか知りたい天使たちが地上に降臨した結果──いとも容易(たやす)く人間たちに感化され、欲得を覚え、私欲の限りを尽くし、あらゆる欲心に焦がれ、欲念に溺れ、そうして“堕天”した落伍者(らくごしゃ)の果ての姿。

 そう考えれば、今までのことも()に落ちることが多い。

 異形種のステータスとは別に、異様なほど重い疲労を覚える脳髄や精神。装備を外した時に味わった、とんでもない倦怠感と不安感。人間時代とは違いすぎる、思考回路の迷走。自分の仲間であるはずの天使たちに対しても、場合によっては薄情に過ぎる決断を容易に下すことができる、この現状。あまりにも暗く黒い──暴力の可能性。

 だとするならば。

 そんな存在が、堕天使という名の異形種(モンスター)が、たかが小娘一人の命を奪うことに何の情動も抱かないのは、なるほど、ありえる。しかも彼女らは、あのアインズ・ウール・ゴウンの配下とも言うべき存在――どうしてそんなものに遠慮をする必要が?

 

「……っ、いけない」

 

 首を振って自分の底に(くすぶ)りかける感情を瞬く間に鎮火する。

 カワウソの常識的な思考が、重石(おもし)となって感情の暴走をセーブしてくれた。とにかく、今は迂闊(うかつ)に動いてはいけない。この世界の──魔導国の実像を知るまでは。

 

「どうか、しました?」

 

 カワウソが一人で考え込む姿は奇妙に映ったのか、ヴェルが心配げな瞳で男の瞳を見上げ覗き込む。

 堕天使は声の震えを覚らせまいと、懸命(けんめい)に言葉を選び、連ねる。

 

「いや…………ヴェルは、その、冒険者なのか?」

「いいえ、違います。私は飛竜騎兵の部族というだけで……その」

「確か『ローブル領域の平定記念式典、その今朝の「演習」で、(あやま)ってアンデッドの予行行軍に堕ちちゃった』──ですか」

「な、なんでっ?!」

 

 ヴェルの表情が真っ青に染まる。

 そんな少女の変貌を何とも思わずに、マルコは言いのけてしまう。

 

「ラベンダが、そう言っていましたけど?」

「クゥ?」

 

 最前にいるマルコと、不思議そうに竜の鎌首を傾げるラベンダ。

 

「あ~、も~……ラベンダってば……」

 

 諦めたように首を振りつつ、大いに肩を落とすヴェル。

 話が見えてきた。

 どうやら、その式典の演習とやらで、少女らは何かしらの失態を演じ、あの追跡部隊に追われていたと、そんなところか。カワウソは納得と共に、その式典のことを問う。

 マルコの話では。

 平定記念式典というのは、かつてその地域より先で行われた「魔神王ヤルダバオト」の討伐戦に勝利してより99年目を祝して──とか何とかの催し物(イベント)のようだ。

 式典というだけあって、その演習や準備は万全の態勢で臨むべしとされ、尚且つ、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下も御照覧いただく関係から、大陸各地から勇士を集め、その雄姿を等しく魔導王の御前に献上することは、もはや法や掟を超え、常識ですらあるのだと、熱く語られる。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の二つの部族をはじめ、蜥蜴人(リザードマン)小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)、ビーストマンやミノタウロスなど、人間も亜人も異形も、ナザリック地下大墳墓の直下に平等という彼らが一堂に会し、等しく魔導国の絶対王者に忠誠と感謝を捧ぐ場として、そういった式典は年数回規模で催されるのだとか。

 そういった諸般の事情を何となく聴いて理解するカワウソは、式典に関するひとつの名称──魔導王と戦った“魔神王”なる存在の名が、気にかかった。

 

「ヤルダバオト……」

 

 何かの伝承かで聞いたことがある名称を呟いてしまうカワウソは、天使系の拠点NPC製作の際に、そういった神話系統の情報を可能な限り収集した過去があった。

 確か……グノーシスの、神様とか造物主だか何かの名前、だったか?

 どうにもはっきりとは思い出せない。何しろNPC製作時に収集したきりの情報だ。あとで拠点に残した百科事典(エンサインクロペディア)でも紐解いてみるとして、カワウソはマルコの話を静かに聞いていく。

 

「なるほど。ニュースで流れていた式典演習の事故は、あなたたちだったんですね?」

「……ええ、そうです」

 

 ヴェルはもはや諦観(ていかん)の境地で白状していた。マルコは存外、穏やかなまま、式典で起きたことを話し始める。

 

「ニュースだと確か、アンデッドの行軍に騎兵が突っ込んで、演習が一時中断されるほどの騒ぎになったとか?」

「たぶん……そのとおりです」

 

 だというのに、当事者であるはずのヴェルが、どうしてこんなにも歯切れが悪い感じにしか頷かないのか、カワウソは大いに疑問だった。

 

「たぶんって、何だ。たぶんって?」

「私──あまり、その時のことを覚えてなくて」

 

 言いにくそうに言葉を紡ぐ少女は、「予定通り演習に参加していたら、いきなり自分は行軍の中に墜落して、暴走していた」とだけ語る。さらに言うと、ヴェルは墜落した後のことは、ラベンダに伝え聞いた程度にしか把握できておらず、気がついたら自分とラベンダは追われていたのだとか。墜落と暴走のことは、共にいたラベンダから聞かされた情報に過ぎず、彼女自身にはそんな記憶は欠片も残っていないという。

 

「何とか、部族の皆と合流して……その、上の御方とかに、ちゃんと謝罪すべきだとは思うんですけど。私、アンデッドは、その、苦手で……」

「……そうか」

 

 少女は謝罪に赴く意思を持ってはいたが、問答無用で襲い掛かってくるモンスターが相手では、なるほど逃げるしかないというのもやむを得ない判断だろう。

 だとしても……かなり奇怪な話では、ある。

 聞かされた感じ、ヴェルは自分の意思とは無関係な感じで、予行演習中に暴れたようであるが、何故そんなことに?

 何者かに操られて? それとも、ヴェル本人の病気──健忘症の類か何かの可能性もあるのか?

 

「あの、マルコさん」

 

 少女は不安げな眼差しで、事情に通じていそうな修道女に、その演習の仔細(しさい)を訊ねる。そうせずにはいられないという調子で、ヴェルは小さくも強い声で問う。

 

「皆は──私以外の、部族の参加者は?」

 

 式典の演習中に暴走した。なるほど、これは罪に問われもするだろう。彼女の言っていた“不敬罪”というのも納得だ。“不敬罪”というより“公務執行妨害”や“軍務規定違反”という方が、より正確かもしれないが、そんなことは大した違いではないのかも。

 それよりも、解せないことが多すぎる。

 何故、少女は暴走とやらの最中の記憶を持っていない? 誰かに消されたのではないとしたら、その原因は? そもそもどうして、こんな小さな少女──ヴェルが暴走を?

 それに、何故──少女は演習に残してきた部族の者らを気に留める? 連帯責任として処されるとでも思っているのか? ……たぶん、その可能性は高いのだろう。でなければ、少女が残してきた仲間を案ずる必要はないはず。魔導王というのが暴力と理不尽で国を治める圧政者であれば、彼女の仲間が処される可能性は高いのではないか。

 少女が追跡部隊から逃げていたのは、根源的な死からの逃避からだろう。

 わけも理由もわからず、いきなり中途の記憶がないのに追われたりすれば、カワウソだって逃げるしかない。おまけに、追ってきた部隊というのがアンデッドや悪魔のモンスターとあっては、尚更だと思う。聞く限り、ヴェルは長く部族内での生活を続けていた関係上、魔導国の実情とやらには疎い傾向があるようだ。一般常識程度の知識は保有しているが、ただそれだけなのだと。

 ヴェルの懸念を理解したマルコは、心底から見るものを安堵させる笑顔と音色で、ひとつ頷く。

 

「御心配には及びません。ニュースによると、大した人的被害もなかったので、演習はその後、通常通りに進んだとか」

 

 その説明を聞いて、ヴェルはひとまず胸を撫で下ろした。

 対して、カワウソは仄暗(ほのぐら)い疑念を(いだ)かずにはいられない。

 

「いいのか?」

「何がです?」

「一応、ヴェルは国の追跡を受けていたんだぞ? いくら何でも、暴走した当人が、警察──軍や国家機関の世話になるでもなく、自由の身でいるというのは」

 

 マルコの言動が、カワウソには不可解なほど親切に過ぎた。

 それこそ、この状況は指名手配犯が目の前にいるようなもの。良識のある国民であれば、捕縛するとはいかずとも、国家に通報なり連絡なり何なりするのが当然ではないのか? ……ヴェルを行きがかりにとはいえ助け、個人的に逃亡の幇助(ほうじょ)をしてしまっているカワウソが言えることではないだろうが。もしや、これから向かう都市で突き出そうと考えているのかもわからない。

 しかし、そんな姦計とは無縁そうな修道女、マルコ・チャンは澄ました微笑みで、こう告げる。

 

「私は、ただの“放浪者”です。

 自由に生きて、自由に過ごし、自由に人々の助けとなる──そのお許しを、いと尊き御方(おんかた)に許されておりますので。私からわざわざ、彼女を国家に突き出す必要性はないのです」

 

 明るく微笑む横顔は、光に満ちて眩しい。

 悪戯な子供っぽい動作で胸を張り、マルコは主張する。

 

「それに──『誰かが困っていたら助けるのは当たり前』と教えられておりますので」

 

 こんな状況でもなければ見惚れていてもおかしくないほど、そこにある表情は愛嬌と矜持に溢れていた。

 

「あなた方も、旅の放浪者なのですから、ヴェルさまを助けてあげているのでしょう?」

 

 引く波のごとく、全身から血の気が引いてしまう。

 告げられた内容が内容だけに、カワウソは返答に窮してしまう。

 曖昧に頷いて言葉を濁すしかほかにない。

 マルコは、カワウソとミカの二人を、自分と同じ旅の“放浪者”とやらと見做(みな)して納得しているが、勿論カワウソたちはそんな存在であるわけがない。

 

 この異世界に転移して、僅かに、二日。

 

 未だに世界の実情は掴み切れず、流されるまま魔導国の都市とやらを目指すカワウソたちの行く手に、新たな影が迫りつつあった。

 どれくらい歩いたことだろう。

 黒い街道の両脇に、二つの人工建築物が鎮座しているのが見え始める。

 

「ひぅ」

 

 ヴェルが怯え、身を隠すようにカワウソの纏う赤いマントに縋りついた。

 

「……」

 

 カワウソは彼女らの手前、内心でかなり驚嘆しつつも、歩調を止めたり緩めたりは、できない。

 黒い街道沿いに安置されたそれは、簡単な石材で左右と背後、そして天井を覆った程度の小屋だ。これと同じ感じのものを、カワウソは知っている。かつてユグドラシルのゲーム内に存在した純和風な国家フィールドに、オブジェクトの一種として見かけたことがある。道祖神や地蔵尊を(まつ)(ほこら)のようだ。剣を杖のようにし、彫像のように直立する死の騎士を納めるサイズを考えると、どうにも巨大すぎではあるが。

 それがちょうど関所のように、広い街道の両脇を挟むように並列され、その小屋の主が、通りかかる通行人すべてを監視するように、邪悪な色に染まる眼差しを無遠慮に差し向けて(はばか)ることはない。

 小屋に(まつ)られているものは神や仏ではなく、生者を殺戮するアンデッドの一種──死の騎士(デス・ナイト)というのが、カワウソにはかなり恐ろしく思えたのだ。怯え震えるヴェルはつい先刻までこいつと同じものに追われていたし、カワウソにしても、死の恐怖とは別の意味で、深い(おそ)れを(いだ)きつつあった。

 

 カワウソは、彼らと同じ存在を……死の騎士(デス・ナイト)たちによる部隊を壊滅させた。

 その情報を、奴らが何らかの手段で共有している可能性を思索せざるを得ない。

 

 右肩に携えた血色の外衣(マント)──装備する六つの神器級(ゴッズ)アイテムのひとつ・タルンカッペの〈完全不可知化〉を使うべきか、迷う。

 だが、咄嗟のことで、ラベンダを隠蔽の効果範囲に取り込むことは出来ない。そもそも、この自分の装備が、騎乗モンスターに有用であるかどうか不明だ。カワウソは、騎乗モンスターを強化し、魔法や装備の影響を与えることが可能な職業……“騎乗兵(ライダー)”や“調教師(テイマー)”系統は取得していない以上、これはしようがない。

 何より、先頭を進むマルコは、まったく気にするでもなく、二体の騎士の間を通過してしまったのだ。

 何も考えてなさそうな飛竜を小脇に連れて。

 マルコは首に下げていたらしい装備物を豊満な胸元から手繰り寄せて取り出し、二体の死の騎士に見せつける。

 そうして、しばらく歩いた彼女が、振り返って笑みまで差し出してくるので、カワウソたちは、前に進むしかない。

 

「……」

 

 奇妙な沈黙が下りる中、カワウソたちは互いの鼓動が聞こえそうなほどに身を寄せ合う。

 ──そうして、難なく、騎士たちの前を通過してしまった。

 兜を脱いだ状態のミカも、自然と二人の後に続いてみせる。

 嫌な空気を、カワウソとヴェルは同時に吐き出してしまう。

 それがわかって、可笑(おか)しそうに見上げてくる少女に、カワウソは軽く微笑みを返せた。

 

「カワウソ様」

 

 途端、ミカの呼ぶ声に振り返る。

 何事かと思うよりも先に、大気を蹂躙する轟音が背後より響く。振り返った先の死の騎士たちは微動だにしていない。〈敵感知〉の魔法にも反応はなかった。だが、何か翼を持った存在──モンスターが急速に近づいていることだけは容易に知れる音量が迫っている。

 

「何だ?」

 

 剣を抜くべきかどうか迷う間もなく、マルコは悠然と空を仰いだ。

 

「ドラゴンです」

 

 あっけらかんと告げられた瞬間、一行の頭上を、空の彼方から現れた巨大な影が翔けていく。

 輝く鱗には霜が降り、太陽の光を浴びて真っ白に輝いている。巨大な翼が羽搏(はばた)くと同時に、大量の空気が圧搾(あっさく)されるような音色が鼓膜を走り震わせた。雄々しく伸びる尻尾の後姿を残して、霜竜(フロスト・ドラゴン)はカワウソたちの視界から駆け去っていく。

 竜の種族は、ユグドラシルでもそれなりの強さを誇るモンスターだ。カンスト勢には脅威になりえないが、中途半端なレベルだと狩ることが難しい。強大無比な上級の古竜(ハイ・エンシャント)(クラス)ともなると、ソロプレイのカワウソが狩るのはほぼ不可能で、よほどの好条件と準備、何よりも運が必要だった。

 凶悪なモンスターであるはずの竜は、眼下にいるカワウソたちには一瞥(いちべつ)もくれず、一直線に流れ飛んでいく。吹き抜ける冷気の風の感触だけを残して。

 

霜竜(フロスト・ドラゴン)による天然の冷凍運搬(クール)便です。あれのおかげで、大陸はこの内地にまで、海の恵みを新鮮なままに運んでくれるのです」

 

 カワウソの濁った瞳に映った荷物には、現地語の羅列であろう記号が、かろうじて見て取ることができた。魔導国の運搬会社の名前か何かだろうか。

 

「ああ、見えてきましたね」

 

 (ドラゴン)の巨大さと運用方法に驚いていたカワウソは、折れ曲がる街道の先、丘の上から女が指し示した方角にあるものを見て、唖然となる。

 

「これは……」

 

 息を呑むとはこのことだ。

 そこにあるものは、紛れもない都市に他ならない。

 四つ五つに重なる隔壁の下、まるで群がるように住宅や工廠、倉庫などが立ち並び、その奥に(そび)えるものを護る質量の壁を築いていた。中心へ行くほど高く強く形成された壁の内に、宝石を思わせるほど輝く水晶の尖塔が立ち並び、その奥に一本の白い柱にも似た、壮麗な城が見える。その城下の街区を無数の人々が行き交い、空を駆る影や翼、魔法使いの姿が、数限りなく飛び交い、──生きている。

 芸術的とも言える麗雅な都。

 幻想の物語にしか存在しない魔法の街。

 カラァンという澄明(ちょうめい)な交響楽のごとく重なり合う鐘の音が、カワウソたちの立つここにまで、正午の(とき)を告げている。

 

「あれが、我らが魔導王陛下の誇る“第一”魔法都市・カッツェです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はいよいよ、魔導国の都市です。

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