オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

41 / 103
戦端 -5

/Flower Golem, Angel of Death …vol.15

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 焼けた油の香りが漂い、炎の気配が未だそこここに充満する地下採掘場内。

 地下空間に直径キロ単位に及ぶ新鉱石掘削工事を施されていた──そこで。

 

「“如意神珍鉄”!!」

 

 円柱を振り下ろす少年兵の一撃に、攻城ゴーレムは真っ向から相対。

 黄金に飾られた巨杖の先端を、ガルガンチュアの(アッパー)が弾き飛ばす。

 

「くぉ?!」

 

 轟音と共に後退を余儀なくされた少年。

 ギルド最強の物理攻撃力保持者である花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタが、“力”負けを喫した。

 その事実を認め、ナタは笑う。笑えてきて仕様がないという風に、笑い続ける。

 

「はは!! さすがに!! “攻城兵器”と号されるだけのことは、ある!!」

 

 四種の浮遊分裂刃からなる剣の群れに囲われ、空中に追随する六本の武装──“六臂(ろっぴ)の剣”と呼ばれる斬妖剣(ざんようけん)砍妖刀(かんようとう)縛妖策(ばくようさく)降妖杵(こうようしょ)綉毬(しゅうきゅう)火輪(かりん)──おまけに“乾坤圏(けんこんけん)”の(ふた)つからなる指輪の戦輪(チャクラム)まで解放している状況で、ナタの攻撃力が、下回ったのだ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)『最強の矛』を圧倒的に上回るステータス。

 これを称賛しない理由がない。

 ナタは偽りない賛美と共に、大量の剣群を驟雨(しゅうう)のごとく降らせてそこに佇む巨大な威容──動像(ゴーレム)の名を呼ぶ。

 

「ナザリック地下大墳墓の、ガルガンチュア殿!!!!」

 

 剣の雨霰(あめあられ)を、岩の巨体は回避するでもなく、そのたくましすぎる片腕で無造作に振り払う。それらは岩肌に対し致命傷には一撃もなり得ず、払い落とされた剣は粉々に打ち砕かれるが、あれらは数本が残っていれば──もっと言えば「核」である一本さえ無事なら、時間経過で元の数に戻ってしまう。分裂刃という名称はダテではない。

 ナタは凄然と、地下空間に佇む岩塊の巨人を見る。

 あの伝説のギルド、その第四階層・地底湖にて安置されているモノ。

 この異世界に存在するというナザリック地下大墳墓──その各守護者も健在であると言われている以上、彼の存在もまた、この異世界にありえて(しか)るべきもの。

 同種同族の中でも最高最大の存在とされる攻城用戦略級ゴーレム。

 そんなものとこうして手合わせができるという事実に、ナタは感動を禁じ得ない。

 

「…………おまえ、どうして、ガルガンチュアの名前を?」

 

 全長30メートルにはなる巨体の顔面付近に、彼に護られるように降り立って魔銃の弾倉を装填し終えた戦闘メイドが、ひとつの疑念を吐きこぼす。

 何故、ナタが自分たちのことを──ナザリックの存在に通暁(つうぎょう)しているのかという、疑問。

 少年は「これは()なことを!!」と逆に驚いてしまう。

 

「あなた方“ナザリック地下大墳墓”の伝説は(かね)てより!! 伝説のギルドたるあなた方の有用有名な情報は、自分たちにとっては常識とすら言えるほどのものでありますれば!?」

 

 どうにもシズ・デルタは、自分たちのギルドがどれほどの存在であるのか、その客観的な情報については(うと)い傾向にあるようだ。

 無論、彼女たちの創造主や、アインズ・ウール・ゴウンの名を戴く魔導王から、ある程度の知識として語り聞かされていてもおかしくはないはずだが、そこは部外者であるナタの理解できる範疇ではない。

 

「第一・第二・第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン殿!! 第五階層守護者、コキュートス殿!! 第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ殿とマーレ・ベロ・フィオーレ殿!! 第七階層守護者、デミウルゴス殿!!」

 

 これらはすべて、ナタたち天使の澱のNPCにとっては、常識の範疇に位置するほど馴染み深い情報だ。

 そして、彼等階層守護者と並び称されるべき“第四階層守護者”ガルガンチュアについても、ナタはある程度の知識を得ている。ギルド拠点に必ず一体は設備設置される“攻城用”の戦略級ゴーレム。侵入者“迎撃用”の防衛に使用される拠点NPCとは違いながらも、同じ役職を与えられた存在として、彼は地底湖に眠っている。その姿はかつての大侵攻劇の記録映像などで確認されていた。ギルド間における戦争において活動・活躍する彼のことを、同じゴーレムであるナタが知り得ないということはない。

 しかし、そんな少年兵でも、知らない情報は多くある。

 ナザリックは伝説のギルド拠点として有名であったが、第八階層のあれらや少女をはじめ、プレイヤーが調べ尽せていない未踏の領域や未邂逅のNPCというのは、勿論存在している(第九階層や、そこの防衛を任されている戦闘メイド(プレアデス)こそが、その最筆頭と言えた)。たった二つの厳しくも絶対的な加入条件を有していたが故に、各ギルドにおいて頻発した内部情報の漏洩者というのが存在しなかったギルド:アインズ・ウール・ゴウンの情報──その拠点であるナザリック地下大墳墓の全容については、第八階層での全滅以降、誰にも解明できない代物となり、また、解明できる機会は失われてしまったのだから、これは仕様がない。

 否、だからこそ。

 ナタは目の前に(そび)える未知の岩塊──あくまで拠点の装置類・備品(ギミック)の類に分類されるはずの「戦略級ゴーレム」が、ナタのようなプレイヤーによって特別に創られる「NPC」と同じように行動し、戦闘を行い、あまつさえ肩に乗るガンナーの戦闘メイドと“言葉を交わす”という異常現象のことを、深く「調べる」だけの価値があると思考していた。

 そして、当然のごとく、その間にも攻撃の姿勢は一切、緩めない。

 

『シズ、…………』

「…………わかった」

 

 彼の的確な指示に呼応した自動人形の少女が、ナタが会話前に解き放っていた“乾坤圏”の遠隔操作攻撃を迎撃。ガルガンチュアの前後より音もなく飛来する円環の刃を、シズの正確な狙撃が順番に撃ち落とす。攻撃を防御され尽して墜落した武器は、ナタの許へと自動的に往還し、次なる攻撃の一投を窺うように滞空する。

 遠距離からの攻撃は、ナタの得意能力ではない。

 ただの牽制程度の役割しかない投擲攻撃など、遠距離戦主体のガンナーにとって、迎撃自体は容易だ。

 

「見事なチームワークです!!」

 

 惜しみない賞美を、少年は二人に対し贈る。

 わずかな言葉と仕草──視線の交錯のみで、彼と彼女は互いが望むことを理解し尽せるようだ。

 ナタは、朝露のごとく清冽(せいれつ)に、軍神のごとく獰猛(どうもう)に、笑みの相をより深く(いろど)る。

 あれは、ナタの知らない情報であり、現象。

 ──ガルガンチュアという存在の特異性、故か?

 ──あるいは何らかのアイテムや魔法の効能だろうか?

 ──だとするならば、天使の澱の有する同じ攻城用ゴーレムにも、同じように意志や発語能力を獲得させ得るのか、否か?

 ──もしくは、自動人形の少女の隠されたスキルや特性? そういう魔法やアイテムの使い手として、ガルガンチュアの傍に?

 

「いやはや(まこと)に!!」

 

 おかしくて、おもしろくて、

 とてもとてもたまらない、

 この異世界──この魔導国!!

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナザリックの地底湖で眠っていたはずの動像(ゴーレム)──大好きな彼の腕に護られるシズと同様に、戦闘メイドの三女たるソリュシャン・イプシロンもまた、自分が愛してやまぬ同族の内側に護られて、死の天使(イズラ)と対峙し続けている。

 

「あなたも、ナザリック地下大墳墓の存在(NPC)見做(みな)して、よろしいのでしょうか?」

 

 穏当(おんとう)な声で問い質す天使の微笑に、だが、疑念された蒼玉の粘体(サファイア・スライム)は応じない。

 応じる口が物理構造上存在しないから──というのは、早計にすぎる。それを言ったら、ソリュシャン・イプシロンもまた極論すれば口に似せた体組織の形状を有しているだけの「粘体」であり、その発声方法は人間のそれとは根本的に異なる。ソリュシャンの細首を断ち切っても、その声が潰えることはない。彼女の体内には、声帯どころか呼吸する肺すら存在しえない。美しく豊満な女体美の結晶は、ただのスライムの身体なのだ。

 蒼玉の粘体が黙して語らない理由。

 それは、『応じる気がないから』──そう考えて、イズラは納得する。

 

「まぁ。この状況において、ナザリックの存在であるところのソリュシャン・イプシロンなる彼女を(かば)い、護る意志と力量を備えているだけで、十分な証拠ですよね?」

 

 イズラが発動した即死能力コンボ──種族スキル“真名看破”、職業スキル“自動書記”、アイテム“死の筆記帳”の即死性能──を、ただ即死対象を『包み込む』という挙動でもって断絶し無力化するというのは、イズラの保有する知識としてはありえない。魔法的な効能は天使の視力には感じられない。実戦経験がほぼゼロに等しい拠点NPCとは言え、自分に与えられた能力や性質に基づくユグドラシルの法則は認知できていて然るべきもの。

 

 この時、三吉がソリュシャンを救えた最大の理由。

 それは今現在、ソリュシャンは三吉の内部に“収納”されているから。

 

 ただ粘体の水膜に覆われているのではなく、ソリュシャンがいる三吉の内部空間というのは、言うなればソリュシャンも体内に保有している魔法の空間──アイテムの格納スペースと同義。

 つまり、現在のソリュシャンは、ある意味において三吉の“アイテム扱い”を受けているような状況と言える。

 ソリュシャンにしても、人間一人くらいを体内に生存させたまま収納して、移動・戦闘することは実に容易(たやす)い。それと同じ原理で、三吉はソリュシャン・イプシロンという同胞を、自分のアイテム扱いできる空間へと隔絶し、それによって、三吉は彼女を死の天使が繰り出した即死能力の対象から完全に外すことに成功したのである。

 

 いかにユグドラシルの筆記帳(ノート)とはいえ、そこに記されるべきは、人間やモンスターの名前。

「アイテム」に対しての即死効果を期待できるほど、彼の“死の筆記帳”は万能ではなかった。

 

 逆に言えば、ソリュシャンは三吉の外に出た瞬間に、即死効果を浴びて絶命する運命のままだ。

 万全を期するならば、三吉はソリュシャンを連れて、死の天使の能力が及ばぬ領域……追われる可能性がある以上、ナザリックへとトンボ帰りするわけにはいかないとしても、別の遠隔地へと退避するのが無難な対応と言えた。

 しかし、彼はそうする気はなかった。

 天使が転移魔法を追尾してくる可能性を考慮していることもそうだが、それよりも──

 

「ひょっとして……怒ってらっしゃる?」

 

 三吉はやはり、天使の問いには答えない。

 それも当然。

 ソリュシャン・イプシロンは、彼が最も敬愛する同族であり、今では(しとね)を共にする伴侶(はんりょ)……この世で最も尊い御方々の次に大切な“女”であった。

 蒼玉の粘体は己が身を波打たせ、反撃に撃って出る。

 爆裂のように弾け飛ぶ蒼い繊手が、死の天使の許へ殺到した。

 

「おっと」

 

 黒い翼が空を叩いた。

 距離を取り武器を交換した死の天使が矢を連射。だが、粘体の酸性を帯びる体組織を貫通できるほどの威力はなく、また特別な属性アイテムでもなかった普通の矢たちは、蒼玉のそれに触れると同時に、瞬滅。

 Lv.100の攻撃としては、なんとも情けない戦果だ。これはやはり、あの蒼玉の粘体が有するレベルも相当だと判断しておくべきか。

 イズラは評価を確信した時、

 

 ジュ

 

 という音と共に、天使の姿勢が大いに傾く。

「何」と疑問する間もなく、傾いた方の翼を見る。見定めた現象に驚嘆した。

 死の天使の身体──黒い翼の羽毛の一部が、融けている。

 馬鹿な。

 言葉を紡ぐ間もなく、イズラは両の目の視線を這わせる。全身の眼球を再展開するまでもなく、起こった現象の詳細を把握した。

 動力室内の天井を仰ぐ。そういうことか。

 

 金属質な鉄色の天井から、まるで雨漏りのごとく降り注ぐ、蒼玉(サファイア)の雫。

 

 粘体の彼が伸ばした繊手は、縦横無尽に室内を蹂躙し、その肉体構造を室内全域に撒き散らしているようなありさまだ。室内という閉鎖空間であることを、粘体である彼は大いに利用している。工場のごとく機能的な室内は広く、何らかの管が無数に突き出し、通風孔(ダクト)が床に壁に天井に口を開けているのがわかる。

 そこに、蒼玉の粘体は静かに潜り込み、イズラの意表外からの進撃を遂げた。

 床下や壁の内、さらには天井裏にまで浸透した粘体の様は、ある種の溶融地獄の様相を呈している。

 食虫植物のごとき老獪な罠。捕らえられた羽虫が吸い尽くされるように、粘体の分泌液が死の天使を焼き融かしにかかった。

 ソリュシャン・イプシロンの救援に駆け付けた彼は、彼女がやって見せた粘体特有の肉体変化を、この動力室全域に拡大して攻撃に転用していたのだ。

 雨漏りのごとくしたたる粘体が、その(かさ)を増す。

 徐々に垂れ落ちる総量は多く重くなり、それは室内にいながら雨のごとく、死の天使を包み込み始める。

 

「これは、厄介な」

 

 室内で生じた酸性雨から身を護るがごとく、黒翼を頭上に掲げる盾にして防御するイズラ。

 ただの人間であれば一滴浴びただけで絶叫ものの酸性を発揮する雨滴に晒されながら、天使の異形は耐えることができる。先ほどは一点集中された酸が翼を貫いてくれたが、こうして大量に、一点集中ではなく“面”の規模で広範に注がれる程度のものなら、意識して防御に専念できる。どうということはない。

 

 イズラは知らないことだが、スパリゾート・ナザリック内において、最高支配者たるアインズの“三助”という大任を仰せつかった蒼玉の粘体たる三吉の肉体は、大浴場内の一角にある浴槽ひとつを十分に満たしてしまえるだけの総量を誇る。

 普段はソリュシャンの両手に(かか)えられる(あるいは彼女の内部に秘され、御方から隠されたこともある)ほどの小規模な肉体で行動し、御方々の居城たるロイヤルスイートの威に敬服したような小体──ユグドラシルモンスターとして一般的な形状で活動することがほとんどなのだが、彼がその実力を発揮する時は、このように部屋ひとつを彼の“全身”で満たすといった技法も十分に可能。

 

 イズラは冷静な戦力分析から、この場に留まることを拒否する選択肢を選ぶ──直前、

 

「な?」

 

 ブーツのくるぶしを掴む圧力を感じ、瞬間、思い切り全身を振り回される。酸雨で視界が悪くなった直後の速攻だ。

 まるで巨人の手に(もてあそば)れたがごとく壁面に叩きつけられるギリギリの所で、ブーツに仕込まれている暗剣の刃を発動、足首に絡まる触手を切断した後、壁に突進する全身を制御。

 天使が静止した、目の前。

 巨大な薔薇のような蒼い造形──幾重にも連なる虎鋏(とらばさみ)のごとく、壁に展開された粘体の輝きが、ドプンと牙のごとき触腕だらけの口を閉じていた。

 イズラの目と鼻の先にある空気が焼け融ける匂いに包まれる。

 今のは、危なかった気がする。

 粘体(スライム)種の中には、武器破壊やアイテムの損傷を得意とするものもいる。最上位の古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)などが、その代表例だ。目の前の粘体に全身を捕らえられる時が来れば、イズラは身に着けた装備品ごと、うっかり溶かされ喰われることになるやも。

 天使は酸攻撃への耐性を有しているが、それはあくまで天使の肉体のみに限ってのこと。身に着けたアイテムに関しては、そういった攻撃を突破される可能性を想起されてしかるべき相手。翼は天使の肉体であるが故に、こういう攻撃への防御にはうってつけの盾になった。

 イズラに与えられた装備品は、彼の創造主から与えられた代物である以上、それを破壊されるような事態は好ましくはない。鍛冶生産職の同胞・アプサラスに頼んで修繕することも容易だろうが、それだって無料(タダ)というわけにはいかないのだ。システム上、それ相応の素材と金貨は確実に要求、消耗されることになる。

 

「やりますね」

 

 静かな微笑のまま、イズラは惜しみない拍手喝采の代わりに、両手から鋼線(ワイヤー)を伸ばしてみせた。

 旋風のごとく舞い踊る鋼線の輝き。

 床下からさらに触腕を伸ばす蒼い輝きを切断。次いで、本体と思しき……未だにソリュシャン・イプシロンを格納し続けていることがわかるそこへ向かって、両断の一撃をお見舞いしてやった。

 内部へ大切にしまわれた少女諸共に断絶されたはずの粘体だったが、イズラは手ごたえの違和感を覚える。

 

「……違う」

 

 違和感は確信へと変わった。

 (くずお)れた蒼玉の粘体(サファイア・スライム)内部に納まっていた少女諸共に両断された粘体が、切断面が時間遡行の魔法のごとく、元に戻ってしまう。

 彼の内部にいる戦闘メイドも、魔法の空間内に隔離されているが故に、当然ながら無傷だ。

 

「うーん、これは難しい」

 

 まさに難敵だ。

 素直に賞賛してしまう死の天使──イズラは、自分が最も得意とする即死コンボの第一を消耗し尽した。

 その最後の一人となるはずだったソリュシャンは、同胞にして同族の体内に隔離され、健在。

 

鋼線(ワイヤー)の罠で引き寄せるにも……本体・核に至るまでの時間がかかりすぎる」

 

 すでに、イズラの鋼線は、影の悪魔にそうしたように蒼玉の粘体内に微量が残留し、その内部構造内を通りつつある。だが、彼は種族特性を思い切り利用し、体内に残留する(イズラ)の罠を、即座に溶融──ウィルスを破壊する抗体のごとく抹消することを可能にしていた。当然、隔離空間内で天使を見上げているソリュシャンへの影響は絶無。

 これではやりようがない。

 

「撤退を強行しようにも──出入口が、アレでは」

 

 チラリと窺えば、蒼玉の粘体の一部が、イズラの通ってきた時の潜入ルートは勿論、ただでさえ閉鎖され尽していた動力室内に撒かれ溢れかえっている状況だ。粘体を吹き飛ばした後、盗賊(ローグ)の開閉・開錠の力を発揮している十数秒で、粘体に背後から襲撃されるのは必至。たとえ逃げ果せた後でも、彼と彼女が追撃し、さらなる増援に攻め立てられ、それでもどうにか外にまで脱出できたとしても、そこは魔導国の臣民が暮らす生産都市──イズラは魔導国臣民を傷つけかねない状況を忌避せねばならない。かと言って、イズラの実力……暗殺者は他者を護る力には自信がない存在なのだ。状況的に考えて、イズラから拠点に連絡や援護を頼むのは憚られる。あちらからの支援があってもいけない。イズラたち調査隊は、場合によっては「切り捨てて構わない」と、調査を命じてくれた創造主に申し合わせていた。ここで、自分たちのギルドとの繋がりを嗅ぎつけられては、確実にマズい。

 そうやって戦況を眺める間にも、蒼玉の粘体は攻勢を緩めようとはしない。

 酸性雨は止み、代わりに床や壁や天井から鞭のごとく踊る繊手がのたうち、上空に留まる敵を払い落として粘体の中で焼き融かしてやろうと殺到する。

 

「やりますね、粘体(スライム)殿」

 

 言って、イズラは両手を手繰り、迫り来る強酸の触手をすべて切断してのける。

 しかしそこで、新たな現象に死の天使は直面せざるを得ない。

 

「お──おお?」

 

 蒼玉の粘体より斬り裂き分かれた部位が、そのまま分裂体として蒼一色の人形(ひとがた)を構築。

 十数人からなる粘体の分身が、まるで自立行動するかの如く、蒼い触腕の足場を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する。酸性を帯びる粘体の人形(ひとがた)は、天使の身体に追いすがるが如く手を伸ばし、前進。触れられ掴まれ積み重なれば、死の天使の全身が蒼玉に覆われる未来が容易に想像できる。

 粘体特有の新たな攻撃方法を次々と繰り出してくるナザリックからの援軍に、イズラは懸命に対処し続けていく。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「…………大丈夫、ガルガンチュア?」

『大丈夫…………』

 

 未知の敵・スレイン平野に現れたギルド拠点NPC・花の動像(フラワー・ゴーレム)の少年兵──ナタとの交戦状況は、もはやガルガンチュアとシズの側に、軍配が上がりつつある。

 ガルガンチュアは、その出自や役割から、階層守護者と同格に位置しながら、守護者たちの力の序列には基本的に参加することがないほど、奇特な存在だ。

 シズが(いだ)いた一方的な想いの果てに、アインズの特別な計らいによって自分自身の“意志”を獲得した戦略級ゴーレムのガルガンチュアは、彼女との逢瀬を通じ、彼女からの熱心なアプローチを受け入れるだけの意志力を堅持するまでに、成長を遂げている。

 そんな二人の絆は強く、新たに導入された“婚姻”の果てに、愛娘(まなむすめ)を、一子を“造り”儲けるなどの幸福に恵まれた自動人形と巨大動像(ゴーレム)の連携は、完璧といってよい。

 ただ大量に召還されただけのモンスターたちの護衛を与えられていた先の状況とは違い、今の二人はたった二人ながらも、ほとんど最強の組み合わせと言ってもよい。遠距離からの攻撃はガンナーである戦闘メイドが対応し、遠距離支援を叩き伏せようと接近すれば、今度は岩塊の巨兵の正確無比な鉄槌打ちに潰され、逆に叩き伏せられる。

 敵がわずか一体の、近接戦闘を主とする少年兵が一人では、実に心許ない戦況と見て間違いなかった。

 事実、花の動像(フラワー・ゴーレム)のナタは、ガルガンチュアに対して有効な攻撃性能を示すことができず、何度も何度も、前進と後退を繰り返し、文字通りの一進一退を演じているという状況が、それを確信させる。攻城用戦略級ゴーレムのステータスは、Lv.100のそれを上回って余りある性能を秘めていた。そもそもゲームの仕様上、ガルガンチュアはNPC相手ではなく、同類の戦略級ゴーレムとの“攻城戦”でしか真価を発揮しない存在であり、その総合性能は同類たるゴーレムの中で最強クラスでもあった。

 だが、二人の、ガルガンチュアとシズの表情は、まるで浮かない。

 どちらとも表情がほとんど変わらない種族。シズは自動人形で、ガルガンチュアは岩塊のゴーレムなのだから当然ともいえるが、そうでは、ない。

 

「…………あいつ、どうして諦めない?」

『それは、わからない…………』

 

 シズの見下ろす先で赤い巨杖を振るい、焔を舞い散らす斧鎗を構え、他にも数え切れないほどの剣の群れに囲われ覆われた少年は、衝撃に打たれ、余波を喰らい、巨岩の一撃に真っ向から相対することで、血を流す代わりに花びらを散らしながら、その傷を手で(ぬぐ)って塞ぎ、勝利者のごとく、轟笑する。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)に「常時体力回復」の能力があるとしても、ここまで一方的な展開が繰り広げられている──だとというのに。

 

「ははっ!!」

 

 弾丸をこめかみにかすめた少年は、前進しかしない。

 少年の体躯から轟くのは、疲労も恐怖も何も感じていない、戦意に満ち満ちた、狂暴なほど猛々しい笑声。

 攻城用戦略級ゴーレムという、NPC単体では太刀打ち不可能な相手を前にして、少年は「諦める」ということを知らぬように、挑み続ける。

 ガルガンチュアの拳で、シズの放った炎属性弾で、その頭や腕や脚や胴に戦傷を負い続ける少年は──ただの人間では衝撃の余波だけで骨砕け肉が潰れるだろう一撃一撃に抗し続けている、異形の戦華は──戦える今が、戦っているという状況が、嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらないという風に、あどけなく(わら)う。

 満開の笑みを、咲かせ続ける。

 

「はぁッ!!」

 

 裂帛(れっぱく)の気迫と共に、少年兵が剣の群れと共に、風火二輪で空を踏み締め、舞い飛んだ。

 ガルガンチュアに与えられた単純な戦闘力は、NPCのそれを軽く超過しており、(いわお)の拳が大地そのものを打ち砕く必滅の衝撃を敵へと集約させた。ナタは、自らが誇る速度と敏捷性を駆使し、それら大地そのものから繰り出されるがごとき暴力の剛腕を、何の痛痒もない風で回避し果せるが、何しろ両者の一撃のリーチ──射程範囲は違いすぎる。ガルガンチュアの全長は30メートル。もちろん、その身に備わった両腕の長さも、単純に長く巨大なものとなるのは道理。

 そのため、ナタの主な攻撃……というか、反撃可能な装備というのは、十数メートルにもなる巨大な杖以外にありえない。炎属性らしい斧鎗にしても、炎の刃を伸ばしはできるようだが、せいぜい5メートル圏内が最大リーチというところ。周囲を舞い旋回(まわ)る剣群の射程は長いが、遠距離戦に完全適応していないナタの長距離攻撃など、二人には、特にシズにとっては、容易に対応可能なもの。

 少年兵は自分に与えられた装備を扱うのに不慣れな様子を一切見せず、まるで手慣れた調子でナザリック最強の守護者の一撃に拮抗する力を見せつけるが──やはり、攻城兵器たるガルガンチュアの基礎能力値(ステータス)(くつがえ)しようがない。

 赤い巨杖の振り下ろされる円柱のごとき暴撃を、ガルガンチュアの両腕が交差し、弾く。

 反撃するたびに。

 ナタはガルガンチュアの一撃の暴力と、加えて、護衛対象として顔付近のパーツに腰を落ち着ける自動人形からの精密射撃という合わせ技で、体力を目減りさせていくだけの結果に陥っていた。

 シズに傷らしい傷はなく、体力の減耗もほぼない。ガルガンチュアは攻撃を受け続けているが、戦略級ゴーレムの体力から考えると、まだまだ余力は十分。

 敵にとっては最悪な戦況のはず。

 にもかかわらず。

 ナタは、傷だらけの花の動像は、笑っていた。

 

「素晴らしい!! 素晴らしいですぞ!! お二方っ!!」

 

 讃美の声が自動人形とゴーレムの二人には疑念の種となっていた。

 何故、こんなにも元気いっぱいに、自分を傷つける者たちを褒めたたえられるのか、わからない。

 

「ここまでの力量差を感じることになるのは、完全に予想外!! いやはや、誠に真に完全に!! おもしろくておもしろくて、愉快(たの)しいですな!!」

 

 彼が語る「おもしろい」という文言(もんごん)が真実なのだろうと、ここまで大体の流れで了解しつつある。

 だが、それはシズにはありえない感傷であり、感情だ。

 戦闘を行うことを主任務として生み出されたシズには、戦いを愉しむという感覚など、ない。

 命じられた任務に励み、御方々の居城を土足で踏み荒らした郎党の行く手を阻む一助になるために生み出されたのが、シズの属する戦闘メイド(プレアデス)の本懐である。それ以外のものは、余分は、自動人形の思考と思想には、一片もない。冷徹に業務を繰り返す機械装置の論理だ。

 ──敵と戦い、闘争を愉しむ。

 それこそが、ナタという少年兵の根源に宿りし絶対……設定であることを、二人は知る由もない。

 

「ですが!! 本当に残念なことですが!! 自分は此処で、あなた方二人に(やぶ)れるわけにはいかない!!」

 

 創造主より、そのような君命……敗れてよいという御達しはありえないと、NPCたる少年は吼える。

 

「なので!! もっと、もっと!! 完全に、完璧に、抵抗させていただく!!」

 

 言い終えて、少年はビルのごとき円柱……巨大化を行える武装を元の大きさに戻し、大地に突き立てた。

 

「先ほど!! シズ・デルタ殿がやってくれたように!! 自分も少しばかり、戦場を一変させたいと思います!!」

「…………なに?」

 

 奴にはまだそのような隠し玉があったのかとシズは警戒を強める。

 ガルガンチュアは疑念の声を奏でた。

 

『シズが、やったように…………?』

「ええ!! ガルガンチュア殿は見ておりませんでしょうが、シズ・デルタ殿はまったく不勉強な自分では思いもよらぬ手法で!! この場所を、フィールドを、炎の舞い踊る空間に変えてごらんになった!!」

 

 ならば自分も試してしてみたいと、少年は告げる。

 シズもまた疑念の渦に呑まれる。

 シズがやったように……というと、何かしらのアイテムを使って?

 

「では、いきます!!」

 

 実演の掛け声を挙げはするが、ナタの手中や周囲には、相変わらず杖と斧鎗、そして剣以外の装備品や道具はない。拳や装飾、鎧や布にそういう魔法が仕込まれている──というわけでもなかった。

 

「伸びろ!! 如意神珍鉄!!」

 

 ナタの声に応じたのは、やはり赤い円柱。

 だが、その伸長は、今までのそれとは比べようもなく、長くなる。50、100、200メートルは伸び続けている。シズは眉を(ひそ)める。あれだけの射程を構築できる武器ならば、どうして最初からそう使わなかったのか。あれだけのリーチをガルガンチュアとの戦闘で使わなかったのは……おそらく、ナタの職業レベルが、近接戦闘職で埋め尽くされているから。あれだけの距離に伸び縮みする攻撃は、近距離攻撃ではなく、中距離や遠距離の類に分類され、そういった距離ごとに得意な戦闘範囲を持たない職種では、攻撃能力が著しく減衰する。ちょうど、浮遊分裂刃の遠距離からの牽制が、シズに何とか対応可能なものになっていたように。

 先端を採掘場の大地に打ちつける杖を握る少年兵の行動を、シズはまったく理解できない。

 あの杖をあれだけ伸ばしても、遠距離戦が得意でないナタに何ができるのか……見届ける形になったシズの代わりに、ガルガンチュアが真っ先に気付く。走る。

 どうしたのかとそう問うシズに応答する間も惜しんで、ガルガンチュアは太い二本脚で駆けるが、彼は大体のゴーレムと同様に、そこまでの速度は出せない。ナタの花の動像(フラワー・ゴーレム)が異様なのだ。

 彼の行動、その真意に気づいた少年兵は、「少し遅かったようで!!」と、挑むように吼えた。

 ナタは飛んだ。異様な長さに伸びた杖を振るい、まっすぐ、頭上めがけて飛び上がる。

 その軌道には、頭上にいっぱいに広がる、新鉱床の、採掘場の、──天井。

 

「…………あいつ」

 

 シズもようやく理解を得たが、ナタの本気の跳躍と飛行は、シズの弾速よりも速い。

 ただただリーチに特化された……それ故に、攻撃力などは反比例的に減少する“如意神珍鉄”の鋭く研ぎ澄まされた一撃が、直径キロ単位の円形空間──採掘場のドームのごとき天井に、突き立てられる。

 一秒でも早く、

 一瞬でも早く、

 邪魔されない距離を稼ぐためだけに、少しでもリーチを長く伸ばされた杖の、

 一撃。

 いかに魔法によって崩落事故防止用に強化されていようとも、Lv.100NPCが本気の本気で破壊行為に打って出た異世界の大地が、盛大に音を立てて罅割れていく。

 

「これで!!」

 

 最後の一撃として、火尖鎗の炎上する鎗身が、投げ入れられた。

 一条の光のごとく頭上の構造を貫いた、ナタの秘密兵器。

 音の総量は次第に大きく膨れ上がり、破壊の衝爆が地下採掘場全体に波及し尽した瞬間、

 

 

 

 戦場(フィールド)は、底が抜けたような、大量の土砂崩れに見舞われた。

 

 

 

 ナタは身体能力と剣などの装備を生かし、上へ上へ登って回避し尽せる。

 その直下で、彼の試みを阻止できなかった二人は、少年兵が発生させた現象の影響を直に(こうむ)り──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 蒼玉の粘体(サファイア・スライム)たる三吉は、人知れず進退窮まっていた。

 アルベドからソリュシャンの危機的状況を説明され、矢も楯もたまらずに、彼女の増援先遣隊の第一号として、何とか派遣してもらった。アルベドは他の強力なシモベを選抜するつもりでいたが、三吉のたっての希望──アインズの“三助”という立場にある同胞の希求を、無碍にすることはできなかった。三吉とソリュシャンの関係性──愛情の深さを思えばこその慈悲だった。

 しかし、状況は想定以上に厄介を極めている。

 何しろ相手は、いかにステータスの恩恵に恵まれない傾向の暗殺者系統だろうとも、推定されるレベルは最大でLv.100。それほど驚異的な存在と同格な実力者は、ナザリック内でも数えるのが容易な程度しか存在しえないという事実に対し、攻勢一色の三吉はどうあっても、有利とはいい難い状況でしか、ない。

 三吉の種族は、蒼玉の粘体(サファイア・スライム)

 粘体(スライム)の肉体を巧みに変化させ、建造物の隙間に侵入し、天井面より滴る雫で酸性雨を降らしてみせたが、天使の肉体に酸の範囲拡散攻撃は効きにくい。かと言って一点集中攻撃は最初の奇襲だけが成功しただけで、それ以降は回避と防御で対応され尽している。

 室内各所に分裂した小粘体(ミニ・スライム)を散らして、さらには人間大の分身体を複数使用しているが、実のところ、それらはほとんど中身が入っていない。あくまで薄皮一枚分のそれらを、それっぽく使用しているだけで、粘体としての彼の総量は一定だ。

 無限に増え続ける性能があれば、室内全域を粘体で満たし尽せば、それで済む話。

 それで、あの天使を確保できるはず。

 だが、実際の彼が繰り出せる攻撃には限界があった。触腕の伸ばせる距離は無限ではない。酸性雨の分泌液は永久には降らせないし、扱える粘体の量は一律……ナザリックの浴槽を満たすだけの量だけだ。

 その証拠に、

 

「天使に酸属性の攻撃は通りにくいことは、当然ご存じで?」

 

 死の天使──イズラという名の敵NPCは、薄い微笑を浮かべたまま、三吉の猛攻撃を(しの)ぎ続けている。奴の翼を穿った強酸の一滴も、完全に不意打ちだったからこそ防御を抜けてくれたが、二度目を許すほどの間抜けであるはずがない。

 人形(ひとがた)の分身を鋼線で絡め断ち、散らばる小粘体の群れを弓矢で射抜き、身に降りかかる強酸と触手を黒い翼で払い除ける。

 彼はソリュシャンや三吉たち、ナザリックの存在に対して優位な状況を築いたまま。

 もはや推定ではなく、断定していいだろう。

 この天使は、──ナザリックが誇る階層守護者各位と、──認めたくはないが、同格。

 ──Lv.100。

 でなければ、これだけの性能は発揮しえない。レベルが拮抗しているだけなら、数で勝っていたソリュシャンたちに利があって然るべきところ。少し格上……Lv.80~90としても、あの余裕はありえない。こちらが有効・特効な属性攻撃を繰り出せていないからとしても、影の悪魔たち護衛部隊を掃滅した実力は本物。装備が驚くほど良いということは、三吉の見た限りでは感じられない。

 だとするならば、イズラの基本的な能力値が、暗殺者の割に高いことを示す。

 三吉も思い知っていた。

 これは難敵である、と。

 

「三……」

 

 しかし、そんな不安を一片も感じさせない様子で、粘体は同族固有の意思伝達によって思いを遣り取りする。

 不安そうに名を呼ぼうとして、この戦闘状況では憚りがあると感じるソリュシャンが、口を重く固く(つぐ)む。

 そんな乙女の胸中を察するように、三吉は彼女にしかわからない挙動で、ソリュシャンの不安を拭ってやる。

 

「大丈夫だなんて。あれの相手は、いくらあなたでも……え?」

 

 ソリュシャンにも、自分が敵対した相手の実力をひしひしと感じられていたのだろう。

 同職同業として完成されたような“死の天使”──黒衣の暗殺者の力量は、ついにソリュシャンのそれを大きく上回るものだと認知せざるを得ない情報だった。

 そのあまりな事実に対し、戦闘メイドは擬態でしかない歯を思い切り食い縛って、屈辱的な事実を受け入れる他ない。至高の四十一人が一人……古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)であるヘロヘロに生み出されたソリュシャン・イプシロンが、こんな場所で一敗地に塗れ、あまつさえ、愛すべき同族の手に護られなければ絶命していたやもしれぬという、事実。

 無論、結果としてソリュシャンは無傷で生き残り、犠牲となった影の悪魔たちPOPモンスターたちも無駄ではなかった……三吉がソリュシャンの救命救援に駆け付けるだけの猶予を彼等が命懸けで稼いだ事実を見れば、ある意味においてはこちらの方が勝利したと見てもよい。あの天使の情報は──直接戦闘して生き残ったソリュシャンからもたらされる“(なま)”の情報は、今後における重要な情報量を備えていた。死んでも復活は可能な拠点NPCとはいえ、生き残らなければ……生き残ることができなければ、その戦闘の記憶を保持することは不可能な以上、ここでのソリュシャン・イプシロンの勝利条件は“生き残る”ことだけで十分以上(・・)なのだ。

 そう伝え終えた途端、粘体のメイドはまた大粒の涙を流して、だが、その表情は朝日に輝く水面のように晴れやかに輝いた笑みを浮かべる。

 

「ありがとうございます」

 

 彼女が気に病む要綱などひとつもない。

 ソリュシャンは任務に忠実であったが故に、今回の戦いに発展した。それを咎める権利など、誰にも何にも存在しない。

 

「けれど、アインズ様には、なんと報告を…………え?」

 

 三吉は、伝えた。すでにナザリック側から通達を受けていることを。

 

 敵プレイヤーと思しき堕天使と行動していたアインズが、ナザリックに帰還していること。

 そのアインズ自身から、さらなる援軍が届けられる手筈がすでに万端整っていること。

 援軍は、上位のアンデッド──御方と同じ種族から成る、精鋭部隊になること。

 

 実のところ、三吉の役目もまた、イズラという敵の情報収集……可能な限りの時間稼ぎと、戦闘データの構築が主になっていた。アルベドが用意した増援よりも強力な、アインズの召喚せし上位アンデッド部隊が派遣準備中。ソリュシャンの救出がなされ、あとは脱出さえ果たせばそれで済む状況下で三吉が猛攻を続けるのは、イズラを撃滅するためではなく、奴の手の内を可能な限り引きずり出すことに終始している。三吉の後にこちらへ到来する部隊へ最高の形でバトンを渡すための準備が、着実に積み重ねられている状況だ。だからこそ、三吉は自分で繰り出せる粘体の攻撃手段のほとんどを披露し尽している。また、イズラという天使の目的や性能が不明瞭な段階で、無防備にナザリック側から〈転移門(ゲート)〉を開かれても、転移の門を隠密能力を有するイズラがともに通り抜けてくるかもしれない可能性がある以上、ただ(いたずら)に転移で離脱することは、大いに忌避されてしかるべき手法。転移で逃げるには何とかして、あの天使の眼球から、一瞬でもいいから逃れる状況を確保したいところ。

 だから三吉は、攻勢を緩めることなく、死の天使との戦闘を敢行し続ける。

 

「私にも、お手伝い(サポート)が出来ればよいのですが──」

 

 気に病む伴侶に、三吉は体全体を使って、文字通りの慰撫(いぶ)をメイドの肉感的な総身に施す。

 男にくすぐられる乙女は淡く微笑むが、今の彼女の状況──アイテムの収納空間に隔離されている状況で、三吉の戦闘に加わることは難しい以上に、ほぼ不可能と見て良い。

 少しでも隔離空間から身を出しただけで、あの死の天使の即死能力の影響を受けるか定かではない状況だ。あるいは、先ほど受けた即死アイテムの効果が残留している可能性もなくはない。せめて、戦闘圏外の超長距離に脱出するまで──彼女の状態を正確に読み取った後でなければ、そこから身を出す行為は危険極まる。指先ひとつ外に出すのは、絶対に、救援に馳せ参じた三吉が許すことはない。

 

 悄然と肩を落とす乙女を抱き締めるように、三吉はひとつの試みを提案する。

 

 

 

 

 

 一方、

 イズラはイズラで、千日手じみた今の状況に対し、大きな焦燥と不安を懐かずにはいられない。

 相手の名を読む特殊技術(スキル)は一日分消費し尽した。他の探査系魔法を発動することも考慮してよいが、ソリュシャン・イプシロンというNPCを仕留めていない状況というのが面倒極まる。イズラが保有する“死の筆記帳”は、名を書き込んだ相手が死亡した段階で、次の対象を書き込むことを可能にする仕様上、「書き込んだ相手が何らかの手段で死亡していない状況のままだと、再使用が不可能」という致命的な欠陥・弱点が存在する。あの蒼玉の粘体(サファイア・スライム)の真名を魔法で知ったところで、同一方法で殺すことは不可能というわけだ。

 イズラは死の天使であるが、死霊系統に特化した魔法詠唱者のごとき即死魔法は習得できていない。単純な〈(デス)〉すら扱えない、一介の暗殺者(アサシン)であり盗賊(ローグ)であり──死刑執行人(エクスキューショナー)だ。魔法ではなく、単純にアイテムや身体機能・特殊技術(スキル)における即死能力は強力だが、死の天使は往々にして、「魔法による即死能力」にはあまり明るくない傾向にある。

 死の天使が誇る最大Lv.15で獲得可能な能力を使えば、ある意味において「“死”そのもの」と化して敵を一掃することができるが、ナザリックから援軍が到着した事実を思うと、さらなる増援が次々に送り込まれる可能性を考えざるを得ない。あの蒼玉の粘体が第一陣と判断して、第二陣がさらに大量かつ強力な手勢であれば、死の天使の最大レベルの特殊技術(スキル)は確実に有用。だが、ここであわてて発動に踏み切っては、先ほど雑魚共の名を読み上げるだけでLv.10の“真名看破”を摩耗し尽したことを考えると、踏ん切りがつかない。あの影たちはイズラの創造主を軽侮した以上、殺戮して当然の対象になっていた為、スキルを消耗した事実を後悔せねばならないという気概は、彼の胸中には微塵も感じられていなかった。

 だが、このままでは、さらに時間を消耗する。

 消耗した分の時間だけ、ナザリック側からの増援が到着する可能性は増えていく。

 ──やむを得ない。

 この場から完全に退くために、邪魔するすべてを排除するための最大スキルを発動しようとして、

 

「む?」

 

 イズラは、同族の隔離空間内で何かしている戦闘メイドを見逃さない。

 彼女が両手より生成する黒い球体……禍々(まがまが)しい毒色の、砲丸ほどの物体があることに気づく。

 それはひとつだけではない。二つ、三つ、四つ……イズラが観測しただけで十個のそれが、蒼玉の粘体が内部に格納しているアイテム空間内に転がり始める。

 猛毒の生産機関として内部に留まったままのソリュシャンが、蒼玉の粘体の内部に、己が生成した毒物を預け、それを蒼玉の粘体が射出・放擲するという戦法を取り始めようとしていた。

 

「させません」

 

 毒攻撃はイズラには効かないとしても、いかなる効能や作戦があるか知れたものではない。あるいは天使の耐性を突破する能力があるのやも。何かされる前に叩き潰した方が良いはず。

 思い、空を疾駆する黒い翼を蒼い触手が囲い、酸の粘液が降り注いで、妨害。

 蒼玉の粘体が、ソリュシャンに協力を仰いで、己の内部に生成させたものは、やはりポインズメイカーの毒だ。

 これはかなり強力な毒を含んでいるが、今回に限っては、ソリュシャン達は別の用途の為に、その毒物を生成。

 蒼い粘体の体内をすべる黒い砲丸が、触腕の根本を通って先端部へ──そして、爆ぜる。

 夜のごとく黒い霧が、天使の視界すべてを、まるで墨汁がぶちまかれたかのように奪う。

 

「これは」

 

 驚く天使は〈闇視(ダークヴィジョン)〉の恩恵を種族特性に組み込まれているが、空間そのものが黒く着色され染め上げられる現象は、闇を見透かす能力とは無関係だ。闇視とは別の透視能力が必要になるところだが、イズラは魔法で発動しない限り、その性能を発揮できない。

 魔力の消費を嫌ったイズラは次善策に打って出る。

 天使は黒い翼を大きく数度はためかせ、黒い霧を強引に打ち破った。

 その先にいたはずの影……粘体たちの姿がどこにも存在しない事実を、視認。

 念には念をと、〈透視〉まで発動してみるが、死の天使は確認するように、一人呟く。

 

「逃げられ、ましたか?」

 

 金髪のメイドを収納した蒼玉の粘体が、綺麗さっぱり消え失せている。

 動力室内のどこか死角に逃げたというわけでもなさそうだ。

 軽い安堵感と満足感に浸りかけた、その時──

 

『──逃げたのではない』

 

 弁明する声が、黒い霧の奥底より渡り来る。

 

『あのお二人は、我々と交代で、貴様の“迎撃任務”から一時後退したのみ』

『左様。ソリュシャン様とその旦那様である彼は、貴様の戦力分析の役目──“威力偵察”を見事に果たしてくれた』

 

 黒霧の晴れる動力室の四方から、重く荘厳な声音を紡ぐ“死”が現れる。

 その異形は、粘体のそれでなければ、まかり間違っても人間やいかなる生命でも、ない。

 黒い眼窩(がんか)に灯る熾火の瞳。

 白く輝くような骸骨の(からだ)

 不死者(アンデッド)の種族において最上位に位置する異形種(モンスター)の威容。

 身に帯びる装備一式は種族ごとに分かれており、また、彼等の役割に則した武器──杖や剣や、あるいは時計などを携えている。

 それが、四体。

 

『ここからのお相手は我等、上位アンデッド“死の支配者(オーバーロード)”部隊』

『アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下によって、特別に生み出されし我々が、務めよう』

 

 イズラは、現れし異形の正体──アンデッドモンスターを知っている。

 

 死霊系魔法を極め、あまねく不死者の頂点に君臨する──死の支配者(オーバーロード)

 死の支配者の中で、さらに魔法への理解と賢智に富む──死の支配者(オーバーロード)の賢者(・ワイズマン)

 さらに、数多(あまた)の不死の軍勢を指揮する軍略を獲得した──死の支配者(オーバーロード)の将軍(・ジェネラル)

 そして、死へと至る「時」の流れすらも支配し得る王──死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)

 

 最低でも、Lv.80以上の力を有する上位アンデッドが群れを成し、イズラの敵(アインズ・ウール・ゴウン)の名を戴く王の命を受けて、死の天使に対する“迎撃”を、全員が宣言する。

 

「……ふふ。これは、マズいですね──」

 

 死の支配者(オーバーロード)たちが支配下に置く、特殊技術(スキル)によって召喚した上位・中位・下位のアンデッド軍が、我先にと死の天使への一番槍を伸ばした。

 

 殺到する死者の群れ。

 

 イズラは鋼線を手繰り、抵抗を続ける。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 南方士族領域のセンツウザン鉱床地帯。

 そこで新たに発見された新鉱石の採掘場は、見るも無残な崩落の現場を晒していた。

 この崩壊を生み出し創り上げた花の動像(フラワー・ゴーレム)たる少年兵は、直感として、まだ戦闘が終わっていないという確信を懐いて、敵の再出現を待ちわびる。

 そうして、

 

「おお!! やはり、ご無事でしたか!!」

 

 激震する大地を、岩塊の拳が突き砕いてみせた。

 轟音と共にさらなる崩壊の場を構築する新鉱床を踏み砕き、彼と彼女は、ほとんどまったくの無傷で生還する。

 

「…………あたりまえ」

 

 ガルガンチュアの岩の巨体によって護られたシズは、しかし身に降りかかる土埃や火尖鎗の余波に装備が汚された事実と、岩の巨人にそれなりのダメージを与えた攻撃手段「戦場である鉱床の大崩落」を披露・顕現した少年への憤懣……そして、ガルガンチュアの手を煩わせた自分の非力さと無念さで、機械の肉体にはあるまじき憎悪の埋め火を、右の瞳の中で燃焼させて(はばか)りない。

 

「…………絶対に逃がさない、おまえ」

 

 ダメージをまったく感じさせることのない巨兵を(いた)わり、傷のない顔を撫でた。

 その一瞬の後、絶対の殺意を込めて、突撃銃(アサルトライフル)の照準を敵NPCに合わせるシズ。

 ナタは喜び勇んで、それに応じる。

 

「では!! いざ再び(たたか)

「はーい。そこまでー」

 

 唐突に。

 崩れた採掘場の残骸、その頂きのてっぺんに佇むナタの背後の空間に開いた白い光の門扉から、ナタを掣肘(せいちゅう)するがごとき、大きな掌が。

 青い髪の後頭部を盛大にスパンと叩かれ、不動の姿勢で「痛い!!」とリアクションする少年は、そこに現れた同胞……自分の所属するギルドの機械巨兵(マシンジャイアント)にして守護天使(ガーディアン・エンジェル)……防衛部隊副長として、有事の際にはミカ隊長の代わりにギルドを護る役目を請け負う全身鎧と鋼の翼を与えられたNPC・ウォフを振り返る。

 

「ナター? もう、帰るよー?」

「な、ウォフ?! どうしてです!? 今いいところであるのに!!」

「でもー、カワウソ様の命令だぞー?」

「わかりました!! 帰りましょう!!」

 

 即答。

 ナタは白い門の向こうに消える同族を先に行かせ、自分たちを追う影が飛び込んでこないか警戒しつつ、別れ難い好敵手たちに手を振ってみせた。

 

「第四階層守護者・ガルガンチュア殿!! そして、戦闘メイド(プレアデス)のシズ・デルタ殿!!」

 

 呼ばれた二人は、完全に撤退していく少年を追うべきか攻め込むべきか迷いつつ、その戦闘能力故に油断ならない事実を前に、二の足を踏む。

 

「本日は良い(いくさ)でした!! 再び、お二人と戦える日が来ることを!! 切に──切に、祈らせていただきたい!!」快活に笑い吼える、蒼い髪の少年。「では!!」

 

 最後の最後まで、明るく元気な姿をさらし続けた敵が撤収した事実を確かめた後、シズは構えていた突撃銃を静かに、下ろす。

 

「…………私、あいつ苦手」

 

 青天を見上げるガルガンチュアは、沈黙でもって、シズの主張を受け入れる。

 

 

 

 

 

 ちょうど、同じ頃。

 

「いきなり待機命令なんて──新鉱床で、何かあったのかしら?」

「事故なんて起こっても、スケルトンの防御や、魔法の復旧で何とでもなるはずですよね?」

 

 今日も新鉱床への派遣を言い渡されていたはずの南方の人材──領域内屈指の腕前を持つと評される“八雲一派”に属する魔導国一等臣民……クシナとスサが、急な待機命令を受けて、鍛冶部門の従業員や奴隷工匠らと共に、手持無沙汰な調子で休息を満喫していた。

 しかし、この休息時間は本来の予定にはないこと。

 通常であれば、現在センツウザン鉱床地帯にて掘削が行われている新鉱石の加工精査に駆り出される予定であったのだが、急遽、新鉱床の嚮導部隊(きょうどうぶたい)から一報が届けられた。

 ──「本日、新鉱床への派遣は中止。通常業務を行うように」という通達が。

 

「ソレにしてハ、何か騒がシい気ガスるけどナ?」

 

 彼女たちと共に緑色の熱い茶を飲んで憩う緊急労働のバイト鍛冶師──武者修行中の戦妖巨人(ウォー・トロール)、ゴウ・スイは、亜人特有の感覚の鋭敏さから、奇妙な空気の震撼を感知していた。

 が、それが新鉱床の大崩落だと気づくことは出来ない。

 あの土地に施された防音と耐震、耐衝撃の魔法などの影響で、外にいた魔導国臣民で、かの地で行われていた戦闘の余波を感じ取ることは、ほぼ不可能な構造が成立していたからだ。

 

「ああ、見つけた」

 

 その時。

 彼等が寝食と労務の双方を行う武家屋敷──八雲一派の鍛冶工房に、奇妙な風体の女が現れた。

 身なりは、女性の信仰系魔法詠唱者が好む“修道服”の黒い衣装に似ており、頭にはヴェールの白布も飾られているが、銀髪の乙女が独自のセンスを加えたのか、いろいろと着崩している印象が強い。豊かな双丘を張り出す胸元が大きな十字架状に開いている形状は、むしろ聖職というより性職という方が正しいのでは──そう想起されて当然な女体の結実であるが、あまりにも神聖な空気……一般人は知らないが、冒険者界隈などでは「オーラ」などと呼ばれるもの……と共存できているというのが、不可思議でならない。美しい面貌や覗き見える胸元から判別できる肌の色は、闇妖精(ダークエルフ)のそれのごとく黒い褐色の肌だが、髪房の間から覗く耳の造形は人間のもの。頭に浮かぶ光輪(リング)は、何らかの装備アイテムだろうか。

 無論、この屋敷に存在する誰一人として、その女性との面識はありえない。

 だが、銀髪褐色の彼女は、すでに情報を得ていた。

 

「マアトの情報通りね。あなた達が、ナタと関りを持った魔導国臣民。“八雲一派”の人、よね? 表の看板もそうだし」

「ナタ君? ……ええと、あなたは?」

「名乗るほどの者じゃないわ。それに、名乗っても意味ないし」

「あア? そレ、どうイウ意味ダよ?」

「簡単な話よ。

 これから起こることも含めて、私たちに関するすべてを、忘れてもらうのだから」

 

 疑問符を大量に浮かべる現地の人々。魔導国の臣民たちの猜疑に構うことなく、智天使(ケルビム)の修道女は片手を掲げ、精神系魔法を発動する。

 

「冒険都市で調査してたラファの奴まで呼び戻して魔力を貰わないといけなかったけれど──」

 

 何はともあれ。

 

「あなたたちの出会った“ナタ”に関する記憶。全部、なかったことにしてもらうわ」

 

 

 

 

 

 創造主(カワウソ)の君命に従い、銀髪褐色の女智天使が、本日数度目の〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を断行した。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ああ──まいりました、ね……」

 

 生産都市、地下第五階層内の、動力室の壁面に、死の天使は身体を預ける。

 

「せっ、かく……あの方に、いただいた、装備であると、……いうのにッ」

 

 見る先で、イズラの中で最も強力な武装である遺産級アイテム“死の筆記帳”が、燃えている。

 声は穏やかでこそあったが、その身はズタズタのボロボロ──そう評するのも違和感があるほどの、傷と呼ぶのも躊躇われる“蹂躙の痕”に、覆い尽くされていた。

 黒い外套は端々が焼け切れ、凍り砕け、幾多のアンデッドが振るう朽ちた刃の矛先で、無残なありさまを呈していた。

 その内側にある天使の肉体も、同様。

 死の支配者(オーバーロード)部隊……彼等が繰り出す魔法や特殊技術(スキル)によって、死の天使の暗殺者であるイズラは、ほとんど完敗を喫していた。

 

 イズラの肉体は、一応拠点NPCであるが故に人間の外装のそれであるが、彼は種族的には“死の天使”──数多くいる天使種族の中では比較的低い位階の天使であり、その身に負った傷からこぼれるのは、天使種族固有の、澄明な光の粒子ばかり。

 ユグドラシルにおいて、天使で赤い血を流すことができるのは、熾天使や智天使などの上級種か、あるいは堕落し堕天して肉体を手に入れたとされる堕天使だけ。それ以外の天使は、軒並みイズラのように光の粒子を零して、まるで割れ砕けた宝石のような輝きを散らすもの。

 イズラが被った損害は──

 斬撃攻撃53発、殴打攻撃49発、魔法攻撃66発、特殊攻撃18発。召喚されたアンデッドらが振るう鋼鉄の刺突によって、四肢を砕き折られ斬り刻まれ穿ち貫かれていて、合計42本の凍てつく凶器……天使の苦手とする“冷気属性”強化を受けた刺突武器が、連中が召喚してみせたアンデッドの兵団によって繰り出された勘定だ。

 召喚者たちの四人の強化が施されたアンデッドモンスターを交えた戦闘痕は、イズラの砕け落ちた手足や胴体──さらには顔面にまで武器が突き立っており、その白磁の表情(かんばせ)に物理的な(ひび)をいれてみせたのだ。通常人類では、発話はおろか意識を保つことも難しい……どころか即死していなければおかしい傷痍(しょうい)の様は、あまりにも熾烈かつ、過酷を極める。

 手袋もブーツも、彼等との戦闘で破損、砕けた四肢と共に脱落しており、今のイズラは「数十本の凶器が突き刺さる“だるま”」同然の形で、部屋の隅に吹き飛ばされ倒れ伏している状況である。

 最上位アンデッドに分類される死の支配者(オーバーロード)の〈爆撃〉や〈焼夷〉、さらには死霊系魔法の即死能力は、死の天使の基本特性──各種耐性で何とか防御可能だが、それ以外では……特に冷気属性ダメージには、ほとんどの天使が屈する他ないし、あるいは“負”の属性というのも純粋な脅威となりえる。死の支配者たちは、それらを巧みに駆使して、イズラという死の天使の攻勢を完封し、こうして無様な負け犬っぷりを露呈させている。

 

『まだ喋る体力があるようだな?』

 

 筆記帳を後生大事にしていた死の天使に見せつけるがごとく、彼の即死アイテムが燃え落ちる〈爆炎〉を浴びせたアンデッドの最高位魔法詠唱者。

 部隊を代表するかのように、この世界で新たに作成された死の支配者(オーバーロード)が、壁面にもたれかかる死の天使に話しかける。その声の温度は、尋問官のそれよりも冷たい。

 

『降伏せよ。さすれば我等が主人たる、アインズ・ウール・ゴウン様の慈悲を賜ることができよう』

『貴様はよく戦った──と言いたいところだが、さすがに下級天使が一体では、な』

『我らが召喚せしアンデッドの群れにも拮抗できずに、これでは』

 

 賢者(ワイズマン)が勧告し、将軍(ジェネラル)が結論し、時間王(クロノスマスター)が嘲笑の息を吐く。

 彼等はイズラの戦闘力が低いと見做しているのではない。むしろ、彼はよく戦った、善戦した方だと理解していた。ただの暗殺者で、ステータスとしては微妙なものになりがちな職種を与えられているイズラは、彼等死の支配者(オーバーロード)部隊が一日で召喚可能な員数の半分を減耗・消滅させた。清明な長弓から繰り出される白い矢が、地下聖堂の王(クリプトロード)の眉間を穿ち殺し、鋼線の斬撃で死の騎士(デスナイト)の身体は両断され、死の天使の掌が骸骨の戦士(スケルトン・ウォリヤー)の群れに確実な「死」を与えた──

 

 だが、相手が悪かった。

 もっと言えば、相性が悪すぎた。

 さらに付け加えれば、何もかもがイズラにとって不利に働いた。

 

 彼等は記録映像を見て、イズラの能力や特性をある程度まで看破し、それに対抗するための準備と対策、戦術計画を念入りに整えていた。それだけの時間を稼いでくれた、戦闘メイドと蒼玉の粘体の功績だと見て、まず間違いはない。

 全方位から攻撃され続ける死の天使は、全周から浴びせられる剣を、槍を、斧を、矢を、魔法を、特殊技術(スキル)を、どうすることもできずに、蹂躙され蹂躙され蹂躙され続けるしか、なかった。

 アンデッドの基本特殊能力である「即死無効」は、死の天使Lv.15が有する「即死能力」がまったく完全に効果を発揮しないことを意味する。真名看破を消耗していようといまいと、“即死能力使用者”にとって、死の支配者(オーバーロード)というモンスターは能力が通じない──天敵でしかないのだ。

 上位アンデッドの中でも最強格に位置する死の支配者(オーバーロード)と、その派生である“賢者(ワイズマン)”・“将軍(ジェネラル)”・“時間王(クロノスマスター)”のチームが相手では、ただの暗殺者・盗賊などの職業(クラス)レベルばかりが積み重なって85もあるLv.100が単体で相手では、圧倒的な数と、同族同士が故の洗練された連携攻撃で、容易に封殺できる。

 

「こ、うふく……──ふ、ふふふ、降、伏……ですか?」

 

 イズラは身動き一つとれない重傷の身で、まだ、薄い氷のような微笑を、口の端に零し続ける。

 

「その、ような、ことは、私には、ありえ、ない」

『……何?』

 

 イズラは知っている。

 彼だけではなく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するすべてのNPCが、心得ている。

 

「私の、マスタ、は、今の、私、に、そ、を望んでは、……いない」

 

 すでに言葉を発することにすら苦労しつつあるNPC。だが、彼はNPCであるが故の崇高さ・気高さを、凶器に貫かれ輝きを零す胸の奥に灯しながら、宣言する。

 

「私たちの、存在理由。私たちの、目指してきた、たったひとつ、の……目的……望み……願い」

 

 それを果たす時まで、イズラたちは生き続ける。

 彼に創られた自分たちの役目に準じて、殉じる──その時まで。

 

『おまえは、何だ?』

『おまえのマスター、とは?』

『おまえたちの目的、望み、願いとは?』

 

 彼等の質問に、死の天使は暗黙の(うち)に答える。

 

 イズラは、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”。

 イズラの主人(マスター)は、ナザリック地下大墳墓への“復讐者”。

 イズラたちの目的・望み・願いは、……創造主である、彼のために。

 

 しかし、イズラはそれを決して口外しない。

 

 

「 そ れ を 私 が 教 え る と で も ? 」

 

 

 当初、ソリュシャンの質疑に応じたときのそれと同じ、だが、どこまでも拒絶の意志を混入し尽した断絶の声で、言い放ってやった。

 上位アンデッド部隊が、理解不能という評価を天使に下した。

 しかし、イズラは諦めてなどいなかった。

 死の天使(イズラ)は満身創痍だが、まだ手の内をすべて披露したわけではない。

 先ほど、撤退してしまったソリュシャンたちに発動すべきかどうか迷った、死の天使の最大レベル特殊技術(スキル)。あれは、まだ、残っている。

 死の支配者(オーバーロード)の即死無効の力に対してどれだけの効果があるのかは分からない状況だが、もはやこれ以外の反撃は不能。手袋の鋼線も、純白の長弓も、暗殺者御用達のナイフ仕込みのブーツすら失った現在……もはや立ち上がるどころか這いまわるための腕すらない状況でも、あの特殊技術(スキル)は十分、発動は可能。

 ──発動の代償は、イズラの“命”。

 だが、自分の残余体力(HP)を考えれば、何もしなくても死ぬことは確定的な状態であり、戦況だ。

 ならば、使わない方が、どうかしている。

 うまくいけば、ナザリック地下大墳墓の有する上位アンデッド部隊とやら掃滅できるかも。そうすれば、きっと創造主の、カワウソの目的であるナザリック地下大墳墓への再攻略の一助となれることだろう。そう思えば、発動せずに殺されるよりも万倍マシというもの。

 

特殊技術(スキル)──」

 

 死の天使の異形の姿……青年の全身を覆う眼球を顕現させ、最後の特攻を仕掛けようとするイズラ。

 そんな天使に、誅戮の魔法と、無数の刀剣と、時間干渉の力が降り注ぐ、

 瞬間だった。

 

 

 

「おまえが死ぬのはまだ早いぞ。イズラ」

 

 

 

 イズラの全眼球が見逃すほどの超速が、黒い堕天使の姿となって駆け抜けてきた。

 堕天使が引き連れてきたのは、黄金の髪を六翼へ無造作に垂らす女熾天使・ミカ。

 

「な……なぜ?」

 

 ありえないと思った。

 ミカが本気の防御スキルで、熾天使の三対六枚の翼で、上位アンデッドたちの攻撃を防いで見せたこと──ではなく。

 何故、彼が……ミカに護られるべき、ただ一人の堕天使が、この、今まさにイズラが屠殺される現場に現出したのか……本気で理解できない。

 見捨てるのではなかったのか。

 ラファが、ともに調査へ赴く同胞が、魔法都市の集合住宅屋上で、示し合わせてくれたはずだ。

『しくじったら見捨ててくれ』と。失敗し、失態を演じた者は、彼と彼のギルドとは無関係な風に取り繕ってくれと──そう、決めていたはず。

 なのに、どうして……どうして!

 

『何者だ、貴様ら? 我等を、魔導王陛下から(めい)を受けた存在と知っての無礼か?』

 

 死の支配者(オーバーロード)部隊が、闖入者(ちんにゅうしゃ)たちの挙動を油断なく伺いつつ、剣呑な雰囲気をそのままに問い質した。

 上位アンデッドの軍団(パーティ)……死の支配者部隊を代表するように、死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)誰何(すいか)の声を唱える。

 黒い人間の姿をした異形種……惰弱で脆弱な堕天使が、微笑みを浮かべすらして、アンデッドの賢者からの問いかけに応える。

 

「さっき、マルコにも教えてやったんだが……おまえたちにも教えてやるよ」

 

 その肌は、天上にあるものとしてはありえないほど、日に焼かれすぎた色。

 瞳は狂気に濁り、絶望と欲望に歪み落ちた陰り──両眼の隈に縁どられている。

 身に帯びるは漆黒の鎧と足甲、聖剣など六つの神器級(ゴッズ)アイテムなどの至宝の数々。

 苦難の果てに手に入れし、世界級(ワールド)アイテムの呪わしい赤黒い“円環”が、黒髪の上で重く鈍く輝いている。

 

 誇るように、謳うように、堕天使のプレイヤーは、ナザリック地下大墳墓のアンデッドたちに、厳然とした事実を、告げる。

 

「ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──ギルド長。

 プレイヤーネームは、“カワウソ”」

 

 誰もが警戒と疑念と危惧に至る只中で、堕天使だけが超然と微笑(わら)い続ける。

 微笑(わら)って、微笑(わら)って、宣言する。

 

「そこに転がっている死の天使・イズラたちの、ただ一人の主人であり──

 おまえたち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの──」

 

 

 

 

 

 敵だ。

 

 

 

 

 

【第五章 死の支配者と堕天使 へ続く】

 

 

 

 

 

 




次回・第五章は、書き溜めが終わり次第、投稿いたします。
しばらくお待ちください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。