オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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後日談 EXTRA STAGE
後日談 -1 ~会~


/After story …vol.01

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 不思議な夢を見た。

 とても不可解な夢。

 

 

 

 

 どことも知れぬ闇。

 (そら)の境目のような──世界の果て。

 ユグドラシルの深淵原野(アビスランド)……異形種のはじまりの街を想起させる、暗黒の神殿。

 

「よう、死の支配者(オーバーロード)さんよぉ」

「──何用だ、堕天使」

 

 ひとりの堕天使が、骸骨の魔法詠唱者に声をかけた。

 その声は、カワウソが幾度も夢の中で聞いてきた、異形種の声音。

 彼らはダイニングチェアに対面で座り、黒大理石のテーブルをはさんで、互いを()めつけ合っている。

 しかし、彼らはカワウソでもモモンガでも、ない。

 

「アンデッドは寝ない種族のはずだろうに。こうして夢の中で顔を合わせるなんてな。モモンガの野郎が寝たのかよ?」

「──ああ。人間化・受肉した時の、ほんの数時間程度のみだがな。で、何用だ?」

「まぁとりあえず。アイツを生き返らせてくれたこと、まだ礼を言ってなかったよな? 感謝しとくぜぇ?」

「──それは“我”の関与したことではない。あれは、“アレ”が勝手にやったことだ」

「アレ、ね。おまえさんの中身……アインズ・ウール・ゴウン、じゃねぇ、モモンガ……スズキ、サトル、だっけ? ま、何にせよ、互いにイミフな状況におかれていることに、変わりはねぇか?」

「──然り。『異世界転移』などと、まったくもって理解不能な事象だ」

「おまけに、俺らの中身のプレイヤー共まで一緒に、とはなぁ……なんか心当たりはねぇのかよ、せんぱ~い?」

「──さてな」

 

 不動の姿勢を保っていた死の支配者(オーバーロード)は肩をすくめた。

 それに対して、足を組み背もたれに身体を預ける堕天使もまた、肩をすくめて嗤うしかない。

 

「いずれにせよ。おかげで俺様もアイツと一緒に生き返ることができて、こうしておもしろおかしく生きられることになった。カワウソのボケクズが、生きて生きて生き続ける限り、俺はアイツの欲望に身をゆだねることができるって寸法だからな。……ま、正直。もっともっっともっっっと、今以上に欲得に欲情に欲念に溺れてほしいところだがぁ。あいにく俺の中身(カワウソ)はただのガキだからな。もっと爛れた生活を送ってもバチはあたんねぇだろうによ。ちょいと俺様が小突けばすぐに崩れるだろうが、あの女──あの忌まわしい女神の加護(スキル)のせいで、そう上手く事を運べねえのは、痛し痒しってところだぁな」

「──ならば、あのミカとやら、女神を己の手で葬り去ればよいのではないか?」

「ひゃっ、はははは! それぁいいプランだ! もっとも! あの女神(アマ)を殺せば、カワウソが自壊自滅する状況にある以上、俺様もまた共崩れになるからな! ヒャハハハハハハハッ!!」

 

 ツボにでもハマったかのように腹を抱えて笑い転げる堕天使に対し、死の支配者(オーバーロード)は憮然としながら存在しない鼻を鳴らす。

 

「──理解できんな。何故、貴様はプレイヤーに、あのカワウソとやらに肩入れする?」

「あー? 別に肩入れしてるわけじゃねぇ。ただ、あいつとは契約もしたし。第一、あいつが死ねば俺も同時に死ぬ……本当のところは、あいつが俺様の欲望に身をゆだねる……肉体の支配権を取らせてくれれば、それで万事解決なんだが。あいつが転移当初、生存欲という基本的な感情や、復讐欲なんて強い欲望を懐くことなく、それこそあのまま拠点の女どもを手籠めにでもしてくれれば、それで俺様の天下が訪れたこったろうによぉ……それを言うなら、アンタの方はどうなんだ? 死の支配者(オーバーロード)──“生あるものに死を与える”ことしかしないはずのアンデッドの最上位者様が、この異世界で数十億の民を率いる魔導王陛下さまサマとして君臨するなんてよぉ?」

 

 似合っていないにもほどがあると、堕天使は黒い髪を揺らすほどに含み笑う。

 そんな堕天使の野卑な主張……嘲笑に、死の支配者(オーバーロード)は熟考するでもなく応じる。

 

「──興味がない」

「……はあ?」

「──興味がないと言ったのだ。我の中身、鈴木悟(スズキサトル)なる者の企みも想いも、何もかも、我には何の関心事でもない」

 

 骸骨は、どこまでも空虚で、何よりも確固たる鋼鉄のごとき調べで、述懐する。

 差し出した空っぽの骨の掌に、どこまでも澄みきった、火の視線を注ぎながら。

 

「我にとって、魔導国も、アインズ・ウール・ゴウンというギルドも、ナザリック地下大墳墓も、そのNPC共も一人残らず、ただひとつの例外もなく“どうでもよいもの”だ。死の支配者(オーバーロード)たる我にとって、一切衆生、何もかもが小五月蠅(こうるさ)い羽虫の戯れ。我の望みなど、ただすべてを等しく叩き潰し、何よりも素晴らしい死の静謐(せいひつ)が訪れてくれること……それだけだ」

 

 虚言でもなんでもない。

 それこそが、アンデッドの最高位種族たるモノの本心──根源的な活動方針にして絶対無比の衝動に他ならない。

 すべてに等しく死を。

 それが、死の支配者(オーバーロード)として正しい存在動因だと言える。

 ──むしろ、それ以外など、余分以外の何物でもない。

 アインズ・ウール・ゴウン──モモンガ──鈴木悟が懐くギルドへの愛着も愛情も愛惜も愛染も、死の支配者(オーバーロード)そのものにとっては全く無価値の極みでしかないのだ。いっそすべてを蹂躙し陵虐し殺戮し尽くすことを願ってやまない。敵も味方も関係なく、己の周囲を死の地平で(なら)し尽くす……それこそが、それのみが、それだけが、最上位アンデッドの本懐であったのだ。

 

「ひゃは。──じゃあよ、何故“そうしない”?」

 

 モモンガを、鈴木悟という人間に対し、期待も憐憫も何も懐いていないことはわかっている。

 堕天使は言い募る。

 

「プレイヤーに対して、異形種たるモンスターの俺たちが、そういった荒唐無稽な感情や感傷を(いだ)くなど、ありえねぇ。奴らプレイヤーは、俺らという異形種の肉体に宿る腫瘍──本来の在り方に背く“ただの人間”に過ぎない。ウザったいことこの上ねぇ連中だ……そうだろう? 異世界転移の先輩さんよ?」

 

 死の支配者(オーバーロード)は無言の肯定を示した。

 異形種の肉体に宿る人間(プレイヤー)の意思──それは、異形種の肉体そのものの持ち主にとっては、(はなは)だ理解し難い状況に相違ない。だからこそ、異形種の彼らはプレイヤーの精神を侵食していく。彼ら自身の奸計というよりも、プレイヤーの宿る肉体そのものが元の状態に、あるべき形に戻りたいと望むが故に、異形種のプレイヤーは永くは“もたない”。まるで病原を攻撃する抗体のように、人間のこころを、異形の肉体が攻撃し尽くす……そうして、彼らは例外なく破綻するという、必然の図式。

 堕天使は問う。

 

「なぁんでテメェ、お行儀よく王様ごっこに付き合ってんだよ? それだけの能力と魔法と装備、おたくの兵隊共がいれば、世界全土を死の庭に変えることも、十分に可能だぁ……違うのかよ?」

 

 魔導王にしてアインズ・ウール・ゴウンのギルド長である死の支配者(オーバーロード)ならば、ナザリックのNPC共に命じ、ツアーなどの同盟者を裏切り奇襲し、今を生きる魔導国の民や子を鏖殺(おうさつ)させ、その後で生き残ったNPCたちに一言「自害せよ」と命じれば、それで最上位アンデッドの望みは達成されるはず。彼らにとってアインズの、モモンガの意思決定……命令は、絶対。黒が白となり、白が黒となるのは、NPCたちにとっては摂理とも言うべき方針転換だ。

 死の支配者(オーバーロード)は両手の指を組みながら、悠々と告げる。

 

「──愚問。何もせずとも、アレは死ぬ。アレは確実に、我というアンデッドそのものへと変貌しつつある。多くの死を経るごとに、多くの死を与えるごとに、アンデッドとしての在り方に染まっていく。王である以上──王であるからこそ、そもそもがアンデッドであるが故に、アレは死に触れざるを得ない。死とは、常世(とこよ)すべての法だ。死に触れないモノなど存在しない。抗いきることは不可能。精神も魂も、何もかも、だ。ならば、我が直接手を下すまでもない。アンデッドたる我には、そこまでの欲動も渇望もない。堕天使の貴様のように、直截な衝動や直情な欲望に(とりつ)かれ狂奔(きょうほん)するなど、そんな無様をさらすことなど、死の支配者(オーバーロード)たる我には、まったくありえないことだ」

 

 死の支配者(オーバーロード)たる存在にとって、自らが率先して動くということ自体が、精神的な欲望の発露に分類される。

 故に、死の支配者(オーバーロード)たる彼は、アインズを、モモンガを、鈴木悟を直接に葬るような仕儀にでることはないという。

 

「──だから我は待つだけだ。

 あと100年、200年、1000年程度の時間など、悠久を超える『死』そのものである我にとっては、つかの間の微睡(まどろみ)でしかない。アレの死を味わった後でも、我は十分に事を成し遂げられる」

 

 死は静かに宣告を終えた。

 

「は。確かに、そうだわな。

 むしろブチ殺しブチ壊しブチ犯すなら、多い方がオモシロそうだしな。

 肉体的な死を共有する堕天使(おれら)とは違い、たとえアンタは、モモンガという人間(プレイヤー)が、片割れのクソ人間が死んでも、アンデッドの肉体自体は何の問題もなく存在し続けることができるわけだ……だが」

 

 堕天使は赤い三日月のように唇を開き、ニタニタと笑った。

 

「それを、俺の中身が、あのバカ野郎(カワウソ)が、そのまま許すものかねぇ?」

「──さてな。興味がない」

 

 二人の異形は、また肩をすくめあった。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

「……?」

 

 朝の光。

 柔らかな目覚め。

 夢の内容を思い出せなくなるほど、爽快な目覚め。

 

「おはようございます。────ソウシ様」

 

 聞きなれた女の声。

 黄金の髪に天使の環、何よりも愛らしい女の微笑。

 見上げた碧眼は空のように、カワウソの心を癒し浄めてくれる。

 

「…………おはよう、……ミカ」

「? なにか、悪い夢でも?」

「ああ、いや──大丈夫」

 

 悪い夢など見ていなかったはず。

 カワウソは体を起こそうとして寝返りをうった。

 しかし、シーツとは違う別の感触──柔らかな六枚の翼に抱き起こされる。その優しい肌触りに、思わず全身をゆだねたくなる。

 

「起きられますか?」

「起きる……でも、もうちょっとだけ」

「はい。仰せのままに、ソウシ様」

 

 ミカに本当の名を告げてから、ひと月以上が経った。

 彼女からの新しい呼ばれ方も慣れた気はするが、リアルでも呼んでくれる相手が絶えた下の名前は、思った以上に面映ゆくなる。

 主人の黒髪を優しく撫でてくれる女天使の左手……その薬指に輝くのは、カワウソと同じギルドの指輪。

 女の翼へ飛び込むように身体をしずめた。六枚の翼は実に器用にカワウソの背中を支え、ふわりふわりと全身を撫で包む。拠点のベッドよりも暖かで居心地がいい、天然の羽毛布団だ。お日様のような香りが気持ちよくてたまらない。胸いっぱいに吸い込む空気まで心地いい。

 

「昨日は、ごくろうさま」

「苦労などということはありません。ナザリックの者達とのビーチバレーや水泳大会程度で、私たちが音を上げるはずもありません」

 

 カワウソは昨日の記憶を思い出す。

 アインズ主催で開幕した、両ギルドのNPCの慰労会兼懇親会。

 会場となったのは、このヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第四階層“珊瑚礁地(ラグーン)”。

 太陽の光降り注ぐ砂浜、蒼穹と青海を背に並び立つ、両陣営のNPCたち。

 女性陣チームがビーチバレーで覇を競い合い、男性陣チームが遠泳やビーチフラッグに興じてみせた。

 水着を着たミカやガブ、同じく水着姿のアルベドやシャルティア、NPCたちが火花を散らし、アタックの一球入魂が砂浜を爆散させ、クロールやダッシュが水柱を幾本もおっ立てた。手加減し合っているのに熱戦と激戦を繰り広げる様を、カワウソはアインズと共にパラソルの下で眺め、「うわぁ」と互いにしか聞こえぬ声を交わしながら、楽しい時間を過ごした。

 

「みんな、楽しんでくれたか?」

「無論です」

「ミカは、楽しんでくれたか?」

「はい。誓って」

 

 カワウソは良かったと呟く言葉を、天使の羽根に(うず)めた口から零し出す。

 純白のシュミーズ姿のミカは、抵抗も拒絶もしない。『嫌っている。』という設定の問題を解決して以降、もはや主人たるカワウソと、このようにくつろぐことが常態化していた。くすぐったそうに微笑む女天使の羽毛にずっと包まれていたい衝動に抗いつつ、ニ十分ほどミカのぬくもりと会話を堪能してから、ゆっくりと起床する。

 一晩中添い寝してくれていたミカもベッドから降りて、主人の身支度を整えにかかった。NPCの長に呼ばれた堕天使のメイドが数名、カワウソの私室に入室してくる。いまだに羞恥が強くてあまりさせない作業だが、転移当初ほどの抵抗感はもはやない。それほど、カワウソは目の前のNPCたちに対して、絶対の信頼を寄せるようになっていた。──ミカに対しては、それ以上の感情も、順調に育てつつある。

 

「どうかなさいましたか?」

「……いや。なんだか……今でも夢を見てるんじゃないかって、思って」

「?」

 

 きょとんと首を傾げる女天使やサム達メイドらに任せるまま、顔を洗い歯を磨き、短い黒髪の寝ぐせも櫛で丁寧に梳かれていく。寝間着を脱いで装備品を着込み、従順なミカやメイドたちに礼を述べるのも慣れたものだ。

 本当に、夢のような日々が続いている。

 この異世界に転移する前……ゲームの時は、本当に地獄のような毎日だった。

 仲間たちと出会い、別れ、本当の孤独を知った──知ってしまってからの数年間。

 ──だが、今はもう、ひとりではない。

 普段の鎧姿に早着替えを行い、眼鏡をかけたミカが、今日の予定内容を秘書のごとく口にしていく。

 

「本日のご予定は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王との朝の会議のため、ナザリックの第九階層へ。その後、彼と共にナザリックを転移にて出立。魔導国内において、ソウシ──カワウソ様が領地として配分・統治される土地の実見──族長らとの簡易的な顔合わせに向かわれることになります。カワウソ様と我々が、魔導国王政府の“第三者委員会”を担う上で、領地をひとつも持っていないと示しがつかないという先方の意見ですが──」

 

 魔導国と盟を結んだカワウソは、ミカ以外には今も変わらずカワウソという通り名で呼ばれている。若山(わかやま)宗嗣(そうし)という名を必要とする存在は、正直なところミカだけなので、天使の澱のNPCやアインズ・ウール・ゴウンたちに対しても、今さらリアルの名前で呼ばせる必要性がなかったのだ。

 その影響で、ミカはカワウソという名を公務や政務などで使うこともあるのは、致し方ない。

 黙って頷く堕天使を見つめながら、女天使の声が続く。

 

「先日からご相談しておりますように、領地と言っても実質の支配権限については、かの地を治める族長などに委託し、あまりカワウソ様の御負担にならぬよう、私が実務の一切を代行させていただく形でよろしいでしょうか?」

「うん。俺は政治の知識はないし。ミカになら安心して任せられる。代行は面倒かもしれないけど、頼むな」

「──とんでもございません」

 

 微笑むミカは、午後の業務内容についても報告と確認を述べ始める。

 

「その後、お昼の休憩を挟み、午後はナザリック第六階層の闘技場にて、第五階層守護者・コキュートス殿と、我等が拠点の第一階層防衛者・ナタによる戦闘訓練の見学……“復讐者(アベンジャー)”のレベリング活動がございます」

「復讐者は今Lv.8か──午後は、アインズとは別行動、だったか?」

「はい。アインズ・ウール・ゴウン陛下の予定もこちらに開示されておりますが、彼の方は魔導国冒険者組合・外洋探査群の定期査察があるとのこと。ナザリックでの業務・戦闘訓練見学には、“陽王妃”アウラ殿下と、“月王妃”マーレ殿下が参加される予定です」

「外洋探査……ね」

 

 カワウソは思い出す。

 アインズ・ウール・ゴウンが支配する大陸の外に広がる、淡水の海。

 

 淡水の海は、地球にある普通の海……塩分を含む通常の海水よりも浮力が少ない。なので長距離の航海に耐えるだけの大型船舶の建造が難しい事情が存在する。100年前の魔導国内では、遠洋航海専用の魔法……船を保護し浮きやすくするための魔法〈浮遊船(フローティング・シップ)〉や、それに準ずるマジックアイテムの開発が必要となったと聞く。

 さらに、淡水魚というのは、海水魚よりも危険な寄生虫などのリスクが比較的に多いため、はるか昔は下処理……加熱調理や専用魔法による寄生虫駆除が必須の食物だったと。加えて、海水では生息できない蚊の幼虫などの虫、または病原と成り得る微生物などが、淡水の海では好きなだけ猛威を振るうため(海水と比較して、という注釈が着くが)、この異世界での海水浴というレジャーなど、魔法によって洗浄された土地──ごく限られた王侯貴族の避暑地にしか存在しない娯楽であったとされる。それも、魔導国の台頭によって、だいぶ庶民向けに改善されてはいるらしい。

 ちなみに、海から取れるはずの貴重な“食塩”などは、生産魔法で生み出し手に入れるものになるため、塩を巡って戦争などが起こったことは、ここ数百年存在しないという話だ。

 

「この大陸の東西南北の端に連れていかれたこともあるが……本当に、この異世界にはこの大陸しかないという考えには、なれないよな」

「はい。ですが、魔導王が100年をかけて錬成してきた冒険者組合……その外洋探査のための専用機関ですら、いまだに別の大陸の発見には至れていないといいます。これは、(いささ)か以上に奇怪であるといえます」

「うん。大陸がここしかないのなら、話に聞く海上都市って、いったいどこにあるんだって話だよな?」

 

 冒険者たちの手腕・レベルに問題がある──ということはないだろう。

 彼らは魔導国、つまりアインズ・ウール・ゴウンの全面的な支援(バックアップ)を受けて外洋に漕ぎ出している精鋭たちだ。

 そんなもの達が探査のために造船した船舶を操舵して、大海の果てを目指すこと100年。

 せいぜいが無人の離れ小島などを発見できる程度で、目ぼしい成果は皆無だったという。

 

「ええ……お話を総括するに、海上都市に行ったとされるものは、悉く嵐などに巻き込まれ遭難した漂着者であること。彼ら彼女らは、都市に住まう者──『夢見るままに待ちいたり』という眠り姫などの都市住人の庇護を受けた後に、転移魔法とみられる事象によって、この大陸に帰還している、とのことですが」

「十三英雄の二人が流れ着いたっていう、謎の海上都市。RPGだとよくある設定だが、嵐の守りの中にある都、とか……?」

 

 ユグドラシルプレイヤーがいそうな気配がぷんぷんする。

 というか、ユグドラシルでも実際、嵐に護られた都市なんてギルド拠点があった気がしなくもない。

 あいにくユグドラシルにおける情報は、プレイヤー個人で収集し編纂する仕様があった以上、カワウソにはそこまでの確度ある記録は、手元に存在しない。アインズ……モモンガと同じように、ゲームで遊ぶ上で確定とされたまとめ情報や、運営からの数少ない開示情報・各種ランキングやお知らせのほかにあるのは、商業ギルドで安く買った雑学や事典──そして、ナザリック地下大墳墓やギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員(メンバー)に関する噂や確定情報──あとは、カワウソが独自に考案し考察した第八階層“荒野”の攻略法……天使の足止めスキルや、世界級(ワールド)アイテムの複数同時使用によるシナジー効果の可能性についてのあれこれなどを、拠点の書庫に例外なくブチ込んできた程度だ。

 ワールド・サーチャーズなどの冒険者ギルド、彼らが転移してくれていれば、そういった未知の情報が潤沢に揃っている可能性は高いだろうか。

 

「異世界転移……」

 

 改めて口にして考えると、本当に、訳が分からなさすぎる。

 100年ごとの揺り返し──世界級(ワールド)に連なるアイテムや存在──それに巻き込まれるように転移してくるプレイヤーやNPCたち──ゲームが現実化したような異世界──どれだけ考えても、満足のいく回答など得られようがない大災と大禍ではないか。

 だが、アインズはその謎を解くつもりでいる。

 この謎を解くことで、これからやってくるユグドラシルプレイヤーを、そして、これまでに道半(みちなか)ばで倒れたプレイヤーたちを救済し、望むひと達を元の世界に帰還させる目途が立つかもしれない。

 そして、何よりも彼が望む目的────アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの、再会。

 だが、もし仲間たちと再会しても、アインズは彼らが望めば、もとの世界に戻る一助を担いたいと考えている。

 

(それも当然か。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、異形種プレイヤーで構成されたギルド──)

 

 こちらの世界に来た異形種プレイヤーに起こり得る──悲劇。

 あるいは惨劇。

 アインズもカワウソも、伝え聞く過去のプレイヤーたちも一人の例外なく、異形種の肉体に精神が引っ張られる傾向にあった。カワウソのように、堕天使(モンスター)の自分を表在化・顕在化させ、壊れた様を露呈する者もいた。代表的なのは、人を守るために人を殺すことしかできなくなった六大神の死の神──スルシャーナ。そして、人でなくなった自分を、人に戻そうと狂いもがいて逝った八欲王──ワールド・チャンピオンのことを、ツアーの口から聞かされたのも最近である。

 

 もしも。

 アインズの仲間たちが、この世界に転移してきたとしても、異形種の肉体に精神が汚染され、そうして壊れ狂うことは確実。だが、そのような不幸を、友であるモモンガが許すものだろうか?

 何より、彼らが困っているのなら、いかなる労も惜しまずに助ける──その一心で築き上げた魔導国そのものが、友らの困苦を和らげるための居場所になればという思いで建国された背景がある。

 だから、アインズはこちらに来ているかもしれない・これから来るかもしれない仲間たちが望むものを、すべて与えられることができるように、100年が経った今も尚、努力を重ね続けているという。

 そんなにも誠実な男だからこそ、カワウソは彼の夢を支持できた。

 彼の夢が実現できるように力を貸すことを、あの夜の浜辺で誓ったのだ。

 

「──朝食にしよう、ミカ」

「はい。御食事はすでに準備済みでございます、ソウシ様」

 

 微笑むミカとメイドたちを連れて、カワウソは食堂へと向かった。

 寄り添ってくれる女神の微笑があたたかい。

 おかげで、これから与えられる魔導国の領地について──そこに住まう住民たちへの懸念──記憶を消した人々に対する鬱々とした後悔も、すべて瞬きの内に吹き飛ばされる。

 ガブの強力な精神系魔法〈全体記憶操作〉の仕様上、一度消した記憶を復元することは不可能。たとえ、もしも記憶の復元が可能だったとしても、カワウソは自分の都合で消した記憶を、自分の都合で今さら蘇らせるなんてクズの極みのような所業を、したいなどとは──思わなかった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地──

 その共同墓所。

 時刻は朝。

 

「お父さん、お母さん、おばさま──」

 

 部族の者らが住まう奇岩よりも遠い峰の頂。

 周囲に点在するものよりも遥かに大きな石碑に刻まれるのは、少女と見紛う体躯の女騎兵……近況報告を終えた彼女の、家族の名前。

 墓所といっても、ここには死者の骸などはひとつも埋葬されていない。せいぜい、かつての故人が使っていた私物が、各家の石碑などに結ばれたり置かれたりしている程度。

 骸がないのは当然。

 飛竜騎兵独自の葬儀によって、その遺体は飛竜たちの食事という形で、空と地に還されるからだ。

 そして、族長家の横に位置するのは、セークの家に仕えた者達の碑。

 数ヶ月前に彫られたばかりの真新しい名前を、ヴェル・セークは指先でなぞる。

 

「ヴェストのお(じい)さん──」

 

 どうか、今日も私たちを、ご先祖様たちと一緒に、空と地から、見守ってください。

 部族固有の祈祷を捧げると、ヴェルは相棒である飛竜(ワイバーン)・ラベンダの鞍にまたがった。

 

「行こう!」

 

 翼を広げ、鋭くも軽快に吼える友と共に、飛竜騎兵の乙女は空を舞う。

 

 

 

 

「さぁ、皆! これから新しい領主様がお見えになる! 気を引き締めてお迎えするように!」

 

 規律よく響く唱和の声。

 奇岩地帯の内の一柱にあるセークの邸宅は、にわかに活気づいていた。

 普段から行う掃除は念入りに繰り返され、部族伝統の料理や酒なども用意した。

 長老の造反を未遂のまま終わらせ、式典参陣と部族統一の功によって、長らく臣民等級をあげること叶わなかった飛竜騎兵たちが、魔導国二等臣民の位を手にして、数ヶ月。

 女当主たる長身の族長──否、元族長の号令に従い、魔導国の使者を邸に迎え入れた彼女たちは、これからやってくる者達……魔導王陛下と、彼の任命を受けた領主の到来を、空の玄関口で歓迎するべく整列していた。

 騎兵隊を率いるのはウルヴ・ヘズナとヴォル・ヘズナ夫妻。

 鎌首を揃えた飛竜(ワイバーン)は全員礼装を整え、騎兵隊の皆も式典用の儀仗兵風に装備を統一されている。飛竜騎兵の中でも軽量化による速度特化に発展した軽装鎧は、乙女らの肌色を存分にさらしているものの、高層地の寒気と冷風に震える軟弱は、この地には存在しない。

 歓迎の用意は万端整った玄関口で、手持無沙汰の乙女らは雑談を交わすことに興じる。

 

「にしても。この時期に新領主が決まるなんてね?」

「でも、族長──ヘズナの旦那様と共同管理なんて形にする意味ってあるの?」

「そりゃあ、その土地に馴染みのある人が管理した方が断然マシだからじゃん?」

「なんにせよ、魔導王陛下のご決定であらせられる以上、拒否権なんてありえないし?」

 

 セークの飛竜騎兵・一番騎兵隊の乙女たちは疑問と解答をぶつけ合った。

 

「いったい、どんな方が来るわけ?」

「ハラルドは知らないの?」

「知らん。そもそもヴェルですら何も聞いてないことを、俺が聞いてると思うか?」

 

 水を向けられた乙女は、からかうようにじゃれつくラベンダの手綱をしっかり握りながら、頷くしかない。

 

「私どころか、お姉ちゃんも全然わからないみたい」

 

 ヴェルが見つめる先にある、姉の背中。

 統一族長の伴侶──愛する男との婚姻を終えた、元族長たるヴォル・セークにとっても、今回のことは急なことであった。さらには、彼女の夫であり現飛竜騎兵の長を任せられたウルヴ・ヘズナですら、今回の顔合わせで初めて対面するのだという。

 皆、新しい領主というものへの疑念が、各自の脳内で渦を巻いていた。

 

 魔導国においては、上の階級に立つほど臣民の生活レベルは引き上げられていき、それと同時に、ある程度の制約が課されることを意味する。たとえ一等臣民であろうとも──否、上に立つ階級のものだからこそ、下の者を冷遇するような特権階級的な権限を与えられることはないのだ。むしろ、上の階級のものは、魔導王から下賜される恩寵に耽溺し増長しないよう、徹底的に(秘密裏に)管理される傾向にある。下等臣民は身体的経済的社会的な束縛を受けることは多いが、その逆として上等臣民は政治的階級的な制限を加えられるようになる。無論、どれほどの制約を課されても、ありあまる幸福と財貨を享受されようと望み、臣民等級をくりあげたいと努力するものは後を絶たない。武勇を磨き、学問を修め、未知を既知とし、王の目にかなうほどの「功」を認められれば、その等級を個人であげることは不可能ではないし、場合によっては部族単位で恩寵にあずかれることもありえた。

 

 だが、今回の新領主の一件は、かなり異例の事態である。

 表向きは二等臣民にあがりたての飛竜騎兵の監視要員として派遣・招致されるという体裁を取られているが、その監視要員役というのが、この一ヶ月の間、ずっと秘匿され続けている。名前も出自も、具体的な種族や階級すら判然としていない。ウルヴ統一族長が聞いた限り、「王陛下の同盟者」という話しか伝え聞かない。

 魔導国において領地を賜る=魔導王から地方の政を認可されるものは、その土地の代々の管理者や族長のほかには、あまり多くない。地方政治の代行という、それほどの大役を担えるものは、ナザリック地下大墳墓に直接所属するシモベか、その血統たる子だけ。例外といえば、ツアインドルクス=ヴァイシオンなどの信託統治者、魔導王の同盟者たる竜王くらいのものである。

 

「皆」

 

 雑談を咎めるでもなく、空の一点を見上げていたヴォルが鋭い声を発した。

 それだけで、全員がその場で膝を折り、従属と礼節の姿勢を構築する。騎兵らの意を汲んだ飛竜たちも例外なく頭を垂れた。

 現れたのは、魔導国の紋章旗を掲げる一団。

 浮遊する馬車を牽くのは、炎と霜の混血(ハーフ)ドラゴンが四頭立て。

 不死者の先触れが告げた通り、魔導王とその一行が、飛竜騎兵の領地に参じたのだ。

 馬車を降りて真っ先に現れるのは、純白の女悪魔──黒翼を腰から伸ばす、魔導国の大宰相。

 彼女と同時に馬車を降りたのも、また女性。

 

(……翼?)

 

 ヴェルは我知らず呟きかけた。

 白い、あまりにも白い六枚の翼を羽搏(はばた)かせる──黄金の髪を風になびかせた、金色の環を戴く、あまりにも美しい女騎士。

 有翼の英雄を祖に持つ飛竜騎兵にとって、その翼を白く淡く輝かせる女傑こそが、今回の新領主なのだなと納得しかけた。

 しかし、違った。

 

「……………………あ」

 

 玄関口に降り立った女性たちがシモベのごとく跪拝した後で、馬車の中の人物たちが降りてくる。

 一人は、魔導国臣民すべての尊崇を集める死の支配者(オーバーロード)

 ……アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。

 

 そして──“もう一人”。

 

 魔導王陛下は統一族長と軽い挨拶を交わす。

 

「歓迎、感謝するぞ、ウルヴ族長」

「ありがとうございます、魔導王陛下。遠路はるばる、ようこそ」

「うむ。堅苦しいのはやめにしておこう──ああ、ヴォル・ヘズナくん」

「はっ!」

「“懐妊した”との報せを受けたが、──順調か?」

「はい。つつがなく」

 

 それはめでたいと魔導王陛下は祝辞を述べた。

 陛下は飛竜騎兵の未来を担う族長夫妻の子に、大きな期待を寄せている様子。

 姉が身に余る光栄に笑みを深め、愛する夫の子を宿す身体をさする──そんな誇らしい情景さえ、今のヴェルの瞳には映ってくれない。

 

「うむ。では本題と行こうか……こちらの人物が、このあたり一帯の領地を新たに管轄する、私の『同盟者』だ」

「“はじめまして”」

 

 男の声を、聴いた。

 短い黒い髪に、日に焼かれ過ぎた肌。

 顔は大きな隈ばかりが目立ち、濁った瞳は不吉な色をたたえ、とても正視に堪えるような造形ではない。身に纏う鎧や足甲が立派なだけに、その醜怪な面貌は際立っておぞましかった。

 なのに、ヴェルは男を見据え続ける。

 

「ああ、と──俺が、この度このあたり一帯の領地を拝命することになった…………?」

 

 男の視線が、ヴォルの後ろにいるヴェルの方へ向けられた。

 隣に立つハラルドや同僚の友人たち、振り返った(ヴォル)義兄(ウルヴ)、魔導王陛下たちまでもが、ヴェルの様子を(いぶか)しんだ。

 ラベンダが心配げに鳴いて指摘する声で、ようやく、気付いた。

 

「え──あ、あれ?」

 

 頬を熱く濡らすもの。

 瞼の端から溢れかえるそれを拭うが、とまらない。とまってくれない。とまってくれそうにない。

 

「な、なんで?」

 

 何故、あのひとを見ただけで、自分は泣いているのだろう?

 わからない。わからない。わからない。

 わけもわからずしゃくりあげる。

 王陛下の前で、新しい領主の前で、とんだ醜態をさらしているのに、感情の雫は収まる気配を見せない。

 

「ご、ごめんなさい……私、どうして?」

 

 怖いのではない。

 恐いのではない。

 痛くもないし苦しくもない。

 悲しいのでもないし、哀しいわけでもけっしてない。

 狂戦士の力の暴走ということも、まったく完全にありえない。

 ただ、何故なのかはわからないが、彼と会えたことが、本当に、嬉しい。

 本当に、何故だろうか──

 あのひとが、女騎士と寄り添い、ここにいる姿に……

 安心してしまったのだ。

 

「だ、大丈夫か…………ですか?」

 

 駆け寄ってきたのだろう黒い男に、ヴェルは肩を叩かれる。

 

「だいじょうぶ、です」

 

 思わず、はにかんでみせた。

 名前さえ知らない男の人に、ヴェルは心の底から笑みを返した。

 肩に触れる初対面の人との距離にも、意外なことにさしたる抵抗も懐かぬまま、肩に置かれた彼の手に触れる。まるで、この手を二度と忘れることがありませんようにと、祈る思いで。

 奇妙な話だが……以前、彼とは、これ以上の距離で見つめ合ったような、そんな気の迷いのような錯覚が、胸の奥の心臓をズキンと高鳴らせる。まるで、そこを剣の刃で貫かれたかのごとく。

 だからなのか、どうしても、(たず)ねたかった。

 尋ねたくてたまらなかった。

 

「どうか、どうか教えてください。

 ──あなたの、お名前は?」

 

 新たな領主として訪れた、“彼”が告げる名前──

 何故かとても懐かしく、何故か愛しく恋しい男の名前を、すべてを忘れたままのヴェルは、もう二度と、忘れることはなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次の更新で、長かった「天使の澱編」は終わりです。

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