色彩の花嫁   作:スカイリィ

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第五話 おかあさん

 昨晩の余韻に浸れるほど月曜の朝に余裕などない。

 起きて着替えて、朝食の支度へと向かおうとする私の背中に、起きたばかりの夫が「おはよう」と声をかける。

 

「おはよう」私は少しぶっきらぼうに返した。いつものことだったし、何より今は時間が惜しい。

 

 本日のメニューはご飯と、ワカメと玉ねぎの味噌汁、昨日作ったステーキの残りに、漬物、目玉焼き。

 

 それらを手早く作り上げ、皿にのせてダイニングのテーブルへ運んでいく。ちょうど夫が髭剃りと着替えを終えてやってきたところだった。私もエプロンを外して椅子に座る。

 

 そこへ立香とマシュ嬢が手を繋いで現れる。おはようございます、とマシュ嬢が笑顔で言うと、私も夫もにこやかに返した。

 

「おはよう二人とも」ムシャムシャと肉を頬張りながら夫。「今日はもう日本を出るんだろ?」

「うん。この後、成田からオーストラリアのシドニーに直行さ。そこから船とヘリを乗り継いで行くんだ」

「一日がかりだな」

「カルデアに着くのは深夜になっちゃうだろうね」

「強盗には気をつけろよ。中東やアフリカに比べたらマシだが、向こうは日本より治安がよろしくない」

「わかってるさ」

 

 立香と夫がそんな何気ない会話をしているが、私はマシュ嬢と立香が連れたって現れたことの方に意識が向いていた。微妙に汗をかいたような体臭に、マシュ嬢の首筋に赤い痕。

 

 まさかこの子たち、またシテいたというのか。いくらセックス覚えたてのカップルとはいえ、発情期か。どんな体力してるんだ。

 

「結婚式には呼んでくれ。ハワイだってどこだってすっ飛んで行くからな」先に朝食を食べ終えた夫は、スーツの上着に袖を通しながらそう言った。「ただし一週間前には連絡してくれよ」

「行ってらっしゃい」

「おう」

 

 夫は席についている立香とマシュ嬢の頭をワシャワシャと撫でてから仕事に向かった。二人ともくすぐったそうにはしたけれど、嫌な顔はしなかった。

 

「で?」玄関の扉を閉める音が聞こえたところで、私は二人を睥睨して尋ねた。「今度は何時間ヤッた?」

「えーと、四時間くらい」時計を見ながら立香。

「食卓で平然と言えるその感覚が信じられないわ」

「母さんが訊いたんじゃないか」

「これ見よがしにキスマーク付けてくれば嫌でも訊きたくなる」

「先輩、つけないでって言ったじゃないですか」マシュ嬢が首筋を抑えながら立香をにらむ。「これから飛行機ですよ。カルデアの皆にも、なんて言われるか」

「いいじゃない。減るものじゃないし」

「清姫さんにバレたら焼き殺されますよ?」

「……ああ、そこまで考えてなかった。助けて」

「絆創膏とか、タートルネックかチョーカーで隠せば?」息子の青ざめた顔を見ながら私。「要は見えなければ良いんでしょ?」

「それだ。後でどこかで買っていこう」

「もう、先輩ったら」

 

 しばらくの間、そんな感じの馬鹿馬鹿しくて、しかし不思議と心が安らぐ会話が食卓を彩った。やはりこうして食べるご飯が一番おいしいのだ。

 やがて、皆でごちそうさまをしてそんな時間も終わる。

 

「タクシー呼んである?」

「うん。一時間後に頼んである」

「それまでに準備しときなさい」

「はーい」

 

 立香が二階へ上がり、マシュ嬢は客間へ向かい、食卓につかの間の静けさが戻った。

 私は一人、ふう、と息をついて食器を片づけた。

 

 

 

 

「忘れ物はない?」私がそう尋ねると「大丈夫です」というマシュ嬢の返事。来た時と同じように重いキャリーケースを軽々と持って運んでいく。試しに持たせてもらったが、両手でどうにか上がる重さであった。世界を救ったという息子の言葉も納得できた。二人の体力はかなりのものだ。

 

 玄関の外には先に立香が来ていた。スマートフォン片手に誰かと電話している。

 

「エミヤたちに連絡しておいた。同じ便に乗るってさ」立香がマシュ嬢に告げる。「空港で落ち合おう、だって」

「護衛付きなんて、とんだVIPね」

「先輩はそれだけ、すごい人なんです」自慢げにマシュ嬢。「魔術協会から一代で開位(コーズ)を授かったんですから」

「こーず?」

「魔術師に授けられる位階のことです。開位は貴族でない魔術師が到達できる最高峰だと言われています」

「……立香、あなたすごかったのね」

「いやまあ、みんなに助けられたからね」気恥ずかし気に頬をかく立香。「魔術師って言ってもそんな魔術のレパートリーないし」

「昨日見せた令呪ってのも、魔術なんでしょ。何に使うの?」

「これ自体が強い魔力を持っていてね、サーヴァント──つまり使い魔に対する絶対命令権になるし、自分に使って身体能力を強化したりするんだ」ブレスレットによって隠蔽されているその赤い痣を立香は撫でた。「一日一画しか回復しないけど」

「使い魔持ってるのあなた。猫とか?」

 

 使い魔といえばフクロウとか、猫とかの動物が思い浮かべられる。しかし立香は笑ってそれを否定した。

 

「人間の姿なんだ。サーヴァントって言うんだ。人間よりずっと強い。マシュもその一人だよ」

「はい。私は人間で契約した特殊な例ですが、先輩と契約した第一号サーヴァントです」

 

 そう言って立香に身体を寄せるマシュ嬢。

 仲睦まじい姿であったが、その光景を見て私の中でピースがはまった。

 マシュ嬢もサーヴァント。一日一画の回復。サーヴァントへの絶対命令権。

 まさか、こいつ。

 

「立香、あんた、まさか」自身の息子が実行した可能性の高いそれを、私は震える声で指摘した。「その令呪使って、マシュさんにやらしいことを」

「いや、うん」歯切れの悪そうに立香は言った。「マシュの筋力を一時的に人間と同じにはしたよ。下手すると俺が骨折するから」

「もう一画は?」問い詰めるように私。「あなた、二つ使ったって言っていたわよね。もう一画は何に使ったの」

「……ごめん、言えない」

「せんぱいさいていです」

「やめて」

 

 目を泳がせながらはぐらかす息子をよそに、私はマシュ嬢の手をおもむろにつかむ。

 

「マシュさん、立香がひどい命令してきたら私に言いなさい。とっちめてやるから」

「いえ、その」頬を染めながらマシュ嬢。「あの時は怒りましたけれど。……先輩に令呪でああいう命令されるのは、嫌いじゃないです」

 

 ああ、いけない。こいつら完全にバカップルだ。私は頭を抱えそうになる。しかもSMの領域に片足突っ込んでるじゃないか。

 私はマシュ嬢の手を掴んだ状態で首をひねって肩越しに立香をにらんだ。

 

「マシュさんがこう言っているからいいけど、ひどい命令なんてしたら、いくら立香だからって許さないからね」

「そんなことしないよ」

「『せんぱいさいていです』なんて言われるような命令しておいて、何言ってるんだか」

「だからやめて」

 

 そこまで言って、私は立香に向き直った。「まあ、説教はここまでにしときます。でも避妊だけはしっかりしときなさい立香。マシュさんが二十歳になるまではダメよ」

「うん。わかってる」

「よし」私はその言葉を聞いて、一転して笑顔を浮かべた。「まあ、立香なら大丈夫でしょ。まだちょっと頼りないけど」

「ありがとう。母さん」

 

 よろしい、と私は礼を述べる立香の頭を撫でてやった。昨日の夜よりも少し雑に、しかし褒めたたえる心を忘れないようにその髪を撫で繰り回した。立香は抵抗せずに、苦笑いでそれを受け止めていた。

 

「あとね」撫で終わった私はマシュ嬢に顔を向けた。「マシュさんに昨日の話の続きがあるんだけど、聞いてくれる?」

「はい。なんでしょうか」

「昨日は立香に寄り添えって言ったけれど、それと一緒に実行してほしいことがあるの」にこり、と私は彼女に対して笑顔を見せてあげてから続けた。「マシュさんが何か欲しい、何かしたい、何処かへ行きたいと思ったならすぐに言ってあげて。いっぱいわがままを言って、困らせてあげて。立香にとってはそれもご褒美よ。そんなあなたを立香は受け入れてくれるから」

 

 私の言葉にマシュ嬢は困惑した表情を浮かべた。「先輩を困らせることが、ご褒美なんですか?」

 

「困らせることを怖がって、マシュさんが我慢してしまうことをこの子は望んでない。マシュさんがやりたいことをやりたいようにできる方が絶対に嬉しい。──そのためにも世界を救ったんでしょ、立香。そのくらいは母さんもわかるから」

 

 立香は私の言葉に深く頷いていた。

 

「マシュが我慢して、本当にやりたいことをできない方が、俺は嫌だ」

「私のわがままを、受け入れてくださるのですか。どんなのでも?」

「できる範囲でならね。俺もわがまま言うかもしれないけど」

「先輩がしたいことでしたら、私はどんなことでも受け入れます」

「俺も同じ気持ちだってことさ」

 

 見つめ合う二人の邪魔をしてしまうことにはなったけれど、私はさらに続けた。

 

「互いに感情をぶつけたっていい。でもそれ以上に相手の気持ちも正面から受け止めなさい。喧嘩が怖いからといって逸らしちゃダメ。たくさん喧嘩をして、それと同じ数だけ仲直りして、相手を受け入れてあげて。それが相手への最大の敬意よ」

「喧嘩をすることが、敬意」

「喧嘩をすること『も』敬意、よ。仲直りを忘れずにね」

 

 はい。マシュ嬢は元気よく頷いた。

 

「昨日言ったことと今言ったこと、できそう?」

「それで先輩が喜んでくれるのでしたら」

「そう」私はその答えに満足した。「私の息子を支えてくれてありがとう、マシュさん。これからも立香を頼めるかしら」

 

 はい、喜んで。彼女は美しい花を思わせる優しい笑顔で、そう告げた。

 

 

 

 

「さっそくなのですが、ひとつ、わがままを聞いていただけないでしょうか」

 

 家の前に止まったタクシーのトランクに荷物を載せながらマシュ嬢は訊いてきた。

 私は、なにかしら、と彼女の顔を覗き込みながら訊き返す。

 

「あなたのことを『お母さま』とお呼びしても、よろしいでしょうか」

 

 恥ずかし気に紡がれたその言葉に、私は面食らってしまった。けれど、嫌だとは微塵も感じなかった。だから言ってあげた。

 

「それでもいいけど、私は『お母さん』の方が好きだな」

 

 それを聞いた瞬間、彼女の顔が実に嬉しそうな笑みを浮かべた。泣きそうにも見えるほどの、輝かしい笑顔。

 照れているのは相変わらずだったけれど、その時の可愛らしい笑顔を、私は一生忘れられそうになかった。

 

 ようこそ、藤丸家へ。マシュ・キリエライト。

 

 

 

 

 

 

 ごちそうさま、と夫の声と私の声が重なった。

 

 あの二人がカルデアに戻ってしまって、藤丸家は少しだけがらんとしてしまった。

 

 結局、マシュのために用意した部屋も着替えと荷物置きに使われるだけだった。バカップルめ。

 

 食器を片づけようとすると、夫の動きに違和感があることに気づいた。普段ならすぐソファーに向かうはずなのに、ダイニングの戸棚へと向かったのだ。そこにはグラスしかないはずだが。

 

「ウイスキー?」

 

 夫が戸棚の奥から取り出したのは、茶色の液体が入った瓶。そのラベルには有名なメーカーのロゴが入っていたからすぐに私はウイスキーだと気が付いた。

 

 そこからさらにグラスを二つ取り出して、夫はそこに冷凍庫から持ってきた氷と、先のウイスキーを注いだ。

 

「ま、飲めや」

「私あまり飲めないんだけど」

「良いから、座って」

 

 しかたない、と私はエプロンをとって夫の言われるがまま、彼の座る反対側のソファーへと座った。テーブルの上にはウイスキーの入ったグラス二つと、その瓶だけだった。

 

「立香とマシュさんに」

 

 グラスをこちらに向けて掲げ、夫は宣誓するかのように述べた。

 私は突然のことに思考が停止してしまうが、数秒後、状況を把握してグラスを手に取った。

 

「二人の幸せを願って」

 

 夫と同じようにグラスを掲げ、その間近へと持っていく。

 

「乾杯!」

 

 かちん、と二つのグラスが音を立てた。

 

 私は久々の酒を勢いよくあおって、思う。

 たまにはこういうのも、悪くないものだ。

 

 口に流し込んだウイスキーは、ほろ苦かったが、うまかった。

 


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