オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
/Different world searching …vol.3
薄紫色の髪の少女を抱き助けたカワウソは、〈
堕天使は飛ぶことができない。「堕天した天使」が空を自由に飛ぶ〈飛行〉の状態になるには、最高レベル獲得時に取得できるスキルを発動するより他になく、また今回は使う必要を感じなかった。
ジャンプした勢いそのままに少女をキャッチしているような状態だ。
「よし」
着地の衝撃は難なく相殺可能。
救出にはばっちりのタイミングだったが、マアトの
急転する事態に混乱する少女を腕の中に抱えたまま、〈
やはり、あのモンスターたちは、少女を追跡する意思を持っている。
「そこで大人しくしてろ」
抱き下ろされ、大木を背にし、瞬きを繰り返す少女は、ゲームのプレイヤーにしてはかなり弱っちい感じしか受け取れない。
そもそもにおいて、
いずれにせよ。
まともな話ができそうな存在と言うのは、いろいろな意味で貴重だ。
あんなモンスターたちに狩られるままにしておくというのは、いかにも勿体ない。
そう結論するカワウソの背後で、揺れ動く茂みの音と、獰猛な獣の唸り声が奏でられる。
少女が危険を告げるのとほぼ同時に、地獄の焔を滴らせる牙が、カワウソの身体へ四つ、六つ、八つ……合計して十八体も殺到する。
もうひとつの目的である「戦闘の実験」を敢行。
聖剣を空間から鞘走らせた堕天使は、もはや使い慣れた
下段から降り注いだ光の束が、一直線に奔る輝きの奔流に
種族としては悪魔系統に位置づけられるモンスターなため、聖剣による神聖属性攻撃はかなりのダメージ量となる上、
この攻撃エフェクト自体は、
だが、それでも。
「……おいおい」
意外なことが起きてしまい、カワウソは愕然となる。
切り払った猟犬の群れと共に、周囲に鬱蒼と生い茂っていた草木までも、諸共にカワウソの視界から消滅してしまったのだ。
まるで、森の一部が切り開かれたかのように、太陽の光が視界を明るく染め上げる。
「やべっ……森の木まで、攻撃できるのかよ?」
ユグドラシルのゲームでは、カワウソはフィールドそのものに攻撃を加えるようなことはできなかった。否、より正確には、ゲーム内においてああいう「普通の木」というのは、採取や伐採、開墾や土壌調整を行える職業・
勿論、森の探査をわずかに行っていたNPCたち――イズラ、イスラ、ナタ――が採取可能だった時点で、ゲームの時のようなフィールドオブジェクトという可能性はありえなかったわけだが。
しかし、
「ユグドラシルじゃ、こんな大地が
樹々が攻撃対象になったこともさることながら、その下にある地面まで、光の刃によって地割れのような陥没……というか、ほとんど地形が断層を起こしているような様が、鋭くひた走っている。事前に戦闘実験を行った拠点第一階層の
「でも、現実の大地に、ゲームの攻撃が通じるって、おかしくないか?」
そう呆れたように独り言を呟くが、自分の目の前で起こった出来事を説明するとなると、そうとしか言いようがないのも事実だ。
印象としては脆い世界なのだなという考えを抱きつつ、カワウソは次なる標的を感じ取り見定める。
開けた森、大地の傷、同胞たちの死を迂回して現れた猟犬たちによる挟み撃ちのような多面攻撃を、堕天使は片手に握る聖剣ひとつで薙ぎ払う。
発動させた
光輝の刃Ⅰは、無属性武器を一時的に神聖属性に転換する光の刃を、その剣の表面に覆った姿で発動する程度の
聖騎士にして、Lv.100の堕天使の腕力と瞬発力で木っ端のように吹き飛ばされる猟犬たち七頭は、その骸を大地に転がし、吐き出そうとしていた紅蓮の焔を
……はて。
カワウソは新たな現象に頭をひねる。
死体が残ることは、ユグドラシルでは珍しくもなんともないが、あんなにも様々な形状になるものだっただろうか?
クリティカルヒット扱いというもので、モンスターの死体にも差別化があったのを見た覚えはあるが、頭部の消滅した死骸や、腹部から赤黒いものをこぼしているというのは、少し、──いや、かなり、──グロい。中には吹き飛ばされた衝撃で森の木の幹に貫かれて果てている死体まであるのだから、かなり異様な光景になる。おまけに、流れ出てくる血の量というのも、ゲーム時代とは比較にならないほどだ。
無論、血というのも立派なアイテム扱いを受けるオブジェクトなのだが、ここまで生臭い香りを嗅ぐなんてこともなかった為か、やけにリアルに感じられる。もうちょっと威力の強い攻撃で、完全に消滅させるくらいの攻撃をした方が、精神衛生上いいかもしれない。だが、それだと実験が──
などと状況を努めて冷静に分析するカワウソの耳に、
「オオオァァァアアアアアア──!!」
聞く者の肌が粟立つような咆哮が。
同時に、地獄の猟犬の
カワウソは、これの姿をマアトの魔法越しに見ていたので、この
しかし、その姿は堕天使の声音をわずかに凍えさせ、鋭さを増幅させる。
「やっぱり、
猟犬たちの飼い主のごとく現れた追撃者。
その身長は二・三メートルにもなり、身体の厚みは人というより猛獣のそれを思わせる。左手には全身の四分の三を覆うような巨大な盾──タワーシールドを保持し、右手には一・三メートル近い波打つ形状の大剣──フランベルジェを握っている。その巨体を覆うのは漆黒の金属。随所に血管のような真紅の紋様を刻んだ全身鎧だ。鋭い棘が所々から突き出す様は、暴力をそのまま形におさめた形状である。兜は悪魔を思わせる角を生やし、顔の部分が開いた箇所から憎悪と殺戮に着色された亡者の眼窩が、爛々と世界を睨み据えている。
ボロボロの黒いマントを翻し、死の騎士はカワウソめがけ突進する。その姿は騎士の突撃というより、肉食獣の跳躍じみた速度。人間の平均身長を超過する巨躯でありながら、その動作は影のように軽やかなものだ。
しかし、カワウソにしてみれば、
特性として、死の騎士は雑魚モンスターのヘイトを集め、どのような強力な攻撃もHP1で耐え抜くという盾役としては非常に優秀な存在だが、そのレベルは35程度。カワウソのギルドの門番を務める小動物たちと同レベルに過ぎない。
一合。
たったそれだけで、死の騎士の命運は決する。
刃を交わした瞬間に、
大地の上に
ユグドラシルの仕様上では、実体を持つモンスターは死体をそのまま残すものが多い。その死体からデータクリスタルやドロップアイテムを入手できたり、あるいは死体に特殊技術や魔法などを使用し加工することで別のもの──肉などの食料や、金属などの素材、あるいはゾンビなどのアンデッドモンスターの傭兵NPC──にして手に入れることが可能だ。
……だが。
「クリスタルは、ドロップしないな?」
死の騎士の
ここがユグドラシルとは別の世界であることの証明が、ひとつ増えたと考えるべきか。
だが、それならユグドラシルと同じモンスターが徘徊しているというのは、どういう理屈なのだろう。
しかも、ここは森の真ん中だ。
アンデッドは大抵の場合、墓場や廃墟などで
「カワウソ様」
さらなる疑問に陥っていた堕天使の耳に、怜悧な音色が注がれる。
「ミカ。無事だな?」
振り返り見た先で「馬鹿にしないでください。あたりまえであります」と、毒舌天使が宣言する。
彼女が握る光の剣は、役目を終えたことを確認すると、目にも止まらぬ速さで鞘の中へ戻される。
ミカは頭部の上半分をすっぽりと覆える
カワウソの右腕として創造しただけのことはあるらしく、ミカは主人とは違い、まったくそつなく戦闘行動を完了させたようだ。その証拠に、彼女は
「――やるじゃないか。こっちは一体倒すので精一杯だったのに」
「崖を下りた死の騎士が一体だけだったからでは? おかげで、猟犬たちの始末はカワウソ様が一手に引き受けてくれたわけですし」
ミカは追跡続行のために崖下への安全ルートをとった死の騎士四体を狩るべく、別行動を取っていた。
無論、カワウソの貧弱な能力でも、さすがに特効属性を扱える状況で、Lv.35程度のモンスターが相手なら、その倍の量を連れてこられても対応は可能なのだが。
「しかし。少し派手に戦いすぎではありませんか?」
「ああ……やっぱり、そう思うか?」
光輝の刃Ⅴを繰り出した際に、森の一定範囲が猟犬諸共に断裁され消滅してしまっている。この森が誰かの領地なり所有物なりしたら、カワウソは罪状をはられるかもしれない。そうなる前に、ガブあたりを連れてきて、幻術で森の破壊っぷりを隠匿するか、さもなければ
ここが誰かの土地や命名済みのフィールドだとすれば、マアトの
「あ、あの」
思考に耽っていたカワウソは、ミカ以外の声を聞いて、ようやく自分がここに赴いた理由を思い出した。
カワウソは比較的穏やかな、あたりさわりのない表情を浮かべて振り返る。
「ああ。怪我はしていないか?」
「あ……はい。おかげ、さまで」
腰が抜けた感じの女の子は、しかし礼儀を知っているらしい調子でお辞儀してくる。言葉も通じるようで少し安堵した。翻訳魔法を発動する
あらためて、その少女を見下ろした。
少女の身なりはそれなりに整っている。軽金属で出来た胸当ては、見た感じの年齢に比して豊かな膨らみを隠しきれていない。はっきり言えば南半球に当たる部分が露出している。へその部分もまる見えだ。防御能力は最小限に、身軽さを最大限にしようという意思の表れだろうか。腰には剣を収めていただろう鞘がぶら下がっていたが、中身は空。あの死の騎士たちから逃げる途中で折れるなり紛失するなりしたのだろう。
顔立ちはゲームに登場するキャラのように、可憐かつ麗美だ。カワウソの見た感じとしては、リアルなら十人中七人か八人は振り返るんじゃないかといった具合である。年齢は多く見積もっても十五歳前後、それぐらいに小柄であった。
一言でいえば、軽装剣士の美少女。
それが、この女の子から抱いた第一印象である。
「いくつか質問しても構わないか?」
「は、はい。何で、しょうか?」
「どうして
「え、ええと……最後の方は、よくわかりませんが、私が追われていたのは、その……」
何とも歯切れの悪い調子だ。
ゲームだとこういう場合、大抵がワケありなのだが。
「……正直に言わせてもらうと、私、罪人なんです」
ワケあり確定かよ。
「……そうか……罪状は?」
「え? その、えっと多分……不敬罪という、奴で」
「不敬罪?」
それってつまり、こいつはこの世界の王族だか有力者だかを怒らせた手合い、ということになるのか?
ワケありの中でも最悪な部類だな。出来れば異世界の王様とか政府とかなんかと敵対なんて、現状ではしたくないのに。
こめかみを押さえつつ、カワウソは先を続ける。
「どんなことをして、不敬罪に問われたんだ?」
「あ、アンデッドの行軍に、その、墜落して」
「アンデッド、行軍……?」
おいおい。
それってつまり、アンデッドが支配する国がこの近くに存在するってこと?
いや、アンデッドを支配できる種族や、
「み、見たこと、ありませんか?
いや、そんな恐ろし気なイベント、参加したことないから。
もう……何というか……面倒くさくなってきた。
「はぁぁぁ……おまえ、名前は? 出身は? 種族は?」
眉間をおさえっぱなしのカワウソは、自分の腰に装備した鎖の端を意識する。この装備を使えば、少女の捕縛は容易である。訊けるだけのことを聞いたら、こいつを捕まえて、適当な国家機関に引き渡してしまおう。
死の騎士たちを
そんなカワウソの心算も知らず、少女はつっかえつつも自分のことを紹介していく。
「えと……私の名前は、ヴェル・セーク。出身は
正直、名前以外はそんなに重要視していなかった。ただ、いざ国家機関などに突き出す際に、情報は多い方が擦り合わせもうまくいくだろうという心積もりがあったからだ。
だが、意外にも気になるワードが出てきた為、カワウソは興味本位に問い質してみる。
「
「は、はい。一応、私も飛竜騎兵の、その、端くれで」
ユグドラシルでは三十レベル後半に到達した騎乗兵系統の職を有したプレイヤーが騎乗できる魔獣の一種だ。その飛竜を特別に呼び出し騎乗できる職種が「
だが、こいつはレベル的には大して違いのないはずの
……訳が分からなさすぎるぞ、もう。
「……それで、ここからもっとも近い都市とか、国はどこにあるんだ?」
「はぇ?」
「だから、この近辺にある街や国の場所を聞いているんだよ」
ヴェル・セークは困惑の上にさらに困惑を相乗させるような眼差しで告げた。
「え、あ、あの……この近辺に国は、一つしかありません。というか、この大陸は、一つの国の支配下にあるんです、けど?」
「……何?」
カワウソは呻いた。
その答えはさすがに予想を超えていたのだ。
一つしか国がない。そんなことが実現可能なのか?
大陸というからには、日本のような島国ということはあるまい。
オーストラリア? 南北アメリカ? ひょっとするとユーラシア大陸なみの規模を、たった一国で支配しているというのか?
まさしくファンタジーな世界観だな、頭痛が酷くなる一方だ。
「……その国の名前は?」
知らないと主張するのは、割と勇気のいる行動だった。
大陸を一国で支配している事実を、その大陸にいる存在が知らないというのは奇怪なものだ。実際、少女は疑問符を大量に浮かべながら、たどたどしく質問に答えようとする。
だが、カワウソの予想など、その少女は
「ア……」
「……あ?」
「アインズ・ウール・ゴウン、魔導国、です」
二章に続く前に、幕間を一話はさみます。