オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.02
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三時間後。
ヨルムンガンド
この異世界を調査すべく派遣したラファ・イズラ・ナタが確保しておいた、現地人の標準的な服装だ。
防御力に不安はあるが、いざとなれば身に纏うローブの早着替え機能でどうとでもなる手筈。
朝食や風呂で得られた
カワウソは少し出かけるような気安い口調で、告げる。
「じゃあ、いってくる……頼む、クピド」
「応とも、御主人よぉ。──〈
転移門を開く役目は、赤子の天使。
彼は現地の女性に擬態した防衛豚隊長・ミカの腕に抱かれ、いかにもどこにでもいるような母子に偽装している。
「作戦の成功を、我ら全員でお祈りいたしております」
そう言って、片膝をついて主人たち一行を見送る隊長補佐・ガブ。
彼女たちNPC──攻略作戦の部隊と合流するのは、ナザリックを囲む平原に到達した時になるだろう。
そんな天使たちや屋敷のメイドに見送られ、カワウソは拠点の外へ。
転移門の闇をくぐり抜けるミカたちに続いて、堕天使は魔導国のとある都市に舞い戻る。
そこは集合住宅の屋上。
見える景色は、魔法の生きる都のありさまだ。
「何だか、なつかしいな」
「──そうでありますか?」
応えるミカはこれといった感慨も見せず、カワウソの言動を
無論、ミカの言うことも一理ある。
「確かにな。まだ、この世界に転移してから一ヶ月も経っていないのに、なつかしいなんて……な」
カワウソたちが降り立った場所は、第一魔法都市・カッツェ。
ツアーの話によると、絶対防衛城塞都市・エモットには高度な防諜対策──魔法による覗き見などへのカウンターなどが充実しており、マアトに都市を覗かせることは危険を極めた。直で転移するなど論外。なので、すでに転移済みで、比較的安全が確認できている魔導国の都市──カワウソ達が、飛竜騎兵のいざこざに巻き込まれる前にいた高層建築の上に、カワウソ達は舞い降りたのだ。
──あの時。
飛竜騎兵の
(あるいは、飛竜騎兵たちの騒動を巻き起こしたのは、アインズ・ウール・ゴウンの画策なのかも?)
いったい、どれだけの手練手管をもってすれば、カワウソ達の行動をそのように誘導できるのだろう。
あるいは、プレイヤー・モモンガの知略や、才能か。
──または運がいいのか。
「まぁ、いい」それよりも、今は目の前の作戦だ。「〈
『は、はい! えと、あの、現在、カワウソ様たちの周辺に、敵影は、あり、ま、せん』
マアトの設定されたとおりの口調に、堕天使は頷く。
「魔法都市を出たら、こちらの監視は全てストップしておけ」という作戦を復唱させる。
これから向かう場所のセキュリティを考えると、そうせざるをえない。同じ理由で、ツアーなどとの連絡を傍受されるおそれがあるため、連絡は断ち切っていた。都市への侵入方法……常識的な入場手段などは、すべてツアーから譲り受けた通行証に記載されている。
カワウソたちは一般人……魔導国の臣民に扮した格好で高層建築の集合住宅をかけくだり、何食わぬ顔で魔法都市の乗合馬車広場を目指す。徐々に白み始める空に、都市の明るい街灯なども合わさって、街は暗い雰囲気からは縁遠い。朝市の準備を始める人間や亜人の露天商などで、大通りは
都市を魔法で捕捉するマアトから事前に教えられていたポイントを目指す。ロータリーになっているそこで、券売機がわりのアンデッドに金銭を渡してチケットを購入するのが一般的なのだと、実際に馬車を利用したナタは証言していた──だが。
「……ほんとに使えるんだよな?」
カワウソは、
適当な大きさの小型馬車を選び、
『どうぞ、お入りください』
堕天使の胸が震える。
ツアーの言う通り、この通行証は魔導国内の様々な交通手段の利用や施設への入場を“可”とするアイテムであるらしい。馬車に乗り込むカワウソたちに、扉を全自動で閉じた死の騎兵は『行先を告げていただきたい』と
カワウソは痛いほど早まる鼓動を抑えるように、深呼吸をひとつ吐く。
「──城塞都市・エモットまで」
アンデッドの御者は何の疑問もなく『承知』の声を紡ぎ、カワウソの告げた都市に向けて手綱をたぐった。
馬車は街道を北上する。獰猛な中位アンデッドの疾走は大変な振動をもたらすだろうに、魔法の馬車はほとんど揺れを搭乗者に感じさせない。カワウソは素直に感心してしまう。ミカは無表情で不機嫌そうに目を伏せ、彼女の腕の中にいる赤子は舟をこぐ(フリをする。さすがに、魔導国のアンデッドの前で偽装を解くわけにはいかない)。
そして、馬車は魔法都市を出た。
カワウソは、暁に染まり始める世界を、魔導王のおさめる国を、朝焼けに染まる自然の光景を眺めながら、しばしの旅路を愉しむ。
無論、周囲の警戒は怠らない。
「──状況は?」
短くひそめた言葉で問う。
目の前に座る女天使、その腕の中に抱かれる赤子の表情を
──問題ない。
優秀な兵士として、周辺の索敵や敵意の感知・歴戦の兵隊が発揮する戦場での“兵士の直感”を頼りとするクピドは、普段はグラサンに隠しているかわいらしい赤子の顔を横へ振った。
彼をミカと同じ護衛に選んだ理由がこれだ。彼は天使の澱に属するイズラやマアトのような『探索役』ほどではないが、それなりの探知能力に秀でた職を持っており、同時に、天使の澱の中でもかなりの強さに位置する存在だ。「転移魔法の妙手」であり、腕利きの“
何よりクピドは、ぱっと見が「赤ん坊」の身体である為、魔導国の一般人に偽装するにはもってこいの配役……ミカと合わせて“何の変哲もない母子”の姿をとることもできるのが大きかった(無論、ミカとクピドはあくまでカワウソが創ったNPCであり、実際の血縁関係など存在せず、そんな設定すらしていない)。
この二人ほど、魔導国の民に
「さて……どうなるか……」
移動する高級宿屋というべき広々とした内装を見上げ、柔らかな座席のクッションに背中を預ける。
振動も車音も少なく、室温もほど良い……おそらく魔法のおかげであろう……馬車に揺られること、十数分。
『まもなく、絶対防衛城塞都市・エモットに到着いたします』
御者台に座る
だが、到着し扉が開け放たれた場所は、都市の内部ではなく、都市外縁の──門の前に設置された楕円形の広場だ。広場には似たような馬車が数台ほど並び、そこで城塞都市から出入りしていく臣民が人波を築いている。
カワウソ達が徒歩や〈飛行〉でエモットを目指さなかったのは、城塞都市がひときわ入場規制の厳しい都であり、この広場で一度馬車から降りなければならないからだ。カワウソが馬車に乗っていた際、窓外の光景に徒歩で城塞都市から行き来しているものはおらず、もっぱら馬車同士が往還している。
カワウソの協力者・ツアー曰く、
カワウソたちがいる門前広場は南東に位置し、第一魔法都市・カッツェへの直通便が通っている場所になる。ちなみに、東門は第一交易都市・バハルスと繋がり、南門は南方の領域で著名な、浮遊する都市と行き来する便が往来するらしい。
──何故、このような場所で一度、馬車を降りねばならないのか。
それは、カワウソが見つめる先に答えがある。
「……どんだけ深いんだ、コレ?」
都市周辺に空いた虚無。
それは、巨大な「堀」……堀と呼ぶのも
底の部分が見通せない、堀と言うよりも黒い“谷”としか見えないほどの深淵が、城塞都市の全周の大地をはしっている。
そんなものが都合“二つ”も都市の外縁の城壁を囲んでおり、その中間地……解りやすく言うなら、「W」の真ん中部分だろうか……には、巨大な弓矢を持つ中位アンデッドが距離を空けて等間隔で配置されているのが見てわかる。
この巨大な堀は、この奥に秘されたものを、ナザリック地下大墳墓に侵攻してくるものを、悉く飲み込む防御装置の一環として、100年かけて造営されたもの。この堀を渡るものは
魔導国内でもこれほど分厚い警備機構は珍しいらしく、カワウソと同様に物珍しさを感じた魔導国の臣民が感嘆しながら、黒い二重の谷を柵越しに見渡しているものも多い。
「やれやれぇ。やっと入口かぁ」
熟練兵のごとく渋い男の声が、ミカの腕の中にいる赤子から聞こえる。
ここまで運んでくれた馬車を見送った直後、クピドが思わず嘆息を吐く。ここまで創造主の護衛として警戒を深めていた赤ん坊であるが、さすがに今回の仕事はいろいろと気を使う部分が多い。
周囲は様々な人種や異形の魔導国臣民がいるが、誰も大してカワウソ達を気にもかけない。一般的な衣服の上にローブで身を包んでいるのもそうだが、魔導国首都圏ではアンデッドやゴーレムを使った〈
しかし、余計な言葉をこぼすことを、彼を腕に抱く上官、拠点の防衛部隊隊長たる女天使は許さない。一応、盗み聞きなどを防ぐアイテムを胸元などに隠しているので、そこまで気にする必要はないのだが。
「──クピド。まだ我々の役目は終わっておりません」
「わかっているとも、隊長ぉ」
小声で諫める上官に、クピドは無邪気な赤ん坊そのままの笑みで応じる。
カワウソたちは徒歩で、城塞都市の南東門を目指す。
馬車に乗り換えるには、臣民たちの築いた長い行列を待たねばならない。当然、そんなものを待つほど、カワウソ達は悠長にはしていられなかった。一分一秒でも早く、都市の中心に向かいたい。
「しかし、どうせならぁ。この一帯にいるアンデッド共を、隊長の“希望のオーラ”……キロ単位で展開できる常時発動可能のスキルで吹き飛ばしちまえば、簡単だろうにぃ?」
「馬鹿を言わないことね、クピド。カワウソ様の御命令──“魔導国”への危害行為は厳禁です。現状、我々の殺傷対象は、あくまで“魔導国の王”……“ギルド:アインズ・ウール・ゴウン”……“ナザリック地下大墳墓のNPC”に限定されている。今を生きる、この世界の民草の生活をささえるモノを消滅させることは、カワウソ様の命令に反する行為です──」
「……」
なんだかんだ言いながらもカワウソの命令に従い続けてくれるミカの様子を眺めつつ、周囲に存在する魔導国の臣民たちを見渡す。
誰もが生者を貪り喰らうモンスターを傍に置き、その援助を借りて生活しているさまは実に見事だ。
魔法都市で見かけたように、下位アンデッドの
だが、そのどれもが、ミカの種族である熾天使が誇る“希望のオーラ”で浄化・消滅させることは容易。それをしないのは、カワウソが魔導国の存在を知ってから、これまでかたくなに守り通してきた一念……『臣民への殺傷や、彼等に直接的な危害を加えることを厳禁』とする命令内容が生きているため。
天使の基本的な能力のひとつである“希望のオーラ”には、大きく分けて五つの効果があって、相克関係に位置する“絶望のオーラ”が、「恐怖・恐慌・混乱・狂気・即死」へと五段階に分類されているのに合わせた効果を発揮する。
Ⅰで勇気。
Ⅱで勇敢。
Ⅲで回復。
Ⅳで治癒。
Ⅴで大回復+蘇生という具合だ。
勇気は「恐怖」などの状態異常ペナルティから対象を護る精神的な強化を施した状態。
勇敢は強い勇気を与え、戦闘行為に対して数%の身体能力向上作用を施し、敵からの逃亡などを抑止する。
回復はオーラ内に捕らえた指定対象の
治癒は「恐怖」「混乱」などの各種状態異常を消し去り、体力の回復も行い続ける。
大回復と蘇生は、対象の体力を大きく回復させ、そして死亡している対象を(一戦闘一対象への回数制限付きだが)レベルダウンなどのペナルティなしで蘇らせることができる優れものだ。
これらは共通して強力な「自軍鼓舞」を施し、各種の
おまけに、こういったオーラ系統のスキルは常時発動可能な物で、一日中垂れ流しても特に問題がない。
つまり、希望のオーラ「Ⅴ」を発動すれば、蘇生魔法で消耗される
……が、なにぶん希望のオーラを「Ⅴ」まで極める=「最上位天使になる」には余程の根性がないと、なれない。その繁雑な取得要項を満たすことができず、途中で投げ出すプレイヤーが圧倒的に多いのだ。そこまで苦労して獲得したプレイヤーキャラの
さらに希望のオーラは、悪属性の対象やモンスターには、かなりのダメージ量を与え、低位の存在だとオーラを起動しただけで、雑魚が吹き飛んでしまうほど強力な「攻撃手段」にもなり得る。“絶望のオーラ”などの相克関係に位置するスキルや、神聖属性攻撃への対策を張り巡らせることで、希望のオーラを中和することが可能……というシステムである。
ミカは
この異世界で、そのオーラをカワウソが確認したことは一度もないが、対アインズ・ウール・ゴウン戦においては有効活用してくれることだろう。
(上位ギルドのセラフィムとかの、天使種族プレイヤーのみのギルドがランキングに常駐できたのも、言うまでもなく最上位天使の力があればこそ──)
人間ではない形状や外装では、正確にかつ柔軟に扱うことが不便な……ユグドラシルの電脳世界だと、熾天使は空を舞うための翼を腕代わりにしていた……プレイヤーも多い中で、あのギルドの連中の中には熾天使の姿や能力を遺漏なく発揮できるものも多く在籍していたという。
(まぁ、それも昔の話か)
そういったギルドが同じようにこの異世界へ転移していたとしたら、アインズ・ウール・ゴウンの国ばかりが台頭するような世界にはなり得ないはず。カワウソたちが知らないところで淘汰されたか、あるいは来ていないと判断して間違いないはず。潜伏する理由などないだろうし。
カワウソが
「ん?」
ふと、人混みがにわかに騒がしさを増した。南東門に向かって広い通用路を行き来する人々が、ある方向にむかって指をさす。
門へと至る道筋に、中位アンデッドたちが規制線をはって、現地語で「一時通行止め」の札を提げた。
カワウソは警戒を強めるが、どうやら自分たち天使の澱を捕縛攻撃するものでは、ない。
札に阻まれて仕方なく、カワウソも野次馬が見つめる方向を見やった。
「……霧?」
霧にしては異様に濃く、また局所的な規模に発生した純白の綿のような水蒸気の塊が、堀の上をこちらに進んできていた。人々の好奇の視線を集めている。
「こいつは運がいい」「ぼく、はじめて見た!」「こんなに近づくなんて、いつぶりかしら?」と訳知り顔で眺める魔導国臣民と共に、その霧の奥に隠されたものを見据えた。
「……船?」
両舷から突き出たのは幾本もの
輝くほどに磨かれた衝角は、まるで魔法をかけられたようで、その船自体が何らかの魔法によって成り立っていることを容易に推察させた。
カワウソ達がいる地表よりも一メートル上を浮遊する幽霊船は、ここからでは内部の様子は見て取れない。
船が地上を行くために、……門と広場を結ぶ道を渡るのに三分ほどかかった。船尾までボロボロに崩れ、舵の部分も歪んで壊れた船は、悠々と堕天使たちの目の前から、霧と共に過ぎ去っていく。
その間、偽装を取り払って抜剣し迎撃すべきか迷うミカを、カワウソは彼女の手を掴んで押し留め続けた。クピドにしても、愛銃を抜き放つタイミングを探るように黄金の瞳を見開いていたが、……いずれも杞憂に終わる。
周囲の人々はまるで有名人とすれ違ったような歓声と口笛をあげて、幽霊船を見送るばかりだ。
「──ふぅ」
カワウソは軽く息を吐く。
あるいは魔導国からの「歓迎」かと警戒せざるを得ない状況であったが、どうやら、ただの巡回警備の類だったらしい。
あらためて、この国の力を見せつけられた気がする。
攻撃も襲撃も確認できない。クピドの
そうして、分厚く壮麗で、堅牢ながら豪奢さも垣間見える巨大な建造物──魔導国の紋章旗を提げた漆黒の門に控える
「……」
振り返ってみれば、中位アンデッドの葬列じみた番兵たちは、やはり天使の澱の一行に何の興味も示していない。
カワウソ達の偽装がうまくいっているのか、あるいはツアーから与えられた通行証のおかげか……そうでなければ、
(俺たちのような“敵”を、都市内部に引き入れることを織り込み済み──なのか?)
その可能性は十分あるはず。
しかし、確証も確信もない。
ひたすら警戒と猜疑を深める堕天使が立ち止まっていると、不意な衝撃に襲われる。
女の子の声が堕天使の耳に届く。
「わっ!」
「お姉ちゃん?!」
「ぃった~……ご、ごめんなさ……?」
城壁の歩哨から降りる階段から駆けてきた少女が腰にぶつかっていた。
一瞬だが敵かと
「ああ、いや。こちらこそ、すまない」
怯えたようにすくむ少女は、後ろにいる妹と共に喉を引きつらせるのがわかった。
やはり自分の、堕天使の顔は女子供には好まれようがないのだなと、再確認させられる。
赤栗色の長い髪を帽子に隠す姉と、同じ髪色をおさげにした妹と共に、男の子のような活動しやすい衣服を身に帯びた姉妹。カワウソは苦い笑いをこぼすしかない。フード付きのマントは魔導学園という教育機関の中等学科と初等学科の
「何をしてやがるんです?」
ミカが足を止めた主人と、その腰にぶつかった少女らを見比べ、一言。
「お急ぎを。ここでグズグズしている時間は」
「わかっているって」
だが。
魔導国の少女らの安否確認はしておかねば。
不慮の事故だったとはいえ、Lv.100の堕天使にぶつかって、どこか怪我でもさせていたら一大事だ。
指輪のひとつを起動して〈
不注意を謝る少女に対して、カワウソも礼節に則して短く詫びる。
ついでに、都市の住人らしい少女に、カワウソは自分の目的地へのルートを確認しておいた。
ツアーから事前に情報は得ているが、その真偽をはかっておくことは重要である。
少女はノブリス・オブリージュですと言って、カワウソたちを道に迷った観光客と
ウチの親がうんぬんという言い方は、いかにも子供っぽかった。
「教えてくれて、ありがとな」
「……どうも」
言って、カワウソはミカを引き連れて大通りを行く。
少女らに対しクピドが感謝の意を表するように親指を突き立てるのを、ミカは黙って押さえこんだ。
「あの娘たち……魔導国の間者だったのでしょうか?」
「いやぁ。それはないなぁ。敵にしては気配が、あまりにも弱すぎるぅ」
確かに。
話してみた感じでもただの子どもだった。疑う余地なく、少女らはただの、魔導国の臣民と判断できる。
「さてと」
城塞都市は九つの城壁から成り立つ多層構造の要害だ。
中心へ行くには、幾度も魔法の昇降機を使ってのぼるしかない。
魔法都市でもそうだったように、この国では飛行免許や運輸免許などの許可を与えられた臣民しか、都市などの上空を飛ぶことは許されていない。カワウソの手中にある通行証を使えば「あるいは」とも思えるが、今のカワウソ達の恰好……一般的な衣服を纏う姿で空を飛ぶというのは、いかにも目立つだろう。今は偽装を解除していいタイミングではない。
通りを行く間、この都市に住まう臣民と無数に行き交う。
人間の親子連れが三人仲良く手を繋いで歩き、
誰もが口々に自分たちを支配する者たちの武勇を謳い、この城塞都市が護るべき場所の尊さを歌って、平和に満ちた今、この時を生きる糧を与える王君に、万謝をささげる。
酒場で、工房で、学校で、街辻で、福音のごとく響く崇拝の音色。
「我等が神々の王──神王長陛下、万歳!」「偉大なる御方──偉大なる至高帝陛下に、乾杯!」「大陸を統一せし
そう言って、すべての種族が、平和に暮らしている。
誰もが真実──平和を享受している。
(本当に、いい国……平和な世界なんだな)
その事実が、堕天使の内臓を氷の釘で突き刺すような絶望を覚えさせる。
唐突に。
この平和を自分が壊すことになる可能性を想起される。
ツアーが言っていた、「復讐を果たした“後”」のことを思い出すが、それはありえない。
自分たちは、おそらく死ぬ。
死ぬためだけに、こんなバカな戦いに挑むのだ。
それを思うと、ここにいる彼等……城塞都市の人々を斬り殺し潰し壊す意味がない。
彼等は自分の復讐には、何の関係もない。
(そんなことをしても、俺の“中立”のカルマ値が「悪より」に傾くだけか……いや?)
ふと疑問に思う。
この異世界で、カルマ値の変動現象などあるのだろうか。
カワウソが自分で調べた限り、そういったことは確認できない。
この間、
だが、それはあくまで異世界の、この魔導国の法などに基づいての視点に過ぎない。
カワウソのようなプレイヤーからしてみれば、人を助けようが、モンスターをブチ殺そうが、それで誰に憚ることがあるわけでもないはず。「魔導国の民ではない自分」に、魔導国の法が適用される謂れも義務もない。だとすれば、この平和を壊したところで、自分の“中立”カルマが変動することはないのでは。自分の
この異世界において、カルマ値についてもユグドラシルの法則が働いているのか、否か。
(……まぁ。いまさら考えてもしようがないか)
雑念を振り払う。
カワウソは歩を緩めない。
街を行き交う中位アンデッドの警邏部隊──
『次は一番街。一番街に到着いたします』
エルダーリッチが昇降機の門を開ける。
この都市備え付けの昇降機に乗るのにも、都市住民の証や一時居留許可などの証明書が必須なのだが、それもツアーの通行証ですべて代用可能。
下の防壁地区がさらに小さく見える高低差を眺めるのをやめて、カワウソはミカとクピドと共に、大通りを進み続ける。
「あれが、エモット城……か」
最後の城壁である一番防壁を乗り越えた先にあるのは、やはり巨大な壁だ。
逆すり鉢のごとき都市の最頂点に位置するここは、都市内でも有数の高級住宅が並ぶ二番街の住人達が「勤労」に励む土地。この地区を生家にできる者は、都市どころか国家の枢要に位置している。
魔導国の各種政府庁舎は勿論、魔導国100年の歴史を学ぶ資料館や図書館、魔法の調度品などを収める博物館や美術館などが
この都市の発展に貢献した一人の村娘──アインズ・ウール・ゴウンへ臣従した現地人の名にちなんだ要害を、カワウソ達は目指す。
「追手などの気配は?」
「あり得ません……と言いたいところですが」
ミカは振り返るまでもなく、奇妙な気配が二つほどついてきていることを報せる。
その気配……少女らは間違いなく、先ほど南東の門で出会った姉妹に他ならない。
「どういたしましょうか」
「目障りなら転移で排除しようかぁ?」
「……いいや。ほっておけ、クピド」
何が少女たちの
大通りの行き止まり。
エモット城の
──ここまで順調に、城塞都市に乗り込むことができている事実が、カワウソには恐ろしい。
いよいよだと思うたび、心臓の鼓動がやけに早まり、耳に痛い程の血潮が流れる。
「……」
「カワウソ様?」
足がすくんだように動かない。
今ならば引き返せるのではないかと
引き返したところで道はない。
進むこと以外に、カワウソの望みは永遠に、絶対に、果たされない。
「行こう」
カワウソは震えるつま先を前へ。
門の番兵……
ツアーの通行証を掲げ見せる。
『通行を許可します』
アーグランド領域にて、ツアインドルクスより譲り受けた通行証明。
信託統治者にして魔導王の盟友である竜王の印璽が施されたそれがあれば、この大陸で侵入できない場所は一ヶ所のみに限られてしまうという。
エモット城の
地下聖堂の王が
『どうぞ。お入りください……』
これまでで一番警戒していたミカたちに、手を軽く振って後に続けさせる。
地下聖堂の王はカワウソ達──堕天使と熾天使の男女と、赤子の天使をエモット城内に入れると、門を閉ざす。
閉じていく門の向こうで、例の姉妹が驚愕したように後を追う姿が見えたが、それも閉門する金属の重い音色の向こうに置いていく。
「……行こう」
震える喉で生唾を
来賓をもてなす衛兵がいるわけでもなく、カワウソ達は城の中庭を進む。
×
「ちょ、ど、どういうこと?」
アン・エモットは愕然と駆けだした。妹のイズと共に、開かれていく城の門扉を、それを開放した上位アンデッドの姿を視認して。
城が来客を迎えるということは、別に珍しいことではない。
だが、今日は来賓の話など聞いていないし、何より、数多くの伴回りや、豪奢な馬車も何もない……ただの魔導国臣民の夫婦かカップルとしか見れなかった男女二人組が、城に招かれるなど聞いたためしがなかった。そんなことは特一等の臣民ですらありえない。少なくとも歓迎の式典や、広く公表されうる国事行為として、エモット城はその門を開くもの。
だが、エモット姉妹……この城に付随する屋敷を生家とする特一等臣民の少女らは、このような異例の事態に驚愕するしかない。
たまらずあとを追うが、
「なんだったのよ、あの人たち?」
妹は姉以上に理解できないという表情で首を振った。
いったい、何がおこっているのだろう。
最も尊く優しい御方を護る城を、
先祖代々に渡って鎮護してきた城を、
アンとイズ姉妹は並んで見つめるしかなかった。
ちなみに、この後アンとイズ姉妹は