オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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・前回までのあらすじ・
 カワウソは白金の竜王ツアーとの邂逅によって、絶対防衛城塞都市・エモットへ侵入するための“通行証”を入手する。
 だが、100年後の魔導国を治める王……アインズ・ウール・ゴウンの魔の手は、確実にカワウソたちの上を行っていた。
 ナザリック地下大墳墓を擁する魔導国の都を目指すべく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の戦いが、幕をあけようとしていた──


第七章 ナザリック地下大墳墓へ
城塞都市・エモット -1


/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 100年前。

 とある理念に()き動かされたひとりのプレイヤーが、ある二人の村娘、姉と妹を助けた。

 その理念とは、かつて仲間から受けた恩義の言葉。

 

 

 ──誰かが困っていたら、助けるのは当たり前。

 

 

 彼の働きによって娘たちの生まれ故郷たる村はまるごと救われ、村は彼の援助と友好──村人たちの尊崇と敬意によって成り立つ信頼関係が強固に結ばれる。やがて村は街となり、街はやがて都市となり、都市はやがて城塞を築くまでに発展を遂げた。

 

 そして、その城塞はこの世界に降臨し、この大陸に覇を唱えた絶対者の偉大なる拠点を護る要害として進化を続け、その領土領域を年ごとに拡大。かつて村の近郊に位置していた森や湖もそのまま飲み込んだ都の規模は、九つの城壁を構築する防衛機構……ナザリックの外地領域の代表格として、魔導国の中枢を担う“首都圏”と化した。

 この城塞都市近郊に存在する“第一都市群”と呼びならわされる各専業都市は、主にこの城塞都市への物資搬入と交易、補助、共生……ナザリック地下大墳墓を防衛する絶対防衛ラインを構築する都の機能を支えるものとなっており、この大陸内で最も栄えた場所であると言わざるを得ない。

 

 100年前まで、この辺りは麦畑の香る牧歌的な村だったと、知るものは少ない。

 

 その名残は、都市のそこここに残る記念碑やオブジェ……この国で初の、人間の“外地領域守護者”……御方に臣従を誓いし“血まみれの小鬼(ゴブリン)将軍”と呼ばれ尊ばれた、城塞都市エモットの初代都市長に関する資料や史跡で知ることができるのみ。

 

 ──二人の村娘に治癒薬を差し伸べる死の支配者(オーバーロード)の像。

 ──騎士の襲撃を受け殺された両親と、今は共に眠る姉妹の墓碑。

 ──残忍非道な王国軍の蹂躙に勇敢にも立ち向かう人間(エンリ)亜人(ゴブリン)のレリーフ。

 

 そして、……

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、待って!」

「遅いわよ、イズーッ!」

 

 その少女らは、城塞都市の目抜き通りをひた走る。

 都市の九つある外壁の内、比較的外側に位置する“七番防壁地区”通称・七番街。

 生家から仲良く手を繋いでいたが、気の急いた姉が我先にと駆け始め、三つ違いの妹がついていくことができなくなったのだ。

 

「はやくはやく! せっかく抜け出してきたんだから、ホラ!」

「ほんとうに良かったの? 衛兵(ガード)の皆が困るんじゃ?」

 

 構うことないと大笑する姉は、目立つ赤栗色の髪を男児の帽子のなかにまとめて、自分たちなりの変装術に身を包んでいる。妹もそんな姉と同様、動きやすい衣服に魔法使いのフード付きマント(子供用)で都市ではあまり目立たない恰好を着込んでいた。

 

「いいの!」

 

 妹の不安を払拭するように、姉は可憐な瞳をにっこりと微笑ませる。

 

「こんなチャンス滅多にないんだから!」

 

 二人が目指すのは、この都市の最も外側にある九番城壁。

 そこへたどり着くことが、二人の目標であり、両親や召使や衛兵──家族皆の目をかいくぐって外へ抜け出すための絶対目的であった。

 ……日付が変わる頃。屋敷の皆が、とある御方の係累……王太子殿下や姫殿下などを警護せねばならなかった事情もあったことを、まだ幼い二人には秘されていた事情もあわさって、二人は難なく家を飛び出すことができてしまったのだ。

 

「急がないと見逃しちゃうかも! ほらほら、はやく早く!」

 

 七番街から八番街へ降りる大昇降機が、門を閉ざしかけている。

 すいません乗りますと昇降機に添乗しているエルダーリッチに手を振りながら駆けこんだ。少女二人を乗せて、昇降機の門が閉じる。あとは全自動で下の八番街に下ろされる仕組みだ。走りっぱなしなのにそこまで疲労した様子もなく、姉妹は現状確認に努める。

 

「今、何時?」

 

 妹が懐にある時計を取り出してみる。

 

「えと……6時20分」

 

 なら大丈夫だ。

 アレが現れる予測時間まで、10分ほどの猶予がある。よしよしと頷きながら、姉はマジックアイテムのシューズの調子を確かめるようにつま先をトントンしてみた。魔法の昇降機が八番街に降りきるまでの数十秒を、はやる気持ちを抑えるように待つ。

 

『八番街。八番街に、到着しました』

 

 姉妹は並んで駆けだした。子どもにしてはかなり早く、疲れることのない様子で。

 八番街の目抜き通りも走り抜け、九番街へと至る最後の昇降機に乗り込む。途中にある露店や魔法の劇場、〈水晶の画面〉に映る芸能ニュースや公衆連絡〈伝言(メッセージ)〉用のエルダーリッチなどを素通りして、行き交う魂喰らい(ソウルイーター)の巨大馬車や白銀の魔獣の乗り物に注意しつつ、やっと、目指していた九番街の外縁部……最外壁の南東門あたりに登った。

 見渡せば、姉妹らと同様に見物に訪れたらしい都市住民や愛好家が城壁の広い歩哨を行き交い、彼等の安全を護るように死の騎士(デスナイト)が規制線のテープを握って直立していた。

 確信する。

 今日こそ、アレを目にすることができると。

 

「行こう、イズ!」

 

 頷く妹の手を引いて、一番見晴らしのよさそうな場所に陣取ろうと走り回る。

 時間も頃合いという時、見物人で構築された人垣が歓声をあげ始めた。

 ついに。

 待ち望んだ瞬間が訪れる。

 姉妹が固唾を飲んで見守る先に、白い濃厚な乳白色の靄……霧が立ち込め始める。

 奇妙なことに水の匂いまで顕著になり始めた。海で生じるものよりも濃すぎる霧が、一帯を包む。

〈遠隔視〉や〈透視〉などはまだまだ勉強中の姉妹は、お小遣いで購入した視力向上用の眼鏡をかけて、その霧を引き連れて現れるものを、確実に視野に収める。

 

「来た、来た、来た!」

 

 しきりに頷く妹と寄り添いながら、少女は霧の奥から見える影の輪郭を捉えた。

 

「すっごーい!」

「おっきいー!」

 

 姉妹は感動に身を震わせた。

 彼女らの周囲の人々も似たり寄ったりな反応で、その威容に魅入る。

 聞いて知っている幽霊船を、己の両目にしっかりと焼き付ける姉妹。白霧に包まれるアインズ・ウール・ゴウンの所有物……100年前よりこの区域を警邏巡航するアンデッドの帆船の姿を前に、少女二人は仲良く手を叩いて、感動を分かち合った。

 

 厚い霧のベールを引き連れた、(おか)を進む──ガレアス船。

 

 魔導国の紋章旗を掲げる幽霊船は、朽ち果てボロボロな様こそが己の(いさお)であるかのごとく。

 何の用もなしていないほどにズタズタの横帆を風に流し、最後尾の縦帆も不気味に千切れた古雑巾のありさまだが、その巨大な質量は確かに「陸上を“帆走”」している。太く長い(オール)が両舷から突き出て、それはまるで大海の荒波を漕ぎゆく勇壮な音色を奏で、大穴の開いた船体が軋みをあげていた。船底が地上一メートルほどの高さを浮遊航行するらしい幽霊船の甲板は、都市最外壁の歩哨と目線の高さが同じになる程の大きさであり、その甲板上に“生きた船員”が誰一人存在しない事実を見せつけてくれる。

 半砕している操舵輪が絶妙な角度で揺れ動き、幽霊船が城壁のギリギリのところを行くよう、巧みに操船している様は、もはやなんとも言えない。

 ……そこに佇む幽霊船の「船長」に対し、見物人たちが喝采と賞美の声を送ると、彼(あるいは彼女)は崩れ朽ちたキャプテン帽をつまんでお辞儀をして見せた。実にサービス精神旺盛なアンデッドである。

 そうして、城塞都市エモット付近の不定期巡航を終えた幽霊船は、カッツェ方面へと帰還するルートに舵を取った。

 あれほど濃厚な霧が見る内に晴れ渡っていき、内陸部である都市にはありえないほど濃密な水の気配は完全に絶えてしまう。

 

「……すごいなぁ」

「……感動しちゃった」

 

 無論、幽霊船が平野を行く光景は、上の街区でも霧の霞んだ先に視認はできるが、遠くから小さく見える構造物を眺めるのと、これほどの近場で巨大なそれを眺めるのを一緒くたに考えることは出来ない。

 ──100年前。

 カッツェ平野を掌握した偉大な御方が支配下においたという伝説の通りに存在する幽霊船。

 

「やっぱりすごいなぁ、アインズ様は」

 

 姉の独言(ひとりごと)に頷く妹。

 少女らはは興奮冷めやらぬ調子で、白い霧に包まれた幽霊船の航跡を目で追った。

 ただし、いつまでも悠長にはしていられない。

 

「じゃあ戻るわよ、イズ!」

「──うん。お姉ちゃん!」

 

 姉妹は家路を急いだ。魔法の眼鏡をポケットにしまう。

 何しろ家の者には内緒で、無理を通して幽霊船の出現予想時刻に都市外縁に馳せ参じていたのだ。幽霊船の出現頻度はまちまちな為、よほどの腕利きの情報通でもない限り──あるいは占術などの魔法関連にそれなりの理解がないと、正確な出現予測は確保できない。ちなみにだが、彼女たちはもっぱら後者である。

 城壁を駆け下り、先ほどの幽霊船の余韻を噛み締めるように談笑する二人は、少しばかりよそ見をしていた。

 南東門より入ってきた通行人とぶつかってしまう。

 

「わっ!」

「お姉ちゃん?!」

「ぃった~……ご、ごめんなさ……?」

 

 姉は見上げた黒い男の姿を凝視する。

 

「ああ、いや。こちらこそ、すまない」

 

 身なりは普通のローブの下に、魔導国臣民にはごく当たり前な衣服を身に帯びているが、その気配に慄然(りつぜん)としてしまう。

 浅黒い肌に黒曜石のような髪色は、種々様々な人間種や亜人種が入り混じる魔導国ではそこまで珍しい造形とは見なされない。闇妖精(ダークエルフ)と南方の人間の混血と言われれば納得もいくだろう。

 問題は、その雰囲気。

 印象に残るのは、覗き込んでくる、その眼だ。

 日々を苦悩と慟哭に明け暮れたかのように怪悪な、悪役道化(ピエロ)の化粧よりも(おぞ)ましく目元を飾る(くま)。深海から引き上げられて死んだ魚よりも黒く濁る瞳は、見る者の背筋に氷の針がすべるような感覚を想起させる怖気(おぞけ)に溢れていた

 一言で言えば、あまりにも醜い。

 もっと言えば、おどろおどろしい。

 アンデッドなどの学園や都市内で見慣れたモンスターとは違う、人間の肉体を痛苦と辛酸で歪め捩れ崩したかのような男の様相が、至近で見るものに根源的な忌避感を抱かせる何かを発露していたのだ。そんなものがニタリと笑い、口を繊月のように薄くつり上げる様は、悪の化身か何かにしか思えない。

 少女ら二人は同時に、喉が引きつるような声で泣き出しそうになる。

 だが、

 

「何をしてやがるんです?」

 

 男の隣に並ぶ女性を見ただけで、その時に感じた感情の一切を亡失してしまう。

 何か神聖なものを、お日様の光のようなものを感じさせられて、恐れなどの感情が霧散してしまう。

 

「お急ぎを。ここでグズグズしている時間は」

「わかっているって」

 

 頷く黒い男と同様に、魔導国で一般的な衣服……ローブを身に着ける女性は、まさに輝かんばかりの、希望の光に満ち満ちていた。

 黄金の長髪をフードで覆うものの、陽光よりも眩しく煌く彩を隠しきれていない。見るものを男女問わず魅了する美貌は、不機嫌な感情で(かす)かながらに歪んでいたが、それすらも女神のごとく耽美な至福を見る者すべてに与え施す……一幅(いっぷく)の宗教画めいた感動をもたらすのだ。

 女性が両腕に抱くのは、彼女の子どもだろうか。女性と同じ髪色を額のあたりに一房だけ垂らしているのが見てわかる。赤子は薄布に全身をくるまれ、実にあどけない天使のような寝顔で、清廉かつ神聖な女神の腕の中で眠りこけているさまが実に可愛らしい。思わず抱きしめたくなるほどに、その赤ん坊も清澄かつ穢れを知らぬ様子であった。

 ……三者に共通しているのは、魔法の装備品であろう色も形状も違う「輪」があるところくらいか。

 

「大丈夫か、お嬢ちゃん?」

「…………ぇ、あっ、はい」

 

 怪奇な男と麗雅な女。

 実にちぐはぐで不釣り合いとも言える男女に対して、尻もちをついていた少女は差し出された手を取ることに迷いがない。

 

「すいません。こちらの不注意でした」

「いや。こっちもすまない……うん」

 

 互いに礼と節を尽くす少女と男。

 ふと、男が何か気がついたように首を傾げる。

 まさかと思いつつ、少女は自分の正体を隠匿する魔法のアイテムを提げた胸元を探った。

 

「つかぬことを聞きたいんだが」

「は……はい、何でしょうか?」

 

 黒い男は人間のそれとは異なって見える瞳で、人間としか思えない声色のまま、真摯(しんし)(たず)ねる。

 

「実は、この都市の中心に行きたいんだが。道はこの通りを行けばいいんだよな?」

「中心って──エモット城のことでしょうか?」

 

 頷く男。

 少女は少しだけ考えて、ひとつだけ確かめておく。

 

「お困り、なんですか?」

「おこまり?」

「お困りであれば、助ける……ええと『誰かが困っていたら、助けるのが当たり前』というのが、我が家の家訓というか……ひいひいおばあさまが、この世界で最も尊い方から戴いた訓示ですので」

 

 ノブリス・オブリージュです。

 端的な布告に再度頷く男に、少女は年齢以上に見える優雅な笑みで応じる。

 

「ええ。中心の城塞は、目抜き通りをまっすぐ行けば、すぐだと思います」

 

 というか。自分たち姉妹は中心地の一番街からやってきたのだ。

 魔法のシューズを装備しているとはいえ、子供の足でも一時間かそこらで到達可能な、とてもわかりやすい区画整理が施されている。

 しかし、そんな常識に対し疑義を提示されるのは予想だにしていなかった。

 

「……『絶対防衛』を謳う要害で、中心へ行くのに『まっすぐ』でありますか?」

 

 先ほどから奇妙な語り口をする黄金の女性を、少女はまっすぐ見つめる。

 

「ええ。まぁ。平時のときは、そうです」

「平時のとき?」

 

 男の疑問符に、少女は応じる。

 

「私は実際に見たことがあ──あー、というか、ほとんどの都市住民が見たことないでしょうけど──この城塞都市は、敵の不意な侵攻があった際、街を防衛戦仕様に変形する機能があるんですよ」

「……へぇ?」

 

 興味深そうに声をこぼす男。

 少女は己の出自から、そういう情報に恵まれて育っていた。

 

 城という建造物がそうであるように、通常の城塞都市は、街の外観や美観を重視するのではなく、あくまで侵攻してくる敵軍を、いかに長く大量に塞ぎ止めておくかの機能に特化する傾向にある。押し寄せる敵を跳ね返す壁や堀は勿論、都市内部も複雑な迷路や罠、衛兵詰所に物見櫓などの要所を配置し、迫り来る敵の脅威から、どれだけ城の主を護るかの工夫ないしは工作が随所に張り巡らされるものである。

 だというのに、この城塞都市は円周を築く最外壁にある八つの門から、都市中心の城・エモット城まで、ほぼ一本道で到達可能。俯瞰図で言えば、巨大なドーナツ、もしくはバームクーヘン状に構築された都市に、八本の放射線が走っているようなありさまと言える。見る者が見ればあまりにも美しい都市の俯瞰に惚れ惚れとするだろう美しさで、城という高所から見た眺めは格別の一言だ。……それも、御方々が創造した、城塞都市の守護対象たるもの……ナザリックに比べれば、まだ常識の範疇に収まるレベルにすぎない。

 

 ありていにいえば、現状この絶対防衛城塞都市は、敵が攻め寄せれば確実かつ簡単に中枢にまで進めそうな構造なわけだ。

 しかし、それはあくまで“平時のとき”。

 少女の言う通り、有事の際には都市は円周構造であることを最大限利用した変形機能を発揮。瞬きの内に整理された区画は迷宮の(よそお)いに変貌を遂げる──というが、ここ数十年で実際にそういった機能が発動した事例は存在しない。

 だが、少女は御方や、その御一家からの覚えが良い血筋である為、特別にそのシミュレーションを拝謁する機会に恵まれていたのだ。

 

「魔法の昇降機でそれなりの高低差……都市中心に行けば行くほど高くなる城壁、大階段の構造を踏破する必要はありますが……そもそも100年前の建造方式や魔法技術だと実現不可能な都市構造ですからね。城塞都市地下のトラップ機能が全解放されれば、事実上、この都市だけで十年は戦い続けられるとかなんとか」

「……随分と詳しいんだな。その年齢(とし)で?」

 

 しまった。

 妹が「駄目だよ」と声をかける。

 少女は気前よく都市の情報を話してしまったが、別にこの程度のことは歴史の授業で習う程度の常識である。

 まずいのは、この年齢で都市構造だけでなく都市の防衛機能そのものに理解を示し、それを他者に教授できる言い方だ。

 幼年学校卒業くらいの年齢で、そこまでの理解力を示す才媛など、都市で数えることが容易なほどしか存在していないだろう。

 自分たち姉妹の正体が露見するのは、実におもしろくない結果を生む。

 

「ええと……う、ウチの親がそういう職業でして?」

 

 苦しい言い訳。

 男は首を傾げるが、それ以上の追及は控えてくれる。

「まぁ、いいや」と軽い口調で、少女らの言われたとおりの道を目指すことに専念する。

 

「教えてくれて、ありがとな」

「……どうも」

 

 連れ添い並んで都市の中心へ進む男女を、そして、黄金の女性の腕に抱かれる赤子が微笑むと同時に親指を突き上げたような仕草を──いや、たぶん錯覚じゃないかな──、姉妹は黙って見送った。

 

「なんだったんだろ……あの、人? たち?」

「……さぁ?」

 

 

 

 

 

 少女らの名前は、

 姉がアン・エモット、

 妹がイズ・エモット。

 

 御方より特別な許可を得て賜った名前の持ち主たる二人は、この都市で有数の、『バレアレ』や『ビョルケンヘイム』、『エル=ニクス』などと並び称される名家の生まれ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンその人が100年前より世話をし続けた──その分、重要な役職“都市管理者”を与えているがために、都市の名を戴く家を継ぐ者──(のち)の魔導国に貢献する子供らにも英才教育として与えられた知識と才覚を誇る少女たちは、自分たちがどれほど貴重な邂逅を果たしたのか、この時はまだ、まるで気がついていなかった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少しだけ(さかのぼ)る。

 

 

 

 

 

 カワウソは夢を見ていた。

 しかし、その夢は、今までの黒いばかりの悪夢とは違う。

 カワウソがいるのは、黒い澱の底ではなく、拠点の屋敷の、自分の私室。

 世界に色が付き、唯一、あの悪夢を想起させる要因は、目の前に佇む──漆黒の影だけ。

 影とカワウソは旧知の友であるかの如く、卓を囲んで腰を落ち着けていた。

 

「行くのか」

 

 そうダイニングテーブル越しに問いかけてくる何者かに、カワウソは頷く。

 いったい、どこへ。

 そう問いかけるまでもなく、両者とも己の目指す場所は理解し尽している。

 影は今一度だけ確かめた。

 

「本当に、いくのか」

 

 カワウソは、自分の望みを果たし、仲間たちとの約束を守る。

 その一念だけで、ここまでやってきた。

 

「そうか」

 

 一度、満足げに頷く影法師。

 

「いいね。その狂いっぷりは。それでこそ、──ああ、それでこそ(・・・・・)だ」

 

 黒一色に染まった堕天使の影は、楽しんでいるらしく肩を震わせていた。組み合わせた黒い両手の下で、微笑む形に歪んだ、罅割(ひびわ)れ壊れた赤い三日月がケタケタと(わら)っている。

 

「せいぜい頑張れよ──カワウソ。……いや、“    ”……」

 

 言われなくても。

 そんな鋼の意志を了解しているかのように、黒い影は質感を薄め、灰色の残骸と化してカワウソの足元──影の中に溶けていった。

 悲壮も悲嘆も感じない。

 ただ、得体の知れない充足感が、カワウソの全身を包み込んでくれる。

 堕天使は立ち上がり、自分がゲームで創り上げた景色──ギルド拠点の一室──これからの戦いで失われることになるだろう光景を、眺める。

 窓の外に広がる青と蒼。吹き抜ける潮風に、白いレースカーテンがはためき踊る。

 まるで天国にいるような夢心地を覚える。

 そして、聞く。

 祈りを捧げるような、澄み切った空を想わせる女の声に……呼ばれる。

 

 

 

 

 

『  カワウソ様  』

 

 

 

 

 

 そこで目が覚めた。

 夢で振り返る前に覚醒した意識で、ベッドの上から跳ね起きる。

 ギルド長の私室には当然、誰もいない。

 あの影も。

 あの声も。

 

「──」

 

 窓の外の景色は、払暁の薄明かりの気配すらない。あの鮮やかな青と蒼には、まだ早い。

 時刻を確認。出撃まで三時間も早い時間だったが、久しぶりに夢見が悪いという感じではないため、気力も体力も十分に回復できた。心持(こころもち)、全身が軽くなっているような、爽快な目覚め。

 カワウソは身支度を整える。

 顔を洗い、歯を磨いて、黒い寝間着を脱ぎ捨て、自分の用意できる最高級装備──神器級(ゴッズ)アイテムに代表される品々に身を包む。

 黒い鎧“欲望(ディザイア)”、聖剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”、魔剣“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”、足甲“第二天(ラキア)”、首飾り(ネックレス)第五天(マティ)外衣(マント)竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)”。

 他にも、全身を飾る種々様々な効能を発揮するアイテム──指輪や腕輪、腰の鉄鎖(レーディング)など。

 ステータス画面などは確認できない──ゲームとは違うこの世界で、それをしようと思うと専門の魔法を発動するか、ギルドの中枢である祭壇の間でマスターソースを開いてギルド構成員リストを確認せねばならない──が、ちゃんと堕天使の身体能力が向上していくのが実感できる。

 そして、

 頭上に浮かぶ赤黒い円環──世界級(ワールド)アイテムを手にとる。

『敗者の烙印』保有者……“復讐者(アベンジャー)”を極めたカワウソにのみ扱うことを許された、落伍者のための道具(アイテム)

 ──そして、アイテムボックスの『あるもの』を、ガラクタのようなそれを、取り出す。

 

「うん」

 

 準備は整っている。

 万端とまではいかずとも、今の自分に用意できるものは、確実にすべて揃えることができた。

 

「よし」

 

 少し早いが、最後に屋敷を巡っておこうと、部屋の外に出るべく扉を開けた。

 

「おはようございます」

「ぅおう……!?」

 

 完全に意表を突かれ()()るカワウソ。

 この時間はシフト上、メイドの扉番はいない。

 そして、彼女は屋敷のメイドでは断じてない。

 

「……ミカ……驚かすなよ」

「? 申し訳ございません」

 

 納得いかないように首を傾ぐ女天使に対し、カワウソは脱力するように肩を落とす。

 そして、気づく。

 

「……いつから、ここにいた?」

「と、いいますと?」

 

 ミカに扉番を任せた覚えが、カワウソにはない。

 にも関わらず、こんな早い時間に、夜も明けきらぬうちに、ギルド長の部屋の前にいるというのはどういうことか。

 

「……ちゃんと休んだんだろうな?」

「もちろん」

「じゃあ。なんでこんな時間に、こんな場所に?」

 

 当然の疑問に対して、天使は軽く肩を竦めた。

 

「御自分で創造されたくせに、お忘れですか? 私の特殊技術(スキル)“天使の祝福”で、同族である天使の位置は手にとるようにわかります。なので、堕天使のカワウソ様が動かれれば、それで御起床なされたことは把握できますので」

「あ……あー、なるほど」

 

 ミカに与えた屋敷の私室は、カワウソの部屋の半分ほどの規模であるが、同じ二階に存在している。

 カワウソが起きたことを察知し、部屋の前で待機するだけの距離的余裕は十分。

 屋敷の防衛任務に就くミカだからこそ、主人の起床に合わせて行動するのは当然な行為だったようだ。

 

「それなら、ミカ。外へ通じる鏡の警護役の動像獣たちを除く、防衛部隊の全員を円卓の間に集めろ」

「すでに集まっております」

「……なに?」

 

 カワウソは驚いた。

 

「本日の決戦を前に、皆、戦気に満ち溢れております。昨日いっぱい、御下命通り休息を頂戴し、日付が変わる頃には、全員で作戦の再考察と再審議を続けておりました。おかげで、何らかの不測の事態にも、皆十分に対応可能な状態になっているはず」

「……」

 

 勝手な真似をして、などとは微塵も思わない。

 シモベ(NPC)たちの意識の高さ──あのナザリック地下大墳墓──アインズ・ウール・ゴウンとの戦いに臨む姿勢が貫徹していることがわかって、堕天使は頬が緩むのをおさえられない。手で抑えておかないと、馬鹿みたいに大笑いしかねない高揚感を覚える。

 

「……そうか」

 

 頷く女天使に、カワウソは誠心誠意の感謝を送る。

 そして、自分のような馬鹿なプレイヤーと共に戦ってくれる存在(NPC)たちに、万謝の限りを尽くす。

 

「ありがとう──」

 

 たった一言では言い表しきれぬ感動を込めて、女天使の頭を撫でていた。

 対するミカは驚愕から空色の瞳を見開き、痺れたように硬直してしまう。

 熾天使の頭上に浮かび回る光の輪が、興奮にか驚愕にか、輝きを増した。

 

 ──わかっている。

 

 嫌いな主からこんなことをされても、嫌悪感が強まるだけかもしれない。

 自分が生み出したものを犠牲にする自身の愚かさに、心が塞がっていく。

 そんな創造主に仕えるミカ達を憐れみ慈しむ権利など、自分(カワウソ)には、ない。

 

 だが、それでも、カワウソはミカに対し、そうせずにはいられなかった。

 

 これが、彼女との、ミカとの最後のふれあいになるだろうと思うと……。

 

「……行こう、ミカ」

 

 それでも。

 カワウソは前に進む。

 正真正銘、最後の作戦会議が行われる。

 あたたかな黄金の手触りを、カワウソは僅かな逡巡と共に手放して。

 

「……どうした?」

 

 疑念と共に振り返ったのは、硬直しっぱなしの熾天使を(いぶか)しんだが為。

 ミカは両手で、軽く頭を触れるようにしていた──堕天使に撫でられた部分の乱れた髪を直しているのだろう──が、すぐに手を下ろす。

 

「な……なんでもありやがりません。行きましょう」

「ああ、行こう」

 

 カワウソは進み続ける。

 ナザリック地下大墳墓……それを擁する異世界の城塞都市……エモットを目指して、

 天使の澱は躍進する。

 

 

 

 

 

  ──終わりの時は確実に、彼等のもとに訪れようとしている。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 同時刻。

 未だ夜明けには程遠い、ナザリック地下大墳墓。その第九階層にて。

 

「うむ……よし。では、城塞都市(エモット)の警備レベルは通常通りに。……ああ、“お客”をもてなす準備は万端整っている」

 

 アインズは、来たる戦いに向けて、寝食や休息など忘れて──アンデッドなのでもともと不要だが──作業に没頭し尽した。

 

「ああ。彼等の最後の誘導は任せる──頼んだぞ、ツアー」

 

 この異世界で得られた盟友との魔法の繋がり(ホットライン)が断たれる。

 彼との専用回線を結ぶゴーレム端末を机に置いて、一息つく。

 関係部署に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、コキュートスやデミウルゴスなどに軍や政治機関の手配を命じ、シャルティアやアウラが表層の平原にいるアインズ達謹製のアンデッド軍の再整備を何度も繰り返し、マーレやセバスはナザリック内の点検と確認に勤しみ、魔導国の政務代行中のパンドラズ・アクターも伴侶と共に宝物殿へ帰還し、さらに、各領域守護者や全シモベたち────各都市に避難させる人員のことなど、アインズ・ウール・ゴウンが成すべきことはすべて終着していると言える。

 執務室で共に最後の確認業務にあたってくれる大宰相、“元”守護者統括たる女悪魔──アルベドと共に、すべての準備を整え終え、その最終確認も完全に滞りなく終了。

 あとは、“お客”が来るのを待つばかりである。

 アインズは悪戯っ子めいた調子で、傍に立つ王妃の笑顔に問うてみる。

 

「一応。カッツェの幽霊船も呼び寄せてみたが──はてさて、驚いてくれるかな、彼は?」

「確実に。連中はアインズ様の偉大さを思い知るかと」

 

 にこやかに肯定してくれるアルベドだが、アインズはそこまで期待はしていない。

 彼と呼んだプレイヤーの驚くさまを思い浮かべるが、いまさらその程度のことで、彼が復讐を──敵対関係をやめるはずはないと了解している。

 幽霊船を呼んだのは、あくまで軽い示威行為と、船長に与えた警戒任務の一環に過ぎない。やらないよりはマシ程度の感慨だが、少しでも“敵”の気勢を削ぐのに役立てば御の字だろう。

 黒革の椅子に身を預けると、艶然と微笑む悪魔の美貌に覗き込まれる。

 アインズはこの100年で慣れ切っていた「家族」のスキンシップを施す。

 女の紅薔薇に輝く頬に骨の手指を伸ばし、宝石を扱うように丁重な仕草で、愛する妻の笑みを労わるように撫でてみる。

 アルベドはされるがまま、夫たる至高の主人の指先と戯れるように、自分の両の手で骨の指を包み込んで離さない。

 そして、アルベドはひとつの疑問をこぼす。

 

「……本当に、よろしかったのですか?」

「何がだ、アルベド? プレイヤーたる彼──カワウソたちと戦うことか?」

 

 それもですがと、アルベドは真剣な眼差しで、“妻”ではなく“NPC”としての意見を具申する。

 

「私たちの嫡子たるユウゴたち、あの子たちの“出撃志願を『棄却』された”のは」

「構わない」

 

 アインズは既に、厳命を下しておいた。

 

「ユウゴたち──我等ナザリックの産んだ、正真正銘の“子どもたち”は……今回の件には、関係ない」

 

 (いわ)く「混血種たる我が子たちには、今回の“天使の澱”との戦闘には、ほとんど参与させない」と。

 そういう命令を通達しておいた。

 

「ですが。皆があんなにも、アインズ様の為に働きたい・戦いたいという意志を表明されたのに」

「『だからこそ』だ」

 

 我が子たちの忠節と忠誠は、ナザリック地下大墳墓の拠点NPCに並ぶほど高い。父や母たちの尊ぶ存在への信奉の心──NPCの“子”であるが故かの遺伝的とも言えるほどに苛烈な尊崇の一念は、アインズが想定していた以上のものがあった。

 それは疑う余地のない事実であるが、だからこそ、アインズはそんな我が子たちを、今回の戦いから遠ざけることを決定した。

 王太子の“母”たるアルベドをはじめ、子どもたちの親となったNPCたちにとって、彼ら彼女らを「参戦させない」という至高の御身の決定は、最初こそ異論が噴出していた。連中と深く関わりをもったマルコをはじめ、混血種の子どもらは戦う気概に満ち満ちており、主人の断固とした命令内容に、当初は納得を得ることが難しかった。

 だが、アインズは決定を覆すことはなかった。

 

「今回の戦いは、私の、……(いや)、“アインズ・ウール・ゴウン”の負の遺産とも言うべきもの──カワウソというプレイヤーが、あの第八階層“荒野”への復讐を企てる存在である以上、これは、俺たちだけの問題だと言える」

 

 かつて、このナザリック地下大墳墓を造り上げ、存在していたギルドメンバー、四十一人。

 その中で、サービス終了の時まで、ナザリックを護り続けたギルド長・モモンガ。

 

 そして、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの拠点に侵攻してきた1500人からなる討伐隊。

 その中で、あの第八階層への復讐を誓い、戦い続けた堕天使プレイヤー・カワウソ。

 

 ……この戦いは、言わば、アインズ・ウール・ゴウンが生み出した遺恨から端を発したもの。

 であれば。

 この異世界で生まれた、ナザリック地下大墳墓の、NPCたちの子どもたちには、関係のない戦いに他ならない。

 

「できれば。万が一に備え、ナザリック地下大墳墓からも、全員退避させておきたかったくらいだが」

 

 当然ながら、これにも反対意見が多かった。

 100年をかけて営々と準備してきたアインズの戦力……混血児たちは、一部には十分にシモベたちと同等の戦闘力を保持しているものも存在している。そうなることを期待して、才能を伸ばし、力を蓄えさせ、数値的なレベルアップを望めないNPCに代わって、ナザリックの戦力増強計画として生み育んできた混血児たちをナザリックから追い出すかのごとく退避するなど、誰の目にも奇異な判断に思われた。

 

 だが、やはり、アインズは優しかった。

 

 子が「親への怨恨」に巻き込まれるなど笑止千万。

 親の不始末を子に押し付ける行為は、アインズにはまったく許容できない。

 混血児(ハーフ)の我が子たちは、今回の戦いには直接参入させる気概は、もはや完全に尽きている。

 

 これがもっと別の戦いであれば、ナザリックの全戦力……NPCの子どもたちも十分に活用することを決定しただろう。

 しかし。

 相手は、ユグドラシル時代からの因縁をもって現れたプレイヤー。

 あの“第八階層への復讐”を遂行せんと欲する堕天使と、その配下たるNPCたち。

 

「確認するが──子どもたちの避難状況は?」

「城塞都市・エモットをはじめ、各第一都市群への避難は、完全に終了しております」

 

 ナザリックに残っているのは、件のギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と深く関わっていた新星・戦闘メイドの統括にして、竜人(セバス)人間(ツアレ)の実の娘──マルコ・チャンだけだ。彼女は転移当初のカワウソたちの水先案内人を務め、その任務で親交を結んだ唯一の混血児。彼女の堅い意志は、今回の件に最初に動員されたことも影響しているだろうが、自分(マルコ)がカワウソ達を導き“損ねた”──己の不手際であると信じ抜いている。その姿勢に、アインズですら「特例」として、マルコを決戦の際にナザリックに残留することを、了承するしかなかった。

 そうして、アインズ・ウール・ゴウン魔導王としての絶対強権を行使して、子どもたちのほとんど全員をはじめ、その他ナザリック内に招かれた魔導国の民──ナザリックに絶対忠誠を誓う一等臣民や、傘下入りした異形の種族なども、昨日の時点でナザリック地下大墳墓の外に避難済み。

 一応の任務として、子どもらには『ギルド:天使の澱以外に、100年後の魔導国に潜伏しているやもしれないユグドラシルの存在を警戒せよ』と命じておくことで、全員を納得させることができた。

 

「うん。万が一、億が一……京が一にも、この俺、アインズ・ウール・ゴウンが“敗北した”際の事後処理も、外に避難させた皆に任せておけば、安泰だ」

 

 そう。

 アインズは自分が圧倒的強者であるとは思っていない。

 いつか、アインズ・ウール・ゴウン以上の、強大な難敵が到来する可能性を、100年前から常に思考し続けていた。

 そして、自分が敗れ、死んだ“後”のことも。

 

「王太子……俺たちの息子であるユウゴに後事を任せておけば、とりあえず国の混乱は最小限に抑えられる」

 

 いかに強大な敵でも、ナザリック地下大墳墓の有する戦力に対し、無傷で完封勝利できる可能性は極めて低い。

 そうして、戦いの果てに疲弊し尽した敵を処理するだけの戦力が、魔導国には確実に蓄積されているし、“白金の竜王”ツアーの助力も期待できる。アインズ・ウール・ゴウン……モモンガが本当に死んでも、それを復活蘇生させるだけの備えを、我が子とツアーには保持させている。死ぬことへの恐怖など、アンデッドの自分には一片も備わっていない。プレイヤーの蘇生実験は実際には未だできていないが、プレイヤーを知るツアーの話によれば「可能である」と聞いている(が、実際に蘇生の瞬間をアインズ達が確認したわけでないのだ)。100年前の聖王国で行った、避難訓練じみたアインズの“死亡訓練”も、きっと生かされることになるだろう。

 そうして、悠々と敗北から復活を果たしたアインズが、魔導国軍とナザリックの子供らを率いて、ナザリックの敵を誅戮(ちゅうりく)すれば、それで万事解決……という筋書きである。

 だからこそ。

 アインズは絶対に信頼がおける息子(ユウゴ)盟友(ツアー)に、後事を託すのだ。

 全員でナザリックに引き籠って、魔導国の枢軸を担うもの“すべて”が死に絶え全滅するようなことだけは、絶対に忌避せねばならない。

 故に、アインズは我が子をはじめ、ナザリックの子どもたちを避難させている──というのが表向きの理由なのであった。

 裏にある理由は当然、「自分たちの争いに、我が子たちを巻き込みたくない」という、そんな純粋に過ぎる親心しかない。

 

「……できれば、ナザリックの拠点NPCであるおまえたち……アルベドたちも避難しておいてもらおうかと思ったんだが」

「それだけはなりません。アインズ様」

 

 カワウソたち程度の戦力……Lv.100が13人前後であれば、ナザリックが誇るPOP地獄や金貨消費型の傭兵、悪辣なデストラップや様々に存在するギミック、天使に特効のマイナスなフィールドエフェクトの類でも、掃討することは可能なはず。

 しかし、アルベドをはじめ、皆がそれを了承する筈がなかった。

 まるで母が子を叱るように、あるいは恋人が恋人を諫めるように、女淫魔はきっぱりとアインズの愚かしい言動を拒絶する。

 

「我々は、ナザリック地下大墳墓によって創造されたNPC。この拠点を落とされるようなことは(けい)が一、(がい)が一にもありえないとしても、この素晴らしき拠点を防衛する任を遂行することが、私共の生来の役割にして絶対の本能……それを果たせないようなシモベなど生きている価値すら」

「わかっている。わかっているとも、アルベド」

 

 手をあげ、自分でも馬鹿なことを言ったと反省するアインズに、アルベドは可愛らしい膨れっ面をにこやかに緩ませる。

 

「しかし……私のような不束者が、このようなことを言っても何の得心も得られないでしょうが」

「何を言う、アルベド」

 

 今度はアインズの方が、アルベドの方を叱りつけた。

 

「おまえがそのような弱気でいる理由など存在しない。言っているだろう。あの“事件”の時にも──」

 

 アルベドは観念したかのように首を振った。わかっていますと告げる黄金の瞳。そんな女悪魔の弱々しいさまを──すべてを包み込むべく、アインズは女悪魔の頭を己の胸骨へと抱き寄せ、黒髪を撫でつける。

 親が子にするそれではなく、男が女に対する愛情のまま、しばしの時を過ごす。

 

「…………」

「────」

 

 二人だけに聞こえる睦言(むつごと)(ささや)き交わし、接吻も落とせるだろう距離感で、互いの想いを確かめ合う。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

「気にするな」

 

 大宰相にして最王妃──アルベドが、“元”守護者統括がこぼしかける涙を、アインズはいつかの時のように優しく拭う。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない」

「はい」

「ナザリック地下大墳墓の最高支配者とお前たちが呼ぶ存在が伊達(だて)ではないことを」

「すでに十分、お教えいただいております」

 

 アインズは微笑む。アルベドも応えるように、笑みの花を咲かせてくれる。

 

「我が杖……スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの模造品(レプリカ)は?」

「鍛冶長によって念入りに整備を完了しております」

 

 ツアーとの連絡でも言っておいた。準備は万端に整っている。

 

「……第八階層の“あれら”や、ルベドの様子は?」

「奴らの拠点を監視している“あれ”も含めた全員、問題なく起動しております。場合によっては、ナザリック表層にあげ、迎撃にあたらせることも可能でございます」

「うん。オーレオール・オメガは、どうだ?」

「ご安心を。彼女の“指揮”の方も、まったく問題ありません。それに加え、ニニャと、ギルド武器の防衛状況にも、一切不備はございません」

 

 アインズは満足げに頷く。

 ナザリックの防備は完全無欠。

 第八階層、その桜花聖域に安置された(ニニャ)の安否は勿論重要だが、それと同時に、戦闘メイド(プレイアデス)の末妹たる彼女が護る“本物のギルド武器”さえ無事であれば、最も危惧すべき「ナザリックの支配権限の奪略」などは不可能。事実上、現在侵攻不可能……封印され続けている第八階層が、……もっと言えばオーレオールが守護する桜花聖域が無事であれば、ナザリックにどれだけの被害が生じようとも、100年の蓄財を終えたアインズ達であれば、敵との戦闘被害は容易にすべてを修復可能。ギルド武器による「ギルド支配権」の話は、ツアーからもたらされた信頼できる情報……彼が掌握することになった、あの斬ることに全く向いていない形状のギルド武器を、ツアーを保護し養育した八欲王の生き残りである一人の“王”が死ぬ間際に、竜王である彼へ正当な手段で支配権限ごと委託された過去があったのだ。

 ユグドラシルにおいて機能していた“システム・アリアドネ”──拠点ダンジョン内のスタートからゴールまでを一直線に結ぶゲームの仕様も、「ギルド武器の安置場所」については特に制定や規約はない。あのシステムはあくまで入口から終点までを明確にするシステムであり、ギルド最大の弱点=ギルド武器を敵にさらすリスクを強要するものではなかった。でなければ、アインズ・ウール・ゴウンの第九階層「円卓の間」に飾ることは不可能だったはず。

 

「いよいよだな」

 

 そう。

 ナザリック地下大墳墓も、すでに戦いの準備は完了している。

 沸き立つ興奮や焦燥に似た感情が、アンデッドの特性によって鎮静化するほど、アインズの感情は高ぶりつつある。

 

「すべては今日──あと数時間で、終わる」

 

 アインズは待ち続ける。

 己の敵となった馬鹿なプレイヤーを、ナザリックへと侵攻する愚か者たちを、歓迎するかの如く待ちわびる。

 

 

 

 

 

   ──決戦の時まで、六時間をきっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※注意※
 この作品は二次創作です。
 独自解釈や独自設定が登場しますので、あらかじめご了承ください。

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