オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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第七章 ナザリック地下大墳墓へ 最終回


願い

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.09

 

 

 

 

 

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 ナザリック周囲を囲む平原。

 エモット城の内周と呼ぶべき地に屯する撮影部隊──ハンゾウなどの傭兵モンスターや隠形可能なシモベたちは、様々な形で、天使の澱なる敵対者共の侵攻を記録し、連中の戦闘能力の完全把握のために必要な映像データを収集するという、重大な任務を仰せつかっていた。

 その栄誉職──部隊の一員に組み込まれた影の悪魔(シャドウデーモン)たちは、文字通り草原に生える芝の極めて小さな影に隠形しながら、御身より貸し与えられていた“とあるアイテム”の効果で、連中に気づかれることなく、自分たちの役目に準じ続けていた。接近は極力抑えて、連中のスキルや魔法や特殊能力の余波を受けない程度のギリギリの位置で、職務を全うし続ける。

 

 そうして、彼等の中の一人が、それを見ていた。

 

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)──至高の御身が作成した上位アンデッドが屠られる瞬間を、わずかながらに、自らの目で、見た。

 赤子の天使(キューピッド)が開いた〈転移門(ゲート)〉──そこから連行された、戦場の雑魚アンデッド──それらを瞬殺し、スキルの生贄を捧げた堕天使の策謀。その、一部を。

 遺憾なことに、撮影用アイテムの捕捉範囲に紛れ込んだ天使の数が過大かつ圧倒的であったために、アイテムの性能仕様上、映像として記録することは出来ずにいた。だが、彼等の中のほんのわずかな人員が、堕天使が解放した未知のスキルを、悪魔の視力におさめていた。

 急ぎ連絡しなければならない。

 だが、自分たちにのみ通じる種族同士間で行われる念話は使わない(万が一にも盗聴・傍受され、撮影班やナザリックへ害を被る危険を冒すわけにはいかなかった)。連中に気づかれるような行為行動は厳に慎みつつ、重要な情報を、至高の御身へ的確に十全に完璧に奏上すべく、遠回りになりながらも最適な移動速度とルートで、天使共の走破する戦場を離脱。

 ナザリックへと己の足で戻り、表層に詰める御身のアンデッドを通して、伝達を乞うのだ。

 

 影の悪魔は、死神を屠る際に微かに見届けた、堕天使(カワウソ)が頭上に浮かべたエフェクトの情報を、己の尊き主人のもとに届けるべく邁進する。

 

 悪魔たちの背後。

 天使の澱は、第三防衛線を切り崩しにかかっている。

 

 

 

 

 

 そして、まこと幸運なことに。

 悪魔の帰還した表層の墳墓には、堕天使のスキルを『止める』手法を考察し終え、来たる天使どもの歓迎の用意のために主王妃(シャルティア)と出向いていた、ナザリック最高の智者たる最王妃(アルベド)──女悪魔の姿が。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソは思い出す。

 

 

 

 

 

 それは、出撃直前の、最後の作戦会議でのこと。

 

「我々、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が生き残る道は、これ以外にない」

 

 この異世界で、アインズ・ウール・ゴウンと戦うという無謀な挑戦を遂行せんとする堕天使を、ミカが導いてくれた。ツアーとの会談を終え、エモット城への侵入路の確認や、作戦指揮を構築していく中で、絶対的な“勝利条件”として、ミカが最大限に利用すべきと進言していたもの。

 

「連中は大陸すべてを、全世界全種族全臣民を統治下におく超大国。我々のような木っ端な、……失礼。ただ、事実として、Lv.100の存在“十数人”規模の勢力では、天地がひっくり返りでもしない限り、ありえない」

 

 そんな戦局において、唯一の光明たりえるのは──ただ、ふたつだけ。

 カワウソの装備する世界級(ワールド)アイテム。

 そして、もうひとつ。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの、連中ほど強大な相手が、我等“格下”に懐いて当然の心象。

 ──慢心。

 ──油断。

 そして、(おご)り。

 そこを利用するしか、我々が、このギルドが……戦える方法は──ない」

 

 ないないと、繰り返し冷ややかに紡ぐミカの声。

 熾天使たる彼女が語った必須条項は、相手が強大であればあるほど、壮大で膨大で超大で雄大であるがために、確実に生じるであろう、決定的な“スキ”だ。

 

 物語でよく目にすることだが。驕慢(きょうまん)な王の物語において、王者というのはいつだって、己の栄華と名誉を絶対と信じるもの。

 たとえ、どんな賢帝や賢者であろうとも、失敗する時には失敗する。何故か。

 それは人間であれば誰しもが己の成し遂げた事柄を、積み上げてきた基礎と基盤を肯定するから。肯定できないもの──自己で自己を否定するものは、自家撞着の自己矛盾に耐え切れない。人は、自分が降り立つ大地が不変であると信じなければ、一歩を踏み出すことは出来ないし、落ちてくるはずのない空が落ちてくるなどと妄信しては、青空の下にいることにさえ怯え震えながら生きることになる。それらは常識というものであり、誰も自分を否定しながら生きていくことはできない。──否定を続けていけば、人はあまりにも簡単に粗末に、究極の否定を自己に施す。自分が、「この世界にいること」すらも、否定してしまう。

 国家もまた同じこと。

 素晴らしき大国・幸福な生活を送る臣民・あまねく世界に名を轟かせる栄光の極みに立つ以上、それだけのことを成し遂げた事実を誇り、肯定し、受容できなければ、それは暗君の治世であり、100年もの長きに渡って存続できるものではない。

 王とは権威者だ。権威というのは、否定されては維持できない。

 否定し拒絶し反逆する何もかもを掃滅していけば、後に残るのは死山血河(しざんけつが)の、廃墟の国しか残らない。

 国民に支持されぬ王侯が、大手を振って凱歌を謳えるわけもなく、自己を規定できぬ統治者が、法によって治まる国の規範にはなりえない。

 

 ミカが語るのは、敵である魔導王──魔導国の主君たる者に生じ得る「肯定」の間隙(スキ)、わずかな“驕慢(おごり)”を衝くこと。……それを狙う以外に、自分たちの望みは果たされず、カワウソの生存は不可能だろうと、説いて語った。

 驕慢とは、一概には悪いことではない。

 驕慢(それ)が過ぎれば破滅を招くというだけであり、それによってもたらされた失敗をすら呑みこみ、失敗の結果を「是正する」ことで、人はより良きものを、価値ある成功を勝ち取ることに繋がっていく。転ぶことを恐れて立ち止まっては、前へと歩くことは出来ないのと同じように。失敗を恐れて何もしないことは、“何もなしえない”という最悪の結果しか生じ得ない。

 驕るものは久しからず……されど、驕らないものに、栄光も栄華も極められない。

 過度な自己否定を繰り返すものに、勝利が微笑む道理はない。

 

 しかし当然、カワウソは(たず)ねた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンが、驕慢に(はし)らなければ?」

 

 ミカは、押し黙った。そして──

 

 

 

 

 

 そうして、今。

 

「あと少しだ!」

 

 第三の防衛線にて。

 第二防衛線や第一防衛線の残存が、背後から追撃し包囲網を築きあげてくるのも撃退しながら、天使の澱は平原を進む。

 やはり上位アンデッドの姿はなく、居並ぶのは中位アンデッドの戦列ばかり。そこへ死体の集合した巨人や巨人そのものが白骨化したようなモンスターが加わりながら、地下より現れる骨の竜(スケリトル・ドラゴン)炎竜の動死体(フレイムドラゴン・ゾンビ)霜竜の動死体(フロストドラゴン・ゾンビ)など──ナザリック地下大墳墓を護る平原の巨竜兵共をものともせず、カワウソたちは突き進む。

 アンデッドのくせに死体そのものの効果で炎に耐性を備える炎竜のゾンビが盾となって立ちはだかり、霜竜のゾンビが吐き出す氷雪の嵐が、雑魚天使の軍を凍えさせ地に墜とす。

 だが、天使の澱の誇るLv.100NPCの進撃を止めることは難しい。

 竜形のアンデッドを神聖属性の光で焼き尽くして、ブチのめして、行軍路を確保。

 その間にも、カワウソは新たな疑問を懐き始める。

 

(アンデッド共の抵抗が、心なしか薄まっている、ような?)

 

 何かの作戦か──アインズ・ウール・ゴウンの思惑は何だ。

 心の(うち)で繰り返される疑問符の発生を思考の隅に蹴り落とす。

 考えても(らち)はあかない。

 強化された上位アンデッドさえ湧いてこなければ、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の行軍を阻むことは不可能。

 加えて。

 ただただ、敵を(ころ)(ころ)すことにのみ特化した、復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)もある。

 これを止めようとしたところで、兵力を(いたずら)に損耗するだけ。となれば、まともに相手をするだけ無駄という思考も判る。

 

(上位アンデッドがこないのは、“OVER KILL”を警戒している?)

 

 カワウソが具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を抹殺したスキル。

 それを警戒しているかのように、次の上位アンデッドは襲ってこない。

 あれは“LIMIT”に比べれば発動条件はそう多くない犠牲者数で(まかな)えるし、これだけの乱戦下──雑魚が大量にいるフィールドでは、投入する理由が薄いと判断してあたりまえ。

 ミカに目くらまし用として〈最終戦争・善(アーマゲドン・ヴァーチュ)〉を使わせたが、連中に対してどれほど有効に働いたかは、わからない。死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の極みのごときプレイヤー・モモンガであれば、召喚したアンデッドモンスターと視界を共有も出来るだろう──これだけ有利な状況で、魔力を少しでも使ってくれるとは思えないが。魔力は自然に回復するといっても、敵軍が自分の拠点に襲来している状況で、せっかくこれだけの大軍を使役しているのに、率先して貴重な魔力を消費浪費するというのは、普通のプレイヤーであれば危険(リスク)と思えるはず。

 

 魔力はケチって当然。

 彼のような純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)は、魔力がなくなっただけで戦闘不能に陥る。

 

 もしも仮に、いざ正面から対戦するような状況を構築された場合。

 その時までに、無数にいるアンデッドと視界を共有し、やられて魔法がキャンセルされたら、すぐに魔法で繋ぎ直して視界を共有する……なんて面倒をかけて監視する使い方をしては、いくらなんでも魔力の無駄遣いが祟ることになりかねない。具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)のみに一点集中して視界を共有していたとしても、それではクピドの〈転移門〉の向こうで行われた発動条件を満たすための挙動・復讐者の第一特殊技術(スキル)の様子が見れないため、やはり無駄になったはず。

 あるいは、そう。魔力を無限にもっているような反則技(チート)行為が可能ならば、やっているかもしれないだろうか。

 

(少なくとも。モモンガというプレイヤーは、そういう運営にBANされるチート使用者って情報はないんだが)

 

 ユグドラシルの評価だと、「悪のギルド、アインズ・ウール・ゴウンの長」「強力な即死スキルの使い手」という他に、「異様にPVPの勝率が高い」とか、「時間魔法のコンビネーションが適確」とか、そういう感じの情報しかなかったはず。

 

(なんにせよ。会ってみれば、解る)

 

 会えればの話だが。

 

 また、長い長いアンデッド共の戦列を踏み超え、大量の人骨や腐肉の残骸を焼き尽くして──

 

 その時が来た。

 

「見えました」

 

 カワウソの肩の少し上。空を舞う熾天使の瞳にもはっきりとわかるほどの距離に(そび)えるもの──黒い一枚岩の壁。

 ナザリック地下大墳墓の表層を護る墳墓の壁。

 カワウソは、懐かしさすら感じながら、前進。

 以前は、瘴気と毒霧の立ち込める沼地の奥に聳えていたはずのそれが、いまは、爽快な新緑の野に鎮座していて、近くにはログハウスも。そのギャップに、少しだけ笑いがこみあがる。

 

「…………嗚呼(ああ)

 

 思い出す。

 皆と一緒に。

 あの門を踏み超えた。

 あれから、どれくらい経ったか。

 あれからカワウソは、どれだけ戦い続けてきたのか。

 

 1500人からなる討伐隊……その一員として、カワウソの旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、末席も末席であったが、小規模ギルドとして参戦。雇い主のギルド──討伐失敗の後、しれっと解散して消えた八ギルド連合のひとつに強要され、カワウソ達はギルド武器……神器級(ゴッズ)相当のそれをもって、乗り込んだ。

 

 第一階層の墳墓を破壊し尽くした。

 第二階層の蟲地獄や水死体を焼き払った。

 第三階層で、階層守護者(シャルティア)の最後の抵抗を受け、ギルド長を護った拍子に神器級(ゴッズ)の槍で貫かれ、熾天使だったカワウソは蘇生不能に陥り、脱落。

 

 ──仲間たちは進攻を続けた。

 

 第四階層の地底湖を走破し、

 第五階層の氷河を煉獄に変え、

 第六階層のジャングルを蹂躙し、

 第七階層の溶岩を凍結させて……

 

 あの、第八階層で──仲間たちは、皆、負けた。

 

 1500人の討伐隊は、“あれら”と“少女”に、殲滅された。

 

 ギルド武器は砕き折られ、ギルドは消滅し、皆とあれだけ苦労して整えた拠点は、無人の屋敷に変わった。ナザリックの第三階層で死んで、ホームポイントだった拠点に戻った後のこと。ギルドの皆が勝って戻るのを、いつものようにささやかな祝勝会の準備をしながら待っていた時、唐突に、旧ギルドのNPCたちが消え失せ、拠点を使用していたギルドがなくなり──カワウソはそこで初めて、討伐が失敗した事実を知った。頭上に浮かぶ『敗者の烙印』が、赤々と、熾天使の頭上に輝いた。

 

 ギルド長たち主要メンバーはINしなくなり、残存していた人たちもユグドラシルに留まることはなく、副長はリアルの仕事がようやく一段落して再会を果たし、同時進行でリーダーに起こったトラブルも、──ようやく聞けた。

 ……旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、完全に崩壊し、カワウソは『敗者の烙印』を押されたまま、狂ったようにゲームにのめり込み続け、ボーナスを全部課金してまで続けて……そうして。

 

「カワウソ様」

 

 耳元で呼びかける女天使の声に、カワウソは頷く。

 

「──門を開けに行け! イズラ! タイシャ!」

 

 鍵開けの得意な盗賊(ローグ)と、偵察哨戒に一日(いちじつ)の長を持つ斥候(スカウト)が翔ける。

 二人を阻もうと、地中や空中より襲来する骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の大軍列を、ウリの広範囲爆撃が薙ぎ払い、灰燼に帰して踏破する。

 イズラとタイシャが真っ先に門の巨大な錠前にとりついた。

 

「防御陣形!」

 

 二人の作業を護るべく半円の陣をミカは召喚した天使で築き、その内側に護られるNPCたちは適時援助攻撃を行う程度。

 堅牢な門扉の複雑な施錠を外すまでの五分あまりを、カワウソは祈る思いで戦い待ち続ける。

 

「────開錠成功!」

 

 金属の荘厳な音色が響く。

 歓声はあがらない。あげている余裕などない。アンデッドの黒い竜が煩わしい以上に、ここから先にある本物の戦域(ナザリック)での戦いを思えば、浮足立っている余裕など皆無。

 最低限の周辺警戒を終えて、イズラとタイシャが我先にと鉄製格子扉の奥へ滑り込む。敵影は、いっそ不気味なまでに存在しない。仲間たちを門の内に誘導。

 ナタとクピドが警戒と邀撃(ようげき)に加わり、ついで座天使(途中で再召喚したもの)に乗っていたウリ、アプサラス、マアトが戦車から降りて続く。イスラ、ガブ、ラファがカワウソを護り囲むようにして墳墓の入り口をくぐり、ミカとウォフが殿軍(しんがり)を務め終える。召喚した天使たちを全投入して、アンデッドたちの防波堤役を命じた。

 天使の澱は、全員で、ナザリック地下大墳墓の表層に、到達。

 

「ガブ、今だ!」

 

 吼えた主人の号令に則して、聖女は魔法を唱える。

 

「〈三重魔法最強化(トリプレットマキシマイズマジック)完全聖域(パーフェクト・サンクチュアリ)〉!!!」

 

 聖なる光の絶対防壁。三つの神聖な立方体の力によって、墳墓の外の軍勢……腐敗した不死竜共は、一歩どころか一指たりとも、己の防衛対象である拠点へ触れること叶わず。

 この魔法を発動中、ガブは攻撃行動をとれなくなるが、問題ない。

 侵入を果たすまでの時間を稼ぐための完全聖域は、アンデッドなどの負の存在に対して、触れただけでたちまちの内に浄化する攻性防壁のごとく立ちはだかり続けるのだ。

 

「よし。中央の霊廟(れいびょう)に!」

 

 向かおうとした、その時。

 

 

 

「そこまでよ──侵入者共」

 

 

 

 湧きおこる気配。

 戦慄が氷の刃のように、背筋を、心臓を、脳髄を、撫でる。

 

ようこそ(・・・・)。不遜にして無知蒙昧なる天使共」

「──歓迎いたしんす(・・・・・・・)

 

 中央の霊廟より姿を現した、傾国の美女。

 それが、二人。

 イズラたちNPCが、誰一人として気配にまったく気づかなかった、圧倒的強者。

 反射的にイズラが弓矢を瞬速で放ち、タイシャが速攻で雷撃を飛ばす──が、それらは不可視の壁にでも激突したように払い落とされる。

 一方は、カワウソが良く知っている吸血鬼。

 一方は、カワウソにはまったく未知の存在。

 真紅の戦装束・鎧甲冑を身に帯びた銀髪紅眼の真祖。

 純白のドレス・黄金の首飾りを纏う黒髪黒翼の悪魔。

 

「ば、馬鹿な──どうやって……どうやって隠れていた?!」

貴女(あなた)方ほどの気配を我々が完全に失念する筈がないぞ!?」

 

 イズラとタイシャの絶叫。

 その負け犬共の吠え声に対し、吸血鬼は超然と微笑み、女悪魔は艶然と含み笑う。

 

 

〈認識阻害〉という、この異世界で練り上げられた魔法は、ユグドラシルの存在には覿面(てきめん)な効能を発揮する。アンデッドの気配を断つ吸血姫(イビルアイ)のそれや、生命反応を遮断する旧沈黙都市の封印者が使っていたそれなど、独自の進化を遂げた現地のマジックアイテムを余すことなく研究し検証し──ナザリック地下大墳墓は、「あらゆる存在の認識を阻害する」魔法の装備類や敷設型アイテムを、極秘裏に、かつ大量に鍛造し製造することができていた。

 

 

「──『降伏勧告』のために、私たちは姿を見せたのに」

「──手を出したのは“そちらが先”でありんす、ねぇ?」

 

 愉悦に歪む美貌は恐ろしく微笑み、敵対者たちへの慈悲など最初(ハナ)から与えそうにない気配で煮られていた。

 そして、〈認識阻害〉の装備やアイテムの恩恵で隠れていたのは、そこにいる悪魔や真祖だけでは、ない。

 カワウソとミカ達──天使の澱の前に、それは顕現する。

 

「……チッ。クソが」「ちょ、う、嘘!」「この、気配は──」「やられ、ましたな」

「あり、え、ない」「────こんな、数」「うわー……、マジかー」「不覚不覚不覚ッ」

「いや真に誠に多すぎます!!」「ぁわわわ」「──へぇ?」「はッ。結構な数だことでぇ」

 

 ミカたちが口々に雑言を漏らすほど、不可解な事象。

 いつの間にか、そこに現れていた……蜃気楼のヴェール、特殊な迷彩布にでも隠されていたように姿を現すのは、ナザリック地下大墳墓が誇る、屈強な衛兵たち。

 

 ナザリック・オールドガーダー。

 ナザリック・エルダーガーダー。

 ナザリック・マスターガーダー。

 

 そして。

 それら精悍な衛兵共と共に(あらわ)となった、強壮かつ烈凶のアンデッドたち。

 

 蒼い悍馬に跨った騎士・蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)。十数体。

 白濁した眼球を無数に宿す肉塊・集眼の屍(アイボール・コープス)。十数体。

 死と腐敗のオーラを常に撒き散らす盗賊・永遠の死(エターナル・デス)。十数体。

 黒い幽鬼の姿は、先ほど仕留めた者とは別の、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)。十数体。

 ……生産都市で殺した死の支配者(オーバーロード)系統も、ダース単位で表層の墳墓で待ち構えていた。

 他にも様々な“上位”アンデッドが、見本市のごとく墳墓の表層に並び立っている。優に100を数える上位アンデッドの群れ……軍が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を完全に、包囲。

 たった13人程度のLv.100では追いつかない、「絶対死」の葬列。

 ──ここにいるアンデッドのすべてが、ナザリックの超烈な強化を受けていると考えれば、その能力はLv.100相当──それが100体以上とは、確実に脅威的だ。

 あれほどの行軍の果てに、苦労して解放したはずの門は固く閉ざされ、石像のゴーレムや墓石に化けていたモンスターによって、退()き口を潰される。

 第三の防衛線が手薄に見えた理由は、これ。

 すべては罠であった。狩りの獲物が、籠にぶら下がる餌に食いつくのを誘うように、天使の澱はまんまと出し抜かれたわけだ。

 終わりだ。何もかも。

 撤退脱出など不可能。

 突破は、……

 

「突破できるなどとは、夢にも思わないことね」

 

 ドス黒い蔑意(べつい)の眼差し。

 女神のごとく優美な顔に宿る敵対者への呪詛じみた感情は、遠目にも、カワウソたちを八つ裂きにしたくてたまらないという悪暴の色が塗りたくられていると、わかる。

 

「おまえたち、天使共の死に場所は、“ここ”」

 

 虐殺の意気に濡れる紅玉。

 見慣れていたはず第一・第二・第三階層守護者が紡ぐ甘い声音は、「おまえそんな声だったのか」と軽く感動するのも憚られるほどの、敵意の血色に滲んでいると、理解する。

 

「至高の御身、魔導王アインズ・ウール・ゴウン様の慈悲を得て、この表層で果てることができるという事実を、御身からの御恵み……かくも素晴らしき御方から、貴様らに対する贈り物であると思いなんし」

「諦めることね、堕天使」

 

 抵抗さえしなければ、慈悲深き死でもって、罪を償わせてやると。

 ミカたちが手にした武装を構え、カワウソを囲む防御陣を築くが、四方八方に(こご)る死の圧力に、誰もが抗し難い事実を脳裏に描く。

 そんな、NPCたちの後悔と屈辱と挫折感の中心で。

 

「……諦める?」

 

 堕天使は、悪夢に(うな)される傷病者のような声音で、くりかえす。

 

「あきらめる、だと?」

 

 カワウソは、白い女悪魔を睥睨(へいげい)する。

 

「諦めるわけがない。諦めていいはずが」

 

 ない、と。

 そう紡ぐよりも先に、

 

 ドシュ

 

 と肉を引き裂くような音色が、堕天使の耳に突き刺さる。

 

「グ、ァ!!?」

 

 次いで零れた声音は、少年の苦鳴。

 カワウソの目の前に飛び出していた蒼い髪。

 自分たちの創造主へ迫る脅威の超速度──それに完全に対応可能なステータスを示す“矛”。

 少年の中心を、鉛色の瘴気を纏う白刃が、抉る。

 差し込まれた刃の数は、二つ。

 

「ナタッッ!?」

 

 驚愕し、目を見開く間際。

 ナタは己を抉り殺した──ゴーレムの起動(コア)を確実に斬り砕いた──ほんの一瞬で一撃死(クリティカル)させた処刑鎌の持ち主たちを切り払う──が、完全な非実体モンスターに、ナタの物理攻撃は効果を発揮しない。

 超速度で離れていく上位アンデッド二体は、同胞の仇討ちをしそこねたことを悔やみながらも、後退。

 この場を仕切る女悪魔と吸血鬼の壁になる位置に舞い戻る。

 貫かれた胸元から、純白の花弁をこぼすナタ。

 

「ア──あ……」

 

 壊れた機械のように、手足から力感をなくす少年──その四肢に、新たな力が蘇る。

 (コア)に灯るのは、一瞬の閃光。

 風火二輪の靴を大地に噛ませ、落としかけた武装を器用に振るって持ち直す。

 

「自分は、無事です!!」

 

 ですが、と少年は申し訳なさげに続ける。

 

「申し訳ありませぬ、師父(スーフ)!! 自分は今、復活スキルを、消費しましたッ!!」

 

 そう。

 それがナタの最大の能力。

 確実に今、花の動像(フラワーゴーレム)の機能中枢──コアを破壊されたにも関わらず、ナタは自動で復活を果たした。

 その光景を前にして、玲瓏な悪魔の美声が紡がれる。

 

花の動像(フラワーゴーレム)の特殊スキルね。──Lv.5の花の動像は、一日に一度だけ、自らを蘇生・完全復活させることを可能にする能力」

 

 他にも、花の動像は“光合成”──つまり、自然体力回復という稀少な能力も併せ持つ、NPC限定のレア種族。

 それらを確実に理解しながらも、カワウソの知らない女悪魔──シャルティアという守護者と肩を並べて君臨する女神のごとき(たお)やかな淑女を、堕天使は睨み据え続ける。

 

「おまえは、いったい」

「貴様らごときに、この私が名乗りをあげるとでも?」

 

 だろうなとカワウソは頷く。

 カワウソという侵入者・侵犯者に対して、情報を与えるようなバカはしないという強い意志を感じ取る。

 嘲弄するように面貌を微笑みのまま固定しつつ、暴力的なほど過剰な敵意を如実に示す黒髪有角の烈女。その正体は、カワウソが知らないナザリックの守護者か。あるいは、現地で捕縛使役することに成功した存在なのかは不明。だが、その存在感は、隣に立つ真祖の吸血鬼……シャルティア・ブラッドフォールンのそれと同等同格。

 シャルティアと並んで、魔導王が生み出しただろう上位アンデッドに護られている立ち位置にある以上、悪魔たる彼女もまたこのナザリックにおいて相応の実力者……Lv.100NPCと同等の存在と見て、間違いない。第八階層の次・第九階層の守護者あたりだろうか。

 

 しかし、疑問がひとつ。

 どうしても気になる事実が、ひとつだけ、ある。

 

「俺は、アンタに似たあれを、……少女を知っている」

 

 あの第八階層で。

 あの1500人全滅の動画で、幾度となく視聴し続けてきた──真っ赤な、少女。

 今、あそこにいる女神のごとき女悪魔は、あまりにも、あの少女にそっくりであった。

 

「おまえは、あの赤い少女の、姉妹(しまい)か、何か、か?」

 

 震える声でこぼす疑問。

 だが、解答は得られることなく、白い女悪魔は問い返してくるのみ。

 

「……あの()を知っているということは、やはりオマエは、あの1500人の関係者……ということね?」

 

 悠然とした微笑が、ただでさえ黒い凶笑が、敵意と憤怒と憎悪と失望の熱を滾らせるような無表情に、変貌。

 

「1500人?」

「とぼけるなッ! 堕天使風情がァッ!」

 

 猛り狂うシャルティアが、轟々と槍の穂先を振るう。

 

「貴様は! あの不遜愚昧なる1500人! 我等が守護する大任を与えられしナザリック地下大墳墓を──御方々の居城を踏み荒らした害獣共! その一人だったのでありんしょうが!」

 

 火山噴火よりも荘烈な激昂は、弱い存在が傍にいれば声と槍の風圧音圧だけで吹き飛びかねない力を周囲に(おど)らせ続ける。

 それを前にしても、カワウソは少し記憶を探るでもなく、解答へとたどり着く。

 

「ああ。だったら、どうした?」

 

 1500人という数字に、あの“討伐隊”のことであるという理解を得た。

 堕天使の肯定を前にして、ナザリックの守護者たちは厳格な対応に努める。

 

「──泣いて許しを請いなさい、堕天使共」

「さすれば。我等が至高の主、アインズ様によって、“苦痛なき死”を御許し戴けることでありんしょう」

 

 守護者たちは烈火のごとき怒りに身を委ねることなく、冷厳に天使の澱を葬る戦列を前進させる。

 

「……その程度のこともできない愚鈍愚昧愚劣であれば」

「おまえら全員──切り刻んで砕き潰して焼き融かして凍え震えながら殺された方がマシだったと、後悔させるでありんす!」

 

 万事休す。

 死の恐怖に竦むカワウソには、この上位アンデッドの全周包囲を、どうにかできる力は、ない。

 だというのに。

 カワウソの世界は、まったく別の色に染まっていく。

 

「────」

 

 泣いて喚いて獣の如く地を這いながら許しを請う──

 許しを請う。

 苦痛なき痛苦なき死を死を死を御許しいただける──

 御許し。

 

 ──許し?

 

 黒く染まる視界(ブラックアウト)

 

「ア、ああ、ア˝ア˝ア˝……?」

 

 漆黒の闇が、一言の紅い血文字で塗りつぶされていく。

 

  許し

  許し許し

  許し許し許し

  許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し──!!

 

 堕天使の狂気的思考が、カワウソの奥にある禁忌の領域を侵犯していく。

 古ぼけていく記憶。何よりも大切な汚物。忌まわしくも尊き仲間達。繰り返される過去。

 嘲弄する悲鳴。数え切れない震動。涙は血の味に。血は涙の味に。嗤う自分を笑う自分。

 裏切った裏切り。裏切りを裏切った。裏切られ裏切り続けて。裏切っても裏切り足りない。

 許してください。許してください。許してください。──誰でもいいから許シテクダサイ。

 思考がチグハグに汚染されては修繕を受ける。

 思想がアチコチに移ろい流れイカリをおろす。

 ──許しにいったい、何の意味がある。

 仲間を許した自分。仲間を許してしまった自分。許してはいけない──許すべきではない──許していいはずがな

 

「カワウソ様」

 

 狂乱の坩堝(るつぼ)の中で、鮮やかに輝くような、呼び声。

 聞きなれた天使の温度に、意識が一瞬で浮上する。

 

「ア、──あ?」

 

 ここは、ナザリック地下大墳墓の表層。

 振り返れば、復讐の女神によく似た、熾天使(ミカ)の表情。

 堕天使の浅く震える呼吸を、あたたかな癒しの掌が励ましてくれる

 

「大丈夫です」

 

 無表情の極みを得ている熾天使の言の葉。

 星彩を帯びる唇は、そっと口づけるような声で、嫌っている主人の枢軸を支える。

 

「──我等が、います」

 

 その一言で十分……否……“十分以上”だった。

 

「は、はは……ああ、ああああ」

 

 脳液を沸騰させ、全身を焼き焦がしそうだった狂気が薄まり、自分の地獄行きに付き合う存在たち──この異世界で得られた“仲間”たちを、見つめる。

 

「……そうだな」

 

 震える声で、ミカ達の存在に万謝を贈る。

 しかし──

 ああ、なんて、ひどい。

 どこまでも非道で、どこまでも無道な、こんな自分(バカ)に付き合って死んでいく天使の澱たちを、カワウソは全員まとめて連れていく。

 

「うん。許しなんて、いらない」

 

 許しという言葉を紡ぐことへの抵抗をなくす。いつの間にか取り落としていた武器を拾い上げ、ボックスの中にしまう。

 

「俺は、みんなを許したから──だから」

 

 真実、すべてを許すかのように澄明(ちょうめい)な旋律を声にしながら、カワウソは涙を零す代わりに、ただの決意を口にこぼす。

 

「──諦めるわけにはいかない」

 

 涙声で言って、カワウソは頭上で緩やかに回り続ける円環を掴む。

 ナザリックの守護者たちが油断なく身構えるが、知っているのかいないのか、赤黒い円環の能力は、世界に波及するもの──

 

 世界級(ワールド)アイテム。

 

 発動を阻害されるよりも早く、カワウソの前に下ろされた円環は、復讐者の意志と掌に押し込まれるようにして、起動。

 途端、円環は赤黒い血のようなモノを(こぼ)し、したたり落ちた大量のそれは一瞬で、周囲一帯の大地を囲む円陣ほどの広さに、拡散。

 

「ついに!」

「発動しやがったでありんすね!」

 

 凶悪な笑みを浮かべる守護者たちになどお構いなしに、世界級(ワールド)アイテムはその効果を示す。

 円形の紅い陣は墳墓全周を廻り、やがて、その天上……空中にまで効果範囲を示す巨大な円環が何重にも回り広がり始める。

 そして──

 

「…………ん?」

「…………は?」

 

 

 

 

 何も起こらない。

 

 

 

 

「え…………なに?」

「一体、何だったでありんす?」

 

 墳墓の表層は、平穏そのもの。

 平原から薫る草花の風が、涼しく頬を撫でるばかり。

 守護者たる二人は、手に手に見慣れない装備を換装しながら、カワウソの世界級(ワールド)アイテムの効果が及ぼす攻撃などを警戒していた。

 だが、攻撃らしい攻撃はない。

 あるわけがない。

 

 

「発動完了」

 

 

 黒い男は飄然と頷く。

 残り発動時間は、きっかり10分。

 カワウソは悠々と、ボックスからあるものを探る。

 

「チッ。ただの、こけおどしかヨッ?!」

 

 血気にはやって、シャルティアが上位アンデッドに「()れ!」と命じる。

 ナタを貫き殺した具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)二体が、カワウソへの急襲を務める──その前に立ちはだかった薄鈍(うすのろ)熾天使(ミカ)を斬り殺そうと、邪魔するものを排除しにかかった──瞬間。

 (ざん)──と閃く音。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)が、二体同時に死んだ。

 

「なにッ!?」

「ハァッ?!」

 

 ミカを引き裂かんと鎌を振り上げた死神は、熾天使の致命箇所への攻撃をいれようとしたその時、ミカの反撃の二太刀で死んでいた。鍔迫り合いもなにもない、一方的な殺戮劇。

 守護者たちをはじめ、全員が凝視する熾天使(ミカ)の肢体には、赤黒い光がともっているように見える。

 異変を察した具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)がさらに二体、世界級(ワールド)アイテム発動者であるカワウソめがけての特攻を演じる。

 そして、今度は先ほど容易(たやす)く致死させた──二体同時によるクリティカルヒットで殺したはずの、物理攻撃主体の少年兵によって、これまたありえない“即死”を遂げていた。

 笑う少年兵・ナタの全身もまた、ミカと同じ赤黒い……否、あの世界級(ワールド)アイテムの円環と同じ色に、淡く輝いていた。

 

「貴様、何をした!」

 

 女悪魔が堕天使に吼える。同時に直接攻撃ではなく、死の支配者(オーバーロード)部隊による魔法攻撃を命令。

 だが、天使共を殲滅できるだけの負属性魔法の絨毯爆撃は、何の効果も与えられずに終わる。

 堕天使は明るい微笑みのまま言ってのける。

 

「『卑怯』とは言わないよな?

 おまえたちナザリックも、世界級(ワールド)アイテムをいくつも持っているわけだしな?」

 

 二人は手中の装備を構える。

 カワウソたち、天使の澱の様子はまるで、“敵となれるものなど無い”がごとく。

 

「……ユグドラシルでは不可能だったけれど」

 

 熾天使(ミカ)智天使(ガブ)、天使たちの翼にくるまれ護られる堕天使は、

 

「この、異世界でなら────」

 

 攻撃を断行するでもなく、何かを、右手の指にはめつつある。

 ついで右手に、何か鉄の塊を握りしめた。

 平原の戦いの直前に、彼が確認していた──カワウソの、宝物。

 

「おまえたちは、この“剣”と──」

 

 掲げ示すそれは、どう見ても武装とは呼べない。

 カワウソが愛用する神器級(ゴッズ)アイテム──聖剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘブンズゲート)”では、ない。

 刀身は朽ち果てたように折れ砕け、武器としての用途としては使えそうにない両手剣──そのほとんど柄しかないような形状の、クズ鉄。“元の完全な姿”の時とは比べようもなく粗悪で脆弱で、何の攻撃にも防御にも使えず、何の光輝も美調も宿さない“剣だったようなモノ”を、カワウソは放擲することなく、しっかりと、握る。

 

 それは、この異世界に転移した初日、アイテムボックス内で真っ先に確認した「あるもの」だった。

 アルベドたちには、まったく価値のないゴミクズにしか映らない“これ”こそが、カワウソの切り札のひとつ。

 さらに、もうひとつの札を切る。

 

「あと……“これ”が何か知っているか?」

 

 剣の詳細など分かりようがなかったアルベドは一転、その純銀のごとく輝く装備品を見せられて、愕然と叫んだ。

 

「そ、それは──!」

 

 彼女は知っている。

 遠目にも、その意匠が意味する指輪の正体を理解する。

 銀色の輝きを灯す指輪に、三つの流れ星が意匠された、超々希少(レア)アイテム。

 彼女は、かつて、それを目の前で使ってくれた主人の説明を、克明に記憶している。

 堕天使は傲然と唱える。

 

「指輪よ! 俺の願いを叶えてくれ!」

 

 すでに、平原で使った超位魔法〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉の冷却時間(リキャストタイム)は終了している。

 この指輪に込められた超位魔法の発動に支障はない。

 その証拠に、指輪が起動したことを報せる光輝が、墳墓の表層を明るく照らす。

 

莫迦(ばか)が! 超位魔法程度で、このナザリックの防御を突破できるわけがない!」

「悪足掻きにも程がありんす!」

 

 確信に満ち満ちる悪魔と真祖の叫喚。

 だが、カワウソは意にも介さない。

 

「やってみる価値はある」

 

 指輪の蒼白い閃光は、まちがいなく、堕天使の願いを発動させようと、煌々と輝き続ける。

 その光景に、悪魔は真祖に攻撃を託す。危険極まる(カワウソ)に、近づくような愚は犯さない。

 

「奴を止めてッ!!」

「言われずとも!!」

 

 シャルティアは中央の霊廟に陣取ったまま、スキル・清浄投擲槍(せいじょうとうてきやり)を構える。

 遠距離からの攻撃でも、魔力を込めることで目標を完全に追尾して穿(うが)ち殺す神聖属性の槍。

 (ゴウ)、とうなりをあげながら突き進む槍刃は、だが、火器を握る赤子の天使(キューピッド)の銃床に払い落とされて効力を失う。その小さな矮躯を覆うのは、やはり、赤黒い障壁。勝ち誇るような笑みが、グラサンの下の唇を釣りあげているのが憎たらしい。

 

 奴らの本当の性能を発揮した──わけがない。

 あるべき可能性は、ひとつだけ。

 

「奴ら全員、攻撃がきかない?!」どういうことだと疑問を発するよりも早く、シャルティアは周囲にある上位アンデッド群に下知を飛ばす。「殺せ殺せ!! 殺し尽せェ!!!」

 

 自らに与えられた口調すら忘れ紡がれた、主王妃による強命。

 とにもかくにも、上位アンデッドたちが攻撃を、魔法を、特殊技術(スキル)を解放。

 しかし、堕天使を取り囲む天使たちによって阻まれ護られ、何の成果もあげられない。

 否。

 その天使たちこそが、何かの力によって、守られている。

 

「俺の願いは、『この“剣”、このアイテムに与えられた機能を発揮し──』」

 

 その間にも、堕天使のプレイヤー・カワウソは、己の願いを発露する。

 右手の指にはめた指輪の流れ星(シューティングスター)が、輝きを増す。

 その最中(さなか)

 心の臓腑を握る魔法を。時を支配する時計を。袈裟斬りに振り下ろされた大剣を。豪速で繰り出された穂先を。魔法を帯びた一矢を。死神の巨大な処刑鎌(デスサイズ)を。あらゆる瘴気を綯交ぜにしたオーラを。騎兵の突撃を。邪眼の視線を。致死の短剣を。憎悪──敵意──呪詛──悪罵──殺意──ありとあらゆる、死を。

 それらは(ことごと)く弾き飛ばされ、無効化される。

 反則的なまでの性能。

 幾重にも張り巡らされた赤黒い防御力・明滅するような発光現象は、ただの一枚も、天使たちを一体も、突破できない。

 

「なんだ! 何なんだ、コレはッ!?」

「まさか、あの赤黒い環の効果が?!」

 

 この現象。

 吸血鬼(ヴァンパイア)女悪魔(サキュバス)が悔し気に呻く中で。

 赤黒い円環を“世界”に戴く堕天使が、最後の願いを、指輪に託す。

 

「『──“この剣の魔法”でもって、我等、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のすべてを……』」

 

「「やめろ!」」と本能的に叫ぶ守護者二人。

 だが、堕天使の声を──カワウソの願い求める声を、遮断することは、ついに、できなかった。

 

 

 

「『ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”に転移させよ』!」

 

 

 

 超位魔法が、発動した。

 

 願いは、聞き届けられた。

 望みはすべて、かなえられた。

 

 ──世界級(ワールド)アイテムに護られた拠点へ。

 ──世界級(ワールド)アイテムに護られた者たちが。

 

 ガラクタの残骸──朽ち果て折れた剣が光を放ち、天使たちを、天使の澱のすべてを、

 

 ──かの地へ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 起こったことが理解できない。

 

「な…………に────?」

 

 アインズは〈水晶の画面〉に映し出された光景を食い入るように見つめる。

 目の前から敵が消失してしまった事実に惑乱するアルベドとシャルティア。

 上位アンデッドたちも、完全に姿を見失っているように右往左往している。

 

 そして、映像の中には、奴らが、いない。

 

 天使の澱が、いない。

 

「チッ、クソ、馬鹿な、ありえん!」

 

 動揺し混乱の極致に達するアインズだが、アンデッドの精神はすぐに起こった出来事を、事象が現実のものであることを確認させる。

 玉座に備え付けの大画面──防衛機構の一部を使用して、表層の墳墓とは別の地点を透視するカメラを発動。この異世界で唯一、ギルド拠点に干渉可能なゴール地点──玉座にあるコンソールを操作しながら、奴等を探す。

 そして、映し出された光景は、剥き出しの岩塊が延々と地平線を構築するような、荒野。

 第六階層に比べ面積と高さは及ばないまでも、それでも広大な、剥き出しの大地が砂塵を巻き上げる、静寂の景色。

 

 

 

 そのほぼ中央に、ありえないものが、いた。

 

 

 

「……転移、している?」

 

 ありえない。

 このナザリック地下大墳墓は、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって護られた拠点だ。

 その防衛能力によって、この拠点内に転移して侵入することは不可能。

 ギルドメンバー専用の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)がなければ、たとえアインズであっても、階層をすっ飛ばして転移することは不可能なのだ。

 なのに。

 ナザリックの表層にいた天使たちは、

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)はすべて、

 第八階層“荒野”に転移した。

 

 ────信じがたいモノと、……世界蛇(ヨルムンガンド)脱殻(ぬけがら)と共に。

 

「ありえん。いくら超位魔法──〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使ったとしても……、いや、待て」

 

 この異世界において。

 使用者の“願い”“望み”を確実に実現する魔法へと変わっていた超位魔法。消費される経験値にもよるが、それは、不可能を可能とするのに好都合な魔法へと変じていた。

 カワウソが指に嵌めて使用したソレは、アインズも使ったことのあるガチャアイテム。

 経験値消費が要求される〈星に願いを〉を、経験値消費なしで、しかも三度も使うことができる超々希少なもの。

 

 だとしても。

 ナザリック地下大墳墓の防御力、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の防御を飛び越えるほどの魔法ではない。

 なかったはず。

 

 無論。それくらいのこともアインズは100年の間で既に実験検証済みだし、世界級(ワールド)アイテムを保有しているだけの存在……通称・モモンガ玉を装備するアインズであっても、世界級(ワールド)アイテムの転移阻害は『突破不能』──少なくとも、アインズ・ウール・ゴウンが所有する世界級(ワールド)アイテム──幾億の刃──強欲と無欲──「二十」と呼ばれるそれらを装備していても、不可能な事象。また、この世界に残っていた同格のもの──傾城傾国などでも、そんなことは──〈星に願いを〉の魔法を使って、ナザリック地下大墳墓の防御を突破することは──完全に不可能であるという実験結果を構築済みだ。

 勿論、貴重な経験値を消耗する魔法故に、実験可能だった絶対数はそこまでではない。

 が、それでも、こんなことありえないという思いが、アインズの存在しない脳髄を沸騰させる。

 

「いいや、いいや、いいや、まさか──」

 

 アインズは冷静に、冷徹に、冷酷に考える。

 今しがた。

 堕天使の輪のごとく浮かんでいた──鮮やかな血の色に輝き回る、天を覆うほど巨大な円環。数は“九つ”。それが今、“八つ”へと減った。

 それはまるで、紅の印璽のごとく、世界全体に、転移した先の第八階層に、赤黒い影響力を及ぼしている。

 

「まさか、あの円環の世界級(ワールド)アイテム……ええい!」

 

 ゆっくりと予想に耽溺しそうになる自分をアインズは叱咤した。

 原因究明(それ)よりも、今優先すべきことは、適確迅速な判断と対処であった。

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉によって、第八階層守護者と即座に繋がる。

 

「ヴィクティム!」

あおみどり()()ボタン()()ハイ()タイシャ()()あおむらさき()

「敵が第八階層に侵入した。まことにすまないが、桜花聖域のオーレオールと共に、ギルド武器とニニャ、あとダアトを死守せよ。急なことで、我々がそちらに行くには問題がある。桜花聖域の防御レベルを最大級に──あれら(・・・)とルベドの状況は?」

 

 問題なく起動しております。御心配には及びません。

 そう告げる赤子のエノク語を聞いて、とりあえず胸をほっと撫で下ろす。

 

「うん。わかった。では侵入者共の迎撃は、“あれら”とルベドに一任する。おまえたちは、警戒を怠るな」

 

 第八階層守護者との連絡を切る。

 次いで、アインズは玉座にいる守護者たちに確認する。

 

「デミウルゴス……スレイン平野の、敵拠点の様子は?」

「も、申し訳ありません! これは、あまりにも予想外なことで、確認対応に時間が。情報も錯綜しており!」

「構わない。スレイン平野を常時監視させている“あれ”──火星(ゲプラー)天王星(コクマー)は、そのまま残しておこう。第八階層は、残る七体で対応できるはず。状況が判明次第、連絡を頼むな」

「──畏まりました。アインズ様!」

「うむ……コキュートス」

「申シ訳アリマセン! 我ガ息子タチノ方モ、敵拠点ノ“消失”──転移現象ハ意想外ノ事態ダッタモノデ……申シ開キナドモッテノホカトハ心得テオリマスガ!」

「良い。おまえの子供たちに落ち度などあるものか。この事態を予期しえなかった私の不明こそが、最大の(あやま)ちと言える」

 

「そんなことは」と抗弁する守護者やメイドたちを落ち着かせつつ、冷静に事態を見据えること己に課すアインズ。

 それでも、まんまと転移して(おお)せたカワウソに対する痛罵を吐き散らす自分を抑制しきれない。

 

「馬鹿な連中め──たったの十三人で、ナザリックの第八階層に、転移するなど……」

 

 思った瞬間、アインズは己の軽薄な思考を捩じ伏せる。

 あの堕天使──カワウソとやらは、……プレイヤーだ。

 プレイヤーであるのなら、アインズ・ウール・ゴウンが誇る第八階層の蹂躙劇を知らないはずはない。1000人規模のプレイヤーを飲み込み、殺し尽したあれら(・・・)の光景を、ルベドの脅威を、知らないユグドラシルプレイヤーが、いるものだろうか?

 全盛期ではなく、末期の時にユグドラシルにハマったとしても、あの時の動画データはネット上で無数に拡散され、だからこそ抗議メールが、運営もパンクするほどの量が届けられたのだ。その当時を知らない新参であろうとも、ナザリック地下大墳墓は、その第八階層を守護する者らの力は、周知徹底されて然るべき情報だったはず。

 ナザリック地下大墳墓は「難攻不落」──挑むモノは馬鹿でしかない、と。

 

「いいや、違う──」

 

 知っているに“決まっている”。

 堕天使は、カワウソは、言っていたではないか。

 飛竜騎兵の領地を去る際、マルコに交渉役をやらせた時、奴ははっきりと、明言していた。

 

『あのナザリック地下大墳墓・第八階層にいるモノたち(・・・・・・・・・・・)……“あれら”への──これは、復讐』

 

 そう。復讐。

 復讐こそが、彼の絶対目的。

 それ以外など、彼は何ひとつとして望みはしなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンそのものではなく、ナザリック地下大墳墓の存在ではなく、

 カワウソの復讐の対象は、「“あれら”と“少女(ルベド)”だけ」だ。

 それ以外は余分でしかない。

 

 だから、願った。

 だから、欲した。

 

 あの堕天使は、明確に、明快に、「第八階層に転移させよ」と求め願い、そして、叶えられた。

 彼は、間違いなく第八階層を、知っている。

 第八階層の“あれら”や、ルベドを知っている。

 

「何か──まだ切り札があるのか?」

 

 あの、相も変わらず天を、第八階層の(そら)を覆う、赤黒い円環……世界級(ワールド)アイテムだろうか?

 だとしても、実に馬鹿げている。

 

「まさか、本気で──あれら(・・・)とルベドに、挑むつもりとは──」

 

 ありえないと思った。

 誰もが『チート』と表現した、ナザリックの最大戦力たる者たちに挑戦するなど──正気の沙汰どころの話ではない。

 堕天使とは自殺願望の強い種族なのだろうか。アンデッドに成り果てた自分のように、彼も種族的な特性や性質に引っ張られている可能性もあるだろうから、その辺りは研究してみたいところだ。

 しかし、

 奴らはもはや、助かりはすまい。

 

 だが、

 あえて、

 あの堕天使がすべて承知の上で、

 ナザリックの第八階層“荒野”に転移したとするならば。

 

「……何を企んでいる?」

 

 他にも様々な疑義が、難解極まる迷路のように、アインズの頭蓋の内に構築される。

 そもそも、奴らはどうやって転移した? 超位魔法の影響だけなのか?

 あの壊れた剣の効果だとしても──単純な転移魔法だとは思えない。

 仮にそうだったとしても、大いに疑問が残った。

 転移魔法は、己の目で……魔法で見た場所への転移は可能にするが、『動画で見た』場所というのは転移可能地点にはなりえない。かつて、あの第八階層に踏み込んだ存在だと仮定しても、そもそもどうやって“諸王の玉座”の防衛能力を──「転移阻害の絶対防壁」を突破したのか。いくら異世界に転移したことでシステム的な変更や調整が加えられているとしても、ナザリックが実験した限り、転移魔法の仕様はそこまで便利な改竄を施されていなかった。

 つまり、あの剣の力は、単純な転移魔法ではないという、推測がひとつ。もうひとつは、奴の世界級(ワールド)アイテムに、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”を突破する「何か」がある可能性。しかし、そんな世界級(ワールド)アイテム、アインズは見たことも聞いたこともない。

 是が非でも、あの円環の性能や効果などは究明しておきたいが、使用者を限定しているアイテムの可能性もあるので、問題と言える問題はそのあたりか。カワウソの特殊な種族・職業が必須のアイテムとなると、奪い取っても使えない確率が跳ね上がるわけで。

 

「それに……」

 

 連中が転移した地点も、アインズ個人には奇怪に思えた。

 第八階層の入り口ではなく、何故か、荒野の中央地帯に、転移。

 連中、第八階層“荒野”のフィールドのほぼ中心に、ありえないもの(・・・・・・・)と共に転移している。

 

「なるほど。『天使の澱(ギルド)の“すべて”』と願ったのだから「そうなる」こともありえるだろうが」

 

 だとしても驚嘆して余りある光景に相違ない。

 すべてが終わったら、念入りに調べておく必要があるだろう。

 天使たちが今いるのは、第七階層から第八階層へ転移してすぐの入口地点でもなければ、第九階層に至るための出口である転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)の直前というわけでもない。

 荒野のほぼ「真ん中」だ。

 かつて確か──あのあたりで待機していたヴィクティムを殺したことで、連中の大多数は身動きが取れなくなり、それを眺める位置にいながらアインズたちは、あれら(・・・)の暴虐を発動。かつての討伐隊1000人規模……その全員を殺し尽すことに、からくも成功したのだった。

 そのような古戦場とも言うべき荒野の中心に、暴虐の嵐が吹き荒れるだろう死地に、奴らは自ら望んで飛び込んでいた。

 ナザリック侵入という愚劣極まる侮辱行為への激昂も、一周回って感嘆に置換されるほど、アインズは真実、面白がってしまう。

 表層周囲にある草原での合戦は、見事な差配だったが……あまりに「愚か」としかいいようがない。

 その証拠に、天使たちはアインズが最も危惧する方向とはまったく“逆”の道に──転移の鏡に向け、駆け出していく。

 

「連中の進行方向──目的は……やはり“鏡”だな」

 

 次なる第九階層へと至るための転移の鏡に向かって、13の敵が走る。

 あたりまえと言えば、あたりまえだが……桜花聖域──この異世界においてのギルド武器の安置場所と定めている領域──からは、遠ざかる道のりである。

 

「──ふぅ」

 

 ない心臓が穏やかな鼓動に変わるように、焦燥感は引く波のごとく消えていく。

 やはり、堕天使たちは、この拠点の、アインズ・ウール・ゴウンの誇るギルド武器の所在など──知らない。知りようがなかったようだ。これは当然。ギルド武器の安置場所については、あのツアーにさえ漏らしていない。万が一の可能性として、戦闘メイドなどのナザリックに属するNPCの記憶を覗いたりした場合も考えられたが、それは杞憂であったようだ。

 愚直なまでに、次の階層を目指し、全員一丸となって走り続ける。

 実に懸命な判断だ。

 涙ぐましいほど適切な処置である。

 しかし、だからこそ……愚かしい。

 

 ゴールになんてたどり着けるはずもないのに(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 思わず安堵と嘲笑の吐息を吐き出してしまう。

 アンデッドが息なんて吐くはずもないが。

 

「アルベド、シャルティア、(すみ)やかに玉座の間へ戻れ。……ああ、連中やってくれたよ」

 

 魔法の繋がりの向こう、画面(モニター)越しに見える狂乱と恐慌に彩られる二人の蒼白な表情を見かねて、アインズは「大事(だいじ)ない」ことを言い含めていく。親が子の失敗を許すように、夫が妻の小さなミスを許すように、彼女たちの失態を受け入れ、それを“()”とする。

 

「なに、おまえたちが謝る必要などない。そして、心配する必要も、ない。連中があの第八階層で果てる様を、ここで皆と共に観戦しようじゃないか。大丈夫。私はおまえたちのすべてを許そう。アルベド。シャルティア」

 

 待っているぞと優し気な微笑を含めつつ、王妃二人との〈伝言(メッセージ)〉を終え、泰然と指を組むアインズは、改めて第八階層を、観る。

 いっそ小気味よいほど軽妙な心持ちで、魔導王は玉座の間に煌々と映し出される大画面(モニター)を見つめ直す。

 嘆息するように肩を竦める。

 

「……さぁ、どうするんだ?」

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とやらが、“自称アインズ・ウール・ゴウンの敵対者”たちが、最後にどのような抵抗を見せるのか。

 アインズは空っぽな胸骨の奥の鼓動を熱くしながら、天使たちの行方を──その道程(みちのり)に存在し待ち受けるあれら(・・・)少女(ルベド)を、ただ観る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは、知らない。

 ナザリックの者たちも、知らない。

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に存在する十二体のNPC……

 その力、その機能、その役割……

 

 彼らのほとんどは、

 堕天使プレイヤー・カワウソによって、

 あの「第八階層を攻略するべく用意されたもの」である──その事実を。

 

 

 

 アインズは、まだ知らない。

 

 まだ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 超位魔法と、朽ち折れた剣が導いてくれた結果を、堕天使は整然と受け入れる。

 カワウソは荒野の園の中心で、生命の息吹を感じない戦場で、天を見上げる。

 

 

 

「……やっと」

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓が誇る転移阻害。

 転移阻害は、ギルド拠点の仕様というより、拠点防衛用のアイテムなどを使って敷設されるシステム。だが、ナザリック地下大墳墓などの高レベルダンジョンは軒並みありえないような転移阻害能力を獲得しており、小規模のそれとは雲泥の差と言ってよい。

 

「やっと、会えた」

 

 そんなナザリック地下大墳墓の防御を突破し果せた堕天使は、空を──(そら)を、見上げる。

 

「ああ……やっと……やっと終わらせられる(・・・・・・・)

 

 

 

 皆との、誓いを。

 あの時の、約束を。

 

 

 

「終わりにしよう。何もかも」

 

 

 

 カワウソは、拠点NPCたちと共に、“あれら”を見上げる──

 

 

 

 そこには、空に浮かぶ星が、──七つ。

 

 太陽・月・水星・木星・金星・土星など。

 

 愚かなる侵入者・カワウソは、その名前を知らない。

 

 第八階層の“あれら”こと──

 

 

 

 

 

 生命樹(セフィロト)

 

 

 

 

 

 生命の樹はエデンの園に存在する樹であり、知恵の実を食べた人間が、生命の樹になる実を食すことで、完全なる生命・不老不死となることを恐れた神により追放される原因となったもの。

 そして、ユダヤ教・神秘主義思想のカバラにおいて、生命樹とは10個の(セフィラ)と22個の小経(パス)で繋がる象徴図で表され、それぞれが神の属性を反映し、それぞれに対応した名称や色彩、宝石や金属、守護天使──そして“星”が定められている。

 

 

 太陽(ティファレト)(イエソド)火星(ゲプラー)水星(ホド)木星(ケセド)金星(ネツァク)土星(ビナー)天王星(コクマー)海王星(ケテル)、そして、地球(マルクト)

 

 

 第八階層の“あれら”とは。

 第八階層守護者たる胚子の天使・ヴィクティムに与えられた住居(ゆりかご)

 そして。

 かつて“ナザリック地下墳墓”を守護していたボスモンスターたちより賞賛のごとく贈られた世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって統制された暴力装置。

 諸王とは即ち、かつてダンジョンに君臨していたボスモンスターのことを示す。

 

 

 星の形状を構築した、偽りの宇宙(ソラ)に浮かぶ発光体。

 

 

 ──世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”とは、ユグドラシルの拠点敷設用アイテムの中で、最高の防御にして、最大の攻撃を顕現せしもの。

 

 

 あまねく王を統べ治めし者──「諸王が(かしず)(とうと)ぶ、究極の玉座」に座することを許されし、絶対者にして超越者──高レベル拠点ダンジョンを初見クリアで獲得せしめたギルドの長を守護し、刃を向ける有象無象を悉く焼き尽くし薙ぎ払い飲み込み滅ぼし壊し砕く性能を発揮する──“拠点防衛”において、ユグドラシル世界最高の威を示す世界(ワールド)クラスの降臨体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カワウソは──天使の澱はついに、第八階層の攻略に、挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第八章 第八階層攻略戦 へ続く】

 

 

 

 

 

 




※これは二次創作です。
 第八階層守護者・ヴィクティムの住居【生命樹(セフィロト)】の情報は、書籍六巻の巻末キャラシートを参考にしております。
 ただし。
 第八階層の“あれら”が、生命樹(セフィロト)のことを指すという原作情報はありません(・・・・・)
 ──ありません(・・・・・)

 しかし。第八階層にある複数形のもの=あれらって呼べるものは、
 現状だと生命樹(セフィロト)ぐらいしかなさそうなんですよね。
 おまけに、Web版の「大虐殺-4」で、

〈以下抜粋〉
「──戻れ、第8階層に」
 アインズはここまで連れてきた最大戦力の1つをナザリックに撤収させる命令を送る。誰が気づいただろうか。太陽と重なるように、巨大な発光体があったのを。
〈抜粋終了〉

 という感じでしたからね。
 もちろん、書籍とWebでは設定が違う可能性も大いにありますが……
 さぁ、どうかなー?

 次回・第八章もお楽しみいただければ幸いです。

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