オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
飛竜騎兵の領地に、もとの平和が訪れた。
だが、その影で、魔導国はさらなる火種を抱えつつあった。
アインズ・ウール・ゴウンへの復讐に挑んだプレイヤーの創造した者たちによって。
本格的な「敵対ルート」の幕開けです。
アインズ・ウール・ゴウンの敵
/Flower Golem, Angel of Death …vol.01
飛竜騎兵領地における葬儀──葬祭殿の貴賓席から、“緊急”を告げられ連れ戻されたアインズは、その二つの映像を前に、言葉を失いかける。
「どういうことだ──これは」
訊ねた守護者たちに混じって、ユリをはじめとしたメイドや近衛の姿も。
それほどの業績を成し遂げた、“外”の永久教育機関長を拝命した夜会巻きの戦闘メイドは、伊達眼鏡の奥の眼を今にも哀しみと嘆きの感情で溢れさせるように、沈んだ表情を浮かべて跪いている。
言説で抗することすら愚かとでも言いたげに、ユリは重い沈黙を守っている。
「申し訳ありません、アインズ様」
代わりに、主人の声に応えたのは、アインズの妃の一人にして、魔導国の大宰相──アルベド。
彼女と同様に、シャルティア、アウラ、マーレ──そして、コキュートス、セバス、さらに三日前のホーコン造反未遂事件の後詰として秘密裏に領地入りしていた大参謀……例の秘薬の
アインズは叱るわけでもなく、淡々とした調べを口腔から零し出す。
「謝罪は良い。それよりも今は、確認と対応だ」
委細承知したアルベドたちが姿勢を正す。
報告は、王妃の唇から即座に届けられた。
「本日未明より、敵ギルドNPCと思しき二人……会話を拾ったことで判明している個体名は、イズラおよびナタとの戦闘を続けており、……つい先ほど、緊急要請が」
つい先ほどというのは、飛竜騎兵の長老の葬儀がはじまった頃とほぼ同じらしい。
それを確認した守護者たちによって、「連中の頭目と接触中であるアインズの、御身の安全を最優先に」と考えた守護者たち、〈上位認識阻害〉を起動させたアルベドとシャルティアによって、アインズはナザリックへの強制帰還──“退避”を願われてしまったのだった。
敵との交戦が確認された状態で、その首魁と目と鼻の先に、自分たちの忠義を尽くすべき御方が存在しているなど、守護者でなくとも忌避したい状況に陥ってしまっていたわけだ。
全員を代表して、アルベドが報告を続ける。
「第一生産都市・アベリオンにて、ソリュシャン・イプシロン率いる隠密治安維持部隊が特務中、敵NPC・イズラと接触。
さらに、シズ・デルタの南方士族領域・特別派遣──新鉱床掘削嚮導部隊が、やはり敵NPC・ナタと不期遭遇の末……戦闘」
その証拠映像が、今アインズが執務席に腰掛けながら、リアルタイムで行われている戦闘の様。
黒い外套に身を包んだ下級天使が、金髪ロールヘアの戦闘メイドに対し、極細の
数多の剣と防具を帯びる少年兵が、
「なんということだ」
口内で呻くアインズ。骨の掌で額を押さえ、嘆息の吐息を吐き出す真似をする。
いずれの戦闘も、ソリュシャンとシズに重篤なダメージが認められないのは、不幸中の幸い。
二人は万が一に備えて、他のシモベたち同様に、そこまで重要でない雑魚POPモンスターを二桁単位で護衛につけている……としても、相手が手心を加えまくっていることが、アインズにはよく解る。まるで、──そう、まるで、──戦闘メイドらはナザリックの階層守護者たちに稽古を、戦闘訓練を積まれた時のごとく、まったく相手に有効な攻撃性を示せないでいる。ユグドラシルにおいて、彼我のレベル差が10以上も離れていると勝率は激減する。よほど相性関係や装備対策、多対一という戦術的有利などの事前準備がなければ、その力量差に圧倒されてしまうのが常であった。
外の世界では英雄クラスを遥かに凌ぐ戦闘メイドと言えども、同じユグドラシルから来た存在にとっては、なるほど手心を加えることは容易。
──だからこそ。
ナザリックが誇る戦闘メイド、この100年もの間アインズと共に魔導国発展に尽力してきてくれた
アインズはとりあえず確認事項を塗り潰していく。
「こちらから仕掛けたのではないだろうな?」
「それは、微妙なところです」
「……微妙とは?」
アルベドは厳格な表情で言いのける。
「おそらく、連中の調査班であるNPC二体は、それぞれソリュシャンとシズの任務において重要な現場に遭遇。彼女らは、不穏分子の確保鎮圧のために、戦闘メイド率いるナザリックの尖兵と共に開戦した模様」
それは確かに、微妙なところだ。
ソリュシャンとシズは、自分たちの任務遂行中に発見した不穏分子を看過できなかった──二人の就いていた任務の秘匿性と重要性を考慮すれば、現場に居合わせた魔導国臣民以外の素性を調べ、捕縛したがるのは道理……それがよもや、カワウソのギルドから派遣されたNPCと思しき存在だとは、二人は思いもしなかったのだろう。
連中は調査のために、〈完全不可視化〉などの隠密魔法を発動する装備を身に帯びていた。
そんな装備を──隠れ潜むのにもってこいな道具を身に付けて、アインズより与えられた任務の障害になりかねない位置に発見した謎の存在を無力化しようと戦端を開く可能性は、十分にありえた。
一方の敵方──イズラとナタにとっては、この魔導国の状況実情を隅々まで把握し、それを然るべき上位存在……カワウソで間違いない……に奏上報告すべく、結果、頑張りすぎてしまった。
よりにもよって、ナザリックの
事前にソリュシャンやシズと連絡を密にしていればとも思われたが、二つの部隊と二人のNPCが邂逅し、戦端を開く可能性はごくわずかだった。おまけに、連中の動静を逐一把握できる監視役・ニグレドも、連中のギルド拠点監視中に「思わぬ状況」に陥って、監視体制を強行することに不安が生じていたのも悪い影響を及ぼしていた。
「ソリュシャンとシズ──二人から支援要請は?」
「先ほど受領し、派遣準備済みです。第一陣がまもなく──」
言った途端、映像に割り込む影が増えた。
アインズは「なるほど」と納得してしまう。
戦闘メイドらから既に支援要請まで発信されており、それを受け入れたアルベドたちによって彼等をたった今、派遣。彼女らは自らの危機にいち早く駆けつけてくれた最も信頼を寄せるパートナーと共に、それぞれが力を誇示する敵NPCたちと激闘を繰り広げる。
「シズの方は大丈夫でしょうが、ソリュシャンの方が不安です」
溶解の檻たるメイドの支援に向かったシモベの姿を確認したアインズは、「問題ない」と評する。
「彼は、あの見た目からは想像できないほど優秀だ」
何しろアインズの風呂の世話を100年も続ける“三助”なのだから。
それでも、守護者たちや
相手の戦力が最悪、最高のLv.100だとすれば──
「よし。一応、私の生み出した上位アンデッドも、援軍に向かわせよう」
「そ、そんな──もったいないことです!」
誰よりも先に声を発したのは、戦闘メイドの長姉たる
ユリ・アルファが驚愕の声をあげるが、アインズは
「確かに。上位アンデッドの創造作成に使用される媒介の貴重度と希少性を考えれば、そう思われるだろうが──ユリよ。私にとって、おまえたち“ナザリックの存在”以上に、大切なものは多くない。ここで万が一にも、ソリュシャンを失うことを、私は看過できん。もったいないことなどあるものか」
「あ、ありがとうございます!」
感涙に咽びそうなメイドの声が感謝の言葉を響かせる。
アインズは、ソリュシャンらと戦闘を繰り広げる黒天使と、シズらと砲火と剣尖を交わす少年兵の映像を注視する。
「…………ッ」
空虚な骨の口内で、彼のNPCたちと戦闘状況に陥った事実に、アインズは微かな失望と、大きな焦燥を感じざるを得ない。
戦端を開いたソリュシャンやシズに対してでは、勿論ない。
戦闘メイドらを圧倒しつつ、まったく傷らしい傷を与えずに無力化しようという敵の手腕──確実に、そのレベルは50~60を上回っているだろう。あるいは、最高レベルのLv.100というのも十分あり得る。そうでなければ、あの戦闘能力はおかしい。全身に纏う装備はそこまで高価高性能というわけでもなさそうなので、素のポテンシャルの違いで、
明らかに手心を加えられた戦闘メイドらが、ナザリックのシモベとしての矜持を刺激されたかのごとく、遮二無二敵と矛を交えたことは無論、手放しで褒められることではない。
が、それでも。
あの二人の性向や性質を考えれば、そこまで無理をするはずがない──普段通り、彼女たちに与えていた任務内容は、魔導国の国策にとって必要不可欠。守護者たちの自由を奪い、ナザリック内でいつでも出撃できるように用意を整えている現況において、守護者たち以下のシモベたちに働いてもらうことは最善の選択であった。彼女たちは、身動きが取れない守護者たちの穴を埋めるべく東奔西走し、アインズという最高支配者より賜った特務の成功のために、どうあっても、連中の存在を看過できなかったとみて、間違いない。
しかし、
「このままでは、彼等との戦争になるぞ──」
アインズが危惧を懐く、最悪の
カワウソ率いる天使ギルドと確執が生じ、両者の間で無用な争乱が訪れ、それに魔導国の民が、巻き込まれる。
そうなっては、100年後のユグドラシルプレイヤーであろうとも──処理する他ない。
それは、なるべくなら避けたい。
アインズは個人的に、カワウソの人格の良さを、モモンとして接触した折に理解した
その末にあるものは、確実に彼を、カワウソを処断し処刑する道筋しか、ない。
ここは、アインズ・ウール・ゴウンが治め統べる魔導国。いかにアインズと同じプレイヤーであろうとも、この地で、この大陸で、国土を荒し乱す
無論、彼等にも彼等の事情があることは、考慮する。
考慮するが、それもソリュシャンやシズたちが無事であることが“大前提”にある。
何とかして、彼等にはこの場から退いてもらいたい。もらいたいが、アインズには彼等に行使できる権限がない。彼等の長はカワウソであるはずだし、アインズの権限というのはナザリックとシモベたち、そして魔導国臣民たる大陸の人々や存在に限定されている。
瞬きの内に、どうやって停戦させることが可能なのかを脳内で選出する。
この100年。アインズはただ遊んでいたわけではない。
国を、大陸を、臣民達を統治する為政者……魔導王として相応しい演技や作法の他に、司法・立法・政治・政策……この世界の歴史や、ツアーとの情報交換などによって、魔導王は名実ともに、賢帝賢君としての道を歩むことに成功している。
100年にも渡る、アンデッドゆえに睡眠や休息を必要としないアインズの勉強時間は、彼本人でも気づいていないが、並みの一般人のそれを超越して余りある段階に達していたのだ。
さらに。ツアーから聞かされ想定していた、100年後の未来に訪れるだろう、自分と同じユグドラシル最後の日に転移する羽目になったプレイヤーの異世界転移。
準備は万端整えたつもりだ。
100年後に現れたプレイヤーに対する、アインズ・ウール・ゴウン魔導国として相応しい在り方。
超大国として君臨しつつ、あまねく臣民が平和と幸福を享受する統一国家。仲間たちの耳に届いても恥ずかしくない、人も亜人も異形も、すべてが等しく扱われ、その上に君臨する“ナザリック地下大墳墓”──魔導王の思想に呼応し、魔導王の魔力に屈服した、生きとし生けるすべての頂に降臨した“アインズ・ウール・ゴウン”という名の至高の存在。
その戦力。その威光。その権能。
100年後に現れたプレイヤー・カワウソをしても「見事」と印象付けることに成功した、アインズの国家造りは、彼という新たな
不幸にも、互いのギルドのNPC同士で、無用な混乱と騒動が湧き起こり、戦端が開かれてしまった。
何としてでも、事態は落着させねばならない。だが、事はアインズ個人の心情を斟酌しない領域にある。
魔導王から与えられた任務に励んでいたシモベを阻害する者が現れたとあっては、とても看過することは許されない。周辺に住まう市民臣民を不安に陥れ、まかり間違って──ということに発展しては、もはやアインズの権限をもってしても、どうこうしてよい次元から外れてしまう。
それには、すべての段階をすっ飛ばして、彼等をアインズの影響下に加えなければならない。
では、連合や同盟を?
いいや、ありえない。
ギルド同士の連合というのは、アインズ個人でどうこうしてよい裁量を著しく超えている。“ギルド:アインズ・ウール・ゴウン”は、仲間たち41人による多数決を重んじた
それにまだ、カワウソたちの志向や能力は、未解部分が多々ある。
彼個人が所有しているやも知れない
たとえば。
あのギルドの中に、アインズ・ウール・ゴウンに対する疑念や反感を懐く者がいたとしたら? そんなものがいるやも知れぬ状況で彼等のギルドを抱き込もうものなら、アインズ達は自らの懐にとんでもない爆薬を抱え込むことになりかねず、それを探るためにも、アインズはモモンという偽装を使って、カワウソたちに直接交流を持ちかけたのだ。
──そして、その懸念は、後に正しかったことが、他ならぬ
後に判明するカワウソの設立した天使ギルドの名称は、
その拠点、ヨルムンガルド
彼等の主であるカワウソが、長らく打倒せんと望み欲していたギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対する感情は、彼等NPCにも過大な影響を及ぼしており、その内実はかなり複雑なものだと言わざるを得ない。
彼等十二体のLv.100拠点NPCは、すべて、カワウソ個人が創造したモノ。
カワウソが一人孤独に推し進め、常に目指してきた目的──アインズ・ウール・ゴウンの打倒──ナザリック地下大墳墓への挑戦──仲間たちとの絆を決定的に破綻させた、復仇の相手への感情というのは、彼等NPCのほぼ全員に、とある共通認識としての使命感を根付かせている。
曰く、
「自分たちは、アインズ・ウール・ゴウンの、敵」
「自分たちは、ナザリック地下大墳墓・第八階層へ挑む者」
「自分たちは、
彼等個々人にそれぞれ設定された文書データによって、その戦闘意欲や敵対意識にはバラつきがあるが、カワウソのNPCたちは、中には明確に『ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵』として設定された者もいるほどに、アインズ達ナザリック陣営に対する悪感情やマイナス意識を懐く者が多かった。その最筆頭は無論、カワウソの副官のごとく傍近くに侍る女熾天使のミカに他ならない。
この異世界において拠点製作NPCたちは、創造者の意識や面影、趣味嗜好を表在潜在させる傾向にある。
たっち・みーの善人思考を強く受け継いだセバスをはじめ、NPCたちは主人に設定されていない部分においては、主人を投影する鏡のごとく
故に、カワウソのNPCたちも、自分たちを創造した
さすがのアインズも、まさか──「アインズ・ウール・ゴウンの敵対者として生み出されたNPC」なんてものが存在するなど、想像の
ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、確かにユグドラシル時代において“悪”のギルドというゲームプレイに傾注し、PK、PKKを
だからこそ、あの1500人規模の討伐戦が実行実現に移されるほど、アインズ・ウール・ゴウンに対する悪感情を懐く存在と言うのは、実際にありえる話ではある…………しかし、だ。
ユグドラシルに数多く存在したギルドの中で、ほとんど唯一的に「アインズ・ウール・ゴウンの敵対者」として創られたギルドが存在し、その創設者であるプレイヤーとNPCたちが、100年後のアインズ・ウール・ゴウン魔導国へ、ピンポイントに異世界転移を果たす可能性など、どれほどのものだと言えるのか?
少なくとも、あの討伐戦──1500人全滅の動画が広まり、伝説にまで昇華された悪のギルドに対し、何かしらの感情を懐くプレイヤーはいたとしても、まさかはっきりと敵対の意志に焦がれ続け、再攻略を挑み続けた人物や団体など、ユグドラシル終焉期においては、カワウソ以外ほぼ絶無であった。
前人未踏、難攻不落……誰もがナザリック地下大墳墓の再攻略を諦め、そんな徒労に挑もうとする者は潰え、そんな労力を費やすなら他のダンジョンやレイドボスに挑む方がマシと思われ、ゲーム自体に飽きた連中は軒並みユグドラシルを去っていった事実を考えれば、むしろ「ナザリック地下大墳墓の再攻略」を目的とするギルド:
カワウソを含むギルド全員が、アインズ・ウール・ゴウンへの復讐と敵対意識を保有して、この100年後の魔導国に──仇敵であるアインズの眼前に現れるなど、どうやって彼に予見せよというのか。
アインズは考える。
考え抜いて、自分と彼等の敵対状況を回避する方法を呟き続ける。
「ギルド同士の同盟や連合は、不可。仲間たちの許可なく、そんなことはできない。では、彼等を一方的に断罪するのか? ……しかし」
あまりにも非情な決断を迫られる。
かと言って、このまま放置するわけにもいかない。
映像の中の戦闘は、とりあえず魔導国臣民への被害や殺傷は確認できないが、あれだけの戦いを市街で振るって、公共の場を乱され続けてはたまらない。
「では、休戦協定を結ん──いや、無理か」
そもそも相手の出方が不明すぎる。協定を結ぼうとしても、協定条件として連中が「大陸の半分を寄こせ」とか「
そして何より、──事は魔導国の威信にかかわる状況である。
魔導国は大陸を制覇した存在。邪魔するものは捻り潰し、敵と見做した者には容赦ない鉄槌の暴威を振るいながらも、あまねく世界を統合し尽くし、その果てに、未来永劫に続く平和と繁栄を築き上げた覇者──そんなものが、いきなり現れた(ユグドラシルのプレイヤーを含むとはいえ)謎の集団に、ホイホイ頭を下げて平身低頭するというのは、権威の失墜につながる。超大国に成長したからこそ、それに見合った見栄や矜持を示すことをやめることは、まず不可能なのだ。
今回の事件で完全にこちらが悪いと判断できない状況で、いきなり全面降伏じみた敗走を演じることは出来ない。そんなことをしては臣民への示しがつかない。戦闘状況は、領域や都市の民にも目撃されている。あれらすべてに催眠や精神魔法の干渉を行うには、かなりの費用と労力が必須。都市の人口は、飛竜騎兵の領地の比ではない。
何より。アインズが誇るナザリックのNPCたち、今も敵のNPCと交戦する戦闘メイドをはじめ、守護者たちシモベが納得しないだろう。アインズがきつく言い含めればよいとも思えるが、それは双方のギルドにおいて、よろしくない遺恨を残す……最悪なパターンは、アインズの威信に
「難しいな」
彼等を一方的に処罰しようにも、魔導国臣民としての戸籍もない以上、司法の力は及ばない。
さりとて。連中をこのまま暴れさせ続けることは、双方にとって不利益しか生まない。
「アインズ様、ご決断を」
アルベドたち守護者が、決議を求める。
守護者らはすでに
皆、戦闘メイド二人の援護に飛び出したくてうずうずしていることが、手にとるように判る。
彼等をアインズが引き留める方法を導き出せなければ、アルベドたち六人の参戦は、確定的。
カワウソを徐々に魔導国に浸透させ、然る後に協調路線を──という当初の計画は御破算だ。
何だったら、彼に飛竜騎兵の領地などの統治権を与え、将来的には“外地領域守護者”に任命するという企図も潰え去ったのである。
噛み締めるべき唇を持たないアインズは、とにかく歯がゆい思いで、ひとつの打開策を導き出す。
「……彼等を、魔導国の“傘下”に加えられないか、試す」
アルベドたちの瞳が怪しく輝く。
「“傘下入り”ですか?」
アインズは重く頷く。
もはや、これしか、ない。
ユグドラシルにおけるギルド間ルールにも似た響きだが、実際には「ギルドの傘下に」ではなく、「魔導国の傘下に」というのがミソだ。
「現在、魔導国の傘下として働くものは多くある。5000人の
荒療治ではあるが。
彼を「魔導国の傘下」に加え、今も戦い続ける彼のギルドのNPCを引き留め、撤収させてもらう。
そうした後で、今後の両者の在り方を煎じ詰めていけばよい。今回は不幸な遭遇戦、事故として処理するのだ。
そのためにも、まず彼等を、アインズ・ウール・ゴウン“魔導国”の一員に、加えねばならない。
この傘下入りは、ユグドラシルだと一種の隷属に聞こえる──実際には対等な条件提示・労力交換による“契約”であり、上位ギルドは下位ギルドに対する防衛力貸与と運営資金の投資、下位ギルドは上位ギルドからの支援請求受諾や攻略作戦の随伴協力などを“対価”として、双方供出するシステムであり、そこまで悪い関係を示さない──が、魔導国だと一等臣民以上の、ほとんど“ナザリックのシモベ級”の待遇を得られるという「破格」の措置が講じられる。
あまねく臣民は、アインズの「領有物」に過ぎないが、傘下はアインズ個人の友誼や心情を重んじられた、対等な「個人」として扱われるのだ。「同じ傘の下に」という意味での傘下。アインズが広げた魔導国という“傘の守り”を、100年後に現れたユグドラシル関係者を受け入れるための、傘下──そういう意味では、ユグドラシルにおけるギルド間干渉の傘下入り……弱小ギルドを、上のギルドが保護する(無論、その見返りを大いに期待するギルドは多かったらしいが、アインズは今回に限っては、そこまでカワウソに見返りを要望する気はない)というソレに、似てはいる。
何しろ、この“傘下”の位置以上というのは、ナザリック外の存在としては、“白金の竜王”……ツアーという信託統治者しかありえない。
魔導国の傘下に加わった存在は、軍団統率や都市管理、外地領域守護という大任が与えられる一方、その権勢と社会的地位は莫大なものを手にすることが約束される。
魔導国は、アインズがナザリック地下大墳墓のシモベたちと共に、苦難を乗り越えて築き上げたもの。
ギルドは、仲間たちとの絆を象徴するものであるのに対し、──アインズ個人の手で成し遂げ、この大陸世界を統一した超大国に限っていえば、ある程度はアインズの自己裁量が効くという。そういう抜け道を使って、アインズはカワウソらを諫め、自制自戒するよう勧告する立場に立つ目途をつけたのだ。
アルベドたちも「それならば」と納得の首肯を落とす。
しかし、問題は二つある。
魔導国の傘下入りというのを、カワウソがどの程度理解し、受け入れてくれるのかという問題。
そしてこれを実現させるためには、彼等と直接対話する人員を要するという問題が、浮上する。
無論、アインズが直接行くことは、主人を強引に帰還させたアルベドたちが承服するわけもない。
「折衝……交渉役は、マルコに頼むしかない、か」
いきなり魔導国の枢軸──アルベドやデミウルゴスを送りつけて警戒されるよりは、マシな筈。
マルコの正体を完全にバラす必要に陥るが、遅かれ早かれ、彼女はカワウソと彼のギルドを引き入れるための役儀のために、身分を明かすことを考慮した上で配置しておいた娘だ。……仮に、カワウソたちが、マルコに手を挙げようものなら、その時は、…………
「腹をくくるしかない、か」
アインズは存在しない腹に締め付けられるような痛みを味わいつつ、葬祭殿の貴賓席にいたマルコを〈
ちょうど長老騎兵の“送り出し”のタイミングばっちりだった為、彼女を一旦ナザリックに戻すことは、〈
「そんなことに──」
愕然と説明された件のギルドとの状況……交戦という最悪に近い状況に閉口するマルコに、アインズは頼んだ。
彼等との折衝交渉役を、マルコは快く引き受けてくれた。
「少々不安ですが、お任せを」
傘下入りを認める理由を“賊徒征伐の功”と定め、彼が契約を結んでくれたら、彼のNPCたちをまずどうにかしてもらう。
主人であるユグドラシルプレイヤーのカワウソならば、
今のところ、彼のNPCは、魔導国臣民とナザリックNPCであるソリュシャンやシズに対し、重篤な被害をもたらしていない。もたらしていたら、もはやどうしようもなかっただろうが、まだ大丈夫。
交渉は、うまくいくはず。
いかなかったらとは、──なるべく、考えたくなかった。
だが、交渉は決裂する。
アインズは知らなかった。知る
ギルド:
彼の“真実”を。
カワウソが、ナザリック地下大墳墓に挑み続け、敗れ続けた過去を。
カワウソが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに懐き続けた打倒の意志を。
カワウソが、かつてアインズ・ウール・ゴウン討伐行によってギルド崩壊を経験した──これ以上ないほどの屈辱の象徴として笑われ、不利を被る、『敗者の烙印』を押されながら、ユグドラシルを続けてきた執念を。
アインズは、ついにそれを知ることになる。
×
四日程、時を
魔法都市・カッツェにおいて、カワウソからの呼集に応じた三人のNPCたち。
第三階層“
第二階層“
第一階層“
三者三様の姿を与えられた彼等。
主人から与えられた装備とアイテムに身を包み、命令された刻限通りに〈
「ここが魔法都市・カッツェか」
「よい街だね。妹にも見せてやりたいよ」
「イスラは、我等ギルドの誇る
都市の状況を観察するラファ、妹への親愛に満ちるイズラ、ギルドの役目に則さねばならない同胞の事実を憂えるナタの順に、会話がなされる。
「ナタ。その言い方だと、
「いやいや、ラファ殿。そこまで配慮されることは。実際、
「しかし!! 確かに少々、配慮にかけていたやも!! 申し訳ありませぬ、イズラ!!」
生真面目を通り越して馬鹿真面目。勢いよく腰を折って頭を下げる少年兵に、二人は気安い笑みで応じた、瞬間。
ギルド:
「来られたか」
「いよいよ。ですね」
「
自分たちの主人──カワウソから発せられる充溢した存在感。
自分たちの創造主である堕天使は、普段の基礎
だが、創造主というのは、NPCたちにとって、まさに神のごとき超常の存在。
たとえ、彼がレベル一桁の最弱の存在に成り果てたとて、彼の発する存在感を、彼に創られた
無論、この都市に二人がいることくらい、三人は知覚済み。そもそも、この地へと招き寄せた張本人たちなのだから、いるのは当然でしかない。
その気配は、自分たちの創造主より発せられるもの。ミカのような純然として潔白な光とは異質な、だが、自分たちにとって絶対的な、「カワウソがそこにいる」という絶大な存在感が、NPCたちにはひしひしと感じられる。堕天使であるため、希望のオーラのような輝きはなく、かと言って空間を歪ませるほどの闇とは言えない。
それは、無だ。
湖底まで覗き込むことも可能な、ガラスのように透明すぎる水。一見すると存在を知覚することは難しく、なれど、水は確かに、そこにあるもの──そういうイメージ。そういう存在感。
カワウソの保有する堕天使の
白も黒もすべて呑み込み、あらゆる善悪を
その恩恵によって、カワウソは聖騎士系統の職業レベルを獲得しながら、魔剣などの
異世界に転移したギルド:
カワウソが、調査のために派遣要請を下した三体のNPCたちは、一様に驚嘆と称賛を送るべき魔法の生きる都市の様を──その水晶の都を統治している、仇敵の名を戴く国の名を、脳内で反芻してしまう。
アインズ・ウール・ゴウン、魔導国。
彼等、ギルド:
その名を戴く異世界の国家。
これが尋常でない事態であることは、もはや説明の要がない。
カワウソが、わざわざLv.100の破格の力を与えたシモベ三人を調査のために派遣する理由も、すべて納得がいく。
「
「まったくその通りです、ラファ!! これは、まさに、またとない好機と言えます!!」
「我等が存在理由を……創造された目的を果たすために……何より
一同は合意に達した。
三人だけでなく、拠点に残ったNPCたちも、気持ちはほぼ同じだった。
彼のNPCとしての存在証明が、この異世界において達成されるやも知れないという可能性。
そして、何より……主・マスター・敬愛すべき師父……自分たちを生み出し、自分たちを“自分たち”として創り、今の自分たちという存在と役割を与えてくれた、たった一人の創造主に対する御恩を、ほんのひとかけらでも捧げ報いることができれば、これに勝る喜びはない。
太陽の姿が稜線の向こう側に隠れはじめ、魔法の都に暖かな明かりが灯り出す。
集合住宅の壁面を駆け上ってくる主人と相対するのに相応しい片膝をついた従属の姿勢を三人は構築。
「ご苦労……待たせたか?」
ラファが代表して応じる。
「とんでもございません、
喜びも
異世界の飛竜騎兵同士の戦闘に介入し果せた主人は、飛竜騎兵の領地とやらに向かうことになった。
狂戦士の乙女ヴェル・セークの一件を解明し、然るべき調査を行うために、彼女を沈黙の森にて保護したカワウソが、同道を求められてしまったのだ。自分たちの主人は慈しみに溢れ、敵であるはずの魔導国の臣民とやらの事情に、快く協力する意思を示されたのは理解できるが、
「予定通り、おまえたちは調査任務に行け」
「──本当に、よろしいのでしょうか?」
ここにいる、NPCの長であるミカが確認の声を紡ぐ。
カワウソはこの任務の重要度──この異世界に存在する、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の情報を取得する必要性を語り聞かせる。カワウソほどの存在を阻む低レベル存在の“武技”。飛竜騎兵でありながらも前提条件のはずのLv.30にも満たない脆弱な人間……魔導国の、臣民。
不安はあって当然。
何しろ、相手は大陸全土を掌握し統治する超大国。
あの「1500人全滅」という伝説を成し遂げたギルドの名を掲げた存在に対し、このまま事なかれと祈念したところで、何の効果も成果もあげられないだろうことは、明白。
「本当に、よろしいので?」
「……ああ」
主人の不退転の意を汲んだミカが折れた以上、〈不可視化〉したままの臨時調査派遣任務三隊──ラファ、イズラ、ナタなどには、抗弁の余地などあるわけもない。ミカほどの聡明さは与えられていない彼等でも、ギルド:
逃避不可。
逃亡に必要な
天使の澱のNPCたちは確かにナザリック地下大墳墓への挑戦を“
ギルド拠点・ヨルムンガルド
そんな戦況戦局を前にして、自分たちの能力・力量・戦術戦略がどれほどに発揮され得るものだろうか──無謀に過ぎることは、戦いのために創られたわけでないメイド隊ですら想像するに難くないはず。
だが。
自分たちNPCの存在を──それが、あくまで自己保存を根とした後ろ暗い感情があったとて──気にかけ、その生存を保持させたいと願う言葉をカワウソから聞かされるのは、実に面映ゆい。普段は冷然静然とした無表情の仮面を剛鉄のごとく着用するミカですら、口ごもり、表情を歪める。
創造主──カワウソが望むことを成し遂げるための存在。それがNPC。
その程度の存在を彼が、創造主が、自分たちの身を
自分たちのことを考えてくれた。
たったそれだけのことではあるが、彼等にとっては、それ以上の事柄など必要なかった。
「……我が主は、本当にお優しい」
「いつも我々のことを案じてくれておられる」
この異世界に転移する以前から。
彼等にとって、カワウソだけが創造主にして、仕えるべき存在。
そんな存在に気にかけてもらえただけでなく、言葉をかけられ、命令を下される栄誉は、彼等にとってはこれ以上ない歓喜である。
だからこそ、彼から与えられた任務……魔導国の調査任務というのは、何よりも優先されるべき事業として認知され得た。
「行きましょう!! 二人とも!!
カワウソが発見していた街道。彼とミカが辿った道程を遡上した三人は、看板のある別れ道で、二手に分かれた。
ラファは、“冒険都市・オーリウクルス”へ。
イズラは、“第一生産都市・アベリオン”へ。
ナタは、生産都市を経由しつつ、天空都市や南方士族領域へ。
調査隊は、与えられた任務に邁進する。
「殺傷は原則禁止」などの命令を順守しつつ、魔導国各地の情報を分析収集し、さらには拠点にいるマアトの監視兼
その偵察役に、彼等は選ばれたのだから。
彼等は真実、主人のことを第一に考えている──故に──
彼等の失敗は、半ば予定調和のごとく、彼等の許に訪れる。
第二章「襲撃」
第三章「話」
以上のお話で登場した、
つまり、しばらくアインズ様もカワウソも出てこなくなるかも、です。
ご了承ください。