オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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天使の澱の“死” -1

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.04

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 吹き荒ぶ砂塵。

 赤茶けた大地の塵旋風。

 生命の色をまったく感じさせない、戦場。

 そこへ轟々と鳴り響くのは、神の怒りのごとき雷霆。

 雲一つない(そら)──ありえざる距離にまで降臨している星々の一つから、白い雷の嵐が降り注いでいる。

 かつて、白い極大の龍とも見紛う一撃を浴びただけで、容易くLv.100のプレイヤーを打ち砕いてみせた、ありえざる大攻撃のひとつ。

 

「と、とまってくださーい!!」

 

 少女は言って、極大の砂嵐と共に、尋常でない量の砂……黄金の津波のような砂の一撃を展開。それは〈大地の大波(アース・サージ)〉によく似た〈砂漠の大洪水(デザート・デリュージ)〉と呼ばれる魔法。精霊術師(エレメンタリスト)(アース)砂漠の魔女(デザート・ウィッチ)を修める天使──古代エジプトの巫女のごとき姿をした黒髪褐色の乙女は、常時展開中の数少ない攻撃スキル“砂漠の竜巻”と共に、(そら)から降り注ぐ星の殲滅攻撃を、大規模な地属性魔法でもって迎え撃ち、耐え凌ぐ。

 

「あ、あ、あの! どうか、話を! 話を、その、き、聞いてください!」

 

 マアトは『争いを好まない、優しい性格』だと定められた。

 拠点を防衛する任務に就くべきNPCとしては、“争いを好まない”というのはどういう意図があるのか──そのような設定を何故創造主(カワウソ)が施したのかは不明だが、マアトは自分自身をそのように規定して、行動するしかない。

 

「うひゃ!」

 

 争いをおさめるには、対話を求める──そして、交渉によって矛を収めさせるという作業に訴え続けているのだが、敵はあの見た目通り、口も耳も存在しないかの如く、マアトの呼びかけに応じる素振りすら見せない。間断なく降り注ぐ雷撃の雨はほとんど滝のように、マアトの展開する竜巻や砂の大洪水を打ち払い、その奥にいるマアトの褐色肌を焦がそうと殺到する──が、少女を覆う赤黒い障壁が、相手の尋常でない攻撃力のすべてを跳ねのけてくれる。

 創造してくれた方──カワウソが起動した世界級(ワールド)アイテムに、“護られている”。

 その事実に頬がこそばゆくなるほどの喜悦を感じるが、マアトはとにかく、今回の第八階層攻略戦──その作戦要綱通りに、行動する。

 

「は、話を聞いてくれないと、どど、どうなっても知りま、って、わひゃあ?!」

 

 轟雷の気配は一向にやまない。

 通常人類では鳴りやまぬ雷鳴の怒濤だけで、鼓膜と精神がイカれる嵐の様相。

 星は対話するどころか、マアトが抵抗すればするほど、嵩にかかって攻め立ててくる。

 あるいは落雷の爆音で、もしかするとこちらの主張は聞こえていないのだろうかと不安になるが、まぁ致し方ない。

 とにかくマアトは、自分の任務を果たすべく、砂の攻撃で宙にある星のひとつと、戦い続けるしかない。

 

「も、もう! し、知りませんからね!」

 

 ……実のところ。

 マアトは見た目に表している挙動ほど、恐怖や緊張などを感じては、いない。

 拠点防衛要員として創り出されたLv.100NPCたる少女の精神力は、ただの人間などとは一線を画すもの。主人のために戦えることへ喜びを懐きこそすれ、主人に望まれた戦いを忌避するというのは、ほぼありえない。主人のために命を賭して戦うことはNPCにとって無上の喜びでありこそすれ──その「逆」というのは、あまりにもそぐわない思考回路なのである。

 彼女が今現在のように──怯えた表情や口調で話すのは、自分自身の創造主に『かくあれ』と、定めを設けられたからにすぎない。

 彼女が恐れることがあるとすれば、自分が創造主(カワウソ)の足を引っ張り、失望されるような事態を引き起こすこと──それだけ。

 天使(エンジェル)翼人(バードマン)を両立させる巫女は、静かな心持で、その時を待つ。

 

「どうか……カワウソ様の作戦通りに、事が運びますように」

 

 砂の多層攻撃を展開しつつ、両腕の翼を祈るように組み合わせ、天使の輪を黒髪に戴くマアトは、両膝を屈する。

 自分たちにとって、最大の願い。

 

「……どうか、あの御方の望みが遂げられますように」

 

 

 ──残り時間、2分40秒。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 翡翠の髪に天使の輪を浮かべ、色とりどりの精霊たちから織り成されたような虹色の翼を広げる乙女。

 衣装の背中が盛大に開放されたそこから、天使の特徴を広げた踊り子は、手中にある鉄槌を振りかざす。

 

「フンッ!!」

 

 再び大槌で地表を叩くと、そこからは鉱石で出来たような岩塊が出現し、まるで大地の岩盤が根こそぎ剥がれたような大質量の“傘”を展開。最初に発動していた同じものと同規模のそれで、煩わしい敵の攻撃──強酸の驟雨を防ぎ尽くす。

 岩塊の傘を叩く雨の量は、もはや激甚の災害。

 天上の底が抜けたような雨量は音の圧力と共に、アプサラスの展開する防御を融かし尽くす勢いで殺到していた。

 

「~♪ ~~♪」

 

 巨大な金槌を振り回すアプサラスが口ずさむのは、精霊を呼び、精霊を鼓舞する歌。

 精霊女王(エレメンタル・クイーン)を併存させる能天使(エクスシア)の歌声と共に、大量の精霊たちが彼女の身を護り、敵する星への特攻に撃って出る尖兵役を引き受けていった。

 

「「 ~~♪ ~~♪ 」」

 

 主人から与えられた大槌の柄を軸として舞い、ふと、大槌を軽いバトンのごとく振るって踊る女は、歌い踊ることで、自分の味方に利する効能・強化(バフ)を施し、また敵対者に不利な影響を及ぼす弱体化(デバフ)を授ける(クラス)踊り子(ダンサー)を有している。

 

「「「「 ~♪ ~~~~♪ 」」」」

 

 その唇と喉が紡ぐのは、〈祈りの歌〉と〈呪いの歌〉、〈戦いの歌〉と〈砕きの歌〉の同時四声合唱。

 最高レベルの歌い手(シンガー)であれば、一人で「十」の歌を奏で響かせることも出来るらしいが、あいにくサポート役として、ギルド内唯一の鍛冶職なども兼任するアプサラスに扱えるレベル域ではない。

 踊り子の衣装と天女の羽衣を纏う妖艶な肢体──アジア系の麗雅な顔立ちと共に女の魅惑をふんだんに魅せる〈酸耐性の戦舞・上級〉によって、彼女の召喚し呼び寄せた四大精霊と配下の従属霊の群れは、強酸の雨をものともしないはず。加えて、歌い手(シンガー)の歌声にあてられた精霊軍は、確実に強く、強くなり(おお)せていた。

 ──なのに。

 

「あー、……まったく、もう……」

 

 ハリの良い桃の果実のごとき胸を揺らし反らせる。

 常のような、設定された『歌うかのごとき』口調は鳴りを潜め、召喚した同族たちが次々と融け朽ちていく気配を前に、アプサラスは嘆息せざるを得ない。

 誰かが傍にいれば絶対に聞かせられない……NPCは、自分に与えられた設定を軽んじたり、無視したりすることは許されないため、他の者の前で設定に無い行動を取るのは難しいし恥ずかしい──以上に、「創造主の意に反する」という危険を犯しかねないのだ。創造主が共通しているNPC同士であり、配置された場所が近いものであれば、そういう裏の事情にも通じるようになるもので、アプサラスは時折であれば、仲間たちの前で胸襟(きょうきん)を開くかの如く、素の口調で語ることも珍しくはない。胸襟など、この衣装には存在しないが。

 いずれにせよ、創造主に命じられたことには、忠実でいることが推奨されて当然と言える。

 だが、今ここにいるのは、アプサラス一人だけ。

 素の口調でしゃべることを咎め聴く者などない。

 唯一、聞き咎めるだろう創造主──『かくあれ』と願い定めた堕天使は、すでに遠く離れた距離を進み続けている。

 

「ああ、またやられちゃった」

 

 従属している下位精霊どころか、四体の強力な大精霊たちまでもが(かえ)ってしまった。

 もちろん、己の至高の創造主であるカワウソの発揮する“無敵化”に比べれば、どう考えても心許ないと理解できる──それでも、アプサラスご自慢の四大精霊まで同時投入し、彼ら大精霊がさらに召喚する中位精霊、その中位精霊がさらに召喚した下位精霊……という具合に、精霊の軍団は増殖の勢いを増していくはずなのだが、現実はそうではなかった。

 強酸への高い耐性を与え、祝福と戦意高揚、物理攻撃力向上の強化まで施したはずの精霊軍による突撃は、ただの一体も星には届かない。呪いの歌による呪詛にしても、やはりあの星のような敵には届いていないと見るべきだろう。

 

「なんなのかしらね、あれ」

 

 創造主・カワウソをしても未知が多い敵。

 星の形状をした謎の物体から落とされる、王水のごとき雨滴。

 正体不明な攻撃性能を誇り、その一撃一撃に耐えきれるプレイヤーは皆無だった、と。

 

「それに、この荒野にしても──」

 

 天使種族として酸耐性をそれなりに有するアプサラス。そして今はカワウソの赤黒い力に護られる彼女の周囲に落ちた強酸液は、赤茶けた大地を濡らしはするが、それ以上の変化は起こらない。

 これが通常の大地であれば、間違いなく酸攻撃による浸食を余儀なくされるはずなのに──“荒野”の大地はまったく変化を見せることがない。大地が乾燥しすぎていると、雨の水分が地中に浸透することができず、大地の上に貯まってしばしば洪水などを引き起こすこともあるだろうが、精霊モンスターを焼き融かす酸性雨を浴びて無事な大地というのは、これはどういうことなのだ。

 さらに付け加えて言うと。

 大地を操っているように戦っている鍛冶師であるが、実際にはこれは自前のエフェクト……鍛冶錬鉄用ハンマーに宿る地属性精霊の“演出(エフェクト)”に他ならない。その下にある大地──荒野の表面は、アプサラスの一撃の影響を全く受け付けていないのだ。アプサラスを護る金属の傘は、ほとんど“球形”に近い形の防御膜として展開しないと、足元の荒野を流れる溶液がつま先を焼き尽くさんと浸水してくるので、正直わずらわしいやらうっとうしいやら。つい感情的になってしまい、設定された口調を忘れるほど、アプサラスは機嫌を損ねてしまう。超踊りにくい。

 ここが敵の土地──ナザリック地下大墳墓のフィールドであるとしても、違和感が微妙に(ぬぐ)えない。

 もちろん、この荒野というフィールドそのものが有する防御力が強いということの証明なのかもしれないが、アプサラスの鉱石鑑定が適応できない……石コロひとつ鑑定対象にならない……鑑定しようと手近な石礫を拾っても、“石”として認識できないというのは、あまりにも不可解である。

 いくらギルド拠点内と言っても、おかしい。何かしらの、鑑定スキルが使えないようにするフィールドエフェクトなどが存在しているのか?

 

「マアトの土地鑑定が行えればよかったんだけどね……」

 

 そのマアトは、真っ先に星々のひとつに攻撃され、戦闘を余儀なくされた。

 自分たち天使の澱が出現できたポイントが、カワウソのかつてのお仲間さんたちが死んだ場所でなければ、もう少しは余裕をもって行動できたかも。そうしたらば……

 

「──たらればの話をしてもしょうがない」

 

 作戦内容は変わらない。

 自分はここで、あの黒雨を吐き出している金色に濡れた星を、食い止めるだけ。

 それこそが、今回アプサラスの達成すべき仕事であり、天使の澱のNPCとして……最後の務めとなる。

 踊り子は大槌を大地に立たせ、両手と虹の翼を一杯に広げ、音高く讃歌を捧げる。

 大地のドームの中、歌い手はいるはずのない聴客に美しき調べを届ける。

 この歌声を聴けたものは、この荒野で戦う仲間たち。

 創造主への万謝を歌い、主の栄光を祈る歌。

 尊き君へと贈る三聖頌(サンクトゥス)

 

「♪ ……我等は、ただ、御身のために♪」

 

 

 ──残り時間、2分20秒。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 左肩から伸びる、二枚の翼。片側にのみ広げられた翼というのは、ウリの元ネタの天使が、“かつて堕天使扱いを受けた”という情報をもとに創られた、堕天使(カワウソ)の最大スキル使用時の姿と微妙に似せられた外装(ビジュアル)だ。

 焔のエフェクトを振り撒く杖を掲げ、設定に刻み込まれた通り──『魔法効率が上がるかもしれないと思っている』のでやっている儀式を執行する。

 

「──我、タルタロスの門に鎮座する。

 黄泉の国を開きて、あまねく咎人を、審判の御席に着かせし者──」

 

 システム的には不必要なはずの魔法詠唱文を綴り紡ぎながら、彼は己の最大魔法のひとつを唱える。

 赤髪の魔術師・ウリ──彼のカルマ値は、ギルド第二位。ミカに次ぐ数値の善カルマ・499の持ち主。

 だからこそ、彼は臆することなく“敵を滅ぼす”。

 カルマが「極善」であろうとも……否、極端に善に振り切った「天使種族」は、己の創造主(かみ)に対して、まったく完全に忠烈を尽くすもの。創造してくれたものが命じてくれれば、ウリはこの地この異世界に災厄の業火を降り落とし、「我らの創造主の敵(アインズ・ウール・ゴウン)」を“王”と戴く都市や街区を、数限りない火と硫黄で焼き尽くすことも(いと)わない。悪のギルドの名を戴く王を信奉する者たちの暮らしを、悪徳と不義のはびこる邪悪の(まつりごと)と断罪し、己の殲滅魔法にて灰になるまで焼却処分していたことだろう。それが、ウリにとって絶対の行動原理──創造主・カワウソのためになると、彼は本気で信じ抜く性質を持っている。

 もしも、ウリが最初にアインズ・ウール・ゴウン魔導国と接触した場合、彼は高い確率で、そのような名を戴く国と都を攻め滅ぼそうとしたはず。彼の“極善”は、一切の呵責なく、己の敵を焼き尽くして死滅させる方向性を、ウリという大天使(アークエンジェル)の男にもたらしたはず。

 ──だが、幸いというべきか、そのようなことにはならなかった。

 ウリは詠唱文を終える。

 

「太陽を統率するは、神の光にして神の炎。これ(すなわ)ち──我が真名(しんめい)に他ならぬ!!」

 

 第十位階魔法。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神炎(ウリエル)〉!!!!」

 

 劫火。

 日輪。

 轟音。

 衝爆。

 そして、破壊の十字光。

 

 万物を一切合切、灰燼に帰すがごとき「神の炎(ウリエル)」の魔法──その三重最強化が、荒野の宙に浮かぶ太陽を焼き砕かんと天を焦がす。

 魔法詠唱者のカルマ数値がプラスの最大値であることで規定通りのダメージを与えることができる魔法。それを使用する上で、ウリの499は、申し分ないカルマ値を与えられていると言える。しかも、ウリの炎属性攻撃強化系スキルなども全解放している以上、この一撃は魔導国の堅牢な都市のひとつを、完全な焦土に変えることも容易(たやす)い威力を、発揮。

 己が主君(カワウソ)にあだなし、災厄と危害をなそうという者をすべて焼き払って焼き砕いて焼き滅ぼすことを()とする炎の魔術師(フレイム・メイジ)は──(そら)を仰ぐ。

 

「ちぃ……これでも……、突破ならぬとは…………」

 

 片眼鏡(モノクル)越しに睨む太陽は、健在。

 先ほどから試し続けているが、ウリの得意かつ絶大な威力を誇る殲滅魔法は、まったく歯が立たない様子であった。

 対象は、紅炎(プロミネンス)を絶え間なく(ほとばし)らせる、まさに太陽のごとき星。荒野に吹きつける恒星のフレアの温度は、ただのプレイヤーやNPCでは、ほんの一瞬で黒焦げにされるだろう大焦熱地獄。カワウソの世界級(ワールド)アイテムの効能を受けていなければ、いかに炎属性のエキスパートたるウリをしても、破滅的な結果は避けられないだろう、まったく回避不能な灼熱と劫熱と暴熱の波状攻撃。

 あの星は、何かしら炎への完全耐性を有しているのか……最悪なのは、炎属性攻撃を“吸収”している可能性も、なくはない。

 だが、ウリは笑う。

 さんざん自分の魔法が通らない事実を前にして、恐れることなく、天上の星と対峙し続ける。

 

 これはウリにとって、はじめての戦闘。

 そうして、おそらくは最後の──死闘。

 

 拠点NPCとして──第三階層“城館(パレス)”の大広間(ホール)で戦うべく設置された自分にとって、最初で最後の「務め」となる。

 これほどの栄誉はない。

 これほどの歓喜もない。

 これ以上も以下もありえまい。

 

「……さぁ。勝ちましょう、皆さん」

 

 荒野の各所で、ウリと同様に戦闘を継続する、天使の澱の仲間達。

 微笑むウリはまったく諦めることなく、主君から与えられた焔の杖を、振るう。

 大天使は“最後の時”まで魔力を練り上げ、心のメモ帳に自作した詠唱文を読み上げながら、天にある太陽を、神の炎で食い止め続ける。

 自分が死ぬ時まで。

 天を覆う赤黒い(リング)が、またひとつ砕けた。

 

「どうか……どうか、お元気で……我が創造主(かみ)……カワウソ様」

 

 

 ──残り時間、2分。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 神秘的とも言える巨大な輪に囲まれた星……その輪から吐き出される無数無尽の流星群を、イズラは肉眼で見るのが難しい程に細い鋼線(ワイヤー)で、次々に裁断していく。

 黒いコートを翻す彼は、まったく当然の感覚で鋼線を手繰り、その一本一本に至るまで、創造主の赤黒い力を宿したまま、Lv.100プレイヤー複数人を弾き潰すだろう暴撃の連続を切断し続けていた。

 

「────大丈夫、“おにいちゃん”?」

「心配ないよ、イスラ」

 

 二人きりの時にだけ、親し気に兄を呼ぶ白一色の衣を纏う妹に対し、イズラは淡く微笑みを返す。

 兄の肩に、まるで体重を感じさせない調子で──天使なので浮遊しているだけだが──腰掛ける妹は、面貌をさらすことないように覆った白い布をかすかに取り払う。

 その下にあるイスラの美麗な造形は、カワウソが『常に隠している』と定めているのが不思議なほど整っており、仲間たちの中でも“兄”という風に定められたイズラしか知り得ない。中東系の肌色。目鼻はくっきりとしており、花のような凛々しさと瑞々(みずみず)しさを、輝くような明灰色の髪房が飾り付けている。常に涙で潤むような白瞳は慈悲の色にそまり、その淑やかな唇で奏でる音律は、あらゆる罪咎を洗い浄める神の言葉のように、あまねく世界へ等しく響き渡るもの。

 

「────でも、もうおにいちゃんの矢は尽きちゃったし。私の演奏や召喚獣も、あれらには届かないみたいだし」

 

 イスラの言う通り、状況は芳しくない。

 自分たちの遠距離攻撃──清弓の矢の残弾はなく、イスラの喇叭(ラッパ)による演奏や、召喚された聖獣や小動物による特攻は、二つの星には何の効果も成果も戦果も示すことがない。

 土色の星は輪っかから流星群を注ぎ続け、海色の星は冷気属性の蒼い光を吐き出し続け──イズラとイスラは、落ちてくる流星を鋼の糸で細切りにし、冷気の光を音圧で吹き飛ばすことしかできておらず、星そのものへの破壊行動は何ひとつとして成し遂げられていない。

 当たっていないとか、届いていないとかではない。

 どうにもあれらには、まったく有効打にはなりえないようなのだ。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムによって拮抗状態を構築できている天使の澱であるが、拮抗はそれ以上の展開に持っていけないという意味合いも含む。

 だが、イズラは臆することはない。射るような眼差しを優しくほころばせながら、己の妹に語りかける。

 

「大丈夫だよ。私たち──“(ぼく)ら”のお務めは、あれらを少しでも長く食い止め続ける事」

 

 妹と二人きりの時にだけ使う一人称で、イズラは笑い続ける。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム──その効能が尽きる、その時まで。

 

「僕のような、敵に敗北したシモベにまで、あの方は『死に場所』を与えてくださった」

 

 あの生産都市(アベリオン)で。

 調査任務に失敗し、魔導国の部隊と一戦交え、死の支配者(オーバーロード)四体に殺される寸前にまで追い込まれた。その時の苦い記憶──敵に敗戦を喫した汚辱を思えば、これほどの戦場を、戦闘を、戦争を与えてくださった創造主への尊崇は、限界以上の階梯に余裕で登り切っていた。

 あまつさえ。あの平原の戦いで、敗北の屈辱にあったイズラを気遣い──(イスラ)隊長(ミカ)たちの忠言や進言があったとしても、戦いにおける“一番手”の栄誉を、彼が──創造主が──唯一の主君たるカワウソが、与えてくれた。

 そんな優しい堕天使の道行きを阻むものを、

 

「絶対に止める」

 

 頷く(イスラ)と共に荒野を舞い飛ぶ(イズラ)は、星々と対し続ける。

 

「だから、頑張りましょう。最後の最後まで」

「────うん。おにいちゃん。最後の最後の最後まで、私たちは戦い続ける」

「うん。その意気です」

 

 

 ──残り時間、1分30秒。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 月の色に煌く星から降り注ぐ風圧の刃を、幻の巨拳の連突が弾き落とし──

 水色に潤む星から飛来する巨大鉱石弾を、聖なる光の輝きが払い浄める──

 

 圧縮空気による斬撃や何かしらの強化の輝きを周囲に波及させる気配と対しながら、二人の天使は未だに無傷。

 しかし、女智天使は苛立たしげに荒野を踏みつけた。

 

「ああ、もう! 何なのよ、あいつら!」

「少し……落ち着いたらどうだ、ガブ?」

 

 銀髪を褐色の肌に流し、修道女の衣服を着崩した姿がなまめかしい聖女は、同胞にして恋人と定められた牧人(ハーダー)──羊飼い然とした銀髪の天使に振り返ることなく、抗弁する。

 

「落ち着いてなんていられないわよ! なんで“無敵”状態の私らの攻撃が、あれらに効かないのよ!?」

 

 ガブの言う通り。

 攻撃の手を少し休めて会話に興じる隙に、星々から落ちる攻勢の総量は、確実にNPCの肉体を切り刻みかねないはず。

 なのに。

 ガブは、まったくの──無傷。

 まったくの“無敵”であった。

 

「ん。向こうも同等のステータス──あるいは何かしらの防御能力を有している──そんなところだろう」

「でも、私たちのこの力──無敵状態は、カワウソ様の世界級(ワールド)アイテムの効能よ? それ以上の防御やステータス増強なんて……」

 

 言っている内に、ガブは己の中で答えを探し当てた。

 相手は、あの“アインズ・ウール・ゴウン”。カワウソの語る通りだとすれば、あのギルドに蔵された世界級(ワールド)アイテムの数は、桁違いの「11個」である。

 ラファは声にして正答を紡いだ。ガブの認識が正しいと認めるために。

 

「考えたくはないが、アチラの世界級(ワールド)アイテムに、そういうものがあったと仮定してしまえば、すべて辻褄は合う」

 

 仮に、同質・同等・同性能・同系統の世界級(ワールド)アイテムがあれば。

 そうと考えれば、この地──この荒野で1000人規模のプレイヤーが、カワウソの仲間だったという旧ギルドの者たちが死滅したのも、頷ける。

 世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”。

 ユグドラシルにおいて最大最高峰に位置づけられるアイテムの効能は、ガブたちの認識や常識を遥かに超えるもの。無敵となったNPCたちは、ありとあらゆる攻撃や魔法に耐え抜き、その一撃は相性属性など関係なしに、敵を“一撃必殺”させる性能を誇る──実にゲームじみた反則技を可能にさせる。

 だからこそ、それほどのアイテムを頭上に戴くことになったカワウソの功績は計り知れない。自分(ガブ)たちNPC──自軍勢力に属する者全員を“無敵”としてしまう能力は、使いようによっては、ユグドラシルで強大な力を誇る竜種などのモンスターを狩ることも容易となる。彼が神器級(ゴッズ)アイテム──状態異常(バッドステータス)吸収の鎧“欲望(ディザイア)”を自作する時に、必要な素材の都合上、どうしても狩っておかねばならないボスモンスターがいた場合、傭兵NPCを使った裏技的な手法で世界級(ワールド)アイテムを発動──ボスやドラゴンを一方的にフルボッコにして素材集めに使っていたという話を、彼の独り言や、それを聞いたミカから聞き及んでいる。

 

 ただし、その発動時間は、わずか「10分」のみ。

 発動後は途方もないリキャストタイムを要する。

 さらに、時間制限以上に致命的な“弱点”も、ある。

 

「ったく。世界級(ワールド)アイテム11個とか──どうやったら、そんなことが可能なの?」

「さて、な…………しかし」

 

 弱々しく呻く恋人(ガブ)に、恋人(ラファ)は欲しい言葉をかけてやる。

 

「この、第八階層に乗り込めた時点で、我等の宿願は『成就した』も同然だ」

「……うん」

「あとは、我々の最後の務めを成し遂げ、あれらや少女を食い止めることで」

「うん。──これで──カワウソ様の長年の願いが」

 

 かなえられる。

 この第八階層に戻り、仲間たちとの“約束”“誓い”を果たす。

 そのためだけに、ガブやラファ……天使の澱のLv.100NPCは、創り上げられた。

 

「──あんたは、最後まで(そば)にいてよね?」

「──ああ。もちろんだ」

 

 ガブとラファは恋人が手を繋ぎ絡めるかのように、背中合わせで微笑みを交わす。

 月と水星から零れ落ちる大攻勢を、二人は命を賭して、自分たちに引きつけ続けるべく、魔法や攻撃スキルを乱射し続ける。

 聖女は誇るかのごとく、事実を口にする。

 

「……私たちの命は、あなた様からいただき、あなた様のために使われるもの」

 

 死への恐怖など、ありえない。

 自分たちは全員……死ぬためだけに(・・・・・・・)、ここへ来たのだ。

 

 荒野を行く創造主(カワウソ)と、その護衛を果たす大任を得られた同胞(NPC)達に、聖女(ガブ)は真摯に願う。

 いつも鋼鉄みたいな無表情でいる女天使へ……本当はとんでもなく情感豊かな親友へ……創造主を嫌わねばならないものへ……静かに祈念する。

 恋人たちの頭上で、主人の発動した世界級(ワールド)アイテムのエフェクトが、またひとつ砕ける。

 

「──(しゅ)よ。おさらばです」

「──おさらばです、カワウソ様」

 

 恋人共に、主人への別れの挨拶を紡いだガブは、親友へのエールを唇に乗せる。

 

「……頑張ってね、ミカ」

 

 

 ──残り時間、1分

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 人の身の丈を超える巨岩をよじのぼりながら、敵の伏兵伏撃を十分に警戒しながら、カワウソ達は鏡まで700メートル付近に迫った。

 

「……鏡に、敵の姿は」

「ないぜぇ。鏡の周辺にもぉ。鏡から出てくる気配もぉ」

 

 クピドは気安く断言する。熟練兵としての“勘”に優れる彼の感知能力は、与えたサングラスの効果も合わさって、よほど隠れるのに特化した存在……近いところで言うと、身内の暗殺者(イズラ)くらいでないと、すぐに探知可能な技能を持っている。

 

 ここで他の階層守護者──シャルティアやコキュートスなどの強力なNPCとの邂逅・会敵は、ない。

 そして、

 死の支配者(オーバーロード)の魔導王……モモンガは出てこない。

 

 カワウソの最大級の懸念……“あれら”を変貌させる世界級(ワールド)アイテムを使用すべく、この階層にやってくる可能性はないと見るべきか。

 今のモモンガ……転移後のアインズ・ウール・ゴウンに、そんな戦略は存在しないのか。あるいは単純にカワウソの世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”状態のNPCを警戒しているのか──まぁ、後者だろう。

 さすがに、相手のギルド拠点(ナザリック)内部に侵入し侵攻している状況で、魔導王アインズとやらがこちらを映像なり何なりで見ていないなど、ありえない。可能性は、ほぼ100%と言える。でなければ、墳墓の表層で、シャルティアなどのLv.100NPCや上位アンデッドの大軍団に囲まれるなんて状況に追い込まれ、あげく降伏勧告するつもりだったという(“真偽”は不明だが)──それほどの大略を発揮しながら、第八階層を見ていないというのは、どう考えても「ない」選択のはず。

 

 魔導王が“モモンガ”であるならば、あるいはあの星々(あれら)を、またあの恐ろしい姿に変貌させることも可能なはず。

 

 あれを使われたら、十中八九、カワウソは敗ける。

 

「……」

 

 あの黒く、黒く、黒く歪み果てた星々の光景が、脳裏を過る。

 

 世界そのものが“死”を迎えたような、“闇”。

 

 黒い星が、漆黒に染まる(そら)から失墜した時の──

 

 

 絶叫

 悲号

 喚声

 轟音

 断末魔

 

 

 おぞましくてたまらない、地獄の鳴動……まるで生まれたての赤ん坊が(くび)り殺されかけるような泣き声……強姦され輪姦され凌辱された少女が世のすべてを憎むかのような喚き声……四肢をもがれ舌を穿ち裂かれ目も鼻も耳も削ぎ落とされた罪人のような叫び声……狂った悪役道化師のような下卑(げび)笑声(しょうせい)……生きもがこうと殺戮者に立ち向かうような獣声(じゅうせい)……生物のそれであるかどうかも意味不明瞭を極める蛮声(ばんせい)……それらすべてを甘美な交響楽の演奏の如く聞き惚れる魔王の美声(びせい)……

 

 声と声と声と声。

 

 漆黒の眼と闇色の牙を剥き、落ちて墜ちて堕ちてくる、九つの星。

 圧倒的な“死”の騒乱と奏上と葬送と総滅が奏でる、()(ごく)(はて)(はて)

 星の墜落と崩落に潰し殺された討伐隊、砕けた旧ギルドの剣。

 あれこそまさに、ひとつの世界の……「(おわり)」だった──

 

「カワウソ様?」

 

 なんでもない。

 そうミカに言えないほどに、カワウソは疲労の蓄積した肉体を自覚する。

 自覚しながらも、あの動画映像で、何度も何度も、何十度も何百度も、仲間たちとリーダーが砕ける時の光景を繰り返し見ながら研究をつづけた現象事象を、心に留める。込み上がる吐気を胃の腑に押し込み、黙考を続けながら、力なくミカの声に手を振って応えておく。

 

 世界級(ワールド)アイテム保有者であるモモンガが現在出てこない以上、これ以上のイレギュラーは起こらないはず。

 

 あれらの変貌は、カワウソが仮定するに、モモンガの保有する世界級(ワールド)アイテムの効果。

 だとするならば、カワウソの保有する世界級(ワールド)アイテムで防御などもできるだろうが、いいや、それは難しいかもしれないとも、思う。

 あの“あれら”による最後の「暴虐」……黒い星の終焉……あれは世界級(ワールド)アイテムを装備していた討伐隊の生き残りすらも飲み込み、挙句の果てには死亡によるレアドロップとして“喪失”、アインズ・ウール・ゴウンに奪われる結果を生んでいる。

 カワウソは仮定を立てていた。

 だとすると。考えられるのは、

 

(………………世界級(ワールド)アイテムの“複数同時発動”)

 

 そうだと考えると、「なるほど」と思えることは多い。

 同ランクであるはずの世界級(ワールド)アイテム保持者が防御しきれなかったのは、彼等が持っているのは単一だった。だが、もしも、世界級(ワールド)アイテムを“複数個”所持し、それを「一度」に「同時」に発動することができたなら──それはいったい、どれほどの効能を生むことになるのだろう。

 しかし、この情報を検証するには、世界級(ワールド)アイテムを複数……最低2個以上を、プレイヤー個人か単一ギルドで所持している必要があるだろう。ただ一時(いっとき)の同盟や連合で、世界に冠たるアイテム=運営の用意した壊れ性能の“切り札”に関する情報を明確に開示するわけがない。そんな危険を犯して、世界級(ワールド)アイテムの性能や弱点を露呈することは、ユグドラシルにおいては「奪ってくれ」と言っているようなもの。なので、複数のギルドによる検証や研究は、ほぼありえない。というか、そういうことを検証しようとした団体(マヌケ)は、ユグドラシル創始期に、そういう痛い目を見まくったのだ。誰も同じ轍を踏むはずがない──というより、地雷が埋まっているとわかっている野原を裸足(はだし)で踊るがごとき暴挙なのである。

 

 そして、ユグドラシルの12年の歴史上、他を寄せ付けない「11個」の世界級(ワールド)アイテムを有する単一の団体は……ギルド:アインズ・ウール・ゴウン、ただひとつだけ。

 アインズ・ウール・ゴウンだけが、数多くの世界級(ワールド)アイテムを保有し、それらを同時に発動するなどの研究検証が行えただろうという推測が、一応、成立する。

 さらに推測を推し進めれば、世界級(ワールド)アイテムのなかには、世界級(ワールド)アイテム同士の共鳴なり相互作用……“シナジー効果”などを発揮するものがあってもおかしくはない。……かも。

 200個も存在したとされる世界級(ワールド)アイテム──そのすべてが世に出たことは、ない。

 さらに、カワウソが保有するそれにしても、ゲームやネットで広く拡散しようという気にはまったく完全にならなかった。

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム……名は『亡王御璽

 

 取得条件は、不名誉な『敗者の烙印』が絶対条件。

 効果発動時間の他に存在する致命的な弱点の存在。

 拡散しようにも、偽情報扱いされて終わる可能性。

 真実だと認定されても“狩り”の対象になる危険性。

 

 異形種狩りや、ナザリック再攻略の人員募集時の一件などで、他のプレイヤーと交流する気をほぼほぼ喪失していたカワウソには、それら危険を犯してまで、ユグドラシルの情報を広める事業に貢献しようなどという意識は、ついに芽生えることはなかった。

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムは、『敗者の烙印』由来のものである上、これを与えられたものは、これを頭上に“装備し続ける”という、ある種の呪いじみた装備品なため、ドロップや略奪の対象にはならないようなのだが──さて、この異世界ではどうなのだろう。

 そんな頭上の円環は今、カワウソの頭よりさらに上──世界全体を覆うかのごとく巨大化し、天上に赤黒い(まる)(じるし)を施しているような様相を呈している。

 

「『敗者の烙印』が×(バツ)(じるし)だから、あの(まる)なのかね……」

 

 ミカが怪訝そうに兜の面覆いを傾ぐ。

 そんなミカに対して、カワウソは笑う。笑うしか、ない。

 

 宙を覆う円環の数は、残りひとつだけ。

 

 その時(・・・)が近いのだと思うと、胸の奥がせわしなく(はず)むのを実感する。

 同時に、今も荒野で戦い続ける、カワウソのNPC(シモベ)たちへの罪悪感が強まっていく。

 だが、決めた。

 カワウソは決めた。

 彼らを──“使う”と。

 天使の澱のNPC全員を率いて……この地獄を、第八階層“荒野”を攻略する。

 そのために、カワウソは彼らを創った。

 だから、ここですべてを“使う”。

 そう、……決めたのだ。

 

 ──頭上で廻る円環、世界を覆い尽くすアイテム……その最後の一個が、(ひび)割れる。

 

「……ミカ、時間は?」

 

 カワウソの認識──世界級(ワールド)アイテム発動者の体感だと、残り13秒程度。

 

「残り時間、12、11、10、9、8、7」

 

 熾天使(ミカ)の正確なカウントダウン。

 同時に、赤黒い円環は明滅を繰り返し、まるで花火の光音のような──心臓が最後の鼓を打つような音色を響かせた。

 カワウソは鏡に向かって急ぐでもなく、すべての結果を見届けるように、鏡のある丘のふもと付近で、荒野を振り返る。

 

「6、5、4」

 

 七つの星が尋常でない攻撃を荒野に叩き込む──その光景こそが、天使の澱の全員の無事を確信させる。

 だが、それも、あと数秒の奇跡。

 

「3」

 

 カワウソは、荒野に置き去りにした天使の一人一人を……その名前を心に刻む。

 

「2」

 

 自分と共に第八階層にやってきた、天使の澱のNPCたち──

 

「1」

 

 その“死”が確定する。

 

 

 

「0」

 

 

 

 最後の円環が砕けた。

 

 

 

 ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、アプサラス、マアト──

 七人の天使が、

 死んだ。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 それは、筆舌に尽くし難い──非業の死。

 

「きゃぁああああああああああああぁぁぁッ!!?」

 

 雷樹の集中攻撃を受けたマアトが、白い雷の超過ダメージで褐色の肌を粟立て、黒焦げに。

 

「いっ、──う˝あ˝あ˝あ˝ああああぁあぁッ!!?」

 

 酸性の滝雨を受けたアプサラスが、王水のごとき強酸を頭から浴び、朽ち融かされていく。

 

「が、お˝お˝お˝お˝お˝お˝お˝お˝お˝っっっ!?!?」

 

 太陽フレアの熱量を受けたウリが、炎へ耐性を持つ体を、焔で炭化するほど炙り焼かれる。

 

「ぐぅ! うあ、があ……ぅうあああぁぁっ?!!」

 

 無数の流星群を受けたイズラが、展開した全鋼線を引きちぎられ、大質量の下敷きになる。

 

「────な! ぅ、っ、ぁ……カッ 、  」

 

 冷気の大光線を受けたイスラが、全身どころか呼吸の吐息まで、絶対零度の氷像に変じる。

 

「ぎ、ぃぃぃッ、い˝い˝い˝、がぁあああああ!!!」

 

 鉱石の尖弾群を受けたラファが、天使の体を穴だらけにする散弾を受けつつ、一歩を前へ。

 

「こんのおおおおオオオオォォォォォぁぁぁッ!!!」

 

 風圧の大斬撃を受けたガブが、最後の烈拳を飛ばそうとして、四肢と胴を斬り落とされる。

 

 

 

 荒野の園に転がる“死に体”。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちは、絶命の間際に、頭上の星を、見る。

 

 

 

「──……あ、…………こ──れ──で」

「……ぃ、ぃ………………、ウ、フフ♪」

「──ッ…………われら、の、勝ち、だ」

「……ぁぁぁ、……これで……やっ、と」

「────ぉ、ぉ、つ、と、め……、を」

「…………わ……が……しゅ……よ……」

「……すべて、あなた、のぞむ、ままに」

 

 

 

 黒焦げのマアトが、融け朽ちたアプサラスが、体中炭化したウリが、全身が潰れたイズラが、氷の唇を動かすイスラが、顔も四肢も臓物も穿たれたラファが、同じく顔も四肢も臓物も斬り砕かれたガブが、

 

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 ──そして、

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「──ふん。……あっけない」

 

 まったくもって、あっけない死に様だった。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムが砕け消えた瞬間、七体の生命樹(セフィロト)の大攻撃と大攻勢の殲滅能力が、過つことなく、天使の澱のNPC──そのうちの七体を殺戮し尽した。

 ゲームではなく現実化したことで、その破壊の規模は常人であれば精神に重篤なダメージを与えるだろう(しかばね)をさらし、酷烈なまでの“死に様”を演出していた。

 極電圧の蹂躙によって肌が武装の衣服ごと黒焦げになった巫女。強酸をもろに浴びながら人の形をギリギリ維持した踊り子。全身が炭化しながらも杖の残骸を支えに仁王立つ魔術師。首から下が流星によって挽き潰された暗殺者。絶対零度のレーザーによって全身氷と化した回復師。数え切れぬ巨岩の散弾で全身をくまなく貫かれた羊飼い。(おびただ)しい数の風刃で顔面も四肢も何もかも削ぎ落ちたような修道女。

 あいつらの死は確定的だ。

 確定して「当然」でしかなかった。

 生命樹(セフィロト)の攻撃力は、あの1500人の討伐隊をも破砕し粉砕し撃砕した実績を誇る。

 ただの拠点NPC──カワウソの天使たち──Lv.100であろうとも、耐え抜ける道理などない。

 それこそ先ほどまでのように、世界級(ワールド)アイテムで強化された状態でもなければ。

 

 これまでさんざん煮え湯を飲まされていたアルベドや守護者たちが、大いに溜飲を下げた微笑みを浮かべ、生命樹(セフィロト)を支配下に置くアインズの偉大さを言祝(ことほ)ぐ。

 アインズはアルベドたちの称賛を受け入れつつ、生命樹(セフィロト)が動くのをゆっくりと待つ。

 詳しい戦闘命令など不要。

 あれらは起動している限り、勝手に第八階層の侵入者を、敵味方問わずに吹き飛ばすようになっている。

 

「さて」

 

 後は、鏡から未だに遠い位置の堕天使共を狩って、すべて終わりだ。

 否。今から降伏勧告を送ってみるのも悪くない気がするし、だが、第八階層に侵入した敵を、アインズ・ウール・ゴウンが許す、はず────など────?

 

「ん……なんだ?」

 

 第八階層を映し出すモニター。その中の生命樹(セフィロト)たち──木星(ケセド)金星(ネツァク)太陽(ティファレト)土星(ビナー)海王星(ケテル)水星(ホド)(イエソド)──すべてが、活動を停止している。鏡に向かったカワウソと護衛を追い撃つ動作を見せない。

 おかしい。

 あまりにも不可解であった。

 アインズは生命樹(セフィロト)たちに停止命令を与えたつもりはない。

 

「──いや。待て」

 

 さらに、おかしなことに気づく。

 生命樹(セフィロト)の星々……その真下には、自分たちが殺した敵NPCの死体が残ったままだ。

 

「どういうこと、だ?」

 

 何故。

 何故──生命樹(セフィロト)は動きを止めた?

 第八階層内には、まだ敵性存在……カワウソと護衛二体が、いまも鏡を目指している。

 優先破壊対象を悉く殺し、死体に変えた今、生命樹(セフィロト)たちの暴力装置としての役割は、自然と残った敵の排除に向かうはず。

 なのに。星は攻撃を繰り出すことなく、その場で静止。

 まるで、その下にある天使の骸を、死体を見下ろしているかのように。

 ──ふと、アインズは奇妙を覚える。

 NPCの、天使の、死。

 天使の──

 

「天使の、死体、だと?」

 

 天使種族は、そのほとんどは光の粒子を振り撒いて消滅を余儀なくされる──特に、下位天使であればあるほどその傾向は強く、熾天使などの血肉が通う感じのものでも、その“死”は光の粒子というエフェクトで完結するのが、ユグドラシルにおける天使モンスターの法則であり、それはこの異世界に存在する天使でも同じこと。ちょうど、アインズ達の転移直後の時期、カルネ村を救い、陽光聖典の召喚した、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がそうであったように。

 彼等の死体が残っているのは、拠点NPCであるが故の現象……では、ない。

 そして、アインズはひとつだけ、その事象に思い当たる節が、ある。

 戦慄の粟立(あわだ)ちが、骨の腕を、背中を、全身を、(はし)る。

 

「おい…………まさか────、!!!?」

 

 瞬間。

 天使の死骸が淡い輝きを放ち、強烈な光を放つ。

 彼等が生き返ったのではなく──生命樹(セフィロト)たちの大攻勢の連続超過ダメージのおかげで、蘇生アイテムや復活スキルで蘇生復活した瞬間にも殺される──、彼等は死んだまま(・・・・・)で、ひとつの力を発揮していた。

 

 それは、負けなければ、「死ななければ」発動しない能力。

 

 光は一本の腕のごとく──指を伸ばす手のごとく──伸びる。

 (そら)へ。(そら)へ。

 荒野に存在する“あれら”へと向かう光の帯は、まるで金色の柱のように、確実に星々と、生命樹(セフィロト)たちと、繋がった。

 

 アインズは愕然となる。

「ありえない」と思った。

「ありえないだろう」と信じた。

「気づく者がいたはずがない」と──。

 事実、ユグドラシルでそこまで理解できたものは、アインズの前に現れなかった。

 

 だが。目の前の光景は、アインズの理解を超えかけていた。精神が沈静化と混沌化を繰り返す。

 

 荒野の地に転がる“天使の死体”。

 その、残るはずのない死体から溢れる、光のエフェクト。

 

 第八階層守護者──ナザリック内でも比較的矮小かつ脆弱な存在でありながら、「階層守護者」の地位を戴くNPC──“あれら”を、生命樹(セフィロト)を、監視する者として最適な存在──胚子の天使──“ヴィクティム”。

 彼の役目と、同じ(ことわり)特殊技術(スキル)が、()きていた。

 

「ば、か、な……」

 

 ──天使種族固有の力。

 ──殉教者(マーター)などの職業レベルを必要とする力。

 

 かつての光景が脳裏を(よぎ)る。

 第八階層に侵入した大量のプレイヤーたちを──

 ヴィクティムの「死」によって、全員完全に“足止め”し尽くした、天使のスキル。

 

 アインズは叫んだ。

 

 

 

 

「  足止めスキルだとッ!!??  」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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