オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

47 / 103
対応 -2

/OVERLORD & Fallen Angel …vol.06

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 魔導国

 アーグランド信託統治領

 

 広大な領地をどこまでも見渡せる竜王の荘厳な宮殿で、白亜の巨竜が微睡(まどろみ)から覚める。

 昨日まで、随分とおもしろい祭りに夜半過ぎまで参加していたおかげで、とても懐かしい──心躍る昔の思い出を見ることができた。

 200年、いや、──もう300年前になる。

 リグリットたち──仲間たちとの、旅路。

 ユグドラシルから渡り来た“リーダー”たちとの、最後の、冒険。

 

「ツアー様」

 

 竜の瞳で、己の操る鎧の中身になってくれる当代の騎士……竜王の娘の呼びかけに応える。

 

「うん。お客さんだね?」

 

 竜王の明敏に過ぎる知覚力で、来客の存在と正体を看破していたツアー。

 彼の知覚を飛び越えて現れるものは、かつての仲間たちの中でもごく一握りの例外──今は亡きリグリットとイジャニーヤの老人、あと、公的には上の立場に戴いている盟友・魔導国国主たるアインズくらいのもの。

 白い少女は軽やかに応える。

 

「やはり、お気づきでしたか。昨日の、冒険者祭・決勝のお礼とのことで」

 

 お礼と言っても、「報復」などの意味でないことは明白だ。彼女たちの人格と人柄は知悉している。一等冒険者“黒白”の立場では公になっていないが、家族ぐるみの付き合いというもので、ツアーはあの四人と、生まれた時から面識を得ている。

 通していいよと、長く鋭い顎を微かに上下させる動作で頷いてみせた。

 竜騎士の娘は答礼を返し、正規のルートで面会に来た者たちを迎え入れるべく踵を返す。離れていく乙女の華奢な背中を見送ってやる。

 

「それにしても──」

 

 昨日の、彼女たちとの決勝戦。

 とある冒険者たちのチーム名を継いだ、あの乙女たちの成長は著しい。

 まるで、ツアーが共に旅した、かつてのリグリットたちを思い起こさせる。

 ツアーは、壁に飾られる中身の入っていない騎士の鎧……長い年月のうちに刻まれた損傷の数が凄まじい、竜王の意志によって動くアイテムを、伸ばした白い尻尾の先でそっと撫でる。

 昨日の祭りでは、彼女たちの成長確認だけでなく、思いもよらない出会いがあった。

 できれば、あの銀色の彼の語る『()(しゅ)』という人物にも話をしたくて、彼にアレを渡しておいたが、何やら『急用』とかで、未だに連絡は来ていない。──それも、アインズからの文書による報せで、だいぶ納得はできたが。

 ふと。竜王の住処に、高く響く足音が、五人分。一人はツアーの娘のもの。

 客人の数は、四人。

 

「お久しぶりでございます、ツアインドルクス=ヴァイシオン閣下」

 

 このアーグランド領域──旧評議国の領地をすべて掌握する“信託統治者”に対して、最大限の礼節を尽くす声。

 竜騎士の少女に導かれ現れたのは、年齢にバラつきのある四人の女冒険者。

 竜王はくすぐったそうに笑みをこぼす。

 

大仰(おおぎょう)だね。ここにいるのは僕らだけなのだから、構える必要などないのに」

 

「ですね」と頷いた乙女たちが、片膝の姿勢を解いて立ち上がる。

 武骨な鎧や星色のローブなどに包まれるのは、いずれも「女の華」と称して然るべき美貌の持ち主たち。

 彼女たちの首元には、国内に存在する冒険者の中でも高位に位置する第二等──第一等である七色鉱(ナナイロコウ)の下なので、実質上は最高峰レベルの──アポイタカラの青色プレートが煌いている。

 

「昨日はご苦労様」

 

 昨日の冒険者祭で、永久チャンピオンたる地位に据えられた一等冒険者“黒白”との決勝戦に臨んだ女強者たちは、鮮やかな笑みを浮かべて憚らない。

 大恩ある魔導王陛下──母や曾祖父たちを復活させ導いてくれた至高の王に忠義を尽くす、100年前の冒険者たちの末裔。

 黒い剣を──かつてのツアーの仲間の一人、悪魔の混血児を自称する暗黒騎士が、大事にコレクションしていた純黒の魔剣・四本を、四人の女が、それぞれ腰に背中に帯びている。

 

 小さな身体に幾条にもなる青生生魂(アポイタカラ)の細帯が織り重なった帯鎧(バンデッド・アーマー)を纏う、チームのまとめ役である魔法戦士の少女。妖精のごとき軽やかな長身に弓と矢束を身に纏ったチームの“眼と耳”となる野伏(レンジャー)の乙女。チームにおける回復役と薬剤調合を請け負う清涼な森の薫りを漂わせる森祭司(ドルイド)の女性。

 そして、母によく似た若く美しい見た目とは裏腹に、仲間の誰よりも長い年月を過ごしてきた、チームの“頭脳”を務める女魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

 曾祖父たちや母の代より受け継いだ、女冒険者たちのチーム名は────

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 スレイン平野。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)内、第四階層の屋敷「円卓の間」にて。

 

「全員、集まったな」

 

 ギルド長たるカワウソが、長卓の定位置──ギルド長の重厚な座席に身体を預ける。

 

「イズラ。体調の方は大丈夫だな?」

「問題ありません、マスター。ご厚情、痛み入ります」

 

 生産都市の最深部で、死の支配者(オーバーロード)部隊にグシャグシャになるまで蹂躙されてしまった暗殺者は、痛快な笑みを浮かべて応えてくれる。割れ砕けた顔面や四肢は完全に回復済み。拠点へ戻る際にボロボロだった装備についても、アプサラスと金貨のおかげで復元を終えていた。

 

「よし」

 

 頷いて事実を確認したカワウソは、Lv.100NPC──拠点の防衛部隊要員として作り上げた者たちの列を眺める。

 そうして、ここまで共に行動してきたミカやイスラが、ガブたちの列に……卓から少し離れた位置に加わるのを見て、思わず首を傾げた。

 

「──なにしてるんだ?」

 

 ミカを含む全員がカワウソの言葉を理解しきれない様子で顔を見合わせる。

 防衛部隊の長たるミカが「何か問題でも?」と問うてくるので、逆に問い質した。

 

「皆、早く席につけ。何も、突っ立って話し合うことはない──よな?」

 

 ミカは目を見開き、ガブは口元を抑えて、──他のNPCにしても、それぞれが最大級の驚愕に襲われたように、硬直していく。

 着くべき席というのは、この長方形の(テーブル)──12の椅子しかない。

 全員の態度が見る内に変貌していくのが解って、カワウソは若干ながら焦りを覚える。

 

「えと……い……嫌、か?」

「とんでもございません!!」

 

 真っ先に吼えたのは、隊長補佐役の、ミカの親友であるガブだった。

 銀髪褐色の聖女は、驚きの根源を述べ立てた。

 

「しかし、この円卓は! カワウソ様のかつての御友人諸氏の席と伺っております! なれば、そこに我等シモベたる者たちが着席するというのは、身に余る光栄!」

「あ──ああー……」

 

 そういえば、そういうことを独り言で呟いたことが何度かあった。

 誰もいないゲーム空間で、あのナザリック1500人全滅動画を確認しながら、時折ここへ装備変更やレベル調整などのために連れてきたNPCたちに、何の気もなく語ったことも。特に、第四階層を守護する任につくミカには、もう数えるのが無理なほど、語って聞かせた当時を思い出す。

 まさか、そんなことまで記憶できていたとは──と驚嘆しつつ、カワウソは弁明していく。

 

「いや、気にするな。おまえたちは、その、何だ──とにかく、席についてくれて構わない」

 

 かつての仲間たちを参考にして作ったNPCたち。

 その双眸が、はっきり解るレベルで輝きを増した。

 席の数は、十三。

 ギルド長の椅子以外の重厚なそれは、メイドらの清掃が行き届いているおかげで、12個すべてが埃ひとつ被っていない。

 カワウソが当時のギルド──旧ギルドである世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の頃を再現すべく用意した長卓なのだ。Lv.100NPCの数も、カワウソを含めたギルド員数に合わせて作り上げた傾向が強く、また、造り上げたNPCたちの構成についても、旧ギルドのメンバーに寄せられるものは寄せていた。ユグドラシルのゲームで適正なチーム構成は、一パーティで六人構成。二パーティを組める人数の旧ギルドは、その配合にほぼ則した形であったために、カワウソはそれを大いに参照させてもらった事情もある。

「構わない」と宣告されたガブたちは、しかし、前に踏み出せない。

 ある者は感激に打ち震え、ある者は畏怖のあまり足が動かない様子。

 何しろ、カワウソの座す長卓(テーブル)は、彼のかつての友人たちの席として認知されていた。

 そこに自分たちNPCが着座するというのは、あまりにも畏れ多い。

 

「では、失礼いたします」

 

 そんな硬直した空気を、気持ちよく吹き飛ばしてくれる女隊長の声が。

 ミカは即座にカワウソの右前──彼の副官として相応しい──右手前の位置に着席してみせる。

 彼女の様子に打たれたように、ガブたち他のNPCも戦慄と緊張に震えながら、各々思い思いに席に着いた。

 

「…………」

 

 ふと、かつての光景が思い起こされる。

 カワウソも、かつての仲間たちと共に、こうして円卓を囲んだ。

 ──「円卓なのに長方形のテーブル」って、皆で笑い合ったこともあった。

 ──カワウソが座る今のこの位置が、ギルド長の、彼女の定位置……だった。

 ──彼女の他に、……ふらんけんしゅたいん、きのこのこ、竹人(たけと)、スローインブラスト、(にのまえ)……メンバーの、……皆が。

 

「カワウソ様?」

 

 怪訝(けげん)そうに(ただ)すミカの声に、堕天使は意識を引き戻す。

「何でもない」と軽く微笑みを浮かべて、瞼の縁に浮かびかけた熱を引っ込める。脳内に沸き起こる快感と不快感──善い思い出と悪い思い出の(はかり)が左右に振れるのをピタリと止めた。

 ひたっている場合ではない。

 今、必要なことをなさなければ。

 微笑を浮かべる唇を隠すように、堕天使は指を組んで、なるべくそれっぽい感じに宣言する。

 

「これより、作戦会議を始める」

 

 議題は勿論──「“対”アインズ・ウール・ゴウン」について。

 

「まずは、状況を整理しよう。ミカ」

 

 カワウソは言って、ミカに詳細説明を任せた。

 

「私から、状況を説明させていただきやがります」

 

 ギルド内で最高の叡智を誇ると設定された、毒舌の女熾天使。彼女が部屋の隅で待機しているサムとアディヒラスを呼ぶと、堕天使と精霊の乙女は快活に応えた。従順なメイド長たる彼女たちに、円卓の間に備え付けの収納式ホワイトボードを持ってこさせ、そこにミカは準備しておいたフリップなどをボックスから取り出して張り付けていく。黒いマジックペンで筆記していく日本語は流麗で見やすく、彼女の謹直な人格を如実に表しているようにも見える。

 

「八日前、我々の拠点たるヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)が、ユグドラシルのニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯から異世界へと転移し、このスレイン平野なる異界の土地に定着したことは周知の事実」

 

 その後、防衛部隊Lv.100NPCを筆頭とした調査隊が組織され、わずか二日後にカワウソが沈黙の森とやらで、魔導国の死の騎士(デスナイト)からなる追跡部隊を捕捉。これを殲滅し、追われていた現地人……魔導国三等臣民の飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)、ヴェル・セークを保護した。

 そこからマルコ・チャン……後に魔導国の潜入調査員らしい修道女と合流。第一魔法都市・カッツェへと至る。

 しかし、ヴェル・セークの追伐に赴いた同部族たちの襲撃に遭い、また彼女たちを救援。後に、飛竜騎兵の領地へと招致され、そこで“黒竜”騒動──“狂戦士(ヴェル・セーク)”たちの秘密──あの元長老の征討をカワウソは成し遂げた。

 

「マルコ・チャンの話ですと、その“功”を認めた魔導国国主が、カワウソ様に対し、魔導国“傘下入り”を容認したとの話でしたが──」

「俺が、その話を蹴ってしまった、と」

 

 からかうようにくつくつと笑う主人の言動に、二人のNPCが席を立って(ひざまず)いた。

 ナタとイズラ。魔導国の部隊と交戦した二人である。

 

「申し訳ありません、師父(スーフ)!!」

「我々の身勝手な曲解と愚行が、カワウソ様に危難をもたらすようなことに」

「よせ。二人とも」

 

 昨日、ここでやったのと同じ遣り取りはゴメンだ。

 堕天使は笑って、二人の紡ぐ心からの謝罪を途絶させる。

 カワウソは、二人の忠誠忠義からくる謝辞を受け取らなかった。

 代わりに、ここにいる全員を困惑させる意志だけを、確実に顕示する。

 

「おまえたちの行動は、確かにそういう見方もできるだろうが……昨日、ここへ戻ってきた時にも言っただろう?

 むしろ、俺は──おまえたちに、感謝している」

 

「感謝」という言葉を過たず反復する少年兵(ナタ)暗殺者(イズラ)

 堕天使は、誰もがぞっとするだろう狂笑の奥底に、彼等への嘘偽りのない感情を届けた。

 

「おまえたちは、俺の与えた命令通りに行動した。そして、アインズ・ウール・ゴウンという存在の“敵”となった。ならば、おまえたちの行動はすべて俺の命じたものと同義。俺だけが責任を負うべき事柄だ。おまえたちは命令を忠実に果たしてくれた。違うか?」

 

 抗弁しようとするNPCたちが息を呑むほどの正論だった。命じた方(カワウソ)ではなく、命じられた方(カワウソのNPC)が責任を問われるなど、あっていいことでは断じてない。

 ──上司の指示が杜撰で曖昧なものだったのに、いざ仕上がった部下の業務内容にケチをつけるような連中は、総じてクソと判断してよい。

 ありえないほど忠義を尽くすNPCに対して、カワウソは彼等にとって善き存在たらんと欲する。

 

「それに、アインズ・ウール・ゴウンと戦うことは、俺の望みのひとつ。遅かれ早かれ、こうなることは確定していたと言ってもいい」

「ですが……カワウソ様自らが危難を被り、危地に赴く必要性は」

 

 馬鹿を言うな。堕天使は笑って、部下の言動を跳ねのける。

 

「こんなおもしろい(・・・・・)ことを、おまえたちだけにやらせてたまるものかよ」

 

 他の誰にも渡さないし、他の誰にも独り占めなんてさせない。

 

「敵は確実に“強い”。こっちの勝算は皆無に等しく、逃げ道など何処にもない。──だが、いや、だからこそ……だからこそ(・・・・・)おもしろい(・・・・・)。おもしろいじゃないか、なあ?」

 

 表情がにやけるのを、止められない。

 戦気に、戦意に、圧倒的な“戦闘欲”に憑かれた狂信者は、あまりにも慈悲深い音色で、自らが生み出した復讐の(ともがら)たちを祝福する。

 

「俺は、アインズ・ウール・ゴウンの敵対者──そして、おまえたちは一人残らず、俺の賛同者にして我が同胞(はらから)。同じ敵を打ち倒すべく集った“仲間”たち──そうだな?」

 

 NPCのほとんど全員が、ただ一人の主人の言葉に対し、それぞれが喜色満面に最大限の忠義を露にした。

 

「無論です」

「必ずや、()(しゅ)の期待に応えてみせます」

「あなたの為にある我が魔力。存分に使い果たしましょう」

「失態を(そそ)ぐ機会を与えてくださるならば、即座に」

「────がんばります」

「まったくー、その通りですー」

「拙者の力が御役に立てればよろしいのだが」

「ハハッ!! 当たり前ではないですか!!」

「え、えと、は……はい!」

「当然よね♪」

「世界が、『敵』かぁ。フククッ、おもしろくなってきたじゃあねぇかぁ?」

 

 ガブが、ラファが、ウリが、イズラが、イスラが、ウォフが、タイシャが、ナタが、マアトが、アプサラスが、クピドが──すべてのNPCが、心の底から晴れやかな表情で、カワウソの馬鹿な企みに同調してみせる。メイドのNPCにしても、まったく反論の余地もなく微笑んでみせていた。

 堕天使の奥深くに、心地よい灯火が生まれた。

 仲間に見捨てられたカワウソにとって、彼等“仲間(NPC)”の存在はあまりにも眩しく……同時に、切なすぎるほどに、尊い。誰もが「無駄」で「無謀」で「無意味」と否定したカワウソの望み、たった一つの切実な願い、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦、第八階層“荒野”への再攻略を、NPCたちは完全に肯定してくれた。

 

 ──そんな中、

 ただ一人だけ、

 

「…………」

 

 憮然と腕を組み、直立するミカだけは、賛同どころか頷きもしなかったが。

 カワウソはそんな女熾天使の様子を目敏く確認しつつ、エジプトの巫女姿の天使にひとつ確認しておく。

 

「マアト。飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の、領地の様子は?」

「と、特には──えと、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉は確実に、飛竜騎兵の皆さんに通じているよう、です」

 

 ヴェルも、ヴォルも、ハラルドも、セークとヘズナの部族に異常や問題は見られないと、最高位の監視者が、弱々しい口調で太鼓判を押す。

 マアトに与えた監視作業の真意は、他にもあった。

 本当の所、アインズ・ウール・ゴウンが、ギルド:天使の澱と接触した飛竜騎兵の彼女たちに何かしらの干渉──それこそ“刑罰”や“尋問”を働くこと──を懸念していたカワウソだったが、そういった不穏な影は一切ないという。

 堕天使は誰に気づかせるでもなく、安堵の吐息を組んだ指の隙間に落とした。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに動きはない、か」

 

 それが逆に、寒気を催すほど、恐ろしい。

 あまりにも嫌な予感を誘発されてならない。

 

「俺は確かに宣告をした。飛竜騎兵の領地を去った後……アインズ・ウール・ゴウンの使者だったメイド……マルコに」

 

 熱狂的な笑みを鎮めたカワウソは、あの時の言葉を、頭の中で反芻する。

 確実に宣告した。

 自分は『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”だ』と。

 そうして、蹂躙されていたイズラの救援に駆け参じた。

 マルコというナザリック地下大墳墓からのメッセンジャーを、まったく自由にして。

 さらには、イズラをブチ殺す寸前だった死の支配者(オーバーロード)部隊を、カワウソは完膚なきまでに殺戮し尽し、その死体を持ち去るという暴挙にまで及んだのだ。これでむこうに、アインズ・ウール・ゴウンに何の連絡もいかないはずがないだろう。

 だというのに、魔導国にはそれらしい動きがない。

 

「魔導国の臣民に、ユグドラシルのプレイヤーは認知されてはならない情報なのやもしれません」

「……どういうことだ、ミカ?」

 

 カワウソは純粋に訊ねた。

 

「ユグドラシルという単語は、ナタとイズラ、我々が調査した限りにおいては一般知識として浸透しておりません。いかなる書籍媒体や新聞情報にも、それらしい記述は確認されておりませんので。これは、アインズ・ウール・ゴウンは“ユグドラシル”の情報を秘匿している十分な証拠となるはず」

「だが、俺たちの調査が及んでいない地域では周知されている可能性もなくはないか?」

「やもしれません。が、調べられた限りにおいて、この近辺はナザリック地下大墳墓……魔導国首都圏に近い領域。極東や最北などの辺境地帯とやらならいざ知らず、城塞都市エモットからの距離は近い。イズラが購入していた地図の情報確度にも不安はありましょうが、一応、このあたり一帯には第一や第二など筆頭番号の都市群が存在している以上、この辺りの情報精度は高いものと推察してよい筈」

 

 さらに、ミカの言説は進む。

 

「ここからは私見を含みますが、この異世界の住人は、割と低レベルの存在が多い。飛竜騎兵たちにしても適正なレベル数値ではないLv.20を前後しており、ナタやイズラ、そしてラファが訪れた各地域の臣民にしても、雑魚POP以下の存在程度しか群れていない様子です」

 

 天使の澱の中で『頭脳明晰』と定められた熾天使は、正論しか紡がない。

 ユグドラシルでは、Lv.90までは割とすぐに到達できる。そこから先の領域をどうやりこむかが、ゲームのプレイヤーの腕の見せ所な部分が大勢をしめていた。ユグドラシルにおいて割と雑魚な死の騎士(デスナイト)のレベルが35。にもかかわらず、この異世界ではLv.20程度か、あるいは30ぐらいの存在ばかり。ゲーム初心者ならばすぐに追いつける程度の位階に、彼等現地の人々はとどまっているという状況だ。

 これは、彼等の努力不足ということはありえないと、カワウソは思う。

 その根拠となるのは、カワウソが知り合い、その記憶をいじることで天使の澱との関係性を断ち切った現地人たち、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族の生活に密着できていたおかげだ。彼等は勤勉と克己の意気に溢れた武錬の一族。日常的に騎乗訓練や模擬戦闘などを行い、この異世界における飛竜騎兵としての能力を獲得している。本来であれば飛竜は、30レベル後半に到達した騎乗兵職業を有するものだけが騎乗可能であるはずなのに、彼等は低レベル帯でシステム上不可能なはずの事象を可能にしている以上、その修練がまったくの無駄であるということはないと、判断してよい。

 それでも、否、だからこそ、彼等はカワウソの計画には使えそうにない。使い物にならない。

 ナタが交流を持った亜人や人間、イズラが観察した都市を行き交う人々、そして、ラファが参加したという冒険者祭の“冒険者”たちにしても、周囲と比較して、際立って高いレベル数値……50以上のレベルは、「魔導国臣民」の中には確認できていない。

 その程度のレベルの雑魚を取り込んでも、壁や盾に使えるかどうかという話だ。

 だからこそ、カワウソは飛竜騎兵の部族の中で、カワウソ個人への友誼や尊心を懐く彼女たちの記憶を消し去った。

 魔導国臣民は、カワウソの復讐には使わないし、標的にすることは今後もない。

 

「以上の情報から、アインズ・ウール・ゴウンは魔導国臣民──現地人たる人間や亜人には、情報統制を()いている可能性はありえます。弱いものに知識を詰め込んでも、我々のような存在──敵の“利”にしかならないからです」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの敵となるものにとって、つまり、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)にとっては、何の力もない存在が握る情報など、簡単に獲得可能なもの。魅了(チャーム)で。催眠(ヒュプノス)で。記憶を読み取ることで。──単純に尋問し拷問し、力任せに情報を絞り出すことも、「やろう」と思いさえすれば十分に可能だ。

 だが、カワウソ達はそんな強硬手段には(のぞ)まないし、望まない。

 現地の彼等には、利用価値のある情報を与えられていないから。

 ──あるいは、そういう可能性を危惧して、『臣民を守る』目的や名目で、アインズ・ウール・ゴウンは情報を与えていない可能性も?

 ありとあらゆる可能性を想起可能な現況では、そういうことも十分ありえる。

 が、やはり確証など無い。

 アインズ・ウール・ゴウンの正体──新聞やニュースに映るアバターは確実にプレイヤー・モモンガの姿であるはずなのに、ギルドの名称を戴く王の差配の絶妙さに舌を巻く。

 ──もしくは、カワウソのような不埒な輩や、敵対組織の存在を危惧して、国民を一括管理すべく、大陸全土を統治……世界を征服するなどという、破格の事業を成し遂げたのではないだろうか。

 嫌な可能性の大渦に呑まれるカワウソに気づいているのかいないのか、ミカはさらに説明を続ける。

 

「二人が交戦した魔導国の実行部隊──戦闘メイド(プレアデス)、名はソリュシャン・イプシロンとシズ・デルタなる個体は、臣民ではなくナザリック地下大墳墓のNPC……我々防衛部隊の存在と同質故のレベル数値だったようです」

「ナザリックの、NPCか……」

 

 カワウソは、戦闘メイド(プレアデス)なる二人のメイドを知らない。

 彼女たちはおそらく、ユグドラシルプレイヤーが侵入できていないナザリックの階層や領域の存在なのだろう。

 不安要素は多い。

 未知の異世界。発展した魔法技術やアイテム。アインズ・ウール・ゴウンが保有しているはずの11個の世界級(ワールド)アイテム。例を挙げればキリがない。マルコが名乗った「混血種(ハーフ)」という存在も、気にかかる情報だ。

 それこそ単純な話、カワウソが知らないナザリック地下大墳墓の強者……Lv.100のNPCがまだ存在している可能性を想起される。連中のL.v100NPCで認知できているのは、第一から第七階層までを守護していた守護者たちは“五人”だけだが、あの広大かつ難攻不落の拠点をすべて探索できたプレイヤーは、ユグドラシルには一人もいない。

 たとえば第一から第三階層を守護するシャルティア・ブラッドフォールンや、第六階層守護者たるアウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ姉妹(・・)らと共に、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの王妃に列せられている女性たち──最王妃アルベドや魔王妃ニニャなども、そういう存在である可能性はありえるだろう。

 

(それとも、現地では珍しい高レベルの存在だからこそ、魔導王の妃についている、とか?)

 

 様々な可能性や憶測で、脳内がパンクしそうに痛む。

 こめかみを抑えて頭痛を訴える脳を鎮めようとするが、まるでうまくいかない。

 ……深く考えるのはやめておいた方がいい。自分の内側から起こる現象は、カワウソの装備ではいかんともできないのだ。こんなことで体力を削られでもしたら、たまったもんじゃない。

 

「NPCといえば──アプサラス。マアト。俺が回収した死の支配者(オーバーロード)三体の死体は?」

「すでに十分なデータがとれております♪」

 

 心よく応じる踊り子が立ち上がり、マアトを促して、共にミカの傍にあるホワイトボードの方へ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王なる存在が召喚し生み出したらしい上位アンデッド──カワウソ様が見事討滅された三体の死の支配者(オーバーロード)、その検体は十分に終わっております♪」

 

 語尾の弾む独特な音色を響かせるアプサラスに続いて、翼の腕を持つ褐色乙女が(さえず)るように話した。

 

「えと、あの、こ、これが、私たちの、鑑定の、結果、です」

 

 マアトがボックスから取り出したのは、鑑定結果を記録した書類の束だ。

 その調査内容に全員が傾聴の姿勢を示す。

 回収した死の支配者(オーバーロード)三体の死体を調べ検めたカワウソたちは、アインズ・ウール・ゴウンが生み出すアンデッドの共通項……その驚くべき特徴を知ることになる。

 死の支配者(オーバーロード)たちの、その死骸。

 ただの上位アンデッドの死骸──ただ特殊技術(スキル)や魔法で作成召喚された攻撃手段たる存在とは違い、どうやら彼等には、核となる“死体”が存在していることが判明した。そして、死の支配者(オーバーロード)という上位アンデッドたちの核というのは、ただの人間や動物の死骸では、なかった。

 防衛部隊の長たるミカが二人に対して、形式的に問いかける。

 

「その情報の確度は?」

「ウチで唯一、死霊系魔法〈死者召喚(サモン・アンデッド)〉とかを扱えるマアトが、実証済みよ♪」

 

 打てば鳴るように応じるアプサラスが、エジプトの巫女のごとき天使の瞳を覗き込む。

 

「えと……こ、ここに、外から持ってきてもらった、生き物の死骸──市販されてた、お肉が、あり、ます」

 

 外の調査に赴いていたカワウソたちが、現地の物資やアイテムの性能を測定すべく、ナタが獲得してくれた魔導国の通貨で入手・保存していた市販肉……羊系統の骨付きブロック肉を、マアトは翼の両腕で掲げ持つ。

 そうして、許可を求めるようにカワウソを見つめた。主人は軽く頷いて先を促す。

 

「で、では……えと、さ、〈第四位階死者召喚(サモン・アンデッド・4th)〉」

 

 少女の差し出した翼の先──円卓の間にゴボリと黒い泡が立ち、次いで、その黒泡がマアトの保持する肉に纏わりつく。

 

「お、おおお?」

 

 カワウソは未知の現象に思わず身構える。肉がマアトの手を離れ、粘液質な闇色を人型に整えていく。

 マアトが召喚したアンデッドは、木乃伊(ミイラ)

 砂漠の熱砂でカラカラに干上がった(しかばね)の全身に、ボロボロに朽ちた包帯を幾重にも巻き付けたアンデッドの姿は、まさにユグドラシルの砂漠地帯フィールドに出没したモンスターそのもの。エジプトの神々の使い=天使をモチーフとしたマアトは、基本的にエジプト神話に由来した能力や装備を多数扱うと設定されており、魔法詠唱者であるマアトの前衛役となる木乃伊(ミイラ)を大量作成するアイテムを与えてもいた。

 通常、ゲームで発生する不死者(アンデッド)は、死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)が死体を加工することで生み出すことも出来るが、たいていはもとになった死体の形状・種族に依存する傾向にある。ドラゴンの死体であればドラゴンゾンビが生まれ、トロールの死体からはトロールゾンビが──という具合。

 しかし、ただの市販肉で、家畜の死体肉が、人の形状を持つ木乃伊(ミイラ)に加工されるというのは、ユグドラシルにはないシステムだったはず。少なくとも、カワウソは食材系アイテムにそんな効能がある──「ただの食材が、アンデッドモンスターに加工可能」という話を、あのゲームで聞いたことがない。

 

「こ、これ、で、このアンデッドは、ずっと、消したり倒したりしない限り、存在し続け、ます」

 

 召喚系統の特殊技術(スキル)や魔法、アイテムの効果には時間制限がある。

 だが、マアトが今まさに目の前で創り上げたアンデッドモンスターは、そういった制限なしで存在するのだと。そう説明される。すでに、彼女の管理区域としているボーナスステージに、POPモンスターに混じって警備任務に就くミイラ系アンデッドが複数存在しており、それらは召喚されてからすでに半日も存在し続けている。通常の召喚時間を大幅に超えて、だ。

 

「死体を媒介としたことによる、永続的な召喚……か」

 

 ユグドラシルにはないシステムであるが、納得は即座に得られた。

 アンデッドのモンスターは、死体が何らかの理由でアンデッド化した存在であり、そういうテキストデータがゲーム内には存在した。それがこの異世界で現実のものとなり、アンデッドはこの異世界の住人──その死体に宿る怨念や霊魂、魔力や負のエネルギーがそのような形状と動力を得て駆動すると考えれば、一応、辻褄はあうのだろう。

 

「カワウソ様」

「どうした、ミカ?」

「覚えていやがりますか? 魔導国臣民のほぼ全ての等級に共通している義務要綱にあった」

「……ああ、『死体の提供』か」

 

 そうと解れば、何もかも納得がいく。

 飛竜騎兵の領地で死んだ、あの老騎兵の死体。その身から摘出された心臓部の行方について、思考を巡らせる。

 

「つまり……アインズ・ウール・ゴウンは、……自分たちの臣民から、永続性を有するアンデッドの兵団を構築しているわけ、か」

 

 そう考える方が妥当と言える。否、それ以外のいかなる理由があって、国民全員に『死体を提供せよ』などと義務命令を達する必要があるというのか。マアトが使った市販肉はそこそこの大きさだったが、全身でなくても効果は十分。ならば、死体の一部──心臓部だけを提供させても帳尻はあうと見るべきか。

 随分と素晴らしいシステムではないか。

 生きている間は臣民として飼いならし、死んだ後は永遠に不死者(アンデッド)として使役する。

 これでは魔導国の戦力兵力というのは、理論上では無限に増幅する勘定になる。

 

「上位アンデッドが都市に配分・量産されていない理由は、わからない?」

 

 ミカの当然な疑問に、調査鑑定にあたった二人は首を横に振る。

 死体を漫然と利用して──それこそ、そこいらのLv.10にも満たない一般臣民が死んだだけで、それを上位アンデッドに加工可能というのであれば、中位や下位アンデッドを量産する必要はない筈。それこそ、死の騎士(デスナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の役割を、蒼褪めた騎乗兵(ペイルライダー)地下聖堂の王(クリプトロード)でやらせておけば、いざという時にどれだけの戦力になるのか、容易に判断できる。

 それをアインズ・ウール・ゴウンがしないのは、──単純に考えるならば、死体にもグレードやレベルが存在して、上位アンデッドを永続化するのに足る素材が少ないから、というのが妥当か。できるのに隠す理由は、どこにもないはずだし、事実、カワウソが持ち帰った上位アンデッドの元になった死骸というのは、ただの死骸ではなかったのだ。

 

「この、召喚の永続化──天使モンスターでも使えないのかしら?」

 

 ふと、成り行きを見守っていた聖女、隊長補佐であるガブが確認の声を上げる。

 智天使である彼女は、ミカには及ばないにしても、ギルド内ではかなり強力な天使を召喚作成する能力に恵まれた存在。今も拠点の鏡を守る天使を召喚する役儀を務める聖女だからこその疑問であり、期待だった。他に彼女と同程度の召喚能力を有するのは、全身鎧の防衛隊副長・ウォフくらい。彼女らの天使作成のスキルに、永続的な効果を付与できるのであれば、天使の澱の戦力を拡充することは容易となるだろう。

 だが、その目論見は実現不可能だった。

 

「ああ、それは無理ね♪」アプサラスは既に実行しようとして、悉く失敗していることを告げる。「ついでに、私の強力な精霊召喚についても、『生物の死体』を加工してってプロセスは意味がないみたい♪」

 

 仕事の早い精霊の女王(エレメンタル・クイーン)の調査内容は疑う余地はない。

 だが、アンデッドが永続性を保持するのであれば、天使や精霊なども、何らかの手法で永続性能を保持する可能性は、なくはないはず。

 カワウソは閃く。

 これは、あれだろうか。

 アンデッドの媒介が“死者”であれば、天使は、真逆の──“生者”……生きた人間を?

 

「いいや、まさかな」

 

 それに──思考するだけ無駄と覚る。

 そもそも確かめようにも、カワウソ達の周辺にいる住人、大陸の人間や生物は、すべて魔導国の臣民であり所有物。彼等を犠牲にするようなやり方は、カワウソの復讐にはまったく必要のない事柄だと自己規定している。それを覆さねばならない状態とは言い難い。この大陸の民はすべてアインズ・ウール・ゴウンの物であり──同時に、今を生きる現地の人々なのだ。カワウソが復讐のために犠牲にしてよい対象にはなりえない。

 

「どこか適当な場所でモンスターを狩る……のもダメか」

 

 人間や畜産物ではないモンスターを生け捕りにして実験するにしても、問題があった。

 飛竜騎兵の領地で一時の交流を得た最高位の冒険者“黒白”のモモンから、教わっていた。魔導国では、モンスターの脅威は完全に廃滅しており、逆にモンスターたちの自然そのままの生活を維持するために、許可のない者による狩猟や殺傷は原則禁止されているという話。そういうことができるのは、解放区とかいう“冒険都市”内に限定されている、だったか。

 ふと、黒い鎧を着込んだ壮年の男と、連絡するための手段があることを思い出す。

 

(モモンさんに協力を仰ぐ……わけにもいかないだろうな。こんな状況じゃ)

 

 彼は国の重要人物──第一等の安泰な地位を約束された最高峰の冒険者だ。そんな人物と、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”が懇意にするというのは、いくら何でも迷惑が過ぎるというもの。

 カワウソは彼との連絡手段を渡されているが、これを使うことはないだろう。

 それに、カワウソには他にもうひとつ、彼に協力を申し出ない理由があった(・・・・・・)

 

(確か、『この世界(・・・・)の狂戦士には、副作用が』──か)

 

 やはり、確信は持てない。彼にも──モモンにも、様々な憶測は成り立つ以上、彼を頼るのは難しいと判断しておくほかない。

 意識をモンスターの狩猟の是非に戻す。

 そのため、冒険都市などの一部“解放区”以外でのモンスターを傷付ける行為行動は、厳罰に処される可能性が極めて高い。カワウソ達は魔導国の方に従う義務のない異邦人であるが、それでも連中に嗅ぎつけられかねないリスクは避けたいところ。ただでさえ、いつ魔導国の部隊が反撃と征討の為に天使の澱の拠点を包囲するかもしれない状況を構築してしまったのだ。むこうは天使の澱を臣民に公表こそしていないが、裏でどれほどの規模の軍が、組織が、兵力が蠢動しているのかは、不明。

 

(だとすると、俺たちに情報が漏れるのを嫌って、臣民に情報を秘匿しているのかも?)

 

 ニュースで情報を流さない──カワウソ達プレイヤーの存在を広く喧伝しない最大の理由が、それだとしたら。

 浮かんだ可能性に背筋が凍るような恐怖を覚える。口の端が歪むのをこらえられない。

 かろうじて笑みの形を保っている凶貌は、NPCたちの瞳にはどのように映っていたのだろうか。

 

「この件についてはここまでにしよう」

 

 堕天使は(らち)のあかない問答を一旦切り上げて、他に確認すべき内容を──朝食前にミカが告げていたあることを思い出して、そちらに意識を傾ける。

 

「ガブ。ラファ」

 

 銀髪の天使NPC二人に呼びかける。

 

「昨日は聞きそびれて悪かったな──それで、報告というのは?」

 

 先を争うことなく、互いに視線の遣り取りだけで順番を決める。

 レディファーストを徹底したラファに促されるように、ガブが昨日、マルコが正体を明かす直前にしようとしていた報告をやり直す。拠点に戻った後も、ナタとイズラを回収した後も、カワウソは簡単な指示出しを行うのに精一杯で、とても個々の報告を確認する余裕がなかった。堕天使のノミのような心臓が、急転直下の様相を呈する状況に、キャパオーバーを引き起こしたもの。アンデッドの死体を鑑定班に引き渡して、ミカに拠点防衛を任せた後、自室にこもって休まなければならなかったのだ。

 ガブは姿勢を正して、まっすぐに告げる。

 

「昨日、連中に……飛竜騎兵の領地の連中に〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を施した際に、不可解なことが」

「不可解というと、マルコには精神系魔法が効かなかった、あれか?」

「いえ、それとはまた別の問題で……」

 

 ガブは最高位の精神系魔法の使い手としての能力から、彼女だけが知り得る領域で起こった現象に違和感を覚えていた。

 

「私の〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉は、魔法を使用する際に、相手の記憶をある程度まで読むことができます。直近の記憶から遡って、書き換えや削除などを行い操作すべき記憶を見るために」

「それで?」

「それで、その……セーク部族の連中は、問題なく任務を遂行できたと自負しておりますが、ヘズナの族長、ウルヴ・ヘズナという男の記憶をイジる際に、おかしな現象が」

 

 ガブの〈記憶操作〉は、カワウソ達と関係を持ち、言葉を交わしたほぼすべての飛竜騎兵と飛竜に施した。

 その関係上、ヘズナの族長にもガブは〈記憶操作〉を施すべく、彼の領地にまで飛んで、記憶をイジる必要があった。

 だが、そこで奇妙なことが起こったという。

 

「ヘズナの族長は──その、記憶を操作している時に、妙な欠落というか、不自然な点が多々あったのです」

「不自然な?」

「ええ。たとえば、何ですが──カワウソ様も参列した、老騎兵の葬儀。ヘズナの族長として参加したはずの、その記憶が、彼はごっそり抜け落ちている、ような?」

「──はあ?」

 

 要領を掴み損なうカワウソに対し、天使の澱で最高位の知恵者として君臨する熾天使が、間髪入れずに説明する。

 

「ガブが記憶をいじる前の段階で、ウルヴ・ヘズナ族長の記憶に、何らかの細工がされていた可能性があるようです」

「……それは、どういう?」

 

 これは、昨日カワウソが自室にこもった後、彼女から説明を聞いていたミカにしても、安易に読み解ける問題ではなかった。

 天使の澱は誰も知り得なかったが……何しろ、(ウルヴ)があの時、葬儀に際して共に貴賓席にいた人物の、その“正体”を思えば、彼の記憶にある程度の封印や操作を残すことは、必然。

 彼は、モモンたちと共に行動し会話した内容を記憶できていない……わけではなく、その正体に関わる詳細な情報を、他の存在に読み解かれないための処置を十分に施されていたのだ。天使の澱が誇る精神系魔法詠唱者であるガブの能力をも超える規模で。

 

「どうしましょう。ヘズナ族長の、カワウソ様に関する記憶は操作できましたが……」

 

 ガブが不安を覚えるのも無理はない。

 自分の精神系魔法で読み取れない領域の現象が発生したということは、単純に考えると、ガブ以上の強者の影を想起して然るべき事態といえる。

 

「いっそのこと、ヘズナの族長を拉致して抹消……は、ダメでしたね。愚昧な失言、失礼いたしました」

「いいや、ガブ。報告、ありがとう」

 

 彼女の話は、カワウソの中のある仮説のひとつを補強する材料となりえた。

 ギルド長として相応しい、余裕に満ちた微笑で頷くことで、彼女の忠勤に応じてみせる。

 そんなカワウソの言動に対し、聖女は子供のようにはにかんで感謝の極みを言葉とした。

 

「あ、あああ、ありがとうございましゅ!」

 

 大事なところで噛み噛みになる防衛隊の隊長補佐たるNPCに、全員が表情を綻ばせた。

 

「ああ。それじゃあ次は、……ラファ……おまえが行っていた、冒険都市の報告、だな?」

「はい。()(しゅ)よ」

 

 ガブの隣で誠実に頷く牧人姿の天使。

 

「ですが、それらすべてを報告するよりも先に、最も重要な案件をひとつだけ」

「重要な?」

 

 立ち上がったラファは、足音すら聞こえない丁重な足運びで、ギルド長の席に近づき、三歩ほど離れた位置で片膝をついた。

 

「実は、自分が調査に赴きました冒険都市にて。一等冒険者(ナナイロコウ)“黒白”の一人である純白の騎士……いえ」

 

 銀髪の天使はひとつの封書を取り出し、主人であるカワウソに差し出す。

 

「アーグランド信託統治領を治める“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”──アインズ・ウール・ゴウン魔導王の同盟者──ツアインドルクス=ヴァイシオンなる存在と邂逅し、ここに“招待状”を、受け取っております」

 

 両手で恭しく捧げられたものを受け取ったカワウソは、赤い封蠟に竜の紋様を施された封書を手にし、表を見て、裏を見て、二度ほど()めつ(すが)めつした後、

 

「……はぇ?」

 

 何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




冒険都市編では現在まで生き延びた(?)キャラが多数登場予定ですが、いろいろあって省略。

次回、アインズ様のターン──

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。