オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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第三章はサブタイトル一字縛りに挑戦中。

今回の容量は13000字ぐらいです。

諸事情によって幽閉されているヴェル・セークの現状から始まります。




/Wyvern Rider …vol.4

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少し前に、カワウソたちが起床する前までに遡る。

 

 

 

 直立奇岩の内部は、飛竜騎兵の部族たちが先祖代々より受け継ぎ、他部族や他種族からの侵攻に耐えられるように掘削され、ちょっとした要塞じみた造りになっている。何より、垂直にそそりたつ奇岩は堅牢堅固。一説によると太古の昔に飛竜騎兵の祖たる巫女が行使した超常の力でもって祝福を施したことにより、この奇岩地帯は飛竜に連なる存在でしか掘削や加工、破壊行為を働くことは不可能な硬度を誇っていたとか。

 そんな天然の要害に加え、空を飛ぶことに慣れた飛竜騎兵の部族は、空を飛べる種族や魔法を扱えるものでなければ侵攻不能なため、滅多なことでもない限り、飛竜騎兵以外の(うから)が入り込むことはなかった。時折、傭兵や冒険者に身をやつして諸国に下りた者らによって、その奇岩地帯を鎮護しつつ、互いに相争う歴史を繰り返してきた人間がいることは知らされていた程度の交流しかない。

 

 そんな歴史が積み重なったセーク族の保有する第一要害の奥底、族長邸の最下層最奥部に位置する牢獄の中に、部族伝来の紫色の髪を流した少女──ヴェル・セークは幽閉されていた。

 与えられた普段着の他に、手足にはマジックアイテムではない、鉄の手枷と足枷をひとつずつ施されて。

 部族内で「当代唯一」とされる、強力な“狂戦士(バーサーカー)”を封じるものとしては、かなり粗悪な措置に思われるだろう。狂戦士の増幅されたステータスは、この程度の障害や拘束具は難なく引き千切れることくらい、族長たちには周知の事実。いくらヴェルの狂戦士化が不定期かつ不安定なものであるとしても、万全を期するならばもっと質の良い、魔法などによって全身を拘束しておく方がいいはず。

 だが、実のところこの世界における狂戦士は、魔法によってそういった状態異常(バッドステータス)の影響下に置かれている場合が、かなり危険なのだ。

 たとえば、重篤な「盲目」や「暗黒」、「拘束」の状態は、罹患者に「恐怖」を与え、それが「恐慌」を経て「狂乱」に至れば、狂戦士の能力が発揮される運びとなることを、飛竜騎兵らは口伝筆伝によって知悉している。ヴェルのいる牢獄も、最低限の生活は送れる程度の備え──光を取り込むためだけの窓、机に椅子、ベッドとトイレも完備──が用意されているのは、彼女が族長の妹であることが主に影響しているわけではないのである。

 狂戦士を鎮静化するには、(いたずら)に追い詰めるよりも、安らかな心地で普通に生活させた方がいいことを、彼らは長い歴史の中で学んでいた。

 牢獄に囲い、手枷足枷を施すのは、あくまで対外的に、彼女が拘束監視下に置かれていることを示すための慣習であり、いわば目印でしかない。仮にも、自分たちの奉じる上位存在──魔導国への反逆の嫌疑をかけられた罪人を、自室でくつろがせておくというのは不敬極まるのである。

 

「食事だ」

 

 故に、少女の食事も普段通りのものが取り揃えられている。野菜と豆のスープに、飛竜の干し肉を混ぜたもの。カワウソたちの堪能することになる朝食は、セーク家の中で最高級のもてなしであり、また、それが限界値でもあったわけだ。食事のトレーには他に、見慣れた粉薬と見慣れない丸薬、それぞれが包みに覆われ小皿に盛られている。

 

「……ハラルド」

 

 ヴェルは、食事を運んでくれた幼馴染……ヴェルというセーク族ただ一人の狂戦士を、罪人として拘束していることをこれまでに知らされている数少ない一人たる少年に対して、真っ先に懸念をこぼす。

 

「カワウソさん達は?」

「心配ない。あの方々は今も、客室でお休み中だ。まもなく自分が、朝食の案内に向かう」

「そう。……ラベンダは、どうしてる?」

不貞腐(ふてくさ)れてる。相棒(ヴェル)と離されてるのが余程ご不満らしい」

 

 鉄格子越しに会話する二人。

 ハラルドはヴェルの抹殺任務に一度こそ従事したが、本当は今のように、少女とは明け透けに言葉を交わすほど懇意の間柄。伊達に生まれた時からの幼馴染ではない。

 そんな相手だろうと、ハラルドは容赦なく任務に従った。そういう男なのだ。彼ほどに義に厚く情に深い男も珍しいかもしれない。

 ことがことだけに、今回の一件は部族内でも、ごく限られたものにしか知らされていない。

 ともすれば、何かのはずみで、良くないことが起こるかもしれないから。

 

 ──王陛下を冒瀆(ぼうとく)した大罪人の首を差し出せ。急いで誅戮(ちゅうりく)せねば部族の恥だ。何故、族長たちは手をこまねいているのか。ヴェル・セークの逆心を許すな──

 ……などの悪罵と怨嗟と共に、苛烈な思想に憑かれた同胞たちが、ヴェルを断罪しようと殺到するやもしれない。

 

 だが、ヴェルは魔導王自らが存命を許して、狂乱した原因の究明と解決に努力することを命じられはした。だとしても、魔導王の不興を買うことを望まぬ同胞が、望まぬ形で凶刃を握る可能性がある以上、ヴェルの一件は隠匿された方が、誰にとっても都合がよい。故にこそ、演習での事件は“事故”として一旦処分を留保され、この今の状況を構築した。ともすれば、この族長邸の奥底に位置する幽閉所に隔離され監禁されることこそが、ヴェルの身を護るのに最も適した措置ともいえるだろう。

 

「しかし、驚きだな」

 

 ヴェルは食事の手を止める。

 

「何が?」

あのヴェル(・・・・・)が、外の連中とここまで仲良くなるとはな」

 

 その証拠に、彼女は自分の相棒よりも先に、外の存在であるはずのカワウソたちの方を真っ先に心配する声を発していた。彼女自身、気づかない内に。

 

「カワウソさん……たちは、その、特別だから」

 

 スプーンをくわえてモゴモゴしてしまう。

 ヴェルは、正直なところ、そこまで社交的な性格ではない。そんなヴェルが、外の人間のことをここまで気遣うことは、ハラルドどころかヴェル本人ですらも初めてのことだと認めざるを得ない。彼女は同族の、飛竜騎兵以外には、滅多に心を開くことなく、それは長年領地内に存在するアンデッドに対しても同様だ。ある意味においては、ヴェルという女性には飛竜の性質などと似た部分が多くある。だからこそ、彼女はセークの中でも指折りの飛竜騎兵として洗練されているのかもしれない。

 優秀な姉の陰に隠れて、相棒や飛竜らと戯れてばかりいた為、人見知りな傾向が強い。魔導国の成人年齢に達しているというのに、幼少期から続く性質は是正できておらず、姉には苦労をかけっぱなしだった。

 だから、今回の式典に参陣するメンバーに選ばれた際にも、異議は言えなかった。

 多くの衆人環視にさらされるイベントの一員となるなど、想像しただけで胃が痛くなるほどだが、これを経て、少しは良い方向に成長できればと────そう思った自分は愚かだった。

 よりにもよって、狂戦士の力を振るって、国や皆に多大な迷惑をかけてしまった。

 その結果が、今のこのどうしようもない状況を招いたという見方もできるが、それを気にしても仕方がない。

 かわりに、ヴェルは思う。

 そのような災難の中で出逢った、不思議な彼らのことを。

 

 彼ら──特にカワウソという男に懐いた印象は、これまでどんな人物と相対しても得難いものに満ちていた。

 

 この世のすべてを憎み、恨み、呪い殺すかのような眼の様相は酷く恐ろしいのだが、ふとした時に幼い子供のような調子で軽く笑うところが()い印象を覚える。冗談を笑い飛ばせる教養と柔軟性もあり、尚且つ、頭の回転も早いようだ。少々常識に疎いところも見受けられるが、飛竜騎兵もまた同じような知識量なので、ひょっとすると同じ等級臣民の出身なのやも。

 そして何よりも肝要な事実が、ひとつ。

 

 彼は強い。

 

 飛竜騎兵部族内でも指折りの鍛冶師に鍛えさせた魔法の突撃鎗(ランス)を蹴り曲げる力。数多装備されたマジックアイテムの輝き。それらを駆使しての空中戦闘の冴え。圧倒的数の不利をものともしない、胆力の持ち主。いっそ恐ろしいまでに研ぎ澄まされた、あの閃光。

 それがカワウソという人物に見た実像。

 

「確かに……あの方々はどうかしてる。狂戦士に陥り、アンデッドの追跡隊まで壊滅せしめたヴェルたちを保護し、あまつさえ我々一番騎兵隊を、双方無傷で完封し果せるなど……かの御仁(ごじん)は、元・一等冒険者か何かなのだろうか? あの若さで……いや、若いのだろうか?」

 

 ハラルドが疑問するのも無理はない。

 魔導国には寿命のない異形種も、国民として蔓延している今現在。見た目の若さや印象だけで、相手のすべてを推し量ることは不可能だった。アンデッドは死なず、悪魔や吸血鬼は老いず、他にも様々な異形が、それまでの垣根を乗り越えて、人間や亜人と共に、ひとつの王の威光にひれ伏している。

 

「──いずれにせよ。彼らが協力してくれるとなれば、原因究明も(はかど)るはず。そうすれば、きっと」

「うん。ありがとう、ハラルド」

 

 彼が自分を案じてくれていることを、ヴェルは誇りに思う。伊達に幼馴染を二十年も続けたわけではないのだ。

 

「でも、ハラルド。一等冒険者は、さすがにないと思うよ? 一等の方は、モモン様とその従者様以外では引退なんてされてないし。可能性は低いんじゃ?」

「そうかな? 先代、先々代は神聖なる“ナザリック”内にて隠居されているともっぱらの噂だが、ひそかに今も、国の安寧のために働いているとの風聞もあるし」

「うーん、そうだねぇ……」

 

 意外と、領地外の事情に通暁しているハラルドだが、これは無理もない。彼は『漆黒の英雄譚』に代表される英雄たちの物語に憧れ、彼ら英雄を真似て鍛錬と修練に励んだ結果、戦士としての才能をめきめきと開花させた男だ。国内の冒険者事情については領地内の国立図書館へ足繫く通って入手するほどで、まさか、それが高じて一番騎兵隊隊長にまで抜擢されることになろうとは。

 一等冒険者は、魔導国においてひとつだけである。

 彼らは魔導王陛下肝いりのチームである上に、他の冒険者としての任務と並行して、何やら「密命を帯びている」という噂もあるが、真偽は不明だ。終身栄誉階級じみた一等冒険者(ナナイロコウ)の次の階梯──アポイタカラ級の二等冒険者チームはそこまで多くはないが、少なくとも二桁のチームが常に存在している。中には諸般の事情によって引退する者なども少なくはなく、そういった存在は一都市に定住すべく転職するか、あるいは後進育成のために私塾を開くことが大半と聞く。可能性としては、二等の方がありえそうな気もする。

 

「あるいは、本当に──魔導王陛下の親衛隊か」

 

 ハラルドのつぶやきに、ヴェルは首を振った。

 だとしたら、カワウソたちがあんな行為をするわけもないし、あの森の会話も意味不明になる。

 無駄口を叩いて、彼らの立場を危ぶませるわけにもいかない。いくら幼馴染のハラルドとはいえ、彼らのことは──彼らこそがアンデッドの追跡隊を葬り去った犯人であることは──秘しておくべきだと了解している。

 カワウソとミカは、ヴェル・セークの恩人に、相違ないのだから。

 

「そういえば、ハラルド」

「どうした?」

 

 スープを一滴残らず平らげたヴェルは、話題を転換するように、小皿に盛られた二種類の薬剤を持ちあげる。

 正確には、見慣れない丸薬の方を。

 

「この薬は? いつも飲んでいる粉薬(やつ)とは違うけど?」

「ああ。……状態異常鎮静用の丸薬だと。また「狂気」に陥り狂戦士化されたら、事だから。食後すぐに服用するようにと、族長から」

 

 姉からの指図となれば、ヴェルには否も応もない。

 10年前の戦役で父母を亡くし、以来ずっと、姉が親代わりとなって、ヴェルを育てあげてくれた。

 二種類の薬を口に含み、水と共に流し込む。食事の皿を下げる幼馴染に礼を言って、その背中を見送った。

 ひとりで残されたヴェルは、明かり取りの窓を見上げる。

 はるか彼方、大地の裂け目のような明かり取りから零れる陽の光に、ヴェルは吸い寄せられるように目を細めた。

 

「……ごめんなさい、皆さん。巻き込んでしまって」

 

 一心に祈る。

 敬虔な信徒のごとく両膝を折り、腕を胸の前に交差して、頭を少しさげる礼拝の姿。

 死んだ父母に、セーク族の太祖に、飛竜の霊たちに対して、ヴェルは願うしかない。

 自分を救ってくれた黒い男を、その従者たる女騎士を、相棒を二度も癒してくれた修道女を、

 どうか、お守りください。

 

 狂い戦う士などとは程遠い情念だけが、その朝の光の中に、満ちていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を今に戻る。

 

 

 

 バハルス領域の、ほぼ南西。

 珪質岩の巨大な奇岩地帯、幾多もの岩の柱が垂直に、奇跡的なバランスで(そび)えている光景が、見るものを圧倒する。そんな幻想世界の片隅に、秘密部屋と称される洞窟の奥深くに、彼等は集い、一卓を囲む。

 堕天使のプレイヤー、カワウソ。

 その護衛として侍るNPC、ミカ。

 この世界の放浪者、マルコ・チャン。

 飛竜騎兵の二大部族を任される両部族の長、ヴォル・セークと、ウルヴ・ヘズナ。

 ヘズナの族長が急遽雇い入れた一等冒険者、モモンと、黒髪の童女エル。

 護衛役のハラルドたちは自分たちの役割として、自分達の長であるヴォルの傍で待機する直立不動の姿勢を取る。

 

「あの……ダークウォリアーさん」

「なんでしょうか、カワウソさん?」

 

 カワウソは真向かいに座す男性に、ひとつ確認したいことがあった。

 

「その、首から下げているプレート……見せてもらっても構いませんか?」

 

 まるで営業マンが天気の話をするような平坦な調子で提案してみた。

 モモンは快く応じ、うなじに手を回して白銀の飾り紐を外してみせる。

 

「カ、カワウソ殿!」

 

 途端、ハラルドから叱責にも似た声が僅かに零れるが、この確認はカワウソにとっては重大な意味を持つ。

 七色鉱、セレスティアル・ウラニウムという、超希少金属。

 その金属が市場に出回る前に、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが鉱山を独占して価格が高騰していたことはあまりにも有名だ。彼等から鉱山を奪取すべく、さらに有名な世界級(ワールド)アイテム”永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”が使われたとも言われている。

 モモンが首から下げたそれは、傍目には確かに七色鉱独特の質感と色彩を露にしており、並みの金属でないことは見るからに明らか。だが、騙りの類でないという証明にはならない。あるいは、よく似た金属をぶら下げただけの偽物が、ヘズナの族長をたぶらかしている可能性もあるはず。

 そんな疑念など無意味と言いたげに、彼が快く差し出してくれたプレートを受け取る。

 これが、この世界に存在する、冒険者の証。

 堕天使の浅黒い肌色を焦がさんばかりに眩しい金属の独特の光沢は、カワウソも市場で見かけた超希少金属のそれに他ならない。残念ながら触覚については良く知らない上(ゲーム時代の触覚は、今の現実ほどに精巧でもなかった)、探査系統のアイテムを消費するのは躊躇(ためら)われたのは、どうしようもない。本人を前にしてそこまでするというのは常識的にアレだったし、変な目で見られるのは今後の活動に支障も出るだろう。ふと裏面を見れば、何か文字が彫られているのに気がついた。

 

「モモン・ザ・ダークウォリアーと刻印されています。本物ですよ」

 

 隣にいたマルコが覗き込みつつ、確認の声をあげてくれて助かった。おまけに、ハラルドや女騎兵らが、ソファの背もたれ越しに、もの珍し気な様子で一等冒険者のプレートに食い入るような視線を注ぎこんでもいる。彼等も一様に、プレートの真贋について本物だと宣言してくれた。まるで憧れのトップアイドルを眺める子供のような無邪気さを伴って「すごい」とか「はじめて見た」とか。

 自分たちの族長から(たしな)められるような微苦笑を向けられて、ようやく引き下がっていく飛竜騎兵らに、モモンは愉快痛快な面で朗らかに笑う。

 

「どこへ行っても、皆さん同じような反応をされるので、プレートをお見せするくらいのことは慣れたものですよ」

 

 何より、依頼を引き受ける場などでは、プレートの携行と掲示は必須条件ですので──そう彼は教えてくれる。なるほど、冒険者にとってこのプレートは、身分証明書と同義に扱われるのだなと納得しつつ、カワウソは超希少金属の板切れをモモンの掌に返却する。義務的な確認作業を終えて、カワウソは常識的な感謝を紡いでおく。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ」

 

 確認を終え、応接セットのソファーテーブルに、一同は改めて腰かけた。

 一人用のソファに腰掛けるセークとヘズナの族長が対面に、カワウソとミカとマルコ、モモンたち“黒白(こくびゃく)”が対面という具合で長椅子に座り、そこへ全員分の茶が用意される。

 

「ありがとう、ヴェスト」

「ありがとうございます」

 

 ヴェストという名で呼ばれ、族長に笑みを送られる彼を眺める。茶を用意されて、普通の社交辞令的に会釈しつつ感謝するカワウソにまで、そのまっすぐな腰を折る老人は、昨夜カワウソらと戦った老兵(ロートル)に相違ない。彼はこの秘密部屋に通された使者たち──ヘズナ家当主と、彼の雇った冒険者二名の世話を仰せつかっていたようだ。執事然とした淀みない所作だが、彼の着るものは飛竜騎兵独特の簡素な、竜の鱗にも似た枯草色の衣服に過ぎない。

 見ようによってはヴォルたち姉妹の祖父などとも見受けられるほどに親しみ深い両者であるが、あくまで主君と従者の関係に過ぎず、血の繋がりなどもないそうだ。

 続いて、彼は手中の急須を傾けて、別の客人らにも茶を振る舞う。

 

「ありがとうございます」

「勿体ないお言葉です」

 

 ヘズナとモモンが紡ぐ感謝にも、老人は礼儀正しく返礼を送る。

 ただ、主人であるヴォルに向けるよりも言葉には影がおりており、セークと対をなすヘズナに対する何かしらの思いが、ほんのわずかに感じ取れた。無論、昨夜戦闘したばかりのカワウソたちにも、その傾向は露になっていたが、そこまで気になるほどの敵意ではない。

 改めて()れられた飲み物に舌鼓を打つヘズナ家の彼等と同様に、カワウソも「いただきます」と呟きつつ食後のティータイムのごとく深緑色の茶が注がれた湯呑を口元に運ぶ。「南方より取り寄せた特級茶葉でございます」とか何とかの説明を小耳にはさんだ。苦味と甘みが共存する中で、青い香りが奇跡的な調和をもって際立っている。美味い。

 南方産の茶の味に密かに驚嘆しつつ、カワウソは協議を始めるべく声を発した女族長を見る。

 

「では、これより協議を開始します。協議の内容は、既にご存知でしょうが──我が妹ヴェル・セークの、暴走原因の究明についてです」

 

 粛々と紡がれる女族長の声に、いきなり待ったをかける低い声が。

 

「その前にひとつ、確認させてほしい。セーク族長」

「いかがされました。……ヘズナ族長」

 

 二人は鋭く視線を交錯させる。

 まるで決闘を挑む剣士が如き冷たい瞬間は、男の硬い笑みに、即やわらぐ。

 

「ヴェルの……そちらの狂戦士(バーサーカー)の暴走についてなのだが、我々はその現場を見ていない。現場を見ていない状況では、いくら我々でも、原因の究明には役に立てそうにないが?」

 

 ウルヴは、カワウソたちと同じ正論を吐いた。ヴォルは応じるように首肯する。

 

「ハラルド」

「はひ!」

 

 素っ頓狂極まる声で、ここまで追随してきたハラルドが応じた。

 彼は何故なのか、全身がちがちに震えて、両手に抱え慎重に運んでいたボール状のアイテム──軍部の映像記録投影機──を、全員の中心となる卓の上に置いた。思わず、フーと長い息を吐く彼の情けなくも見える姿を、その場に座る全員が注視する。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「も、もん、問題ありません! モ、ダ、ダークウォリアー様!」

 

 何やら肩が四角く強張っていると判るくらい緊張しっぱなしの少年だが、他のセークの連中は訳知り顔で微笑むばかりだ。元の位置に戻り、とにかく冷静になろうと背筋をまっすぐに伸ばして硬直する少年隊長。──もしかしてハラルドは、モモンたちのファンだったりするのだろうか。

 何はともあれ。今は他にすべきことがある。

 アイテムが起動すると、先ほどの朝食の席でカワウソたちが見せられたものと同じ動画が映写される。初見のヘズナたち三人は真剣に、二度目のカワウソたちはさらに吟味を重ねるために、食い入るようにヴェル・セークたちの墜落の軌跡を、狂戦士の暴走っぷりを、視野の中に刻み込んでいく。

 

「なるほど、確かに。これは狂戦士の暴走だ」

 

 訳知り顔で呟き、頷きを繰り返すヘズナ家の族長。

 モモンたちも動揺するでなく、しきりに頷いた後で、己の雇い主に意見を求める。

 

「ヘズナ族長……ウルヴさん。“狂戦士”は、飛竜騎兵の中で、ごく稀に生まれる存在と聞きましたが?」

「その通りです……アー──モモンさん」

「ならば、どのようにして狂戦士が狂戦士としての力を発現するのか、どのようなプロセスを経ているのでしょうか? ランダムに発現するものなのか、あるいは、ある程度の法則や理論は存在するのでしょうか?」

「それは、難しい質問ですね。そのあたりの話については、長老たちの方が適任やも知れません」

「そうですか」

「ただ、私が知っている限り、飛竜騎兵部族の代表たる族長家──その血に連なる一族の中での発生例が多いことは、確かです。実際、ヴェル・セークはセーク族長家の次女、現族長であるヴォル・セークの実妹なのですから」

 

 ヘズナの族長はそう述べる。

 飛竜騎兵の中に生じる狂戦士。ユグドラシルにおいては大量の竜の血というアイテムを必要としたはずのレア職業について、認識を共有する。一等冒険者といえども未知なる情報を整理する為か、その口調はかなり事務的に響いていた。まるでこの場にいる者に語り聞かせるような印象さえ、ほんのかすか含まれている気がする。

 曰く、狂戦士は飛竜を喰う風習に生きる、この地域固有の存在。

 飛竜を食べる──その条件について、カワウソはふと、ある思いを巡らせた。

 

「そういえば、魔法都市で俺はドラゴンステーキを食べたんだが、あれは……狂戦士の発生要因にはならないのか?」

 

 飛竜の血肉を転職アイテムの代替と考えるならば、都市で流通するドラゴンのステーキ肉なども、十分に必要条件を満たすのではあるまいかという、そんな疑問だった。

 しかし、ヴォルやウルヴたちは目を丸くして首を傾げるばかりで、何も言ってくれない。

 何か変なことを言ったのだろうかと、カワウソは若干身構えてしまう。

 そんな堕天使の問いかけに、意外な人物が口を開いた。

 

「確かに。魔導国でドラゴンステーキが流通して、すでに数十年の月日が経っておりますが、各地で狂戦士が発生したという話は、聞きませんね」

 

 すっかり普段通りの利発な調子を取り戻した修道女、マルコが快活な笑みでそう補足する。

 

「でも、あれだろ? 狂戦士が飛竜を喰らうことで狂戦士になりえるなら、飛竜以上のドラゴンの血肉を摂取すれば、条件は満たされるんじゃ?」

 

 無論、ユグドラシルではただのドラゴンステーキを転職アイテムに使用できるといった話はない。

 狂戦士の転職には、高位の古竜(ハイ・エンシャント)級のドラゴンからドロップされるアイテムを大量に集め、それをもって転職が可能だった。ドラゴンステーキをたらふく喰ったところで、狂戦士などのレアになることは、通常ならありえない。

 だが、この異世界で、実際に狂戦士としての力を発現できるものがいるという現実。

 しかも、転職には通常使用できない雑魚モンスターを喰う部族たちの中で。

 飛竜(ワイバーン)は比較的小柄で、ユグドラシルのゲームに存在する竜の種族だと、比較的弱い部類に位置する。飛竜よりも強く大きな体躯を持つドラゴンに騎乗できる騎乗兵(ライダー)は、竜騎兵(ドラゴンライダー)としてのレベルを獲得するという感じだったのだ。平均してLv.70前後の騎乗兵プレイヤーは、他にも神獣だの幻獣だのを召喚使役できるようになり、はては巨大船舶を操船する船長(キャプテン)や、航空戦闘機を操る操縦士(パイロット)にまでなりえたのだ。「ヴァルキュリアの失墜」という大規模アップデートによって、そういった近代兵器・機械装置の類もユグドラシルでは蔓延し、それまでの完全ファンタジーだった世界観に新たな要素がふんだんに盛り込まれ、多くのプレイヤーを愉しませてくれたものだが……いずれにしても、今や昔の話である。

 

「ええと。それは……」

 

 さすがにそこまでの知識のなかったのだろう、マルコが言葉に詰まる。

 カワウソとしては何の気なしに呟いた疑問にまで真摯に対応しようとする彼女には好感しか覚えないが、

 

「すいません。今度、調べてみますね」

「いや、そこまでする必要はないから」

 

 生真面目に謝罪する女性に、こちらの方が申し訳ない思いを懐く。気にするなと言ってやるしか他に処方がない。

 微妙な空気を換えるように、一等冒険者が少しばかり大きめの咳ばらいをしてくれる。

 

「ああ……セーク族の狂戦士は、ヴェル・セークさんのみというお話でしたが、であれば、ヘズナ族に現存する狂戦士というのは」

「無論、おります」

 

 モモンとウルヴの会話に、カワウソは耳をそばだてた。

 

「他にもいるのか? 狂戦士が?」

 

 思わず口を挟むように問い質してしまうが、彼らは気を悪くしたわけでもなく、にこやかに事実を宣言する。

 

「ええ。今まさに、あなたの目の前にいますよ」

「──目の前?」

 

 今、カワウソが見ているのは、モモンたちと、ヘズナの族長。

 言われたことを遅れて理解したカワウソは、それでも、確認を求めるほかにやりようがない。

 

「え、ちょ……ひょっとして」

 

 まるで狡猾な狼のような鋭い笑みが、剣を突きつけるように差し向けられる。

 

「別に、おかしいことではありません。族長家の娘であるヴェル・セークが狂戦士であるように、ヘズナ家の族長家にも、狂戦士たりえる因子は、脈々と受け継がれておりました」

 

 飛竜騎兵の中で生まれる……子々孫々に渡り飛竜と過ごし、飛竜の血肉を喰らう文化の中に生きる異世界の住人である彼等だからこそ、竜の血肉を必要とする“狂戦士”になりえるという仮説。それに従うのであれば、勿論、ヘズナ家の者にも狂戦士が生まれるのは道理だ。

 

「この私、ウルヴ・ヘズナが、当代において現存する、ヘズナ家の狂戦士(バーサーカー)となっております」

 

 カワウソは目を数回も瞬かせた。

 

「アンタも──ああ失礼、あなたも狂戦士、だと?」

 

 しっかりと頷いてみせるウルヴ。

 他の飛竜騎兵であるセーク族の四人にも視線を巡らせると、全員が疑義を懐くことなく、半ば常識として認知している風に頷くのみだ。ヘズナ族長が狂戦士であることは、部族という壁を越えて有名なのかもしれない。

 だが、だとすると昨夜のハラルドたちとの会話で、おかしかったことがある。

 

「証拠を御覧に入れたいところですが、ここには我が一族の治癒者がいないので、一度狂乱化しては対応にも困るところ……ですが」

 

 カワウソの疑問と黙考に気づくわけもなく、ウルヴはあっけらかんとした口調で、この場での部外者である三人──放浪者のマルコや、ヴェルを保護したカワウソとミカに、狂戦士の証を立てようと欲した。

 

「モモン殿。エル殿。暴走した私の抑止と回復を、お頼みしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論」

 

 頷いた一等冒険者たちの意気込みは、軽い。

 ハラルドたちが快哉に近い驚愕を覚えて息を漏らす。

 一等冒険者チーム“黒白(こくびゃく)”は、まるで予定調和か何かのように、自分たちの雇用主が目の前で“暴走する”という試みを受け入れてしまっている。

 

「……大丈夫なのか?」

「問題ありません」自称狂戦士の族長、ウルヴは気安く頷いた。「この”秘密部屋”は、防音防諜対策が念入りな上、かなり頑丈な造りですからね」

 

 いや、そういうことじゃなくて、暴走なんて状態異常を自ら発生させて大丈夫なのだろうか?

 というか、なんでウルヴはそんなことを──セーク族の邸の秘密部屋の事情を知っているのかも疑問なのだが……アレかな、ヘズナ族も、この秘密部屋を使ったことがあるのだろう。これまで様々な権謀が何とかとも言っていたし。

 あと、いくら一等冒険者といっても、この世界の存在に、狂戦士の暴走を食い止められるのか?

 ハラルドたちすらも、カワウソと同じ類の懸念に囚われ、自分たちの女族長に異議を申し立てようとするが、ヴォルはそれらを悉く払い除けた。「心配ない」と言ってのける。自分たちの目の前で、仲の悪いはずの部族の長が狂戦士になるのを見過ごせと言うのは、いったいどういう理屈なのか。

 

「では、少し離れていてください」

 

 言って、立ち上がった彼はほとんど一足飛びで、通常の人間の脚力と瞬発力では不可能な距離を跳躍する。ヘズナゆかりの重厚な鎧を着込んだ肉体とは思えない動作だ。立ち上がったその場から、足の力だけで、走り幅跳び並の軌跡を躍動し、空中で身体をひねりこむなど、常人では決してありえない身体能力である。だというのに、誰も驚いていない。この世界だと、あれが普通の身体能力というわけではないだろうが、別に不思議でも何でもないようだ。ウルヴ・ヘズナとは、それほどに有名な存在なのか。

 

「…………」

 

 しばしの沈黙。立ち上がり席を離れた全員が、食い入るように、彼の動静を見つめる。

 ウルヴの乗騎にして相棒の巨大飛竜が、確認するように鎌首を持ちあげ、僅かに頭を下げた。どうにも、相棒に対して頷いたようだ。

 深く息を整えるヘズナの族長が、その瞳を静かに閉じて……

 

 いっぱいに見開かれた両眼から、狂気的な焔がこぼれる。

 

 映像で確認した、ヴェルとまったく同じ現象。

 人間の瞳に、燃え上がる篝火のごとく灯り揺れる、狂乱の相。間違いなく、あれは「狂戦士化」のエフェクトだ。男の食いしばった歯の隙間から、金属がこすれるのにも似た音色がギリギリ響く。

 

「コ……レ、ガ……」

 

 驚くべきことに、彼の方から人の声と判別できる音が聞こえてきた。

 

「これ……ガ、──(バー)戦士(サーカー)、ノ、チカら……飛竜、騎、中で……限ら、レタ、者ガ、ガぁギ、が、ガァア!」

 

 瞬間。

 音が爆ぜた。

 そう認めるしかないほどの絶叫が、広い洞窟内に乱反射し、内部にいるすべての鼓膜を突き破らんばかりの、暴力の風と化す。

 理性的な音色は瞬く間に消滅し、意味消失した耳障り極まる野獣の吠え上げる蛮声が轟いた。秘密部屋は内部の会話や音を外に漏らさぬように魔法的な処置が施されていて、この絶叫で外にいる存在に危害を及ぼしたり、存在を認知されたりすることはない。だが、それは裏を返せば、音が逃げ場もなく反響を続け、増幅と蹂躙が繰り返されるということを意味する。

 実際、ハラルドをはじめとしたセークの騎兵たちは耳を塞いで耐えるしかない姿勢をとっており、カワウソもいきなりの珍事に反射的に片耳を手で覆うしかなかったが、絶叫(シャウト)系のダメージというわけではない。この行為はただの生態反射だ。その証拠に、ミカも涼しい顔で、狂戦士の動向を眺める作業を続けている。ダメージは受けていない。

 そして、

 

「ガアッ!」

 

 吠え声が、女天使同様に涼しい顔でいる女族長に向かい、跳躍。

 猛り狂う獣。情け容赦のない荒ぶる戦士の狂乱に、たおやかな女の肢体が数瞬後、確実に蹂躙されんとするだろう暴挙の波濤。

 いきなりの事態に、カワウソは反射的に自分の剣を取ろうと空間に右手を沈めそうになって──

 

「ご心配なく」

 

 紡ぐ声は、ヘズナ族長と相対する、セーク族長の静かな調べ。

 瞬時。

 狂気に陥る戦士が、一瞬にして目標との間に割り込んだ漆黒の英雄(ダークウォリアー)と両手で組合い、僅かにモモンの上体を仰け反らせようとしている。両者の拮抗状態は、そう長くは続きそうになかった。

 その背後。

 

「お鎮まり下さい」

 

 モモンの従者である黒髪の童女が、状態異常治癒効果が付与されていたらしい治癒薬の蓋を開け、ウルヴの頭部から全身に浴びせかけていた。狂戦士を羽交い絞めにするような格好で行われたそれは、幼い子供の腕力脚力とは思えない、一瞬の手並み。いくら同じチームを組んでいる壮年と童女とはいえ、その連携は見事と言ってよい。カワウソが驚嘆するほどの速度や力量ではなかったが、事態を静観するに任せていたハラルドたち護衛役は、呆然と感心の吐息をこぼしてしまう。

 見る内に、ウルヴの「狂気」は鎮静化され、巨躯の男は平静を取り戻していく。

 狂戦士のエフェクトも、もはや完全に消滅した。

 

「ありがとう、ございます……お二人とも」

 

 深く息をついて、ヘズナの狂戦士はその場の全員に詫びる。

 

「すいません。ですが、カワウソさんなどの御三方には、しっかりと、認識しておいてもらった方が良いと思いまして」

「いや……」

 

 呟くカワウソは、逆に感謝すら覚えた。

 この世界の狂戦士というものを、生の目で確認できる機会に恵まれたのだ。

 

 これが、狂戦士(バーサーカー)

 この世界に存在する、本物の狂戦士。

 

「それでは、改めて。協議を、続けましょう」

 

 完全に平常の相を取り戻したウルヴに促され、全員が再び卓を囲み、ソファに身体を預ける。

 

「あの……ひとつ、いいか?」

「なんでしょう、カワウソさん?」

 

 気安く応じる族長に、カワウソは簡潔な問いかけを敢行する。

 

「ヘズナ家の族長が、ウルヴ・ヘズナが狂戦士(バーサーカー)っていう情報は、どれほどの人が知っているんだ?」

 

 何故そんなことを聞くのか不思議そうに、男は笑みを浮かべる。

 

「おそらく、現存する飛竜騎兵の全員が知っておりますね」

 

 あっけなく言われた内容に、カワウソは疑念を深めるが、口にはのぼらせない。

 一回うなずいて、あとは協議に耳を傾ける作業に戻るままだった。

 カワウソは、協議されるヴェルの暴走について考えると同時に、ある疑惑が浮かんでいたのだ。

 

 昨夜の会話で得た情報。

 

『100年をかけて、飛竜騎兵の中で、狂戦士(バーサーカー)に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減されていった』

 

 ハラルドやヴェルたちとの話で聞いていた、狂戦士に関する脳内のメモ。

 

『だから、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない』

 

 疑問。

 ウルヴ・ヘズナは、狂戦士として認知されているという事実に対し、

 何故、ヴェル・セークは狂戦士としてあまり認知されていないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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