オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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城塞都市・エモット -2

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.02

 

 

 

 

 

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 三時間後。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の円卓の間で、NPCたちとの「最後の作戦会議」を終えたカワウソは、護衛二人を連れて、用意していた偽装の衣服に身を包む。

 この異世界を調査すべく派遣したラファ・イズラ・ナタが確保しておいた、現地人の標準的な服装だ。

 防御力に不安はあるが、いざとなれば身に纏うローブの早着替え機能でどうとでもなる手筈。

 朝食や風呂で得られた強化(バフ)の力を感じ取りつつ、最後にポーションや弁当箱を詰め込んだアイテムボックスなどの確認をすませる。

 カワウソは少し出かけるような気安い口調で、告げる。

 

「じゃあ、いってくる……頼む、クピド」

「応とも、御主人よぉ。──〈転移門(ゲート)〉」

 

 転移門を開く役目は、赤子の天使。

 彼は現地の女性に擬態した防衛豚隊長・ミカの腕に抱かれ、いかにもどこにでもいるような母子に偽装している。

 

「作戦の成功を、我ら全員でお祈りいたしております」

 

 そう言って、片膝をついて主人たち一行を見送る隊長補佐・ガブ。

 彼女たちNPC──攻略作戦の部隊と合流するのは、ナザリックを囲む平原に到達した時になるだろう。

 そんな天使たちや屋敷のメイドに見送られ、カワウソは拠点の外へ。

 転移門の闇をくぐり抜けるミカたちに続いて、堕天使は魔導国のとある都市に舞い戻る。

 そこは集合住宅の屋上。

 見える景色は、魔法の生きる都のありさまだ。

 

「何だか、なつかしいな」

「──そうでありますか?」

 

 応えるミカはこれといった感慨も見せず、カワウソの言動を怪訝(けげん)に思う。

 無論、ミカの言うことも一理ある。

 

「確かにな。まだ、この世界に転移してから一ヶ月も経っていないのに、なつかしいなんて……な」

 

 カワウソたちが降り立った場所は、第一魔法都市・カッツェ。

 ツアーの話によると、絶対防衛城塞都市・エモットには高度な防諜対策──魔法による覗き見などへのカウンターなどが充実しており、マアトに都市を覗かせることは危険を極めた。直で転移するなど論外。なので、すでに転移済みで、比較的安全が確認できている魔導国の都市──カワウソ達が、飛竜騎兵のいざこざに巻き込まれる前にいた高層建築の上に、カワウソ達は舞い降りたのだ。

 

 ──あの時。

 

 飛竜騎兵の乙女(ヴェル)や、ナザリックの使者たるメイド(マルコ)を見捨てて、城塞都市に向かって北上していたら……カワウソ達は確実に城塞都市(エモット)のセキュリティにひっかかっていただろう。そういう話を、白金の竜王から聞いて知ったのだ。

 

(あるいは、飛竜騎兵たちの騒動を巻き起こしたのは、アインズ・ウール・ゴウンの画策なのかも?)

 

 いったい、どれだけの手練手管をもってすれば、カワウソ達の行動をそのように誘導できるのだろう。

 死の支配者(オーバーロード)の種族的な権謀術数か。

 あるいは、プレイヤー・モモンガの知略や、才能か。

 ──または運がいいのか。

 

「まぁ、いい」それよりも、今は目の前の作戦だ。「〈伝言(メッセージ)〉。マアト、監視状況は?」

『は、はい! えと、あの、現在、カワウソ様たちの周辺に、敵影は、あり、ま、せん』

 

 マアトの設定されたとおりの口調に、堕天使は頷く。

「魔法都市を出たら、こちらの監視は全てストップしておけ」という作戦を復唱させる。

 これから向かう場所のセキュリティを考えると、そうせざるをえない。同じ理由で、ツアーなどとの連絡を傍受されるおそれがあるため、連絡は断ち切っていた。都市への侵入方法……常識的な入場手段などは、すべてツアーから譲り受けた通行証に記載されている。

 カワウソたちは一般人……魔導国の臣民に扮した格好で高層建築の集合住宅をかけくだり、何食わぬ顔で魔法都市の乗合馬車広場を目指す。徐々に白み始める空に、都市の明るい街灯なども合わさって、街は暗い雰囲気からは縁遠い。朝市の準備を始める人間や亜人の露天商などで、大通りは(にわ)かに活気づき始めてすらいた。

 都市を魔法で捕捉するマアトから事前に教えられていたポイントを目指す。ロータリーになっているそこで、券売機がわりのアンデッドに金銭を渡してチケットを購入するのが一般的なのだと、実際に馬車を利用したナタは証言していた──だが。

 

「……ほんとに使えるんだよな?」

 

 カワウソは、白金の竜王(ツアー)から譲り受けていた通行証──パスポートのようなそれを取り出す。

 適当な大きさの小型馬車を選び、御者(コーチマン)である死の騎兵(デス・キャバリエ)にパスを見せつけると、騎兵は了承したように魔法の馬車の扉を開放した。

 

『どうぞ、お入りください』

 

 堕天使の胸が震える。

 ツアーの言う通り、この通行証は魔導国内の様々な交通手段の利用や施設への入場を“可”とするアイテムであるらしい。馬車に乗り込むカワウソたちに、扉を全自動で閉じた死の騎兵は『行先を告げていただきたい』と(うなが)す。

 カワウソは痛いほど早まる鼓動を抑えるように、深呼吸をひとつ吐く。

 

「──城塞都市・エモットまで」

 

 アンデッドの御者は何の疑問もなく『承知』の声を紡ぎ、カワウソの告げた都市に向けて手綱をたぐった。

 魂喰らい(ソウルイーター)の吠え声が朝の大気を(つんざ)くように響く。

 馬車は街道を北上する。獰猛な中位アンデッドの疾走は大変な振動をもたらすだろうに、魔法の馬車はほとんど揺れを搭乗者に感じさせない。カワウソは素直に感心してしまう。ミカは無表情で不機嫌そうに目を伏せ、彼女の腕の中にいる赤子は舟をこぐ(フリをする。さすがに、魔導国のアンデッドの前で偽装を解くわけにはいかない)。

 そして、馬車は魔法都市を出た。

 カワウソは、暁に染まり始める世界を、魔導王のおさめる国を、朝焼けに染まる自然の光景を眺めながら、しばしの旅路を愉しむ。

 無論、周囲の警戒は怠らない。

 

「──状況は?」

 

 短くひそめた言葉で問う。

 目の前に座る女天使、その腕の中に抱かれる赤子の表情を(うかが)う。

 ──問題ない。

 優秀な兵士として、周辺の索敵や敵意の感知・歴戦の兵隊が発揮する戦場での“兵士の直感”を頼りとするクピドは、普段はグラサンに隠しているかわいらしい赤子の顔を横へ振った。

 彼をミカと同じ護衛に選んだ理由がこれだ。彼は天使の澱に属するイズラやマアトのような『探索役』ほどではないが、それなりの探知能力に秀でた職を持っており、同時に、天使の澱の中でもかなりの強さに位置する存在だ。「転移魔法の妙手」であり、腕利きの“狙撃手(スナイパー)”や“兵士(ソルジャー)”である彼の握る重火器類から繰り出される総合攻撃力は、ギルド内で四番手につけるくらい。いざという時に敵を迎撃する際、攻撃能力に不安のある探索役二名よりも、カワウソの護衛にはうってつけの存在と言える『その他(ワイルド)』担当。

 何よりクピドは、ぱっと見が「赤ん坊」の身体である為、魔導国の一般人に偽装するにはもってこいの配役……ミカと合わせて“何の変哲もない母子”の姿をとることもできるのが大きかった(無論、ミカとクピドはあくまでカワウソが創ったNPCであり、実際の血縁関係など存在せず、そんな設定すらしていない)。

 この二人ほど、魔導国の民に(ふん)しつつ護衛役をこなせる者はそうはいないだろう。

 

「さて……どうなるか……」

 

 移動する高級宿屋というべき広々とした内装を見上げ、柔らかな座席のクッションに背中を預ける。

 振動も車音も少なく、室温もほど良い……おそらく魔法のおかげであろう……馬車に揺られること、十数分。

 

『まもなく、絶対防衛城塞都市・エモットに到着いたします』

 

 御者台に座る死の騎兵(デス・キャバリエ)の壊れた弦楽器じみた宣告が、馬車の速度を緩める。

 だが、到着し扉が開け放たれた場所は、都市の内部ではなく、都市外縁の──門の前に設置された楕円形の広場だ。広場には似たような馬車が数台ほど並び、そこで城塞都市から出入りしていく臣民が人波を築いている。屋台や休憩所(サービスエリア)なども充実しているそこで、長旅の疲れを癒すべく、飲食や仮眠などして過ごす者も多い。

 カワウソ達が徒歩や〈飛行〉でエモットを目指さなかったのは、城塞都市がひときわ入場規制の厳しい都であり、この広場で一度馬車から降りなければならないからだ。カワウソが馬車に乗っていた際、窓外の光景に徒歩で城塞都市から行き来しているものはおらず、もっぱら馬車同士が往還している。

 カワウソの協力者・ツアー曰く、城塞都市(エモット)の進入路は東西南北の四門とそれらの中間にも存在する四門──合計八つの門のみ。

 カワウソたちがいる門前広場は南東に位置し、第一魔法都市・カッツェへの直通便が通っている場所になる。ちなみに、東門は第一交易都市・バハルスと繋がり、南門は南方の領域で著名な、浮遊する都市と行き来する便が往来するらしい。

 ──何故、このような場所で一度、馬車を降りねばならないのか。

 それは、カワウソが見つめる先に答えがある。

 

「……どんだけ深いんだ、コレ?」

 

 都市周辺に空いた虚無。

 それは、巨大な「堀」……堀と呼ぶのも(さわ)りがあるほど深い、二重の「堀」だ。

 底の部分が見通せない、堀と言うよりも黒い“谷”としか見えないほどの深淵が、城塞都市の全周の大地をはしっている。

 そんなものが都合“二つ”も都市の外縁の城壁を囲んでおり、その中間地……解りやすく言うなら、「W」の真ん中部分だろうか……には、巨大な弓矢を持つ中位アンデッドが距離を空けて等間隔で配置されているのが見てわかる。

 この巨大な堀は、この奥に秘されたものを、ナザリック地下大墳墓に侵攻してくるものを、悉く飲み込む防御装置の一環として、100年かけて造営されたもの。この堀を渡るものは城塞都市(エモット)専用の馬車に乗り換えるか、あるいは徒歩で200メートルほどの通用路を通る以外に、都市へ入場することは出来ない。運搬業者の馬車や、竜の運ぶコンテナについては、複数のエルダーリッチによる検査検問を受けて、魔導国内の同業者に託すというシステムらしい。

 魔導国内でもこれほど分厚い警備機構は珍しいらしく、カワウソと同様に物珍しさを感じた魔導国の臣民が感嘆しながら、黒い二重の谷を柵越しに見渡しているものも多い。

 

「やれやれぇ。やっと入口かぁ」

 

 熟練兵のごとく渋い男の声が、ミカの腕の中にいる赤子から聞こえる。

 ここまで運んでくれた馬車を見送った直後、クピドが思わず嘆息を吐く。ここまで創造主の護衛として警戒を深めていた赤ん坊であるが、さすがに今回の仕事はいろいろと気を使う部分が多い。

 周囲は様々な人種や異形の魔導国臣民がいるが、誰も大してカワウソ達を気にもかけない。一般的な衣服の上にローブで身を包んでいるのもそうだが、魔導国首都圏ではアンデッドやゴーレムを使った〈伝言(メッセージ)〉による通信機構……携帯端末類の代替が普及しているため、赤ん坊の喉からこぼれる年季の入った声音も、何かの聴き間違いや端末からこぼれる会話程度にしか感じないようだ。何より、これだけの人間や亜人が老若男女を問わず集っている広場で、クピドの声など雑踏の人いきれに隠れる程度のもの。

 しかし、余計な言葉をこぼすことを、彼を腕に抱く上官、拠点の防衛部隊隊長たる女天使は許さない。一応、盗み聞きなどを防ぐアイテムを胸元などに隠しているので、そこまで気にする必要はないのだが。

 

「──クピド。まだ我々の役目は終わっておりません」

「わかっているとも、隊長ぉ」

 

 小声で諫める上官に、クピドは無邪気な赤ん坊そのままの笑みで応じる。

 カワウソたちは徒歩で、城塞都市の南東門を目指す。

 馬車に乗り換えるには、臣民たちの築いた長い行列を待たねばならない。当然、そんなものを待つほど、カワウソ達は悠長にはしていられなかった。一分一秒でも早く、都市の中心に向かいたい。

 

「しかし、どうせならぁ。この一帯にいるアンデッド共を、隊長の“希望のオーラ”……キロ単位で展開できる常時発動可能のスキルで吹き飛ばしちまえば、簡単だろうにぃ?」

「馬鹿を言わないことね、クピド。カワウソ様の御命令──“魔導国”への危害行為は厳禁です。現状、我々の殺傷対象は、あくまで“魔導国の王”……“ギルド:アインズ・ウール・ゴウン”……“ナザリック地下大墳墓のNPC”に限定されている。今を生きる、この世界の民草の生活をささえるモノを消滅させることは、カワウソ様の命令に反する行為です──」

「……」

 

 なんだかんだ言いながらもカワウソの命令に従い続けてくれるミカの様子を眺めつつ、周囲に存在する魔導国の臣民たちを見渡す。

 誰もが生者を貪り喰らうモンスターを傍に置き、その援助を借りて生活しているさまは実に見事だ。

 魔法都市で見かけたように、下位アンデッドの骸骨(スケルトン)モンスターが、魔導国臣民に寄り添っているのが見てわかる。召使のごとく追随する骸骨(スケルトン)を侍らせる商家の令嬢や、魔法使いの帽子をかぶる子供が下位骸骨の蛇(レッサースケルトン・スネーク)を腕に巻いて(たわむ)れている。

 

 だが、そのどれもが、ミカの種族である熾天使が誇る“希望のオーラ”で浄化・消滅させることは容易。それをしないのは、カワウソが魔導国の存在を知ってから、これまでかたくなに守り通してきた一念……『臣民への殺傷や、彼等に直接的な危害を加えることを厳禁』とする命令内容が生きているため。

 

 天使の基本的な能力のひとつである“希望のオーラ”には、大きく分けて五つの効果があって、相克関係に位置する“絶望のオーラ”が、「恐怖・恐慌・混乱・狂気・即死」へと五段階に分類されているのに合わせた効果を発揮する。

 Ⅰで勇気。

 Ⅱで勇敢。

 Ⅲで回復。

 Ⅳで治癒。

 Ⅴで大回復+蘇生という具合だ。

 勇気は「恐怖」などの状態異常ペナルティから対象を護る精神的な強化を施した状態。

 勇敢は強い勇気を与え、戦闘行為に対して数%の身体能力向上作用を施し、敵からの逃亡などを抑止する。

 回復はオーラ内に捕らえた指定対象の体力(HP)を一定時間だけ治癒し続ける。

 治癒は「恐怖」「混乱」などの各種状態異常を消し去り、体力の回復も行い続ける。

 大回復と蘇生は、対象の体力を大きく回復させ、そして死亡している対象を(一戦闘一対象への回数制限付きだが)レベルダウンなどのペナルティなしで蘇らせることができる優れものだ。

 これらは共通して強力な「自軍鼓舞」を施し、各種の強化(バフ)作用や、敵からの弱体化(デバフ)防止に利用できる。

 おまけに、こういったオーラ系統のスキルは常時発動可能な物で、一日中垂れ流しても特に問題がない。

 つまり、希望のオーラ「Ⅴ」を発動すれば、蘇生魔法で消耗される魔力(MP)が節約できる。ひとつのパーティにひとりでもこのオーラ取得者がいると、チームの生存率は飛躍的に上昇するわけだ。

 ……が、なにぶん希望のオーラを「Ⅴ」まで極める=「最上位天使になる」には余程の根性がないと、なれない。その繁雑な取得要項を満たすことができず、途中で投げ出すプレイヤーが圧倒的に多いのだ。そこまで苦労して獲得したプレイヤーキャラの外装(アバター)が、光り輝く球体に輪っか+六枚の白翼と言うビジュアルというのも、いろいろと残念に思う人も多いだろう(体感型ゲームで「見た目」や「操作性」において一番人気なのは、なんといっても「人間の外装」なのだ)。

 さらに希望のオーラは、悪属性の対象やモンスターには、かなりのダメージ量を与え、低位の存在だとオーラを起動しただけで、雑魚が吹き飛んでしまうほど強力な「攻撃手段」にもなり得る。“絶望のオーラ”などの相克関係に位置するスキルや、神聖属性攻撃への対策を張り巡らせることで、希望のオーラを中和することが可能……というシステムである。

 ミカは熾天使(セラフィム)“以上”の、NPCに限定されたレア種族によって、希望のオーラⅤのさらに上位に位置する特異なオーラも保有していた。

 この異世界で、そのオーラをカワウソが確認したことは一度もないが、対アインズ・ウール・ゴウン戦においては有効活用してくれることだろう。

 

(上位ギルドのセラフィムとかの、天使種族プレイヤーのみのギルドがランキングに常駐できたのも、言うまでもなく最上位天使の力があればこそ──)

 

 人間ではない形状や外装では、正確にかつ柔軟に扱うことが不便な……ユグドラシルの電脳世界だと、熾天使は空を舞うための翼を腕代わりにしていた……プレイヤーも多い中で、あのギルドの連中の中には熾天使の姿や能力を遺漏なく発揮できるものも多く在籍していたという。

 

(まぁ、それも昔の話か)

 

 そういったギルドが同じようにこの異世界へ転移していたとしたら、アインズ・ウール・ゴウンの国ばかりが台頭するような世界にはなり得ないはず。カワウソたちが知らないところで淘汰されたか、あるいは来ていないと判断して間違いないはず。潜伏する理由などないだろうし。

 カワウソが益体(やくたい)のないことを思い出していた時。

 

「ん?」

 

 ふと、人混みがにわかに騒がしさを増した。南東門に向かって広い通用路を行き来する人々が、ある方向にむかって指をさす。

 門へと至る道筋に、中位アンデッドたちが規制線をはって、現地語で「一時通行止め」の札を提げた。

 カワウソは警戒を強めるが、どうやら自分たち天使の澱を捕縛攻撃するものでは、ない。

 札に阻まれて仕方なく、カワウソも野次馬が見つめる方向を見やった。

 

「……霧?」

 

 霧にしては異様に濃く、また局所的な規模に発生した純白の綿のような水蒸気の塊が、堀の上をこちらに進んできていた。人々の好奇の視線を集めている。

「こいつは運がいい」「ぼく、はじめて見た!」「こんなに近づくなんて、いつぶりかしら?」と訳知り顔で眺める魔導国臣民と共に、その霧の奥に隠されたものを見据えた。

 

「……船?」

 

 両舷から突き出たのは幾本もの(オール)。空へとのびる三本のマストに張られる帆はいずれも朽ち果て黒々と染まり、その役目を果たしていないように見える。だが、“船”はまるで大海を行くかの如く整然と、都市の外縁部を航行している。水辺など一切ない陸上を。というか、巨大な堀の谷の上を。

 輝くほどに磨かれた衝角は、まるで魔法をかけられたようで、その船自体が何らかの魔法によって成り立っていることを容易に推察させた。

 カワウソ達がいる地表よりも一メートル上を浮遊する幽霊船は、ここからでは内部の様子は見て取れない。

 船が地上を行くために、……門と広場を結ぶ道を渡るのに三分ほどかかった。船尾までボロボロに崩れ、舵の部分も歪んで壊れた船は、悠々と堕天使たちの目の前から、霧と共に過ぎ去っていく。

 その間、偽装を取り払って抜剣し迎撃すべきか迷うミカを、カワウソは彼女の手を掴んで押し留め続けた。クピドにしても、愛銃を抜き放つタイミングを探るように黄金の瞳を見開いていたが、……いずれも杞憂に終わる。

 周囲の人々はまるで有名人とすれ違ったような歓声と口笛をあげて、幽霊船を見送るばかりだ。

 

「──ふぅ」

 

 カワウソは軽く息を吐く。

 あるいは魔導国からの「歓迎」かと警戒せざるを得ない状況であったが、どうやら、ただの巡回警備の類だったらしい。

 あらためて、この国の力を見せつけられた気がする。

 死の騎士(デス・ナイト)たちが張った規制線が解除され、カワウソ達は門を目指す。

 攻撃も襲撃も確認できない。クピドの兵士(ソルジャー)特殊技術(スキル)と、カワウソの指輪で感知できる範囲に、敵となるもの・敵意をこちらに向けるモノは存在していない。

 そうして、分厚く壮麗で、堅牢ながら豪奢さも垣間見える巨大な建造物──魔導国の紋章旗を提げた漆黒の門に控える死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の列を、素通りする。

 

「……」

 

 振り返ってみれば、中位アンデッドの葬列じみた番兵たちは、やはり天使の澱の一行に何の興味も示していない。

 カワウソ達の偽装がうまくいっているのか、あるいはツアーから与えられた通行証のおかげか……そうでなければ、

 

(俺たちのような“敵”を、都市内部に引き入れることを織り込み済み──なのか?)

 

 その可能性は十分あるはず。

 しかし、確証も確信もない。

 ひたすら警戒と猜疑を深める堕天使が立ち止まっていると、不意な衝撃に襲われる。

 女の子の声が堕天使の耳に届く。

 

「わっ!」

「お姉ちゃん?!」

「ぃった~……ご、ごめんなさ……?」

 

 城壁の歩哨から降りる階段から駆けてきた少女が腰にぶつかっていた。

 一瞬だが敵かと強張(こわば)って硬直した表情を、カワウソはなんとも微妙な苦笑で飾り直す。

 

「ああ、いや。こちらこそ、すまない」

 

 怯えたようにすくむ少女は、後ろにいる妹と共に喉を引きつらせるのがわかった。

 やはり自分の、堕天使の顔は女子供には好まれようがないのだなと、再確認させられる。

 赤栗色の長い髪を帽子に隠す姉と、同じ髪色をおさげにした妹と共に、男の子のような活動しやすい衣服を身に帯びた姉妹。カワウソは苦い笑いをこぼすしかない。フード付きのマントは魔導学園という教育機関の中等学科と初等学科の徽章(きしょう)が輝き、一般的な子どもの(たぐい)とみて間違いなかった。

 

「何をしてやがるんです?」

 

 ミカが足を止めた主人と、その腰にぶつかった少女らを見比べ、一言。

 

「お急ぎを。ここでグズグズしている時間は」

「わかっているって」

 

 だが。

 魔導国の少女らの安否確認はしておかねば。

 不慮の事故だったとはいえ、Lv.100の堕天使にぶつかって、どこか怪我でもさせていたら一大事だ。

 指輪のひとつを起動して〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉を発動。体力ゲージを窺ってみると、少女は特にダメージを負った気配はない。一応、口頭でも「大丈夫か」と問うと、少女は「はい」と頷いてくれたので、ひと安心。尻もちをつく少女の手を取って助け起こす。

 不注意を謝る少女に対して、カワウソも礼節に則して短く詫びる。

 ついでに、都市の住人らしい少女に、カワウソは自分の目的地へのルートを確認しておいた。

 ツアーから事前に情報は得ているが、その真偽をはかっておくことは重要である。

 少女はノブリス・オブリージュですと言って、カワウソたちを道に迷った観光客と見做(みな)し、城塞都市の情報を教えてくれる。見た目の年齢よりも利発で明朗な、まるで貴族の御令嬢のごとく誇り高い丁寧な言葉遣いだ。もしかすると、カワウソが出会った飛竜騎兵のヴェルのように、子どもの見た目で大人ということもありえそうなので、一応年齢の方を気にしてみることに。

 ウチの親がうんぬんという言い方は、いかにも子供っぽかった。

 

「教えてくれて、ありがとな」

「……どうも」

 

 言って、カワウソはミカを引き連れて大通りを行く。

 少女らに対しクピドが感謝の意を表するように親指を突き立てるのを、ミカは黙って押さえこんだ。

 

「あの娘たち……魔導国の間者だったのでしょうか?」

「いやぁ。それはないなぁ。敵にしては気配が、あまりにも弱すぎるぅ」

 

 確かに。

 話してみた感じでもただの子どもだった。疑う余地なく、少女らはただの、魔導国の臣民と判断できる。 

 

「さてと」

 

 城塞都市は九つの城壁から成り立つ多層構造の要害だ。

 中心へ行くには、幾度も魔法の昇降機を使ってのぼるしかない。

 魔法都市でもそうだったように、この国では飛行免許や運輸免許などの許可を与えられた臣民しか、都市などの上空を飛ぶことは許されていない。カワウソの手中にある通行証を使えば「あるいは」とも思えるが、今のカワウソ達の恰好……一般的な衣服を纏う姿で空を飛ぶというのは、いかにも目立つだろう。今は偽装を解除していいタイミングではない。

 通りを行く間、この都市に住まう臣民と無数に行き交う。

 人間の親子連れが三人仲良く手を繋いで歩き、森妖精(エルフ)の女性と山小人(ドワーフ)の親父が将棋やチェスのようなボードゲームに興じ、小鬼(ゴブリン)とオーガと妖巨人(トロール)の団体が夜勤明けに酒杯を呷り、蜥蜴人(リザードマン)やミノタウロスが武器の商売をし、ビーストマンと人馬(セントール)が、蠍人(パ・ピグ・サグ)が、豚鬼(オーク)が、ナーガが、トードマンが…………

 誰もが口々に自分たちを支配する者たちの武勇を謳い、この城塞都市が護るべき場所の尊さを歌って、平和に満ちた今、この時を生きる糧を与える王君に、万謝をささげる。

 酒場で、工房で、学校で、街辻で、福音のごとく響く崇拝の音色。

 

「我等が神々の王──神王長陛下、万歳!」「偉大なる御方──偉大なる至高帝陛下に、乾杯!」「大陸を統一せし不死者(アンデッド)の王──死の支配者(オーバーロード)たる御身に、感謝を!」「王の中の王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に、永久(とわ)の栄光あれ!」

 

 そう言って、すべての種族が、平和に暮らしている。

 誰もが真実──平和を享受している。

 

(本当に、いい国……平和な世界なんだな)

 

 その事実が、堕天使の内臓を氷の釘で突き刺すような絶望を覚えさせる。

 唐突に。

 この平和を自分が壊すことになる可能性を想起される。

 ツアーが言っていた、「復讐を果たした“後”」のことを思い出すが、それはありえない。

 自分たちは、おそらく死ぬ。

 死ぬためだけに、こんなバカな戦いに挑むのだ。

 それを思うと、ここにいる彼等……城塞都市の人々を斬り殺し潰し壊す意味がない。

 彼等は自分の復讐には、何の関係もない。

 

(そんなことをしても、俺の“中立”のカルマ値が「悪より」に傾くだけか……いや?)

 

 ふと疑問に思う。

 この異世界で、カルマ値の変動現象などあるのだろうか。

 カワウソが自分で調べた限り、そういったことは確認できない。

 この間、自分(カワウソ)たちは飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の騒動・元長老の裏切りと反抗を平和裏におさめた。だが、その直後に生産都市でアインズ・ウール・ゴウンの直製部隊とやらを皆殺しにしたことで、プラマイ0という判定なのだろうか。

 だが、それはあくまで異世界の、この魔導国の法などに基づいての視点に過ぎない。

 カワウソのようなプレイヤーからしてみれば、人を助けようが、モンスターをブチ殺そうが、それで誰に憚ることがあるわけでもないはず。「魔導国の民ではない自分」に、魔導国の法が適用される謂れも義務もない。だとすれば、この平和を壊したところで、自分の“中立”カルマが変動することはないのでは。自分の特殊技術(スキル)の獲得条件は、属性(アライメント)が“中立”であることを前提とするものも多い。それを扱えているということは、カルマ値のシステムも、一応カワウソ(プレイヤー)ミカたち(NPC)の中に残っている可能性は高いはず。だが、この世界の平和を壊す行為──アインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑み、ナザリック地下大墳墓へ侵攻しようという行状(ぎょうじょう)は、どう判定される? これは「悪」や「善」だと判定され、属性が変化することになれば、自分の特殊技術(スキル)はどうなるのか?

 この異世界において、カルマ値についてもユグドラシルの法則が働いているのか、否か。

 

(……まぁ。いまさら考えてもしようがないか)

 

 雑念を振り払う。

 カワウソは歩を緩めない。

 街を行き交う中位アンデッドの警邏部隊──死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)魂喰らい(ソウルイーター)などとすれ違い、この都市に常駐していると聞く上位アンデッドの気配を確実に探知しながら、都市中心に(そび)える漆黒の城を目指す。

 

『次は一番街。一番街に到着いたします』

 

 エルダーリッチが昇降機の門を開ける。

 この都市備え付けの昇降機に乗るのにも、都市住民の証や一時居留許可などの証明書が必須なのだが、それもツアーの通行証ですべて代用可能。

 下の防壁地区がさらに小さく見える高低差を眺めるのをやめて、カワウソはミカとクピドと共に、大通りを進み続ける。

 

「あれが、エモット城……か」

 

 最後の城壁である一番防壁を乗り越えた先にあるのは、やはり巨大な壁だ。

 逆すり鉢のごとき都市の最頂点に位置するここは、都市内でも有数の高級住宅が並ぶ二番街の住人達が「勤労」に励む土地。この地区を生家にできる者は、都市どころか国家の枢要に位置している。

 魔導国の各種政府庁舎は勿論、魔導国100年の歴史を学ぶ資料館や図書館、魔法の調度品などを収める博物館や美術館などが(のき)を連ねるその地で、もっとも都市中心……つまり、ナザリック地下大墳墓を囲むように建造されている「輪っか(リング)」状の城塞が、カワウソ達の目指す場所。

 この都市の発展に貢献した一人の村娘──アインズ・ウール・ゴウンへ臣従した現地人の名にちなんだ要害を、カワウソ達は目指す。

 

「追手などの気配は?」

「あり得ません……と言いたいところですが」

 

 ミカは振り返るまでもなく、奇妙な気配が二つほどついてきていることを報せる。

 その気配……少女らは間違いなく、先ほど南東の門で出会った姉妹に他ならない。

 

「どういたしましょうか」

「目障りなら転移で排除しようかぁ?」

「……いいや。ほっておけ、クピド」

 

 何が少女たちの琴線(きんせん)に触れたのかは知らないが、あんな稚拙な追跡が、魔導国の──アインズ・ウール・ゴウンの手先である可能性は絶無。それよりも上位アンデッドなどの、都市上空や城壁詰所を巡回警邏する者たち──蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)の飛行編隊の方が、まだ警戒に値する。騒ぎを起こすのは(はなは)だマズい。

 大通りの行き止まり。

 エモット城の門扉(もんぴ)の前に、天使たちは並び立つ。

 ──ここまで順調に、城塞都市に乗り込むことができている事実が、カワウソには恐ろしい。

 いよいよだと思うたび、心臓の鼓動がやけに早まり、耳に痛い程の血潮が流れる。

 

「……」

「カワウソ様?」

 

 足がすくんだように動かない。

 今ならば引き返せるのではないかと怖気(おじけ)づく自分が嫌になる。

 引き返したところで道はない。

 進むこと以外に、カワウソの望みは永遠に、絶対に、果たされない。

 

「行こう」

 

 カワウソは震えるつま先を前へ。

 門の番兵……地下聖堂の王(クリプトロード)に向かって歩を進める。

 ツアーの通行証を掲げ見せる。

 

『通行を許可します』

 

 アーグランド領域にて、ツアインドルクスより譲り受けた通行証明。

 信託統治者にして魔導王の盟友である竜王の印璽が施されたそれがあれば、この大陸で侵入できない場所は一ヶ所のみに限られてしまうという。

 エモット城の黒鉄(くろがね)の門扉が開かれた。

 地下聖堂の王が(うやうや)しく目礼しながら、堕天使たちに道を譲る。

 

『どうぞ。お入りください……』

 

 これまでで一番警戒していたミカたちに、手を軽く振って後に続けさせる。

 地下聖堂の王はカワウソ達──堕天使と熾天使の男女と、赤子の天使をエモット城内に入れると、門を閉ざす。

 閉じていく門の向こうで、例の姉妹が驚愕したように後を追う姿が見えたが、それも閉門する金属の重い音色の向こうに置いていく。

 

「……行こう」

 

 震える喉で生唾を嚥下(えんか)する。

 来賓をもてなす衛兵がいるわけでもなく、カワウソ達は城の中庭を進む。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ちょ、ど、どういうこと?」

 

 アン・エモットは愕然と駆けだした。妹のイズと共に、開かれていく城の門扉を、それを開放した上位アンデッドの姿を視認して。

 城が来客を迎えるということは、別に珍しいことではない。

 だが、今日は来賓の話など聞いていないし、何より、数多くの伴回りや、豪奢な馬車も何もない……ただの魔導国臣民の夫婦かカップルとしか見れなかった男女二人組が、城に招かれるなど聞いたためしがなかった。そんなことは特一等の臣民ですらありえない。少なくとも歓迎の式典や、広く公表されうる国事行為として、エモット城はその門を開くもの。

 だが、エモット姉妹……この城に付随する屋敷を生家とする特一等臣民の少女らは、このような異例の事態に驚愕するしかない。

 たまらずあとを追うが、地下聖堂の王(クリプトロード)……門番に優しく引き止められるうちに、例の男女は城内へと消えていった。

 

「なんだったのよ、あの人たち?」

 

 妹は姉以上に理解できないという表情で首を振った。

 いったい、何がおこっているのだろう。

 

 

 

 最も尊く優しい御方を護る城を、

 先祖代々に渡って鎮護してきた城を、

 アンとイズ姉妹は並んで見つめるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ちなみに、この後アンとイズ姉妹は地下聖堂の王(クリプトロード)の連絡で駆け付けた両親に、勝手な外出を咎められることになるのは、また別の話。

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