オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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第六章 白金の竜王 最終回


欲望と希望 -2

/Platinum Dragonlord …vol.09

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭壇の間を後にしたカワウソとミカは、連れ立って玄関広場(エントランス)へ。

 そして玄関の扉を開け、屋敷の外に赴き、船着場の桟橋を歩く。

 見渡す黒い水平線の彼方まで星空が広がり、潮の香りが心地よく堕天使の鼻腔をくすぐってくれる。

 

「そういえば、この世界で、第四の屋敷の外に出るのは、はじめてだな」

 

 今更なことだが、それも致し方ない。カワウソにはそんな時間的猶予も、精神的なゆとりも、何も存在していなかった。

 サービス終了の日にいきなり異世界に転移され、わけもわからず混乱しながら、この世界の情報を集めようと動き、そうして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という存在を、知った。

 知ってしまってからは、目まぐるしく流転(るてん)する状況に、対応を余儀なくされる日々。

 そうして、カワウソは「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”」となった。

 

「ミカは、屋敷の外に出たことはあるか?」

「こちらの世界に転移してからは、一度も」

 

 それ以前にも何度か足を運びはしたが、あくまで第四階層の巡見任務だとミカは主張する。──これは、防衛機能としてのNPCに与えられたプログラム通りの行動に過ぎない。

 吹き抜ける夜風は、やや冷たい。が、不快さを全く感じない程度の冷気で、堕天使の肺を(こころよ)く満たしてくれる。拠点の中とは思えないほど、自然の風が黒い夜着のカワウソを包み込む。

 そして、見上げた拠点の頭上を眺めれば、そこには鮮やかな星の河が流れていた。幾万の金剛石(ダイヤモンド)をちりばめたような輝煌が降り注ぐ。この拠点を作る時、課金して無理やり増設した第四階層は、とある商業ギルドに建造を依頼して、時間経過で朝・昼・夕・夜を再現する偽物の空が広がっている。ちょうど、ナザリック地下大墳墓の第六階層と似たようなものだ。

 

「綺麗だな」

「……そんなに星が珍しいのですか?」

 

 勿論、カワウソが生きていたリアルだと、珍しいなんて言葉で済む代物ではない。

 環境破壊と大気汚染によって、このような自然の情景は、うしなわれて久しい過去のものだ。

 

「綺麗なものは綺麗だからな」

 

 ただ感嘆してしまうカワウソの様子をどう思ったのか、ミカも無言で空を眺める。

 

「兜は、外したらどうだ?」

 

 いくら「敵の急襲を警戒して防御を厚くしている」と言っても、ここは拠点の最終階層。夜空の星を、直の眼で鑑賞する程度の猶予はあるはずだと指摘する。……というか、祭壇の間では外していたのを、カワウソが来る直前に被り直していた気もするのだが。

 

「……御命令とあれば」

 

 ミカは言って、兜を脱ぎ払った。

 何だか久しぶりに見るミカの顔は、少しだけ不機嫌そうな形に歪んでいる。

 それでも、清廉で潔白な、復讐の女神を彷彿とさせる美貌に、生命の躍動めいた感情が浮き彫りになっているようで、言葉にできないほど見蕩(みと)れてしまうものとなっていた。

 

「……何か、私の顔についておりますか?」

「いいや。相変わらず、綺麗な顔だなと思って」

 

 ミカはぎゅっと眉根を寄せた。少しだけ口元を震わせる。

 短く抗弁しかけて、その言葉を噛み締めるように、女天使は唇をキッと引き結んだ。

 さっと頬に朱色が混じって、怒ったように主人を睨み据えるが、美女がやると一種の魅力のようにしか感じられない。

 褒めてやったのだから、そんな反応をされるのは困るのだが、嫌っている創造主に褒められても、いい気はしないのだなと納得しておく。

 

「それで……カワウソ様の望む実験とは?」

 

 カワウソは軽く頷いて、ここに赴いた本題に入る。

 

「ミカは、俺の復讐者(アベンジャー)については、どれほど理解している?」

 

 副官は桟橋の際にある柵にもたれかける主人の特殊なレベルについて、それなりの理解があった。

 

「はい。確か、『敗者の烙印』なる不名誉な証を持つというカワウソ様が、様々な条件を満たしたことによって獲得できたものだと」

 

 そう。ミカは聞いていた。

 ユグドラシル時代、カワウソが気まぐれや仲間のいない寂しさを紛らわすために、屋敷にいるNPCの長たるミカに、独り言感覚で語り聞かせたことが何度かあった。

 

「そういえば、ミカ。おまえは『敗者の烙印』のことを、どう思う?」

「は……見たことがありませんので、私ではなんとも」

「ん──見たことがない?」

 

 奇妙なことを聞いた。

『敗者の烙印』は、あのゲームをプレイしていたカワウソが、このギルドを立ち上げる前の段階──つまり、アインズ・ウール・ゴウンに旧ギルドを崩壊させられた当初から押され続けた、負の遺産だ。

 烙印は赤色の×印としてプレイヤーの頭上に浮かんでおり、それを隠す手段は絶無。カワウソは、自分がギルドを護り切れなかった落伍者の証を浮かべたまま、あのゲームで戦い続けており、NPCたちの前でも特に隠していた記憶はないし、隠す手段すら知らない。

 だがミカはそんな烙印を、創造主の頭上にデカデカと存在していたそれを、「見たことがない」という。

 唐突に、ある仮説が脳内に閃く。

 

「ミカ、──感情(エモーション)アイコンは、知っているか?」

「えも……あいこん?」

「じゃあ、インターフェース、については?」

「……いえ。──何を言ってやがるんです?」

 

 カワウソは頭を掻く。

 おそらくだが、NPCたちはPCであるカワウソが見ていた、ゲームの機能としての諸々は知覚できていない──あるいは、まったく別のものとして認識しているのだろう。

 ミカは、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)無効などの、ごくあたりまえなゲーム仕様を知らなかった。そして、感情(エモーション)アイコンはプレイヤーの真の表情として視覚認知されるもので、時計やマップなどのゲーム内情報のインターフェースの類は、彼女たちの識別圏外の代物(しろもの)だったと仮定すれば、納得がいく。PCとNPCの感じ取れる世界に、微妙な齟齬(そご)があるというのは、これまでの情報で納得がいく現象といえた。

 この異世界に転移したことでなくなった『敗者の烙印』も、広義においてはアイコンなどのそういったゲームシステムや仕様の一種であり、だからこそ、カワウソはそれを消去する手段を持ち得なかった。

 

「まぁ、いい。

 それよりも復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)の概要については?」

「は……確か、習得してすぐのLv.1で────」

 

 ミカは淀みなく、カワウソの有する稀少な能力を、事細かく口にできる。

 かつて、ユグドラシルで“復讐者”の獲得条件を偶然にも満たしたカワウソは、復讐者などの情報を自分なりに研究し、その成果を誰にも話さなかった。明かさなかった。

 代わりに、その研究中に、屋敷にいるNPC──目の前にいる女天使に、独り言のように語って聞かせたことがあったのだ。

 かつての仲間たちを模して造った、自分のNPC──ミカに。

 

「────以上が、私が知り得る、カワウソ様の特殊技術(スキル)でありますが」

「その通りだ」

 

 復讐者(アベンジャー)の能力は、いわゆる「一撃必殺」の特殊技術(スキル)

 

 あの生産都市の地下で。

 アインズ・ウール・ゴウンが生み出したという上位アンデッド部隊を──死の支配者(オーバーロード)の最後の一体が率いるアンデッドの軍勢を、諸共に殺し尽した(チカラ)

 相手がいかに即死の耐性や無効化を有していようと、それを突破し貫通して、対象となるものをすべて“殺戮する”=「憎むべき敵への復讐を遂行すべく、邪魔者を殺し尽くす」ための力だ。

 この能力の即死耐性突破は、あのアインズ・ウール・ゴウン……モモンガが有しているらしい謎のスキルともどこか似ているが、あちらは一戦闘で一度くらいしか発動していないのに対し、こちらは条件さえ整えれば、一日の上限回数なく行使可能である……くそ面倒な“条件さえ整えれば”。ただし、こちらは彼のスキルほどの広範かつ大規模なスキルとは言えない。復讐者はLv.15まで獲得可能で、それだと超広範囲を殲滅可能なようだが、あまりにも使い勝手が悪いため、カワウソはLv.5程度の範囲で十分だと考え、わざわざリビルドした過去がある。

 そして、その「発動条件」について、カワウソは思うところがあった。

 

「だから、ミカに協力してもらいたいわけだが」

(うけたまわ)ります」

 

 説明に対してミカは即答であった。

 そして。

 ……結果だけを言えば、この実験は成功と言えた。

 

「──ありがとうな、ミカ」

「別に。この程度のことで感謝など」

 

 ふてくされるように背中を向けるミカ。

 

「これで、明日の準備は……」

 

 すべて終わった。

 そう、終わったのだ。

 

 明日。

 カワウソは、長年の望みを果たす。

 カワウソ達は、ナザリック地下大墳墓・第八階層攻略に、挑む。

 

 ……冷静に考えれば考えるほど、正気の沙汰ではない。

 

 堕天使は狂気に罹患(りかん)したモンスターだとしても、それ以前に、あのアインズ・ウール・ゴウンに挑戦し続けてきたプレイヤーとしての自分の狂いっぷりに、渇いた笑みがこぼれる。

 

(あるいは、自分が狂ったプレイヤーだから、狂った堕天使(モンスター)の身体に、心が適合しているのか?)

 

 どこまでも冷静に冷徹に、カワウソは自分の愚かしい欲望を追い求める。

 あの第八階層にいるものを、1500人を殺し尽したモノを知っていて、カワウソは、その再攻略のために、すべてを用意してきた。

 だが、用意できたものは、カワウソの保有するアイテムや装備、そして、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたち。世界級(ワールド)アイテムは、頭上に輝く円環だけ。

 いっそ笑ってしまうほどの戦力差であるにもかかわらず、堕天使の歩みは、確実にあの恐ろしいギルドの拠点・ナザリック地下大墳墓へと進み続けている。

 この世界で得られたものは、白金の竜王ツアーから得られた協力……城塞都市エモットを通行するためのパスのみ。

 現地で知り合った、友好関係が結べそうな人々との縁も記憶も、カワウソは望んで消去するように手配した。飛竜騎兵の人々も、南方の鍛冶職人たちも、誰一人として、このギルドに関わるものを持ち得ない。……アインズ・ウール・ゴウンの“敵”となる存在との繋がりなど、魔導国の民には邪魔にしかならないものだから。

 

「そういえば。飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地は──」

「彼女たちの無事は確認済みです。なんでしたら、マアトの監視映像を閲覧しますか?」

 

 ミカの申し出に、カワウソは首を横に振って示す。

「無事ならそれでいい」と一言だけ言って、自分が救った飛竜騎兵の乙女たちの今後が幸福なものであることを、第四階層内の星空の下で祈念しておく。そうして、飛竜騎兵の乙女(ヴェル・セーク)たちへの関心を完全に失う。

 それよりも何よりも、カワウソが関心を寄せることは、ただひとつ。

 

 

 

 敵は、アインズ・ウール・ゴウンを名乗る存在。

 攻略目標は、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”。

 

 

 

 正攻法では太刀打(たちう)ち不可能。

 だが、この異世界で、この拠点のNPCたちが協力してくれれば──

 

 ……不可能ではないかもしれない。

 ……不可能を可能にできるかもしれない。

 

 

 

 そのうえで、

 一番、絶対、最も警戒し危惧せねばならないのは、アインズ・ウール・ゴウンの戦闘能力だ。

 もしも。

 アインズ・ウール・ゴウンが彼──プレイヤー・モモンガか、あるいはそれに準じる能力を有しているとすれば。

 そして、彼の特異な職業レベルのみが扱う、絶対的な、他に例を見ないレア特殊技術(スキル)

 

「確か、攻略サイトの仮説だと『ありとあらゆるプレイヤーや傭兵NPC……すべてに等しく“死”をもたらす、モモンガの切り札』的な特殊技術(スキル)ってものが──」

 

 それだけが、カワウソにとって未知数に過ぎた。

 

 かつて、“ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの討伐”が謳われ叫ばれた、当時。

 件のギルドの詳細な情報は、ユグドラシル内でかなりの精度のそれが構築されていった。公式大会優勝者であるワールドチャンピオンの一人、たっち・みー。習得可能員数に上限があったワールドディザスターを修める、ウルベルト・アレイン・オードル。他にも多くの異形種プレイヤー、その数41人が、悪名高いアインズ・ウール・ゴウンの一員として、それなりの知名度を誇っていた。

 

 そして、ギルド長である死の支配者(オーバーロード)──モモンガ。

 

 彼等の戦術・戦略・戦闘方法は、実際に戦ったプレイヤーや何かしらのプレイ映像、対ギルド間戦争時の記録などで得られた情報が頻繁(ひんぱん)にやりとりされ、かなりの確度で、彼等アインズ・ウール・ゴウンの戦い方──その対抗策が研究され続けた。

 

 そう。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルになじみのあるプレイヤーであれば、あの「1500人全滅」を知るユーザーにしてみれば、あまりにも有名な存在たり得たのだ。

 

 あの第八階層“荒野”での大逆転劇。

 ナザリック討伐に赴いた1000人規模の、サーバー始まって以来の動員数を誇った……それほどの数のプレイヤーが攻略に乗り出した戦いは、広くネット上に流れ、そして、“あれら”や“赤い少女”の能力──チートじみた蹂躙に納得いかなかった者たちが、パンクするほどの抗議文を運営に送り付けたのだ。一時期は、アインズ・ウール・ゴウンのためだけのスレが乱立すらした。あれほどの暴虐と殲滅を成し遂げたアインズ・ウール・ゴウンの防衛力を、最後まで真剣に究明しようという意気は芽生えなかったが、それでも、話題にだけは事欠かなかった。

 

「挑戦するだけ無駄」だと、

「再攻略など夢のまた夢」だと、

「アイテムと時間の浪費になるだけ」だと、

「上位ギルドが討伐に行かなかったのも納得」だと、

「あのギルドにちょっかいを出すのは今後やめるべき」だと、

 

 そういう共通認識じみた「諦観」だけは、見事に、完全に、定着する運びとなった。

 

 カワウソは、仲間たちと別れた後、自分で調べ上げられるだけの情報を確実に集め、一人で再攻略に挑み続けた。

 一時期、他にアインズ・ウール・ゴウンへの再攻略に挑む有志を募りはしたが、「1500人全滅」の事実を知る者たちからは色よい返答など期待できず、また新規のプレイヤーにしても、アインズ・ウール・ゴウンの悪名と伝説は、ある種の常識としてネットの海から拾い上げている場合がほとんど。カワウソの唱える、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の存在意義──アインズ・ウール・ゴウンへの再挑戦・第八階層“荒野”の再攻略という至上命題は、まったく無意味な勧誘文句にしか聞こえなかった。中には、カワウソの目的を聞いた瞬間に、嘲笑し、冷笑し、蔑笑する者が数多かった。

 なので、カワウソのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)はギルド長・カワウソただ一人で構成されているという状況にある。

 

 そのような状況で、カワウソは一人、黙々とアインズ・ウール・ゴウンの再攻略に挑んだ。

 氷の針ごとく突き刺さる草原を駆け抜け、モンスターの跋扈(ばっこ)するヘルヘイム・グレンデラ沼地に赴き、その奥深くに存在するナザリック地下大墳墓を、ひたすらに目指した。

 結果は酸鼻を極めた。

 毒の沼地という防衛上圧倒的な優位を誇る立地──湧き出るPOPモンスターの物量──“死者の井戸”と形容すべき墳墓のビジュアル──純粋な天使には極めて不利なフィールド──黒い甲虫の海に満ちた一室──囚われた侵入者で奏でられるらしい聖歌隊──あまりにも巨大かつ不吉な蜘蛛の巣の檻──敵の体力(HP)を奪う神器級(ゴッズ)アイテムを与えられた階層守護者・真祖(トゥルー・ヴァンパイア)の発揮する、上位プレイヤー並みの戦闘力。

 カワウソは結局、熾天使から堕天使に降格してまで攻略を続けたが、結局はそこまでだった。

 

 ──それでも、カワウソは知っているのだ。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの、41人のメンバーの情報を。

 そして、

 最終日まで存在を確認されていた……ゲーム内でチラ見したという情報が“唯一”残ったギルド長の、最後までユグドラシルに残留したプレイヤー・モモンガ──彼の、その力を。

 

 

 

 カワウソは、ミカに聞かせるでもなく呟く。

 

「ラファたちの言う通り、アインズ・ウール・ゴウンがモモンガの“姿”をしているだけの替え玉というのもありそうな話だが……それよりも一番厄介なのは、魔導王とやらがモモンガの“力”を、完全に完璧に備えているか、どうかだ」

 

 彼の死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)としての力量を、最大限に引き出すかのごとき──「完全即死」の現象。

 目撃者──戦闘して負けた連中がネットに載せたプレイ動画だと、時計の文字盤のようなものを背後に出現させた最上位アンデッドが、即死魔法を広域に拡散発動させた十数秒後に、即死対策を超えた“死”が、敵対したプレイヤーたちを襲ったという。

 即死対策を整えていたはずのプレイヤーに対し、まるでそんなものはないかの如く、耐性と防御を貫通していく“死”の力──謎の特殊技術(スキル)の性能は、極めて厄介だ。

 

「ネットでの情報だと『蘇生アイテムを持っていた場合は防げた』っていうくらいの対策しかわかっていないし……」

 

 おまけに。

 未確認情報なのが、彼が所持していると噂の世界級(ワールド)アイテムだ。

 ネットの見解だと、モモンガが肋骨の下・胸腹部のあたりに装備している、赤い球体が「それ」という話だ。

 何故なら。

 

「あの世界級(ワールド)アイテムらしいもの──憶測に過ぎないが、モモンガが保有しているらしい激レアの種族だか職業(クラス)だかに依拠したものだとすると──世界級(ワールド)アイテムも、それに準じる何かなのかもしれない……」

 

 というのが、攻略サイトなどのネット上で流布(るふ)された通説だ。

 世界級(ワールド)アイテムの使用者は、ステータス画面に『ワールド』のバフが表記される仕様があった。モモンガが、彼が世界級(ワールド)アイテムの保有者であることは、あの第八階層に乗り込んだ連中──かつてのカワウソの仲間たちもが実際に目視した、事実であった。

 

 さらに付け加えるならば、カワウソの頭上に戴く世界級(ワールド)アイテムも、“復讐者”などのレベルを極めた最初のプレイヤーとして、ある日突然贈与されて以降、堕天使の頭の上で回り続けている。モモンガの紅い球体も、それと同じ類の「種族や職業を極めたプレイヤーへと贈られる」世界級(ワールド)アイテムだというのも、十分に考えられる話だ。

 

 あの第八階層で、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーを引き連れて様子見に来たらしい、最高位アンデッドのプレイヤー。

 

 彼が、モモンガが、明確に世界級(ワールド)アイテム──あの球体──を使っている場面というのが、例の1500人全滅時における、第八階層の“あれら”に対し、何らかの処置を施した……あの時だけ。

 

 そして、彼が世界級(ワールド)アイテムを起動させた後で巻き起こった、

 

 ──“あれら”の変貌。

 

 ──「死」をもたらすモノ。

 

 ……今朝も見た、あの悪夢の光景。

 

 それに伴い、第八階層にいた侵入者たちは、すべて“あれら”がもたらした「死」に蹂躙され、ナザリックの攻略は、完全な『失敗』として幕を下ろした。

 カワウソの仲間たちも、その蹂躙の中にいた。

 ギルド武器は、“あれら”の力によって、砕けて、散った。

 

「……この異世界で、プレイヤーの俺が存在している以上、むこうのギルドでも同じことが起こった可能性は高い……」

 

 仮に。

 魔導国の戴く王の正体が、人形や動像や変身や幻影だったとしても、それでモモンガの能力やアイテムを絶対に有していないという保証には、ならない。最悪なのは、これは全てカワウソの夢で、敵はカワウソの記憶にある通りの性能を保持するようにできた存在か──あるいは、ネット情報を参考に組み上げられた、精巧に過ぎる電脳シミュレーションのようなものか。もっと言えば、連中が保持している11個の世界級(ワールド)アイテムのなかには、もしかしたらモモンガの姿や戦闘能力を完全コピーできる……なんて馬鹿げた性能なアイテムがあるのかも。

 何にせよ。1%……0.1%でも、モモンガと同じ戦法と能力を発揮する可能性を有しているかもしれない……そんな存在に対して準備しすぎる・石橋を叩き過ぎてしまうということは、ありえない。

 たとえ自分自身を“殺して”でも、対抗可能かどうかは調べておくべきはずだった。

 

「いざアインズ・ウール・ゴウンと名乗るアンデッド……“モモンガ(仮)”と戦闘になって、初手でいきなり、あの謎の……発動したら問答無用で「即死」とかいう特殊技術(スキル)をぶつけられたら」

 

 そして、いざその時に、その謎スキルに唯一の対抗手段らしい蘇生アイテムがプレイヤーにはまったく機能しないゴミになっていたとしたら。

 その時点で、カワウソは一巻の終わりというわけだ。

 だとすれば、こんな挑戦など無意味。

 この暗くて長い……苦しい状況を、ただ(いたずら)に長引かせるだけ。

 どうあっても、カワウソたちには勝ちの目なんて転がってこない。

 状況は贔屓目(ひいきめ)に見ても地獄以下だ。

 援軍はなく、全世界が、自分たちの敵たる存在。

 相手の戦力は大陸すべて。大量に存在するモンスター。世界級(ワールド)アイテムが11個前後。

 カワウソが白金の竜王から受け取った援助は、城塞都市・エモットを安全に通行できるための手段のみ。

 

 希望なんて一片もない。

 ないからこそ、カワウソは、ありとあらゆる最悪の事態を想定せねばならない。

 不安を払拭(ふっしょく)しておきたかった。いざ実験がうまくいかなかったら──ミカに殺されて、蘇生アイテムが機能せず、死に絶えることになってしまったとしたら、その時はその時だ(・・・・・・・・)。その程度の感慨しか湧いてこない。死に対する恐怖がどこかしら麻痺している。この絶望的な状況からイチ抜けできるかも知れないというのは、少しばかり心惹かれた。

蘇生(リザレクション)〉の魔法は下位の復活とは違って、レベルダウンは起きない(はず。異世界で妙な仕様変更がされてなければ)。蘇生アイテムが機能するか否かの確認は、アインズ・ウール・ゴウンと──モモンガ(仮)と戦う上で、絶対的に必要な調査項目とも言えるだろう。

 

 だと思っていたのだが。

 

「あの時は、悪かったな」

 

 一人でぶつぶつと考え込んでいたカワウソに、いきなり謝辞を贈られたミカは目を丸くしてしまう。

 

「俺の馬鹿な実験に利用して」

 

「あの時」と「実験」という単語で、ミカは即座に理解を得た。

 ツアーの招待に応じる前。どうあってもナザリックへの挑戦を諦めないカワウソを諫めるべく刃を向けた女天使を利用して、自分の蘇生アイテムが使い物になるかどうかの実験をしようとした。

 結果はまったく意外なことに、ミカに止められる形で終わっている。

 

(それこそ。アイテムが起動するかどうか調べるなら、自分の剣で、心臓でも何でも(えぐ)れば──自殺しちまえばいい筈なんだけどな……)

 

 これまた不思議なことに。

 カワウソは転移当初──恐怖と恐慌に駆られ、混乱と混沌のまま膝を屈した時ほど、自分で自分を殺そうと──消えてしまいたいと思いつめるほどの心の重圧からは解放された。この異様な現実を否定する気概は、持ち得なかった。

 訳の分からない状況に怯え震え、一日目は自室のベッドで泣いてうずくまっていたのも懐かしい。

 

 それから、いろいろなことを見て聞いて感じて知って、カワウソは「戦う」という決断に至った。

 

 だから……なのだろうか。

 戦いに望むこと──あの時、ミカの剣で果てようとしたことに抵抗は少なかったのだが、「自分の手で自分を死なせる」ための直接的な行為や衝動、自害や自刃しようという行為からは、カワウソはほぼ無縁となった。ユグドラシルのゲームシステムだと、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)がなかったのと同じように、ゲーム時代は自分の武装や魔法で自分自身がダメージを負うことはなかったが…………この世界だと、それも可能な気がする。自殺は出来るはず。

 しかし、カワウソは自殺衝動に駆られることは極めて少ない。

 というか何故なのか、その真似事すら、カワウソは遂行できなくなっている。

 首筋に冷たい刃を当てても、それを本気で自分の肌の下に滑らせることが、何故か、どうあっても不可能だった。斬撃への脆弱性を有する堕天使の肌など、神器級(ゴッズ)の剣先で容易く引き裂けたはずなのに。

 

(堕天使は自殺できない、なんて設定はなかったと思うが)

 

 ミカを利用しての蘇生実験──ある種の自殺未遂は、おそらくだが、「純粋な“戦闘行為”の延長」であるが故に可能だったのだろうと、思う。戦闘行動で死に至ることは、至極当然の事象。戦闘で死ぬことを忌避するというのなら、カワウソはまったく「戦い」というものに赴けるはずはない。望めるはずがない。だが、すでにこの異世界での戦闘は、それなりの数をこなせている。むしろ命の遣り取りや駆け引きというものに、ある種の「(たの)しさ」というものを感じつつあるくらいなのだ。

 

(ミカを使って自殺の実験しようとした時は──)

 

 あの時は。

 若干、微妙に、少しだけ、有体(ありてい)に言えば────“頭にきてしまっていた”のだ。

 ……“どうかしていた”と言ってもいい。

 

「ミカに止められたのが、(いさ)められたことが、思ってた以上に、……こたえた……」

 

 率直に告げる。「すまない」と謝る。

 カワウソは、ミカたちNPCの従順性に慣れてしまっていた。

 馬鹿な自分を信奉し、敬服し、守護してくれる存在に、カワウソは彼等の忠誠を疑いつつも、心の奥底の何処(いずこ)かで────甘えていた。

 ミカですら、自分の言うことには従ってくれると……『アインズ・ウール・ゴウンの敵』として、……“共に戦ってくれる仲間”として、──自分を『守ってくれる』ものだと──そう、期待、していた。

 

 それを、あの時、あの瞬間でだけは……裏切られた気がした。

 

 ミカはカワウソを止めるだけに飽き足らず、「“自分たちだけ”で、アインズ・ウール・ゴウンに対処する」と放言した。

 それが許せなかった。

 あまりにも許容できなかった。

 

 馬鹿な奴だと呆れられるだろうが、本当に、カワウソは、ミカのことを頼りにしていた。

 共に戦ってくれる仲間だと。

 

 カワウソを「守ります」と、あの飛竜騎兵の領地で“約束”してくれたはず──なのに。

 言動や表情はキツい印象の女天使であるが、それでもカワウソと共に戦いに赴ける味方だと──信じた。

 

 信じられたのに、裏切られた、と。

 その想いが、過去の記憶と(ダブ)った。

 

 

「ああ、俺は、“また”裏切られるのか」と。

 そう思っただけで、カワウソは自暴と自棄の(とりこ)と化した。

「もういい」と思った。

「もうたくさんだ」と。

 

 

 だから、何もかも台無しにしかねない実験を、「死んだら蘇生アイテムが起動するか」の試みを、自殺できない自分の代わりに、ミカに処刑人を任せる形で、敢えて断行できた。実験が成功すれば、それでいい。失敗すれば、こんな異常な世界から──復讐する為だけに用意されたような、絶望的なクソ以下の状況から足抜けできると、期待した。

 ……あの時は。

 

「でも。おまえは──ミカは──俺の為を思って、いつでも気にかけてくれたんだよな」

 

 耳に心地よい言葉を並べ、おもねるような語調で、堕天使は女天使に告げる。

 時間経過のおかげで、思考が冷静になったおかげだろう。カワウソは今言ったように、ミカの行動を解釈するだけの余裕を取り戻した。

 堕天使は戦いに、復讐に、誓いを果たす為に用意された状況を望んで受け入れる。

 

(未来への希望や展望はなくても、欲望ならいくらでも堕天使だから……?)

 

 生存への欲求。

 生命への欲動。

 性への……。

 

(ッ──何を、馬鹿なことを)

 

 浮かんだ熱っぽい思考を、頭の外へ蹴り飛ばす。

 ミカの面貌と肢体を眺めた。

 カワウソが丹精込めて描き切った、女神のごとく美しい(かんばせ)。風に揺れて踊る長い髪は金の絹糸のごとく艶やかに、星が煌くような彩を流し続ける。黄金の鎧の下に、女として最低限の膨らみがあるとわかる双丘は、淑女の慎ましさを象徴するもの。手甲に包まれた手指は細く(たお)やかなものであることは、この世界で初めて触れた時に確かめていた。薄いヴェールのようなロングスカートに透かした内側、丈の短いスカートとニーソックスの間から覗く太腿(ふともも)の肌色は極めて肉感的で、健康的な“絶対領域”の様を顕示してくれる。すべてが完成された女熾天使の典雅な瞳は、無限の蒼穹(そら)のようにまっすぐで、どこまでも透き通り、澄み渡り、見つめる堕天使の男の瞳を吸い込んで離さなくしてしまう。

 傍に立つ女天使の麗美を「そういう対象」に見てしまいそうな自分に、口元を押さえねばならないほどの吐き気を(もよお)す。

 いくら忠実なNPCとは言え、天使の澱の彼女たちを、そういう風に──性玩具のごとく扱うなど、どんなクソの所業だ。

 

 ──しかし、

 ──何かが、違っていたら。

 

 

 

 ミカを、──『カワウソを嫌っている。』ではなく、

 たとえば──『カワウソを愛している。』と設定していたら?

 

 

 

 振り向いた先にある熾天使の表情、復讐の女神のごとく冷然とした顔立ちに、しばし、魅入る。

 彼女が“笑ってくれたら”……「愛している」などと真正面から言われようものなら……

 堕天使の心は、その時に懐くだろう衝動に、抗いきれるものなのか──

 

「何か?」

 

 冷たい視線で首を傾げるミカ。

 カワウソは、愚劣を極めた己の思考を切り捨てるように首を振った。

 

「ミカは……逃げたいか?」

 

 自分がミカの立場だったら。

 そう思うだけで、カワウソという主人の愚昧な判断を、咎めて諫めて逃げ去りたいと、そう強く思われて当然だと思考できる。

 

「こんなバカな戦いに巻き込まれて。バカな主人に付き合って……嫌にならないか?」

 

 桟橋の柵をきつく握り、堕天使の醜怪な瞳に耐え切れなくなったように、ミカは横を向く。

 

「いえ──いえ……」

 

 そう言ってくれるだけでも、カワウソの胸に湧く猜疑は晴れていく。

 

 しかし。

 だからこそ。

 見上げた星の夜のように澄み切った心地で、カワウソは最後に確認する。

 

「ミカ。この前の命令──覚えているよな?」

「……」

 

 この前の、自殺実験に失敗した後の、命令。

 

「覚えてるな?」

「……………………はい」

 

 まるで今にも吐き出しかねないほどに青い、侮蔑の表情。

 カワウソは安堵したように微笑む。

 

「それでいい。おまえだけは、俺を──」

 

 許すな。

 好むな。

 嫌え。

 憎め。

 

 皆を、ミカを、復讐の犠牲にするクズを、恨んでくれ。

 

 そうでなければ、きっと──

 自分(カワウソ)は、()えられない。

 

「ありがとう…………もう、休んでいいぞ」

 

 堕天使は自嘲するように笑う。

 彼女には、戦いに備えて英気を養ってもらわねば。

 カワウソという醜愚の極みのごとき存在に対し、ミカは整然として応える。

 

「……了解しました。祈りを終えたら、自室に戻り休みます。

 ……カワウソ様も、ほどほどにおやすみやがってください」

 

 実のところ、カワウソは「あまり休みたくはない」というのが本音である。

 何故なら、休めば必ずと言っていい程、堕天使の悪夢に(うな)され、心が休まることは一時もないから──でも。

 

「わかった。おやすみ、ミカ」

 

 カワウソにとって、あのギルド武器を、一冊の本を眺めて、皆との思い出を振り返っている時が、一番やる気が湧きたってくれる。悪夢を一掃できるはずだと。だから、部屋に戻る前に、明日の戦いの前に、もう一度だけ眺めておこうと。

 

 でも今日だけは。

 

 ミカのおかげで、いい夢が見られるような、そんな期待に胸がいっぱいになっていた。

 

 休息は取れるうちに取っておかねば。

 歩き去っていく女騎士の淀みない歩調を、女天使の背中を、しばしの間だけ見送る。

 ──何故だろうか。もはや戦いの中で死ぬことへの恐怖が、完全に消えてなくなっている。

 

 ただ。

 

 彼女たちをすべて、カワウソはこれからの戦いで、犠牲にすることになる。

 その事実だけが、胸の奥深く──心の一番大切な場所に、(くさび)のごとく突き刺さって、しようがない。

 漆黒の水平線を見渡すカワウソは、その事実を前にしても逃げないし、

 諦めない。

 

 

 

 

 

 すべては、明日。

 (のぞ)みに(のぞ)んだ──ナザリック地下大墳墓へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷に戻ったミカは、改めて、先ほどの祭壇の間へと戻る。

 水音と聖泉に護られる、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の最奥の地にある祭壇。

 壇上に飾られるのは、信仰系魔法詠唱者としてカワウソが信じる“復讐の女神・ネメシス”。

 

 その女神像が護る「モノ」に対して、六枚の翼を広げる女熾天使──ミカは祈る。

 

 膝を屈し、目を伏せて、手を堅く組み合わせながら、敬虔(けいけん)な聖徒のごとく、祈り続ける。

 そこにあるギルドの象徴……このギルドそのもの……彼が創り上げてくれた、自分達NPCの根源たるすべてに対し、無垢な祈りを捧げる。

 

 天使は一心に、彼を──思う。

 騎士は必死に、彼を──想う

 乙女は懸命に、彼を──……。

 

 頬を濡らして、祈り続ける。

 

 嫌わねばならない、大切な者を。

 自分が嫌うべき者の、行末(ゆくすえ)を。

 創造主たる彼の──(いのち)を。

 

 

 

 

 

 

「  カワウソ様  」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第七章 ナザリック地下大墳墓へ へ続く】

 

 

 

 

 

 




いよいよ大詰め。直接対決の舞台が整いました。
この「欲望と希望 -2」でのカワウソとミカは、私が『天使の澱』で書きたかった話・ベスト5に入る話だったりします。
連載60話目にもなりましたので、今後の展開に関わる情報、裏話みたいなのをひとつ、ご紹介。

『オリ主・オリキャラのネーミングについて』

嫌う彼のために祈るNPC・ミカの事情も、これでなんとなくわかるはず。
でも、この二人のネーミングの意味に気づいている人もいるんじゃないかな。
……いないか(笑)
※ネタバレ注意※(以下、反転。ネタバレすんなという方は無視してください)

カワウソとミカ
ミカとカワウソ
ミカ・カワウソ
ミカワウソ

ミカは……


では。続く第七章に、ご期待ください。

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