オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.06
・
ほぼ、同時刻。
「はい……はい、父上。ツアー殿へも、映像共有を……はい。そのように」
ナザリックを囲む平原での戦い──その局面は、誰しもが予想だにしない変転を遂げ、想定されうる中でもほとんど最悪な結末を迎えていた。
いかにツアー……“白金の竜王”ツアインドルクス=ヴァイシオンと呼ばれる竜帝であろうとも、彼が知覚しうるのは、ナザリックの表層まで。ナザリック内部を遠視透視することは、今世における
「すべて、父上のお望みのままに」
それでは、と言って、魔導国王太子の位を戴く混血種、ユウゴは〈
「〈
《ああ、ユウゴくん。久しぶりだね》
「お久しぶりでございます。さっそくですが、父上から火急の要件とのことで、ツアー殿へ情報共有の連絡を」
間髪入れずに、ツアーとの
「さてと」
監視部屋として“親衛隊”の皆が集っている室内を見渡すでもなく、真っ先に、
「お兄様」
「心配いらないよ。ウィル」
銀髪紅瞳の姫に対し、兄は安らかに微笑む。
「けど! ……敵が第八階層に、ナザリックの最奥に近い地へと侵入を果たしたというのに!」
今すぐにでも、父や母たちの援護に駆け走りたいという衝動に抗うように、妹は豊かな胸の中心を、痛々しいほどに食い込む骨の指先で抑え込んでいる。少し視線をよそへやれば、戦闘メイドの娘たちである“新星”たちや、ルチとフェル、火蓮なども、一様にアインズの娘たる姫の希求に同調していた。敵を殺し、至高なる主君を護る任務と使命に殉じたいと、彼女たちはそう望んでやまない忠烈の徒。そんな幼馴染全員の態度と意志には、ナザリックのNPCたちと比肩するほどの何かが、確実に宿り備わっていた。
しかし、ユウゴはそんな乙女らの焦燥と愛情を痛いほど理解しながら、魔導国の王子として、首を横に振る。
「だからこそ。だよ」
ユウゴは冷静に、王子としての責務を全うする。
至高なる御身──父たちが築き上げ作り上げた神域の居城へと、いかなる策謀と術数によってか、「転移による侵入」を果たした“
……否。
あの“禁断の地”に、100年も昔に、アインズとツアーたちの共闘によって封じられたモノを思えば、ナザリック最高戦力がひとつたる星……
──それでも。
本音を言えば、ユウゴ自身も今すぐに妹たち親衛隊全員を引き連れて、ナザリックの玉座の間に詰めている父や母たちのもとへ舞い戻り、玉座の間に留まることを特別に許された幼馴染にして婚約者のメイドを──マルコを抱きしめに行きたかった。
だが、それはできない。
状況はそれを許さない。
「父上たちは第八階層に侵入した敵の迎撃に神経を集中している。このタイミングで、誰かしら何かしらの襲撃や、魔導国内で不測の事態事件が生じた場合、誰が対応するのか──わかるだろう?」
姫やメイドたちが息をのんだ。
ユウゴは結論を簡潔に述べる。
「僕たちは、このエモット城で、このナザリックを囲む平原を防衛する重要な役儀を賜っている。──“その上”。父アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、母上たち六大君主……ナザリックの守護を
王子の言う通り。ユウゴたち、ナザリックの子供らに与えられた任務は、この
アインズ達が第八階層へ侵入した敵に対し、後顧の憂いなく戦いに集中できるよう、ユウゴたちがここを堅守せねばならない。それだけの能力が、確実にナザリックの子供らには与えられていたし、与えられた側も事実として、そういった作戦要綱を理解している。にもかかわらず、越権行為も同然にナザリックへとトンボ帰りを果たし、身勝手な我儘で父母たちから与えられた本来の労務を投げ出すなどしたら、……それは、父や母たちへの“裏切り”に他ならない。
「不安はわかる。けれど、戦わないことに引け目を感じるだけで、戦いのおこっている場に急行しても、それは、ただの横車……ただの邪魔にしかならない以上に、危険な行為だ──それを父上が、アインズ・ウール・ゴウン王陛下が喜ばれるものと、本気で思うのかい?」
姫やメイドたちは、戦意に
そして、“魔導王の親衛隊”、その隊長たる王子は、己の務めを果たすべく、
「“
「──目下のところ、敵襲や天変地異などの確認はないとのことです」
「うん。引き続き、スレイン平野での警戒と監視を継続させるようにと、父上──魔導王陛下からの命が下っているから。……あと、各領域と各都市、各地方の最高責任者に、伝達。警戒レベルを一段階上昇させ、どんな些細な事件も見逃さないこと。アンデッド警邏部隊の巡回と守護任務を徹底させるように。敵が、彼等天使の澱のほかに潜伏・潜在し、父上の大事な臣民へテロ行為などを起こされでもしたら、たまらないからね」
ユウゴ王太子たちは、任された務めに邁進する。
おかげで、魔導国の今は、完全に平和そのもの。
第八階層で天使の澱が蹂躙されるときを待ちわびながら、ユウゴたちは、アインズ達が築き上げた国そのものを護る務めを、果たし続ける。
そして、ユウゴたちは映像の一つを注視する。
第八階層の脅威のひとつ……“ルベド”が、敵の前に立ちはだかり、うち一体の天使の、その心臓部が抉り砕かれていた。
〇
時をわずかながら
《 ──戦闘状況を把握。
そう明確に敵意と戦意を表明する敵方の少女に対し、二人の天使が突撃していた。
「絶対にー!」
「させるか!」
通常形態でもすばやい
「カワウソ様とみんなは、先に行ってー!」
「アレは作戦通り自分たちがくいとめます!」
あれが、あの赤い少女が──カワウソが「要警戒」と認識していた、謎の存在。
宙にある
「いざ尋常に!」
アジアの雷神の名を戴く法具“インドラの独鈷”をタイシャが握り構え、
「いくぞ!」
黒い僧衣のすそを翻し、足元の白
「
タイシャは動かない敵に対し、一切の躊躇なく攻撃を繰り出した。
全身全霊の一撃。平原の戦いで、数多くのアンデッドを焼き払った雷樹を、一体の敵に集約して放出。
荒野を染める雷速の光跡。落雷の轟音が耳に痛いほど
「今だウォフ!」
「〈
巨大な全身鎧姿の天使から放たれ、降り注ぐのは光輝の円柱。清浄に過ぎる青白い光が“三本”。属性が悪に傾いているものへ効果的なダメージを与え得る、天使種族の得意魔法。
横殴りに押し寄せる雷霆と、頭上より落ちる光柱の三閃。
その交叉攻撃の中心にある少女は、
──歩みを止めない。
「健在か!」
「だよねー」
わかっていたし、知っていた。
カワウソが絶えず視聴していた、第八階層の動画映像……その中でも異彩を放つ、少女の赤い威容。かつてこの荒野を進んだ討伐隊を一方的に蹂躙し、魔力もスキルも消費し尽したプレイヤーたちの反撃を悉く無視していた圧倒的強者としての、異様。天使の澱のNPCもまた、同じ映像を視聴することで、情報を共有できていた。この第八階層を攻略すべく、あの“
いざとなれば、誰がどの相手を“足止め”するかも、今朝の最後の作戦会合で示し合わされていた。
そして、あれの──あの赤い少女の相手を務めるのは、ウォフ。
場合によってはタイシャが護衛に務めることも、組み立てられた作戦の通りにすぎない。
《 ──敵性情報を、把握──“
少女は唇を動かすことなく、何事かを告げる。
だが、その意味を推し量ることなど、無意味。
ウォフとタイシャは、カワウソの
二人の天使は怖じることなく少女を見据える。
まるで星のように輝く真紅の髪をなびかせて、その少女は血のように深い色合いのドレスと手袋、装身具や紅玉のピンヒールを纏い現れた。ナザリックの表層で初めて相まみえた黒髪の女悪魔──その容貌をだいぶ幼くした、十代半ば程度の見た目。暁色の瞳は赫然と燃え盛る黄金の輝きを灯しながら、いかなる感情の機微も伺わせないほどの無表情を、典雅かつ美彩な少女の面に張り付けている。
「幾度となく動画で見てきた相手だが」
「
ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”を彷徨うNPC……と思われるもの。
何しろ、この第八階層自体そのものが、難解極まる敵ダンジョン拠点の最奥部に位置する。
カワウソという創造主が調べ尽くした限り──あの少女は「何が何だかわからない」というのが、ユグドラシルプレイヤーの共通認識じみたものであったと、天使の澱のNPCたちは認識している。自分たちの主人と同格(認めたくはないが、カワウソは“外”で殺されて帰ってくることがある以上、そうとしか言えない)であるはずの者たち……プレイヤー全員が、ここの攻略を投げ出してしまうレベルの相手。
それが、あの赤い少女。
《 ──敵、攻撃行動継続、確認。優先破壊対象、捕捉。
──最後通告。
同じ宣告を機械的に繰り返す挙動に、ウォフとタイシャは率直な不気味さを覚えた。
天使たちの頭上……荒野の
何しろ、奴の能力は得体が知れない。
Lv.100のプレイヤーを掃滅しながら、まるで一人でコンサートホールを舞い踊るバレリーナのごとき優雅さで、あれだけの蹂躙劇を演出したモノの一人なのだ。
そして……
《
少女が消える。
「来る! 気を付けろウォ……フ?」
警戒の声をあげたタイシャの背後。同胞にして部隊の副長たる天使の、
「な?」
《
タイシャという前衛を完全に無視し、すっ飛ばして。
二人の天使の中間地に現出した赤色の影。血のように染まる手袋の指先を、可憐な少女は一切の呵責なく、握り込む。
繰り出される、瞬撃。
徒手空拳とは思えぬ熱量と暴風をまき散らす轟拳。
──しかし、それはウォフの体表面ギリギリのところで、せき止められる。
「カワウソ様の
少女の拳を阻む、赤黒い障壁。
天上を──世界全体を覆う円環がすべて砕け堕ちない限り、自軍に“無敵化”を与えるアイテムが停止しない限り、ウォフとタイシャを傷つけること
次の動作に移れない……移る気がないかのように硬直する少女に対し、ウォフはまったく容赦なく世界樹の槌矛を、メイス・オブ・ユグドラシルの大質量を、大上段に構える。
人間の二倍から三倍ほどある背丈を誇る巨躯から振り下ろされる暴力は、カワウソの“無敵化”によって尋常でない攻撃性能を発揮可能。
逃げることは不可能。
防ぐことは尚、不可能。
「えーーーい!」
荒野の大地まで割れ砕けよと振るわれた、入魂の一撃。
ズンという激震と共に、樹木製の武器とは思えないほどの破壊力を相手に刻み落とすはずの一撃は──
「────え?」
少女の肉体を“素通りしていた”。
メイスの樹木は、その下の大地……少女の股下を叩くだけ。
「なん……でー?」
飛び掛かる少女は答えることはなく(敵なのだから当然か)、あまりにも鋭い蹴り足を繰り出す。全身鎧の上半身を吹き飛ばしかねない衝撃を受けながらも、ウォフは、主人からもたらされた恩寵ともいうべき“無敵化”により無事である。……だが。
「ちょ、や、ぐ──!?」
間断なく繰り出される鉄拳と踏翻。まるで
「こんのッ!」
うっとうしくじゃれつく猫か犬を追い払うように、メイスの重量で周辺空間を薙ぎ払う。
少女の肉体を打ちのめした感触もなく、何の手応えも前触れもなしに、少女の姿が消えた。
「あいつ、どこへ!!」
「うしろだ相棒ッ!!」
タイシャの忠告通り、ウォフの後背──機械のような鋼の翼を打ちのめすように、少女の蹴りが流星のごとく叩き落されていた。しかし、それも今のウォフたち──ギルド:
たとえ、機械の翼をむしりとろうと手指を突き入れられようと、それすらも赤黒い
それでも。
同胞を目前で乱暴に解体せんとする少女を好き勝手にさせておくわけにはいかない。
「離れよ!」
ウォフの両手が回らない完全な死角で、無駄に攻撃を続行せんとする少女。それを理解した僧兵が、同胞の救援に躍りかかった。助走をつけるでもなく、まるで両脚が雷に変化したがごとき轟音と共に、空を駆けぬけた武僧。タイシャは雷撃の雨を降らせる独鈷を、何の
ほとんど同士討ちを気にしていない様子で──事実“るべど”と名乗る少女と密着状態にあったウォフの全身鎧に、タイシャの雷撃は盛大にスパークを炸裂させていた。
──これは、見方によっては、
「大事ないかウォフ?」
「平気平気ー、むしろおいしい“ごはん”でしかないしー」
ウォフを構築する種族レベルのひとつ“
その特性によって、ウォフという天使は雷系統ダメージを無条件で“吸収”……ようするに、機械が
前衛と斥候を務める“雷”のタイシャ。後衛と指揮を務める“機械”のウォフ。
この二人は互いが互いを支えあい、巧みに互助しあえるようにカワウソが用意した相棒同士の拠点NPCであったのだ(勿論、同士討ちが不能だったゲーム時代には無用な関係であり、あくまでそういう「ロールプレイ」──カワウソが書いた設定上の絆に過ぎなかったのだが)。
「それであの少女は?」
「──、あそこだねー」
タイシャの攻撃を嫌ったのか、ずいぶんと遠くへと一瞬で移動した少女は、自分の攻撃が相手に通じないことに対し、何か特別な感情を懐いた様子もなしに、状況を分析。
《 ──未知の現象を確認。
唇の動きどころか、瞬きのひとつもしない少女の、そのあまりにも機械的な様子が不可解であった。
「ふむ。あれはウォフの近親種だったりするのか?」
「だったら、同族感知でわかるはずなんだけどなー?」
天使が天使種族を感知する“天使の祝福”があるように、機械種族は同系統の機械種族──またはそれに準じる人工生命などを、ある程度は判別・探査することが可能。
だが、ウォフは“るべど”と名乗る少女を、自分と同じモノであるとは認識できない。
「機械でないとすると──機械じゃない……自然系のゴーレムあたりー?」
「
冷静に敵の正体を探っている二人に対し、ルベドはやはり何の感情も感慨も懐いていない眼差しを向け、次の瞬間には消え失せていた。
「早い!」
「後ろ!」
二人同時に振りかえる。
まるで影のごとく無音で忍び寄る少女の拳を、タイシャは掴み封じようと試み──
「なにッ?!」
いきなり“背後から蹴り飛ばされていた”。
「ちょ、なに今のー!?」
精霊化していない状態のタイシャは、物理ダメージを負うことはありえる。いかに少女の肉弾戦闘が、かつてこの荒野を訪れた討伐隊を粉微塵になるほどの威力を発揮していたと加味しても、今のタイシャたちには、カワウソが施してくれた“無敵化”が備わっている。この状態を維持する数分間は、とくにダメージらしいダメージを被ることはなく、また、こちらが繰り出す攻撃は、どれもが「必殺」の効果を相手に与えることになる。
だが、今の攻撃……現象は、完全に、意味が、分からない。
ウォフとタイシャが同時に振り向いた先の背後で、拳をふるって突っ込んできたはずの少女が、いきなり振り返った二人の“背後へと回り込んでいた”という感じだ。
タイシャが悔し気に呻きつつ放った雷霆によって、またも少女は遠くへと移動。
その移動の速度すら、ウォフとタイシャには視認できないのは、奇怪に過ぎた。
「──幻術とかの気配はー?」
「それはありえん」
カワウソの
「……なんなのだあれ」
は、と続ける間もなく、タイシャの眉間に、少女の貫手が突っ込んでくる。
雷精としての判断速度と反射速度が、紙一重のところでその一撃を避けさせた。
のけぞる姿勢のタイシャを、少女はあまりにもまっすぐな眼差しで見下ろしている。
精霊化を進めていきさえすれば避ける必要はなく、というか、
《
まるで
タイシャは咄嗟に思案する。
──果たしてあれは、自分たちと同じ
「ちょこまかとー!」
全身鎧の兜、その奥から紡がれる高音が、
ウォフは首から下げていた首飾りを掴み、ひときわ大きく輝く六つの真珠玉じみた宝玉を、解放。
召喚師たるウォフが使ったのは、自分と同じ天使──その中でも選りすぐりの者を、召喚。
六つの宝玉の内、五つが眩いばかりの輝きを放ち、首飾りの鎖から千切れ離れる。
「来いー!
宝玉から現れたのは、ウォフの元ネタと近しい、ウォフの体長と同程度の巨大な体躯を誇る、女天使たち。
大地の装甲を纏った女天使──烈火の大剣を帯びた女天使──金属の甲冑を纏った女天使──樹木の戦鞭を携えた女天使──清水の長弓を番えた女天使──いずれもが強大な力を誇る天使種族モンスターであり、ウォフの首飾りに宿る優秀な「
さらに、ウォフは全身鎧の各所に仕込まれた装身具……肩章や肘当、腕輪や腰帯などのアイテムから、
先の平原の戦いで召喚したものとは別系統に属する天使群は、人形獣形定形不定形非生物形など種々様々であり、キリスト教圏のそれとは別の宗教に伝わるもの。つまり、どれもがウォフの元ネタに近しい個体で構築されている。
優秀な召喚師と指揮官職のレベルを有するウォフによる強化を受けて、それらはただの雑魚とは一線を画す性能を与えられており、ウォフは単体ながら、このように“群”を率いて戦うことを容易とするが故に、今回の作戦において重要な、“謎の少女の「足止め」役”に抜擢された戦闘力を持っている。個においてはひたすら固いだけの
おまけに、タイシャという前衛もついている状況というのは心強い。ただの前衛として機能するだけでなく、黒い僧兵の強力な雷撃を浴びることで、ウォフは自己体力の減耗を治癒する手段を、より多く備えることが可能になっているわけだから。
対するは、少女としか見えぬ敵が、たったの一人。
天使の澱は、Lv.100NPCが2体と、
一人の敵に対しては、いかにも過剰な戦力……軍団に思えた。
だが、相手はナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”にすまう存在。
カワウソという至高の創造主と同格の者たちを、悉く砕きつぶした星々と、唯一共闘するがごとき殲滅能力を発揮した“化け物”。
戦力過剰という言葉は、ここではまったく無意味なものとなる。
「少女を包囲してー、叩きつぶせー!」
下知を受け取った天使たちが、一斉に武装を牙を嘴を魔法の光を、少女の痩身に差し向ける。
だが──
「……え?」
少女は、ルベドは、繰り出した拳によって、ウォフにより強化されたはずの天使群──その最前線を舞い飛んでいた火の天使たちや水の天使たちを、一瞬のうちに、蒸発。
そして……
《
赤い、あまりにも赤い、暴力。
殴打が。
掌底が。
手刀が。
背刀が。
貫手が。
肘鉄が。
足刀が。
飛蹴が。
膝蹴が。
踏足が。
──進撃と震撃が。
ウォフの能力で強化された天使の群れを、瞬きの内に蹂躙していく。
まるで飛んで火にいる夏の虫……ではなく、まるで焼け溶けた鉄の炉に突っ込む紙片や塵屑のように、ほんの一瞬で燃え尽き、燃え融け、燃え果てる。炎への強力な耐性や無効化を特性として保有している、「天使たち」が。
「な……ん……で……?」
言った途端、ウォフは己の状態に気づく。気づかされる。
自分の全身鎧の巨躯が、わずかに一歩──下がっていた。
ありえない。
カワウソに創られたNPCたる自分が、敵に
頭では分かっている。天使の心は折れるはずがない。なのに……
《
轟く声は、まるで階層全体から聞かされているかのように、ウォフたちの鼓膜に響き渡る。
「調子に乗るなァア!!」
雷のような男の声。
打ち鳴らされる太鼓のごとき音圧と共に、黒髪の
四肢が紫電の輝きに染まった座天使の速度は、飛躍的に上昇。さらにダメ押しとして、彼は〈
ウォフの召喚天使たちを屠殺する少女の背後をとるのに、十分な速度ステータスを維持。
そして──振り構えられた右腕には、上下に無数無尽の雷霆を表す、黄金の法具。
「
遠雷のごとく響く喚声。
少女のほぼゼロ距離から放出された“インドラの独鈷”の最大出力形態──
神の“鎗”とも形容すべき偉容に変じた雷撃の一点集中攻撃は、それなりの耐性を備えている敵やモンスターでも、そういった耐性を貫通してしまうほどの威力を発揮するほどの大攻撃力。おまけに、カワウソの“無敵化”が加われば、それはまさに
雷鳴のゴロゴロという音圧どころではなく、バリバリバリと空間を引き裂き走る神の閃光に穿たれた少女は、タイシャの手で確実に、その華奢な背中の中心を抉り穿たれた──かに思えた。
《
いまだ白すぎる雷光で染まっている戦場で、少女の声が平然と紡がれる。
タイシャは驚愕する余裕もなく、少女に胴体を“背後から”蹴り払われていた。
「ば!」
バカな。そんなはずがない。
そう声を発する間もなく、体勢が崩れる。ルベドの流麗に過ぎる踵落としの大車輪が、タイシャの首根を断ち落とさんばかり叩き込まれていた。半精霊化している体に物理ダメージは通りにくいはずなのに、タイシャはありえない勢いで吹き飛ばされる。天使や精霊には存在しないだろう呼吸器官から、無様な苦悶の声を轟かせて。
「ゲハぁッ?!」
「タイシャ!?」
ウォフが召喚した天使に命じて、タイシャの救援・少女への特攻に向かわせるが、そんなものなど知らん顔でルベドはタイシャを追撃するように、
たまらず、ウォフは吹き飛ばされたタイシャの軌道上に、機械の翼を駆って滑り込む。
「タイシャ、無事ッ?!」
「けはッ──なんとか」
ダメージらしいダメージは、ない。
無敵のステータスがなければ泣き別れ崩れ落ちていただろう首根と脇腹をさすりながら、タイシャは巨兵の豊かな胸の中心で息をつく。
「ああクソ! クソォ! なんなのだアレは?」
「さすがにね。これは予想外だよ? ……あ、“だよー”?」
「はは……珍しいことだ。ウォフが己の設定された口調を忘れるとは」
「──それを言ったら、タイシャだってクソなんて汚い言葉使わないでしょ?」
あまりの状況に、二人が二人とも、常のような調子でいられないことは、確定的な事実であった。
ウォフは胸の中の相棒と共に、
少女は標的を追うでもなく、挑みかかり飛びかかってくる召喚された天使を掃滅するのに忙しくなっていた。天使たちは見る見るうちに数を減らし、雑魚レベルの者は一瞬で還されてしまっている。最初から十全に残っているのは、五人の女大天使くらい。
──ウォフが現在召喚している天使たちは、カワウソの“無敵化”の効果対象にはなりえない。
召喚の魔法やスキル、アイテムで呼び出された存在は、ただの「攻撃手段」「防御手段」などに分類されるものであり、カワウソの「自軍勢力」を構築する存在とはカウントされない。金貨などで雇い入れる傭兵NPCなどは別であり、また、ウォフたちのような拠点NPCも自軍勢力とカウントされる。召喚主が殺され消えたりすれば共に消え失せる従属者たちは、『独立した一個の存在』──個人として認識されることはなく、ユグドラシルで攻略戦などに赴くときは、召喚攻撃などで召喚されたモンスターなどは、その勢力の一員とはカウントされないし、できない。──そんなことが可能であれば、
……余談だが、アインズがこの異世界にて、現地の死体という媒介を介して召喚し、“永続性”を備えたアンデッドなどについては、独立個体……自軍勢力として扱われる。
「で。アレはいったい──“どういう敵”なのだ?」
タイシャの疑問に、ウォフは答えようがない。
ウォフでも知りようがないというか──あまりにも超然とし過ぎていた。
「クピドのような転移魔法の使い手……じゃないよね。転移の発動なんて、一回も確認できないし」
「同意だ。だがそうすると何故あの娘御に背後をとられるのか──謎だ」
タイシャの速度は雷霆のそれだ。部分的に精霊化しつつある現状でも、カワウソやナタに近い速度に追随できる性能を発揮している。──なのに。そんな有髪僧の目の前で、今まさに攻撃していた敵が、いきなり背後に立って攻撃を繰り出してくるという現象は、あまりにも
「クッ! 考えている暇はない!」
召喚された下級天使の群れ、最後の
《
不吉なサイレンのように響き続ける、
「タイシャ。私──“アレ”、やってみる」
「“アレ”か──ならば時間稼ぎは任せよ」
タイシャの黒髪が、手足と同じように紫電を放つ。
部分的な精霊化は、その範囲を拡大するごとに精霊としての形態に近づいていくことを意味する。
雷速を駆る僧兵の近接戦闘──少女は応じるがごとき武闘の演武と円舞で、迎撃。
その間に、ウォフは「最後の天使召喚」を行う準備を整える。
「……ふぅ」
軽く息を吐きながら、重く重い白兜を脱ぎ払う。防御ステータスが少しばかり下がる危険性があるものの、カワウソの
常に巨兵の頭を覆っていた
その中から零れ落ちるのは、大量の黒く長い髪。
まるで波打つ大地のような、燐光のごとき色艶を帯びた髪色に飾られる
天使の輪の位置を気にしつつ、兜を大事そうにボックスへしまったウォフは、六玉の首飾りに残されていた最後の一個を、これまた大事そうに両手で掲げる。
「おいでー、
首に下げておいた六つの宝玉の内、最後の一つに宿る女天使──切り札を、召喚。
現れた少女──否、幼女は、白い光を抱いて、ウォフの巨大な手の上に降り立つ。
ウォフの召喚師のレベルで呼び寄せられるものの中で最高最強の存在に位置するモノ。
これを呼び寄せるための「コスト」として、ウォフは自分の召喚スキルのほとんどを封じ、大幅な魔力消耗と、クリティカルポイント……致命箇所である頭部の装備を“空白”にするという弱体化を余儀なくされる。仮にも“神”に近いモンスターを召喚する以上、召喚するものへの敬意として、ウォフはその美しい黒髪と面貌をさらさざるをえない。
だが、それだけの価値が、女巨兵の掌に腰掛ける幼女……聖霊には備わっている。
「お願いねー」
慈母のごとく微笑む召喚者の望みを了承した女天使たち五人が、大地と聖火と純金と神樹と雲水の翼を広げ、タイシャが抗戦を試みる少女を包囲する位置に飛ぶ。
そうして、天使たちは召喚主の指示通りの魔法、その五唱和を紡ぐ。
〈
〈
〈
〈
〈
さらに、ウォフの切り札たる幼女が、同族たる天使たちを“大幅に増強する効果”を発しながら、まったく同じ神聖属性の魔法を唱える。
『〈
まるで神聖な祝詞を謳うかのように共鳴する、六つの魔法の連鎖。
そして、ウォフ自身もまた、彼女たちの織り合わせた連鎖の輪に、加わる。
「〈
戦域に満ちる、21柱の、光。
その標的に据えられた、たったひとりの、赤い少女。
三重の最強化を受ける青白い光輝──その七人同時発動の一点集中による光量は、赤い存在を純白に染め上げ、世界からすべての悪しき存在を掃滅するがごとき大威力を構築。……この攻撃にさらされたものは、もはや善悪のカルマ値など関係ない光の熱量で焼き払われることは絶対と言えた。
さらに、さらなる魔法を紡ぐ声が、前衛として戦地を駆ける僧兵から。
「〈
ダメ押しとばかりに、タイシャの雷化した右腕、その手中にある独鈷が繰り出したのは、巨大な豪雷の三重最強化。
だてにギルド内の魔法火力役に抜擢されたわけではない。座天使にして雷精霊の紡ぐ雷系最大級の魔法は、タイシャの種族特性によって、あのアインズ・ウール・ゴウンが繰り出すそれよりも、凶悪かつ膨大な威力を誇る殲滅魔法に昇華されている。
さらに、タイシャはそれだけの大魔法を、連続で
「まだまだッ! 〈
左腕から奏で落ちる、雷葬の連撃。
天上から降り注ぐ光と雷が束になって、確実に少女の総体を包み焼き、耐性などを超えそうなほどの暴撃と化す。
どんな存在もブチのめして当然の魔法────“無敵化”の攻撃力に耐えられる存在など存在しえない────だった、はず。
「なッ?」
「えェ?」
だが。
少女は────健在。
二十一の青輝も、六本に及ぶ万雷も、まったく無視して。
さらに信じがたい速度で、ルベドは天使群の召喚主たるウォフへの急襲を仕掛ける。
赤い長髪が、ウォフの背後に。
誰も反応できない。
何もできない。
──その時。
「 さ せ ま せ ぬ !! 」
無数の剣が、縦横無尽に少女のもとへと殺到。
舞い飛び交錯する刃の輝きは、無尽。その刃の種類は、四つ。
さらに、
「 如 意 神 珍 鉄 !! 」
偽りの
ウォフへと奔らんとしていた暴力へと追突する、ビルのごとき太さと質量の武器。
叫んだのは、二人同時であった。
「「ナタっ?!」」
ウォフとタイシャのかけがえのない同胞にして、最高の物理攻撃力を誇る少年兵。
蓮の花をイメージされた鎧具足に身を包み、数多くの剣装を
「助太刀します、御二方っ!!」
元気いっぱい、
しかし、タイシャとウォフは悲鳴か非難じみた声音で少年兵をにらむ。
「バカな!
「ナタ──カワウソ様の護衛役は?」
「ミカ殿とクピド殿にお任せしました!! それよりも、あの赤いのは!!?」
三人が会話を交わす間もなく──
ドン
と、荒野の大地に突き立っているようになった杖──如意神珍鉄が、轟音と共に、揺れる。
地震ではない。
だが、地震もかくやという激震が、荒野の地を、天使の澱のNPC三人を、揺らしている。
「ま──さ──か!?」
「う、嘘、でしょ?!」
「あれは、いったい!!??」
ナタの誇る秘密兵器──巨大化という性質を露わにした円柱のごとき“赤杖”──その先端部が、揺れる。
異世界の大地……南方の新鉱床を砂山のごとく崩し壊していた少年の武器の重量を、受け止める小さな掌が、ある。
巨大な杖の先端と荒野の間に立って、少女は如意神珍鉄の一撃を、完全に“掌握”。
《 新たな敵性存在を、感知── 》
ナタのあれほどの一撃を受けて、まるでビクともしない荒野。
武装と大地の狭間で仁王立つモノもまた、
敵の武器の巨大な影の下で、赫躍と燃えるように──
赤い少女──ルベドが──
告げる……
《
カワウソの