オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
魔法都市にて。
堕天使プレイヤー・カワウソは、魔導国の実態調査を決意するも、
折悪しく彼等と交流を持った少女らが都市上空で何者かの襲撃を受ける。
カワウソVS
鎖
/Wyvern Rider …vol.1
魔法都市の王城──アインズの私室がある隔離塔からすぐの、城の最頂部にある執務室。
そこに、二人の異形が並んで椅子の上に鎮座していた。
「ようやく。始まったようですね」
「ウム。スベテハ計画通リ、トイウコトダナ」
「ええ。あの堕天使のプレイヤーと思しき者らがどれほどのものか、この場でとくと拝見するとしましょう」
彼らは、この城の主人の留守を預かるために、常にこの王城に詰めているわけではない。
今日、この時に限って、とある目的を果たす計画によって、主人の許可を得て、ここに作戦本部を設立しているに過ぎないのだ。
二人の眺める先には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国で開発・生産される
「──シカシ、良カッタノカ」
「何がです?」
「
悪魔は、悪魔の娘を心配してくれる友たる将軍の優しさに
「今回の計画は、我が子らも『是非、尽力したい』という願いも、あったのでね」
この異世界に転移してより100年。
ナザリックに生まれた異形なる
故に、彼ら彼女らも、魔導国に、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンその
「第一。“私の子ら”の中でも、あの
友は凍てつく吐息と共に唸る。
仮に。
連中が魔導国の枢要に近い、ナザリックの子どもたちの一人である“デミウルゴスの
故に、今回の魔法都市散策を、悪魔は己の愛する娘に、命じたのであった。
結果は「不戦」に終わり、少々興醒めというところであったが、次はもっとマシな状況を構築済みだ。
隣に立つ
娘の父たる悪魔は、朗らかに微笑む。
「ともあれ、心配してくれたこと、我が娘・
「私ノ方コソ、アノ娘ノ役儀ニ
二人は水晶の画面を注視する。
魔法都市・カッツェの王城で、守護者二人に新たな対戦カードを組まれた堕天使が、魔導国の三等臣民──
×
カワウソは、ミカを伴い、飛竜騎兵たちに狩られようとしていた少女たちを、“助ける”判断をした。
この都市にまで呼び寄せたNPC三人──ラファ、イズラ、ナタは、装備で〈不可視化〉の魔法を発動させつつ、有事の際の援軍のために待機させているが、原則は「手出し無用」と定めた。
「都市調査に臨む際、俺の戦闘をなるべく参考にしろ」と命じて、カワウソは戦地へと馳せ参じたのには、勿論、理由がある。
彼らに、この世界の存在と戦う際の注意として、「“殺戮”は基本厳禁」を言い渡した。そのため、「殺さないで済ませる」戦いというものを、彼らに実地で学ばせるための最初で最後の機会として、今回の戦闘に敢えて介入したのだ──そういう風に、自分自身へと強く言い聞かせて。
本当は、
ただの感傷的な判断で少女たちを見捨てられなかった自分を、ごまかすために。
「俺も混ぜてくれないか? んん?」
翼を広げ空を飛翔する飛竜と、その騎乗者八人に、カワウソは
固く
彼ら飛竜騎兵を侮辱するつもりはないが、そうすることで、彼らの興味関心が
カワウソの保有する
「邪魔立ては無用に願いたい」
部隊長らしい青年は、まったく臆することなく、そして厄介なことに、自分たちの目標と目的に実直な姿勢を貫徹する。
ただの怨恨や憤懣とは違う雰囲気が、堕天使にはかろうじて理解できた。
「……ハラルド──どうしてッ」
ヴェルが「ハラルド」と呼ぶ青年は、この世界の“冒険者”とかいう連中並みに
まことに精強な飛竜騎兵の隊長が、部隊員である騎兵七人を率いる様は、実に堂々としたものがある。
同じ飛竜騎兵の、大人しそうな性格のヴェルとは、まったくえらい違いであった。
「ヴェル・セーク……我等は
そんな青年指揮官は、青紫に赤いメッシュが二つ走る長髪の下に備えた美貌を悲痛に歪めながら、厳然とした口調で、告げる。
「抹殺する」
鉄の芯が通されたような宣告に、傍らで竜に乗り続ける少女の表情が
真正面から冗談抜きで「殺す」と言われたら、カワウソも同じ反応をするだろう。
だから、何も言わない。
言ってやれる言葉がない。
しかも、自分の“仲間”から言われた言葉だとすれば尚更、少女の被った一撃は、重く、つらいものに相違ない。事実、少女は幼い容貌を蒼褪めさせ、目の端から雫をこぼしかけた。
──ヴェル・セークを抹殺する。
ただ、そのためだけに、少女の仲間である彼らは、鎗を構え、剣を携え、手綱を握る力を強くする。
「邪魔立てするなら、
続けて、幾多の滑空音が夜空を
「に、逃げて!」
カワウソたちに向けて、悲痛に叫ぶヴェルの声は小さい。
八匹からなる飛竜らの口腔より轟く声に、かき消されたせいだ。
乗騎である飛竜との
だからこそ、彼らは同輩であるヴェルとラベンダを、そして同乗者であるマルコも含め、短時間で追い詰め抜いた。
カワウソという黒い鎧姿に赤い輪を頭に浮かべる人間(にしか見えないだろうな。堕天使は)に対しても、彼らの判断と能力は、遺憾なく発揮されることだろう。
──さて、どうするか。
飛竜騎兵たちが屋上に殺到するまでの“数瞬”を、カワウソは対応手段の模索に費やした。
結論。
手加減して、戦う。
そして、どうにかして、連中を無力化する。
そこまでを決定した途端、四本の鎗が、頭上四方から襲い掛かった。
カワウソは、屋上の床が砕けないよう、静かに宙へと「落下」する。
ヴェルたちを抱え続けるミカも、それに続いた。事前に打ち合わせていた通り、カワウソの傍らに控え、都市外への脱出ルートを飛行させる。純粋な天使種族であるミカは、魔法や
そして、堕天使のカワウソは、落下から一転、焦ることなく魔法を発動。
「〈
発動と同時に、足が空中を大地のように踏みしめ、不可視の足場を構築した。堕天使は最高レベル
〈
なのに、この信仰系魔法詠唱者に許された〈
にもかかわらず、その速度を目の当たりにした女騎兵たちが、叫ぶ。
「な、何なのよ! あの魔法ッ!?」
「マジックアイテムか何かなの!?」
突撃が空振りに終わった飛竜騎兵たちが愕然となるが、無理もない。
カワウソの速度と疾走距離は、瞬く内に騎兵たちの投鎗の威力と射程を超過していた。
おまけに、魔導国の臣民である飛竜騎兵の知る魔法──〈
カワウソは知らないことだが。
100年後の魔導国において、実効力や運用能率の低い魔法を教えることはほとんどない。高度に
純粋な魔法詠唱者ではない飛竜騎兵の常識に照らし合わせて、カワウソという謎の
おまけに、空を駆け走るカワウソの速さも常軌を逸していた。
カワウソの通常速度……その半分の速さにまで移動速度を減じられても、その疾走は黒い夜風のごとし。普通の〈飛行〉を使う魔法詠唱者と同等か、より上の速さだ。しかも、今のカワウソはまるで本気ではない。足甲の力を存分に発揮していないし、各種速度向上系統の
それで、この驚愕。
「うろたえるな! 追うぞ!」
冷静かつ沈着な隊長の叱咤に叩かれ、飛竜騎兵がカワウソたちを追走追撃する。
「……よし、っと」
空を駆けつつ、堕天使は南に向かってひた走る。
一刻も早く都市の外へ、都市の空を騒がせる位置取りから退避せねば。
そのための最短ルートである南へ。
陽が落ち、灯りが煌々と照り出す魔法都市の空は、
ミカにも、そのための逃走を厳命している。
「カワウソさん、どうして来られたんです!」
振り返る。
女天使に担ぎ上げられた飛竜──未だに翼が痺れて動かない相棒の背の上で、少女は糾弾に近い声を発した。「なりゆきだ」と応じるカワウソを、少女は涙を湛えた瞳で睨みつける。
「それに……『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』……だろ?」
続くカワウソの声に、少女の背後にいた修道女が意表を突かれたように苦笑して、ひとつ頷く。
女天使は無表情のまま、空を走り抜ける主に追随するのみ。
「カワウソ様、ご注意を」
ミカの発する声に「何?」と疑問する間もなく。
「って、うぉっと!」
「ば、ばっきゃろう! 気を付けろい、
チラリと横目に女天使と少女らが共に逃げる姿を確認していたのがマズかった。
横合いからすれ違うように、荷物を抱え運んでいた
「悪い、すまん!」と竜の一声に吼え返して、カワウソは気合を入れ直した。
カワウソは油断なく己の目的を果たすべく行動するのみ。
瞬く内に、カワウソと追走者たち八騎は、都市外の空へ。
さらに都市を離れ、街道からも外れ、余計な邪魔立てや警邏の干渉がなさそうな、都市から南東に位置する草原の直上に至る。しばらくすると、草の生えていない、降下地点によさそうな空き地を発見。周囲に人などの気配はない。
ここら辺りでいいだろう。
「先に降りろ、ミカ」
短く命じて、女天使とその荷物たちを草原の空き地に降下させる。
Lv.100の熾天使は、飛竜と人二人を抱えても辟易した様子を見せていなかったが、戦闘には参加させない。ミカの戦闘能力だと、飛竜騎兵たちを“皆殺し”にしかねない。復活の魔法や
発動しっぱなしの〈
追ってくる八人と八匹──飛竜騎兵八騎を、正確に捉えた。
それ以外の反応……敵はいない。
カワウソは空を踏み締め、その場で身体の向きを反転。
すぐさま漆黒の鎧の腰にある“鎖”を発動する。
無骨な鉄色の輝きが、長く、長く、さらに長く、伸びる。
目算で1~2メートルほどにまで伸びた鉄鎖を右手で回しつつ、狙いをつける。
「ん!」
ゲームで慣れた感覚のまま、鎖の先端……狼の意匠を凝らした鉄色を、投げ縄の要領で解き放つ。
鎖は空を自在に舞う飛竜の一体に向かって、飛翔。
しかも、ありえないほどの伸長──50メートルは優に超えるだろう──を得て。
「ッ!
先頭の隊長騎たる青年の命令で、飛竜騎兵らはいっせいに回避行動をとる。だが、
「ちょ、なに!」
「うわ、っと!」
右に急旋回しようとした女騎兵二人が呻いた。その乗騎たる飛竜もやかましく吠える。
投げられた勢いのまま、さらに伸び続ける鉄の鎖は、それそのものが生きているかのように空中で蛇のごとくうねり、まっすぐな直線から、しなやかな曲線を描き、一匹の飛竜の首に巻きついたと同時に、騎乗者を含めて食らいつくように拘束。近くを飛行していた僚騎を巻き込む形になって、捕縛されていった。
回避など無意味だ。
この“レーディング”という、北欧神話の巨狼を繋ごうとした鎖の名を戴くアイテムは、カワウソの
「なに、このぉ!」
「は、外れない!」
まんまと拘束され自由を奪われた飛竜と騎兵らは、完全に無力化。空から落下するも、鎖は捕縛対象を傷つけることがないよう、地面に激突しない速度で、対象物を落下させる。
鎖は、拘束に必要な量だけを残したまま中途で断ち切れ、元の状態に戻る。これで、他の対象を再捕縛する準備は整った。
「あと、六騎」
再び鎖を手中で振り回すカワウソは冷静に、残る追走者たちを眺め見る。
「ハラルド隊長!」
進退を問う雰囲気を滲ませた僚友に、青年は大いに顔を
ここでカワウソにかかずらっていては、彼らの目的──ヴェル・セークの抹殺任務は果たせない。しかし、黒い男の
だからこそ、カワウソは連中を退かせる気など毛頭ない。
鎖を投げ放つ。
「そらっ」
「チッ! 躱せ、躱せ! 躱すんだ!」
一辺倒に過ぎる命令だったが、それぐらいしか対処法がないのだから仕方ない。
捕縛系統の攻撃に対策を取っていなかった己の不運を嘆いてくれと、カワウソはもう一騎の飛竜騎兵の男の腕を鎖で捕らえ、そのまま伸びる勢いに任せ飛竜の翼と近くを飛んでいた少女騎兵と竜を封じこみ、空中にて諸共拘束する。
残りは、四騎。
「ここだッ!」
瞬間、果敢にもカワウソの
「全騎、突撃!」
カワウソから伸びた鎖は、未だに伸びきったままだ。なるほど、レーディングの再使用までにかかるリキャストタイムを狙われたようだ。存外にやるじゃないかと感心すら覚える。
しかし、
「くらえ!」
青年と乙女、少女と老兵が差し込んできた鎗と剣、計四つの暴力を、カワウソは回避するまでもなく、受け入れた。
──より正確には、「回避しないでいたらどうなるのか」を確認したかったがために。
そして、
「……ッ!!」
「な、何!?」
「なんで?!」
「何とッ!!」
四人の一斉挟撃は黒い“鎧”に阻まれ、鋭い金属音を奏でたものの、その穂先を一寸たりともカワウソの肉体に突き入れられずに終わる。どころか、半分は何の用もなさずに砕け、鉄の破片を落としていた。
カワウソには“上位物理無効化Ⅲ”という「Lv.60以下の物理攻撃を無効化」する
やはりと思った。
この
都市上空にて、足甲で鎗を捻じ曲げたのも、同じ理屈か。
理解したカワウソは、“鎖”のリキャストタイムを終える。
「──レーディング」
腰に巻き戻った途端、使い手の意思を受けた鎖が、自動捕縛を発動。
遠距離では四体までしか補足できない鎖だが、自分に組み付く超至近距離にまで迫った対象を、一度に倍の八体──騎兵四人と飛竜四匹──まで捕縛できる機能によって、飛竜と、それに跨る男女の計八標的は、完全に無力化される。
「クソっ、この!」
「外せぇぇぇッ!」
獣然と叫びながらも、地に降ろされた騎兵たちは慌て怯えることはない。
自分たちがまんまと捕縛された事実を理解しつつも、何の
「貴公! 自分が、何をしているのか、わかっているのか!?」
いや、知らんがな。
降ろされた彼らと共に大地を踏み締めた堕天使は、嘆息してしまう。
それが「わからない」からこそ、互いに話ができる状態に無理やりながらもってきたのだ。わざわざ彼らが追撃可能な速度を維持したのも、彼らから何かしらの情報が得られないかと期待してのこと。あとは、あまりスピードを出しすぎて、それに振り回されるヴェルたちの身に悪影響があることも危惧していたのとで、半々というところだ。
懸命に拘束を抜けようと欲する彼らに何か言ってやろうかと思ったが、止めた。
「カワウソ様」
翼を再び鎧に纏わせた女天使が、声をかけてくる。
「ミカ。そっちは無事だな?」
当然と頷く女天使。
ミカの傍らには、これまで無傷で済んだ少女ヴェル・セークが控え、少し離れた位置でラベンダの傷を“気功”で癒すマルコの姿が。
「さて、と」
草原の空き地──かつては誰かが焚火でもして野営していたようなスペースだが、道らしい道はない。随分と長く使われていないようだ──で、まんまと拘束された騎兵たちに、カワウソは静かに向き直る。
改めて、全員の装備を眺めてみると、同じ飛竜騎兵の部族というだけあって、ヴェル同様に装備だけは整った印象が強い。ヴェルの物と同じく肌色が剥き出しな部分があるのは、そういう規格統一がなされた結果であり、飛竜に乗る上での軽量化を期してのことだろうと推察できる。
要するに、こいつらは正規の軍隊と同じく、上位者に従属する存在──魔導国の臣民ということの証左だ。
「ちょっと
なるべく優しげな声で問いかける。だが、当然ながらカワウソという闖入者および拘束者に対し、快く応じてやろうというアホは一人もいない。
カワウソが数分で拘束せしめた連中は元気だった。捕縛はあくまで対象を「拘束」するものに過ぎないので、体力は有り余っているのが当然である。カワウソのことを口々に
そんな中、冷徹に状況を見定めていた青年が、呟く。
「致し方、ない──起動!」
カワウソは少し驚く。
青年の発した声に合わせて、彼の首飾りが淡く輝き──瞬間、カワウソの装備である鎖が、捕縛機能を一斉に解除される。
そして、八人の騎兵と八匹の飛竜が自由を得たのだ。
考えられる可能性はひとつ。
「拘束を抜けた、か。〈
しかも、対象は自軍勢力全員へという“全体効果”版だ。別に珍しくもないアイテムだと思われる。
あの首飾りがあやしいが、装備の効果は一回分しかなかったのか、見る間に消失してしまった。
「御免!」
律儀に吠え真っ先に突進する青年の剣撃に対し、カワウソはかなり手加減した上段蹴りを、慣れた調子で浴びせようとして、
「〈不落要塞〉!」
「うおおっ!?」
あまりにも重い金属音が、けたたましく鳴り響く。
カワウソは己の蹴りを、青年の剣によって
愕然とするカワウソに、
「〈即応反射〉!」
続けざまに唱える青年の剣が突き立てられようとして、
「おっ、と」
籠手も何もない──
やはり、青年の剣が凄まじいアイテムということではないようだ。
「そ……そんな、馬鹿な……武技もなしに、どうやって?」
今度は青年の方が驚愕に目を見開いていた。
カワウソは、先ほどはカットしていた
カワウソは話しかける。
「意外とやるな。“
体勢を整え、爪先で地面を叩きながら足甲の名を呟く堕天使は、目の前で起こった出来事を脳に浸透させていく。
これは貴重かつ重大な情報だ。
レベルは大したこと無さそうな青年であるが、脆弱な武装で、そして何らかの手段によって、カワウソの攻撃を防いだのだ。いくらカワウソのステータスが異形種の中では微妙と言っても、推定されるレベル差を考えるとありえないとしか言いようがない。おまけに、この足甲はカワウソの剣や鎧などと共に、かつてランキング上位に位置した天使ギルドが引退解散する際に払い下げた
そんな悠長に構え、状況検分に勤しみながら対峙する男に、他に鎖から解放されていた三人が剣を抜いて駆け出していく。
「この!」
「ふっざけんな!」
「ハラルドから離れろ!」
少女らの握る三つの剣が、堕天使の胸の鎧──は、ダメージを与えられそうにないので──その
しかし、その目論見は叶わない。
「……『控えなさい』」
女天使の重く清廉な声が、三騎の突撃行動を、さらには残る騎兵や飛竜までをも、静止させてしまう。
──カワウソは知覚できなかったことだが。
少女と飛竜らは、女天使の背後から放たれる光輝を、確かに見た。
状況から見て多分、上級の天使が扱う特性である“
「ぐ……がっ?」
さらに、その効果はカワウソと一騎打ちの形で挑んでいた青年にも及んだが、
「ミカ。こいつの相手は俺がする。手出しはしなくていい」
「──ですが」
逡巡する女天使を、半ば睨みつけるように「いいから」と命じる。
不満そうに肩を落とすミカ。彼女の
無論、女天使の後光から解放された彼は、疑念した。
「……どういう、おつもりか?」
「気にするな」
「……尋常な勝負を、お望みか?」
「そんな構えたつもりはないが──とりあえず、やってみてくれ」
カワウソの真意を
完全にペースを青年の側に預けるカワウソは、依然として無手のままだ。構えらしい構えもない。
「……剣を」
「──ん?」
「剣を、お持ちではないのか? 貴公、その鎧──姿で?」
鎧と呼ぶには少し奇怪な造形に見えたのだろう。実際、普通の──飛竜騎兵の彼らが装備している銀色のそれに比べて、カワウソの黒い防備は
「もし良ければ、私の部下の剣をお貸ししてもよいが」
「いや? 持ってるが?」
「ならば、構えていただきたい。丸腰の相手に正面から切りかかるのは、戦士の恥です」
ここまで散々戦ってきているのに、そういうところをこだわる青年の愚直さが、どこか笑えた。感心したと言ってもいい。
だから、はっきりと告げておく。
「すまんが、それは無理だ」
「……
「おまえらを殺したくないんでな」
完全に上から目線の発言だった。
彼を隊長と仰ぐ飛竜騎兵たちから「ふざけたことを!」と不満の声が噴き出す。ミカがそちらをジロリと睨むとすぐに黙るが、敵意は依然として健在である。
双方共に、これは致し方ないことだ。
カワウソのメイン装備である“
何故なら。
魔導国の民は殺さない。
厳密に言えば、殺すべきではない。
その基本方針を覆していない現段階で、
無論、彼の放つ独特な戦闘能力──
カワウソの余裕をどう受け取ったのか、青年は深く呼吸し、剣を持ったまま、大地に四肢を這わせるように身構える。ただし、許しを請うような形ではない。
「……
それは、四足獣のモンスターが、獲物に向け飛び掛かる直前の姿に似ていた。
「──〈疾風走破〉!」
瞬間、怒濤の風と化した青年の速攻。
兜などの守るものがない剥き出しの頭部……カワウソの眉間に叩き込まれようとする刺突攻撃を──
「……すげぇな」
驚嘆する男の、堕天使の浅黒い剥き出しの掌が、文字通り眼前で、難なく刃先を掴み受け止めていた。
爆風になびく黒い前髪すら、一本も切り裂くことは出来ていない。赤黒い輪っかも、微動だにしていなかった。
カワウソは小声で、起こった出来事を確かめる。
「これ、ただの人間の身体能力じゃないだろ……魔法の
余裕綽々と目の前で起こった事実は何なのだろうと確認する堕天使。
ほとんど反射的に刃先を掴んだ掌には、血の色は勿論、擦り傷ひとつ走っていない。
「ッ! これでも、駄目か!」
半ば予想していたらしい青年が苦し気に呻いた。
そして、我慢の限界という様子で、吠えたてる。
「頼むから、邪魔立てするな! これは、我等セーク族の問題! 余人が首を突っ込むべきことではない!」
「って言っても、なぁ……ん? 待て、……セーク族、……問題?」
青年の剣幕など何処吹く風という感じで、カワウソは新たな情報に首を
あれだ。“セーク”とは、確か、ヴェルの名字じゃなかったか?
「まさか」という思索に囚われ、剣を掴みっぱなしで黙考するカワウソに業を煮やし、若者は剣を……押しても引いてもビクともしないので、仕方なしに手放した。
そうして改めて、ここまでの成り行きを眺めるしかなかった
「
「ま、待って! 私は!」
「問答無用と言っている!」
剣がなくとも少女を切り殺しかねない言葉の鋭さ。
蚊帳の外にされるのはしようがないとしても、カワウソは冷静に、けれども軽い口調で、怒る。
「──少し、落ち着けって」
視界に映る騎兵、ヴェルを含む全員が、身を震わせる。
「人の話は最後まで聞いてやったらどうだい……なぁ?」
自分自身でも、暗く薄気味悪いと判る声をもらしてしまうが、もはや構うものか。
言外に「あまり、俺をイラつかせるな」と言う雰囲気を、かすかにだが、滲ませてしまう。本当に申し訳なく思うが、説明がなければ話にならないのだから、しようがない。
堕天使の軽い威圧は、思いのほか飛竜騎兵の若者と、その背後に居並ぶものたちをすくませた。堕天使の狂相は、人の美意識にとっては実に醜悪極まりないもの。そんな面貌で、こんなにも険悪な声を響かせたら、尻込みするのも当然か。後ずさり、震え上がり、堕天使の表情を注視せざるを得ない飛竜騎兵ら。だが、中には仲間や相棒にしがみついてないと、自分の身体さえ支えられないものまでいるというのは、……ちょっと傷つくな。
しかし、そんな中ハラルドは、毅然とした態度のまま、尊厳に満ちる実直な声を奏でてみせた。
「貴公。やはり
……魔導王陛下の、……親衛隊か、何かか?」
カワウソは肩を
ハラルドは、頬伝う汗を拭うことも忘れ、朗々と主張する。
「いずれにせよ……これは我らが族長から命じられたこと。ひいては、魔導国の王にあだなした存在を
青年の呼吸に微動する喉元を、いつの間にか眼前に迫った人物──金色の輪を頭上に浮かべる騎士風の女──ミカが、手元に握る剣の先で、撫でていた。
「反抗したら、……何だというのです?」
ほんの一ミリ、剣を突き出すだけで、冷たく光る刃が肌を貫くことは確実な未来。
誰も──カワウソすら──知覚できない、一瞬の出来事。
ミカは、最初からそこにいたかのように、主人に害なす
「な……何者、なの、だ、……あなた、方は?」
「どうでもいいことを
それよりも、答えやがりなさい。
カワウソは舌打つ。
後ろに退く青年を追わんとしたミカの握る光剣を、空間から取り出した聖剣で、硬い音を奏でるように押さえて強引に下げさせる。
「やめろ、ミカ。殺しは厳禁、と言ったよな? ……下がってろ」
暗い声で諫められる天使は、主を睨み、鼻を鳴らしつつ、あっさり剣を引いた。
カワウソは冷静だった。ここで「魔導王のために動いている」存在を殺すのは、よろしくない。何があろうと避けねばならない事柄だ。
そんなことをすれば、カワウソたちは完全に魔導国の敵対者と
まぁ、
さらに言うと。今、目の前で起こる
「説明してくれないか? そうしてくれれば、とりあえず
凍てつく刃の声色──ミカの尋常ならざる殺気から解放された青年に、カワウソは明朗に催促してみる。
「……いいでしょう」
無傷の首を撫でる青年が応じると、部下である騎兵たちも矛を収める意思を示すように頷いた。
カワウソも、左手にあった青年の得物を返却してやる。
不用心極まりない判断かもしれないが、それでまた切りかかってきたら、また捕縛してやるだけだ。こいつらの戦闘パターンは読み切れているし、強さもヴェルと大差ないのであれば、万が一にも自分たちが殺されることはあり得ない。
そんなカワウソの心配は無用だとでも言いたげに、全員が装備されている剣を鞘ごと外し、鎗や短剣まで捨てて、投降の意思を
×
「ああ~、惜しい! 惜しかったですね~、今のは!」
「何ガ、惜シカッタノダ?」
魔導国「国軍」の最頂点に位置する“大将軍”を拝命されているコキュートスには、水晶の画面に映し出された今の戦闘で、惜しむべきところなど発見できなかった。堕天使の捕縛技はなかなか洗練されていたが、実際の戦闘力は未知数のまま。捕縛の対象に据えられ、まんまと降伏せざるを得なかった飛竜騎兵の部隊についても、善戦と呼べるほどの場面はひとつもない。想定される彼我のレベル差を考えれば、飛竜騎兵たちが無傷で済んだことは驚嘆すべき戦果やも知れないが、魔導国の国軍を預かる大将軍としては──いくら中流の、三等臣民とはいえ──もう少し頑張れと思ってしまうというのが本当である。
しかし、叡智に優れる“大参謀”は、武力や戦闘とはまったく違う角度から、痛切な感想を懐いてならなかったようで。
「奴が──というか、あの女天使が、あのまま飛竜騎兵の彼等に危害を加えてくれていれば、もう少しで我々の大義名分の“第一”が立ったところだったのですがねぇ?」
デミウルゴスが「実に惜しい」と評した内容を理解し、コキュートスもすぐに納得する。
「ナルホド。政治戦略トシテ、民ノ
「まさに」
この100年で驚くほどの戦上手と化した友に、悪魔は祝福の笑みを浮かべ肯定する。
大義名分。
それさえあれば、連中を完膚なきまでに制圧蹂躙できるのだ。
魔導国の民を、一方的に害する者が現れれば、それは即ち魔導王の、アインズ・ウール・ゴウンその人の
無論、連中の戦力評価や戦術分析を入念に重ねて、保持しているやも知れない最大脅威──
だが、いざ連中を討伐し果せる際に、そういった大義と名分が揃っていなくては話にならない。デミウルゴスの娘も、そのための布石として街を散策させたのである。
魔導国は、魔導王であるアインズは、無益な
しかし、殺戮に有益なものがあると判断されれば、喜んでその叡智と威力を示してくれることは周知の事実であり、これまでの経験則であるのだ。
あの堕天使と、あれが率いているだろう天使ギルドを滅ぼすことが「益」となることは、デミウルゴスからしてみれば必定の事実。
100年周期で現れるプレイヤーへの“生体実験”。さらには、他ギルドに属するNPCの“実態調査”など、これまで判然としていなかった情報を探る上で、奴等には是が非でも、魔導国の「敵」となってほしいところなのが、悪魔的頭脳を誇る大参謀の本音である。勿論、お優しいアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の威光に浴し、「従属する」というのであれば、アーグランド領域・信託統治者であるツアーの保護下にある、あの八欲王の遺産たる者たち同様、安寧を与えることも十分ありえることでは、ある。
そして、あの堕天使である男は、今のところ魔導国に対し、積極的に害をなそうという意志や姿勢は垣間見えない(ちなみに、アインズの作成した中位アンデッドや、魔将の配下の悪魔が召喚した雑魚悪魔モンスターである猟犬などについては、大したコストが必要というわけではないため、別段狩られ滅ぼされても良いらしく、アインズ本人はあくまで、“魔導国の臣民たる者たち”への殺戮行為のみを、反撃の理由に使うべきと定めている。沈黙の森で吹き飛ばされた追跡隊については、むしろ滅ぼしてしまう方が、常識的かつ良識あるプレイヤーならば当然な対応だったわけだ)。
追われていたヴェル・セークを匿う行動も、派遣したマルコとの遣り取りも、そして今しがた見せた敵対行動をとる魔導国の臣民たちを“無傷”で“無力化”した事実を見ても、すべてアインズの眼鏡にかなう対応判断であったのは大きい。
連中が歩み寄る場合、アインズは連中が魔導国に従属することを許す(アインズ本人の感覚としては、「手を携えていきたい」)姿勢を見せているのだ。それに
──しないのだが、悪魔的な思考と嗜好から、堕天使たちが敵になってくれることを、彼個人が祈念するのは極めて正しい思想理念でしかない。それが最上位悪魔としての必然であり、アインズ・ウール・ゴウンに仕える大参謀として必要なことであるのだから。
「はてさて、彼らはどれほど頑張ってくれるのでしょうね?」
この100年後の魔導国に舞い降りた堕天使のプレイヤーを、彼らは観察し続ける。
微笑みを深め嘲笑する友たる悪魔に、
今後は不定期更新になるかもです。ご了承下さい。
飛竜騎兵に関する情報などは、”書籍四巻などを参考”にした「作者の独自設定」です。
第一章の三話「救出」で使おうとしていた鎖がやっと登場。
以下は、カワウソの使った捕縛用装備の参考情報。
読み飛ばしていただいてかまいません。
作中のカワウソの装備のネタなどについて01
・レーディング
北欧神話に登場する巨大狼・フェンリル。
悪戯の神ロキの産んだ三兄妹の怪物、その長男。弟はヨルムンガンド。妹はヘル。
その身体は巨大で、口を開けば上顎が天に、下顎が地につくほど。
『ラグナロクによって、フェンリルは最高神オーディンを殺す』という予言により、フェンリルを危険視した神々が彼を封じるべく、鎖で繋ごうとするがうまくいかず、後に用意した強力な鎖が “レーディング” という。神々は「力試し」と
だが、レーディングはフェンリルの力でやすやすと引き千切れ、神々は次にレーディングの二倍の強度を誇る“ドローミ”を使うが、これも破壊される。神々は最終的にドヴェルグ(ドワーフ)に創らせた魔法の紐“グレイプニル”を使ってフェンリルを封じることになるが、さすがに事態を怪しんだフェンリルはこれを拒否。彼を納得させるために、戦争の神・テュールが人質としてフェンリルの口に右腕を突っ込んだ後、グレイプニルでフェンリルを縛る。結果、騙されたとわかったフェンリルは、テュールの右腕を食いちぎるも、そのまま封じられた。
このようにして封じられてしまったフェンリルであるが、
今作内では、狼の意匠を先端部にあしらった魔法の鎖/狩人専用の捕縛用攻撃アイテム(
他にも、”ドローミ”や”グレイプニル”などの上級の捕縛アイテムもあるが、職業: