オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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〈前回までのあらすじ〉
 魔法都市にて。
 堕天使プレイヤー・カワウソは、魔導国の実態調査を決意するも、
 折悪しく彼等と交流を持った少女らが都市上空で何者かの襲撃を受ける。
 カワウソVS飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の幕開けです。


第三章 飛竜騎兵


/Wyvern Rider …vol.1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法都市の王城──アインズの私室がある隔離塔からすぐの、城の最頂部にある執務室。

 そこに、二人の異形が並んで椅子の上に鎮座していた。

 

「ようやく。始まったようですね」

「ウム。スベテハ計画通リ、トイウコトダナ」

「ええ。あの堕天使のプレイヤーと思しき者らがどれほどのものか、この場でとくと拝見するとしましょう」

 

 彼らは、この城の主人の留守を預かるために、常にこの王城に詰めているわけではない。

 今日、この時に限って、とある目的を果たす計画によって、主人の許可を得て、ここに作戦本部を設立しているに過ぎないのだ。

 二人の眺める先には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国で開発・生産される水晶の画面(クリスタル・モニター)のマジックアイテムによって投影された画面が宙に浮遊しており、そこに“ある者たち”の行為行動を観察・監視するモニターの役割を果たさせていた。大小合わせて十枚ほどの画面は、宵闇に沈む魔法都市の絢爛豪華な暮らしの頭上で交わされる“戦闘”をつぶさに把握し、記録映像として納め、後々、この世界の絶対支配者へと献上される運びとなっている。二人の異形は、この画面の映像をリアルタイムで確認するために、今ここに存在することを許されている。

 

「──シカシ、良カッタノカ」

「何がです?」

彼奴等(キャツラ)ノ戦力把握ノ為ナラバ、我等デモ十分対応可能ナハズ。アマツサエ、昼間ニ(オノレ)ノ娘ヲ、ワザワザ釣餌(ツリエ)ノゴトク扱ウ必要ハ、ナカッタノデハ?」

 

 悪魔は、悪魔の娘を心配してくれる友たる将軍の優しさに(かぶり)を振った。

 

「今回の計画は、我が子らも『是非、尽力したい』という願いも、あったのでね」

 

 この異世界に転移してより100年。

 ナザリックに生まれた異形なる混血児(こども)たちは、軒並み立派な成長を遂げ、十分かつ充実した教育の甲斐もあってか、まったくもって素晴らしい──偉大なる至高の御身へと忠烈を尽くすのにふさわしい──信徒の列に加わる栄誉を授かった。

 故に、彼ら彼女らも、魔導国に、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンその御方(おんかた)の危難の種となるやもという存在への対処……“計画”に参じたいと欲するのは、完全に必定でしかなかった。

 

「第一。“私の子ら”の中でも、あの()はとびきりの厄介さを有していることくらい、君も承知しているのではないのかね?」

 

 友は凍てつく吐息と共に唸る。

 仮に。

 連中が魔導国の枢要に近い、ナザリックの子どもたちの一人である“デミウルゴスの()”に手をあげる「愚物」であったとしても、あの娘はLv.100の存在であろうと、かなり善戦できるだけのスペックを有している。母体となったシモベの特性を半分継承したあの娘は、周囲一帯を己の得意とするフィールド……奈落の底の溶岩に変換して、相手を引き摺り込んで「喰らう」戦法を得意とする、最上位悪魔(アーチ・デヴィル)奈落の粘体(アビサル・スライム)の混血児だ。炎系ダメージに耐性を持つ天使には効き目は薄いだろうが、肉体ペナルティを保有する堕天使であれば、溶岩の中で呼吸不能に陥り、窒息もありえるだろう。アインズがプレイヤーと睨むあの黒い男──マルコからの報告によると、男は“カワウソ”という名前らしい──を完封することは容易(たやす)いはず。勿論、身に着ける装備やアイテムで克服されている場合もあるが、それはそれで、現れたプレイヤーたちの戦力判断を行えるというだけで、ナザリックに属す存在を近づける試みというのは、意義深い結果をもたらすだろうと簡単に思考された。さらに言えば、奴が、堕天使が、あの黒い男が、本当にユグドラシルプレイヤーであるのなら、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの戦力を、ある程度知悉している可能性もあり得る以上、ナザリック従来の戦力を「当て馬」とする行為は、魔導国(こちら)から喧嘩をふっかける行為と見做(みな)されるだろう。それは、穏健に事を進めようという偉大なる御方……魔導国の主たるアインズの望むところではない。

 故に、今回の魔法都市散策を、悪魔は己の愛する娘に、命じたのであった。

 結果は「不戦」に終わり、少々興醒めというところであったが、次はもっとマシな状況を構築済みだ。

 隣に立つ蟲王(ヴァーミンロード)は、相性の関係から、あの娘の戦闘訓練の相手は不得手という程度の親交しかないのに、それでも、彼はナザリックに属する者に対する優しさから、友人の娘の大事を危惧(きぐ)してくれている。

 娘の父たる悪魔は、朗らかに微笑む。

 

「ともあれ、心配してくれたこと、我が娘・火蓮(カレン)にかわって礼を言おう。コキュートス」

「私ノ方コソ、アノ娘ノ役儀ニ(クチ)ヲ出シテシマイ、本当ニスマナカッタ。デミウルゴス」

 

 二人は水晶の画面を注視する。

 魔法都市・カッツェの王城で、守護者二人に新たな対戦カードを組まれた堕天使が、魔導国の三等臣民──飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)部族の部隊八名と、はじめて交戦する。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソは、ミカを伴い、飛竜騎兵たちに狩られようとしていた少女たちを、“助ける”判断をした。

 この都市にまで呼び寄せたNPC三人──ラファ、イズラ、ナタは、装備で〈不可視化〉の魔法を発動させつつ、有事の際の援軍のために待機させているが、原則は「手出し無用」と定めた。

「都市調査に臨む際、俺の戦闘をなるべく参考にしろ」と命じて、カワウソは戦地へと馳せ参じたのには、勿論、理由がある。

 彼らに、この世界の存在と戦う際の注意として、「“殺戮”は基本厳禁」を言い渡した。そのため、「殺さないで済ませる」戦いというものを、彼らに実地で学ばせるための最初で最後の機会として、今回の戦闘に敢えて介入したのだ──そういう風に、自分自身へと強く言い聞かせて。

 本当は、

 ただの感傷的な判断で少女たちを見捨てられなかった自分を、ごまかすために。

 

「俺も混ぜてくれないか? んん?」

 

 翼を広げ空を飛翔する飛竜と、その騎乗者八人に、カワウソは(あざけ)るような声を送る。

 固く頓狂(とんきょう)な声になっていないだろうか不安になりつつ、傲慢かつ尊大な台詞を浴びせてみる。

 彼ら飛竜騎兵を侮辱するつもりはないが、そうすることで、彼らの興味関心が自分(カワウソ)の身に集約されてくれたら、大いに楽ができると意図したからだ。本当に申し訳ない。

 カワウソの保有する特殊技術(スキル)には、他者を直接防衛したり救命したりできるものはないのだ。なので、彼らの敵対的行動が挑発するカワウソに集中し、ヴェルたちに向けられなくなれば手間が省けると思ったのだが──

 

「邪魔立ては無用に願いたい」

 

 部隊長らしい青年は、まったく臆することなく、そして厄介なことに、自分たちの目標と目的に実直な姿勢を貫徹する。

 ただの怨恨や憤懣とは違う雰囲気が、堕天使にはかろうじて理解できた。

 

「……ハラルド──どうしてッ」

 

 ヴェルが「ハラルド」と呼ぶ青年は、この世界の“冒険者”とかいう連中並みに隆々(りゅうりゅう)としている。ヴェルと同様、鎧で守られていない剥き出しの腹は彫像のごとく綺麗に引き絞られていて実に(たくま)しい。長さ二メートル弱にはなるだろう突撃鎗(ランス)を掴み支える腕の起伏も見事なものだ。

 まことに精強な飛竜騎兵の隊長が、部隊員である騎兵七人を率いる様は、実に堂々としたものがある。

 同じ飛竜騎兵の、大人しそうな性格のヴェルとは、まったくえらい違いであった。

 

「ヴェル・セーク……我等は貴女(あなた)を」

 

 そんな青年指揮官は、青紫に赤いメッシュが二つ走る長髪の下に備えた美貌を悲痛に歪めながら、厳然とした口調で、告げる。

 

 

「抹殺する」

 

 

 鉄の芯が通されたような宣告に、傍らで竜に乗り続ける少女の表情が強張(こわば)った。

 真正面から冗談抜きで「殺す」と言われたら、カワウソも同じ反応をするだろう。

 だから、何も言わない。

 言ってやれる言葉がない。

 しかも、自分の“仲間”から言われた言葉だとすれば尚更、少女の被った一撃は、重く、つらいものに相違ない。事実、少女は幼い容貌を蒼褪めさせ、目の端から雫をこぼしかけた。

 ──ヴェル・セークを抹殺する。

 ただ、そのためだけに、少女の仲間である彼らは、鎗を構え、剣を携え、手綱を握る力を強くする。

 

「邪魔立てするなら、貴公(きこう)諸共(もろとも)、討つ!」

 

 闖入者(ちんにゅうしゃ)のカワウソへ届けられた最後通牒じみた大声に、彼の跨る飛竜が応じるように()えた。

 続けて、幾多の滑空音が夜空を(つんざ)き、殺到する。

 

「に、逃げて!」

 

 カワウソたちに向けて、悲痛に叫ぶヴェルの声は小さい。

 八匹からなる飛竜らの口腔より轟く声に、かき消されたせいだ。

 乗騎である飛竜との阿吽(あうん)の呼吸により、彼らと彼女ら──見た感じ、何故か女ばかりだ──は非常に優秀な騎乗兵として勇名を馳せてきたのだろう。それほどまでに、飛竜騎兵部隊の連携は素晴らしく、互いの一挙手一投足、さらには僚友の名を呼び視線を交わすのみで、自分たちの役割と位置取りを決定していた。

 だからこそ、彼らは同輩であるヴェルとラベンダを、そして同乗者であるマルコも含め、短時間で追い詰め抜いた。

 カワウソという黒い鎧姿に赤い輪を頭に浮かべる人間(にしか見えないだろうな。堕天使は)に対しても、彼らの判断と能力は、遺憾なく発揮されることだろう。

 

 ──さて、どうするか。

 

 飛竜騎兵たちが屋上に殺到するまでの“数瞬”を、カワウソは対応手段の模索に費やした。

 聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)などの使う攻撃スキルは使用不可。強力すぎて手加減には向きそうにない。武器の使用も却下。連中の握る代物は、それなりの魔法が付与されているようだが、聖遺物(レリック)級にも届いていないだろう。いくらLv.100の堕天使であるカワウソでも──さらには神器級(ゴッズ)アイテムという最高位の力を保持するとはいえ、攻撃力増強効果のない“ただの足甲”で“軽く蹴り払った”程度で折れ曲がる鎗など、強度不足もいいところではないか。少なくともユグドラシルでは、この程度の攻撃でアイテムを破壊できたことはない。カワウソの両脚を覆う禍々しい造形の黒い足甲には、僅かな防御と、速度の能力(ステータス)値のみを特化させる機能しかありえないのに。

 

 結論。

 手加減して、戦う。

 そして、どうにかして、連中を無力化する。

 

 そこまでを決定した途端、四本の鎗が、頭上四方から襲い掛かった。

 カワウソは、屋上の床が砕けないよう、静かに宙へと「落下」する。

 ヴェルたちを抱え続けるミカも、それに続いた。事前に打ち合わせていた通り、カワウソの傍らに控え、都市外への脱出ルートを飛行させる。純粋な天使種族であるミカは、魔法や特殊技術(スキル)ではない特性として、空中を自由に飛行可能なのだ。鎧に纏わりついていた一対の白翼が、生物のように羽搏(はばた)き、夜空を叩く。

 そして、堕天使のカワウソは、落下から一転、焦ることなく魔法を発動。

 

「〈空中歩行(エア・ウォーク)〉」

 

 発動と同時に、足が空中を大地のように踏みしめ、不可視の足場を構築した。堕天使は最高レベル特殊技術(スキル)を発動しない限り、「〈飛行〉不可(できない)」という特性──デメリットがあるため、カワウソはこの魔法を使うことで“空”というフィールドを自在に駆け回ることを可能にしている。

空中歩行(エア・ウォーク)〉という信仰系魔法は〈飛行(フライ)〉ではなく、ご覧のように空中を踏みしめ歩くことを可能にする、第四位階の移動手段だ。上昇したり下降したりは坂道をのぼりおりする要領で行え、強い風が吹くフィールド環境の影響を強くうける。そのため、魔法詠唱者の第三位階魔法〈飛行(フライ)〉と比較すると、どうあっても使いにくい。あちらは素で地上を歩くよりも機動力に優れる移動手段であり、取得可能位階についても一個下だ。

 なのに、この信仰系魔法詠唱者に許された〈空中歩行(エア・ウォーク)〉は、発動者の通常移動速度の半分程度の速度しか出せない。魔法詠唱者よりも、神官や聖騎士のほうが肉体能力・速度に優れているが故の制約だ。

 にもかかわらず、その速度を目の当たりにした女騎兵たちが、叫ぶ。

 

「な、何なのよ! あの魔法ッ!?」

「マジックアイテムか何かなの!?」

 

 突撃が空振りに終わった飛竜騎兵たちが愕然となるが、無理もない。

 カワウソの速度と疾走距離は、瞬く内に騎兵たちの投鎗の威力と射程を超過していた。

 おまけに、魔導国の臣民である飛竜騎兵の知る魔法──〈飛行(フライ)〉とは、違いすぎた。

 

 カワウソは知らないことだが。

 100年後の魔導国において、実効力や運用能率の低い魔法を教えることはほとんどない。高度に教育体系化(システマイズ)された魔導国における魔法教義は、数多く存在する魔法の中で、より優先性や効率性の高い魔法のみを教授することを()としている。高位階に属しながら、それよりも低位な魔法で代用できる類の魔法は、よほど魔法理解に対する執着心がなければ、魔法の深淵に関する研究と探求に心血を注ぐほどの“キチ”でなければ、研鑽を積むどころか、その存在を認知しようという意気すら湧いてこない。魔導国の臣民は義務教育程度の魔法への理解を有しているが、それ以上の理解度となると、魔法詠唱者の学校……“学園”に通わねば、まず手に入らないだろう情報である。

 純粋な魔法詠唱者ではない飛竜騎兵の常識に照らし合わせて、カワウソという謎の闖入者(ちんにゅうしゃ)──ユグドラシルプレイヤーが披露した〈飛行〉の代用として発動させた魔法は、魔導国の一般的な(低レベルの)魔法詠唱者が必須とする乗り物……魔法の媒介となる「杖」や「箒」、「水晶玉」……などを必要としないスタイル。さらには、空にまるで見えない地面があるかのように疾走する動作というのは、明らかに〈飛行〉の魔法ではありえないモーションである。

 おまけに、空を駆け走るカワウソの速さも常軌を逸していた。

 カワウソの通常速度……その半分の速さにまで移動速度を減じられても、その疾走は黒い夜風のごとし。普通の〈飛行〉を使う魔法詠唱者と同等か、より上の速さだ。しかも、今のカワウソはまるで本気ではない。足甲の力を存分に発揮していないし、各種速度向上系統の強化(バフ)もかかっていなかった。騎兵連中に“追随可能な速度”をギリギリ維持している。

 それで、この驚愕。

 

「うろたえるな! 追うぞ!」

 

 冷静かつ沈着な隊長の叱咤に叩かれ、飛竜騎兵がカワウソたちを追走追撃する。

 

「……よし、っと」

 

 空を駆けつつ、堕天使は南に向かってひた走る。

 一刻も早く都市の外へ、都市の空を騒がせる位置取りから退避せねば。

 そのための最短ルートである南へ。

 陽が落ち、灯りが煌々と照り出す魔法都市の空は、(ドラゴン)の運航便や空飛ぶ魔法使いに魔獣の乗り手たち、さらには都市上空を飾るニュース動画や浮遊広告の水晶の画面(クリスタル・モニター)などで犇めいている。この騒動で、魔導国の警邏などが出動してきたら面倒だ。

 ミカにも、そのための逃走を厳命している。

 

「カワウソさん、どうして来られたんです!」

 

 振り返る。

 女天使に担ぎ上げられた飛竜──未だに翼が痺れて動かない相棒の背の上で、少女は糾弾に近い声を発した。「なりゆきだ」と応じるカワウソを、少女は涙を湛えた瞳で睨みつける。

 

「それに……『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』……だろ?」

 

 続くカワウソの声に、少女の背後にいた修道女が意表を突かれたように苦笑して、ひとつ頷く。

 女天使は無表情のまま、空を走り抜ける主に追随するのみ。

 

「カワウソ様、ご注意を」

 

 ミカの発する声に「何?」と疑問する間もなく。

 

「って、うぉっと!」

「ば、ばっきゃろう! 気を付けろい、(ニイ)ちゃん!」

 

 チラリと横目に女天使と少女らが共に逃げる姿を確認していたのがマズかった。

 横合いからすれ違うように、荷物を抱え運んでいた霜竜(フロスト・ドラゴン)の鼻先をかすめそうになってしまう。ミカが注意喚起していなかったら、まず衝突していただろう交錯である。

「悪い、すまん!」と竜の一声に吼え返して、カワウソは気合を入れ直した。

 カワウソは油断なく己の目的を果たすべく行動するのみ。

 瞬く内に、カワウソと追走者たち八騎は、都市外の空へ。

 さらに都市を離れ、街道からも外れ、余計な邪魔立てや警邏の干渉がなさそうな、都市から南東に位置する草原の直上に至る。しばらくすると、草の生えていない、降下地点によさそうな空き地を発見。周囲に人などの気配はない。

 ここら辺りでいいだろう。

 

「先に降りろ、ミカ」

 

 短く命じて、女天使とその荷物たちを草原の空き地に降下させる。

 Lv.100の熾天使は、飛竜と人二人を抱えても辟易した様子を見せていなかったが、戦闘には参加させない。ミカの戦闘能力だと、飛竜騎兵たちを“皆殺し”にしかねない。復活の魔法や特殊技術(スキル)、蘇生アイテムを消耗したくないし、それが通用する保証もないのだから、ここは慎重に戦わねば。

 発動しっぱなしの〈敵感知(センス・エネミー)〉で、夜を睨む。

 追ってくる八人と八匹──飛竜騎兵八騎を、正確に捉えた。

 それ以外の反応……敵はいない。

 カワウソは空を踏み締め、その場で身体の向きを反転。

 すぐさま漆黒の鎧の腰にある“鎖”を発動する。

 無骨な鉄色の輝きが、長く、長く、さらに長く、伸びる。

 目算で1~2メートルほどにまで伸びた鉄鎖を右手で回しつつ、狙いをつける。

 

「ん!」

 

 ゲームで慣れた感覚のまま、鎖の先端……狼の意匠を凝らした鉄色を、投げ縄の要領で解き放つ。

 鎖は空を自在に舞う飛竜の一体に向かって、飛翔。

 しかも、ありえないほどの伸長──50メートルは優に超えるだろう──を得て。

 

「ッ! (かわ)せ!」

 

 先頭の隊長騎たる青年の命令で、飛竜騎兵らはいっせいに回避行動をとる。だが、

 

「ちょ、なに!」

「うわ、っと!」

 

 右に急旋回しようとした女騎兵二人が呻いた。その乗騎たる飛竜もやかましく吠える。

 投げられた勢いのまま、さらに伸び続ける鉄の鎖は、それそのものが生きているかのように空中で蛇のごとくうねり、まっすぐな直線から、しなやかな曲線を描き、一匹の飛竜の首に巻きついたと同時に、騎乗者を含めて食らいつくように拘束。近くを飛行していた僚騎を巻き込む形になって、捕縛されていった。

 回避など無意味だ。

 この“レーディング”という、北欧神話の巨狼を繋ごうとした鎖の名を戴くアイテムは、カワウソの狩人(ハンター)の職業が愛用する捕縛用装備だ。その効果は「目標に定めた対象を自動追尾し、捕縛・拘束する」というもの。〈自由(フリーダム)〉などの付与された高位階のアイテムや魔法、無傷かつ強力な敵やモンスターには無用の長物でしかない聖遺物(レリック)級の中級アイテムだが、雑魚モンスターや低レベルな存在の生け捕りなどでは割と重宝した代物であり……どうやら、連中にも効果があるようだ。自動追尾の鎖は、最大補足員数である四対象──飛竜と騎兵のペア二騎を、拘束せしめた。

 

「なに、このぉ!」

「は、外れない!」

 

 まんまと拘束され自由を奪われた飛竜と騎兵らは、完全に無力化。空から落下するも、鎖は捕縛対象を傷つけることがないよう、地面に激突しない速度で、対象物を落下させる。

 鎖は、拘束に必要な量だけを残したまま中途で断ち切れ、元の状態に戻る。これで、他の対象を再捕縛する準備は整った。

 

「あと、六騎」

 

 再び鎖を手中で振り回すカワウソは冷静に、残る追走者たちを眺め見る。

 

「ハラルド隊長!」

 

 進退を問う雰囲気を滲ませた僚友に、青年は大いに顔を(しか)めている。

 ここでカワウソにかかずらっていては、彼らの目的──ヴェル・セークの抹殺任務は果たせない。しかし、黒い男の捕縛用装備(レーディング)は、いとも容易く飛竜騎兵を無力化できると実演された。慎重を期するならば、撤収することも視野に入れるべきだろう。

 だからこそ、カワウソは連中を退かせる気など毛頭ない。

 鎖を投げ放つ。

 

「そらっ」

「チッ! 躱せ、躱せ! 躱すんだ!」

 

 一辺倒に過ぎる命令だったが、それぐらいしか対処法がないのだから仕方ない。

 捕縛系統の攻撃に対策を取っていなかった己の不運を嘆いてくれと、カワウソはもう一騎の飛竜騎兵の男の腕を鎖で捕らえ、そのまま伸びる勢いに任せ飛竜の翼と近くを飛んでいた少女騎兵と竜を封じこみ、空中にて諸共拘束する。

 残りは、四騎。

 

「ここだッ!」

 

 瞬間、果敢にもカワウソの(ふところ)めがけ、青年隊長と女騎兵二騎、さらに白紫の短髪である熟練の老兵(ロートル)が挟撃をかける。

 

「全騎、突撃!」

 

 カワウソから伸びた鎖は、未だに伸びきったままだ。なるほど、レーディングの再使用までにかかるリキャストタイムを狙われたようだ。存外にやるじゃないかと感心すら覚える。

 しかし、

 

「くらえ!」

 

 青年と乙女、少女と老兵が差し込んできた鎗と剣、計四つの暴力を、カワウソは回避するまでもなく、受け入れた。

 ──より正確には、「回避しないでいたらどうなるのか」を確認したかったがために。

 そして、

 

「……ッ!!」

「な、何!?」

「なんで?!」

「何とッ!!」

 

 四人の一斉挟撃は黒い“鎧”に阻まれ、鋭い金属音を奏でたものの、その穂先を一寸たりともカワウソの肉体に突き入れられずに終わる。どころか、半分は何の用もなさずに砕け、鉄の破片を落としていた。

 カワウソには“上位物理無効化Ⅲ”という「Lv.60以下の物理攻撃を無効化」する特殊技術(スキル)があるが、それも使っていない。

 やはりと思った。

 この神器級(ゴッズ)アイテムの鎧の防御力──硬度が、あまりにも強大すぎるようだ。

 都市上空にて、足甲で鎗を捻じ曲げたのも、同じ理屈か。

 理解したカワウソは、“鎖”のリキャストタイムを終える。

 

「──レーディング」

 

 腰に巻き戻った途端、使い手の意思を受けた鎖が、自動捕縛を発動。

 遠距離では四体までしか補足できない鎖だが、自分に組み付く超至近距離にまで迫った対象を、一度に倍の八体──騎兵四人と飛竜四匹──まで捕縛できる機能によって、飛竜と、それに跨る男女の計八標的は、完全に無力化される。

 

「クソっ、この!」

「外せぇぇぇッ!」

 

 獣然と叫びながらも、地に降ろされた騎兵たちは慌て怯えることはない。

 自分たちがまんまと捕縛された事実を理解しつつも、何の痛痒(つうよう)もない拘束状態だから強硬な態度を保っている──わけではないだろう。

 

「貴公! 自分が、何をしているのか、わかっているのか!?」

 

 いや、知らんがな。

 降ろされた彼らと共に大地を踏み締めた堕天使は、嘆息してしまう。

 それが「わからない」からこそ、互いに話ができる状態に無理やりながらもってきたのだ。わざわざ彼らが追撃可能な速度を維持したのも、彼らから何かしらの情報が得られないかと期待してのこと。あとは、あまりスピードを出しすぎて、それに振り回されるヴェルたちの身に悪影響があることも危惧していたのとで、半々というところだ。

 懸命に拘束を抜けようと欲する彼らに何か言ってやろうかと思ったが、止めた。

 

「カワウソ様」

 

 翼を再び鎧に纏わせた女天使が、声をかけてくる。

 

「ミカ。そっちは無事だな?」

 

 当然と頷く女天使。

 ミカの傍らには、これまで無傷で済んだ少女ヴェル・セークが控え、少し離れた位置でラベンダの傷を“気功”で癒すマルコの姿が。

 

「さて、と」

 

 草原の空き地──かつては誰かが焚火でもして野営していたようなスペースだが、道らしい道はない。随分と長く使われていないようだ──で、まんまと拘束された騎兵たちに、カワウソは静かに向き直る。

 改めて、全員の装備を眺めてみると、同じ飛竜騎兵の部族というだけあって、ヴェル同様に装備だけは整った印象が強い。ヴェルの物と同じく肌色が剥き出しな部分があるのは、そういう規格統一がなされた結果であり、飛竜に乗る上での軽量化を期してのことだろうと推察できる。

 要するに、こいつらは正規の軍隊と同じく、上位者に従属する存在──魔導国の臣民ということの証左だ。

 

「ちょっと()きたいことがあるんだが?」

 

 なるべく優しげな声で問いかける。だが、当然ながらカワウソという闖入者および拘束者に対し、快く応じてやろうというアホは一人もいない。

 カワウソが数分で拘束せしめた連中は元気だった。捕縛はあくまで対象を「拘束」するものに過ぎないので、体力は有り余っているのが当然である。カワウソのことを口々に痛罵(つうば)する甲高い声に、横にいるミカの表情が夜闇の中でもわかるくらい暗くなっていくのは何故だろう。

 そんな中、冷徹に状況を見定めていた青年が、呟く。

 

「致し方、ない──起動!」

 

 カワウソは少し驚く。

 青年の発した声に合わせて、彼の首飾りが淡く輝き──瞬間、カワウソの装備である鎖が、捕縛機能を一斉に解除される。

 そして、八人の騎兵と八匹の飛竜が自由を得たのだ。

 考えられる可能性はひとつ。

 

「拘束を抜けた、か。〈自由(フリーダム)〉のアイテムでも使ったのか?」

 

 しかも、対象は自軍勢力全員へという“全体効果”版だ。別に珍しくもないアイテムだと思われる。

 あの首飾りがあやしいが、装備の効果は一回分しかなかったのか、見る間に消失してしまった。

 

「御免!」

 

 律儀に吠え真っ先に突進する青年の剣撃に対し、カワウソはかなり手加減した上段蹴りを、慣れた調子で浴びせようとして、

 

「〈不落要塞〉!」

「うおおっ!?」

 

 あまりにも重い金属音が、けたたましく鳴り響く。

 カワウソは己の蹴りを、青年の剣によって弾かれた(・・・・)

 神器級(ゴッズ)アイテムの足甲が、ただの剣だろうアイテムに、阻まれたのだ。

 愕然とするカワウソに、

 

「〈即応反射〉!」

 

 続けざまに唱える青年の剣が突き立てられようとして、

 

「おっ、と」

 

 籠手も何もない──腕輪(バンド)しか装備されてない腕一本で払い除けることに成功。

 やはり、青年の剣が凄まじいアイテムということではないようだ。

 

「そ……そんな、馬鹿な……武技もなしに、どうやって?」

 

 今度は青年の方が驚愕に目を見開いていた。

 カワウソは、先ほどはカットしていた常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)のひとつ“上位物理無効化Ⅲ”を発動したのだ。特殊技術(スキル)のオンオフもだいぶ熟れてきたもの。この特殊技術(スキル)がある以上、LV.60以下の攻撃は、カワウソという異形種プレイヤーには通用しない。ゲーム時代は、カワウソの主要な狩場ではあまり使えない微妙系な特殊技術(スキル)であったが、意外と使いようがあることに使用した本人が驚きを覚えている。

 カワウソは話しかける。

 

「意外とやるな。“第二天(ラキア)”の硬度に対抗できる武器って感じはしないのに」

 

 体勢を整え、爪先で地面を叩きながら足甲の名を呟く堕天使は、目の前で起こった出来事を脳に浸透させていく。

 これは貴重かつ重大な情報だ。

 レベルは大したこと無さそうな青年であるが、脆弱な武装で、そして何らかの手段によって、カワウソの攻撃を防いだのだ。いくらカワウソのステータスが異形種の中では微妙と言っても、推定されるレベル差を考えるとありえないとしか言いようがない。おまけに、この足甲はカワウソの剣や鎧などと共に、かつてランキング上位に位置した天使ギルドが引退解散する際に払い下げた神器級(ゴッズ)アイテムのひとつだ。この足甲の蹴りで、魔法都市上空では大きな鎗を折り曲げた事実を思えば、ただの剣など(ひし)げ砕けてもおかしくはないはず。この世界独自の技法だろうか。それとも、飛竜騎兵の青年が保持する未知のアイテムか何かだろうか。

 そんな悠長に構え、状況検分に勤しみながら対峙する男に、他に鎖から解放されていた三人が剣を抜いて駆け出していく。

 

「この!」

「ふっざけんな!」

「ハラルドから離れろ!」

 

 少女らの握る三つの剣が、堕天使の胸の鎧──は、ダメージを与えられそうにないので──その間隙(かんげき)である関節部や接合箇所を狙いすます。

 しかし、その目論見は叶わない。

 

「……『控えなさい』」

 

 女天使の重く清廉な声が、三騎の突撃行動を、さらには残る騎兵や飛竜までをも、静止させてしまう。

 ──カワウソは知覚できなかったことだが。

 少女と飛竜らは、女天使の背後から放たれる光輝を、確かに見た。

 状況から見て多分、上級の天使が扱う特性である“天使の後光(エンジェル・ハイロウ)”の「畏怖」の効果によって、低レベルの人間でしかない彼女たちは、ミカの後光に畏れ、身動きが取れなくなったようだ。

 

「ぐ……がっ?」

 

 さらに、その効果はカワウソと一騎打ちの形で挑んでいた青年にも及んだが、

 

「ミカ。こいつの相手は俺がする。手出しはしなくていい」

「──ですが」

 

 逡巡する女天使を、半ば睨みつけるように「いいから」と命じる。

 不満そうに肩を落とすミカ。彼女の特殊技術(スキル)の対象から、青年が除外される。

 無論、女天使の後光から解放された彼は、疑念した。

 

「……どういう、おつもりか?」

「気にするな」

「……尋常な勝負を、お望みか?」

「そんな構えたつもりはないが──とりあえず、やってみてくれ」

 

 カワウソの真意を(はか)りかねる青年は、騎兵の剣を脇の位置に構え、左手を鍔に添えるように刺突の型をとる。

 完全にペースを青年の側に預けるカワウソは、依然として無手のままだ。構えらしい構えもない。

 

「……剣を」

「──ん?」

「剣を、お持ちではないのか? 貴公、その鎧──姿で?」

 

 鎧と呼ぶには少し奇怪な造形に見えたのだろう。実際、普通の──飛竜騎兵の彼らが装備している銀色のそれに比べて、カワウソの黒い防備は禍々(まがまが)しい印象が強い。外衣(マント)で隠れる背中部分を見ると、その印象はより顕著になること受け合いだ。

 

「もし良ければ、私の部下の剣をお貸ししてもよいが」

「いや? 持ってるが?」

「ならば、構えていただきたい。丸腰の相手に正面から切りかかるのは、戦士の恥です」

 

 ここまで散々戦ってきているのに、そういうところをこだわる青年の愚直さが、どこか笑えた。感心したと言ってもいい。

 だから、はっきりと告げておく。

 

「すまんが、それは無理だ」

「……何故(なにゆえ)?」

「おまえらを殺したくないんでな」

 

 完全に上から目線の発言だった。

 彼を隊長と仰ぐ飛竜騎兵たちから「ふざけたことを!」と不満の声が噴き出す。ミカがそちらをジロリと睨むとすぐに黙るが、敵意は依然として健在である。

 双方共に、これは致し方ないことだ。

 カワウソのメイン装備である“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”の攻撃力は、伊達に神器級(ゴッズ)アイテムに列せられていない。ちょっとかすった程度で……あるいは、青年が突進してきた勢いのまま剣を鎧を諸共に貫いて、殺し尽くすことも十分にありえた。拠点の金庫や武器庫を漁れば、弱い初期装備くらいはあるだろうが、今カワウソの手元にあるのは、完璧万全な“戦闘用”のものばかりである。これらは使うわけにはいかないだろう。

 

 

 何故なら。

 魔導国の民は殺さない。

 厳密に言えば、殺すべきではない。

 

 

 その基本方針を覆していない現段階で、(いたずら)に剣を抜くわけにはいかないのだ。

 無論、彼の放つ独特な戦闘能力──不落要塞(フラクヨーサイ)、と言ったか──があれば、防ぐこともありえるかもだが、勢い余って殺しちゃいました、なんて馬鹿馬鹿しすぎる。

 カワウソの余裕をどう受け取ったのか、青年は深く呼吸し、剣を持ったまま、大地に四肢を這わせるように身構える。ただし、許しを請うような形ではない。

 

「……武技(ぶぎ)

 

 それは、四足獣のモンスターが、獲物に向け飛び掛かる直前の姿に似ていた。

 

「──〈疾風走破〉!」

 

 瞬間、怒濤の風と化した青年の速攻。

 兜などの守るものがない剥き出しの頭部……カワウソの眉間に叩き込まれようとする刺突攻撃を──

 

「……すげぇな」

 

 驚嘆する男の、堕天使の浅黒い剥き出しの掌が、文字通り眼前で、難なく刃先を掴み受け止めていた。

 爆風になびく黒い前髪すら、一本も切り裂くことは出来ていない。赤黒い輪っかも、微動だにしていなかった。

 カワウソは小声で、起こった出来事を確かめる。

 

「これ、ただの人間の身体能力じゃないだろ……魔法の強化(バフ)って感じもしないし」

 

 余裕綽々と目の前で起こった事実は何なのだろうと確認する堕天使。

 ほとんど反射的に刃先を掴んだ掌には、血の色は勿論、擦り傷ひとつ走っていない。

 

「ッ! これでも、駄目か!」

 

 半ば予想していたらしい青年が苦し気に呻いた。

 そして、我慢の限界という様子で、吠えたてる。

 

「頼むから、邪魔立てするな! これは、我等セーク族の問題! 余人が首を突っ込むべきことではない!」

「って言っても、なぁ……ん? 待て、……セーク族、……問題?」

 

 青年の剣幕など何処吹く風という感じで、カワウソは新たな情報に首を(かし)ぐ。

 (いわ)く、セーク族の問題?

 あれだ。“セーク”とは、確か、ヴェルの名字じゃなかったか?

「まさか」という思索に囚われ、剣を掴みっぱなしで黙考するカワウソに業を煮やし、若者は剣を……押しても引いてもビクともしないので、仕方なしに手放した。

 そうして改めて、ここまでの成り行きを眺めるしかなかった抹殺対象の少女(ヴェル・セーク)を、青年は睨み据える。

 

貴女(あなた)のおかげで、我等(セーク)の汚名返上の機会は失われた……式典における飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の招集は撤回され、ヘズナ家との確執は広がるばかり! 今回のこれが、最後の好機であったというのに……よもや、貴女(あなた)が……セーク族長の妹御(いもうとご)がッ……このタイミングで、暴走なさるとは!」

「ま、待って! 私は!」

「問答無用と言っている!」

 

 剣がなくとも少女を切り殺しかねない言葉の鋭さ。

 蚊帳の外にされるのはしようがないとしても、カワウソは冷静に、けれども軽い口調で、怒る。

 

「──少し、落ち着けって」

 

 視界に映る騎兵、ヴェルを含む全員が、身を震わせる。

 

「人の話は最後まで聞いてやったらどうだい……なぁ?」

 

 自分自身でも、暗く薄気味悪いと判る声をもらしてしまうが、もはや構うものか。

 言外に「あまり、俺をイラつかせるな」と言う雰囲気を、かすかにだが、滲ませてしまう。本当に申し訳なく思うが、説明がなければ話にならないのだから、しようがない。

 堕天使の軽い威圧は、思いのほか飛竜騎兵の若者と、その背後に居並ぶものたちをすくませた。堕天使の狂相は、人の美意識にとっては実に醜悪極まりないもの。そんな面貌で、こんなにも険悪な声を響かせたら、尻込みするのも当然か。後ずさり、震え上がり、堕天使の表情を注視せざるを得ない飛竜騎兵ら。だが、中には仲間や相棒にしがみついてないと、自分の身体さえ支えられないものまでいるというのは、……ちょっと傷つくな。

 しかし、そんな中ハラルドは、毅然とした態度のまま、尊厳に満ちる実直な声を奏でてみせた。

 

「貴公。やはり只者(ただもの)ではないと、お見受けする。

 ……魔導王陛下の、……親衛隊か、何かか?」

 

 カワウソは肩を(すく)めるだけで、応じない。

 ハラルドは、頬伝う汗を拭うことも忘れ、朗々と主張する。

 

「いずれにせよ……これは我らが族長から命じられたこと。ひいては、魔導国の王にあだなした存在を(ちゅう)するための行い。故に、貴公が反抗するとあら……ば、……?」

 

 青年の呼吸に微動する喉元を、いつの間にか眼前に迫った人物──金色の輪を頭上に浮かべる騎士風の女──ミカが、手元に握る剣の先で、撫でていた。

 

「反抗したら、……何だというのです?」

 

 ほんの一ミリ、剣を突き出すだけで、冷たく光る刃が肌を貫くことは確実な未来。

 誰も──カワウソすら──知覚できない、一瞬の出来事。

 ミカは、最初からそこにいたかのように、主人に害なす奴儕(やつばら)を引き裂くポジションを確保していた。鋼のように硬く堅く構築された、暗い無表情と共に。

 

「な……何者、なの、だ、……あなた、方は?」

「どうでもいいことを()かないでほしいものであります。

 それよりも、答えやがりなさい。それが何だと(・・・・・・)?」

 

 カワウソは舌打つ。

 後ろに退く青年を追わんとしたミカの握る光剣を、空間から取り出した聖剣で、硬い音を奏でるように押さえて強引に下げさせる。

 

「やめろ、ミカ。殺しは厳禁、と言ったよな? ……下がってろ」

 

 暗い声で諫められる天使は、主を睨み、鼻を鳴らしつつ、あっさり剣を引いた。

 カワウソは冷静だった。ここで「魔導王のために動いている」存在を殺すのは、よろしくない。何があろうと避けねばならない事柄だ。

 そんなことをすれば、カワウソたちは完全に魔導国の敵対者と見做(みな)され、蹂躙される未来が待ち受けるだろう。

 まぁ、そうなったらそうなっただが(・・・・・・・・・・・・・)

 さらに言うと。今、目の前で起こる人死(ひとじ)にを、カワウソの常識が忌避して止まなかったことが大いに影響を及ぼしている。

 

「説明してくれないか? そうしてくれれば、とりあえず俺は(・・)助かるんだが?」

 

 凍てつく刃の声色──ミカの尋常ならざる殺気から解放された青年に、カワウソは明朗に催促してみる。

 

「……いいでしょう」

 

 無傷の首を撫でる青年が応じると、部下である騎兵たちも矛を収める意思を示すように頷いた。

 カワウソも、左手にあった青年の得物を返却してやる。

 不用心極まりない判断かもしれないが、それでまた切りかかってきたら、また捕縛してやるだけだ。こいつらの戦闘パターンは読み切れているし、強さもヴェルと大差ないのであれば、万が一にも自分たちが殺されることはあり得ない。

 そんなカワウソの心配は無用だとでも言いたげに、全員が装備されている剣を鞘ごと外し、鎗や短剣まで捨てて、投降の意思を(あらわ)にした。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ああ~、惜しい! 惜しかったですね~、今のは!」

「何ガ、惜シカッタノダ?」

 

 最上位悪魔(アーチデヴィル)の語る声に、蟲王(ヴァーミンロード)は凍てつく息と共に疑問を吐いた。

 魔導国「国軍」の最頂点に位置する“大将軍”を拝命されているコキュートスには、水晶の画面に映し出された今の戦闘で、惜しむべきところなど発見できなかった。堕天使の捕縛技はなかなか洗練されていたが、実際の戦闘力は未知数のまま。捕縛の対象に据えられ、まんまと降伏せざるを得なかった飛竜騎兵の部隊についても、善戦と呼べるほどの場面はひとつもない。想定される彼我のレベル差を考えれば、飛竜騎兵たちが無傷で済んだことは驚嘆すべき戦果やも知れないが、魔導国の国軍を預かる大将軍としては──いくら中流の、三等臣民とはいえ──もう少し頑張れと思ってしまうというのが本当である。

 しかし、叡智に優れる“大参謀”は、武力や戦闘とはまったく違う角度から、痛切な感想を懐いてならなかったようで。

 

「奴が──というか、あの女天使が、あのまま飛竜騎兵の彼等に危害を加えてくれていれば、もう少しで我々の大義名分の“第一”が立ったところだったのですがねぇ?」

 

 デミウルゴスが「実に惜しい」と評した内容を理解し、コキュートスもすぐに納得する。

 

「ナルホド。政治戦略トシテ、民ノ(イノチ)ニ害ヲ成シタ瞬間、彼奴等(キャツラ)ヲ討伐スル任務ガイタダケタハズ──トイウコトダナ?」

「まさに」

 

 この100年で驚くほどの戦上手と化した友に、悪魔は祝福の笑みを浮かべ肯定する。

 大義名分。

 それさえあれば、連中を完膚なきまでに制圧蹂躙できるのだ。

 魔導国の民を、一方的に害する者が現れれば、それは即ち魔導王の、アインズ・ウール・ゴウンその人の御敵(おんてき)にほかならない。

 無論、連中の戦力評価や戦術分析を入念に重ねて、保持しているやも知れない最大脅威──世界級(ワールド)アイテムなどの有無や、その機能など──が判明するまでは、(いたずら)に手を出すことは出来ない。そのために、デミウルゴスやアルベドは、奴らの戦力を推し量る機会を、──そのための戦闘状況を──つぶさに構築していっているのだ。

 だが、いざ連中を討伐し果せる際に、そういった大義と名分が揃っていなくては話にならない。デミウルゴスの娘も、そのための布石として街を散策させたのである。

 

 魔導国は、魔導王であるアインズは、無益な殺戮(さつりく)を好まない。

 

 しかし、殺戮に有益なものがあると判断されれば、喜んでその叡智と威力を示してくれることは周知の事実であり、これまでの経験則であるのだ。

 あの堕天使と、あれが率いているだろう天使ギルドを滅ぼすことが「益」となることは、デミウルゴスからしてみれば必定の事実。

 100年周期で現れるプレイヤーへの“生体実験”。さらには、他ギルドに属するNPCの“実態調査”など、これまで判然としていなかった情報を探る上で、奴等には是が非でも、魔導国の「敵」となってほしいところなのが、悪魔的頭脳を誇る大参謀の本音である。勿論、お優しいアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の威光に浴し、「従属する」というのであれば、アーグランド領域・信託統治者であるツアーの保護下にある、あの八欲王の遺産たる者たち同様、安寧を与えることも十分ありえることでは、ある。

 そして、あの堕天使である男は、今のところ魔導国に対し、積極的に害をなそうという意志や姿勢は垣間見えない(ちなみに、アインズの作成した中位アンデッドや、魔将の配下の悪魔が召喚した雑魚悪魔モンスターである猟犬などについては、大したコストが必要というわけではないため、別段狩られ滅ぼされても良いらしく、アインズ本人はあくまで、“魔導国の臣民たる者たち”への殺戮行為のみを、反撃の理由に使うべきと定めている。沈黙の森で吹き飛ばされた追跡隊については、むしろ滅ぼしてしまう方が、常識的かつ良識あるプレイヤーならば当然な対応だったわけだ)。

 追われていたヴェル・セークを匿う行動も、派遣したマルコとの遣り取りも、そして今しがた見せた敵対行動をとる魔導国の臣民たちを“無傷”で“無力化”した事実を見ても、すべてアインズの眼鏡にかなう対応判断であったのは大きい。

 連中が歩み寄る場合、アインズは連中が魔導国に従属することを許す(アインズ本人の感覚としては、「手を携えていきたい」)姿勢を見せているのだ。それに反駁(はんばく)する理由などデミウルゴスには存在しない。

 ──しないのだが、悪魔的な思考と嗜好から、堕天使たちが敵になってくれることを、彼個人が祈念するのは極めて正しい思想理念でしかない。それが最上位悪魔としての必然であり、アインズ・ウール・ゴウンに仕える大参謀として必要なことであるのだから。

 

「はてさて、彼らはどれほど頑張ってくれるのでしょうね?」

 

 この100年後の魔導国に舞い降りた堕天使のプレイヤーを、彼らは観察し続ける。

 微笑みを深め嘲笑する友たる悪魔に、蟲王(ヴァーミンロード)は同意するように凍えた吐息で唸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今後は不定期更新になるかもです。ご了承下さい。

 飛竜騎兵に関する情報などは、”書籍四巻などを参考”にした「作者の独自設定」です。

 第一章の三話「救出」で使おうとしていた鎖がやっと登場。
 以下は、カワウソの使った捕縛用装備の参考情報。
 読み飛ばしていただいてかまいません。


 作中のカワウソの装備のネタなどについて01

・レーディング

 北欧神話に登場する巨大狼・フェンリル。
 悪戯の神ロキの産んだ三兄妹の怪物、その長男。弟はヨルムンガンド。妹はヘル。
 その身体は巨大で、口を開けば上顎が天に、下顎が地につくほど。
『ラグナロクによって、フェンリルは最高神オーディンを殺す』という予言により、フェンリルを危険視した神々が彼を封じるべく、鎖で繋ごうとするがうまくいかず、後に用意した強力な鎖が “レーディング” という。神々は「力試し」と(そそのか)して、フェンリルを封じようと試みる。
 だが、レーディングはフェンリルの力でやすやすと引き千切れ、神々は次にレーディングの二倍の強度を誇る“ドローミ”を使うが、これも破壊される。神々は最終的にドヴェルグ(ドワーフ)に創らせた魔法の紐“グレイプニル”を使ってフェンリルを封じることになるが、さすがに事態を怪しんだフェンリルはこれを拒否。彼を納得させるために、戦争の神・テュールが人質としてフェンリルの口に右腕を突っ込んだ後、グレイプニルでフェンリルを縛る。結果、騙されたとわかったフェンリルは、テュールの右腕を食いちぎるも、そのまま封じられた。
 このようにして封じられてしまったフェンリルであるが、神々の黄昏(ラグナロク)の時には封印から解放され、予言の通りオーディンを丸呑みにして喰い殺してしまう。


 今作内では、狼の意匠を先端部にあしらった魔法の鎖/狩人専用の捕縛用攻撃アイテム(聖遺物(レリック)級)の名につけられている。低レベルモンスターなどを複数体、高レベルモンスター(体力消耗)一体を捕縛、生け捕りにすることが可能。
 他にも、”ドローミ”や”グレイプニル”などの上級の捕縛アイテムもあるが、職業:狩人(ハンター)のレベルが低いカワウソでは扱えない為、拠点の屋敷に死蔵されているらしい。





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