オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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/Wyvern Rider …vol.2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず、こんなもんか?」

 

 街道を外れた草原の真ん中。その中で大きく開けた場所で──かつては誰かが野営地にでもしていたのか、かまどのような石組みがあったそこで、カワウソたちは火を起こした。本物のアウトドアなんて当然初めてのカワウソであるが、果たして、これがアウトドアというものなのか、疑問を(いだ)く。

 火を(おこ)すと言っても、中世のような火打石で着火、ということはない。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の一人が従える、火のような紋様を顔面から首にまで描く飛竜(ワイバーン)が吐き出した火で、カワウソの野営用アイテムである一本の丸太──無限の薪材(エンドレス・ファイアウッド)を燃やしている。このアイテムを燃やす時は、それ専用の道具・火蜥蜴(サラマンダー)(じるし)燐棒(マッチ)(ひと箱50本)を使うものだったのだが、薪は問題なく燃焼してくれている。

 カワウソの認識としては、火属性を扱う飛竜の性能──〈火球(ファイヤーボール)〉などとは明らかに違う。ゲームにおいて攻撃魔法の火では、このアイテムを燃やすことはできないはずだから。というか、火を吹く飛竜自体が珍しい──に驚いてしまったのだが、それよりも飛竜騎兵の方こそが、驚愕と驚嘆の連続のようだった。

 

「ねぇ、もしかして、今の」

「ええ。なにもないところから道具を出したわ」

「さっきも、剣を突然、出してた、よね?」

「空間、魔法……とか?」

「族長と同じで、魔法の荷袋でも使ってるのかしら?」

「てか、あの薪。なんだアレ。たった一本で、普通あんなに燃え上がるか?」

「ふむ。油でも塗ってるわけでは……なさそうですがね?」

 

 現地人の彼女ら彼らには、カワウソが取り出し見せたすべては非常に珍しいアイテムだったようで目をキラキラさせていだが、これはユグドラシルだと割とポピュラーなキャンプ道具(PKの的になるが、火を使う料理などでは必須になる調理器具の一種)でしかない。アイテムボックスというものも、彼らの常識的には理解不能な代物なようだ。……いや、カワウソ自身も、どうしてアイテムボックスが普通に使えるのか、一応不思議ではあるのだが。考えてもしようがない。

 さらにカワウソは、無限の水差し(エンドレス・ウォーターピッチャー)を取り出して、ここにいる人数分のコップ──合計12個も供出する。この水差し(アイテム)は小さな見た目に反して、かなり大量の“水”を保持し、「渇き」などの状態異常を回復させることを可能にするアイテムで、ゲームではよく自分用や生け捕りにしたモンスターに使っていた品だ。ここにいる人数分を遥かに超過する量であることは、ヴェルの相棒であるラベンダの前に出された盆に張られた水量を見れば、いやでもわかるだろう。連中はさらに目を丸くしてしまった。

 最初こそコップ入りの水を警戒……毒や睡眠薬でも入ってないか不安視する者らが大多数だったが、カワウソとヴェル、それにマルコが並べ置かれたコップの中から無造作に選んだ水を飲み干し、それを見ていたハラルド──隊長たる男が先頭に立って、ガラスコップの中身を一気に干した。

 

「せっかく、厚意によって提供されたものを、無下にするのは恥ずべきことです」

 

 そう言う青紫の長髪に二つの赤いメッシュを刻んだ青年の態度は、実に堂々としていて、割と好印象なのだが、逆にそれが危うい気もする。毒無効のアイテムでも装備しているのなら話は別だが。

 隊長たる者に追随するように、三人の飛竜騎兵もコップの中身を呷り出した。警戒心の強い半分は、(がん)として水を飲もうとはしなかったが、カワウソは別に気にしない。構わずおかわりを自分のコップに注いで、飲み干すだけだ。当然、毒なんて何も入っていないし。水を飲んで落ち着くというのは、人としてはなんてことない生理現象のひとつである。……堕天使で“(ひと)”というのはアレな気もするが。

 ここまでのことを(かんが)みるに、飛竜騎兵というのは、あまり魔法のアイテムに明るくない連中なのだなと思考したところで、先ほどの会話を思い起こす。

 確か『我等セークの汚名』が、うんぬん。

 ひょっとすると、彼ら飛竜騎兵の部族というのは、魔導国ではそんなに良好な立ち位置にはないのかもしれない。ヘズナ家とやらとの確執、というのも気にかかる。

 原因は何だろう。

 力がないから? 学がないから? 先祖代々の因果から? 汚名というからには、何らかの罪を働いたというのがありそうなところだろう……反乱か、暴動か──テロだったりしたなら、カワウソ個人としてはちょっと洒落(しゃれ)にならない。

 とりあえず、簡素な会談の場が整い、カワウソたちと飛竜騎兵の討伐部隊は、共に大地の上に腰を落ち着ける。

 

「あらためて名乗りましょう」

 

 カワウソ、ミカ、ヴェル……三人に対して、飛竜騎兵の男女八人が、焚き火を境界とするように相対する。ちなみに、マルコは再び傷を負ってしまっていたラベンダの治療に引き続きあたっており席を外していた。

 そんな中で、八人の騎兵を統括する立場にある青年が、堂々と名乗りをあげる。

 

「私の名は、ハラルド・ホール」

 

 セーク族の一番騎兵隊隊長の座を預かる青年は、驚くべきことに「歳は“19”だ」と宣言する。

 もう少し上の年齢……いや正直、二十代後半か三十代前半と思っていたカワウソは無言で驚嘆しながら、青年──じゃなくて少年か──の言葉を聞き続ける。

 ハラルド少年の説明を簡潔にまとめると、自分たちは “族長”からの命令によって、セーク族を率いる長の妹……ヴェル・セークを発見討伐すべく派遣されたとのこと。

 それを聞いたカワウソは、とりあえず振り返って、疑問を口にする。

 

「セーク族の、(おさ)の……妹?」

「…………はい」

 

 振り返った先で、ヴェルが頷く。

 ヴェルには確か……魔法に詳しいらしい姉がいるという話を、森で聞いた気が。

 それがよもや、飛竜騎兵の一部族を治める族長であったとは。

 少女の沈鬱な表情は実に痛々しいが、それに構ってやる暇も余裕もない。

 カワウソは再確認するしかなかった。

 

「えと、おまえらは、その族長……つまり、あれか……ヴェルの、その、……“姉”の命令で?」

「そうです」

 

 ハラルドは肯定する。

 カワウソは絶句した。

 隣に座る少女は、部族の長から、自分の家族から、血を分けた実の姉から、抹殺されようとしていたという事実。

 堕天使となったカワウソは、その事を理解し納得することに抵抗がなかった。考えてみれば、ヴェルは式典の演習とやらを邪魔した咎で追跡を受け、逃げ出し、あろうことかカワウソと出会ったことで、追跡部隊を全滅させてしまった罪状がある。いくら場当たり的に、やむを得ない事情や心情が重なった結果とはいえ、国家に反旗を翻したと判じられても仕方のない蛮行であったのだろう。堕天使はいっそ冷淡なほど、彼女の身に降りかかった災難……身内である姉や幼馴染ら、部族の者らに抹殺されようとしていた現実(いま)を理解した。

 しかし、

 それでも、

 ひとりのユグドラシルプレイヤー……(ひと)としての常識や良心が、その酷薄な物語に対応しきれなくなったのも事実だ。

 

「それは、いくら何でも……」

 

 (ひど)くないかと続ける前に、ハラルドの表情を見て、言葉に詰まる。

 青年──少年は、心底から、嘆きと悲しみに彩られた相を隠していると、つぶさに見て取ることができたからだ。必死に隠そうとしているが、こう真正面から冷静に眺めると、なんとなくわかる。

 そして、彼の仲間たちも──真実、ヴェルを誅戮(ちゅうりく)することを、受容できているわけではないらしい。

 しかし、断じてやらねばならなかった。

 それがヴェルの姉の、セーク族の族長の、そして何より、大陸全土を統べる者の、魔導国の王への忠臣であるならば。

 戦士として。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)として。

 部族を代表する者らの責務として。

 否も応もなく、ハラルドは自分たちの任務を、使命を、完遂する意気を見せつける。

 

「この際、貴公らの出自や所属は問いません」

 

 表情と同様、巧みに隠された感情とは裏腹なほど残酷に響く声音で、少年は告げる。

 

「ヴェルを……ヴェル・セークを、こちらに引き渡していただきたい」

 

 それですべてがおさまると、ハラルドは宣した。

 カワウソは、考える。

 考えて、考えて……

 そして、言った。

 

「はい、そうですか……なんて俺が言うと思うか?」

 

 ほぼ全員──部下であるミカ以外の誰もが、息を呑む。

 そんな反応に対し、堕天使は呆れたように肩を竦めてしまう。

 

「冗談じゃあない。ここまでヒトを巻き込んでおいて、あとは知らぬ存ぜぬを決め込めと?」

 

 挑むような口調になってしまう。

 だが、どうしても、カワウソは納得がいかなかった。

 

「貴公には関係のないことです。とても納得し難いことは重々承知。ですが、どうか、このまま引き下がって」

「引き下がれる状況だと? ──族長とやらの命令を邪魔した時点で、一蓮托生だ。というか、ヴェル・セークを助けた俺を放置するのは、それはそれで問題じゃないのか?」

「……では、何故ヴェルを助けたのです?」

 

 ハラルドの問いが、それまで軽快だったカワウソの口舌(こうぜつ)を封じ、堕天使の臓腑に重く響いた。返答に詰まりかける。

 しかし、

 

「『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』だからですよ」

 

 応えた声は、カワウソのものではない。

 見上げると、飛竜の傷を塞ぎ終えた男装の修道女、マルコ・チャンが、会談の場に加わるべく歩み寄っていた。

 カワウソは(たず)ねる。

 

「ラベンダの容体は?」

「毒を抜いて、傷もやっと塞ぐことができました」

 

 魔法都市で買っておいた飛竜用ポーションは最高品質を謳う品であるが、毒や麻痺などの状態異常を全快させる効力はなかった。それをせずに治療をしては、内部に残留する毒物によって継続追加ダメージが発生する。治療は難しかったが、カワウソたちのおかげで毒抜きの治癒に専念できたのが大きいと、マルコは誇らしげに宣言する。

 会談の地に腰掛ける謎の修道女に対し、ハラルドは冷たい視線で問い質す。

 

「失礼ながら、貴女(あなた)は、一体?」

 

 ヴェルと共に飛竜に騎乗し、あまつさえハラルドたち飛竜騎兵の誇る投鎗を、手袋に包まれた“拳”で弾いていた乙女は、静かに答えを紡ぎ出す。

 

「私は、ただの“放浪者”です」

 

 微笑みながらマルコは胸元に隠していたネックレス……その先端にある小さな水晶をさらして示す。街道に立っていた死の騎士(デス・ナイト)に示したものか。

 納得したように、あるいは夢見るように、頷きを返した飛竜騎兵たち。

 乙女の手元で左右に振れる水晶の様を見たカワウソは、何かを思い出しそうになるが、判然としない。大したことでもなさそうなので、あまり気にしないことにする。

 

「今度は、こちらから質問を──あなた達は、王陛下にあだなした者を誅すべく、族長の命令を受けて、ということを言っていましたね?」

「…………それが、何か?」

「それは、魔導王陛下の裁可の下に、行われた命令なのでしょうか?」

 

 怪訝(けげん)そうにハラルドは眉根を寄せる。

 

「いや、……そのはずですが」

「であれば、陛下からのお達しを明文化された“代理執行許可状”は? あるいは、“勅令状(ちょくれいじょう)”をお持ちではないのでしょうか?」

 

 少年の眉根がさらなる困惑に歪む。

 マルコの口調は、清流のように滞りなく一行の耳に注がれたが、ハラルドは困惑の渦に巻き込まれ、その後ろの騎兵たちも、誰一人としてそんなものは持ち合わせていなかったようだ。

 はじめてそんなものがあることを知ったような表情で、彼らは首を横に振る。

 

「だとしたら。あなた方がいくら同輩の徒であるとはいえ、ヴェル・セークさんを誅することは許されないはずです。この大陸の臣民、その命の裁量権は至高なる御身ただ御一人のもの。王陛下からの命を受けているわけではない以上、誰であろうと武力でもって他人を害することは許されない。陛下からの許しを、命令を受諾したという証拠を提示できなければ、ヴェル・セークさんを引き渡すことは拒否させていただきます」

 

 微笑みを深めつつも、マルコは厳格に言ってのけた。

 カワウソは思わず目を丸くして、優しくも厳しい物言いを披露した女性を見つめる。

 自分がいた現実世界でも、警察が人の身柄を拘束したり家宅捜索をしたりするのにも、裁判所から発行される“逮捕令状”や“捜査令状”が必要だったはず(現行犯でなければ)。王政を敷いているはずの国の中で、そういった明文の重要性──令状の必要体制が確立されていることに驚いてしまった。王の命令は絶対としても、それを笠に着た私掠(しりゃく)弑逆(しいぎゃく)は認めない法制度が樹立されているとすれば…………アインズ・ウール・ゴウン魔導王は「王政支配を建前にした“法治国家”の概念」を築いていることを意味する。魔法都市の暮らしぶりを省みても、とても暴君によって治められた恐怖政治な様相がなかったのも、そこに根があるのかもしれなかった。

 カワウソは思う。ひょっとすると、魔導王というのは、大陸を統一する象徴的な存在に過ぎないのか。

 マルコは続ける。

 

「あまつさえ。あの時、都市にてあなた方に襲われる直前、ヴェルさんは自ら率先して、都市にあるアンデッドの衛兵駐屯地に「出頭」しようとしたところでした。そこへ現れ、問答無用に危害を加えんとしたあなた(がた)は、むしろ彼女を“妨害”してしまったことにもなりかねません。いきなり戦闘になってしまってお話を聞いていただけませんでしたが──むしろ私は、あなた(がた)の方にこそ、今回の出陣は早計……“非がある”と申し渡してしまうより他にありません」

「そ、それは……」

 

 魔導国の内実、法体系などに(うと)いらしいハラルドや騎兵たちは、どうしたことかと互いを見やった。王に敵対する同族を討伐せんとする自分たちが、まさか罪を犯していたなどとは露ほども思っていなかったのだ。その狼狽(ろうばい)は推して知るべきもの。

 

「無論、放浪者である私には、それを殊更に主張して、あなた方を拘束・処断する権利はありません。なので──」

 

 混乱し混沌とする飛竜騎兵たちを、マルコはやはり優し気な調べを唇に宿して、そして促す。

 

「話していただきたいのです。

 ヴェルさんの身に何があって、あなた方の身に──何が起こったのか」

 

 救われたように緊張を解く騎兵たち。

 カワウソもまた、ようやく話ができそうな事態に推移したことに安堵しかけて、

 

「それを知るために、こちらにいるカワウソ様が、私たちを助けて下さったのです……よね♪」

 

 陽気に同意を求められる。

 おかげでカワウソは、咄嗟に「あ……ああ」と無様に呻くことしか、できなかった。

 その背後。天使(ミカ)の方から少しだけ声が漏れたのは、何かの聞き間違いだったのだろうか。振り返ってみるが、相も変らぬ女天使の無表情に睨まれて終わる。

 

「──では、順を追って話しましょう」

 

 飛竜騎兵部隊の部隊長は、仲間たちと二言三言なにかを話し込んだ後、そう進言してくれた。

 

 彼の語るところによると。

 ハラルド・ホールは、ヴェルが暴走したという式典の演習に、参加していた。というか、ここにいる全員が、今回の式典に参列を許された飛竜騎兵の、ほとんどすべてだという話だった。──だからこそ。彼らは目の前にいながら、ヴェルの暴走を抑止できなかった罪状を貼られ、その恥罪を自らの手で(そそ)ぐべく、派遣された向きもあったらしい。少なくとも、彼らはそう認識せざるを得なかったようだ。

 式典における航空兵力展示──飛竜騎兵の隊列の、さらに“前の位置”を任せられる栄誉を授けられたヴェルは、演習が始まって間もなく墜落の軌跡を描き、おまけに墜ちた先にいた骸骨の戦士団に恐慌したかのごとく暴れまわった(・・・・・・)。飛竜騎兵をはじめとする騎乗兵(ライダー)系統の職種は、己の乗騎を自らと共に強化する特殊技術(スキル)を持っている反面、己の状態異常を乗騎となるモンスターと共有するデメリットがある(逆に騎乗モンスターの状態異常は、騎乗者へはフィードバックされない。騎乗モンスターは騎乗兵の“装備物”も同然なゲームシステムがあった)。それによって、相棒のラベンダ共々暴れまわるヴェルは、墜落地でちょうど待機していた骸骨(スケルトン)の戦士団を半壊させてしまい……現在に至るというのだ。

 

「私どもが迂闊(うかつ)でした。もっと早く、彼女(ヴェル)の異変に気付いていれば、此度の事件は未然に防げたやもしれない」

 

 沈痛な響きを滲ませるハラルドに、カワウソは根本的な要素を問い質す。

 

「そもそも……どうしてヴェルが、その、暴走? なんてしたんだ?」

 

 演習にてヴェルが暴走したらしいことは、記憶があいまいな少女の供述とも合致しているが、やはり()せない。

 いくらアンデッドが苦手だという少女でも、アンデッドに怯えたが故に墜落して、演習をメチャメチャにしたというのはないと思われた。ヴェルの恐慌が「恐怖」系統の状態異常だとすれば、むしろヴェルは行動能力に制限が課せられ、動きは鈍くなるのが道理なはず──少なくとも、ユグドラシルでは「恐怖」の状態異常は、あらゆる動作に対してペナルティが生じるもので、これが「恐慌」に重症化すると恐怖対象からの全力逃走、戦線離脱、戦闘行為の完全停止を余儀なくされた。ゲームシステムとは違う“現実”ならではの事象か。あるいは何らかの外的要因か。そこは判然としない。

 ハラルドの解答、説明が続く。

 

「ヴェルは、セーク族の中でも最高の騎乗兵(ライダー)であると同時に、ひとつの暴走要因を身に(いだ)く存在です」

「暴走、要因?」

「ええ。それ故に、彼女は強い。だからこそ、我等は彼女を仕留めるつもりで──“抹殺する”つもりでかからねばならなかった。我等だけの戦力では、殺しでもしなければ、彼女を(ぎょ)することは難しい」

「ちょ、ちょっと待て……ヴェルが、強い?」

 

 カワウソの疑問に、ハラルドの応答がすぐさま返される。

 

「ああ、御存じないのも当然でしょうが……ヴェルは、彼女は、セーク族において現存する、唯一の“狂戦士(バーサーカー)”なのです」

「…………バー、サー、カー?」

 

 言われたことが事実なのかどうか、カワウソは大いに戸惑った。

 

「本当に?」

「……はい」

 

 相変わらず肩身の狭い思いを懐いているような少女を見ても、僅かに頷くだけに終わってしまう。

 カワウソは問う。問わずにはいられない。

 

「え、ちょ……だとすると暴走、って……おい……まさか」

「彼女は演習中に、あろうことか“狂戦士化”したのです」

 

 カワウソは頭の中でナルホドと納得してしまう。

 

 狂戦士(バーサーカー)とは、ユグドラシルでも割と有名な戦士系職業(クラス)で、読んで字のごとく“狂ったように戦う士”を表す存在。戦闘時──主に特殊技術(スキル)発動中──には常に「狂気」「混乱」の状態異常に苛まれ、爆発的なステータス上昇の効果と引き換えに、防御性能に関してはかなり不安な特性を持つ職業だ。「狂気(バーサク)」の状態異常(バッドステータス)が原則必須(状態異常を回復させたら一挙に弱体化)というデメリットから、有名ではあったがそこまで人気の職業ではない。実を言うと狂戦士化状態のプレイヤーは、半ば自分のゲームアバターと意識が乖離して、冷静な戦況対応や戦局判断に欠けるほど勝手にアバターが“暴走”するため、DMMO-RPGの体感としては、あまり気分がよくないものらしい。しかも、外部から回復されない限り、それが永続してしまうという面倒くささだ。それでも、戦士職の中で攻撃などに超特化したビルドを組もうとすれば、必要不可欠とまで評されるほどに有名であり、同時に稀少な職種であったのも事実だ。

 狂戦士のゲームでの取得条件は、確か……狂戦士は強力な竜の血を大量に浴びたとかいう伝承から、上級のドラゴンを狩って、ドロップした血や肉を大量に入手し、転職アイテムとして使用する……だったか。この取得条件に近いものだと、竜滅士(ドラゴンスレイヤー)なども強力な竜系モンスターである魔竜とか邪竜とかを数多く倒した経験──ポイントゲットがないと獲得できないはず。

 拠点NPC製作用の課金ガチャでもあまり引けないレア職業で、実際カワウソの拠点NPCで取得しているのはタイシャだけだ。

 だが、納得と同時に、さらなる疑問が湧き起こる。

 それほどの希少(レア)を、目の前のこの()──ヴェル・セークという可憐な少女が取得しているとは思えなかった。

 しかし、ヴェルはカワウソの疑念を当然と受け止め、きっぱりと告げる。

 

「私は、今代のセーク族で唯一、狂戦士(バーサーカー)の資質を備えた飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)なんです」

 

 カワウソが知りようのない飛竜騎兵の中での“狂戦士”について、ヴェルは語る。

 

 

 

 かつて飛竜騎兵の九つあった部族……セーク族のように“速度”に特化した者、ヘズナ族のように“防御”に特化した者、他には魔法技術やアイテム、毒物や錬金などに長じた者などに分岐する……には、ごく稀に、「狂戦士」としての力を有する“適性者”が現れ、一族の中でも厚遇されてきた歴史を持つという。

 しかし、今から100年前、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導国が台頭し、周辺諸国を併呑属国化していく波にのまれる形で、飛竜騎兵の九つの部族が先住し続けた地帯も、あの魔導王の支配下に加えられる運びとなった。

 当初は三つの部族が従属を拒否し、徹底抗戦を掲げたが、戦いは一日も経たずに終結。魔導王の力の前に、戦いを望んだ三つの部族は、それぞれが守護してきた領地ごと、滅ぼされてしまったという。

 以降、残った六部族の中で最も理知に富み、二大勢力と讃えられていたセーク部族とヘズナ部族が魔導国への従属と、魔導王への臣従を誓ったことで、残る飛竜騎兵たちは安寧を得ることを許された。

 そうして、飛竜騎兵たちの中でそれまで神聖視されていた「狂戦士」は、半ば“お役御免”となり、以降は他の職にありつくもの──冒険者や研究者、芸能者や魔法詠唱者などの職種を獲得・併用する個体が重宝される運びへと至っている。

 

 

 

 そして100年をかけて、飛竜騎兵の中で、狂戦士(バーサーカー)に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減されていったという。だから、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない。

 しかし、この異世界でも類稀な狂戦士の強さ(レベル)を保持している事実は変わらない。

 さらに言えば、ヴェルの騎乗能力──飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)としての実力は、セーク族の中でも一二を争う位階にあると、ハラルドは補足する。

 

「故に、今回の式典招集に選抜されるメンバーに、彼女が加わることは、完全に必然でした。最前の位置を単独で任せられたことからも、それは明らかです。……それがよもや、あのような事態を招くことになろうとは」

「ごめん、ハラルド。私、本当に、何も覚えてなくて──その」

「覚えていないで済まされる問題ではない!」

 

 再び言い合う形になる二人を眺めつつ、カワウソはひとつの見解を懐きつつあった。

 狂戦士(バーサーカー)特殊技術(スキル)発動による暴走──狂戦士化。

 それが、ヴェルという少女を演習中の事故を誘発した起爆剤なのだと納得する。

 それでも同時に、まだ理解できないことが幾つもある。

 ヴェルは自らが“狂戦士”──の適性者──と認知しているが、彼女らは狂戦士の特殊技術(スキル)や特性を熟知していない様子。ゲームと同じシステムだと仮定するならば、高レベルの狂戦士はスキルの発動そのものには、ある程度の操作性があったはず(狂戦士は普段から「狂気」に陥るのではなく、スキルを使うことで「狂気」を発動……発症する仕様)だし、低レベル帯の発動条件は自己残余体力(HP)警戒域(イエロー)危険域(レッド)に達した際か、あるいは付与された状態異常の数に応じた自動発動(オート)方式だ。実際、拠点NPCのタイシャがそんな感じだったはずなのだが、聞いている感じ、ヴェルは自分の意思で狂乱したわけではないし、生命活動に不安があった感じでもない。

 

 ならば、どうやって狂戦士化したというのか?

 

 本当にヴェル・セークは狂戦士(バーサーカー)なのか? 本当だとすれば、ゲームとは違う狂戦士の“職業(クラス)獲得”や“特殊技術(スキル)発動”のシステムが? 外から「狂気」の状態異常を付与されたとか? だが、そんなことをする意味があるのか? 第一、そんな条件で狂戦士化できるものなのか? 仮に可能だとしたら、誰がそんなことをする必要が? 魔導国の式典の、その演習を妨害したい誰かがいたと?

 解せないことは多すぎる。

 が、ハラルドたちの証言を疑うことはできないし、すべきでもない。

 同時に、ヴェルの言動もまた疑義には値しない。

 

「だ、だって! ほ、本当に覚えていないんだもん! こっちだって何が何だかわからなくて!」

「だから! そういう問題ではないと、何度も言って」

「待て待て、落ち着けって」

 

 カワウソは議論が白熱する……というよりも額が衝突しそうな剣幕を帯びるヴェルたちの間に割って入る。

 当然のごとく、ここでは少女の方に肩入れするしかない。

 

「ヴェルは、その、こんなに幼いんだぞ? ホラ、あれだ。少年法──は、ないかもしれんが、少しくらい情状酌量とか、そういう余地はないのか?」

「──は?」

「え……?」

 

 少年法や情状酌量という単語が異世界では奇妙な単語に聞こえた──わけでは、なかったようだ。

 

「貴公、あの…………ヴェルが幼い、とは?」

「いや、だって見た感じ14歳くらいだろ?」

「え?」

「え?」

「……え?」

 

 ヴェル、ハラルド、カワウソの三人は顔を見合わせる。

 堕天使は首を傾げる。

 もしかして16、いや17くらいだったかと見積もりを上方修正するカワウソに、ハラルドは困惑そのものという口調で、事実を告げる。

 

「あの、彼女は私と同い歳の、幼馴染(おさななじみ)、なのですが」

「…………は?」

 

 首をグルンと横にいる少女に振り向ける。

 

「あ。えと私、20歳(はたち)です」

「────はたちぃ!? はぁ?!」

 

 思い切り叫んでしまった。

 カワウソの腰より高いくらいの背丈しかない、肝心なことを教えていなかったことに気づいて照れ笑う少女のようにしか見えない人物が、目の前のたくましい若者と同年齢くらいだとは思えず、素っ頓狂な声をあげてしまう。

 20歳の成人女性であれば、なるほど、彼女の胸に実る発育した果実のごとき様も納得はいくが──こんなちっさい背丈で、20って。成人て。

 周囲にいた飛竜騎兵の少女ら(もしかしたら、少女然とした彼女たちも成人女性の疑いが濃厚だ)から、嘆息めいた忍び笑いが漏れてしまうが、無理もない。青年と老騎兵も肩を竦め苦笑ぎみだ。振り返れば、マルコまでも笑みをこぼして吹き出し、ミカも呆れ果てたようにそっぽを向いて、その表情を見せようとしない。肩が揺れているのは、主人(カワウソ)の体たらくぶりに怒り心頭という感じだろうか。

 これは完全に、カワウソの誤認……認識の甘さと確認を怠ったが故に生じた失態でしかなかった。

 

「と……とりあえず、整理、させてくれ」

 

 羞恥に顔を真っ赤に茹でられるカワウソは、呆れ顔で頷く二人に、問いを投げる。

 ユグドラシルでは30レベル後半が必須なはずの飛竜(ワイバーン)に乗れているのに、低レベルに過ぎる騎兵たちのことを、(たず)ねる。

 

「そもそも、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)って何なんだ?」

 

 根本的過ぎる問いであったが、彼らは一様にカワウソの疑問を解く姿勢を見せる。

 もしかすると、飛竜騎兵というのは、魔導国内でも認知度は高くない存在なのかもしれない。だからだろう。カワウソの疑問はもっともな質疑だと思われたらしく、ハラルドは深く逡巡することなく応答する。

 

「ええと、そうですね────我等飛竜騎兵(ワイバーンライダー)は、幼少より飛竜と(たわむ)れ、死した飛竜の血肉を(かて)として、生きる文化を持っております。己の相棒に“選定される”儀式を行い、その相棒と苦楽を共にし、さらには死した飛竜を食すことで、彼らの同胞(はらから)と認められ、彼等飛竜と共に戦いに身を投じることを可能にした一族が、我等飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の部族なのです」

 

 言って、ハラルドは自分の相棒である(オス)の飛竜を見やった。竜の鎌首をじっと伸ばし、深い絆で繋がれた相棒に応じるように、喉を重く鳴らして応える。雌のラベンダよりも二割か三割増しという巨躯からこぼれる重低音は、なるほど飛竜騎兵の隊長騎という栄職を賜るに相応しい威がある。

 説明された内容に、カワウソはまたひとつ納得する。

 そういえば確か、ヴェルも魔法都市の食堂で「死んだ飛竜を喰う」と話していた。

 しかし、飛竜は竜系モンスターの中では弱い類に位置する。カワウソの知る狂戦士の職業獲得条件には符合しない存在だ。だが、その血肉を子々孫々、脈々と受け継ぎ食す者たちでなければ、なるほど「大量の竜の血肉」が必要な“狂戦士”が生まれると、そういうわけか。少なくともシステム的な代償現象があるのかもしれない。ヴェルが狂戦士の適性をもっているというのは、そういう文化体系──竜を一族ぐるみで食べる風習が関連していたと考えると、一応辻褄(つじつま)は合うのかも。

 

「飛竜騎兵の、おまえらの部族の住んでいる場所というのは?」

「それも御存じなかったですか? ──そうですね、ここからおよそ北東にあるバハルス領域、その辺境にある奇岩地帯です」

 

 先祖代々、その地で飛竜と共に生きていた飛竜騎兵たち。

 その暮らしぶりはいかなるものか、カワウソの好奇心が刺激される。

 

「じゃあ、最後の質問──」

 

 カワウソは、確認しておくべきことを、口にする。

 

「おまえらは、本当に──殺す気なのか? こいつを?」

 

 ヴェル・セークを。

 言われた言葉に対して、ハラルドが怯んだのは、僅かに一瞬。

 

「──我等ごとき三等臣民に、選択の余地はありません……王陛下の式典演習を阻害し、あまつさえアンデッドの兵団を半壊させた罪は、限りなく重い。……彼女は処断されねばなりません。一刻も早く」

 

 視線から圧を受けた。血を吐くような述懐だった。法的には何の令状も持たないことに抵抗が生まれているかと期待したが、それは無駄だった。

 少年のこめかみに、筋が幾つも走っている。都市上空で見せたのと同じ表情であるが、そこに別の感情が今は透けて見えるようだった。処断対象に見られている少女──幼馴染のヴェルを前にして告げるには、あまりにも酷薄な決定なのだろうから、これは人として当然な反応とも思える。

 だからこそ。

 カワウソは決めるしかない。決めなければならない。

 ヴェルを引き続き、守るのか──ハラルドたちに少女を引き渡し、見捨てるのか。

 

「お願いします。我らの使命を、果たさせていただきたい!」

 

 少年がついに頭を下げた。大地に額をこすりつけそうな勢いでの懇願は、すぐさま彼の率いる飛竜騎兵部隊員にまで及ぶ。

 

「カワウソさん、私──」

 

 声に振り返ると、ヴェルはとても穏やか表情で見つめていた。

 自分は「もう覚悟はできている」とでも言いたげに。

 カワウソは、全員に応えようとした──その時、

 

 

 

「その必要はなくなりました。一番騎兵隊隊長、ハラルド・ホール」

 

 

 

 降って湧くような、清澄な響き。

 雪のように冷たい声音が、耳に溶ける。

 同時に、豪風が草原に波紋を描き、堕天使は腰をあげて身構える。

 ミカが警戒心に剣を抜き払って主人(カワウソ)の前に立ってみせた。

 ハラルドたちが一斉に、膝をついて迎え入れる。

 誰もが夜の星を眺めるように、空を仰ぐ。

 

「ぞ、族長っ!」

「お姉ちゃん!」

 

 ヴェルが快哉とも悲嘆ともつかない声で呼んだ姿は、やはり飛竜騎兵(ワイバーンライダー)だ。

 カワウソは目を細める。

 現れた女性と飛竜は、とんでもなく美しかった。

 スラリと伸びた身長はモデルのようにまっすぐで、眉目も麗雅に縁どられており、どうみても二十代前半にしか見えない。ヴェルよりも濃い紫の髪は、男性的に短く整えられておりながらも、その豊満な肉付きの良い肢体は、ヴェルのそれを遥かに上回る女性美の完成形だ。身に帯びる鎧は簡素で、武骨というイメージからは程遠い。妹や女騎兵らと同様に胸の南半球などを露出する肌面積はかなりの量になるが、鎧と同色の銀の毛皮で襟元や両肩を飾られた様というのは、他の飛竜騎兵らには絶対にない意匠だ。それがとんでもなく艶っぽい。少女な体躯のヴェルが大人になったら、間違いなくこんな感じになるだろう。満天に輝く星空を背にした女傑のシルエットが、翠碧の竜に跨り、皮膜の翼を羽搏(はばた)かせながら、夜を降りてくる。

 

「お姉ちゃ……ん」

 

 ヴェルが立ち上がり駆け寄ろうとして、止まった。

 少女の姉という族長は、(ヴェル)を一顧だにせず、白金のマントを翻し、鞍から降りる。膝上まで覆う白い足甲を大地に打ちつけ、彼女は腰に帯びた革袋から、巻かれた書状を取り出し広げた。

 

「こちらは、魔導王陛下からの勅令状──代理執行許可状になります」

 

 広げられた紙──現実世界と同じ、真っ白なA4用紙に、紅玉色に煌く魔導国の印璽(ギルドサイン)が飾られ、流暢に筆記された魔導国の王のサインが一番目立つ右下の部分を占拠している。

 妹のことをまったく無視して、銀鎧の女傑はほぼ同じ背丈のマルコと、その横に位置するカワウソとミカに相対する。

 

「彼らは、私の指揮下において働いていた者たちです。私は別命があって隊を離れており、彼らにこの書状を託すことができないでおりました。すべて、こちらの不手際です。申し訳ありません」

 

 謝辞を紡ぐ声は、ある意味において最後通告のような絶望をヴェルに与えた。罪悪とは程遠い鋼の声は、聞く者の耳を叩くかのよう。

 マルコが文面を几帳面に読み上げる。書状に記されているのは、『飛竜騎兵、ヴェル・セーク(及びラベンダ)の討伐許可』という内容が、難しい文言で記されている。魔法の印璽が、心拍のように明滅していた。それが、この書状が嘘偽りない、王命を遂行するのに必須な勅命を文書化したものであることの証であるらしい。

 マルコが頷くと同時に、書状は宝石を扱うがごとく丁寧な手つきで、族長の腰元へと納め直された。

 

「ハラルド隊長、一番隊の皆、苦労をかけました」

 

 女族長はやはりというべきか、事態に困惑してしまった部下たちの方を、まず(ねぎら)う。

 労われた騎兵たちと飛竜たちは尊敬の意のままに首を垂れ続けている。両者の間の上下関係──信頼感が、そこから垣間見ることができた。一番騎兵隊の皆はハラルドをはじめ、自分たちの無様(ぶざま)悔悟(かいご)する言葉を吐き連ねるが、族長は手を振ってそれを制した。謝罪すべきは自分であると宣して。

 しかし、

 

「……なぁ」

 

 カワウソは自分でも厳しいと判る声音で問いかけてしまう。

 

自分の妹(ヴェル)に、一言くらい言っても良くはないか?」

 

 目の前の女性こそが、カワウソの助けた少女の「家族」だと、聞かされた。

 だというのに、「実の姉」たる女性は、先ほどからまったくと言っていいほど、小さく肩を落とす(ヴェル)を気に掛ける素振りすら見せない。

 そんな対応に、ただでさえ心細げなヴェルの表情が、極端なほど弱々しく歪められる。憐れを懐いて当然な哀しみと切なさが、彼女のこれまでの行為行動──「罪」に根があるものだと判断出来ていても、それでも肉親に対する情愛を期待するのは、悪いことではなかったはず。

 

「……失礼ながら、今は、それは許されません」

 

 だが、少女の姉はそんなことを希望するのは愚かとでも言いたげに、ヴェルの存在を無視し続ける。

 先に折れたのは族長でもカワウソでもなく、事態を見守っていた──無視され続けるヴェル本人だった。

 

「いいんです、カワウソさん……本当に」

 

 これでいいですと、少女はカワウソの腕に縋るような声で、実姉からの処遇を甘んじて受容した。

 しようがない。そう思った。

 あろうことか……魔導国の最頂点に君臨する王の式典に招集されながら、その演習中に暴走し、狂戦士化したという事実が、ヴェルという少女──女性を、退路のない袋小路に追い詰め抜いた。ヴェルは国家の反逆者という“烙印”を押され、その一族郎党までも同罪に処されかねない状況にあるとしたら──甘んじて討伐される以外の選択肢など、ない。状況のわからない暴走中に逃げ果せ、言葉の通じない追跡者に追い立てられ、ありえない者たちとの出会いを経て、ようやく考えをまとめる猶予を貰い──そして、ヴェルは己の罪を認めることができたのだ。

 処断されて当然。

 こうなってあたりまえ。

 むしろ、飛竜騎兵の部族全体に累が及ばぬための最後の措置として、ハラルドたち討伐隊が派遣されたのは、これ以上ないほどの慈悲だとも、薄紫の髪を流す乙女は思考するに至っていた。

 そんな彼女の覚悟が、堕天使たるカワウソには“不愉快”だった。

 何故不愉快だなどと思ったのか判然としないまま、つい口が滑る。

 

「勝手に終わらせるな」

 

 内面にザラつく不快な思いのまま、堕天使は弱々し気に見上げてくる彼女を、見る。

 カワウソは言った。

 ここまでくれば一蓮托生だと。

 ヴェルが処断されるというのであれば、それを(たす)(まも)った自分たちも同罪。マルコは放浪者という身分によって、酷いことにならないだろうが、あいにくカワウソたちの身分を保証するものなど存在しない。

 ならばここは──腹をくくるしか、ない。

 

「まず、あなた方に言っておかねばならないことがあります」

 

 女族長が、首をまっすぐにカワウソの方へ向けてきた。

 カワウソは剣を交える代わりに、舌鋒(ぜっぽう)でもって応じようと、少女の姉に相対する。

 制止しようと咎めるような視線をミカが送ってくるが、そんな部下をなんとか(なだ)めてさがらせた。

 ほぼ同じ目線の女傑に、決闘でも申し込むような心意気で何か言ってやろうと言葉を探していると、

 

「ありがとうございます」

「は──?」

 

 ありえない言葉を聞いた気がしたが、それは断じて事実だった。

 その証拠に。あろうことか、一部族の長たる女傑が、紫色に艶めく頭頂部を、カワウソの眼前にさらしていたのだ。新人サラリーマンに見習わせたい、見事なまでのお辞儀の姿勢で、だから、混乱する。

 これは皮肉かとも思われたが、まっすぐな声音はそれを否定している。そう理解できた。

 その姿勢は完全に、感謝以外の何物でもない意志のなせる業だということ。

 狼狽(ろうばい)してしまうカワウソに対して、ヴェルの姉は告げる。

 

「あなたたちのおかげで、我が妹ヴェルは命を繋ぐことができました」

「いや、えと」

 

 何を言っているのでしょうか。

 そう()くことができたらどれだけ楽だったろう。

 ヴェルの姉は、体裁としてはヴェルの存在を無視しつつ、それでも、彼女の身を案じていたと判る調子で続ける。

 

「ヴェルは狂戦士(バーサーカー)です。あの()が暴走するというのはおよそ初めてのことで、対応が後手に回ったのは、長にして姉にして家族にして保護者である私の不徳。ですが、あなたたちの働きによって、一度は行方知れずとなった妹らと無事に再会し、沈黙の森にて追撃部隊までをも壊滅させた狂戦士を、保護する運びと相成りましたこと──感謝にたえません」

「……保護って、ええと」

 

 アンデッドの追跡部隊を壊滅させたのはカワウソたちのはずなのだが、何か話がややこしい方にこじれそうで、何も言えない。ヴェルも何か言える立場にないので、貝のように押し黙るしかない様子。

 

「我が妹の処遇は、一旦保留です」

 

 その言葉を聞いて、光のようなものを、カワウソは脳裏に感じた。

 族長は新たな文書を──二枚目の書状を広げて、カワウソたちに見せた。これを新たに賜っていたから、彼女が“この場に遅れて現れた”ことを、語られる。

 現地語の理解のないカワウソの代わりに、マルコが内容を告げてくれた。

 

「ヴェル・セークの、暴走の原因を究明すべし──ですか」

 

 さらに。

 この命令には一枚目の令状よりも優先度が高いという文言が盛り込まれているらしく、こちらの履行具合によっては、王からの討伐命令は撤回される旨が、正確に記されているのだと。

 族長はきっぱりと頷く。

 背後に並ぶ騎兵たち──ハラルドたちが快哉に近い声をあげかけるが、すぐに押し黙る。「あくまで保留ですが」と、族長から告げられた意味を理解したから。

 場合によっては、ヴェルの命は奪われる。それゆえの「討伐許可」は下されていた。

 だが、“そうならない目”も、今はありえる。

 処断までの猶予を得られた少女は、夢を見るような調子で、やはり何も言わない。何も言えなかった。

 

「我が妹であるヴェルの暴走原因を究明するまで、彼女の討伐は遅らせた方が良いと、陛下は御判断されてくださったのです」

 

 カワウソは、心の中で拳を握りそうになった。

 なるほど、魔導国というのは思うより融通が利くのだなと思う反面、奇妙な違和を感じるが、はっきりしない。顔の表には興味の薄い表情だけを浮かべたまま、告げられた命令内容改定の報に心が浮き立つのを感じたせいか。

 ──そんな堕天使の昂揚と疑問を、横から殴りつけるような声が、ひとつ。

 

「それは、魔導王陛下──あるいはそれに準ずる方の判断でしょうか?」

 

 この場にいる中で、もっとも魔導国の事情に通底(つうてい)していそうな修道女、マルコ・チャンが、猛禽(もうきん)を思わせる鋭い視線を投げていた。

 

「はい」

 

 はっきりと頷く女族長。

 まるで王と直接対面し、玉言でも賜ったような、そんな印象をかすかにだが、感じる。

 そんな様子をじっと見つめるだけだった修道女は、一瞬にして笑みの調子を取り戻す。

 族長は朗々と告げる。

 

「ですが。その為には皆様から、詳しいお話をお聞きしたいと思い、御足労ではございますが、一度我等の領地にして郷里、セーク族の屋敷にお招きしたいのです。残念ながら此度のことは「密命」との指示も受けているので、大した歓迎は出来ないやも知れませんが」

 

 マルコや飛竜騎兵らに委細承知する空気が流れるが、むべなるかな。

 あるいは極刑もありうる状況に置かれた乙女・ヴェルの状況を、その処断までに至るまでの過程を思えば、問答無用に討伐されて当然の事態──反逆罪として、彼女のみならず、一族郎党諸共に処されることもあり得そうな状態らしい──なのだ。これが(おおやけ)になる前に、秘密裏に「原因を究明せよ」とのお達しだったのだろう。(ひるがえ)って考えてみれば、都市のニュース映像で「演習中の“事故”」としか報じられていないというのは、そういう事情を考慮してのものかと納得がいく。

 ただ、納得の裏で、奇妙な違和感を覚えたのは何故だろう。

 招待を受けたマルコが承知の意を示す。

 ミカが問いかけるように見つめてくるので、カワウソが代表するように、女族長へ頷いた。

 

「では。私、セーク族族長、ヴォル・セークの名のもとに、あなた方を歓迎いたします。失礼ながら、御三方の名を改めて()いてもよろしいでしょうか?」

 

 マルコ・チャンが己の名を心地よく宣する。

 それに続くカワウソも、ヴェルの姉──女族長ヴォル・セークに、応じる。

 

「カワウソだ。こっちは、ミカ」

「……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてカワウソたちは、飛竜騎兵の領地──故郷(ふるさと)へと案内される運びとなった。

 騎兵たちは装備を整え、相棒に携行させていた水筒水を飲ませるなどして、移動の準備を終わらせる。ヴェルも相棒のラベンダの装具を整え、マルコが念入りに飛竜の傷が開かないかどうかを確かめる。

 

 堕天使もまた、やるべきことを済ませておく必要があった。

 

 しゃがみこみ、置かれたままになっていたコップの水を使って火の後始末──無限の薪材(エンドレス・ファイアウッド)を鎮火させ、ボックスに収納しつつ、周囲に他の連中がいないことを確かめる。ミカを背後に控えさせ見張らせたまま、カワウソは「傍にいる」とミカが教えてくれるNPC──天使二体と花の動像(フラワー・ゴーレム)一体──を、静かに呼ぶ。

 

「ラファ、イズラ、ナタ」

 

 装備の効果を解く前に、三人には不可視化したままで命令を聞くよう言い含める。

 そして、(ひそ)めた声で、はっきりと告げる。

 

「予定通り、おまえたちは調査任務に行け」

「──本当に、よろしいのでしょうか?」

 

 三人を代表するように、彼らの隊長たるミカが、最後に確認の声を漏らした。

 主人たる堕天使の護衛の数を気にしているらしい女天使に、カワウソは小さな声で言ってやる。

 

「見ていた通り、この魔導国の民というのは、なかなか馬鹿にできない存在が多い。確か、武技(ブギ)とか言っていてな。そういうスキルみたいな存在や、未知のアイテム────何より、アインズ・ウール・ゴウン……魔導国の情報を、なるべく多く集めてくれ」

 

 できればユグドラシルとの相違点や共通点なども実地で検証して欲しいところだが、NPCである彼らには無理な注文だとわかる。NPCの保持する知識の量と質は未知数だが、少なくとも彼らは同士討ち(フレンドリィ・ファイア)不可などの、プレイヤーなら当然のゲーム知識は備えていなかった。

 ならば、彼らにはこの魔導国の実情を、正確に綿密に調べさせ、それをカワウソに報告させることで、ひとつずつ地道に確認し検証していくしかない。

 委細承知した三人の総意として、ラファが了承の声を紡ぐと同時に、彼らは音もなくカワウソの傍から離れた。

 うまくやってくれよと、堕天使は祈るよりほかにない。

 

「本当に、よろしいので?」

「……ああ」

 

 ミカに頷くカワウソは、内心では不安と懸念でいっぱいだった。

 このまま飛竜騎兵の領地に向かってよいものかどうか。

 本当に、この流れに乗っていいものかどうか。

 何か重大なミスを犯していないだろうか。

 自分は取り返しのつかないことに……そんな疑問が体の中心で渦巻いてならない。

 しかし、それでも、カワウソは決める。決めるしかないのだ。

 

「逃げたところで、状況は解決しない」

「大陸すべてが敵であるなら、別の大陸に逃げるというのは?」

「海を越えるか……で、その手段(あし)は誰が調達する?」

「強奪します」

「そういうのは駄目だって、言ってるだろう?」

 

 カワウソは呆れたように、笑う。

 

「そもそも、そんなことが可能だとしても、おまえらはどうなる?」

「────私、たち?」

「スレイン平野のギルド拠点を捨てて、おまえらは生きていられるのか?」

 

 ミカは口ごもる。

 今後、あの拠点が魔導国に発見接収された後、そこに残したものからカワウソたちの足取りを調べられたら? 距離無限の転移魔法〈転移門(ゲート)〉などの手段で追われたら? あの拠点を捨てたとして……拠点奥に安置し続ける、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のギルド武器を破壊されたら?

 

「あそこは、俺の拠点だ。あそこは俺の……俺の仲間たちが残してくれた、最後の財産(たから)だ」

 

 馬鹿げた感傷に浸る自分がおかしかった。

 なのに、カワウソは笑えない。

 あの拠点を捨てることは、できそうにないのだ。

 カワウソが以前いた旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)……その仲間たちの名残を残した、……未練の城。

 皆との、思い出。

 

「カワウソ殿」

 

 思わず総毛立つ。

 

「長らくお待たせしてしまい、申し訳ない」

「……いや」

 

 カワウソは深く呼吸し、ゆっくりと立ち上がった。

 思い出に浸る思考を切り上げ、背筋を伸ばす。

 今や“客人”となった者たちを輸送する準備を万端に整えた飛竜騎兵──ヴェルとラベンダも含む──を代表して、女族長ヴォルが近づいてきた。

 

「では、ご案内いたします。我等が郷里へ」

 

 飛竜騎兵の領地へ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻。

 ナザリック地下大墳墓、玉座の間にて。

 その玉座の間には、新たに増設された巨大な水晶の画面が煌々と浮かび上がり、そこにある者たちの動向を映し出していた。画面は四分割の上にさらに特大の映像をひとつ投影しており、合計五つの監視モニターによって、連中の頭目だろう堕天使と、そいつの率いるギルド拠点の出入り口を観測可能にしていた。

 ふと、玉座の間に聞き慣れた足音が。

 その五つの光景すべてを同時に注視していたアインズが、傍らに控える女悪魔と共に、漆黒のボウルガウン姿の少女の来訪を歓迎する。ちなみに、他の三人の王妃は、それぞれが強力な護衛付きで、各地で自らの任務に励んでいる。

 

「あら。来たわね、シャルティア」

「遅れたでありんしょうか、アインズ様」

「いや。時間ぴったりだ。気にすることはない」

 

 魔法都市で監視させていたデミウルゴスたち(本日の就労時間を超えた)から引き継がれる形で、現在アインズたちの集うこの玉座の間へと、監視の役目は引き継がれた。アインズたちはナザリック内で行える政務をすませ、夕食後の息抜きも同然に、100年後に現れたプレイヤーたちの観察を行っている。

 100年周期で出現した、未知のプレイヤーと、天使たちによるギルド。

 その監視と観測の任務は、今やナザリック全域に存在するすべてによって行われるべきもの。

 アルベドの姉であるニグレドをはじめ、探知や監視……隠形能力に特化したシモベなどをフル活用して、連中の動静は逐一把握済みだ。映像は記録として残されており、守護者たちが直接観測しているのは、有事の際に現場へ急行するための予防措置に過ぎない。

 そして、

 監視されている彼らは、かなり理知的かつ義侠心に溢れた行動を一貫させていた。

 アンデッドに追われた少女を森で助け、そしてつい今しがた、魔導国の飛竜騎兵たちと一戦交えてでも、少女とマルコを救命せんと働いてくれた姿は、アインズの瞳にはまったく好ましい印象しか受けなかった。

 そんな堕天使の様子を眺めている内に、アインズはひとつの願望を懐くようになってしまう。

 

「実は、ここにおまえたちを呼んだのは、少し話があってな」

「お話……でありんすか?」

「いったい、どのような?」

「おまえたちに、ひとつ、我儘(わがまま)を聞いてほしい」

 

 魔道王は重く呟く。

 アインズがここへ、ナザリックに滞在する王妃たちを招集した最大の理由。

 監視任務であれば他のシモベに命じればいい。守護者が最低一人は映像を監視するよう厳命しているのは、連中が魔導国に対して暴虐を働いた際に、すぐさま“応戦できるように”との心配りに過ぎない。そして、今のところナザリック最強の戦力たちを投入すべき事態には発展していなかった。

 にも関わらず、アインズはこの玉座に監視任務のついでとして、二人を呼んだ。

 

「何なりとお命じ下さい」

「まったくでありんす」

 

 ひとつと言わず十も百も我儘を言ってほしいと願う彼女らに、だが、アインズの口は、重い。

 

「うむ……どうか、怒らないで聞いてほしい」

 

 先にそう注意された二人は顔を見合わせる。

 至高の御身であるアインズが、怒りを懸念するほどの願望とは。

 二人同時に、言い知れぬ不安を覚えてしまってならないという表情を浮かべた。

 その不安は的中する。

 

 

「私は──しばらく、ナザリックを離れる」

 

 

 言われたことを理解した瞬間、アルベドとシャルティアは己の耳を疑う。

 疑わざるを得ない。

 

「それは──」

「どう、いう、ことで……ありんしょうかえ?」

 

 アインズは誠実な口調で、自らの望みを、希求することを率直に、告げる。

 

「うむ。あの堕天使──プレイヤーと(おぼ)しき彼らに、直接、会ってみようと思う」

「そんな!」

「な、なりんせん!」

 

 いくら至高の御身であろうと、いくら愛する夫であろうと、その命令は、首を縦には振れない。

 しきりに「何故」と疑問し疑念し続ける二人に対し、アインズは解っていたという風に数度頷く。

 

「実は、正直に言うと。このやり方は、すこし、多少、僅かにだが、私の求めるものでは、ない。そう確信しつつあるのだ」

「お、お待ちください!」

「そ、そうでありんす!」

 

 アインズを不快にさせるような事態を何よりも誰よりも嫌い、恐怖すらしてしまう彼女たちは、それでも、首を縦には振らない。

 振れるわけがない。

 

「アインズ様がお優しいことはわかります! ですが! この手法こそが最も確実かつ安全なものだと、御理解していただけましたよね!?」

「うむ。だが──」

「あの子を、マルコの身を案じられることはわかりんす! ですが、そのために、あの()の精神状態などのステータス把握も、ニグレドに任せているのでありんしょうし、装備できるものは最高峰のものを用意したのでありんしょう? 今のところ、何も異常はなしという報告を受けていんす──それなのに!」

 

 何故、自ら危難の只中に邁進(まいしん)しようというのか。

 二人は涙すら浮かべかけて──まるで出征する恋人を送り出す女か、あるいは仕事に行く親と離れたくないと愚図り出す幼子のように、アインズの膝元に縋りつく。

 

「わかっているとも。だが、私は…………」

 

 魔導王の見つめる先、二人の表情が何かを悟ったように静かな気配が漂う。

 アインズは思った。

 今や、この大陸の、魔導国の王として君臨する者として、これで本当にいいのだろうか。

 彼がプレイヤーであるならば、いきなりこんな異世界に飛ばされ、右も左もわからない状況に相違ない。かつてのアインズと同じように、否、アインズはアンデッドの特性である「精神鎮静化」で助かった部分が大きい。堕天使である彼は、アインズが(いだ)いた以上の混乱と混沌に追い落され、苦悩する日々を送っているやも知れない。そんな人物を、こんな遠くから眺めて、まるで檻に囲われた獣を鑑賞するがごとく扱うなど────勿論、万全を期するならば、この手法こそが最適解にして最善手であることは、紛れもない事実だ。彼がアインズ・ウール・ゴウンに友好的に接してくれる可能性の薄さを思うと、いきなり接触を図るというのは最大の悪手だった。

 しかし、彼らに魔導国の情報をある程度まで取得させた現在、彼が魔導国に対して行う活動を見ていけば、そこまで粗悪な感情は見受けられない。森を破壊した時というのは、おそらく混乱に拍車をかけてしまったのだろうと推測できるし、それ以降は目立った異常行動は見せていない。すべてアインズたちが予測可能な行動と活動に相違なかった。カッツェを徘徊した際、女天使に付き添われ蹲る堕天使の姿は、何とも憐れを誘ったものだ。

 アインズの考えは、アンデッドとしての冷徹なそれと同時に、鈴木悟の残滓が混在している。

 その鈴木悟の部分が、自分と同じように異世界に転移した彼を気遣う意志を懐くというのは、極めて自然な道理ですらあったわけだ。

 アルベドやデミウルゴスが語る“仮説”で行けば、連中──あの堕天使プレイヤーも、世界級(ワールド)アイテムの保有者である可能性は、十分にありえた。ツアーの語る100年周期のプレイヤー出現には、(ツアー)の記憶している限り、「そういった要因」を自己に付属させていた場合がほとんどだという。

 高い確率で世界級(ワールド)アイテム保有者だろう堕天使に、マルコを単身で派遣したのは、彼女の純粋な戦闘能力──“初見殺し”とも言える竜人の混血児(ハーフ)としての性質や、半分人間であるが故の温和な性格、母譲りの愛嬌の良さ、ナザリックに対する忠誠度、etcの諸々の要因を考慮しての人選であった。

 マルコに、“世界級(ワールド)アイテムを装備させていない”のは、万が一にも連中に奪われることを危惧してのこと。そのために、マルコの生命活動や精神状態は逐一ニグレドなどの監視者数名によって把握されており、彼女にもしものことがあれば、アインズは何の躊躇なく、連中を蹂躙する号令を発するだろう。だが、今のところ堕天使たちは、むしろマルコを率先して助ける姿勢を見せているので、問題ない。都市上空で襲撃を受けていた彼女らを堕天使──そういえば、マルコからの報告だと“カワウソ”という名前だったか──が見捨てていたら、印象は最悪にまで落ち込んでいたかも。

 

 だからこそ、

 アインズはカワウソと直接会って、彼らと友好関係を結べないか、探りたくなってきたのだ。

 

 100年後に現れたプレイヤーと手を(たずさ)えていけたなら、きっとこの魔導国は、さらなる発展を遂げるだろう。

 無論、接触を図るにしても、アインズそのままの姿──死の支配者(オーバーロード)のままでは、相手に警戒されるのは確実。となると、久しぶりに変装が必要かもしれない。

 アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシル内で「悪名」を馳せていたギルド。

 桁違いの世界級(ワールド)アイテム保有数を誇り、あの「討伐隊1500人全滅」は伝説として、長く語り継がれてきた実績がある。

 そんなギルドの存在を快く思っていないものは多くいるだろう。

 もしかすると、多少なりとも遺恨がある可能性だってありえる。

 だが、それでも。

 

「私は、彼らを迎え入れたいのだよ。この異世界────否、この魔導国に」

 

 そして、あわよくば、あの計画に協力してくれればとも、思っている。

 おまけに此度の狂戦士(ヴェル・セーク)暴走というのも、アインズには少なからず興味を惹かれてならなかったのが大きい。王にあるまじき事だが、飛竜騎兵たち魔導国の臣民の不安の種を、手ずから摘み取りたいというのも本心に近い。

 

「それに私は“アインズ・ウール・ゴウン”」

 

 威風堂々とした口調で、告げる。

 

「この私が、おまえたちの主人である私が」

「「敗北することはありえない」」

 

 王妃らが口を揃え、言う。

 アインズは微笑みを深めた。

 アルベドとシャルティアも、大輪の花のごとき笑みを浮かべる。

 彼女たちに先に言葉を紡がれてしまい、その内容がぴたりと自分の口から紡ごうとしていた思いと符合していた事実を、ただ喜ぶ。

 二人は至高の御身の、自らの夫たる男の性質を、完璧に理解し尽くしている。

 彼がここまで──誇り高いアインズ・ウール・ゴウンの名のもとに宣してまで、我を通そうとしている。

 こうなっては最早(もはや)、誰にも止められない。

 かつて洗脳されたシャルティアと戦うことを決めた時と同じだと、アルベドは理解している。

 そして、シャルティアもまた、違う形ではあったが、アインズの(かたく)なさを知悉していたのだ。

 

「──わかりんした」

「もはや、お引き留めはしません。止まっていただけるはずもないと、既に心得ております。ただ……」

 

 二人は同時に跪き、毅然とした美貌をまっすぐに、玉座に座した愛する男の(かんばせ)に差し向ける。

 そして、何よりもあたたかい想いを与えてくれる両の手を、二人はそれぞれひとつずつ、己の手にとって包み込んだ。

 

「どうか、お約束ください」

「必ず。ここへ、私たち(みな)のもとへ、お戻りになることを」

 

 二人の王妃の手を握り返して、アインズは彼女たちに、ゆっくりと首を縦にして、誓う。

 

「約束しよう。そして、留守は任せたぞ。アルベド、シャルティア」

 

 アインズの良き妻たらん二人は、同時に頷いた。

 愛する二人の理解を得て、男はひたすらに感謝する。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズたちは、知らない。

 知りようもない。

 

 堕天使のプレイヤー……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のカワウソが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの“打倒”を目的に、あのユグドラシルのゲームを続け、一人孤独に、「敗者の烙印」を押されたまま、難攻不落であるナザリック地下大墳墓に、挑み続けていた事実を。

 

 アインズたちは、まだ知らない。

 

 まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一話あたりの分量が多くなってきている気がするけど、いい切り所が見つからない……
次回は、いよいよアインズ様が本格的にカワウソと接触を図りに来ます。

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