オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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襲撃

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.06

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 18時の鐘の音が鳴る頃に再集合したカワウソと、ミカ、ヴェル、マルコの四人は、マルコの進言で宿の部屋に案内されそうになる。

 だが。

 

「すまないが。やっぱり俺たちはここで別れるよ」

 

 なるべく明るい声で、きっぱりと告げてみせる。

 

「え……そう、ですか?」

 

 意外そうに眼を見開くマルコに、カワウソは静かに、そして確かに頷く。

 さすがに宿の世話までさせるのは、気が引けたというのが大きい。異世界の宿屋がどんなものか興味は尽きないが、さすがに断固辞退しておくべきだろう。──マルコの金銭的・経済的なアレで、ミカと二人部屋にされそうになった時には、本当にヤバいと感じたのもあるが。

 何より、この女性を、善意を供することに抵抗のない現地人を、カワウソの事情に巻き込みたくはなかった。

 さらに言えば、マルコのレベル算出が、マアトの魔法では不可能だった事実も、過分に影響を及ぼしていた。

 どちらの比重も奇跡的なバランスの上で拮抗しており、だからこそ、これらすべての要因が、マルコ・チャンへの警戒心を増幅させているのが事実だった。

 たとえ、その微笑が、その言葉が、その態度が、どんなにも、好ましく愛らしい代物であったとしても。

 そんな堕天使の疑惑を知らぬ様子で、彼女は小首を傾げ、問う。

 

「今から、都市の外に? ──行く宛は、お決まりなのでしょうか?」

「とりあえずは、うん……このまま、北に向かおうと思う」

 

 城塞都市・エモットなる、魔導国の中枢。

 そこにあるだろうナザリック地下大墳墓に──近づくことは不可能かもだが、その都市がどんな規模で、どんな場所なのか、確かめておきたい衝動は覆せない。あわよくば……なんて馬鹿げたことを思考する自分が、かなり卑屈に思えた。実際、そうなのだろうとも納得しておく。

 

 そうして、もう一人……

 竜の鎌首を撫でる少女も、さすがに都市に滞在し続けることは遠慮する意を示す。

 

「あの、私も、もう大丈夫です、マルコさん」

 

 ヴェルもまた、これ以上は迷惑をかけたくないと、ラベンダが治った以上は自分たちと行動を共にする必要も義務もないと、主張する。

 その言葉の裏には、自分が魔導国に追われる立場にあること、そんな罪人がこれ以上カワウソやミカ、マルコと共にいることは、互いのためにならぬと自覚していることが、大いに含まれていることがわかった。

 すっかり復活した相棒の飛竜と相談して決めたのだと、ヴェルは譲る気配を見せない。

 飛竜騎兵の少女はもう一度、頭を深く下げた。

 

「本当に。お世話になりました」

「そう、ですか……もう少し、皆さんのお話をうかがいたかったのですが」

「私もです」

 

 二人が淡く微笑む様を、カワウソはただ見つめる。

 少女は誠実な物腰と言葉で、相棒を治癒してくれた救済者……今も荷の中に残りがしまってある治癒薬(ポーション)まで買い与えてくれた男装の麗人に、底知れぬ感謝を募らせる。

 

「この御恩、忘れません。できれば、何かお返しができればいいんですけど」

「お気になさらないでください。私が、勝手にやったことですので」

 

 はにかむ頬を指でかくマルコ。ヴェルも柔らかな気持ちを、その(おもて)に浮かべて示した。

 

「カワウソ、さん」

 

 ヴェルは、少し離れたところにいた男に駆け寄った。

 

「本当に──本当に、ありがとうございました。あの森で、私を助けてくれて」

「感謝されることじゃ……」

「それでも、ありがとうございます」

 

 かすかに怯えるように言い淀む男に、少女はまっすぐに言ってくれる。

 ヴェルは不意に、カワウソに前かがみになるよう手振りで促す。それに従うと、少女は「森でのお話。私、絶対に誰にも言いませんから」とだけ告げてきて──どきりとした。

 追跡部隊の件も、すべて自分の胸におさめておくのだと。

 カワウソは呆れた。心の底から。

 潔いのを通り越して、馬鹿みたいに優しすぎる。

 

「だから、私のことは気にしないでください」

 

 そう言う少女は、これからこの都市の衛兵所に赴き、自首するという。より厳密に言えば、出頭というべきか。

 そして、然るべき裁きを受けようと──静かに決意していた。

 

「大丈夫なのか?」

「……正直、今でも不安ですけど、これ以上逃げ続けて、部族の皆に迷惑や嫌疑をかけられたら大変ですから」

 

 カワウソの問いかけに、ヴェルは表情を和らげようと努める。

 表情の硬い少女は、相棒の飛竜(ラベンダ)と相談し、決めていた。

 何も覚えておらず、わけもわからぬまま、正確な情報も知らないで逃げ続けるしかなかった少女は、マルコの話を聞いて、とりあえずの安堵を覚えていた。自分の命は勿論惜しいが、街頭の水晶の画面から流れるニュース情報を聞く限り、そこまで破滅的な結果には繋がっていないと知って、ようやく決心がついたのだと。

 むしろ、これ以上の逃亡は不可能だと判断された結果ともいえる。

 

「それじゃあ……皆さん、お元気で!」

 

 クシャリと笑う彼女に、続く飛竜の声が軽やかに響く。

 相棒と共に(きびす)を返した少女は、夕暮から宵闇に染まる目抜き通りを進んでいく。

 薄紫の髪は、一度も振り返ることなく、去ろうとして。

 

「──待ってください」

 

 白金の髪を揺らす修道女が、ヴェルの背中を追う。

 

「私も、共にいきます」

「え……でも。私と一緒にいたら」

「ここまで来れば、乗り掛かった船です」

 

 ヴェルは、けっして弱音を零さない。

 ただ、代わりに、深く深い感謝のまま、頭を下げるしかなかった。

 少女らの罪は、重いのだろう。その小さな肩に負うには、あまりにも酷烈な未来が待っているのやも知れない。

 しかし、それでも、そこまでの道のりを、肩を並べ共に歩んでくれる善人がいてくれるというのは、とんでもない安堵をもたらしたようだ。

 だが、だからといって、カワウソは彼女らについていこうという気概は、まったく湧かない。

 

「──じゃあ。俺たちはここで」

「カワウソ様、ミカ様。お二人とも、お気をつけて」

 

 カワウソは、通りを行く少女と飛竜、修道女の背中を、ただ見送る。

「マルコがついていくのなら安心」というよりも、情けないほどの自己保身に駆られた結果だ。

 ──自分(カワウソ)は、連中と、魔導国の王と、事を構えたくはないのだ。

 最後まで礼儀正しく心清らかな乙女らを見送り終えると、カワウソたちは北に向かう……フリをする。

 

「案内、頼む」

 

 カワウソが短く命じると、終始沈黙していたミカは「了解」の意を唱え、前を歩く。

 宿屋の前からほどなくして身をくらませると、誰もいない路地裏をようやく見つけ、神器級(ゴッズ)アイテムのマント“タルンカッペ”の〈完全不可知化〉を発動。ミカも同様に装備の魔法を発動し、姿をくらませることはできる(昼食の時、あの行列を前に姿を消したのと同じ理屈だ)が、今回はカワウソの装備効果の範囲内に取り込んだことで、互いに意思の疎通と存在認識には、影響を及ぼさない。不可知化の帳の下、彼女が特殊技術(スキル)で感知可能な存在を探す。

 五度ほど、整えられた区画を抜けて、粘体(スライム)に清掃される綺麗な街の路地を折れ曲がった時だ。

 

「この上です」

 

 言われ指差された建物は、この街区でもそれなりの高さを誇る集合住宅らしいが、沈黙の森や岩山を走破したカワウソであれば、外壁を駆けあがることで簡単に登頂できる。装備した指輪のひとつ“簡易登破の指輪(リング・オブ・イージークライム)”と、堕天使の身体能力の賜物であった。魔法的な防御を張られた城壁などには通用しないものだが、異世界の建物の壁を走るくらいのことには、なんら支障がないようである。

 黒い足甲がカツンと耳に響く。

 屋上にまで数秒かけて辿り着くと、稜線(りょうせん)の向こう側へ今まさに沈まんとする太陽の赤に目を細める。見上げた頭上に、星空が間近に迫ったような錯覚を覚えた。本当に、現実の光景とは思えないほど、その美しさには圧倒されてしまう。

 ただ、感動している暇はなかった。

 屋上の隅にある、貯水タンクじみた一角に移動。ここでなら、上空を飛び交い飛行する魔獣やアンデッド、魔法詠唱者の監視は及ぶまい。念のため、欺瞞情報系の魔法もアイテムで発動しておく。

 タルンカッペの効果を切る。するとほぼ同時に、そこに佇むNPCたちも装備の効果を解いて出現した。

 ミカの保有する同族を感知識別する“天使の祝福”を強化駆使し、装備で不可視化したギルドのNPC三名と合流。

 カワウソは、まったく実直な言葉で彼らを迎え入れた。

 

「ご苦労……待たせたか?」

「とんでもございません、()(しゅ)よ」

 

 一様に跪く三人を代表して、ラファが応じた。

 

 ラファは、白い布の衣服に腰からは薬箱や水筒を下げ、さらに小さなズタ袋が括りつけられた牧人(ハーダー)……古代の羊飼いじみた、若い旅人といった姿をしている。平時において足首から天使の羽を二枚生やした姿でいる彼だが、今は小さく革製のサンダルの装飾のように翼は偽装されていた。樹で出来た簡素な杖を捧げるように膝をつく様は、騎士団の儀仗兵じみた謹直さが想起されてならない。多くの信仰系職業を有したことで堅物な口調と態度が定着された主天使(ドミニオン)であった。

 

 イズラは、漆黒のフード付き外套(コート)に身を包み、軍人の詰襟じみた聖衣を纏う暗灰色の髪に黒瞳の青年。低い階級の天使だが、代わりに暗殺者(アサシン)やそれに由来する職業レベルをおさめることで、高い隠密戦と撹乱戦──暗闘を得意とする。暗器を仕込んだ手袋と、即死系アイテムを武器とする彼は、イスラとは兄と妹の兄妹関係にあると設定されており、見た目は髪と瞳の色以外そっくりだ。

 

 ナタは、蒼い髪の少年兵で、全身に帯びる剣装や防具の数はギルド随一。花の動像(フラワー・ゴーレム)というレア種族故に、総合的な攻撃性能についてはかなりの部類で、第一階層最奥にある“闘技場”と、第四階層における最終戦“円卓の間”に出現するように創造した『最強の矛』──生粋の重装剣士であり、近接戦闘の申し子である。やかましく元気一杯な口調で、その言動や表情にはまるで裏表がない。

 

 各々、体躯や装備品などまるで違うものたちばかりだが、全員が潜入活動に必要なアイテム、〈完全不可視化〉などを発動する装備を所持させることで共通していた。昼過ぎに〈全体伝言(マス・メッセージ)〉で提示しておいた通りである。他にも〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)や、治癒薬(ポーション)などを一定数与えており、潜入活動の準備は万端といった感じだ。

 この都市まで転移してやってきた三人は、カワウソの命令を拝聴する姿勢を崩さない。

 カワウソは、なるべく上位者らしい語気を、喉の奥底から引っ張り出す。

 

「──言っておいた通り、おまえたちには各都市での、情報収集を任せる」

「畏まりました」

「仰せの通りに、マスター」

「どうかお任せください!! 師父(スーフ)!!」

 

 ラファが実直に、イズラが清廉に、ナタが元気満点に応じる。

 

「うん──くれぐれも、戦闘や騒動は起こさないように。情報収集のためには、現地の人々とある程度は接触を持つことになるだろうが、可能な限り、穏便に、対処するんだ」

 

 他にも数個ほど情報収集時の注意事項──魔法や特殊技術(スキル)の使用に関する制限や、緊急時における対応方針などを、口頭で、繰り返す。

 そして、彼らの向かうべき場所の名を、あらためて示した。

 

「ラファが冒険都市に。イズラが生産都市に。ナタは生産都市を中継後、さらに、天空都市や南方士族領域という地に、それぞれ向かえ」

 

 承知の声を短く奏でる三人には、スレイン平野……カワウソたちのギルド拠点のある地をグルリと囲むような位置取りにあるらしい各都市や領域と呼ばれる土地を調査させる。

 拠点の周囲環境をより確実に把握することで、四方から攻め込まれる可能性を失くすと共に、いざ撤退する際には都合がよい距離感を保つためだ。また、拠点から彼ら三人への増援を送らねばならない事態に際して、転移で届く範囲にいてもらった方がいいと判じた結果に過ぎず、他意はない。

 スレイン平野よりはるか北方に位置するこのカッツェに、彼らをわざわざ招集したのは、カワウソ自身が口頭で、直接彼らの様子を眺め、観察しながら命じたいからという理由によるもの。こうして直接対面し、臆することなく命令を受諾するNPCたちには、暗い表情は存在しなかった。三人とも、命じられた内容に疑問も躊躇も懐くことなく、そうされることが自然だとでも感じているような爽快感が垣間見える。

 ……隣にいるミカとは、えらい違いだ。

 だからこそ、懸念すべきことは、ある。

 

「他に、質問は?」

 

 聞いてはみたが、三人は誰も疑念の声をあげず、態度も変わらない。

 これは、少しダメだと思った。

 彼らは創造者であるカワウソに、絶対的な服従の姿勢を見せてくれているが、事ここに至っては、何の意見具申もされないというのは、マズい。

 カワウソは、完璧ではない。

 何か致命的なミスを犯したり、問題に気がついていない可能性は十分、ありえる。

 小卒社会人程度の常識しか持ち合わせがないユグドラシルプレイヤーでしかない男が、あろうことか天使たちの上位者として命令する立場に置かれているというのは、奇特を通り越して異様な事態であることは想像するに難くない。だからこそ、自分の失敗や問題点があれば、それを是正する意見や見解というのは大いに歓迎すべきだ。どんなに耳に痛い言葉が突き刺さることになろうとも、間違った方向に(かじ)を切り続けては、船が(おか)にあがるというもの。取り返しのつかない状況に陥り、そうなってから後悔しても遅いのである。

 そういう意味では、カワウソを嫌う女天使、拠点内の防衛隊隊長の地位を与えた最高位の知恵者(NPC)というのは、非常に有意義な存在となってくれる。

 

「戦闘になりそうな際には撤退せよとの命令ですが、相手の戦力や戦局次第では、撤退は難しいのでは?」

「……その場合は、クピドの〈転移門(ゲート)〉を使ってでも、逃げるしかない」

「転移が使えない状況に陥った場合は? さらに言えば、開いた〈転移門〉からこちらの拠点にたどり着かれる可能性も、十分あり得ますが?」

「うん…………そうなると、クピドを使っての撤退は無理と思うべきか?」

 

 このように、カワウソの思い付き程度の戦術を上方修正する要素として、ミカの存在は素晴らしい成果を発揮してくれる。伊達に軍総司令官(コンスタブル)の職業を保有しているわけではないようだ。

 

「場合によっては、戦闘も止む無しか? …………だが」

「問題ありません。我が主よ」

 

 銀髪碧眼の牧人、ラファの声に、イズラとナタも同調する。

 彼らは、第八階層攻略をシミュレーションして製作した存在であるが故に、最上級ランカーレベルのプレイヤーや、強力なレイドボス並の存在と会敵したら、まるで対抗できない。カワウソやミカほどに装備が充実しているわけでもなく、ガチなレベル構成や装備というのは、ナタぐらいだろう。ラファとイズラはどちらかというと元ネタの天使に則した……お遊びな要素をふんだんに盛り込んだ存在に過ぎない。

 そんなロマンビルドな二人の内一人が、冷酷に宣言する。

 

「万が一、我ら三人がしくじる事態に陥れば、その時はお捨て(・・・)ください」

「……ラファ?」

「我らの存在理由は、ただ、貴方(あなた)様のために」

 

 見渡せば、イズラとナタの表情も、まったくラファの言に同意していた。

 自分たちを見捨てよ、と。

 彼らはそれほどの覚悟をもって、カワウソの前に跪いていたのだ。

 感謝するべき、なのだろう。

 

「…………そう、か…………」

 

 だが、カワウソは、何も言えない。

 当然と言えば当然。

 カワウソは、そこまでして誰かに尽くされることなど、一度だって経験したことはない。せいぜい死んだ両親が必死の思いで学校に通わせてくれたことがある程度だが……まさか、自ら望んで、「切り捨てて構わない」なんて思考をぶつけられることなど、ありえない出来事だった。

 しかし、彼らの思考、想念、行動原理は、そこに由来しているのだろう。

 

 創造主であるカワウソに尽くす。

 

 ただ、それだけのためだけに、自分が存在しているものと信じて疑うことがないようだった。

 

「悪いな……おまえたち」

 

 堕天使の卑近な脳髄が、とりあえずの感謝を紡がせる。

 心から信頼してのことではない。誠に彼らの真意を悟ったとは思えない。

 それでも、カワウソは、真実そこにある彼らの在り方と思いに、感動していた。

 自分ではこうはいくまい。

 自分ではこんな風になれない。

 

「だが、できることなら、そのような事態にはならないよう、努力してほしい」

 

 君命を確実に受け止め立ち上がったNPCたちが、一瞬にして、表情を一変させる。

 彼らは街の一点を見つめ始めた。カワウソは純粋な不安に駆られる。

 

「……どう、した。おまえら?」

 

 自分が何かしただろうかと堕天使が(かえり)みるより先に、漆黒の外套を着込む天使が、薄く微笑(わら)う。

 

「血の臭いですね」

 

 いっそ狂暴なほどの喜悦に歪む天使の相貌が、街区の彼方に差し向けられる。

 

「戦いの声があがっております!!」

 

 元気さとは裏腹、湖面のごとく静かで穏やかな表情をしたナタが指差す方角には、翼を広げたモンスターが何処からか飛翔し現れ、その中心で、やはり翼を広げる存在を、集団で一斉に押し包もうと殺到していた。

 戦いの声とは、竜の蛮声であったのだ。

 

「……飛竜(ワイバーン)?」

 

 もはや見慣れた感すらあった飛翔するモンスター──その群れ。

 翼を広げる竜たちに乗って空を駆る、人間の姿。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の大群が、第四街区の、宵闇に沈まんとしていた都市の空に現れていた。

 

 ヴェルとラベンダ、そしてマルコが、そこにいる。

 

 というか、彼女たちは、ほぼその中心にいたのだ。

 ヴェルと同じ飛竜騎兵たちによって、彼女たちは、追われている。

 

「一体、何が?」

「同士討ちでしょうか?」

「国に逆らった同胞への対応と考えられますが」

 

 ラファとミカが、疑問と結論を同時に並べ述べる。

 飛竜騎兵のヴェルが、飛竜騎兵の連中に、あろうことか狩られようとしていた。

 数の暴力による蹂躙とは、少し違う。ただの同士討ちというには、飛竜騎兵の連中からは、対象である少女らを嘲弄し嬲り者にしようとする意志は、垣間見ることができない。その統制された編成と連携は、一個の組織として完成された統制のもとに行われ、「そうしなければならない」という、ある種の義務感や使命感の存在を感じさせる。私刑というよりも、処刑なのかもしれない。

 だからこそ、ヴェルたちには抗う術は、ない。

 異形種の視力でもって、彼女らの危地を目の当たりにする。

 せっかく傷を癒したはずの飛竜(ラベンダ)の背に、銛のような投鎗が降り注ぐのを、ヴェルの身を庇うように同乗するマルコが払い落としたようだ。しかし、そのすべてを払えたわけではなく、ラベンダは体の端々から血の色を流し、碧色の鱗をちらちら撒き散らしながら、空を駆けつつのたうち始める。その悲痛な様は、堕天使の濁った瞳であろうとも、容易に視認することがかなった。

 女天使の声が、冷厳に問いかける。

 

「いかがいたしますか?」

「……」

 

 カワウソは、すぐには応じない。応じられるはずもない。

 見捨てても良かっただろう。

 見捨てた方が良かったはず。

 そもそもにおいて、彼女たちはアインズ・ウール・ゴウンの国民。

 カワウソとは、縁もゆかりもないはずの、赤の他人でしか、ない。

 ここで、衆人環視の下にある、あんな戦闘に介入するなんていう、とびきり目立つ行動は避けるべきだと思う。

 ……なのに。

 

 

 

 ──「『誰かが困っていたら助けるのはあたりまえ』と教わっておりますから」──

 

 

 

 その声が耳に残響する。

 カワウソは、見捨てられない。

 ほんの半日以下の時間を共に過ごし、食事を味わった程度の仲でしかないはずの彼女らを、

 

「……たすける」

 

 助けるとも。

 

「……これも、乗り掛かった船と言う奴だ」

 

 暴力的な微苦笑を浮かべ決意する主人に、ミカは僅かも逡巡することなく頷く。

 他の三人からも、さしたる異論反論があがることは、ない。

 

「しかし、まぁ……なんてことだ」

 

 カワウソは(うそぶ)く。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの民を護るために、

 アインズ・ウール・ゴウンの民と戦わねばならないとは。

 

 堕天使は、屋上の淵に足をかけ、煌々と照り輝く摩天楼の都──その隙間にある夜闇を、跳ぶ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 幾多の羽音が重なっている。

 昼の街道で聞いたドラゴンの大きな翼が奏でるそれとは違い、小さくも鋭く、そして数多くの飛竜(ワイバーン)の翼がはためき、空を裂く騒音。

 街の人々にとってもあまり聞き慣れないものであったようで、誰もが頭上をかなりの速さで流れ飛ぶ影を振り仰いだ。

 何かの行事イベントか、さもなくば冒険者同士の決闘か何かだと見做した市民ら住人たちから野次と歓声が飛ぶ。

 しかし、飛竜騎兵たちは応じない。

 無論、ヴェルたちも。

 

「マルコさん! お願いだから、逃げてください!」

 

 必死になって、ヴェルは頑なに飛竜の背に同乗し続ける意思を曲げない女性に嘆願する。

 

「そうは、いきません──よ!」

 

 鞍の隙間に爪先をつっこんで体を固定する修道女(マルコ)の裏拳が、ラベンダの中心を抉るべく放たれた投鎗(スピア)を盛大に弾く。彼女の長く細い指先を包む、純白の手袋(グローブ)の力なのだろうか? まさか、彼女(マルコ)本人の力ということはないだろう……あまりの威力に空間を引き裂くほどの金属音が、宵闇の街に響き渡っている。だが弾かれた鎗は別の飛竜たちの連携と、鎗に込められた魔法により空中で回収され、そして投げるというサイクルが築かれつつあった。

 それだけではなく、鎗を構え、果敢にも突撃する者も出始める。

 鎗のみの重量を頼みとした攻撃ではなく、飛竜の重さと騎兵の技巧を合わせた突進攻撃。

 ヴェルは応戦しようにも、自分の得物はすべて失った状況だ。最初の墜落で専用の鎗は紛失、続く追撃部隊との戦闘で、腰に帯びた剣は砕け折れ、捨てていた。唯一残った鞘で戦うなど不可能。鎗のリーチと破壊力との差が絶望的過ぎる。

 文字通り、四方八方から降り注ぐ暴力の包囲網。

 ヴェル・セークは、今度こそ終わりを迎えると、そう確信してしまう。

 

 ──どうして、こんなことになってしまったのか。

 

 衛兵所に向かっていたヴェルたちを、空から急襲してきた仲間たち……飛竜騎兵の隊列が押し包んだ。あまり近くに通りがかりの人がいなかったおかげで、急襲はすべてヴェルたちが被るのみとなったのは、不幸中の幸い……否、もしかしたら、そうなるタイミングを周到に窺っていたのかもしれない。

 空から降り注ぐ鋼鉄の暴力を、いち早く気付いたマルコが払い落とし、一瞬遅れたラベンダがヴェルの首根っこを掴むように翼の上で転がし、定位置となる鞍に乗せてくれた。一拍の間もない瞬発力と判断力で上昇する相棒の背に、男装の麗人もすぐさま飛び乗ってきて──そうして、今に至っているわけである。

 

「皆、お願い! 話を!」

 

 させてほしいと叫ぶ間もなく、騎兵の突撃をラベンダが回避のために宙を一転する。

 ほぼ真横に振り回される騎手と同乗者も無事に済んだが、襲ってきた騎兵が行きがけに投じた短剣四つが、ラベンダの胸と腹に(あやま)たず食い込む。飛竜の分厚い鱗と肉によって、致命的な傷にはなりえない刃であったが、

 

「グゥ、ア!!」

「ラベンダ?!」

 

 悲痛の叫びを彼女の口腔から撒き散らす効能を与えてみせた。

 おそらく、毒だ。飛竜騎兵のとある一族が伝来していた毒剣が、たっぷりとラベンダの臓物に染み込みつつある。抜いて治療したいところだが、そんな暇は空戦の最中にあるわけもない。ラベンダがかきむしるように、翼の爪で払い落とすのに任せるしかなく──その隙を彼らが、皆が、見逃すはずもなく。

 翼を駆るのを一時的にやめた飛竜は、宙で静止し、まもなく墜落の軌道を描く。

 そうして、そこへ殺到する、見慣れた仲間三人と三匹からなる、猛進。

 

「ッ、ラベンダ!」

 

 回避を──そう指示する間に肉薄する穂先が、夜の都市灯りに閃き輝く。

 ヴェルは、自分を包み込むように抱き締める同乗者、マルコの腕の感触に包まれながら、無言で詫びる。

 こんなことに巻き込んで申し訳ない。情けなさ過ぎて泣けてしまう。

 直前に別れたあの人たち……カワウソとミカにまで累が及んでいないことを祈念しつつ、ヴェルは潤む視界を直視しきれず、瞼を落としてかけて、

 

「おいおいおい」

 

 瞬間、聞き慣れた声が、ヴェル・セークの意識を包み込んだ。

 不意に、飛行中のラベンダに搭乗するのとは違う浮遊感で、二人と一匹は宙を漂い始める。

 

 

「……おまえら、女子供相手に、おもしろいことしているじゃないか?」

 

 

 轟くように響く声。

 続く音は、三つの鎗撃が一斉に捩れ曲がる瞬間の悲鳴。

 突撃を真正面から無力化された騎兵たちが瞠目する間もなく、黒い影が、目にも止まらぬ速度で一撃を──蹴りを──繰り出す。三匹の竜が、見えない巨人の手に叩かれたように空を横滑りして──墜落する者は一騎もなかった。三騎とも、軽い眩暈や衝撃に呻きつつ、戦線に復帰する。

 これは、男が弱いということではないだろう。

 軽く振り抜かれた程度の、人間の蹴撃が、一挙に突撃中の飛竜三騎を吹き飛ばしたという、事実。

 誰もが驚愕と畏怖を込めて、その人影を──人物を、見る。

 ヴェルは手綱(たづな)を握り、鞍に跨りながら、“宙に浮いた”ままで、それら現象と光景を眺めていた。

 ラベンダは毒の影響を脱しつつも、翼を駆る力は取り戻していない。

 マルコにしても、ヴェルを腕の中に抱き守る姿勢を解いてはいない。

 にもかかわらず、自分たちは宙に浮いている。

 見下ろすと、奇妙な光り輝く光の円環……それを頭上に(いただ)く女性が、飛竜の巨体を軽々と持ち上げ、騎乗者二人分の体重も含めて、空を飛行していた。浮遊感の正体は、飛竜の巨体ごと私たちを肩に担ぐ、黄金の女騎士の膂力(りょりょく)──とはさすがに思えなかったので、多分、魔法かアイテムじゃないかと思われた。

 黄金の髪を流すミカの〈飛行〉によって、ヴェルとラベンダ、マルコは全員無事に、ひとつの建物の、広い屋上にまで降下する。

 そこに、轟く声の持ち主が、夜空を“駆け降りて”着地する。

 目の前の人影は、もはや見慣れてしまった、黒い、ヒト。

 皮肉をたっぷり含ませた横顔と声色が、すごく怖い。

 それでも、目をそらすことだけは、出来ない。

 する必要はないし……したくも、ない。

 

 まるで物語の英雄が纏うような、黒い鎧と足甲と装具の数。

 日に焼けた肌色の綺麗な手には、純白の剣は握られてない。

 眼窩のようにも思えるほど落ち窪んだ眼の(クマ)が、凄まじい。

 寝ても覚めても苦吟(くぎん)にのたうつ人生を歩んだ、苦悩者の相。

 人間の姿に化物じみた力を秘め隠した、災いのごとき、男。

 

 ヴェル・セークを救ってくれた存在──名前は、カワウソ。

 

「俺も、混ぜてくれないか? んん?」

 

 そう言って(わら)いつつ、彼はヴェルたちの方を一瞥(いちべつ)もしない。

 明らかに飛竜の群れに襲われたヴェルたちを助ける意図があって、この場に現れたことは確かだろうが、彼は戦闘に赴くのに必死で、こちらを(かえり)みる余裕もないのかも。

 この一日で、二度も窮地から救われた少女は――不謹慎ながら――胸の奥の鼓動を高めてしまう。

 それほどまでに、その男は恐ろしく、そして怖ろしかった。

 こんな思いは、これほどの想いは、はじめてだった。

 

 

「邪魔立ては無用に願いたい」

 

 

 夜闇を羽搏(はばた)く羽音のひとつから、その声は注がれた。

 ヴェルは空を仰ぐ。

 知らぬ仲ではない──むしろ懇意ですらある──部族の騎兵隊隊長が、整然と、あるいは悄然と、言い放つ。

 漆黒の男が救ってしまった罪人を……逃亡者である少女の瞳を……ただ、睨み据えて。

 ヴェルは、たまらなくなって声をあげた。

 

「……ハラルド──どうしてッ」

 

 問われるまでもないこと。

 ヴェル自身もそれを解っていて、それでも、()かずにはいられない。

 確かめなければならない。

 

「ヴェル・セーク……我等は貴女(あなた)を」

 

 今まで聞いたこともないような同胞の暗い声。

 悲嘆に引き絞られ尽くした喉を震わせながら、

 眉根を険しくする幼馴染(ハラルド)が──告げてくれる。

 

 

 

 

 

「抹殺する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三章 飛竜騎兵 に続く】

 

 

 

 

 

 




忙しくなってきたので、次回の更新はかなり遅れます。ご容赦ください。

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