オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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〈前回までのあらすじ〉
 魔導国・生産都市などにて。
 天使の澱のLv.100NPCと、ナザリックが誇る戦闘メイドが戦いを繰り広げた。
 彼女らの許へ現れる、ナザリックからの強力な援軍。
 死の支配者(オーバーロード)部隊が死の天使・イズラを蹂躙したが、
 そこへ堕天使のユグドラシルプレイヤー・カワウソが現れ、宣言する。
 自分たちは、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”だ、と。


第五章 死の支配者と堕天使
敵対 -1


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やりましたわ、三吉様」

 

 ソリュシャンは、蒼玉の粘体(サファイア・スライム)の内側で、表情を喜びのあまり歪め崩す。

 人間の構造上不可能な顔面変化を催すほどの愉悦は、彼女の閉じた左目より……正確には、その閉じた左瞼の内側にあるべき眼球を、動力室内に残った三吉の分裂小体に埋め込み残したことで、そこに現れたナザリックからの援軍──アインズ・ウール・ゴウン至高の御方から直接創造された上位アンデッド四体・死の支配者(オーバーロード)部隊──がもたらしてくれた蹂躙劇を観覧し、視聴できたが故のもの。

 かつて、この異世界に転移して後に、王国での潜入調査の際に使った粘体の特殊能力。自分の構造から分裂した体組織──ソリュシャンの場合は「眼球」を利用して、一人の人間の男の企みを監視したことがある。これは第三者と視聴映像や音声を共有することまで可能だった。

 二人は動力室から、死の天使・イズラの前から退(しりぞ)きはしたが、ナザリックへと転移による完全撤退を強行したのでは、ない。

 彼と彼女が退避したそこは、未だ第一生産都市(アベリオン)の地下第五階層──さらに、その下に位置する場所。

 ソリュシャンと三吉は現在、イズラが(くだん)の奴隷不法売買の現場から逃げだすルートに使った昇降機の空間の底で、事の成り行きを見守っている状態だ。粘体の肉体から、視界不良を引き起こすための蛸墨(タコスミ)よろしく黒い毒霧を発生させた瞬間、三吉とソリュシャンはナザリックと連絡を取り、蒼玉の粘体の核たる本体や、攻撃用の分体のほとんどすべて(さすがに全部とはいかない。三吉の拡散させた総量は部屋全体に及んでいたのだ)を、この縦穴空間へと滑り込ませることで、あの天使の視界から消え失せることに見事成功。直後、絶妙のタイミングで投入された上位アンデッドの群れ・死の支配者(オーバーロード)部隊が顕現し、彼等が直卒する兵団が黒い濁流のごとく出現。あの死の天使の“処分”を代行してくれることに、相成ったわけだ。

 避難する際、ソリュシャンの左眼球を護るように包み込みつつ、巧みに室内の風景にカモフラージュした蒼玉一色の小粘体(ミニ・スライム)──三吉には目という機関はないが、粘体の五感で視覚は得ている──によって、死の天使が後生大事に抱えていた即死アイテムが、死の支配者の〈爆炎〉魔法で破壊、燃え尽きていく場面を鑑賞・確認することが可能だった。

 これで、ソリュシャンにかけられただろう即死能力はキャンセル扱いを受けたはず。

 高ランクの装備品やアイテムは破壊するのが難しい。破壊するのに特化した魔法・能力・特殊技術(スキル)が必須な事実を思えば、天使のノートはそこまで強力なアイテムでもなかった、ということか。

 が、念には念を入れて。ナザリックに戻った後、ペストーニャやニグレドに診察・状態把握を徹底的に行ってもらうまでは、ソリュシャンは三吉の内部空間に留まった方がよいだろう。あるいは死の天使が、超遠距離まで影響を及ぼす即死能力を保有している可能性も、0ではない。

 

「さすがは、アインズ様がこの世界の触媒を用いて存在を固着させた上位アンデッド部隊ですわ」

 

 三吉は、御方の栄光──その象徴たる永続性を保持した上位アンデッド部隊を喝采するソリュシャンの微笑に応じるように、蒼い体を震わせる。

 彼等が即死アイテムを完全破壊し、あの天使を抹消し尽してくれれば、直前まで天使の足止めを果たしてくれたソリュシャンの安全は、ほぼ保障されるだろう。ナザリックへの帰還も、凱旋(がいせん)のごとく堂々と行うことが可能になる。

 

 二人の粘体がナザリックへの完全撤退をしない理由は、いくつかあった。

 

 粘体の分裂体を利用しての戦闘監視可能範囲には制約があること。即死能力の中には、対象が完全に「逃亡行動」=「超長距離への退避」を強行した際、問答無用で抹殺する呪詛めいた強力すぎるものがあること(だが、イズラはそこまで強力なものは持っていない)。そして、ナザリックへの避難を強行した際に、あの敵性存在・イズラまで諸共に、転移魔法へ何らかの干渉を行うことで、神聖不可侵な御方々の居城に暗殺者の天使を侵入させるような事態を忌避したこと。

 何より、ソリュシャンと三吉は、栄えあるナザリック地下大墳墓のNPC──御方々の剣として、盾として、駒として、使い潰されるのを“よし”とする、忠烈・忠節・忠孝のシモベ。

 そんな存在が、一度は敵として戦った存在を相手に敗走を演じるなど「ありえない」ということ。

 いくら死の支配者(オーバーロード)部隊に最高のバトンを渡せたとしても、最初に戦端を開いた者の責務として、ソリュシャンが戦闘を見守り、威力偵察と戦況把握を続けるのは、意義深いものがあった。そして、死の天使への完全対策として導入された死の支配者(オーバーロード)四体と、彼等が召喚し直卒するアンデッド兵団では、いかに即死能力に長けたイズラと言えど、なす術もなく四方より迫る攻撃と魔法とスキルの前に蹂躙されるしかなかった様子。

 その結果を戦場に残した眼球を使って共有していたソリュシャンたちは、死の天使に降伏勧告を送る死の支配者たちに対し、死の天使が吐き捨てるようにしてズタズタでボロボロな死に体の奥底から“NO”を突きつけるところを直視する。

 イズラは石像のごとく罅割れた表情から光をこぼしつつ、かろうじて言葉を紡ぐのが精いっぱいなのに、宣告した。

 

 それはありえないことだ、と。

 

 軽く三桁のダメージ回数を加えられ、四肢は落ちてダルマ状態を晒し、その胴体と顔面に冷気属性の武器が42本も突き立っている天使は……諦めていなかったのだ。

 ソリュシャンと三吉は言葉も出ない。

 その覚悟は天晴(あっぱれ)見事なことだが、同時に、とんでもなく愚劣極まる行為とも言える。

 ここで降伏し、御方の慈悲を賜っていれば、あるいはこの天使と、その主人(マスター)とやらも許されたかもしれないのに。

 ──否。ナザリックにおいて、“死”こそが「慈悲」というもの。

 苦しむことなき死を与えられる天使の種族が、“死”を司るモノというのは、随分と皮肉めいている。

 不遜にも降伏という「慈悲」を突っぱねた天使の、穿ち貫かれ、砕き潰され、蹂躙の限りを尽くされた肉体を、さらに蹂躙して蹂躙して蹂躙するための攻撃……即死ではなく、さらなる痛みと苦しみをもたらす攻撃が無数に叩き込まれようとした……その時だ。

 

「な、アレは!」

 

 二人は愕然となる。

 ソリュシャンは左瞼を押さえ、右の眼を驚愕に見開き、三吉は動揺に全身を波打たせてしまう。

 

 瀕死の天使を蹂躙する攻撃。

 その“すべて”を阻んだのは、金髪碧眼の女熾天使。

 三対六翼からなる最上位天使の白い翼が、光の断崖のごとき峻厳な防御壁を築いていた。

 

 彼女を連れて現れた黒い……死の天使(イズラ)よりも尚「黒い」印象の強い見た目に、赤黒い円環を(かんむり)のごとく戴く堕天使の速度は、あまりの超速。

 熾天使と堕天使は、動力室の一角に開いた白い闇の向こうから、この戦場に渡り来た。

 

『おまえが死ぬのはまだ早いぞ。イズラ』

 

 告げる堕天使の声が、左目越しに聴こえてくる。

 ソリュシャンと三吉は知っている。

 ナザリックに存在する全シモベが、その天使たち──アインズが特別に厚情と期待をかけて、御身自らが足を運び接触を試みていた、ユグドラシルの存在──を、知っていた。知っていなければならない。

 見れば、イズラの表情が一変していた。

 今まで圧倒的不利な戦況でも、今まさに死に瀕しながらも、上位アンデッド部隊からの蹂躙劇を被っていた時にも、焦燥も恐怖も懐いていない調子を取り繕うでもなく、常に余裕の微笑を浮かべていた死の天使──イズラの砕かれて罅割れた面貌が、あまりにも信じがたい光景を直視したがためか、見るも無残な色彩に……絶望の色に、蒼褪(あおざ)めていく。

「なぜ」と疑念するイズラに、堕天使と熾天使は応じない。

 死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)誰何(すいか)と警告に、現れた堕天使が、真っ向から応じる。

 

『さっき、マルコにも教えてやったんだが……おまえたちにも教えてやるよ』

 

 マルコとは。

 戦闘メイド(プレアデス)たるソリュシャンの上司──セバス・チャンの愛娘(まなむすめ)であり、初代・現地人メイド部隊の(おさ)として、終生ナザリックと御方への忠節を捧げたツアレの遺児であり、今は亡き母の跡を継ぐがごとく“愛する幼馴染の殿方”の御付き女中(メイド)として任務に励み、ナザリック地下大墳墓に絶対的忠誠を捧げる親衛隊の一部隊の統括として責務を果たす同胞であり、御方の継嗣たる王太子殿下との婚約が内定している未来の王太子妃(おうたいしひ)候補の、一人。

 

 竜人と人間の混血児(ハーフ)──マルコ・チャン。

 

 強力なNPC限定種族・竜人の混血種ゆえの類まれな能力と、現地の因子が与えた“生まれもっての異能(タレント)”を応用した戦法を巧みに操る「初見殺し」な力量を備えつつ、ナザリック以外への対応力(異形種との混血で、彼女の性格や言動は割とマシな、父母譲りの風当たりの良い人格)もあるという点から、未知のユグドラシルからの到来者の内偵調査にうってつけな人物として、先遣調査に派遣されていた。

 あの()の第一次的な接触任務・身分を偽っての“下調べ”のおかげで、あの堕天使プレイヤーの名称が“カワウソ”であることや、彼の人物像を直に知る機会に恵まれ、その功績もあってか……この状況では「せい」かも知れないが……アインズ・ウール・ゴウンその人が、あの堕天使たちとの直接交流を希求する結果を生み、事実、堕天使の能力や性向について、御方が直接現場で把握し理解を得られたという、絶対の成果を挙げている。

 だが、事ここに至っては、その試みは失敗だったのだろうかと想起されてならない。

 あの堕天使は、現在マルコが交友関係を築き、飛竜騎兵の領地で共に行動を取っていたはず。

 なのに、何故──

 このアベリオン生産都市、その地下階層に、奴等堕天使が出現したのか?

 御方からの指示に従い、連中と共に行動していたはずの、マルコの安否は?

 ソリュシャンが疑念し義憤する間もなく、堕天使プレイヤー・カワウソは、信じがたい宣告を始めてしまう。

 

『ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──ギルド長。

 プレイヤーネームは、“カワウソ”』

 

 朗々と紡がれる声音は、あまりにも透き通って聴こえた。

 はっきりと告げられる情報内容に、虚言も虚飾も一切感じられないほど、彼の言葉は真実味を帯びている。

 

 

『そこに転がっている死の天使・イズラたちの、ただ一人の主人であり──

 おまえたち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの──』

 

 

 敵だ。

 

 

 ──そう、堕天使自らが、布告。

 ソリュシャンと三吉は、その事実を聴かされて──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少しばかり遡る。

 

 

 

 飛竜騎兵の領地──直立奇岩地帯の麓に広がる森。

 ソリュシャンが安否を不安視してしまったメイドは、そこで突っ立った姿勢のまま。

 

「はぁぁ……」

 

 白金の髪の乙女──先ほどまで男装の修道服に身を包んでいた肢体に、彼女専用の美しくも機能的に整えられた戦闘用メイド服に早着替えしていた竜人の混血児(ハーフ)は、盛大に溜息をついた。

 先ほどまで、自分の眼前に存在していた脅威──魔導国の部隊と敵対し交戦に及んだNPCたちの長であるはずのユグドラシルプレイヤーと、その護衛たちとの交渉・折衝に…………“失敗”して。

 

 堕天使の告げた宣言を、マルコはこの世界の誰よりも先に、聞いた。

 

 聴かされることに、相なった。

 

 

 

 

 

 マルコは思い出す。

 

 

 

 

 

 堕天使とその一行に、マルコ・チャンは自分の正体と所属を明かした。

 そして、御方から命じられた通りの契約を持ち掛けた。

 

 ──彼等を、魔導国の傘下に。

 

 だがカワウソは、マルコとしては意外なことに、手を伸ばそうとは、しなかった。

 どころか、差しだそうとする手をもう片方の手で制止するのに、必死だった。

 ほとんど無意識的に、彼はナザリック地下大墳墓への帰属と服従を忌避する構えを見せた。

 それは、あまりにも不可解に思えた。

 この魔導国傘下入りの利点は数えきれず、彼と、彼のギルドは、彼と冒険者の姿で交流した御方より、祝福を授けられたも同然だと、「ナザリックに属する者」のまったく正しい認識の下で、新星・戦闘メイド部隊のリーダーは思考していたのだ。

 無論、マルコは与り知らぬカワウソの心情──ユグドラシルにおけるギルド間契約に基づく意味での“傘下”しか知らぬカワウソにとって、マルコが示した魔導国への傘下入りの素晴らしさを知らぬ事実を、決定的に読み違えてしまった。アーグランド信託統治領域然り。外地領域然り。他にも様々な種族や現地人が、魔導国の傘の下に護られていることを、カワウソ達は自分たちで調べるか、あるいはマルコ達に教えられ知ってはいたが、まさか自分(カワウソ)たち自身がその恩恵とやらをもたらされるなど、一考すらしていなかった。

 

「──失礼。少々お待ちを」

 

 ナザリックから事の成り行きを見守りながら、〈伝言(メッセージ)〉と同じ機能を有するピアス──魔法の通信端末装置越しに、連絡をとる。

 

「アルベド様」

『マルコ。交渉が難航しそうなら、プランEまでの選択遂行を許します』

「承知しました、アルベド様。確認しますが、契約内容の、その、自由度については?」

『基本的に、ナザリックや魔導国の害悪となる“以外”のものなら、(おおむ)ね受諾して構いません。ユグドラシル金貨は十億単位まで供出可能。外地領域……飛竜騎兵の領地などの自治権の認可も概ね許します。ただし、封印領域であるスレイン平野はダメよ(・・・・・・・・・・)。彼等の自由行動や、魔導国の国籍取得も、条件付きでアリ──これらはすべて、アインズ様の“御命令”。──いいわね?』

「はい。わかりました」

『お願いね、マルコ』

 

 近く義母(はは)となる最王妃殿下からの、親愛に満ち満ちた声音が途切れる。

 カワウソの行動、というか、この一連の交渉は、ナザリックにも逐一把握されている。

 彼との交渉役を務めるマルコは、彼にとっての好条件を探るべく、ある程度の裁量権を与えられていたが、ナザリック地下大墳墓が率いる魔導国に属することを拒否せんとする姿勢というのは、現状を考えるなら──いただけない(・・・・・・)

 傘下入りの具体的な折衝内容を詰めようというわけでもなく、またカワウソたちにとってなるべく有利な条件を引き出そうという意気込みも感じられないのは、完全に予想外だ。少なくとも、ナザリックの視点──魔導国の臣民たる飛竜騎兵の人々を護り、アインズの眼鏡から見ても反目や反発する姿勢が低すぎたユグドラシルプレイヤーが、ここへ来て魔導国への従属や帰依を「お断り」する姿勢を見せるとは。

 それに何より、今は火急の時。

 現在、彼等天使種族がメインの構成要員らしいギルドのNPCと、魔導国の部隊が“二つ”も接触・交戦し、とんでもない事態が進行している。

 それだけでも、カワウソたちの身を問答無用で固縛・確保する理由たりえた。

 それを強行しないでいることは、ナザリックのシモベにしてみれば破格の大温情の一環に他ならない。

 

 プランAは、即時傘下入り受諾後、首都へと召集。本契約を交わす計画だったのだが……ダメっぽい。では、プランBの傘下入り“仮”契約の締結後に、交渉要綱を詰めるべく、やはり首都へ。それも無理ならC──彼等に一定のユグドラシル金貨などの対価を一方的に支払うことで、“傭兵”のごとき立場になってくれることを提案。然る後に、今後の両者の契約などを協議しつつ、対処する。

 それすらもカワウソが突っぱねるのは考えにくいが、次のプランDで、天使ギルドの部隊二名が働く狼藉(ろうぜき)……交戦状況を確認・周知させて、とにかく相互の現状把握を。

 さすがに向こうのNPC二体が暴れまわっている状況を知れば、こちらの支配下に甘んじることで、アインズからの恩赦を賜るべきだと再考してくれる──はず。

 だが、それをするとカワウソを「一方的に隷属させる」ような形になりかねないので、アインズは出来るだけ穏便に平等に、彼を──カワウソを魔導国内部に取り込みたかったことを考えれば、あまり好ましくない手法でしかなかった。なので、プランニングだと後方に回されている。

 

 ……以上が、マルコに与えられた繁雑かつ難解な任務内容計画。

 

 連中の戦力が不明な事実を考慮し、カワウソたちが何らかの世界級(ワールド)アイテム保持者であるやもしれぬという戦力面での懸念を勘案しても、ソリュシャン・イプシロンとシズ・デルタ──マルコたちの先達にして“「新星」部隊の母”たるナザリックの戦闘メイド(プレアデス)の二人に危難をもたらす者共の首魁を捕縛・反撃しない理由が薄すぎる。

 それをしないのは、アインズがまだ、カワウソたちの尊厳と存在を、可能な限り救いたいとしているからに他ならない。

 ナザリックの最高支配者たるアインズが、カワウソという堕天使──ギルド運営に携わるべき存在(プレイヤー)に対し、そのような強硬策をとりたがるナザリックのNPCたちを制して、穏便に事を運ぶためだけに、今回の“傘下入り”が急遽制定、ここに決行されることになった。

 なった以上、アルベドたちナザリックのシモベにとっては「これを拒否することはあってはならない」──「拒絶しようものなら、御方の厚意を無碍(むげ)にする下劣な行状」と認めざるを得ない──ただの蛮行だ。最初にマルコが手を差し伸べた時点で、喜んで契約を結ぶことが絶対的であり、それ以降のプランに移行せねばならないような応対姿勢は、シモベたちNPCには、ただただ、悪印象にしか映らない。

 マルコにしても、何故、カワウソがここまで警戒と疑念を懐くのか、理解に苦しむところ。

 彼女(マルコ)にとって、ナザリック地下大墳墓は“生家”であり、アインズ・ウール・ゴウンという人物が何よりも護らんと欲する“宝物”──それだけの拠点を守護する大任を与えてくれた御方へ、最初の混血児たるマルコが懐く忠節の篤さは本物であり────と同時に、度し難いほどの、マルコとカワウソたち……両者間における「認識の断絶」を生んでいた。

 

 彼がユグドラシルの存在であれば、ナザリック地下大墳墓の偉業を、御方と同じ名のギルドが成し遂げた功績を、知らないはずがないという。

 ナザリック地下大墳墓・ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは“悪名”によってその名を轟かせ、ユグドラシル内で確固たる位置を築き上げた団体。桁違いの世界級(ワールド)アイテム保有数と、アインズたち至高の四十一人と同格の存在たち1500人の討伐行を打ち払った破格の力の持ち主たちだ。

 私怨や忌避感を懐くにしても、この“異世界転移”という現状を考慮すれば、まず間違いなく協力姿勢をとっておいた方が、万倍も「楽ができる」と思考できるはず。それこそ、アインズたちが100年前に転移した時は、右も左もわからぬ状態に放り出された。その過去を思えば、100年周期で訪れるという彼等の苦悩や不安は、確実に魔導国の支配を受け入れたいと思考するはず。そうして取り込まれた連中は、魔導国の偉大さと、偉大なる御方が成し遂げた世界征服という大事業に敬意を表し、従属を誓うのは確実に安易なはず。

 

 ……なのに。

 カワウソは手を一指たりとも伸ばさない。

 

 いくら異世界に転移した状況に混乱しているとしても、すでに転移から一週間は経過し、このアインズ・ウール・ゴウン魔導国の偉大さ──行政・統治・秩序・幸福の実現された“事実”を知る機会に恵まれ続けている。実際、そのためにマルコは派遣され、後にアインズ本人がカワウソと接触を試みて、その機会は確実に増加していた。

 そんな魔導国の傘の下に護られること……“傘下入り”が、どれだけ彼等ユグドラシルからの客人(まろうど)にとって利となるのか、判断に困るようなことは、一欠片(ひとかけら)もないはず。

 マルコが身分を偽り、彼等の偵察を行っていた事実を告げたことで警戒を懐かれる可能性も勿論承知していたが、それよりも勝る魔導国傘下の地位を、アインズ・ウール・ゴウン御方との盟を結ぶ利点と栄誉を、彼のように聡明なはずの存在が、飛竜騎兵の部族の危機を救ったプレイヤーが、理解できないはずがないと。

 

 マルコはそう信じていたし、その判断自体は極めて正しい。

 

 これが他のプレイヤーやギルドであったなら、あるいはアインズの、ナザリックの思惑通りに、すべて事は運んだかも知れない。

 だが、彼……カワウソというプレイヤーが辿った歴史が、過去が、すべてがすべてを拒絶させていたことに、誰も気づく余地はなかった。

 その時。

 カワウソもまた〈伝言(メッセージ)〉を受信したように虚空(こくう)を仰いだ。

 

「マアトか。どうした?」彼と連絡者との会話は、当然ながら第三者であるマルコの知覚できるものではない。「マアト、落ち着け。何か、あったのか?」

 

 急を(しら)せる連絡者(マアト)の言葉を脳に浸透させるように、異形の堕天使は人間にしては怪悪すぎる面貌を厳しく律する。

 

「どうした?」

 

 空間を隔てた遠方にいる連絡者(マアト)に問いかける、真剣な声音(こわね)

 その姿勢、その(たたず)まいは、見る間に頭首の風格を帯びていく。

 

「そうか──」

 

 告げられた〈伝言(メッセージ)〉の内容を認め、カワウソは笑みの相を(かす)かに厚くする。

 マルコは思った。

 ……あるいは……と。

 マルコが忠節を尽くす至高の御方と、その微苦笑は──見慣れた骸骨の表情と、目の前の堕天使の表情が──「どこかしら似通っている」ようにさえ、感じられたのだ。

 メイドは小さく首を振って、己の軽薄な思考を自戒する。

 アインズ・ウール・ゴウンは、100年続く大国の、大陸の、世界の王だ。

 ナザリック地下大墳墓の最高支配者……“至高帝”“神王長”……魔導国を統べる魔導王陛下なのだ。

 彼と御方の近似性など、未熟かつ不出来なマルコが見せた、蒙昧に過ぎる浅慮の類──数瞬の幻想と見做(みな)すべきものに相違ない。

 彼は、ただの堕天使。

 熾天使(クラス)からの“降格”者であることは、三日前に垣間見せた特殊技術(スキル)などから、アインズその人が判断を下している。

 御方が警戒しながらも特別な期待を寄せる、ユグドラシルの(いち)プレイヤーでしか、ない。

 彼は連絡者に頷きつつ、指示を与える。

 

「大丈夫だ、マアト。二人の撤退は、ギルド長の俺が手配する。おまえたちは、周辺警戒を厚くしておけ。──ああ、あと冒険都市調査中のラファを呼び戻せ。ガブに魔力の譲渡補給をさせたい。そっちの転移は、クピドに手配を……そうだ。……じゃあ、あとでな」

 

 カワウソは微苦笑を浮かべたまま、魔法のつながりを断ち切った。

 そのまま顔面を手で押さえ、くつくつと肩を震わせ、笑い続ける。

 

「ああ。そうか──そうか……あいつら…………、そうだったな。そうなんだよなぁ。く、ははは!」

 

 マルコは、堕天使の笑声に、寒気すら感じた。

 与えられた装備によって、ある程度の状態異常や属性攻撃に対策を施されたメイド長にはありえないはずの、心情。

 それはおそらく“恐怖”と呼ぶべきものだった。

 マルコは疑念する。彼は、今、何を連絡されたのだ?

 

「カワウソ様……?」

 

 女熾天使ミカや、拠点から呼び寄せていたガブやウォフという天使たちが、怪訝そうに主人の微苦笑を眺め見る。

 しかし、カワウソはまったく彼女らを意に介すことなく、ナザリック地下大墳墓からの使者たるメイドに、語り掛ける。

 

「マルコ・チャン」

 

 名を呼ばれたメイドは肩を揺らし、豊かな白金の髪を弾ませる。

 

「──ありがとう」

 

 いっそ恐ろしいほどの笑みと喜びを含ませた堕天使の告げる声に、臓腑の底が氷塊を孕んだがごとく熱を引く。

 

「おまえたちのおかげで、俺は、俺の目的を果たすことに、やっと、迷いがなくなった」

「あ…………貴方の、目的?」

 

 かろうじて問い質すことができたマルコ。

 カワウソは、ナザリックからの使者に対し、不気味なほど穏やかな声音と表情で、宣言する。

 

 

 

 

「俺は、俺のギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、

 ──アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる」

 

 

 

 

 聴いた瞬間、メイドの猛禽(もうきん)のごとく鋭い眼が、限界にまで見開かれた。

 

「ッ、莫迦(ばか)な!」

 

 マルコは思い切り叫ぶ。

 信じ難い思いをそのままに吼えて、問い質す。

 

「あ、アインズ・ウール・ゴウンの、──魔導王、陛下の、……て……“敵”?

 ……い、いったい、あなたは、何を考えて!」

 

 刹那、ガシャンと武器の重なる高音の烈響に、マルコは踏み出しかけた足を止める。

 

「──それ以上」

「お近づきにはー、なりませぬようにー?」

 

 金髪碧眼の女天使が光輝く鋭い長剣を、

 全身鎧の巨兵が長く重い樹木製槌矛(メイス)を、

 それぞれが発する高く澄んだ声音と共に突きつける。

 

「な……に?」

 

 マルコがそのまま一歩を踏み出しただけで、両者の武装の切っ先は、メイドの細い首の皮を裂きかねない。

 その事実に気づいた時には、彼女らの戦闘態勢は万全というありさまだ。

 熾天使はこれまで翼を一対しかほとんど展開していなかったが、今は熾天使(セラフィム)のみに許された「三対六翼」の純白を黄金の髪を流す背中から伸ばし。全身鎧から鋼色の翼を伸ばす巨兵は、巨大な翼から機械のごとき歯車や駆動装置の音色を奏でて扇状に拡大──翼面積を四倍にする。

 唯一、無手らしい銀髪褐色肌の女性が、カワウソの盾となる位置で二対四翼の翼を腰から生やし、魔法を唱える準備は万端という具合。ガブは飛竜騎兵の、セーク部族の者らに〈記憶操作〉を施し、魔力は尽きてからここまで回復に専念し続けていた。今なら、第十位階には届かずとも、他の有用な魔法を使って、マルコの意識に幻術を施す程度のことは出来るだろう。

 そして、ミカたちが見せたいずれの動作も、マルコの知覚できる領域を、速度を、超えていた。

 超えすぎていた。

 マルコの眼前、毛先一本分の距離しか離れていない距離に、メイドの身を貫き砕く武器の冷たさを感じ取る。

 

 だが、マルコには──この感じは覚えが、ある。

 

 ナザリック内での稽古で、鍛錬で、御方から特別な許しを得た際に行う実戦形式の練磨で、マルコは感得できていた。

 間違いなく。

 彼女たちもまた、マルコ・チャン以上の強者……父であるセバス・チャンをはじめ、ナザリック地下大墳墓の“階層守護者”として君臨する方々と、同じ次元の住人……Lv.100の存在……そう、実感する。

 実感せざるを得ない。

 ミカが、玲瓏(れいろう)な響きでもって、主の“敵”の使者に対する礼節に則して、告げる。

 

「あなたは、我等天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が敵である“ナザリック地下大墳墓”よりの使者……なれど……我等が主、カワウソ様をここまで導いてくれた“恩人”とも言うべき女性(ひと)。ならば、あなたをここで始末することは、──義に反する」

「ぎ、義に、反、す──いったい、あなたたちは、何を言っている?

 何故、どうして、そんな冷静に! こんな、無謀を働くのですか!?」

 

 ミカの言動は、カワウソを諫め止めるような雰囲気を一片も感じさせない。

 その光景を眺める主・カワウソも、彼女たちを止める気配がまったくない。

 マルコは半ば恐慌じみた思考に支配された。

 無理だ。

 無茶だ。

 無駄でしかない。

 無謀という以外に何と言えばよいのか、マルコは本気でわからない。

 

「あなたたちの主を止めろ! でないと、ミカ様──あなたたちまで!」

 

 アインズの敵として、(しょ)される。

 ナザリックの敵として、(ちゅう)される。

 

 ──────────────殺されるぞ。

 

 そう告げてやるまでもなく、ミカたち……カワウソのNPCである天使たちは、すべてを承知した音色で、はっきりと放言する。

 

だったら(・・・・)どうだというのです(・・・・・・・・・)?」

 

 マルコは息を呑んだ。

 冷たく静かな声は、ミカだけでは、ない。

 

「ミカの言う通りね。私たちの命は、ここにいるカワウソ様だけのもの」

「カワウソ様に創られた我等ー。この命尽きてー、尽きた(のち)に至るまでー、創造主(あるじ)(めい)に準じるのみー」

 

 十字状に褐色肌の胸元や(へそ)まで露出する聖女──ガブが、謳う。

 白鋼の面覆いの奥に隠した黒い瞳で笑う巨兵──ウォフが、誇る。

 そんな二人の様子は、……しかし、マルコには見慣れてすら、いた。

 ナザリック地下大墳墓に属する、NPCと呼ばれるシモベたち……マルコの父、セバス・チャンと同格の位置にある、魔導国の枢要たる、彼等。

 Lv.100の最上位の力。

 御方の言葉一つで、自死自害をも(いと)わぬ忠心の化身のごとき同胞たち。

 彼女ら天使たちのありさまは、あまりにも────似ていた。

 

「っ、馬鹿かッ!」

 

 だとしても。

 マルコはいくらでも、魔導国に──ナザリックに──アインズ・ウール・ゴウンその人に敵対しようと欲する、彼と彼の従者たちの論理を否定できた。

 勝てるはずない。

 勝てるわけない。

 勝てる道理がない。

 ありとあらゆる計算や予測、純粋な戦力評価や戦略知識に通じているわけでもないマルコ・チャンであっても、彼我の実力差と戦力比は疑いようがない。比べようもない。

 アインズ・ウール・ゴウンは、この100年の間、世界を征服し、賢智と善政を布き尽した絶対者。

 魔導国が有するは、全大陸の数十億の臣民。及び、ナザリック地下大墳墓の誇る一騎当万のシモベ達。

 御方や殿下たちが特別に生み出した、永続性を有するアンデッドの軍団。

 それを、転移から僅か一週間ばかりというユグドラシルの存在が、あろうことか…………戦う?

 これは一体、何の冗談だというのだ。

 何の目的で、そんな馬鹿な企みを。

 あまりにも破綻している。

 あまりにも破滅的すぎる。

 カワウソは自殺志願者か──自滅志望者か。

 奴のシモベ(NPC)まで、それに賛同しているのが納得できない。

 ありとあらゆる論理や心理が無視されている。

 理解できない。

 道理が通らない。

 理屈すら通じはしない。

 

「わ、──私が、身分を偽り、あなた方の調査を秘密裏に行っていたことは(ひら)に、──平に謝ります! 相応の謝罪金や物品も用意があります! ですから!」

「ああ、そういうのは関係ない」

 

 カワウソは穏やかな微苦笑で、その手を横に振った。

 

「マルコがそうしなければいけなかった──ナザリック地下大墳墓の存在が、俺たちの身辺調査をするのは、『まったくもって当然のことだ』と、理解しているし、納得もしている」

「そ、そんな、バカな! では、何故! どうして!? 何故、そんな──理屈に合わないことを!? 我等ナザリックの、アインズ・ウール・ゴウンの──“敵”になるなどと!!??」

 

 吼えたて、がなりちらすマルコ。

 しかし──

 

「理屈じゃないんだよ」

 

 相手には、“理”を操る気がまったくなかった。

 非条理と不合理を混淆したような、なんの理も意に介さない堕天使は、空を仰ぐ。

 

「俺は、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに、あのナザリック地下大墳墓に、ずっと、──ずっと挑戦し続けた」

 

 ずっと。

 ずっと、だ。

 その言葉を反芻し反復し、反響させるように、堕天使は深く頷く。

 それを、この異世界でも“繰り返す”と、彼は、明確に、明瞭に、明言する。

 堕天使から宣言された内容を半分も解読できないマルコではあったが、確信できる事柄はひとつだけあった。

 

「……ば、馬鹿げている」マルコはメイド服のエプロンの上に、苦々しげな声音を吐露していく。「か──勝てるはずのない戦いに挑むなど、正気の沙汰か?」

 

 天使は、狂気的な信仰者という異形のモンスター。

 だとしても「これはないだろう」と本気で思う。

 勝ち目など絶無、皆無、100%──ありえない。

 奴がそれほどのことを為さんと欲する理由は?

 それだけの事情や心情、信念があるにせよ、単純な戦力計算すら満足にできないのか。

 

 ナザリック地下大墳墓は難攻不落。

 アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない。

 

 これらをただの盲信や譫妄(せんもう)とは違う、厳然たる「事実」「認識」「歴史」として理解しているマルコ。自分たちの生みの親にして、養育者にして、絶対支配者として君臨している者たちの力量・権能・すべてを、この世に生を受けてより90年余りの時の中で感得し、確信し、至高の御方たちへの畏怖と尊敬の念を篤くし続けている。

 とりわけ、アインズ・ウール・ゴウン……この国この大陸この世界中で最も尊き存在として光臨せし最上位アンデッド──魔導王御陛下の威容と人格と優しさに、ナザリックによって生み育まれたマルコたちは、心服と愛敬の念を懐かずにはいられない。

 

 彼が、御方が、アインズ・ウール・ゴウンこそが、最強。

 

 だというのに、カワウソは、堕天使のプレイヤーは、すべてを熟知し、承知し、観念しているかのように、言ってのける。

 

「勝ち負けは、正直、どーでもいいんだ」

 

 微笑みすら浮かべる堕天使の異様。

 マルコは怖気(おぞけ)が背筋を何往復もするほどに、その笑顔に込められた何かを感じ取る。

 

「勝てそうだから勝ち馬に乗る? 負け(いくさ)なんてしたくない?

 ああ。そう思うのも道理だな……けれど」

 

 そんなことの“一切”が、どうでもいい。

 カワウソはそう渇笑しながら、己の言をひとつひとつ確信するように頷いていく。

 

「俺にはこれしか、もうやることが、ない。

 俺はもう、これ以外のことに夢中になることは、ない」

 

 ない、ない、何もないと、堕天使は自らを(わら)う。

 堕天使は──天の光に焼かれすぎた肌の上に、まるで春の雪解け水のように透き通った笑みを浮かべて──いっそ穏やかに、(ほが)らかに、(あき)らかに、狂気と狂信を、(のたま)う。

 

 

仲間(なかま)との、かつての“約束”を果たす。

 ただ、それだけが俺の望みであり、願いであり──

 ただそれだけが、俺の目的であり、目標であり──」

 

 

 そして、

 

 

「あのナザリック地下大墳墓・第八階層にいるモノたち(・・・・・・・・・・・)……“あれら”への──これは、復讐ッ」

 

 

 地獄の炎に炙られるかのごとき、狂熱のこもった堕天使の声音。

 マルコは、その声が告げた内容に、絶えること無き怖気と寒気を感じられてならない。

 

「なかま、との……約束? だ、第八階層、への、──復讐?」

 

 何を言っている。

 こいつはいったい、なにをいっている?

 わからない。

 わからない。わからない。

 わかることができそうに…………ない。

 

「俺は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、アインズ・ウール・ゴウンと戦う。

 ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”への再攻略に、挑む」

 

 戦う。

 挑む。

 挑み戦う。

 それだけ。

 ただ、“それだけ”を(こいねが)う──堕天使の狂笑。

 いっそ(おぞ)ましいほど、繊月のごとく嗤う彼の願望は(しん)に迫っていると、マルコは認識せざるを得ない。

 理解も納得もいかないが。

 

「こっちの意志は表明してやった。ここで邪魔したいというのなら、今すぐ邪魔すればいい」

「──ッ!」

 

 言われたマルコには、手が出せない。

 武器を既に熾天使(ミカ)全身鎧(ウォフ)から突きつけられている事実は、関係ない。

 ユグドラシルプレイヤーを相手に、さらに、階層守護者たちと同等──Lv.100だろうNPC三体を相手に、合計四人の強者に対し、異形の混血児(ハーフモンスター)ただ一人では、心許ないどころの話ではない。

 アインズ(いわ)く、「“初見の初戦”であれば、マルコの能力はLv.100一体に拮抗し得る」「半分だけ混ざっている竜人の本領の力を行使すれば、それだけの戦闘能力を発揮できる」……が、さすがに、数の暴力には屈する他ない。

 彼等が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と名乗る勢力が、マルコが忠節を尽くすべき二人目の父たるアインズの“敵”となるという情報は、何に変えても奏上せねばならない重要案件。いくら彼等がナザリックにとって吹けば飛ぶ程度の存在・戦力だとしても、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”を自ら標榜する以上、その存在を看過できるはずもない。

 最悪の展開。

 プランE……交渉放棄。

 それに伴うナザリックからの支援隊を急派して、連中を無力化するのは──難しい。

 敵対姿勢を取られたことで初めて感得できた、この場にいる四人の“敵”の実力を考えると、ただの支援隊では対処が厳しいどころではない。圧倒的な数の派遣……階層守護者のほとんどすべてを投入しての“全力開戦”以外で、対応可能な状況とは、言えないだろう。

 否。

 何を迷う必要がある。

 何を恐れることがある。

 ナザリック地下大墳墓の擁する最高戦力たち……Lv.100NPCや彼等の率いる高位モンスターの軍団による蹂躙を敢行すれば、それですべてが済むはず。

 

 ──しかし。

 しかし、だ。

 

 もし、──もしも、──カワウソが、

 ナザリックに対抗可能な手段や戦力を保持していたとしたら?

 そんな未知のプレイヤーを相手に、準備を万端“以上”に整えず開戦するのは、あまりにも、危険。

 

 

 カワウソ(いわ)く「ずっと挑戦し続けた」

 それはつまり、奴は、ナザリック地下大墳墓の戦力を、ある程度まで熟知できていることの証言。

 

 カワウソ(いわ)く「第八階層への、復讐」

 それはつまり、奴はナザリック地下大墳墓の最高戦力“以上”である、あれら(・・・)やルベドという少女を──知っているということ。

 

 

 現在も尚、この魔導国において、ナザリック地下大墳墓の内部情報は、当然ながら臣民たちにすら秘されている部分が多くある。ナザリック地下大墳墓は神聖不可侵。それほどの神域に踏み入る栄誉を賜れるものは、富と力と幸福に恵まれることが確約されるとすら噂されるほどの絶対聖域。

 

 にもかかわらず、奴は、第八階層“荒野”にいる者を、過つことなく理解し尽しているのだ。

 重要情報・最大級の機密たる階層にいる“あれら”と、“少女(ルベド)”を。

 

 それは、紛うことなく、奴がユグドラシルからの客人(まろうど)であり、嘘偽りなく、第八階層の荒野……ナザリックに生まれた忠実なるシモベや、混血児(ハーフ)達も未踏のままの地を踏んだ愚か者ども……マルコが寝物語に父たちから聞かされた“プレイヤー1500人による大侵攻”の関係者であることを、確実に確定的に示している。

 

 危険だ。

 あまりにも危険だ。

 

 ここでむやみに開戦の狼煙(のろし)をあげて、連中の……カワウソ自ら名乗るところの“ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”の有する力が、アインズ・ウール・ゴウンを、御方すら超えるとすら噂される“少女(ルベド)”を──ルベドを滅ぼせる“あれら”を、凌駕するものであったなら?

 

 (いな)

 否、否、否──!

 そんなことはありえない。

 ありえていいはずがない。

 ……しかし──しかし、だ!

 不敬は百も千も承知しているが──万が一、億が一の確率というものは、存在する。

 マルコの(つたない)い計算以上の力量を、切り札を、カワウソ達が保持していたとしたら?

 ……そう。

 それこそ、アインズ・ウール・ゴウンその人が所有し、守護者各位に貸し与えられている至宝の中の至宝……世界ひとつに匹敵するといわれる究極の(たから)……世界級(ワールド)アイテムを、カワウソが、何かひとつでも、持っていたとしたら?

 御方がついぞ興味を示し、ユグドラシルの中でも最大最上に位置するアイテムが、その身に戴いているとしたら?

 ──それだけの力を未だに秘めているか否か知れない状況で、マルコがただ我が身可愛さに、ナザリックへ援軍を乞うてみろ。

 ナザリック地下大墳墓と、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に、危難の種子を与えるようなことになりかねないとしたら……

 

 マルコは、次の手が、打てない。

 

 目の前の存在が、カワウソが、まったく完全に危険極まる存在であると認識されたからこそ、ナザリックに忠烈な新星・戦闘メイドは、「戦う」という選択肢が取れなくなる。

 いっそ、ここでマルコだけが連中の手によって殺されるか、拉致監禁された方が、まだマシな状況を作るやも知れぬ。

 マルコという交渉者を理不尽に討ち取らせ害させる方が、連中に対する絶対的な“大義名分”を得られるというもの。

 だが、連中は、特に、カワウソの副官らしいミカは「義に反す」と言って、戦闘態勢を整えて以降、攻撃の姿勢を強めては、いない。カワウソと、他二人のNPCたちも、その言行に同調していた。

 

 つまり、こちらから仕掛けない以上、連中は攻撃するつもりが、ない。

 しかし、こちらから攻撃することは、逆に連中に、大義を、名分を、与えてしまう。

 

 カワウソが表明した「復讐」という単語だけで、すべてが膠着(こうちゃく)しつつある。

 

 思い知らされる。

 これでは、手詰まりではないか──!

 

「主人から……」

 

 思い切り歯を食いしばり、眦を痛めるほど力を込めて、この状況の打開案を模索するマルコに、カワウソは間髪入れずに疑問を投げかける。

 

「聞いていないのか?」

「っ──なに、を、です?」

魔導王陛下(アインズ・ウール・ゴウン)から、聞いていないのか?」

 

 冷静に言葉を交わし続ける気概の堕天使に、マルコは憎悪に近い感情を瞳に灯しつつ、疑惑の視線を鋭くする。

 

「今、俺のギルドの連中が、おまえたちナザリックの部隊を相手に、『交戦中』だと、連絡を受けた」

 

 生産都市と南方士族領域で。

 たった今、その情報を〈伝言(メッセージ)〉で受け取ったと、カワウソは微笑む。

 マルコはその情報を、彼よりも先に入手・連絡され、だからこそ彼等を魔導国傘下へと組み込むための交渉官(ネゴシエーター)役を請け負ってきた。

 カワウソは言い募る。ギルドにいるべき副長(ウォフ)隊長補佐(ガブ)が今ここにいるから、情報管制が行き届いていなかったのがマズかったかなと、カワウソは笑いながら部下の不手際を許している(・・・・・)

 瞬間、申し訳なさそうに膝をつきかけるガブやウォフたちを、手を振って立ち上がらせる所作も、何もかもが、充足感に満ちている。

 ミカだけは、「やはり」という感じで顎を引きつつ、マルコへ向けた長剣は揺るがさない。

 カワウソは微笑み続ける。

 マルコは疑問だった。

 あまりにも奇怪であった。

 どうして、奴は笑っている?

 どうして、こんなに笑うことができる?

 

「俺たちを魔導国とやらに傘下として組み込み、交戦した連中を──ナタとイズラを止めたかったか? 確かに、アイツらを止めるには、俺が言って聞かせるのが一番だろうな? あの二人は俺が創ったLv.100NPCだからな?」

「Lv.100……、いえ──わかったのであれば!」

「心配するな。言われなくても、魔導国に入ろうと入るまいと、あの二人は止めるとも。そこは安心していい。だがな。それで済む話じゃあないぞ? これから俺が、やろうとしていることは?」

「や、やろうと、……して、いる? ──まさか、本気で、ナザリックに?」

 

 あの第八階層に、挑むと──戦うと?

 馬鹿げている。

 冗談にしても笑えはしない。

 ナザリック地下大墳墓は、難攻不落。

 至高の御身たる魔導王・アインズの居城に、こいつは、本気で?

 

「なぁ。見ているんだろう? アインズ・ウール・ゴウン?」

 

 一瞬、マルコは視線を散らすことなく、気配などを頼りに周囲を(うかが)う。

 堕天使が何を感知したのか──あるいは、こっそりマルコたちの様子を窺うように監視魔法で見ている者たちを感知した……最悪なのは“とっくの昔に感知できていたのか”と、疑念する。

「それぐらい出来て当然だよな」と、堕天使は讃美するように、魔導王を呼ばう。

 マルコは少なからず安堵した。

 彼がナザリックの監視に気づいたという調子でないと、その語気の軽さや中身から明らかであったから。

 

「……まぁ、いい。その代わり、ナザリックの……メイドリーダー?」

「──“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)

 

 優秀な熾天使(ミカ)の修正に、カワウソは心底誠実な声音と表情で頷く。

 

「マルコ・チャン。帰っておまえの主人に、──魔導王陛下とやらに、伝えるといい。

『カワウソは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”でした』と」

 

 歌うように、あるいは誇るように、堕天使は純白の聖剣を空間から取り出しながら述べ立てる。

 そうして、背を向けた男は、最後に別れの挨拶を交わす。

 

「マルコ。──今まで、本当に、いろいろと、──ありがと。……元気でな」

 

 本気で感謝を告げたカワウソに、マルコは何もできず、何も言えない。

 微笑む堕天使が、神器級(ゴッズ)アイテムの聖剣を振って、白い〈転移門(ゲート)〉を開く。

 白い闇の奥へと突き進み、堕天使と天使たちは、立ち去っていった。

 

 最後に周囲を警戒し終え、剣を鞘に納めたミカは、ナザリックの使者を睨み据えつつ、マルコに対して深く一礼し、黄金の長い髪を振って(きびす)を返し……転移魔法の向こう側に消えた。

 

 

 

「……くそッ」

 

 メイドらしからぬ毒を吐いて、マルコは大地を踏み砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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