オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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白金の竜王と堕天使 -2

/Platinum Dragonlord …vol.06

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツアーからの歓迎──“力試し”の戦闘に機嫌を大いに損なっているガブとラファは周辺警戒を必要以上に厳しく行い、何かにつけてツアーから受ける説明に食って掛かるようになった。「騙し討ちとは卑怯極まる」とか、「事前にそうすると連絡しておいてほしい」とか。

 そんな二人に対し、ツアーはあくまで軽い感じを貫いた。

 

『事前に話を通していたら、“試す”ことの意味がないだろう?』

 

 無理もない。

 ツアーの目的は、カワウソ達の対応力と戦闘力の把握だった。

 ラファというNPCから伝え聞いている内容で、カワウソの力量は想定できても、それを確信するためには一戦交える必要がどうしてもあったというわけだ。

 そうして、どうやらカワウソたちは、「合格」のラインに達したらしい。

 カシャリカシャリと生き物の重みを感じさせない足音に先導されながら、カワウソはツアーの説明を脳内に浸透させていく。一応、ミカという頭脳担当の副官も傍にいるから、すべて覚える必要はないだろうが、自分に出来る限りの努力は果たさなければならない。

 

 ツアーは語る。

 竜帝たる父から受け継いだ『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』という称号と共に、このアーグランドの大地を一望できる連峰の最上層を継承して、すでに600年程度の時が流れているとか。

 七つの巨大な階段……七つの層をのぼりきった頂上に、彼の居室たる竜の聖堂があるのだ、と。

 ゲームのダンジョンステージのように入り組み、城のような建造方式の中に自然の彩を取り入れている。ところどころに点在する美しい鍾乳洞や泉、外の光を取り込む小穴や財宝を蓄える蔵などを素通りしながら、竜王の鎧は語り続ける。

 

『この宮殿は、少し特殊でね。宮殿の主人たる僕が許可を与えた人物か、ドラゴンセンス──竜の知覚力を飛び越えることに慣れた存在でないと、まず入場することは出来ない場所なんだよ』

「……もしも、それ以外の存在が、強行して入り込もうとしたら?」

『それは、竜王の内臓(はらわた)に飛び込むような覚悟を強いられることになるね?』

 

 具体的なことはひとつも語っていないが、とんでもないことになりそうな気配は十分に伝わってくる。

 さすがに、宮殿というだけあって、それなりの防犯対策は整っているのだろうと思われた。

 そうして。

 竜王の中身が入っていない鎧に案内されて、カワウソとミカたちNPCは、他の竜や人と出会うことなく、その最上層階にまで至る。

 カワウソは巨大建造物の中に、これといった人の気配がないことに少なからず戸惑いを覚えた。

 この宮殿内で他に唯一出会った少女のことを(たず)ねてみる。

 

「さっきの、カナリアとかいう女の子は、何者だ?」

『彼女は、僕の騎士になりうる……いわば、娘みたいなものだよ』

「……娘みたいな?」

『血は繋がっていないからね』

 

 養子や、義理の娘ということか。“僕の騎士になりうる”という表現から考えると、今も目の前で動き回る鎧というのは、誰でも着こなせる類のものではないということか。カナリアという娘の存在が特殊なのか、あるいはそういう特殊な子供を選んで養子として庇護しているのか。

 

『さぁ、着いたよ』

 

 最後の階層に続く巨大な扉を、ツアーの鎧が押し開いていく。

 中へ進んだ鎧に先導されるまま、カワウソ達は足を踏み入れる。

 午前の光が、明かり取りの天窓──というより、朽ちたドームの天井に開いた大穴から差し込んでいる。

 罠や奇襲攻撃の気配は、ない。巨木のごとく清廉な空気が、胸に心地よい。

 そして、

 

 

「ようこそ。ユグドラシルプレイヤー・カワウソ君。そして、その従者諸君」

 

 

 鎧越しではない……だが、“彼”の声だとはっきりわかる声音が、巨大な空間を満たした。

 改めて言われた歓待の言葉は軽妙に響き、重苦しい印象を少しも懐かせないほど(こころよ)く、堕天使の鼓膜を揺らす。

 

「入ってきてくれて構わないよ。さぁ、ここまでのぼりたまえ」

 

 声に促される。

 階段をのぼる鎧に続いて、カワウソ達は、宮殿の最奥部にまで至る。

 

「ようやく(じか)にお目見(めみ)えできたね」

「……ああ」

 

 彼は、まさに竜だった。

 ゲームでも最強と謳われる、異形の存在。

 巨大な体躯は大樹のごとく悠々と膨れ上がり、天を覆おうほど広げた翼の規模は視野の中に納まりきらない。度外れた牙と角の鋭利さは刀剣のごとく研ぎ澄まされ、その瞳は細い虹彩にとらえたものの内実を見透かすかのような、叡智と道徳と賢哲の輝きで満たされているようだ。純白の鱗や爪は、聖なる輝きにも似た微光を放ち、その属性が神聖なる善き者のそれと同質であると思わせる──それだけの威を、あまねく存在へと顕示していた。

 数百年という時間を生きた、本物にして究極と謳われる『白金の竜王』──

 カワウソは、彼の名を口にする。

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン」

 

 微笑むように頷く、竜の王。

 アインズ・ウール・ゴウンの同盟者。

 アーグランド信託統治領を預かる、真なる竜王。

 

「あらためて、ようこそカワウソ君」

 

 人を丸呑みできるほど巨大で重厚な顎を上下させて紡がれるのは、実に軽い口調。

 

「僕のことは気軽に、ツアーとでも呼んでくれると嬉しいね」

 

 猫のように体を休めていた巨竜が、大きすぎる鎌首を持ち上げ、一同を睥睨する。

 ミカたちが疑心と警戒から堕天使の周囲に布陣し武装を手にする様子に、ツアーは苦笑を抑えられない調子で竜の喉を鳴らした。

 

「さきほどは、すまなかったね。結果的に、君たちを騙すようなことをしてしまって」

 

 謝辞を紡ぐ竜王が見据える先で、ツアーの鎧がバラバラに分割される。

 ミカたちが一瞬身構えるが、もはや彼に、そのつもりはかけらもない。

 ここまで堕天使と一行を導いてくれた鎧は、バラバラになった姿で、壁面のある一点──台座の上へ再集合と再構成を全自動で果たし、すべての役目を終えたかのように微動だにしなくなった。四本の業物と共に、先ほどまで動き回っていた事実が信じられない──ただの調度品のごとき沈黙でもって、カワウソたちに見据えられる形に収まる。

 カワウソは摩訶不思議な鎧から視線を外し、目の前に佇む巨大な……見上げるほど巨大にすぎる存在、本物の竜を直視する。

 

「何故、こんな試すようなことをする必要が?」

 

 ツアーの意図は何となく把握できた。

 ラファと冒険都市で出会った竜王は、彼の主人であるところの堕天使──その力量を推し量るために、この地へとカワウソたち一行を招待した。

 だが、そうしなければいけない理由……動機については、実際に聞いてみないと判らない。

 ツアーは繰り返し謝る。

 

「ハハ。いや、すまない。君や君のNPCの力が一体どれほどのものか、興味が尽きなかったものでね」

 

 単純な興味本位……そう納得するには、ツアーの試みは危ういものだと思われる。

 ユグドラシルの存在を知っている、この異世界の竜の王が、わざわざプレイヤーを呼び寄せてまで、“力試し”に興じたいだけとは、思いにくい。

 

「そんなに戦ってみたいのなら、自分で俺たちの拠点に赴くことも出来たんじゃ?」

「それは、君の為にはならないと思うが? あの、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる君が、僕のような、魔導王の同盟者を招き寄せるというのは、あらゆる意味で危険に過ぎるはず」

「……確かに」

 

 竜の堅実な判断に、堕天使は舌を巻く。

 

「……どういうこと、ミカ?」

 

 この場にいる五人の中で、正答に至っていないガブが、怪訝そうに親友へ訊ねた。

 ミカは即座に応じる。

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオンは、魔導国の中でも最高位に近い“信託統治者”にして“魔導王と同盟を交わした竜王”──そんな存在が、我々のごとき敵対者の拠点に足を運ぶというのは、魔導国側にとって良い話ではないということ」

 

 言ってみればそれは、国家の政治家が、危険なテロリストのアジトに出入りするようなもの。万が一にもバレれば、余計なアレコレを呼び込むリスクが高い。場合によっては、そんな人物を招き入れたカワウソの責任まで問われかねない。

 熾天使の兜越しに響く澄明(ちょうめい)声音(こわね)が説明を重ねる。

 

「私たちはアインズ・ウール・ゴウンの“敵”──そんな存在と密会するべく連絡を交わし、懇意の間柄のごとく遣り取りを重ねる姿は、魔導王への背信行為と見做されるはず。故にこそ、ツアインドルクス=ヴァイシオンは、我々の許へと自らが赴くことはありえない。彼の国内での役職と立ち位置を考えれば、この領地の外へ赴くだけでもかなりの制約があるはず。そうして、そんなことをしていると魔導国に知られるような事態になれば、己の立場と地位が危うくなるのは道理。

 ……だが、このアーグランドの宮殿は、それなりの魔法の防備が整っていると判断できる。ガブを一時完全拘束した籠手や、ツアインドルクスが行使した始原の魔法(ワイルド・マジック)なる力。そして、この領域は、魔導王から特別な自治権限を与えられた『信託統治領』……ここで起こる出来事は、かの最上位アンデッドの王には、届かない」

 

 なるほど、と頷くガブ。

 さらに、カワウソも私見ながら捕捉をつけたす。

 

「それに、俺たちの拠点に赴くということは、ツアー本人が単体で乗り込むリスクという意味で馬鹿には出来ない。敵になるかもしれない相手のホームで戦うよりも、自分に有利な場所で戦う方が、絶対に安心だからな。

 さらに言えば。俺たちの拠点が、魔導国の“監視体制下におかれていた場合”、ツアーが俺たちの……つまり国の“敵”の拠点へ勝手に乗り込んでいく姿というのは……いろいろと不都合が多いわけだ?」

「うん。(おおむ)ね、そういうことだね」

 

 カワウソ達は今や魔導国にとって、危険思想を懐くテロリストか、そうでなければ異星から飛来して文明に(あだ)なすSFホラーの“侵略者”の(たぐい)だ。

 そんな存在と勝手に邂逅(かいこう)し、膝を交えて話し合う姿を見れば、誰だってツアーのことを裏切り者だと見做す判断を下すだろう。

 

「では……だとすると、()(しゅ)の拠点は、すでに?」

 

 ラファが苦虫を噛み潰したような渋面で、最悪の可能性を想起する。カワウソがずっと危惧していた、ナザリック地下大墳墓の“眼”の存在。天使たちの認識を超えて、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)を監視し続ける手段があるとなれば──

 

「そこのところは、どうなんだ。ツアー、……殿(どの)?」

 

 その情報を握っているかもしれない、魔導国の重鎮に問い質す堕天使。

 慣れていない敬称づけに声の調子を外す堕天使を、ツアーは「かしこまる必要はないよ」と言って、敬称呼びをしなくていいと告げてくる。そうして、真剣な語調で応じてくれた。

 

「君らをアインズ達が監視している可能性……うん。

 それは、ありえない。──とは、言えないかな?」

 

 カワウソは首を傾げる。

 

「アンタでも知らないのか?」

「僕は信託統治者……アインズ・ウール・ゴウンの統治体制に口を出さない代わりに、彼等もまた僕らの領地に深入りすることは出来ないという盟約を結んでいる。僕らは魔導国に属してこそいるが、その実、魔導国の法は、そこまで適用され得ない。──憲法や盟約などは、一応順守しているがね」

「──ようするに?」

「すまないが、僕にもそこまではわからない、ということだよ」

 

 なるほどなと納得して頷くカワウソ。

 

「念のために()くが、この場所は魔法で盗み見られていないのだろうな?」

「そこは、大丈夫だよ。この宮殿は、全域に始原の魔法(ワイルド・マジック)の防諜対策が施されている。いかにアインズたちでも、ここを魔法で覗き見ることは無理がある」

 

 心配はいらないと、ツアーは語り続ける。

 アインズ・ウール・ゴウンと呼ばれる魔導王が、今も手をこまねいている最大の原因。

 現在、アインズ・ウール・ゴウンがどのように対応すべきなのか判断に迷っているということ。

 

「何しろ、ユグドラシルからの客人……あちらの世界からの渡来者など100年ぶりだ。魔導国でも、その対応協議に追われるのは当然。たとえ、自分たちの“敵”と放言されてもね。だから、あと数日は、議会なり何なりを通して、君らにどう処するかの最終判断を決定するはずだよ」

「最終、判断」

「つまり、君たちにはまだ、それくらいの猶予はある」

 

 カワウソは頷くしかない。

 自分だって、こんな異常事態に見舞われたりしたら、右往左往するのはあたりまえだと思われる。

 いくらアインズ・ウール・ゴウンとはいえ、そのあたりは通常のプレイヤー……人間らしい不手際があっても、何ら不思議ではない。

 

「それで、俺たちの力を試した理由は?」

「君たちが、本当にアインズ・ウール・ゴウンの“敵”になりうるのか──それを確認したかっただけだよ」

 

 何故そんなことを。そう問いかける言葉を、カワウソは口内に留める。

 

「君たちは、本気で彼に、アインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑むつもりなのかい?」

「そうだ、と言ったら?」

「それは本心なのかな? 君は、カワウソ君は、ただ状況に流されているだけで、不幸なすれ違いをしているだけということは、ありえないのかい?」

 

 質問の意味を判じかねる。何故、今さらそんなことを。

 

「……本心だよ」カワウソは誤りがないように言及しておく。「俺の望みは、もうそれ以外にない。アインズ・ウール・ゴウンと戦う……あの第八階層に挑む以外の目的など、今の俺には存在しない」

 

 かつて、マルコというメイドにも言ってやったことだった。

 ツアーは堕天使の宣誓にも似た愚かしい発言を、カワウソの本懐を、口を閉ざして眺める。

 今度は逆にカワウソが問い質した。

 

「俺からも質問させてもらう。さっき、ユグドラシルからの客人……と言ったな?」

「ああ。僕のようなもの──この世界の住人は、君たちのことをそう表現するしかない。この世界とは異なる、“げえむ”なる世界から転移してきたものは、君やアインズ・ウール・ゴウンの他にも存在している」

 

 重要情報を口の端に零す竜王に飛びかかって問いただしたい衝動を抑え込む。

 他にも、カワウソのような転移者がいるという情報。

 堕天使は必死にその場で踏みとどまる。

 

「……どうして、こんな現象が……異世界に転移するなんてことが?」

 

 誰が、

 何が、

 こんな事象を引き起こしているというのか。

 自分はユグドラシルの最終日に、サーバーがダウンするはずの0:00まで、ゲームに残っていた。

 他の客人──転移者もまた同じなのか──アインズ・ウール・ゴウンを名乗る魔導王や、そのシモベ(NPC)たちも──カワウソは率直に訊ねた。

 だが、ツアーは鎌首を横に振って示す。

 

「すまないが、それは僕も知らない、わからない情報だ。先ほどもいったけれど、僕は君たちの情報を、完全には把握できていない」

「……そうか」

「それに、僕はあくまで“同盟者”。アインズ・ウール・ゴウンの内実・内部情報については、そこまで開示されているものでもないのでね。ただ、ユグドラシルプレイヤーたちは、ユグドラシルの最終日というタイミングで、こちらに転移してきているのは、確かだ。これはアインズ以外のプレイヤーから情報を得ている──得ていたというべきかな?」

 

 カワウソは俯きそうになる自分をなんとか直立させる。

 ひときわ輝いて見えた希望の太陽に、邪魔くさい暗雲が立ち込めてしまったような感じだ。

 ……それでも、まだ希望(のぞみ)はある。

 

「その、アインズ・ウール・ゴウン以外の、他のプレイヤーというのは?」

「うん。僕には200年……否、300年前に、共に旅をしたプレイヤーたちがいてね。その情報であれば、ある程度は提供できる」

「──聞かせてもらえるのか?」

 

 ないものねだりをする時間すら惜しい。

 ツアーが握る情報は、堕天使の喉から手が出そうなほどに有用かつ重要な情報だ。

 

「その代わり、こちらもある程度、君のことを教えてもらうことになるけど、構わないかい?」

「内容にもよるだろうが……善処する」

 

 竜王は頷いた。

 ツアーが語る300年前のプレイヤーたち……十三英雄。

 英雄として、傑物として、物語の中の登場人物として、一時は名を馳せた友人たちのことを、白金の竜王は誇らしげに語る。

 彼が首を巡らせた先にあるのは、空っぽの竜鱗鎧(スケイルメイル)

 

「あの鎧──僕が動かす鎧で、リーダーたちと共に、僕は300年前の諸国を旅した」

 

 リーダーは誰よりも弱かったが、冒険を重ねるにつれ、ツアー達の誰よりも強いと評されるほどの成長を遂げた。

 その旅の果てに待ち受けていた、最後の戦い。

 300年前に起きた歴史上の出来事を語る彼の様子は、カワウソに奇妙な既視感を覚えさせる。

 竜の瞳の色も、表情の変化もこれまでの人生で一度も見たことがないカワウソであったが、仲間のことを真摯に慕い、思い出を語る姿が、何か、こう、誰かと重なるのだ。

 

「彼等とずっと……、一緒に旅をしていられると……そう、信じていたのだがね……」

「ずっと、一緒に──」

 

 唐突に理解できた。

 そして、それを口にするのは、躊躇われた。

 ──まるで、鏡の中で毎日のように会っているような。そんな感慨を、竜を相手に懐くなど。

 

「と。感傷にひたっている状況でもないね。……それで? 君は何を訊きたい?」

「……あ、いや」

 

 用意していた質問をぶつけることができない。

 代わりに、兜を被ったミカが、実直な姿勢で情報を獲得しようと前に進む。

 

「先の戦闘で、ツアインドルクス=ヴァイシオンは始原の魔法(ワイルド・マジック)なる力を行使されたが──その魔法の詳細を訊ねてもよろしいでありやがりますか?」

 

 毒舌かつ兜を脱ぐことのない無礼千万な熾天使の様子に、ツアーは気を悪くしたわけでもなく簡単に解答を述べる。

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)は、この異世界にもともと存在した、この世界本来の魔法の力だよ。だが、八欲王との戦いで始原の魔法(ワイルド・マジック)の力は歪められ、それを扱うことに長けた僕ら竜王は、悉く敗北を喫した。僕が先ほどの戦いで使ったのは、転移系統の始原の魔法(ワイルド・マジック)──〈・・・・・・〉になるね」

「それは、我々のような、ユグドラシルの存在でも獲得可能なものなので?」

「無理だね。

 言っただろう。始原の魔法(ワイルド・マジック)は“歪められた”もの。位階魔法という新しいシステムに居場所を奪われ、その性能を遺憾なく発揮するには、膨大な力と才を要求される……とんでもなく燃費の悪い術理に(おとし)められている。

 そして、この始原の魔法(ワイルド・マジック)は完全に(すた)れ滅ぶ運命の上にあるもの。この魔法は僕以降に生まれた竜にも悉く扱うことは出来なくなった……いわば、世界の法則から排除された力だ。この世界に現存する始原の魔法(ワイルド・マジック)の担い手たち──僕を含む竜王たちが死滅することになれば、ね」

「そうでありますか」

 

 悲壮な内容を軽く語る竜王に対し、ミカは全くいつも通りに、平坦な口調で確認を終える。

 ツアーはさらに、ごく稀に、竜の力──始原の魔法(ワイルド・マジック)を使う異能をもったものも現れると付け加えるが、

 

「単刀直入に訊く」

 

 使えないものの情報を与えられても意味がない。

 それよりも、もっと知りたい情報が、カワウソにはあった。

 

「この異世界の、アインズ・ウール・ゴウン魔導国についてなんだが」

 

 ツアーは瞳を細める。竜の瞬膜がチラリと動いた。

 

「俺は、ユグドラシルで、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを相手に戦ってきた──そのアインズ・ウール・ゴウンと、魔導国のアインズ・ウール・ゴウンは、──同じなのか?」

「うん? 質問の意味を判断しかねるが……ナザリック地下大墳墓が、ユグドラシルに存在していた拠点であることは?」

「知っている」

「ならば、それ以上の答えなどいるのかい?」

「だが。ならばどうして、アインズ・ウール・ゴウンは、“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗っている?」

 

 それこそが、カワウソにとっての最難問であった。

 理解不能な──否、何とはなしに理解はできるが、確信や確証のある事柄ではない。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンとほとんど同じ存在たる、異世界の大国。自分たちと同じく、ゲームの世界から転移してきたらしいユグドラシルの存在。拠点NPC。魔法や特殊技術(スキル)、モンスターの存在や各種法則など。

 ……にもかかわらず、アインズ・ウール・ゴウンと名乗るアンデッド──プレイヤーの姿をした王が君臨しているという、バカげた現実。

 ありえない。

 ありえない現象の中で、ありえない事実が積み重なって、カワウソの認識と判断を著しく狂わせていく。

 いいや、まさか、という推測を口にするのも憚りがある。

 そう、まさか……

 

(まさか、彼は、モモンガは仲間のために、その名を広めようと──)

 

「……どういうことだい?」

「……アンタは……ツアーは、アインズ・ウール・ゴウンが、プレイヤーだと認識しているのか?」

「そうだが?」

 

 頷くツアーに対し、カワウソは首を振るしかない。

 それはありえない。

 アインズ・ウール・ゴウンに属するプレイヤーは41人。

 その中で、最上位アンデッドたる死の支配者(オーバーロード)の種族を極めた存在は、ギルド長たる“モモンガ”だけのはず。公開されているメンバー以外の、42人目のプレイヤーがいて、そいつがモモンガと同じ姿で、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っているのか?

 否。

 それよりも確実にあり得そうなのは、モモンガが意図的に、アインズ・ウール・ゴウンを名乗っている可能性である。

 

「ツアー。アンタが騙されている可能性は?」

「うん。それを言われると……騙されていないとは、言い難いかな?」

「──そうか」

 

 やはり、本人に()くしかないようだ。

 この国でかなりの地位についている竜が知らないとなれば、もうナザリック地下大墳墓の奥にいるはずの存在を問い質すしかないだろう。

 

「カワウソ君。どういうことなんだい? 君は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”なのでは?」

 

 ツアーもまた混乱したように、竜の眉根を(ひそ)めている。

 両者の間には厳然とした認識の違いがあるのだ。

 

「ツアーは、モモンガという名前に心当たりは?」

「モモンガ……?」

 

 ツアーは逡巡(しゅんじゅん)するように、首を傾げた。

 

「いや──ないね」

「ああ……そうか」

 

 ツアーはユグドラシルのことを知っているが、ナザリック地下大墳墓の内部情報には(うと)い。これ以上の情報は引き出せない。

 ならば、ここからは、どうにかして彼の助力や援助を引き出す方向に(かじ)を切る。

 

「教えてくれないかい? “モモンガ”というのは、アインズ・ウール・ゴウンにとっての何なのか?」

「……そんなに気になる情報なのか?」

「無論だとも。彼を“打ち倒す”のに有用な情報かも知れないじゃないか」

 

 打ち倒す。

 その単語に、カワウソは我が耳を疑った。

 ミカとガブも一様に息を呑む中、ラファだけは自然と竜の主張を受け止めている。

 

「そうか……冒険都市で、ラファがアンタを、ツアーを信用した理由は」

「そう。僕らは同じ“敵”に挑む、──いわば同士というわけだ」

 

 カワウソは望んでいた解答を手に入れた。振り返ると、銀髪の牧人(ラファ)が静かに頷く。

 ツアーが言っていた、カワウソたちに行った“試し”。

 宮殿の玄関ホールで行われた戦闘は、ツアーが「自分が協力するに値するかどうか」の試験と考えれば、一応の辻褄は合う。

 あらためて見上げた巨大な翼……悠々と堕天使たち一行を受け入れる竜の姿は、万軍にも匹敵し得るほどの助力者に思えてならない。

 ──そのはずなのに、堕天使は喜ぶでもなく、相手の正気を疑った。

 

「まさか……本気で言っているのか?」

「僕はずっと待ちわびていたからね。彼等を打倒するための、その同士たりえる、ユグドラシルの存在を」

「……」

 

 正直。

 話がうますぎる気がしてならない。

 だが、この(わら)を掴み損ねることになれば、カワウソ達には他の手立てなど、勝ち得ない。そのまま濁流に押し流されて、溺れ尽きていく未来しか、堕天使は思い浮かべることができない。

 この異世界──魔導国で高い地位に据えられた同盟者──彼をアインズ・ウール・ゴウンに対する離反者としてカワウソたちに協力させることでしか、あのナザリック地下大墳墓には届きそうにない、現状。

 振り返れば、ガブとラファは竜王の申し出を嬉々として受け入れるべきだと、その瞳で語っていた。

 実際問題、カワウソの望みを果たす上で、白金の竜王からの助力と援護を受けられるというのは、間違いなく天使の澱の生存率を引き上げ、あのナザリックに挑戦する機会を増大させるはず。現実問題として、今のカワウソたちには、都市に侵攻するだけでもかなりの戦力を整えねばならないのは確定的かつ絶対的な戦力評価だ。

 ミカは、どう思うのだろう。

 気になって彼女の方を振り返るが、兜の奥の表情は読めるわけもなく、その挙動や言葉はひとつもカワウソにもらすことがない。

 ただ。

 カワウソの視線を受け止め、ミカはかすかに首を頷かせてくれる。

 

「──どうするんだい、カワウソ君?」

 

 君さえよければ、アインズ・ウール・ゴウンの打倒に手を貸すと放言する、竜王からの呼びかけ。

 非常に魅力的かつ強力無比な申し出であると同時に、──これ以外の道のりがないという現実に、心臓が凍り付きそうなほどの畏怖を懐く。

 自分が誰かの書いた筋書きの通りに動かされているような、そんな気味の悪い寒気に襲われてしまう。

 しかし、もはや迷う猶予は、ない。

 

「……手を組む。

 ツアー、アンタと手を組もう。……だが……」

 

 明朗な意思決定とは言い難い。

 それでも、カワウソは自分なりの解答を、その口の中で紡ぎ終える。

 

「アインズ・ウール・ゴウンと戦うのは、俺だ」

 

 協力は募る。

 助力も可能な限り引き出す。

 しかし、アインズ・ウール・ゴウンと直接対決するという大願は、他の誰にも奪われてはならない。

 それに対するツアーの応答は、

 

「うん。『悪くない答え』だ」

 

 という感じで、あくまでも軽妙な調子を崩さない。

 賢者然とした竜の瞳は、カワウソの意思を尊重し、自分はあくまで後援活動(バックアップ)に努めることを確約してくれる。

 これに、ガブとラファは異を唱えた。

 

「カワウソ様。差し出がましいことですが、直接対決するのが我々のみでは、戦力面で不安が」

「問題ない、ガブ。──というか、まったくすまないことだが、俺はまだ、ツアーのことを完全に信用したわけじゃないんだ」

「しかし彼が、ツアー殿が()(しゅ)と同じように、アインズ・ウール・ゴウンに対し、明確な敵意を表していることは事実」

「ラファ。相手を信頼することは大切かもしれないが、信頼しすぎれば足下をすくわれるぞ?」

 

 気を悪くしただろうかと見上げる先で、竜王は頷き、微笑むように喉を鳴らし続ける。

 

「僕も、それで構わないとも。カワウソ君」

「そうか。助かる」

 

 不躾(ぶしつけ)な堕天使の一方的すぎる対応に気安く応じてくれる竜王へ、カワウソは偽りのない安堵を覚えた。

 その安堵というのは、けっして心地の良いものではないのだが。

 

「それで、君の戦力はどの程度のものなんだい? よければ、僕の軍などを貸し与えても」

「心配には及ばない。ウチの戦力は優秀だから、ツアーから軍などを借りるつもりは、ない」

 

 無論、カワウソの言葉には様々な思惑が絡んでいる。

 ツアーを信用していないがために、自分の詳細な戦力や戦術は明かせない(嘘や偽の情報なら別)のが、第一。ウチの数少ない戦力であるLv.100NPCたちへの信頼が第二で、第三はツアーから軍などの戦力を借り入れても、それをうまく使えない・御し得ない・裏切られる可能性があること。

 そのため、軍などの組織だった戦力増強は望めないし、望むべきでもない。

 カワウソが欲しいのは、あくまで、この魔導国の中枢──ナザリック地下大墳墓へと至るまでの道を整えること。

 それだけで十分なのだ。

 

「では、それ以外の方法で、僕が何かしらの支援を与えることが必要かもしれない。──同じように、アインズ・ウール・ゴウンに抗するもの同士」

「ああ。それだけでいい」

 

 むしろ、それ以上など与えられたところで、カワウソには重い荷積にしかならないだろう。

 

「確認しておきたいんだが──ツアーは、どうしてアインズ・ウール・ゴウンを打倒したいと?」

 

 カワウソは(ただ)す。

 ツアーはどこか遠く、過去を見据えるような表情で「100年前」のことを口にしていく。

 

「100年前、僕はアインズ・ウール・ゴウンの同盟者となったが、それは故あってのこと。僕の目的を果たす為に、魔導国と同盟を結ばざるを得なかった。当時、僕と僕たち竜王の治める国を守るために……そして、僕個人の、“とある目的”のために」

 

「だが」とツアーは言い募る。

 この100年で、アインズ・ウール・ゴウンは、僕の目的には沿わないものと断定された、と。

 

「アインズ・ウール・ゴウンは、もはや僕の目的を叶えるには値しない……(くみ)しえない勢力と化しつつある。そして、このタイミングで君たちのようなユグドラシルの存在が現れてくれたことは、まさに僥倖だ。アインズ達が、君たちの存在への対応に手をこまねいている今のうちに、何とか接触できて幸いだったよ」

 

 嘘を言っているとは思えないほど、竜の声は淀みなく流れていく。

 カワウソは訊ねる。

 

「アンタの、その、個人的な、“とある目的”というのは?」

 

 当然の疑問だねと白金の竜王は頷きを返す。

 

「だが──それに答えるより前に、こちらから最後の質問を」

 

 いいかい。これが最後の質問だよと、しつこいほどの念押しが続く。

 白い竜に熟考を要求されるまま、カワウソは質問の内容を、待つ。

 

 

 

 

「君はアインズ・ウール・ゴウンと戦い、そして、復讐をなした後は(・・・・・・・・)──どうする(・・・・)?」

 

 

 

 

 カワウソは、そんな当たり前に過ぎる問いかけに対して──

 

 

 

 

「…………………………え?」

 

 

 ──何も、言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・復讐譚における最大の難関・
 復讐を成し遂げた後に待つものを、復讐者はどのように受け止めるのか。

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