オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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敵対 -2

/OVERLORD & Fallen Angel …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上が、マルコが失敗した、彼等との交渉の顛末(てんまつ)であった。

 

「……はぁ、ぁぁぁ~……」

 

 残された新星戦闘メイド・マルコは、ここ数年ほど感じたこともない失意に項垂れ、白金の髪を乱暴に掻いて、たっぷり数十秒は「ああああ~」と苛立ちの声を零した後、思わず謝辞を紡いだ。

 

「申し訳ございません。アインズ様。私の、力が及ばずに──」

 

 ここにいるわけもない御方へ懺悔(ざんげ)した、その時。

 

「謝る必要はない、マルコ」

 

 ありえない声に対して、盛大に吹き出す。

 そんなリアクションをして咳き込んでしまう娘の背中を、叩くものが。「大丈夫か?」などと()かないでほしい。

 転移魔法の気配はありえない。現れた御方は、装備していた“〈認識阻害〉の首飾り”など、数個のアイテムを解除して、マルコの感知可能な世界に顕現したのだ。

 現れた一等冒険者の人間の(なり)は、漆黒の全身鎧のそれではなく、あまりにも煌びやかな、いつもの闇一色のローブ姿。ちょうど時間だったのだろう効果制限時間に達して、人間化した表面の受肉体が、(ほど)けていく。

 解けた後に現れたのは、骸骨の魔法使い。

 ナザリックへ先に帰還したはずの、至高の御方。

 最上位アンデッド・死の支配者(オーバーロード)──最高品質の装備品を数え切れぬほど保有する絶対者の偉容が、ナザリックの新しい星たる戦闘メイド部隊の統括に、慈しみの視線をいっぱいに注いでいる。

 

「ちょッ! い…………いつ、から?」

「おまえが正体を明かす前あたりから」

 

 ほぼ最初からではないか。

 マルコは頭を振りつつ、慣れ親しんだ調子を大いに含みながらも、御方を諫める言葉を連ねるしかない。

 

「ああ、もー……だから……なんで、そんなに、自分から危険へと近づかれるのです? 相手は、あの“ユグドラシル”とやらから来た存在なのでしょう? だったら、もっと、警戒しても?」

 

 マルコはいざとなれば、ナザリックが誇る神官・一般メイド四十一人の長たるペストーニャの蘇生で何とかなる予定だ。混血種であろうとも蘇生魔法での復活は可能なことは実験し、把握済み。

 だが、アインズは、プレイヤーという御方は、そうはいかない。

 少なくとも、アインズ・ウール・ゴウンは“プレイヤーの蘇生実験”を、未だ、行えていなかったのだ。……まだ。

 

「わかっている。だからこそ、これほど危険な任務を、おまえに任せるしかなかった。おまえ以外の誰にも、この任務は果たせそうになかった。──そして、それは私の不徳に他ならない。許せ、マルコ」

 

 そう言って微笑まれたら(骸骨の表情だが、マルコには完全に判る)、何も言えない。

 

「しかし。私は今、最後の最後で──こんな、失態を」

「失態であるものか。おまえは私の命令通りに動いた──これはひとえに、私の失敗(ミス)だ。許せ」

 

 この人の言葉には、昔から本当に、かなわない。

 困ったように、照れたように、頬骨を掻く仕草が実に面映(おもは)ゆい。女を魅了するというよりも、小さくいとけないものを庇護したいという欲求を懐かせるのに近いだろう。いや、護られているのは確実に、マルコの方なのだが。

 

 メイドは真摯(しんし)に思う。

 この御方の、何もかもを、護って差し上げたいのだ。

 

 メイドが恋し愛し合う殿方……赤ん坊の頃から共に過ごした幼馴染(おさななじみ)の父君であること以上に、アインズ・ウール・ゴウンという人物の人格に、マルコは心服の限りを覚えている。

 この方に仕え、この方に尽くし、この方のために祈る。

 それは、マルコが(ちぎ)りを交わす予定のユウゴ……王太子殿下や、彼の妹たちの姫・王女殿下、すべてのナザリックの子供たちも、また同じ。

 

「もう、わかりました。

 けれど、一人でなんて、あまりにも危険すぎ」

「一人ではないさ」

 

〈認識阻害〉の魔法のアイテムが、連中に──カワウソやミカたちに一定の効果があることは、デミウルゴス大参謀が実践確認済み。

 それらを共に駆使してアインズの護衛に参じていた人間種の階層守護者、闇妖精(ダークエルフ)の双子──王妃が、二人。陽王妃殿下と月王妃殿下の、美少女と青少年の、御二人。

 

「大丈夫だよ、マルコ!」と頷くアウラ。

「えと、あの、その……」と俯くマーレ。

 

 そして、さらに、もう一人。

 

「マルコ」

 

 咄嗟に「ユーちゃん」と返しかけて、口を(つぐ)んだ。その呼び名は、人前で交わすのは大いに(はばか)りがある。もはや、そういう間柄なのだ。

 彼は、この世で、この大陸で、最も尊い御方の、──実の息子。

 身に着けた衣装は、どれも完全特級……魔導国内の技術と魔法を凝縮された品々。父や母たち、大参謀や大将軍や家令、さらには唯一の“兄”である宝物殿の管理者、パンドラズ・アクターたちが見立て整えてくれた装備類。ナザリックの贅を凝らしつつ、あくまで機能的に、かつ洗練された造形美に結晶された魔法の宝飾品と〈上位認識阻害〉のローブ。腰に帯びた宝剣と魔法杖より繰り出される物理攻撃と魔法攻撃の両立した戦闘方法は、あと数年で、守護者たちのレベルに匹敵し完成されるだろうと、父であるアインズその人から評されて久しい。

 あまりにも急な出来事で、臣下の礼をとることすら忘れるほど、その青年との邂逅に(ほだ)される。

 

「ユウゴ──殿下」

「ご苦労様。もう、大丈夫」

 

 そう言って、王子はメイドの傍に歩み寄り──そのまま包み込むように、マルコの全存在を抱きしめてしまう。

 母譲りの黒髪と美貌と双角、焔を宿し煌く金色の瞳に、悪魔の若々しく優し気で柔和な青年の表情が、よく似合う。

 父譲りの魔力を繰り操る心臓と闇を内包するそこは、堅牢な(しろ)い肋骨に秘め護られ、愛しい鼓動を響かせてくれる。

 マルコが幼き頃から共に育ち、過ごし、遊んで、いつしか惹かれ合い、数十年の逢瀬の果てに結ばれた、この世で最も愛する男性(ひと)

 

 父であるアインズ・ウール・ゴウン御方への信愛と親愛と真愛に生きる息子。

 ナザリック地下大墳墓に属する全ての存在たちから敬服と敬慕される第一子。

 臣民やナザリックの子供たち──異母妹たちからもアプローチが今尚ある男。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下「親衛隊」総隊長職を与えられた王子。

 母たる女淫魔(サキュバス)と父たる不死者(アンデッド)の王より生まれた、異形の混血児(ハーフ・モンスター)たちの代表者。

 

 ユウゴ第一王太子殿下。

 

 彼の腕の(なか)(いだ)かれて、マルコは安堵の心音を己の内側に感じ取る。

 

「おかえり」

「……ただいま、ユーちゃん」

 

 互いの声のみが聞こえる距離で(ささや)き合う。

 言ってやりたいことはいろいろと──それこそ、魔法都市(カッツェ)で勝手に様子見していた話とか、いくら事情を知っている父君や異母たちの視線しかないと言っても、人前で“王子がメイドを”かき抱くのは()しなさいとか──あるが、とにかく、マルコは任務の重責以上に重く()し掛かっていたプレッシャー……未知の多いユグドラシルプレイヤー・カワウソと対面し続ける間、ずっと張り詰めていた緊張の糸を、ほどく。

 愛する彼の首筋に、熱い頬を重ね、じゃれるように額を黒髪にこする。

 若干、少しの間をあけた後、魔導王の咳払いが場を引きしめる。

 王子(ユウゴ)女中(マルコ)を抱いたまま、振り返った。

 

「父上」マルコの心臓を唯一ときめかせてくれる、聡明な響き。「あの堕天使、カワウソという名のユグドラシルプレイヤーは、いかように?」

 

 声には優しさしか感じられない。

 彼の種族が“淫魔”を半分含んでいるとしても、あまりにも美しさと慈しみに満ちた音色。

 不遜にも、王子の婚約者・未来の伴侶・ナザリックが誇る新たなシモベ・幼馴染のマルコに対して、あろうことか武器を眼前に差し向けることで制止させた──止められたマルコは、まったくの無傷で済みはしたが──“敵”勢力の首魁に対し、……だが、王子は冷静であった。

 あくまで魔導国王太子としての公的な立場に立っての、意見具申を述べる。

 

「ユグドラシルの存在が“敵”となった以上は、国民への被害と、我々ナザリックへの害悪は掃滅せねばなりませぬが──彼等との交渉の余地は?」

 

 あくまで対話を模索する息子に、アインズは重く唸る。「難しい、だろうな」と率直に言い募る。

 

「我々のギルド──アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルではそれなりに恨みを買った。鉱山の独占やPK・PKKで。ほかにも、まぁ、いろいろ。彼がその恨み……怨恨から我々と協調路線を歩むことができないとすれば、こちらからは、もはやどうしようもあるまい」

「常々お聞きしておりました、『“悪”としてのアインズ・ウール・ゴウン』ですね。……ですが、たとえそうだとしても、まったく違う異世界へと流れついた、転移したという現在の状況で、そのような過去に拘泥(こうでい)する必要性は低い筈では? 父上たちの築いた魔導国の在り方を知って、それで尚も“敵対”するというのは」

「考えにくいか。しかし、それは第三者だからこそ言えることだが──まぁ、私としても、少し疑問ではある。彼はそこまで短絡的な思考の持ち主ではなさそうだった。そんなに我々への復讐がしたいなら、魔導国臣民への無差別殺戮だって選択しても…………(いや)、『第八階層への、“あれら”への復讐』と、彼は言っていたよな?」

 

 彼自身が敵対する最大理由として挙げていた内容は、アインズにしても信じ難い。

 

「ならば、まさか、あの1500人の…………いや、だとしても、天使種族プレイヤーは第五階層までに一掃したはず。カワウソが、あの大侵攻の関係者だとしたら、転生して、今の種族に?」

 

 ぶつぶつと沈思の海を漂い始めるアインズは、深く考え込むその前に、

 

「…………いや、この話は戻ってからだ」

 

 今は任務を果たし終えたマルコの無事な帰還を言祝(ことほ)ぐべきと、アインズは〈転移門(ゲート)〉を開く。

 

「今は帰ろう。我等の(ホーム)──ナザリックへ」

 

 アインズが仲間たちと共に築き上げた、ホームへ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 王子の腕に護られるメイドは、男のエスコートを受け取り、顔を真っ赤な笑みで彩って、彼と共に真っ先に、転移の門の向こう側へ。

 

「…………」

 

 自ら進んで居残ったアインズは、彼等が……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と名乗る天使たちが立ち去っていった〈転移門〉の残滓を探るように一度だけ振り返り、惜しみながらも顔を背けた。

 アインズが存在しない脳内に描いた“計画”が、すべて絵空事に堕した気分だ。

 彼となら、「うまくいくだろう」と思えた。だからこそ、アインズは冒険者の偽装(カバー)で彼と行動を共にしてみた。

 アインズが予想していたよりも好印象な人物という印象が強かった。

 彼は思慮深く、礼儀正しく、それでいて一本筋が通った感じを受けた。

 ヴェル・セークら魔導国臣民たる飛竜騎兵を救った功は素晴らしかった。

 今の別れ際……マルコへ紡いだ感謝の熱量は、アインズは本物だと感じた。

 自分を騙していた娘を、堕天使は心から許し、そして、これまでのことに「ありがとう」「元気でな」と。

 

 

 しかし、しようがない。

 

 

 何か方法はないだろうかと考えつつも、アインズは二人の闇妖精(ダークエルフ)の護衛──連中に気づかれ開戦する事態には即応可能な人間種の守護者──魔獣の軍団を強化指揮するアウラと、ギルド二番目の力量と広域殲滅魔法まで有するマーレ──100年の成長を遂げた王妃たちに(うなが)されて、ナザリックへと戻った。

 幾重にも張り巡らせた転移魔法の門をくぐりぬけ、可能な限りの転移追跡対策を辿った末に、およそ数分ほどかけて、アインズたちは地下大墳墓の表層──100年前に転移してから変わらず草原の中に佇むホームポイントへと、先に戻った我が子らの後を追うように、凱旋する。

 まず出迎えてくれたのは、白金の髪と口髭の老執事。

 

「おかえりなさいませ、アインズ様、アウラ様、マーレ様」

「うむ。ご苦労だった、セバス」

 

 その隣に並び立つのは、先に戻していたアインズの自慢の息子──悪魔と不死者の混血児が、マルコと共に臣下の礼で迎え入れてくれる。

 

「父上、おかえりなさい」

「ただいま、ユウゴ」

「早くお母さまたちの許へ。せっかく数日ぶりに戻られたのに、また御無理を言って困らせたのですから」

 

 魔導王は王子の忠言に心から頷き、微笑む。

 アインズが再び飛竜騎兵の領地──そこで急遽任務内容を“交渉”に変更されたマルコの身を案じ、「戻る」と言ったときは、守護者全員が反対した。いかに〈認識阻害〉が強力な隠れ蓑になるとは言え、何が起きるか判らなかった。わざわざマルコを折衝(せっしょう)に向かわせたのに、アインズが交渉の現場に遭遇する理由はないはず。だが、アインズ個人としては、彼等との交渉が難航しようものなら、直談判も同然にアインズ自身が交渉に向かってもよかったのだ。

 現在の地位こそ大陸全土を統治する魔導王として君臨するアインズも、もともとはただのユグドラシルプレイヤー。同じゲームを遊び、同じ異世界転移という馬鹿げた異常現象に遭遇した彼の力になれればと……そのために確認しておきたかった、彼の性向や人格が、魔導国で暮らし協調可能なものだと判断できたからこそ、彼等を“傘下”に誘ったのだ。

 だが、結果はアインズですら思いもよらぬ展開を見せた。

 カワウソの主張を、「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる」という宣言を聞いた時は、骸骨には存在しない己の耳の機能を疑った。

 彼のいっそ誠実なほどまっすぐな宣戦布告に、アインズたちは何もできなかった。

 交渉が難航どころではなく、最初から交渉“不能”だったのだと、遅まきながら気づかされたから。

 だとしても、解せない。

 一体、何が彼を駆り立てるのか。

 アインズ・ウール・ゴウンの“敵”として、ナザリック地下大墳墓に──あの第八階層の荒野に挑み戦おうとする気概が、アインズをしても理解不能な次元に到達していたのだ。

 (いわ)く「仲間とのかつての誓いを」「第八階層の“あれら”への、復讐」だったか。

 だがそれは、この異世界で、この魔導国で、彼がそこまで執着し執心するほどのことなのか?

 ……あるいは、アインズがアインズ・ウール・ゴウンの存在を不変の伝説にしようとしたのと、同じ?

 ──だとしても、解せない。

 彼には、ナザリック地下大墳墓を攻略する手段が、力が、存在しているのだろうか。そうでもないのに死戦を繰り広げるなど、間違いなく思考が破綻している。マルコが惑乱するのも無理もない。というか、傍で聞いていた時、アインズはあまりの主張に放心しかけたくらいなのだ。

 カワウソが、100年後に現れたプレイヤーが、アインズ・ウール・ゴウンへの勝てるはずのない戦い──何の意味もない挑戦──“復讐”に奔る根本的な理由(ワケ)は、未だ謎のまま。

 あるいは、あの1500人の中に、カワウソは参加していたとしたら……

 

「何にせよ。警戒するに越したことはないか」

 

 彼の能力は扱っていたスキルなどから判断するに、熾天使から降格した「堕天使Lv.15」であり、「聖騎士」などの信仰系が多数を占める模様。

 世界級(ワールド)アイテムを保有する可能性は──高い。

 ツアーが、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス=ヴァイシオンが語る『100年周期のユグドラシルからの到来者』の情報だと、世界級(ワールド)に類する何かが渡り来ることがほとんどだと言う話だ。ならば、彼も最低一つは、世界級(ワールド)アイテムなどを有すると考える方が自然のはず。それが何なのか──アインズですら知らない類の、ネット上で知られた有名な物以外だとすれば、警戒以外の選択肢は存在しない。

 

「さてと──」

 

 予定通り、表層の門扉で待機していたセバスに出迎えられ、先に戻していたマルコとユウゴたちと合流し、言葉の遣り取りを終える。

 次に、アインズはそこに佇む者たち──アンデッドの軍勢に、命じる。

 

「おまえたち。ナザリックの表層警護は任せるぞ。不審な影を発見次第、迎撃と連絡を」

 

 アインズの副官のごとく頷いたのは、ナザリックの拠点NPCでは、ない。

 

『かしこまりました、アインズ様』

 

 アインズが生産した希少な上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)複数体をはじめ、飛行能力と非実体化が可能な蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)たちや、探知に特化した集眼の屍(アイボール・コープス)。死と腐敗のオーラを纏う盗賊系アンデッド永遠の死(エターナル・デス)に、禍々しいほど巨大な処刑鎌(デスサイズ)を担ぐ具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の姿まで。

 個人的にアインズが生産できている上位アンデッドの総数は50にも満たないが、中にはLv.90の大台に達するモンスターたち。彼等はナザリックの守備兵たるエルダーガーダーやマスターガーダーと共に、不測の事態に備えている。

 この世界の「触媒」の中で特に希少価値のある死体を使用したことで、都市駐屯用の死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と同じ“永続性”を獲得した作成召喚モンスターたちが、大墳墓の入り口に(たむろ)し、万が一、億が一の侵入者を悉く阻むための体制を構築済み。

 堕天使の連中や、あるいはまったく認知していない第三勢力が無策に飛び込んでくれば、確実に進退を窮めるだろう最精鋭たちだ。

 後事は彼等に任せ、アインズは合流したセバスたちと共にナザリックの第十階層・玉座の間へと転移。

 

「おかえりなさいませ、アインズ様」

 

 そこで監視の目を光らせ、天使ギルドたちへの反撃に燃え焦がれるNPC、階層守護者たち──第四と第八を除くほぼ全員が、主人の無事の帰還を心から歓び迎える。

 彼等の頭上──豪華なシャンデリアが飾られる天井空間に、どこか工場のような金属質な部屋の光景を投影する〈水晶の大画面(グレータ・クリスタル・モニター)〉が。

 

「ただいま」アインズはそこに並ぶ守護者やNPC一人一人に感謝の言葉をかけたい衝動を押し殺して、悠然とした支配者の歩みで玉座へと急ぎつつ、事態の展開を訊ねる。「敵NPC……花の動像(フラワー・ゴーレム)と死の天使とやらとの、戦闘状況は?」

 

 花の動像というレア種族NPCには、守護者最大のガルガンチュアが。死の天使という下等天使NPCには、アインズの“三助”を担う三吉と、追加で上位アンデッド部隊たる死の支配者(オーバーロード)四体が、それぞれ投入された。

 こちらが負ける要素がまったくない戦闘配置だと、アインズは確信していた。

 故に、相手が逃走撤退したり、あるいは降伏したりするのであれば「慈悲」をかけることも言明していた。厳命していたのだ。

 だが、「戦闘状況」を訊いた途端に、そこへ居並んでいたシャルティア、コキュートス、デミウルゴス──彼等が引き連れていた部下たちが、一斉に沈鬱な表情を浮かべる。何か、こう、やり場のない怒りに震えているような、そんな印象。今まさに帰還したが故に詳細を知らぬアウラ、マーレ、セバス、さらにアインズの息子とセバスの娘が、疑問に首を傾げた。

 口火を切ってくれたのは、彼等の代表たる魔導国大宰相の女悪魔。アインズの最王妃。

 

「──まず、シズたちの状況から」

 

 アルベドは、シズたちが交戦していた南方での戦闘が、花の動像・ナタの転移撤退によって落着したことを簡潔に、かつこちらの被害が軽微で済んだこと──シズ・デルタとガルガンチュアは崩壊した新鉱床の復旧作業をナザリックから派兵されたアンデッド兵やゴーレムに代行して、ナザリック第四階層“地底湖”へ帰還済み・順次修復作業中であることを説明するが、その声の中には、何か言い難い雰囲気を巧みに隠していた。……アインズは彼女の夫となって90余年。そういった機微にも自然と聡くなっている。

 だから、アインズは問い詰めるでもなく、優しい音色で(たず)ねる。

 

「どうした、アルベド?」

「いえ──その、ガルガンチュアの負った損傷も軽く、拠点運営費や素材の消耗も最小限に」

「うん。無事で何より。それはわかった。二人にはあとで、私が直接会おう……ところで」

 

 アインズは静かな声で問う。

 

「……ソリュシャンの方は、どうなった?」

 

 あの二人の住まいは第九階層。

 それを思えば、二人がこの玉座の間に帰還・凱旋し、アインズへの直接報告や何やらを告げるべく待機していてもおかしくはなかった。

 まさかという可能性が、アインズの存在しない心臓をチリチリと焦がす。

 殺害されたのであれば、そう言えばよい。

 そうなっていたら、アインズは全身全霊を賭して、あのギルドを即座に、即行に、潰しに行く。

 協調も協力もない。

「今回はダメだった」と、素直に諦めるだけだ。

 堕天使のユグドラシルプレイヤー・カワウソをねじ伏せ、仲間が残した我が子らを滅殺した罪を償わせるために、何の迷いもなく驀進(ばくしん)するのみ。

 だが、それはありえなかった。

 

「ソリュシャン・イプシロンと三吉については、未だ、戦闘中、とのことで」

「……なに?」

 

 アインズは瞠目した。

 ただ殺されたよりも意外に過ぎる報告内容に、アインズは玉座から少し腰を浮かしかける。

 

「待て。私の上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)四体からなる部隊は、投入されたのだよな?」

「はい。間違いなく」

「では何故、戦闘が継続中だと? 死の天使のイズラとやら──即死能力に特化した天使は、死の支配者(オーバーロード)四体と拮抗しているというのか?」

 

 それは、ありえない。

 死の天使は極めて厄介な即死能力を有するが、逆に言えば、それだけ。それだけなのだ。

 いくら拠点製作NPCであり、推定Lv.100の……他の種族や職業のレベルを保持していると仮定しても、死の天使が最も得意とする分野を、攻撃手段を、生産都市に派兵した上位アンデッド部隊であれば封殺し尽くすはず。アンデッド種族に、即死能力は無効化される。にもかかわらず、まだ戦闘が継続中というのは、あまりにも不可解極まる。

 

「正確には、その……死の天使であるイズラとやらは、完全に封殺できておりました。敵NPCは、あと一歩のところまで追いつめることができており、御身の創造せし上位アンデッド部隊は、役目を果たす……直前で」

 

 アルベドが美貌を歪め、苦虫を噛み潰したような渋面(じゅうめん)で、吐きこぼす。

 アインズは早口で再議する。

 

「“直前”? それはどういうことだ? 天使が逃げて撤退した、というわけではないな。ならば戦闘中であるはずがない」

 

 それに、アインズは直感していた。可能性として、NPCが「逃げる」という事態はないと、そう思っていた。拠点NPCの忠誠心と戦闘意欲は、自分たちナザリックのシモベたちの例から見ても容易に想像ができる。敵に尻尾(しっぽ)を巻いて逃げることは、彼等にとってはありえない選択肢だ。それならば、まだ「自害」を選択することを良しとする。自らを創造してくれた者たちへの、篤い忠義がそのように行動させるのだ。

 では、死の天使に、戦局逆転の手段があったのか?

 

「──映像は? 都市動力室内、作業監視用の映像記録ゴーレムは?」

 

 見上げた大画面には、相変わらず……何故か、微妙に這うようにして自走している視点がひとつ、浮かんでいるだけ。そのほかの映像──大量に動力室内に配置設営されたゴーレムの、監視カメラのごときそれは、どこにもない。

 アルベドは事実を告げる。

 

「破壊されました」

 

上級道具破壊(グレーター・ブレイク・アイテム)〉と同様か、その中で動像(ゴーレム)系統の道具破壊に特化した広域拡散系の力──見たところの印象だと雷の魔法によって、魔導国の誇る監視手段のひとつを潰された、と。

 アインズは、呼吸など不要な肉体の内に息を呑む。

 魔導国内で製造される監視ゴーレムは、それなりの精度を誇る。さすがに、高度な潜伏や隠形化を見透かせるものは多くないが、それなりの映像記録目的……ただのカメラ機能に特化したそれらは、現在の魔導国臣民──製造業者が量産してくれているのだ。単純な防犯目的のそれは、魔導国の中枢たるナザリックによって、即時情報開示……玉座の間へとリアルタイム映像を届けることも可能な、ある種の〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉のごとき性能を発揮してくれる。

 それを、三十一基あったゴーレムを、完膚なきまでに、破壊し尽くしたという。

 

「かの地より届けられる映像は、現在、これひとつのみです」

 

 言って、アルベドは水晶の大画面に、都市管理魔法供給用の動力室の光景……その戦闘風景を、仰ぎ見る。

 

「この映像は、遠隔視のもの、ではないな?」

 

 それこそ、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を使用したのかと思考したが、だとすれば視点変更が“自走”するはずがない。鏡は使用者の意志のみで視点視野の変更と拡大縮小を可能にする。さらに、あれは情報系対策を張り巡らされた場合、それ以上の遠視や透視は不可能な、比較的微妙性能のアイテムなのだ。実際、アルベドたちがゴーレム破壊を確認した後、使用せんと試みたものの、鏡は動力室の内部へは潜れず弾きだされたのだという。

 さすがに、ユグドラシルの存在がいる以上、相応の情報対策手段やアイテム効果は、あって当然というべきか。

 

「いや──少し、待て。都市内の、動力室監視用ゴーレムは、誰に破壊された?」

 

 死の天使が破壊したのかという問いに、アルベドは首を横へ。

 

「あの忌まわしき女熾天使……名を“ミカ”とかいう敵NPCが」

「な、何だとッ!?」

 

 おかしなことを聞いた気がした。

 アインズは、雷の魔法を死の天使が使ったと誤認してしまった。

 しかし、そうではなかった。

 ミカという名前は、カワウソの副官として仕えていた熾天使(セラフィム)のNPC。奴には確かに魔や悪、負の属性への特効能力があったとアインズ自身の目で確認済みだったが、まさか道具(アイテム)の破壊工作も得意だったとは。

 ミカと呼ばれる彼女は、おそらくカワウソの命令で、イズラとやらの救援と停戦に向かったのだろうと納得する。

 では……ならば、この映像は?

 

「これは、ソリュシャンと三吉からの、中継映像になります。二人が、あの戦地に残留してくれたおかげで、室内の監視がかろうじて継続できている状況で」

「ソリュシャンたちが?」

 

 なるほど。

 ソリュシャンには盗み見に長けた能力があったことを思い起こす。

 二人は戦闘圏から脱しはしながら、盗み見に最適かつ安全な位置取りで、映像をナザリックに送信してくれているのだ。自走する映像というのは、スライムの視点と運動と思えば納得がいく。やはり、ソリュシャン・イプシロンは優秀である。これほどの対応力を有している彼女たちだからこそ、格上と思しきNPCと渡り合えたのだろう。

 アインズは冷静さを取り戻す。

 破壊されたこと自体は驚くほどのことはない。Lv.100の存在であれば、アインズの腕力ですら、ゴーレムのカメラ部分を割り砕くことは容易い。死の天使の破壊工作でも、同じことは容易だろうと思った。

 だが。

 破壊したのがイズラではなく、よりにもよって、熾天使の、カワウソの副官がごとき女が、“ミカ”がやったという。

 アインズは先ほどの、飛竜騎兵の領地近郊の森でカワウソがマルコに話した内容を盗み聴いていた。

 故に、当然、疑問した。

 

「──待て。先ほど、彼は、カワウソは、自分のNPCは撤退させる──と──」

 

 映像は、ソリュシャンの左目からの“ただ一点のみ”から供給されている。

 故に、映像は多方向から分析可能なものではなく、その視野に捉えるべき対象がなければ、ただの動力室内の無機質な光景が映るのみ。

 そこへ一瞬──黒い人物──異形がバックステップで飛び込み、その面貌を露にする。

 

「な……ば、バカな」

 

 その黒い髪、黒い貌、黒い鎧は、すでにアインズは知っている。

 アインズたちが戻るまでに──“敵”となった彼等や、100年の「揺り戻し」で現れるユグドラシルの第三勢力などを危惧して──たっぷりと時間を使い、ナザリックへと転移魔法を繰り返し行うことで追跡対策を整えていた。それにより、ある程度のタイムラグ・時間的猶予が生じていた。

 その僅かな隙に、堕天使は何もかもを手配し、自分のNPCたちの救援と後処理を速断。

 自らの手で、それらを遂行・敢行する動きを見せたのだ。

 動力室に現れた漆黒の威容は……100年後の魔導国に現れしユグドラシルプレイヤー……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長……

 その名前は、カワウソ。

 

「こちらが、ソリュシャンの避難撤退後の映像を記録した画面になります」

 

 加工編集できていないのでお見苦しいやもしれませんと断りを入れ、アルベドが(うやうや)しく差し出した端末の画面を、アインズは常の悠然とした振る舞いを忘れるほど、食い入るように見つめた。

 ──映像内容は、ほんの数分前。

 マルコと別れ、転移門をくぐって何処かへと姿を消したカワウソが、蹂躙されていた自分のNPCを護るべく──出現。

 

『お前が死ぬにはまだ早いぞ。イズラ』

 

 確かに。

 彼は先ほど言った通りに、自分のNPCを止めてくれた。

 だが、それを言った彼は、NPCの主たる彼自身は、──止まらない。

 六枚の白翼を広げるミカに張らせた防御の光壁が、死の支配者(オーバーロード)たちの力をかけらも残さずに無力化。

 誰何(すいか)の声を上げる死の支配者(オーバーロード)の賢者(・ワイズマン)に、黒い堕天使は白い剣の武装をペン回しするかのごとく慣れた手首のスナップで扱いながら、応じる。

 

『さっき、マルコにも教えてやったんだが……おまえたちにも教えてやるよ』

 

 ガチリと聖剣の柄を握りこむ、攻撃の意思。

 傲然と宣告するは、真っ黒い堕天使の微笑。

 

『ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──ギルド長。

 プレイヤーネームは、“カワウソ”』

 

 アインズは(いの)るように、我知らず首を小さく振っていた。

 もう、よせ──それ以上、言うな──もう言ってくれるな──と。

 すでに記録された端末映像の中の人物は、当然、止まるわけがない。

 というか、マルコとの遣り取りを聴いていた以上、その事実は再認識するまでもなく、理解していた。

 しかし、それでも──認めたくは、なかったのだ。

 だが、もはや、認める他ない。

 

『そこに転がっている死の天使・イズラたちの、ただ一人の主人であり──

 おまえたち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの──』

 

 敵だ、と……

 完全に、完璧に、

 彼が、彼自身の口から、表明し、宣告した。してしまった。

 玉座の間に控えていた守護者たちが、沈鬱な表情を浮かべた理由が、これでわかった。

 アルベドたちも過つことなく理解したのだ──あの堕天使と、そのNPCたちは、アインズの“敵”なのだ、と。

 誅すべき、処すべき、殺すべき“敵対者”であると。

 御方の──アインズの懐いた意図は、企図は、期待と希望は、堕天使の意思によって、完全に踏み潰されてしまったのだ、と。

 

「……馬鹿な、ことを……」

 

 アインズが悲憤と悲嘆の一声をこぼした、その時。

 

『ぁあああああああああああアアア!!??』

 

 上位アンデッドの悲鳴が、画面越しに玉座の間を震わせる。

 アインズは現在進行形の、中継映像の大画面を振り仰いだ。

 

 ソリュシャン達と交代で、敵NPC・イズラの対処に赴いた部隊──上位アンデッドの一体死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)が、漆黒の堕天使が振るう純白の神聖武器に眉間を突き貫かれ、神聖属性の力によって浄化され、果てていた。

 

 

 希少な触媒からなる上位アンデッドが、瞬きの内に討ち滅ぼされる。

 

 

 アインズたちは見届ける。

 大画面の中で、微笑(わら)う堕天使は、止まらない。

 諦めることを知らぬように。飽くなき欲望を満たすがごとく。

 次なる“敵”に向かって、彼は黒い足甲と首飾りを輝かせ、白い聖剣を構える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新

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