オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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/Wyvern Rider …vol.10

 

 

 

 

 

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 時刻は夜更け。

 子供ならばすでに眠ってもおかしくない、夜の九時。

 里の中でも最下層に位置する外縁部。セーク直轄地である奇岩の端に位置する断崖の淵。星々の果てまで見透かせるような夜の中を、一等冒険者と補佐の一行は、すべての準備を整え、街はずれのさらに外側へと足を伸ばした。

 振り返れば、まるで城のように聳える奇岩の先端が見える。街の明かりが遠くに感じられる。草の大地、その終焉となる淵を踏み締める黒い足甲を纏う男・カワウソが、族長に訊ねた。

 

「この下に、飛竜の巣が?」

「ええ」

 

 ヴォルは短く応じた。見目麗しい女偉丈夫の族長──そんな彼女の脇を固めるように、老兵のヴェストや車椅子に乗るホーコン、そして一番騎兵隊の数人が、彼等の見送りを務める。

 

「本当は、我等の飛竜の翼で送迎ができればよかったのですが」

 

 飛竜騎兵は、騎乗者となる相棒と、それと同程度の重量物しか積載できない

 魔導国の技術が流入し、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉などによってある程度の改善措置は取られているが、それだけだ。今回のような隠密行動、モンスターの巣に近づくために、羽ばたきの音を奏でる飛竜を、巣に潜る人数分も用意しては、確実に巣の中で眠る飛竜たちに察知される。モンスターは同種同族の気配にも敏感な習性を持つのもマズいだろう。野生の飛竜は、まったくもって危険極まるモンスターであると同時に、巣へと近づく不逞の輩を、問答無用で食い破る気性の荒さの持ち主。それ故に、100年前までの飛竜騎兵の部族を攻略し、侵攻を企てる者など絶無だったくらいである。

 常人では登降不能。

 そんな天然の城塞じみた奇岩の絶壁を見下ろして、

 

「構いません」カワウソの隣に立つ冒険者・モモンはあっけらかんと笑う。「この程度の崖もおりられなくては、冒険者は務まりませんので」

 

 気安く難業に挑もうとする冒険者の姿に、ヴォルと、ヴェストやホーコン、族長の供回り役の一番騎兵隊の娘二人が、静かな喝采を送る。

 

「ハラルド。皆様の案内、頼みます」

「お任せください!」

 

 真面目一辺倒に頷くハラルドは、鎧を脱ぎ捨て、崖を下るのに邪魔な長剣どころか、短剣までも手放しているが、それらはすべてモモンの魔法の荷袋──どうにも魔導国内で普及している無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)──のようなものに、すべて預けられている。巣の内部で、万が一の戦闘に陥った場合の自衛手段は用意済みという具合である。

 

「では手筈通り、ハラルド隊長の補助も兼ねて、私が先駆けを担当します」

 

 漆黒の戦士は、孫ほどの年齢差を感じさせる従者の頭を撫でて、「後は任せる」と小さく呟いた。言われた童女はまっすぐな黒い瞳で「かしこまりました」と、幼い声には似合わない口調で応じる。

 ハラルドと、彼と命綱を結ぶマルコが崖を降り始める直前、二人の命綱の先端を握るモモンの身体が宙に浮いた。首に装備した首飾り(ネックレス)の魔法で〈飛行(フライ)〉を発動し、少年が滑落しても受け取れる位置を確保するために。

 

 魔法のアイテムを貸し与えれば、全員いかにも安全そうに巣まで到達できそうな気はするが、〈飛行(フライ)〉の魔法は第三位階の魔法詠唱者に許された移動手段であり、その魔法はたとえアイテムで発動させることは出来ても、素人では操作を誤って墜落、自滅しかねない。魔法の才に恵まれていない戦士職の少年は、昼間に一度試してみた限りでは、〈飛行(フライ)〉の操作に順応することは不可能だった。ちなみに、放浪者のマルコも〈飛行(フライ)〉のセンスはないという話だ。「別の飛行手段はあるにはありますが」と、マルコは笑っていたが。

 となれば、純粋な戦士であるモモンが、〈飛行(フライ)〉の使用に馴染んでいるのは、やはり彼がその筋では──冒険者の中でトップクラスの実力者であるという証明なのだと思われる。

 

「じゃあ、俺たちも」

 

 鎧の背中から翼を広げるミカを従え、黒い鎧と足甲に浅黒い肌の男も、あらためて崖の淵に身を乗り出した。常人ならば飛竜騎兵でも目が眩むはずの下界の様子に、二人とも何の感慨も懐いていない様子。

 ハラルドたちはすでに崖を数メートルも下に降っていたのを見止めた男は──ふと、振り返る。

 

「ヴォル族長」カワウソはまっすぐにこちらを見つめる。「ヴェルの調子は。どうです?」

 

 何故このタイミングで。そう思いつつもヴォルは優しい口調で妹の状態を報せる。

 

「おかげさまで、健やかな様子です」

 

 嘘ではない。彼女の体調は、主治医であるホーコンの薬で平静を保っている。

 朝食は平らげた妹だが、昼食を固辞し、夕食時もベッドの上から動こうとしなかったというのは、気になると言えば気になる。だが、狂戦士の暴走は十分抑えられているのは確認済みだ。実際、牢屋越しに声を聞いた感じは平静そのものであったと、族長本人が確認している。

 それはよかったと首肯するカワウソは、まったく喜ばしい表情ではなかった。

 月と星の明かりのみしか頼るべき光源のない夜の中でも、その暗い面貌──目元の隈ばかりが陰惨な、濁った黒い瞳と日に焼かれ過ぎた男の顔付きは、笑顔というものを何処かに置き忘れたかのように動きが少ない。妹のヴェルが、彼個人に寄せる信頼や心服が、姉の自分には甚だ理解に苦しまれた。

 

 確かに、彼の戦闘力が折り紙付きのものであることは事実である。魔導国が誇る一等冒険者と共に黒い飛竜を討滅した手腕は見事だ。それ故に、あのモモン・ザ・ダークウォリアーに調査隊の補佐を頼まれたのも、一応は頷ける。

 だが、こいつは一体、何者なのだ?

 ヴェルを保護してくれた「流浪の民」と考えても、彼の力量と装備の秀逸さ、未知のアイテムや魔法、従者として常に随伴させている女騎士など、ここまでチグハグな印象を受ける強者というのは、ヴォルの知りえる知識には存在しない。ハラルドらの予測だと……噂に聞く“魔導王陛下の親衛隊”か、さもなければ元々は著名な“冒険者”か何かだったのでは……と囁かれ続けている。というか、それ以外の納得がいく答えがないというべきだ。

 あるいは。

 そう族長は思いかける。

 飛竜騎兵の部族に伝わる、失われた神話──魔導国への編入と共に、一般騎兵らにまで普及していた童話や絵本は、魔導国の研究対象として回収され、いつの頃からか寝物語はすべて、新たな伝説や物語にとってかわった。故に、このお話は全飛竜騎兵のうち、族長家にのみ口伝が遺されている程度の遺物に過ぎない──を思い起こす。

 九つの部族の太祖とされる飛竜の姫巫女、二本の鎗を操る天空の戦巧者。

 巫女と共に戦い、この地を荒らした悪を掃滅したという大地の女狂戦士。

 かつて、『翼を持った双騎』と讃えられし、飛竜騎兵はじまりの冒険譚。

 

「……何か?」

「いえ。何でもありません」

 

 黙って見られていた男が、ヴォルの態度を二秒だけ(いぶか)しんだ。

 彼はヴォルの背後の森の一角を眺め、やがて視線を伏せるようにして、それ以上の追求に興味を失う。

 

 ヴォルは自分の記憶に残るものを、唐突に思い起こされた気がした。

 はっきりと残る、両親の記憶。

 その中でも鮮明に思い出されるのは、寝物語のひとつ……両親が死に、それによって不安な夜を過ごすことを余儀なくされた幼い(ヴェル)に対し、かつて自分がされていた通りの寝物語を、聞かせてあげた。愛と勇気の冒険活劇を。天と地を馳せる女英雄たちの友情物語を。

 そんな思い出を記憶の宝箱に仕舞い直して、ヴォルは族長らしい丁寧な所作で目礼を送る。

 それを受け取ったカワウソは、崖を飛び下り、続くミカがヴォルの背後を凝視し、やがて主人同様に興味を失った調子で翼を広げ、音もなく降下する。

 見送ったヴォルは、少しばかり肩の荷が降りた気がした。

 実際には、まだ何ひとつとして解決していないのだが。

 

「では、族長。そろそろ」

「ええ。頼みます、ホーコン。皆、長老を」

 

 車椅子の長老が会釈を送り、族長に命じられた一番騎兵隊の女騎兵らに送られる。

 ヴォルは断崖の淵で、ヴェストのみを随従とする──そんな時。

 

「行かれたか?」

「ええ」

 

 闇夜の帳、森の小梢の影からかかる声に応じると、その魁偉な男は何処からともなくヴォルの隣に並び立つ。

 

「ウ、ウルヴ殿?」

 

 ヴェストが驚くのも無理はない。

 ヘズナの族長たるウルヴが、羽織っていたマントの効果を断ち切って姿を現したのだ。

〈不可視化〉のマント──飛竜騎兵の族長家に代々継承されてきた、ヴォル達の始祖から伝来するとされるマジックアイテム──の効果は絶大だ。これよりも優れたアイテムも100年前まであるにはあったが、それらは当然の如く、魔導国の宝として接収・研究・保護されるに至っている。マント以外にも数多くのアイテムが、国から族長家に返還されたが、数点は悪用防止のため魔導国政府に蔵されたままであるのは、しようがない。

 

「いやはや。モモン殿はともかく、あの二人には俺が見えていたのか?」

 

 あの二人というのは、ヴォルもすぐに理解できた。

 

「さぁ。どうでしょうね──カワウソ殿にミカ殿──ヘズナ族長、マントの〈不可視化〉は?」

「問題なく作動していたはずだ。でなければ、ヴェスト老が驚かれるはずもなし」

 

 言われたヴェストは恥じ入るように頭を掻いた。

 

「いや、まったく気づきませなんだ。最近は、とんと力が衰えた気がいたします」

「なんの。ヴェスト老の(よわい)で騎兵を続けていられるものは、広大さを誇るヘズナの領地にもいない。尊敬に値する──そういえば、先ほどの車椅子の御仁は……」

「ホーコンです。ホーコン・シグルツ」

「そう、ホーコン老。長老会では、彼のように“相棒”に乗れなくなった者は多い」

「こちらも似たようなものです」

 

 ヴェストは顔を振って笑う。

 飛竜騎兵は──というか、この世界の住人、人間は、たいていの場合において加齢に伴う老いによって、それまでの職種を担うことが困難になる場合がほとんどだ。冒険者にしても、アイテムや治癒薬、発展した魔法の恩恵によって、100年前は四十代半ば頃が引退の節目とみられていたが、今は五十代まで現役なものも多い。肉体の衰え……筋力や瞬発力の低下、視力聴力などの衰弱は、肉体の能力を酷使する仕事を続けるには無視し難い影響を及ぼす。飛竜騎兵のように、空中での戦闘行為を得意とする彼等にとっては、冒険者とおなじくらいが、現役の時間と考えられている。やはり四十代の終わりまでが限界とされる中で、ヴェストのように六十代半ばという齢で一番騎兵隊の一員として働くことができるというのは、異例と言っても良い。そのため、飛竜騎兵全部族の中でも、ヴェスト・フォル老騎兵は有名なのだ。

 

「それに、我々飛竜騎兵というのは、“相棒”に乗って戦うことだけがすべてではありません」

 

 ヴェストは執事のような硬い口調に柔らかな微笑みをトッピングしつつ、長老たちの意義を論じる。

 

「ホーコンの“相棒”のように、毒を司る飛竜と協力することで薬剤を生成する医学者もいれば、水の魔法を扱う“相棒”の力で夏の水不足を解消するなど、飛竜と共存する農業者、ヴィーゲンの姪もおります。私のごとき老骨ばかりを持ちあげる必要性はありますまい」

 

 ウルヴは老騎兵の発言に頷きつつ、尊敬に値する飛竜騎兵に一礼を送る。

 ヘズナの偉丈夫は、セークの女偉丈夫と肩を並べる位置につく。

 

「さて。飛竜の巣を調査するという話だったが」

「ええ」

「彼等であれば、確かに無事に事は成し遂げられるだろう。だが巣は、様々な飛竜が(うごめ)く魔境じみた地だと聞いている。もし、何かがあったら」

「問題ないわ」

 

 彼等であれば、十全に、十分に、事を成し遂げてくれるだろう。

 あの、黒い飛竜を──セークの直轄地を荒らし、防衛体制に入った騎兵隊をたった一匹で薙ぎ払った、あの幼い子竜を──狩り取ったように。

 話に聞く限り、黒い飛竜の力は並のものではない。セークの誇る一番騎兵隊に、ヴォル自身が加わっても、果たしてどこまで通用するか知れたものではない。放った矢と礫は弾かれ、投げた鎗も通らず、剣を一合交わすことすら不可能だったという暴走竜を相手に、ほんの数分で事態を落着させた戦士……“漆黒の英雄”の正当後継者たるモモンたち、一等冒険者がいるのだ。

 だとするならば。

 そんな彼と共闘し、彼に助力を頼まれたカワウソたちは、当代において傑出した、飛竜騎兵の英雄たるヴォルやウルヴの能力を超えた、真の英雄とでも評さねば、割に合わない。

 

「……真の英雄」

 

 思ったヴォルは、意識せず呟きを漏らした。ウルヴが僅かに首を傾げる。

 

「そう。本当に──真の英雄というのは、きっと彼等のような者のことを言うのでしょうね」

「……セーク族長?」

 

 自嘲するように、ヴォルは口元を歪めた。

 彼等に比べて、自分がどんなに浅ましく、意気地のない弱虫なのか痛感させられる気分だ。

 セークの部族代表として──族長として、恥ずかしくない姿を自らに規定するヴォルは、まったく惨めなありさまに思われた。彼等を騙し、皆を裏切り、そうすることで得られる成果のみを希求して止まぬ、阿諛追従(あゆついしょう)の徒。()びへつらうことで最低限の部族の誇りを維持してきたが、こんなものは、力に尊厳を置く戦者……始祖たちを謳い讃美する武門の一党が見せて良い行状ではないだろうに。

 ヴォル・セークは、長らく嘘をついてきた。

 両親に。

 一族に。

 さらには魔導国という最高位者にまで、ヴォルは虚偽を貫き続けている。

 こんな自分の欺瞞と工作を思い返すだけで、胸元にまで吐き気が込み上がる。

 

「心配しないで。

 私は、真の英雄になど、なれはしないのだなと──そう、実感しているの」

 

 英雄とは程遠い。どこまでもひどい劣等感が針となり、胸の奥をチクリと刺す。

 少しだけ虚飾の面が剥がれかける。自分の重臣たる騎兵もいるが、構うことはない。

 ウルヴの前だと、自分が年相応よりも若い、ただの生娘のように思えるから、不思議だ。

 

「……セーク族長」

 

 ウルヴは儀礼としての在り方を選ぶ。

 まったくもって”ヘズナ”らしい。彼の持つ、硬い竜鱗の盾のごとき頑強さだ。

 しかし、だからこそ、──ヴォルは彼が好きだった。

 王陛下から部族の和合統一としての婚姻を命じられるよりも、以前から。ずっと。

 

「ヘズナ族長」

 

 男の手が、女の肩の線に触れる直前、この場で唯一の部外者──だが、ある程度の事情は知っている“黒白”の幼い魔法詠唱者が呼び止める。

 

「そろそろお時間です。お早く」

「承知した、エル殿。では──セーク族長。我々はここで」

 

 ヴォルは名残惜しくも、己の婚約者たる男と別れる。黒い童女の転移魔法によって、ヘズナの族長は己の領地に帰ろうとする。

 そんな背中を見送りつつ、深呼吸をひとつ。自分たちも暇を持て余してはいられない。

 カワウソに、一等冒険者(モモン)に、今自分(ヴォル)は──疑われている。

 それくらいのことは承知の上。

 だからこそ。

 

「急がないと」

 

 ホーコンに頼んだ案件もある。きっと、何もかもうまくいくはず。そう思った矢先だった。

 

『ヴォル様!』

 

 脳内に響く、聞き慣れた〈伝言(メッセージ)〉の声。邸にいる一番騎兵隊の女魔法戦士の叫喚が、耳に突き刺さるようだ。

 

「何です? どうかしました?」

『さ、先ほどヴェルの、牢の巡回に行ったのですが────』

 

 魔法越しに告げられた内容に、ヴォルは体が打たれたような衝撃を受ける。

 

「ヴォル!?」

 

 実際、女族長の長い肢体は、腰が抜けたように崩れていた。転移する直前、ウルヴが即座にヴォルの方へ跳び、咄嗟に抱き支えてやらねば、確実に倒れ伏していたような印象すらあるほど、その急変ぶりは彼と老兵を愕然とさせた。

 

「お嬢様……族長! いったい、何が!?」

 

 ヴェストの問いかけにも、ウルヴの腕に揺さぶられても、ヴォルは反応を返せない。返せない。

 (たくま)しい漢の胸の中で、女族長は子どものように震えながら、〈伝言(メッセージ)〉で告げられた言葉を、繰り返す。

 

「ヴェルが、牢から……」

 

 

 

 いなくなった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 調査は夜更けすぎに始まり、明け方近くまで行われる予定だ。

 この一帯の生態系において絶対的覇者として君臨する飛竜たちは、主に昼行性で知られている。夜陰に乗じていなければ狩られてしまう心配など無用な捕食者たちは、昼間に食事を済ませ、夜は眠りにつくという自然界の基本に則っている。深夜まで起きている飛竜というのはごくわずかで、そういった者は大抵の場合、巣の見張り役として活動している者がほとんどだという。故に、飛竜の群れが寝静まった夜更け過ぎが、巣への侵入には最適だと判断されるのは道理だ。

 

「大丈夫か?」

「ええ……なんとか」

 

 月と星明かりの下。

 カワウソは自分の足元で、崖の岩肌にしがみついている少年に声をかけると、そのように返ってきた。

 ハラルドの格好は、軽装鎧を脱ぎ、断崖を素手で降りるのに不都合がない程度の衣服で覆われている程度で、装備らしい装備はない。せいぜい、モモンが握っている命綱が、服や靴以外の装備であろうか。

 

「安心してください。我等がフォローしますので」

 

 そう気安く請け負うモモンは、鎧姿のままだ。

 そんな山登り(降り)に相応しくない格好で、崖の淵にぶらさがっているのでは、ない。

 鎧姿のままで宙を飛行し、僅かな足場を見つけてそこに降り立つようにしているのだ。首からぶら下げた〈飛行〉のネックレスの力によるもの。ミカとマルコも似たようなもので、女性陣は二人とも驚くほど体重を感じさせない動作で、壁面の僅かな突端を足場にしている。双方共に、人が指をかけて体重がかかった瞬間に崩れそうな場所なのだが、天使の翼を一対展開して飛行できるミカは別として、マルコは体重軽減や浮遊可能なアイテムでも発動しているのだろうか。

 ちなみに、カワウソは元から装備している“簡易登破の指輪(リング・オブ・イージークライム)”の効果で崖というフィールドに難なく適応しているだけである。魔法都市の集合住宅の壁面を駆けあがるのにも使用したアイテムの効果は、あらゆる悪所難所に適応する効力を秘めたもので、この程度の勾配──垂直に近い崖でも、何の問題なく走って活動できるようになっている。

 

 飛竜の巣への入口というのは、巨大な直立奇岩の岩壁に無数に乱雑に穿たれている大穴があるのだが、当然ながらそこには見張りの飛竜が(たむろ)している。一応は、認識阻害の指輪の力で、モンスターの感覚を誤魔化すことも可能ではあるが、竜のモンスターを相手にするとなると、正直微妙な場合があるという。その上でさらに〈不可視化〉のアイテムを使うことで野生の飛竜に見つかることなく事を進めることは出来るはずだが、可能であれば発見される可能性──リスクは低下させておくに越したことはない。

 セーク部族の直轄地の奇岩、街の真下にある巣というのは、この辺りでは二番目に大きな巣とされる。

 その巣に侵入を試みる際には、実のところ“秘密の抜け穴”があるのだと、経験者であるヴェストが語ってくれた。その抜け穴を探すには、ハラルドがやっているように岩壁へ顔を近づけ、とある仕掛けを見つけねばならないという。

 

「これかな?」

 

 口伝で聞かされた程度の情報を頼りに、ここだという場所にアタリをつけ、最終的にハラルドが仕掛けを見つける。目印となるのは、岩壁に刻まれた三本線を交差させる六花の模様。

 それらしい岩の隙間──僅かに小さな紫の花が群生する壁の割れ目に、少年は手を伸ばし入れる。

 それは、小動物が僅かに触れた程度の感触で作動するボタンのようなもので、ハラルドの指の重みで簡単に沈んだ。鍵がはずれるような音がかすかに響くと、ハラルドの目前の岩がわずかに沈む。彼がゆっくりと手を添えて押すと、扉の蝶番のように岩肌が口を開けた。一同が快哉を漏らしかけるが、ハラルドに「静かに」と手で口元を閉じるジェスチャーを取られる。

 一応、危険はないか──飛竜はないだろうが、未知のモンスターなどの群れが殺到しないか確認しつつ、五人は岩壁の中に滑り込む。

 

「この先が、飛竜の巣のはずです」

 

 入り込んだ場所は、すぐ下へ坑道じみた剥き出しの岩肌が奥へと続いており、かなり急勾配の階段のような造りになっている。人が並んで歩くほどの幅はなく、天井も高くない。一行の中で何気に最も上背のある少年隊長が、身を屈めてどうにか通れる程度の高さだ。なるほど、これは飛竜の“相棒”たちは通れるはずもない。この大きさの抜け穴なら、都市で見かけたドワーフなどであれば、ちょうどいい感じなのかも。

 

「……明かりが?」

 

 カワウソが気づいた通り、階段は下に降り切ったところに煌々とした光の気配が漏れていた。

 

「巣の内部には、自然発光する鉱石が大量に残っているという話です」

 

 竜は、上等でも下等でも、光物を好む。

 それが巨大な洞窟内部を照らす照明にもなっているという。

 内部の事情に通じているという長老騎兵──“元”一番隊の上官で、今は部下のヴェストから、ハラルドは聞けるだけの情報を聞き、知らねばならない留意点を徹底的に知らされ尽くしていた。

 カワウソたちは、冒険者を先頭にして、カワウソ、ミカ、ハラルド、そしてマルコという順番で、階段を降りる。階段と言っても、人の上り下りを想定された感じではなく、あくまで自然と岩が削りだされたところに、人が手を加え続けたという感じだ。

 カワウソは振り返り、声を潜めて、女天使越しにハラルドへ訊ねる。

 

「……こんな抜け穴、一体どうやって作ったんだ?」

「聞くところによると。我等の先祖が“巣”へ通じる穴を見つけたのが始まりで、そこを掘り進めて階段のような形に整え、あの出入り口を魔法の扉で覆った……と言われていますが、語ったヴェストも半信半疑でしたね」

「長老……ヴェストたちよりも、前から?」

「300年ほど前から、という話です」

 

 300年となると、魔導国に統治されるより200年も前か。

 そんな昔から、彼等はこの抜け穴を使っていたとすると、飛竜騎兵単体で考えると、彼等は300年以上の歴史を持つということか。

 それはつまり、魔導国が成立するよりも前の国家ないしは政治体制があったという事実が確定する。

 クピドから送られたアイテムを使い、言語解読の手段(メガネ)を手に入れたカワウソたちは、手始めに客室内の書籍に目を通し、『漆黒の英雄譚』などの内容を精査する時間を得ていた。おかげで、ある程度まで魔導国の歴史に理解を示すことが可能となった。

 

 100年前。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国が台頭し、当時近隣に存在したバハルス帝国(現在はバハルス領域)をはじめ、様々な国々を属国・支配下に置き、反抗した中央六国……ビーストマンやミノタウロスの国を殲滅し服従、都市国家連合や南方の諸士族までをも吸収し、アーグランド評議国(現・信託統治領)と盟を結ぶなどして、勃興からたった数年の歳月で大陸のすべての国を併呑──偉大なるアインズ・ウール・ゴウンの幕下に加え、大陸世界において歴史上ほぼ初となる統一国家を樹立したという(以上は『漆黒の英雄譚』あとがき解説を参照)。

 それ以前の情報は、ほとんど皆無と言ってよい。

 まるで、すべての記録、すべての伝説、すべての神話や叙事詩──英雄譚が、ひとつの名のもとに塗り潰されたかの如く、多くが語られることはない。

『漆黒の英雄譚』は、その中において例外的な書物であるようだ。

 アインズ・ウール・ゴウンと肩を並べて戦ったという100年前の当時最高位の冒険者・モモン。

 彼は世界を混沌と絶望に陥れんとした魔神王・ヤルダバオトとの戦いに明け暮れ、轡を並べ戦った魔導王に後事を託し、魔神王諸共に力尽きた。

 アインズ・ウール・ゴウンは彼の永劫の死を大いに悼み、彼の武名を永遠不朽のものとすべく、一冊の英雄譚を編纂・普及し──それが、カワウソらにあてがわれた客室備え付けの蔵書のひとつとなっていたわけである。

 

 他の書籍を手にとり、カワウソたちは魔導国に関する見聞を広めたかったが、昼食を摂った昼過ぎからは一番騎兵隊の皆や、各所に散っていた長老たちを交えた協議会が開かれた。──狂戦士ヴェルの一件と併せて、新たな懸案事項……あの黒い肉腫塗れの飛竜のことについても、様々な推測や議論を巻き起こしたが、結果はやはりというべきか、まったくもって芳しくなかった。

 集まった長老たちはヴォル族長とヴェスト、ホーコンなどの長老二人と同じく、あの黒飛竜に関する明快な情報を保持しておらず、はっきり言えば何の役にも立たなかった。

 いや、彼女の──ヴェルの部族内での立ち位置というものをより理解するのには役に立ったというべきだが。

 カワウソは思い返す。

 

 

 

 

 

 

 

 今日の昼過ぎ。

 

「やはり、あの子は一生、邸内で“囲っておく”べきだったのだ」

 

 老人ばかりが十人ほど集った秘密部屋の中で、ぽつりと呟いたのは、“老吏(ろうり)”と呼ばれる一級政務官、シュルであった。彼は招集令を受け、セーク直轄領の政府公舎で政務に明け暮れていたところに、あの騒動……黒い飛竜の発生で生じた混乱と被害への対応に難儀していた。

 

狂戦士(バーサーカー)など、もはや過去の遺物。我等セークにとっては、ただの忌み子でしかなかったのだ」

 

 ヴェストと同年齢ぐらいの皴を額や頬に刻んだ恰幅のよい肥満体は、顔ばかりが痩せぎすな顔面を厚手のハンドタオルで拭わねばならないほどの脂汗が滲んでいた。額に紫が混じった茶色の髪がはりついてならない様子。黒飛竜の一件を処理するのにも尽力した彼は、口さがなく式典演習で悪事を働いた族長の妹を罵る気配を宿らせてしまう。

 他に、彼と同意見という長老が幾人か。

 途端、卓を打ちのめす大きな音が室内に反響した。

 

「聞き捨てならんぞ、シュル! 貴様はそれでも飛竜騎兵が末裔か!」

 

 そう言って正面に並ぶ同輩らを鋭く睨んだ老女は、やはり皴の彫りが凄まじい隻眼の老女であった。積年の重厚さを思わせるしわがれた声の高さは、けっしてヒステリックに吠えたてるような雰囲気はなく、むしろ正々堂々と敵と対峙する騎士じみた喝破が印象的だ。白に染まった髪を肩当たりで二つに結った老齢の女傑は、右目の黒い眼帯(アイパッチ)が凄烈なほど似合っている。

 長老会の「女傑」と謳われる“老婦”ヴィーゲン。今は領地内の生産物関連の仕事を統括する農産技術研究家にして、食料管理の長を務める彼女だが、その昔は一番騎兵隊でヴェストの補佐を務めていたらしく、右目と相棒を共に喪った戦いで飛竜騎兵を引退し、里の農業管理に職を得て現在に至っている。

 

「先代族長が遺された、セークの宝玉たる二人。その片割れである妹御(ヴェル)を、貴様は愚弄するというのか!」

「そ、そんなつもりなどない! だ、だが! ヘズナや他の部族ならいざ知らず、我等セークにとって、狂戦士は『災厄の凶兆』! じ、実際、あの子が暴走したから、此度のような不始末を!」

「黙れ!」

 

 叱咤の声は、老女のそれではない。

 (ゴウ)と駆け抜ける声が風と化し、彼等の鼻面を叩くかのよう。

 この場で数少ない若年世代──老人たちの半分ほどしか生きていない現族長が、女とは思えないような大音量で吼えていた。喧々諤々の様相を呈しつつあった議場が、水を打ったように静まり返る。

 

「私の妹だ。

 長老方には、そのことを、重々忘れないでもらいたい」

 

 続く瑞々しい声は、いっそ静謐なほど穏やかだ。

 が、表情はいっそ凄惨なほど鋭く、その視線は真正面から受け取るだけで相手を切り刻めそうなほど凍えていた。老吏シュルは勿論、彼に同意しようとして腰を上げかけた数名……どころか、彼等と対峙し族長らを擁護する形になっていた老婦ヴィーゲンらまでもが、射竦められたように押し黙る。

 女族長は若干温度を取り戻した瞳で、用意された長卓を囲む者らを見回し、その端で参考人のごとく椅子に座った協力者たち──カワウソらをチラリと確認する。

 

「ヴェルの処遇については、今も拘禁が続いている。それが可能なのは、ひとえにあの子が“暴走していないから”だ。だからこそ、私は長老たち皆に問う。──狂戦士が暴走する原因。それについて、心当たりのあるものはいないか?」

 

 しかし、誰も視線をあげようとはしない。僅かに首を振るのみ。昼前に顔を合わせていたヴェストやホーコンは勿論、他の長老たち八人も、答える言葉を持っていないようだ。やはり、誰も──長老たちですらもが、今回の事件で光明をもたらす存在にはなりえないという証明がなされた。

 

「では、現れた黒い飛竜については?」

 

 これにも返事はなかった。

 彼等の積み重ねた歳月をもってしても、今回の二つの案件は理解を超えた次元にあったようだ。

 ヴォルはそのことについて落胆した様子を見せない。半ば判りきっていたといわんばかりに、ひとつだけ吐息を落とす。

 

「申し訳ない、カワウソ殿、モモン殿。とんだ失態をお見せして」

 

 言われたカワウソは手を振って「気にしなくて結構」と応える。実際、何もわからないことも想定の範囲内だった。モモンも似たような反応を返す。

 しかし。長老の話を聞くに、ヴェルの事情は想像以上に複雑怪奇なものであったのだなと実感する。

 これは、ホーコンから聞いた話が真実味を帯びてきたと考えざるを得ない。

 カワウソは聞いていた。ヴォルとヴェル姉妹のことについて。

 禿頭の長老は、こう応えた。

 

『あの姉妹(ふたり)は、いろいろと複雑なものでね』

 

 (いわ)く。

 セークにおいて、狂戦士の力は強大な戦果をもたらす超常の力であると同時に、外から災いを運ぶ兆候ともなっていたという。

 なるほど。部族内でヴェルが狂戦士であることを知っている者が極端に少ないのは、災厄を呼び込むという信仰──というより、過去の経験や歴史的事実が根幹にあったからなのだ。

 狂戦士は、戦いに狂う。

 狂戦士がいるところは、常に戦場となり、戦乱を呼び、多くの凶を──大量の死者と災いを運ぶ“疫病神”ないしは“死神”になりえた。少なくともセーク部族においては、そのように認識されるようになったという。

 そんなものがひとたび生まれれば、セークではそれを下々に広めることは憚るようになったという。戦乱の時代、魔導国に臣従する“以前”の時代であれば、尊ばれ敬われた力の結晶たる狂戦士も、今のような平和な時代においては「凶兆」の部分ばかりが目立つようになるからという理屈だ。

 

 実際、ハラルドのように単騎でも“武技”を使うことに長けた戦士や、族長などのように“魔法”の理解を得られた存在というものが広く国内に台頭するようになったことで、部族における狂戦士の力に対する信仰は、忘失の一途を辿るしかなかった。これらはひとえに、魔導国によってもたらされた義務教育制度などのシステムによってもたらされた、臣民の基礎能力向上計画に基づく、明らかな弊害と言えた。全体の質が向上したことにより、とある方向に特化した存在が重要視される余地がなくなってしまったのである。とある方面に機能を特化させた品を試験運用的に開発製造しても、それが市場に出回ることは稀だ。平均化され量産化可能な高性能品には及ばない──ある種の軍需産業じみた常識がそこにはあった。

 故に、彼等の無知を責めることは誰にもできない。

 彼等は飛竜騎兵の老練者たちは、そのようにして魔導国に、平和な世界に適合した──あるいは適合しようと努力した結果が産んだ──時代の追従者なのだ。彼等を否定することは、魔導国の臣民すべてを遍く統治する上位者たちの治世を責めるほかないが、何事においてもメリットしか生まないシステムなど、あるわけがないのだ。自然淘汰の法則に基づく、適者生存の大原則である。

 これがヘズナにとっては違う意見や思想が根付いているという話を、カワウソは共に協議に参じているモモンから聞いている。

 ヘズナ家では狂戦士が族長として名を馳せ、セーク家では狂戦士が凶兆として隠蔽される。

 そのカラクリの一端がこれであった。

 

 場をとりなそうと、長老会でも重鎮に位置する禿頭の老学者──ホーコンが、惜しむ調子を醸し出しながら、言う。

 

「確かに、狂戦士は強い。かつては、一度(ひとたび)戦線に投入されれば、文字通り一騎当千の働きをなす特攻兵器になり得る存在として、九つのどの部族でも重宝され、神聖視されていたもの……だが」

 

 ホーコンは言葉を切る。

 魔導王に従属した100年間で、もはや狂戦士の力など無用なレベルの平和が築かれて久しい。

 あらゆる勇武を尊ぶ飛竜騎兵の部族にとっては、「何とも言いようのない状況が続いたものだ」という風に、長老は諧謔気味に微笑んでいた。

 

「此度の一件の責任は、族長であり姉でありながら、あの子を御しきれなかった自分の不始末」

 

 彼女は役職と家族の情、その両方によって己の責任の所在を明確にしていた。セークの女族長は、その場で刑されることも辞さないような語気で、言い放つ。

 

「誠に申し訳ないことだが、沙汰は既に下っている。『ヴェル・セークの暴走原因を究明すべし』……それが、我等が王陛下からのお達しであり、我々の不始末を払拭するための最後の道だ。そのために、狂戦士を保護したカワウソ殿をはじめ、ヘズナ家からの助力として、一等冒険者モモン殿の力添えまで頂戴している」

 

 ヴォルに促された先に並んで鎮座する五人の人影。

 カワウソとミカ主従、放浪者マルコ、国内唯一の冒険者チームが、揃って椅子に座っていた。

 未知の前者三人の力については懐疑的な視線が尽きることはないが、後者二人である“黒白”のモモンとエルの存在は、疑う余地のない助勢だと認めざるを得ないようだ。誰もが口々に当代のモモンが挙げた武功を誉めそやす。老若を問わず、冒険者という存在は有名らしい。

 ヴォルは確認の声をあげた。

 

「そのために、飛竜の巣への調査を、一等冒険者モモン殿に依頼する」

 

 同意の声が、まるで歓声のごとく場を賑やかにした。魔導国が誇る冒険者であれば、何の遺漏もないはず。

 

「モモン殿の補助として、我が部族からはハラルド一番騎兵隊隊長を」

 

 これにも頷く長老たち。

 

「さらに、カワウソ殿、ミカ殿、マルコ殿が、調査に従事してくださる」

 

 長老らの表情が一変した。

 全員、この会議に参加した──いくら狂戦士を、族長の妹を保護したとはいえ──黒い男の存在に、疑義を呈さずにはいられない。いくらマルコと同じような旅の者と説明されても、その程度の奴に飛竜騎兵の奇岩内部に位置する巣に潜られるのは、いろいろと不都合極まりないのだろう。見るからに怪訝し、疑問し、軽侮の感情を懐かずにはいられないという調子だ。そもそもにおいて、狂戦士のヴェルを保護したという話すら眉唾だと思っている者もいるようで、そして、カワウソから言わせてもらっても、保護したというのはまさに嘘でしかなかった。方便であった。ただの成り行きでついてきた結果──こんな所に連れてこられたと言っても過言にはなるまい。

 長老たちは迷う。

 族長やモモンの推挙まで提示されては否とは言えない。だが、やはり、複雑な心境は覆らない。

 

「問題ないでしょう」

 

 そんな調子だった会の中で、カワウソらの援護者が。

 

「ヴォル族長、そして、妹様──ヴェルお嬢様が信頼に足る御仁と評する彼等を、私も支持いたします」正装の鎧に身を固めた老兵、ヴェストが一同を睥睨する。「さらに、カワウソ殿はハラルド隊長率いる一番騎兵隊を、互いに、無傷で、完封し尽くした力の持ち主です。実力は私が保証しましょう」

 

 この中で族長家に直接仕える長老の言は重かったようだ。「ヴェストがそこまで言うとは」と驚く声も聞こえる。

 

「私も賛同いたします。ヴォル族長」

 

 追い打ちをかけるように、族長家の主治医を務めるホーコンも笑みを浮かべた。

 それに追随して、長老たちも挙手の姿勢を取り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 以上が、カワウソたちが昼過ぎの協議で見聞きしたすべてだった。

 だが、狂戦士や黒飛竜の情報は皆無と言って良い。端的に結論を述べるならば「長老たちは狂戦士の暴走も、黒い飛竜のことも、まったく知らない」というありさまを提示しただけに終わった。

 が、他の情報は得られた。

 ヴェルの部族内における立ち位置。ヴォルの発言権。長老会のパワーバランス。いろいろな人間関係上の情報というものも、今後の役に立つはず。

 中でも興味深かったのは、狂戦士の、つまりヴェル・セークの状況についてだ。

 狂戦士を邸内で“囲い者”にするという意見は、死の疫病などの蔓延を封殺するが如き妙手であるようだ。なるほど、狂戦士を家の中に囲い(幽閉し)、一生を外の世界と遮断された生活を送らせれば、とりあえず狂戦士の暴走現象は起こり得ない、と。実際、今のヴェルが置かれている状況がその処置に近いはずだ。

 だが、族長は──ヴェルの姉は、それを良しとはしないようだ。

 単純に家族の情愛と見れば単純なのだが。

 

「そろそろ出口です」

 

 カワウソは意識を暗い岩窟の中に引き戻す。

 先頭を降りるモモンが、出口から漏れる光の手前にある影を踏み締めた。

 長く、急な階段をほぼ無意識に降りながら、昼の協議内容を思い出す作業を切り上げて、カワウソは見えてくるものをすべて、濁った瞳の奥に焼き付けていく。

 出口の影に身を潜め、モモンが何処からか手鏡を取り出す。いきなり巣の内部を窺う危険を避けつつ、内部の構造やモンスターの位置を把握するために。

 

「いますね。飛竜が」

「どれくらいの数が?」カワウソは潜めた声で(たず)ねた。

「確認できる限り、向かいの壁面に20から30の家族が。比較的、小さな巣穴に身を潜めています」

「20から、30?」

 

 疑問する声は、飛竜騎兵の若者のそれ。

 

「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、モモンさん──えと、聞いていたより、少ないかなと思って」

「少ない? ……ヴェスト老は、何と言っておりましたか?」

「えと。巣の片側壁面ひとつには、多い時で100近い一家が生息するとか。少ない時でも50から60の家族が、この大きさの巣には棲息すると、聞いていたのですが」

 

 聞き間違いだったかなと疑念するハラルド。

 

「〈伝言(メッセージ)〉を飛ばして、ヴェストと連絡を取ってみては?」

 

 カワウソからモモンに進言してみたが、「とりあえず、もう少し詳しく調べてからにしましょう」という感じに落着する。〈伝言(メッセージ)〉の魔法をモモンは使用できるらしいが、発動ごとに巻物(スクロール)を一本消耗するとかで、無駄遣いは控えねばならなかった。

 全員が、装備していた認識阻害の指輪や、不可視の魔法のアイテムを確認する。まず、モモンがひとりで先陣を切った。カワウソは彼の背中を見送りつつ、飛竜たちの様子にも目を配る。起き上がってくる飛竜は、いない。むずがるかのように、子供らを抱くように眠る母親飛竜が、背中を揺らすのがせいぜいだった。

 カワウソ、ミカ、ハラルド、そしてマルコも、モモンの後に続くように、巣の中へと躍進していく。

 

「装備の力は、問題なく機能していますね」

 

 モモンが確信するのは、五人のすぐそばを、巣の出入り口を警備するようにしていた飛竜が一匹、行き来してくれたからだ。飛竜は自分の巣の近くにいる同胞の背中を鼻面で揺する。揺すられた方は特に機嫌を損ねるでもなく、飛竜同士の鳴き声を交わすと、戻ってきた飛竜は巣穴に潜って猫のように丸くなった。反対に、起こされた飛竜の方は一度翼を広げるようにして伸びをし、警備についていた飛竜のたどった道を逆に進んでいく。この時も、カワウソたちの近くを飛竜の彼は悠然とした足取りで──湧き起こる欠伸に口を大きく開きながら──歩み去っていく。

 

「見張りの交代、ですね」

「なるほど、あれが」

 

 ハラルドの言及した事実に感心したモモンが、岩陰から身を乗り出すのに合わせて、カワウソたちも身をひそめるのをやめた。囁く声というのは認識阻害によって、飛竜たちの意識には残らない。せいぜいが同族のおしゃべりか、風鳴りのようなものとしか認識できないというが、大声をあげることは当然推奨できない。

 重々警戒の視線を周囲に振り撒きつつ、あらためて、洞窟内の検分を始める。

 モモンやマルコどころか、ハラルドまで、初めて見るのだろう飛竜の巣の全貌に声を失いながら見上げていた。カワウソも、そしてミカも、それに続く。

 

「ファンタジーだな……」

 

 思わず小さく呟いた声は、カワウソの口内でのみ響く。

 天然の発光する鉱石のおかげで、洞窟の中は青白くそまっていた。

 剥き出しの岩塊が柱のように天井から地下へと伸びる広大な吹き抜けの内部は、まるで神殿か何かのように(おごそ)かな雰囲気が漂う。巨大すぎる切妻屋根の天井裏みたいな空間は、どこかに風が抜けているらしく、吸った空気の感じも悪くない。予想していたような、殺戮の血の臭いというものは薄い気がする。

 飛竜が寝床にするのに快適なそこは、セークの族長邸で見た発着場と似た個別の部屋のごとき巣穴が設けられており、その穴に飛竜たちが思い思いの姿勢──猫のように丸くなるもの、犬のように伏せる姿勢のもの、変な寝返りをして大文字のように身体を広げている間の抜けたものなど──で深い眠りに落ちている。

 しかし、モモンが最初に確かめていたように、一面の壁に穿たれた巣穴に見られる飛竜の影は、そう多くはない。

 何度数えても28家族分(子供の姿はたいてい母親の陰に隠れているのでカウントできない)しかなかった。この辺りでは二番目の大きさ広さを誇るという巣にしては、壁の穴にはどうも空き家が多い感じが強すぎる。確認のしようがなかった別の壁面も数えても、その印象は覆らない。ハラルドの聞いた話だと、通年で250家族は定住する巣には、その四分の一程度の数──65の家族しか見られなかった。

「あれは?」とマルコが白い手袋の指をさした先は、より強い光……〈永続光〉にも似た輝きが零れている。彼女が示唆した先には、一際大きな影が。

 応えたのはハラルド以外いない。

 

「巣の王──ああ、いえ、あれは女王ですね」

 

 洞内の唯一にして最大の光源。そこに佇む飛竜がいる。

 巣の中でも強力な力を持つ飛竜のみが許される場所、大量の光り輝く鉱石をうずたかく積み上げて、そこでまさに玉座にふんぞり返る王者の如く眠りこける飛竜の身体は、なかなかに巨大だった。

 並の飛竜よりも膨れている、というよりも、骨格や筋肉の束が頑健なのだろう。引き絞られたアスリート選手のような質感が、そこにはあった。軽量種でありながらも、そのスマートな巨体は、ヘズナの平均的な重量種とも遜色がないという具合。まさに飛竜の王者という貫禄である。

 何故、彼女が「女王」と判断出来るのかは、彼女の周囲、折り畳まれた翼腕の中に、小さな飛竜の幼体が四頭ばかり集って眠っていたからだ。これが雄──飛竜の「王」となると、子どもは母親のもとで眠るので、傍にはいないのだと。飛竜の雌雄を素人が見分けるには、だいたい子供が傍で眠っているのが母……雌で、その母子の傍で子が寄りつくことないまま眠るのが父……雄という見分けができると、ハラルドが教えてくれる。

 

「ふわぁ──かわいいなぁ」

 

 マルコが女王を見て──正確には、彼女の腕の中で寝こける幼竜の寝顔に、頬を緩ませる。

 確かに、幼い飛竜は愛玩動物にでもしたら絶対に人気が出そうなほどに愛くるしく、薄緑色の鱗に覆われた身体も丸々としていて、人間の赤ん坊に(いだ)くような庇護欲を掻き立てられる。カワウソはその感覚に大いに同感であったが、自分の脇にいるNPC(ミカ)はそれ以上に、マルコの感覚に同意しているようだ。

 ミカは決して口にはしないが、今まで見たことないほどキラキラした眼差しで、飛竜の子どもたちが女王の腕の中で眠る姿に夢中になっていた。それくらいのことはカワウソにも判る。その様があまりに意外で、堕天使がかすかに吹き出すと、女天使はすぐに居住まいをただしてしまう。そういえば、『可愛いものを好む』という性質は、ミカの設定に組み込んでいた気もする。

 そんな束の間の癒しに長く耽溺できていたら、どんなに心地よかっただろう。

 だが、カワウソはここへ来た目的を果たすべく、巣の内部の検分……飛竜らの状態をくまなく探った。

 そして。

 

「……黒い肉腫や黒斑の奴は?」

「いないようで、ありやがりますが」

 

 主人の声に応えたミカの言う通り。

 里の空に出現した不吉な色彩の飛竜は、影も形も見られなかった。

 可能な限り母子に近づいて、飛竜の子供の様子も念入りに調べたのだが、あの黒い飛竜の特徴……どころか兆候のようなものを発生させる個体すら見当たらない。家主のいない巣穴まで(カワウソはこっそり発動したアイテムで透視し)探査してみたが、黒い飛竜どころか、あの肉腫のかけらすら、発見できなかった。

 肉腫のかけらといえば、クピドに預けた黒い肉片──鑑定はどうなったのだろう。マアトからは、特にそれらしい連絡はもらっていないが。

 

「警備に赴いている飛竜は?」

 

 カワウソが呟いた声に、手分けして探すことになった際、最も危険な“起きている飛竜が数匹で警備している巣穴の出入り口”に赴いてくれていたモモンが、首を横に振った。

 

「特に異常は──なさそうですね」

 

 群れて寝入る飛竜たちは、家族ごとに自分たちの巣穴に籠り、平和な夢の世界をたのしんでいる。

 だとすると。

 

「この巣からじゃあ、ないのか? あの黒いのが現れたのは?」

 

 黒い飛竜が現れたのは、別の巣ということだろうか。

 そうハラルドに訊ねると、可能性はあると返ってくる。

 飛竜の巣はここだけではない。ヘズナの領地である奇岩をはじめ、この一帯にはこういう巣が大小多数、確認されている。

 飛竜たちは巣で生活する。(ドラゴン)と似ながらも決定的に違うモンスターの飛竜(ワイバーン)は、ある程度の社会性──群れをつくることを絶対の生存条件としている。飛竜は通常の(ドラゴン)よりも明らかに小さく弱い。適者生存の原則で行けば、彼等は正に異世界の環境に適した種の保存方法を獲得していた。飛竜たちは己の弱さを補うべく、このように群れとして生存することを宿命としたモンスターであり、そんな彼等と交流を持ち、群れをなし、心を開き合える“相棒”に選ばれた一部の人間こそが、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族なのである。

 

「他の奇岩の巣を、調査すべきでしょうか?」

 

 ハラルドがそう提案するのも無理はない。予定したよりもスムーズに、かつ、想定よりも飛竜の棲息数が少なすぎて、カワウソたち一行は調査すべき対象を失ってしまうという、予定外な事態に見舞われてしまったのだ。夜明けまで時間がありすぎる……というか、まだ日付がやっと変わったばかりというありさまだった。

 懐中時計をしまうモモンも、やや同意しつつも疑問を呈しておく。

 

「この奇岩の、他の場所に巣はあるのでしょうか?」

「いえ、モモンさん。聞くところによるとですが、この巣は複数の巣が崩落を経て融合してできたような(いわ)れがあって、だからこそ、これだけ大きな洞窟になったとか。他の巣に調査しに行くとなると、他の奇岩にでも行くことになるかと思います。一番近いものだと、ヴィーゲン農会長の所轄になるかと」

「とすると、一度上に帰還すべきでしょうか?」

 

 モモン、ハラルド、そしてマルコが議論を深めつつある光景を背にしつつ、カワウソは天井を見上げ、その後、巣内部のさらに下の暗闇を見下ろし、正視する。

 

「この下には、何かあるのか?」

 

 唐突に、カワウソはハラルドへ問い質した。

 

「この巣の下──というか、直立奇岩の下には、何があるか知らないか?」

 

 何気ない問いに、ハラルドは臆面もなく応えた。

 

「いえ。特に何も。奇岩の山麓(さんろく)には森林地帯が広がっているだけですが?」

 

 森林は、魔導国内では特に珍しくもなんともない景観のひとつだ。特定自然保護法とかいう国法が定められているらしく、飛竜騎兵の領地が直立奇岩の上の部分にしかないことから、もっぱら空路での出入りが前提となるため、下の森林地帯というのは手付かずなところが多いという。

 

「そこにも、森にも調査を広げるべきでしょうか? ですが、森は飛竜の棲息には適して」

「いや……森じゃなくて、だな……」

 

 ハラルドの答えは、微妙にカワウソの問いたかったことから外れていた。

 カワウソが覗き込むものに興味を惹かれた冒険者が、堕天使の隣に歩み寄る。

 

「この洞窟の、巣の下、ですか?」

 

 モモンが眼下にある深淵の深さを眺め(たず)ねる。カワウソは即座に首肯する。

 

「いや、ですが。飛竜はここにいるので全部だと思われますが? 洞窟の下の方は、おそらく汚穢喰い(アティアグ)腐食蟲(キャリオン・クローラー)大型鼠(ジャイアント・ラット)などに代表される汚物処理を得意とした天然のモンスターが跋扈(ばっこ)するところになっていると、ヴェストが」

「……もしくは、そこにこそ黒い飛竜が?」

 

 気付いたマルコが鋭い声を発する。

 ハラルドも言われた内容の正当性に思い至ったらしく口を(つぐ)んだ。

 

「上は見たところ通風孔ぐらいの穴しか開いていない。あれじゃあ、飛竜の巨体は隠れられそうにない。だとすると、あの黒い飛竜のデカブツが潜めそうなのは」

「下の空間だけでありやがりますね」

 

 カワウソとミカの示した可能性。

 それに、モモンも頷きを返す。その可能性は大なり。

 疑問を呈したのは──意外なことに──男装の修道女であるマルコだった。

 

「ですが。汚穢喰い(アティアグ)などの住まう領域に、飛竜とはいえ、他のモンスターが侵入できるものでしょうか?」

 

 汚穢喰い(アティアグ)は、都市の衛生管理……下水や汚物の処理のためになくてはならない存在であり、同時に、この異世界における“自然の掃除屋”として、ある程度の「保護」が義務付けられているモンスターの一種。全長は二・四メートルほど。巨大な口と三本の触手がグロテスクな印象を植え付ける異形種であるが、性格は比較的おだやかなものが多く、縄張りや住居に不逞をなさない限りは、弱く襲いやすいはずの人間にすら見向きもしない。

 彼等の最大の特徴にして利点となるのは、“掃除屋”と呼ばれるだけあり、汚物や下水を好んで摂取し、それらを無害化させる能力に秀でていること。この洞窟内部を棲み処とする飛竜たちの糞尿が見当たらないのは、あの下に見える暗黒の奥底に放棄し、そこに住まうモンスターが喰うことで清潔な空間を維持している。

 魔導国の都市にしても、地下で飼われるモンスターのおかげで、都市の人々は汚物処理や下水排水の心配とは無縁な生活を送れるのと同じ共生関係が、飛竜というモンスターの巣にも働いているのだ。おまけに、このアティアグは生きている人間や生物を喰わない。彼等が食すのは死体(それも腐ったもの。残飯や食い残し、食べ滓を好む)などに限定されており、滅多な事では──テリトリーを侵されない限りは、攻撃を積極的に加えようとはしないのである。

 マルコの疑問は、彼等が自分たちの領域を侵す距離にいるやもしれない存在を看過するのか、というもの。

 野生のアティアグは自分の縄張り(テリトリー)を維持する。そこに飛び込むものは彼我の強弱(同種同族)に関わりなく襲撃を加える習性を持つのだ。そんなモンスターが跋扈しているだろう下層に、あの里で見かけたデカブツが、飛竜を黒く染め上げたモンスターが、生きていられるのか? 黒い飛竜によってアティアグを狩り尽くされた可能性は、皆無と言って良い。そうなれば、この巣穴は下方に垂れ流した糞尿や残飯の臭い──ガスで充満し、巣の主である鋭敏な感覚を持つ飛竜たち自身が生息不可に陥ってもおかしくはない。だが、飛竜たちの群れは、今も問題なさそうに平和な寝顔で眠りの世界をはばたいている。

 

「わからない。だが、可能性はなくはないはず」

 

 カワウソの言葉に、モモンが全面的に同意を示した。

 

「行ってみましょう。何か他に手掛かりがあるやもしれません」

「ですが、危険では?」

 

 下には当然ながら、飛竜の巣を照らす発光鉱石は転がっていない。だからこそ、あの奥底は真の闇を押し固められたような深淵の色しかありえないのだ。モモンであれば、さらにカワウソなら、ああいう闇の中で〈永続光〉を放つアイテムを使うことで調査も可能だろうが。

 

「光に誘き寄せられて、アティアグや、他のモンスターを」

 

 刺激しかねないだろうか。

 ハラルドの問いかけに対し、カワウソはモモンを見る。

 

「ご安心を」応じるように、冒険者は微笑んだ。「私にいい考えがあります」

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 少女は、実家の(やしき)の牢を抜け出し、己の衝動のまま──狂ったような想念に苛まれながら、相棒の背を借り、飛竜の首筋に縋りつきながら夜天を舞い降りる。

 

「早く、ラベンダ」

 

 もっと早く。

 祈るたびに相棒の雌は綺麗な声で鳴いて応えてくれるが、同時に、「こんなことをしていいのか」と、ひっきりなしに問いかけてくる。

 

「いいから、早く!」

 

 ほとんど相棒を叱りつけるようにして、ヴェル・セークは直轄地の直立奇岩、その真下へ向けて降下させ続ける。同時に何度となくラベンダに「ごめん」と謝りながら急がせる。ラベンダは優しく頷いてくれた。

 ここに至るまでに、狂戦士用独房の鉄格子を打ち破り、手枷足枷も気にすることなく、己の“相棒”であるラベンダの入れられた巨大な牢へ赴き、彼女の拘束も解いていた。装備らしい装備はない。ヴェルは私服のまま、ラベンダに至っては鞍も手綱も探して取り付ける暇を惜しんで、この墜落にも近い飛行に赴いたのだ。それでも、飛竜騎兵随一の騎乗手であるヴェルならば、裸の竜を乗りこなすのは造作もない。夜に乗じて、邸内の警備が薄くなる時間を狙ったのだ。

 しかし、これはもはや、明確な叛逆であった。

 どう言い繕うことも出来ないほどの違反行為。

 だが、ヴェルはもはや、それどころではなかったのだ。

 

 

 

 昼前。

 ヴェルは男の子の飛竜の悲鳴を聞いた。

 ──タスケテ、と。

 ──コロシテ、と。

 それからというもの、ヴェルの奥底では、これまで感じたことがないような感覚が、沸々と沸き立ってくるのを抑えきれなくなっていた。同時に、耳の奥に絶え間ない誰かたちの声が残響していた。男の子が死んだ後も────延々と。

 ヴェルは絶え間ない悲鳴と怨嗟、自壊と自滅、救済と救命を望む幾多の声に、呑まれてしまった。 

 こんなことは、20年の時の中で初めてだった。

 何事なのかと焦燥に駆られつつ、ふと壁の姿見を見た。

 磨かれた鏡に映る自分を見て、びっくりした。背筋が震えた。

 伝え聞いただけの──ヘズナ族長のウルヴさんが見せてくれたことが一回だけある程度の、狂戦士の眼。

 赤く燃える炎のような輝きが、瞼の端から零れていたのを見た。

 怖かった。

 自分が、知らない自分になっていることを、まざまざと見せつけられる──以上に、自分がまた暴走しそうになっているのだと判ったことが、恐ろしかった。

 もはや食欲も何もない。ベッドの上で必死に許しを請い、声が鎮まるのを待ったが、声は消えてくれなかった。むしろより多く、大きく轟く絶叫にもなっていった。

 ただの幻聴幻覚と見做すには、その声の圧力は真に迫るものがあった。

 脳の中で、まるで飛竜同士が喰い争うような叫喚が続いていたので、食欲どころか、他の何もする気力も湧かない。姉や皆に自分の状態を知られないようにするのは、苦労した。姉が「せめて夕飯だけでも」という声に、「大丈夫だから」と嘘を連ねた自分が、酷く醜悪に思えた。

 

 

 

 ヴェルが覚えている限り、自分の狂戦士化はこれで六度目。式典演習での五度目はまるで覚えていないが、とにかくこれが六度目なのだとヴェルは認めるしかない。一度目は、物心つくかどうかという時だったけれど、暴走した後、とてもひどいことになった(・・・・・・・・・・・・)。だから、暴走した”後”のことは、とてもよく覚えている。

 また、あの時のような悲劇を繰り返したくない。

 ──どうして、自分がこんな力を、そう幾度となく恨みや悲しみを懐いたことか。

 しかし、そのような言葉を、産んでくれた両親や優しい姉、事情を知る皆にもらしたことは、一度もない。

 言ったところでどうなるものでもないし、一度目の時はむしろ両親たちの方が、ヴェルに向かっていつまでも謝っていたくらいだった。「何もしてあげられなくて、ごめんね」と。

 ヴェルは、今も脳内で割鐘(われがね)のように響く鳴轟の怒濤に、耳を傾けるまでもなく聞き入った。

 その言葉のひとつを、我知らず紡いでしまう。

 

「たすけて」

 

 大好きだった両親が戦いで死んだときも、ヴェルは少しだけ暴走した。

 他にも何度も、ヴェルは精神の均衡が保てない状況に立たされる度に、周囲に暴風のような被害をもたらした。いずれも、邸内の中で、最も頑丈に作られた魔法の秘密部屋だった為、被害らしい被害にはならなかった。けれど、大好きな姉や、幼馴染のハラルドなどの友達のおかげで、ヴェルはここ十年ほど狂戦士化を引き起こしたことはなかった。

 ……なのに、この数日で、もう二度も。

 

「助けて」

 

 自分の力が増しているのか。

 狂戦士の力が、いよいよヴェルという個人の心を上書きしようとしているのか。

 そこはまったく判然としない。

 けれど、

 

「助けて、ください」

 

 これ以上ないほど弱々しく呟く少女と共に生きる飛竜(ラベンダ)が、切なげに声をかけてくれる。

 だが、彼女はヴェルを助けられない。むしろラベンダは、ヴェルの能力の共犯者になる立場であり、同時に最大の被害者でもあった。

 ヴェルが暴走する度に、ラベンダも少なからず悪影響を(こうむ)る。暴走する狂戦士と共に暴れ狂い、自分の意に添わぬ暴虐を振り撒くことになるのだ。

 本当に申し訳なくて、なさけない。

 それを口にしても、ラベンダは「気にしないで」というように鳴くだけ。

 たったそれだけの言葉に救われながら、同時に、ヴェルを本当に救えるものなど、いるはずもない事実をつきつけられる。

 

「誰か──」

 

 救いを求める声を口にした時、脳裏に浮かんだのは、黒い男。

 あの森で出逢った、黒い鎧に日に焼かれた肌の、超常的な光を放った大恩人。

 追われていた自分たちを救い、魔法都市の空でも救ってくれた、彼の名を思い起こさずにはいられない。

 

「……ダレカ」

 

 冷たい夜の風を驀進(ばくしん)しつつ、その小さな身体の奥底には、瞳を燃え焦がす狂気が渦を巻く。

 狂戦士は、今も聞こえる悲鳴を掻き消したい衝動のまま、夜空を降りる。

 飛竜(ラベンダ)騎兵(ヴェル)は、さらに下へ。奇岩の、もっと下へ。

 

 声は、ソコから聞こえている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




汚穢喰い・アティアグについては、D&Dの情報を参考にしております。
本作では、魔法やモンスターはWebや書籍を準拠しつつも、場合によってはD&Dで補完いたしております。
飛竜・ワイバーンについても独自要素マシマシですが、D&Dのそれに何とか寄せている感じです。毒針を持った奴とか、茶色とか灰色の奴とか、今のところ出てきてないけど。

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