オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
ギルド:
/Platinum Dragonlord …vol.08
昔のことだ。
あの日。
カワウソは旧ギルドの、
やっぱりこの魔法はなくてもいいんじゃないか。でも全体会議の満場一致で、皆がギルド長の提案を受け入れていた。しかし、いかにギルド武器と言えども、無限の容量は望めない。無茶な提案をしたことを反省して謝るギルド長の彼女を、全員が理解してなだめる。いつもの平和な、ギルドの仲間たち。
ギルド武器は最強のアイテムだ。
ランカーギルドだと、
自分たちのような底辺ギルド──十数人しかいない弱小では、
楽しかった。
本当に、楽しかったんだ。
「カワウソくんー、覚えてるー?」
あの日も、副長の問いかけ──ギルドの皆で誓った約束について、
「えと確か……
『たとえギルドがなくなっても、もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいから』……ですよね!」
皆がうなずいてくれた、ギルドの誓い。
振り向いた先にいる恩人、
夢のような日々だ。
ああ、これは夢だ。
皆と過ごした時間を、カワウソは忘れないし、忘れられない
ギルドの誓いを、カワウソは忘れたことはない。
忘れることができそうにない。
だって……それが……
唐突に、後ろから誰かに突き飛ばされるような感覚に溺れる。
落ちた先で見る光景は、ナザリック地下大墳墓・第八階層の“荒野”。
頭上に現れた“あれら”。星々のごときモノから繰り出される絨毯爆撃じみた攻囲の嵐。
そして、討伐隊を地上で迎え撃つ、“紅い少女”の参戦。流星や彗星のごとき暴虐の拳。
わけもわからず“荒野”を進む討伐隊……カワウソのかつての仲間たち。
カワウソは、そこにはいなかった。
だから、これも夢だ。
カワウソは吠える。
「──逃げろ」と叫んだ。
「──逃げてくれ」と欲した。
だが、討伐隊を構築するプレイヤーたちが、現れた奇怪な天使に応戦すべく、魔法を飛ばしてしまう。
「やめろ」と喚いた。
「待ってくれ」と願った。
胚子の赤子があっけなく死んだ瞬間、1500人の討伐隊の生き残り……第九階層へ続くはずの鏡を目指していたプレイヤーたちは、全員が身動きを封じられた。
そうして、現れたのは、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーたち。
彼等を率いる
「よせ……やめろ。……待て、──待ってくれ!」
震える声で叫び喚き続ける堕天使は、この瞬間には存在していない。
だから、これは夢だ。
とびきりの、悪夢だ。
モモンガが
──“あれら”が、「死」が、仲間たちに、……
「逃げろ! 皆っ、逃げろッ!!」
叫んでも意味はない。
声をからして喚いても届かない。
「逃げてくれ! 頼むからッ!!」
これは夢だ。
ただの夢だ。
カワウソの見る、過去のゲーム映像──ただの
誰もが震え上がり、足が体が心が
降り注ぐ星々は、
死神の饗宴か、
幼子の絶叫か、
魔王の狂笑か、
──あるいは世界の終焉……断末魔か、
意味不明瞭な音色を奏で吠えながら、荒野の大地に、
そうして。
ギルド長たる彼女が持つギルドの武器が、
皆と創り上げたすべてが、
皆との絆が、
一瞬で砕ける。
「やめろ!!
もういいっ!!!
もうやめてくれぇぇええぇえぇぇぇッ!!!!」
夢の中で、カワウソは慟哭する。
誰も何もいなくなった黒い
ギルド武器が砕けた時、カワウソは『敗者の烙印』を押される落伍者となった。
カワウソ達のギルド:
仲間たち皆と築き上げたすべては、ユグドラシルのゲームから、消滅した。
その後に待ち受けていたのは、悪夢のような日々。
地獄の水底を這いまわる
終わることのない戦い。
馬鹿げた復讐劇。
独りぼっち。
カワウソは、今この時のように、たった一人でゲームに残されて、あのアインズ・ウール・ゴウンに、挑み続けた。
誰にも理解されず、
誰からも認められず、
たったの、ひとりで──
ふと、漆黒の空間に、光が差し込む。
希望の
何者かに護られているような、果てしない安堵のぬくもり。
────だが、泣き耽る堕天使は、己の顔をあげられない。
そこにいる誰かを、
何もできない。
ああ、
だって、
これモ──きっト、
夢 ナ ノ ダ カ ラ ……
×
繰り返される悪夢に
ここでも。むこうでも。それはほとんど──変わらない。
「ぁ……」
呆れるほど繰り返される過去の記憶。冷たい寝汗が気持ち悪い。
熱い眼を拭って、異形の掌を見る。浅黒い肌を、大量の水滴が濡らしている。
夢というものは「人間の記憶を整理する作業」のようなものだと聞いたことがある。
だが果たして、堕天使という種族にそんな脳構造が適用されるのだろうか、大いに疑問だ。
ベッドの上で丸まっていた身体を伸ばし、重い瞼を開いて、今の現実を直視する。
ここは、カワウソの拠点。自分が築き上げたギルドの城。最上層の第四階層の屋敷の私室。
いつものように身支度をし、朝食を食べ、拠点警戒状況の報告を受け取りながら、カワウソは時を過ごす。
無論、漫然と過ごすのではない。
例の作戦……明日に迫る「その時」のために、できることは何でもして、準備すべきものは何もかも用意した。
ツアーから提示された協力条件の一つに、襲撃をかける日は、彼の都合がつく日と定められた。
彼が提供してくれた、白金の竜王の通行証。それを城塞都市のセキュリティに通すための手続きが必要なのだと言われれば、納得するしかなかった。カワウソ達の方にも、作戦を決行する準備は必須だったために、その条件を飲まない理由などありえなかったと言える。
急場しのぎの作業になったが、天使の澱のNPCは、全員がよく働いてくれた。
周辺警戒を休むことなくこなしてくれるマアトやガブ、そして地表で実際に警備を務める
それ以外のNPCたちも、自分たちにできる準備を着々とこなしている。
ナタやクピドは自分たちの武装に不備がないことを再三再四に渡って確認しながら整備に励み、魔法火力役のウリやタイシャは魔力の温存に専念するよう読書や瞑想に耽り、イズラは都市で敗北を喫した汚名をすすぎたいと修練に励みつつ、拠点第一階層・城砦の入り口前で、自分と同じ侵入や潜入工作を得意とする存在の警戒に直接あたってくれている。
決戦を間近に控えた全員の士気は、これまでにないほど高い。
屋敷のメイド隊十人……Lv.1の彼女たちですら、自分たちも役に立ちたいと奮起してくれていた。
そんなNPCたち皆の様子を、カワウソは苦いものを感じながら、見届けた。
おそらく。
というか確実に。
ここにいる彼等のほとんどは、死ぬ。
カワウソの馬鹿な企み──強大な敵であるアインズ・ウール・ゴウンとの戦いで、その命は尽きていく。
そうなることに対して、誰も、何も、文句を言ってこない。
そうあることに対して、誰も彼もが、納得しかしていない。
いっそ恐ろしいまでに、カワウソという創造主に忠実でいてくれるNPCのことを、カワウソは思う。
だが。
もはやどうあっても、自分たちが生き残る道など、無い。
選択の時は終わった──カワウソは何もかもを決めて、NPCたちを滅亡への片道切符に引き連れたのだ。
だというのに。
まるで全員が、遠足やピクニック、イベントの前の眠れない夜を
そんな彼等と共に、カワウソも笑っていたいところだったが……彼等に対する罪悪感が怒濤のように攻め寄せてきて、どうにも苦笑することしかできていない。
後悔だけはしない。
後悔だけはしたくない。
彼等に、後悔だけはさせたくない。
なにより。
これ以外の道で、カワウソの願望……復讐は叶えられない。
ならば、笑わなければ。
そうわかっているのに──カワウソは、笑えない。
彼等にとってふさわしい、主人の姿を、保てない。
本当に、ダメな主で、申し訳ない。
「以上が、明日ナザリック周囲を鎮護するアンデッド軍への作戦要綱になります」
ツアーから得た情報の確度にもよるだろうが、平原を突破するための作戦として、十分なものを用意してくれたミカ。
「わかった。……これで何とか、間に合ったな」
日はすっかり沈みかける時刻だ。
拠点第四階層の外は、夕暮れから夜の景色に染まりかけている。空気の入れ替えを行う小窓からは、清涼な潮の香りが際立って薫ってきた。
円卓の間で作戦を議論していた長卓の上に、様々な書類が山のように峰を築き、海のごとく一面に散らばってもいる。急ピッチで進んだ作戦会議の結果であり、あーでもないこーでもないと議論が白熱した戦果とも言えた。
優秀な副官たる防衛部隊隊長に、カワウソはぎこちなく笑って応じる。
変な笑みを浮かべる主人に対して、ミカは何故か相変わらず“兜”を身に着けたまま、ナザリック攻略のための準備を整えてくれた。
頷ける話だった。
いかにツアーが協力してくれると言っても、彼の言動を全面的に信用してはいけないし、することはできない。ツアーが言うことすべてが真実であると決まったわけではないし、ツアーの推測以上の行動を、魔導国の王がとっている場合もある。
特に危険なのは、ツアーが魔導王と完全にグルである可能性だ。
ツアーがカワウソに協力することを、魔導王が熟知、または指示していた場合、カワウソ達にとって最も危険なのは、今こうして「準備を整えている時」と、この拠点を空けて「天使の澱の全員がナザリックに進軍した時」に、
考えるだに吐き気しか感じないほど、自分たちの状況は危うかった。
それでも、カワウソは戦いに臨む姿勢だけは貫き通す。
「……城塞都市への侵入は、明日早朝であることは?」
「はい。全員に作戦概要は通達済みです。心配には及びません」
ミカは委細すべてを心得ているように、打てば鳴る速度で主人の言に含まれる意図を読み解く。
「現状、考え得る限りにおいて、これ以上の作戦はありえません」
「うん……この通行証のおかげで、転移魔法も阻害されずに使えるという話だからな」
カワウソは竜王の通行証を手にして眺める。
城塞都市内部から、ナザリックを護る平原とやらへの侵入作戦は、カワウソと極少数の護衛が都市に潜り込み、平原の野へと至る直前にLv.100NPC全員をかの地へと誘導する策で進む。
都市内をLv.100の手勢が集団で行列をなしながら進むのは得策とは思えない。カワウソの
「随分と長くなったが、明日に備えて早く休め。ミカ」
イスラやウォフも既に下がらせ、ここの片づけは堕天使メイドのミドル・地精霊メイドのメソスに任せる。円卓の間は、今回の作業であまりにも散らかし過ぎた印象が強いが、メイドたちは嬉々として掃除に励んでくれるので助かっている。まるで、「私、今すごく仕事してる!」と言いそうなくらいに誇らしげな調子で微笑んでいた。メイド隊は全員戦闘能力がほぼないLv.1。明日の戦いでは、完全に拠点に残していかざるを得ない。
「私であれば、休むことなく働けますが?」
「働き過ぎて根を詰めるのは、よくないと思うが?」
メイド隊とは逆に。明日の都市侵入の護衛に加え、戦いの指揮官の一人ともなる
他のNPC──Lv.100の皆にも、休息に入るように厳命している。
拠点防衛の警戒網は緩んでしまうが、そこはうまい具合にカバーできるようにシフトを組んでおいた。
「──了解しました。では、先に休ませていただきやがります」
「ああ、おつかれ」
気安くミカを見送ったカワウソは、イズラの用意した夕食を取った後、今日一日の精神的な疲労を回復させるべく、屋敷のある場所を目指す。
「風呂にでも入るか」
ぽつりと呟く主人に対し、付き従う堕天使メイドのサムが「では。湯殿係の用意を」と言ってくる前に、堅く他の仕事に専念させる。
不承不承という感じではないが、少なからず残念そうに引き下がるメイド長を置いて、大浴場へ。
メイドたちは、カワウソの衣食住すべての作業を代行したいという欲求があるらしく、いちいち扉を開けてくれたり、食事の配膳に勤しんだりと、甲斐甲斐しく世話を焼こうとする(これは他のLv.100NPCにも共通した特徴でもある)。だが、さすがに自分で生み出したNPCとは言え、自分の裸を他人に見せつけ、熱い湯を使って体を
それに。
メイドたちは誰もが絶世の美女や美少女ばかりで、肉体の方も巨・大・中・小・微など、いろいろと整っている。そんな存在に風呂の世話をさせることになれば、──いろいろと、その、マズい。
厳密には、下半身の方で、問題が生じかねなかった。
「……誰も、いない、よな?」
大浴場の札には「未使用」の文字が。それを裏返すことで「使用中」と他の利用者や清掃のメイドに知らせるシステムだ。
ここに来るたび、転移したばかりの頃にあった、ミカとの不幸な事故を思い出してならない。
あの時のような失態を繰り返さないために、屋敷の中では極力転移は使わず歩いて移動するのが日常的になっていた。
念には念を入れて、慎重に脱衣場を覗き込み、他の人の着替えや使用中の籠がないことを確かめてから、カワウソは自分の装備を脱ぎ捨て、備え付けの洗濯機の中にブチ込み、浴場の方へ。
「ふぅ……」
洗い場で体を丁寧に洗い、常に湯の張られた露天の岩風呂を堪能する。
こうしていると、今日一日の疲れが体の外へとけ出ていくのがわかる。
暖かな湯に包まれ、そのなんとも言えぬ快感に、堕天使の脳髄は
そんな夢心地に
「──こんな広い施設を、俺だけしか使わないっていうのは……」
実にもったいないことだ。
設定だと、ミカが『時たま利用しているだけ』で、下の階層を護るガブたちNPCをはじめ、屋敷のメイド隊十人も、ここを利用することはない(皆それぞれに与えられた私室に、それなりのバスルームを設けられているので、わざわざここを使う必要がないのだ)。
「せっかくだから。最後の最後ってことで、全員に自由に過ごさせたほうが良かった、かな?」
明日は、天使の澱の最後の戦いになるだろう。
ならば、彼等に最後くらい、我儘に自儘に過ごさせた方がよかったのではあるまいか。
しかし──
「……そんなことをしても、俺の気が晴れるだけか」
ただの安っぽい、独りよがりな自己満足だ。
これから、ここにいる全員に、カワウソは酷薄に過ぎる運命を押し付ける。その事実は変わらない。
あのアインズ・ウール・ゴウンとの戦い──その結果は、火を見るよりも明らかなもの。必定でしかない。
だというのに。
NPCたちの忠誠は揺るがない。
揺るがないからこそ、カワウソは今、ここで、彼ら彼女らを傷つけるような行為に及ぶような事態は、全面的に忌避しておきたい。
たとえば。先ほどの「湯殿係」のこと。
メイドたちの欲するように、創造主の湯の世話をメイドたち総出で世話をさせれば、彼女たちは主人に尽くすことができたということに対して、ありえないほどの多幸感を懐いてくれるものと、これまでの生活でわかっている。実をいうと、早朝の身支度なども、メイド隊は「お世話できればしたい」と思っているらしい。
だが。
そんな彼女たちの献身に対して、カワウソが、より厳密には堕天使の肉欲や獣欲──性欲が、必ずしも耐えられるという保証はどこにもない。向こうの世界でも未使用だったそれを使ってみたいという欲求もあるが、何よりも、堕天使というモンスターが『そういう欲望に忠実かつ貪欲に過ぎる』ということを考えれば、絶対に、彼女たちの奉仕に気分を良くして、女の清美を極めたようなNPCたちを傷物にしてしまいかねない。獣のごとく交わり、肉の快楽に溺れて、メイドたち全員を手籠めにするなんて馬鹿をしでかしかねないのだ。それが発展して、Lv.100NPCの女性陣にまで累が及ぶことになることも、ありえる。
まさしくクソの所業だ。
そして、彼女たちもまた、主人であるカワウソから与えられるものであれば、喜んでそれを受け入れることだろう。
そういう雰囲気が、確実に彼女たちには備わっている。──例外は一人だけだが。
プレイヤーであるカワウソは、NPCたち全員の創造主。
彼女たちにしてみれば、カワウソが望みさえすれば、己の死すら
ならば、最上位者として、それ相応のやり方でもって、彼女たちの信頼に応えねば……否、応えたい。
そうでなければ、きっと、
「大丈夫だ」
堕天使は己に頷いてみせる。
カワウソは、もうこれ以上、壊れない。
壊れて砕けて燃え尽きるのは、明日の戦いの中だと、自己に決定し、誓約もしておく。
滾る熱を鎮めるべく、全体に回復効果や
(そういえば、転移して二日目。ここで、ミカが……)
あの時は朝だった。
ここであった出来事を思い出してしまう。
また随分と長く滝行もどきを続け、そうしてから、もう一回湯につかって身体を温めなおして、夜空の下で命の洗濯を終える。
いつものように脱衣場のコーヒー牛乳を飲み干し、いつものバスローブ……ではなく、ただの肌着類に手を伸ばし、黒いジーンズ……最下級レベルのアイテムに脚を突っ込む。洗濯機につっこんで洗濯も乾燥もしておいた装備類をボックスに直す。そうして自室に戻る前に、屋敷のある場所へと
そこは、このギルドの中枢にして
ヨルムンガンド
──祭壇の間。
屋敷の中で円卓の間と対となる、最後の、場所。屋敷にある地下武器庫などよりも広く、床面積は円卓の間と同じだが、天井は二階までぶち抜いた吹き抜けになっており、壁一面には伝う程度の滝が流れ続け、その暗い空間の神聖さに磨きをかけている。窓から差し込む色は完全に宵闇のそれ。この屋敷内で唯一“黒”を基調とした空間は、漆黒の神殿を思わせる重みに溢れ、静謐の圧力に満ちていた。祭壇部には、カワウソがシステム上信仰する「復讐神」を象った女神像が掲げられ、その女神が護るように、ひとつの“武器”が安置されている。
ここに、このギルドの枢軸にして中心となりえる武器が、常に収められている。
しかし、そこにまったく意想外の人物──先客が、いた。
「何してるんだ?」
「っ、カワウソ様」
扉をあけ放った向こうに、いるはずもないNPCが膝を屈していた。
祭壇の前で礼拝していたらしい熾天使は、黄金の髪を流す頭に、自分の兜を装着して立ち上がる。
「いえ──その……」
珍しく言い淀む調子の女天使──ミカ。
兜を装着すると同時に結い上げられ収納される金色の髪は、祭壇の間にある僅かな
「休んでおけって、言っておいたはずだが?」
「申し訳ありません」
素直に謝るミカだが、兜の奥に秘された声音は、堕天使を呪わんばかりに
カワウソは言い募った。
「ギルド武器なんか眺めて、いったいどうしたんだ?」
「べ……別に、大したことは」
彼女が見つめていた、祈るように膝を折って眺めていた祭壇。……このギルドの最後の場所に、カワウソが常に設置していたその武器に対し、ミカは手を触れようかどうかという距離感を保っていた。
そのギルド武器は、およそ“武器”と呼べそうにない──ファンタジーやゲームだと、十分に武器としての能力を発揮するだろう──それは、それこそが、カワウソがひとりで築き上げたギルド:
祭壇の間は、中央部で数段ほど床が下がる構造になっており、その下がった分を泉のごとく大量の水で満たしている。その泉に身を浸すことで、祭壇に触れる者の
泉を超え、ミカのいる祭壇付近へ。
ふと、カワウソは“ごく低い可能性”を、
「まさか。この武器を、ギルドの象徴を、アインズ・ウール・ゴウンに渡して“降伏”の手土産にでも」
「そんなことを誰が!」
ハッ、とミカが口元を手で塞ぐ。
常の冷静沈着な様子が嘘のように、女天使は冷厳かつ冷酷な様子を保てていなかった。
カワウソは自分の冗談が意外にも
「──わかってる。そんなことをしても意味はないだろうし、おまえがそんなことをするわけもないって、よく解っている」
意地悪なことを言ってしまったと、カワウソはミカの傍に歩み寄りながら反省する。
そうして、カワウソは天使の兜の奥の
ミカ
彼女たちの覚悟と思想は本物だ。
NPCたちは例外なく、アインズ・ウール・ゴウンへの戦いに挑むことを、己の
カワウソの馬鹿な復讐に……地獄への
「では、カワウソ様は、何故、こちらに?」
「──ちょっと、寝る前に“アレ”を見ておこうと思って、な」
このギルド武器は、とにかく壊されにくいために、様々な防御方面・武器破壊対策にばかり特化された……攻撃能力向上にはまったく使えない代物だ。正直、“武器”と表現するのも
だが、このギルド武器に込められたデータ……カワウソが大切にしているものの価値を考えれば、まさに、このギルドの枢軸を担うに
そして、“アレ”と呼ばれる映像は、このギルド武器にのみ残した、カワウソの最後の
「“アレ”──ですか」
「ん……ミカも、見たことがある、のか?」
熾天使は静かに頷きを返した。
そういえばと、カワウソはゲームでの記憶を掘り返す。
この第四階層に常駐し、屋敷内をほぼ自由に徘徊できるNPCだったミカの前で、このギルド武器に込められたものを見たこともあった気がする。
「……、一緒に見るか?」
「──よろしいのでしょうか?」
構うことはない。
明日は決戦。その前に、ミカたちの望むこと、やりたいことなどは聞き入れておいても、バチはあたるまい。そんな自分の独善を、ミカはどう受け取るのだろうという興味もある。
ギルド長権限で、祭壇に備えられたトラップを解除。ギルドの中枢部に設定されたここでしか見られなくなった拠点の情報──NPCのデータや城砦内部の迎撃装置・修復機能、それらの発動に伴う資金の変動なども、ここで把握することが可能なのだ(ユグドラシルだと、拠点内であれば何処でも見れた情報なのだが)──を閲覧し、干渉する。
そして、あらためて祭壇に掲げられ浮遊していたギルド武器を手にとり、慣れた手つきでページを開く。
そこに
彼等と共にユグドラシルをプレイしていた時の記録──動画の総覧だ。
仲間たちとの、輝かしい思い出が、ここにはいっぱい詰め込まれている。
彼等との時間だけは、他の動画データと一緒には扱いたくなかった。
適当な思い出の動画データをクリックして、再生。
ミカは、そこに映し出される堕天前の
カワウソをPK地獄から救い出し、ユグドラシルに留めてくれた、ギルドの皆。
重い両手剣を二本背負う──聖騎士の王たるリーダー。そんな少女と共に仲間たちを護る異形種──
たった十三人──2パーティー程度の人数で、厄介なダンジョンを攻略し、貴重な素材を収集していく仲間たち。慣れたように手を叩き合い、拳を合わせて肩を組む人間と亜人と異形。
そんな輪の中に溶け込み、幸福そうに笑い声を奏でる、
「笑顔が、幸せそうです」
「ん……そうなのか?」
当事者だったカワウソはいざ知らず、こんなものを第三者が見ても、さほど価値のある動画だとは思わないだろう。この映像に映るボスモンスターは、かなり攻略されまくっている雑魚に過ぎない。
そして、ユグドラシル──あのゲームでは、表情の変化は実装されていない。人間も亜人も異形も、その面貌に浮かぶものはデフォルト状態の表情・笑顔などで均一化されていた。熾天使の──六枚の白翼を伸ばす、純白の輪を浮かべた光の球体の異形種──カワウソのように、顔面なんてものもない種族だと、そのプレイヤーがどのような心境でいるのかは、わずかな動作や声の感じで読み解くしかない。その為、この程度の動画を第三者が眺めても、「ああ、弱小ギルドが頑張ってるんだな」くらいにしか思わないだろう。
にも関わらず、ミカは声の調子や仲間同士のハンドシェイクなどではなく、その“表情”に刻まれた想いを読み取っていく。同じ種族にして最高位の天使たるミカだからこそ、見える姿もある。
「少なくとも。私はこんなにも情感豊かに、幸せそうに笑っているカワウソ様を、あまり見たことがありませんので」
「……」
その通りだった。
ミカたち、ギルド:
そして、その生活は、ずっと、空虚だった。
バツが悪くなってしまい、カワウソは最初予定していた動画には目を通さずに、過去のデータを封印するがごとくギルド武器を祭壇に戻す。
「ミカ……おまえは、その」
覚えているのだった。
ミカたちNPCは、ユグドラシルであったことを、自分たちが体験できる限りの記憶を持って、この異世界に転移している。でなければ、カワウソが馬鹿な復讐を望むがまま、あの第八階層攻略のための作戦を延々と考え、その都度ごとに、あのおぞましい悪夢……ギルド崩壊の光景……アインズ・ウール・ゴウンの脅威を、瞳の奥に焼き付け続けてきたことを、知らないはずがなかった。
「私は……」
ミカは言葉を途切れさせる。
「私は、あなたの望むことをなします。あなたを護ります。あなたに仕えます……その果てに、あなたが望むことを成し遂げ、あなたの願いを叶えることで、もう一度、かつてのごとく笑って下さるのであれば……それで十分です」
十分なのです。
その言葉が、ただの言葉でしかない宣誓が、堕天使の胸をあたためてくれる。
ただ彼女の言葉に甘えていられたら、どんなに楽なのだろう。
──だが、それは許されない。
「うまくいくと思うか?」
ここまで散々、議論と検証を進めてきておいて、カワウソは半信半疑の色を顔面に塗りたくる。
「うまくいかなければ、俺たちは、──いいや、俺は俺の望みを果たすことなく、何もなしえないまま、この世界で死んでいくことになる」
そして、たとえ全部が全部、うまくいったとしても、その後に待っているのは、国の機軸を奪われた国民と国土──絶望的なまでに膨大な、戦後処理の争乱が続くだろう。
それは、この平和な世界を、平和に統一されている大陸を、分断し分裂し分散し、数多くの争いと戦いの時代を呼び込む結果しか生まない。
カワウソに、国家を運営する度胸も技量も手腕も知識も何もあったものではない。アインズ・ウール・ゴウン以上の治世や知性など、自分のようなプレイヤーには望みようがなく、たとえツアーやミカにすべてを丸投げしたとしても、世界が混乱し混沌化することは、確実な未来だと想像できる。
それでも。
ただ戦う。
その戦闘欲──復讐を望み欲する堕天使の脳髄と精神が、ここにある彼等との絆──このギルドに最後の最後まで残されたカワウソの執着と未練を遂げさせることを、完全に希求してやまない、唯一の衝動だ。寝ても覚めても、あのナザリック地下大墳墓に挑んできた。アインズ・ウール・ゴウンと戦い、かつての“仲間との誓い”を果たすことだけが、カワウソという敗北者に残された──“すべて”だった。
それ以外は何もない。
だから、戦う。
たったそれだけのことなのだ。
「うまくいかずとも、私は必ず、あなたを護ります」
そう決然と言いきってくれる金色の女天使が、とても頼もしい。
カワウソを『嫌っている。』わりに、ギルドの最高の盾として創られたことへの矜持もまた、ミカの根幹を支える思いのひとつであるようだった。
そんな彼女だからこそ、カワウソは信頼がおける。
──ミカだからこそ、できることもあるのである。
「もう休むか?」
「いえ。まだ少し、明日の戦いの前に、ここで祈っておきたいのです」
「まだ休まないでいいのなら、少し、実験に付き合え」
本当はすでに第一階層で適当に済ませていたし、ミカに協力を仰ぐ必要もないかなと思っていたが、考えるに今日中にやった方が、彼女の一日の
「──実験…………まさか」
「ん? ちがう、ちがう」
カワウソはミカの曇りかける声音──兜の奥にある空色の瞳に笑いかけた。
「俺の
次回、明後日更新