比企谷さんちのメイドラゴン   作:あおだるま

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理解

 風呂はいい。

 

 風呂の中ではすべての雑音が消える。わずらわしいことを一時忘れられる。未来の不安も過去の後悔も、現在の厄介ごともすべてどこへやらだ。若者の中には、湯船につからずにシャワーだけで入浴を済ませるという不届き者もいるらしいが、俺には信じられない。この時間こそ俺にとっての数少ない安らぎの時間の一つなのだ。

 つらつらとそんなことを思いつつ、俺の瞼は重くなる。湯船の中で舟をこぐ。抗おうとしても抗えない。体が勝手に眠りに着こうとする。そんな心地よいまどろみ。

 

 のはずが。

 

 「ヒッキガッヤさ―――――ん!!!!!!!!」

 

 目の前に突然金髪がなびき、湯船の中身がひっくり返った。

 

 空の湯船につかる俺の目の前には、タオルを胸の上まで巻いた金髪の少女がいた。

 「メイドトール、お背中流しに参りました!」

 

 「…トール、風呂の最中には入ってくるなと何度も何度も何度も何度も言わなかったか?」

 

 俺は冷水で顔をすすぎながら彼女にささやかな文句を言う。いくら強く言おうが意味がないことはここ何日かでいやというほどわかった。もはや単なる愚痴だ。

 

 「うっ、なんですかその薄い反応は。来たばかりの時はもう少しかわいい反応をしてくれたのに…」

 

 「何回もやられればさすがに慣れる。さっさと出てけ」

 

 「なんて冷たいことを…血も涙もないとはヒキガヤさんのことですね。うぅ…」

 トールはしくしくと泣きまねをしているが、まったくの逆効果だ。俺は天井の水滴を数えながら鼻歌を歌う。

 

 「とことん私には、私の体には興味がないんですね、ヒキガヤさんは…小町さんへの異常な愛といい、やっぱりあなたはロリコンなんですね!」

 

 「何あほなこと言ってんだ。いい加減たたき出すぞ」

 

 「じゃあ!」

 トールは湯船をビシリと指さす。

 

「なんで一緒にお風呂に入るのにその子がよくて私がダメなんですか!」

 彼女が指さしたそこには。

 

 「カンナもハチマンとお風呂入るー」

 

 裸の幼女が立っていた。

 

 まて、通報するにはまだ早い。

 

 俺は後ろに向きかけた目線を必死の思いで前に戻す。後ろを向いたら終わりだ。すべてが終わってしまう。俺のこれまでの人生も、これからの未来も。それを描写した瞬間にR18を入れなければいけなくなってしまう。まだセーフ。まだセーフである。

 

 「ハチマン、器は小さい癖に体おっきー」

 しかしカンナは俺の自制心など無視し、ペタペタと俺の体を触る。ぐ…。

 

 「カンナ!何勝手にヒキガヤさんの体にさわってるんですか!最近私は警戒されて全然触らせてもらってないのに…ちょ、そこ私と代わってください!」

 

 「いやー」

 

 「な!?」

 カンナは引きはがされまいと俺に抱き着いた。

 

 心・頭・滅・却。

 

 「カ、カ、カンナ!!!!何してるんですか!!!!!!!ふざけないでくださいよ、そんなこと私だってしてない…って、ヒキガヤさんも幼女に裸で抱き着かれたくらいで何鼻の下伸ばしてやがるんですか?変態ですか?死ぬんですか?離れてくださいいいいいいいいい」

 

 「いーーーやーーーーー」

 

 「ちょ、お前らいい加減に…」

 トールが引きはがそうとしたことでカンナの抱き着く力がさらに強くなる。これ以上はさすがに八幡の八幡が…

 

 その時、マリアは現れた。

 

 「トールさん、小町がカンナちゃんとお風呂入ります、か、ら…」

 

 ただしマリアも裸体であった。

 

 事態を飲み込めないのか小町はぱちぱちと大きな目を瞬かせる。両腕で体を抱く。顏がリンゴのように赤くなる。

 

 「お兄ちゃんの…」

 ゾワリと鳥肌が立った。

 

 「ロリコンど変態ヒキニート!!!さっさと出てけ!!!!!!」

 

 風呂場から蹴りでたたきだされた。マリアというよりはヴァルキリーである。…濡れ布すぎるだろこれ。

 

 

 

 

 

 今年の夏休みは忙しかった。というのも。

 

 ある朝のことである。ツノをはやした白髪の幼女が目の前に立っていた。

 

 「この子は私と同じドラゴンのカンナです。どうやら親とケンカし下界に来て、帰れなくなったようです。それに見たところ今は全く力がないようですが…」

 

 「誰でもこうなる。トール様がおかしい」

 カンナはどうやらカマクラにご執心らしい。短い手を精一杯伸ばして触れようとしている。

 

 「まあこう見えても私は異界でも五本の指に数えられる飛竜ですから…ってヒキガヤさん、聞いてますか?」

 

 「ああ、聞いてはいるが…」

 俺はもう一度目の前にいる幼女を見る。

 

 「俺に紹介してどうするつもりだ?」

 

 トールはビクリと肩を震わせ、恐る恐る俺の目をのぞき込む。

 「え、えーとですね、さっきも言った通りカンナはいく当てがないらしくて、その…私同様ここにおいてもらえないかなー、と」

 

 「…正気か?」

 

 「ヒキガヤさん、私はいつでも本気ですよ」

 

 「いやでもいくら何でもこんなナリの子をうちに置いとくのはな…」

 いろんな犯罪に引っかかりそうである。

 

 渋る俺のもとにカンナがとてとてと近づいてくる。カマクラを抱きながら俺に上目遣いを送る。

 

 「ここに居ちゃ、ダメ…?」

 

 うん、どうでもいいや法律とか。

 

 

 

 

 

 ある朝のことである。鼻息の荒い巨大なドラゴンが目の前に立っていた。

 

 「この方はドラゴンのファフニールさんです。人間としての名前は大山猛といいます。名付けたのは私です。ほらヒキガヤさんにご挨拶…って、人間の姿になってくださいファフニールさん!ヒキガヤさんが反応に困ってます!」

 

 トールが文句を言い続けると目の前のドラゴンは仕方なくという風に体を翼で覆い、体がどんどんと縮んでいく。

 

 現れたのは執事服のようなものを纏った長髪黒髪の男だった。トールと同じ緋色の瞳が嫌でも目を引く。しかしその目つきは普段の彼女とは似ても似つかない、周りのすべてを信用していない、そんな目だった。俺の第一印象としては。

 

 …海老名さんが見たら喜びそうな人だな。

 

 「なぜ俺が姿を偽って人間風情にわざわざ挨拶などせねばならん。じろじろ見るな人間。殺すぞ」

 

 「あー、もうまたこじれることを…。ヒキガヤさん、ファフニールさんも別に悪気があるわけじゃないんですよ。ただ殺気立ってるだけで」

 

 いや、こええよ。目の下とかなんかクマすごいし。なんかもう怖い。

 

 「というか、目つきさらに悪くなってますよファフニールさん。…また滝谷さんとゲーム徹夜でゲームですか」

 

 ファフニール氏はあきれた様子のトールを鼻で笑う。まて、何か今ものすごくおかしなことを聞いた気がする。

 

 「またではない。毎日徹夜だ」

 

 「何そんなことを誇ってるんですかこのダメドラゴンは…あ、ファフニールさんはカンナとは違ってもう一緒に住む人間を見つけているんです。で、あろうことかその人と毎日ゲーム三昧、という体たらくで」

 困惑していた俺にトールが補足をする。しかしゲーム三昧のドラゴンとは…

 

 「意外だとでも言いたげな顔だが」

 

 「いや、別に」

 

 「気に入らんな。言いたいことがあるなら言え」

 

 彼は初めて俺の目を見て問う。その目からはどうも逃れられない気がした。嘘をついても意味がないだろう。

 俺は思ったことをそのまま口にする。

 「人間もドラゴンもゲームが好きなんだなと思っただけです」

 

 「…ふん」

 ファフニール氏からの返答はそれだけだった。

 

 

 

 

 

 ある朝のことである。形容しがたいほどのその…豊満な胸を持つ、ツノをはやした金髪オッドアイ痴女が目の前に立っていた。ちょっとまて、そろそろ設定過多過ぎて思考が追い付かない。

 

 「この方は」

 

 「はいはーい、僕の名前はケツァルコアトル。気軽にルコアと呼んでね。今はドラゴンなんだけど一応元神様だよ。トール君とはまあ旧友のようなものかな。よろしくね、ヒキガヤハチマン君」

 トールの紹介も遮り、ルコアさんは手を上げて自己紹介をする。

 

 「よ、よろしくお願いします」

 彼女の瞳に見つめられ、どうも居心地が悪くなる。トールやファフニール氏の緋色の瞳が俺の心を読み取っているようだとすれば、ルコアさんのそれは俺のすべてを見透かしている、ような。

 

 「おやおや、ちょっと固いねぇ。…トール君、悪いんだけど外暑くて喉かわいちゃったから…」

 

 「はい!わかりました。今お茶お持ちしますね」

 

 

 

 「さて、ヒキガヤ君」

 彼女はトールが台所に行ったことを確認すると、突然俺の隣に座る。ちょ、近い近い近い。当たってる当たってる当たってる。なにがとは言わないが。

 

 「フフ、見た目以上にかわいいなぁ。単刀直入に聞きたいのだけど」

 

 ルコアさんはまたその瞳を見開く。

 

 「君はトールくんにいったい何をしたのかな?」

 

 「…質問の意味と意図がよくわかりませんが」

 

 「そうかい?つまりボクの知っているトールくんはあんな風に笑う子ではなかったということが言いたいのだけど」

 

 「俺は昔の彼女のことなんて知りませんよ」

 もちろん、今の彼女のことも大して知りはしないが。

 

 「彼女、ね」

 ルコアさんは机の上にある時計を指ではじく。

 

 「なるほど。ありがとう。知りたいことは分かった。ま、悠久の時を生きる竜にだって心境の変化くらいはあるさ。気に障ったかな?」

 

 「いえ、別にかまいませんが」

 ルコアさんの質問には何一つ答えていないと思うのだが…懐が深いというか度量が大きいというか。それとも文字通り彼女には質問への答えは筒抜けなのかもしれないが。

 

 「ではついでにもう一つ。君はトールくんと出会ってよかったかい?」

 

 「…」

答えにくい質問しか来ないのは嫌がらせかなにかだろうか。無言の俺からなにか察したのか、ルコアさんは補足を入れる。

 

 「一応これでも元神だからね。異世界の者同士が出逢った事態をそうやすやすと見過ごせないだけさ。答えたくなかったら答えなくてかまわないよ。ただの興味だし、今はしがない一ドラゴンだからね。まあ端的に言えば、彼女が君にとってどういう存在かということを聞いてみたいのだけど」

 

 「俺にとっての彼女、ですか」

 

 「そう。君にとっての。それとも君は主観で物事を語るのは苦手なタイプかな?」

 

 挑発的に尋ねる彼女に対して、俺はすぐには口を開けない。

 

 「ガシャーン!!!」

 答えられない沈黙を、ガラスの割れる音が破る。

 

 「ご、ごめんなさい小町さん!こぼさないようにこぼさないようにと思っていたら力が入りすぎてカップが割れて…はい、ぜひ教えてくださいお茶の淹れ方!」

 

 小町がお茶を淹れるのをトールは真剣な面持ちで見つめる。初めて彼女と会った林間学校の時のことを思い出し、アンバランスさに思わず笑いが込み上げる。

 

 「俺にとっての彼女は」

 自然と言葉が出てきていた。

 

 「ただのドラゴンです。俺はただの人間で、あなたもカンナもファフニール氏もただのドラゴンですよね。それと同じようにトールもただのドラゴン、だと思います」

 

 ルコアさんの瞳が大きく見開いた。

 「…そう。やっぱり変なんだね、君は」

 

 設定盛りすぎのドラゴンに言われるいわれはまったくなかった。

 

 

 

 

 

 そして現在、風呂上がりのトールとカンナは仁王立ちする小町の前に正座している。

 

 「とにかく、これからはお兄ちゃんがお風呂に入ってる時は二人とも入らないように。いいですね?…トールさん、ちゃんと聞いてますか?」

 

 「えーえー、聞いてますー。でもご主人様のお風呂のお手伝いをするのはメイドとして当然の役目…」

 

 まだ文句タラタラのトールの目を小町は笑顔でのぞき込む。

 

 「い・い・で・す・ね?トールさん?」

 

 「は、はい…」

 

 

 

 「はー、ひどい目に合いました。それもこれもヒキガヤさんが風呂場で大騒ぎするからですよ」

 小町からの説教が終わったトールは首を回しながら俺の方に来た。カンナも小走りでこちらに来る。

 

 「おい、当然のように隣に座るな、近い。…カンナ、お前は当然のように俺の膝に座るな」

 

 「だからメイドとしてヒキガヤさんのお側を離れるわけにはいかないんですよ。…カンナは近すぎる気がしますが」

 

 「ハチマン、これ読んで―」

 カンナは絵本を俺に差し出す。しかし絵本は絵本でもそれは

 大人の絵本であった。

 

 「カンナ、それ私に貸してください。ヒキガヤさんの性癖の趣向の参考にします」

 

 「まてまてまて、勘違いしているようだがそれは俺のじゃない。親父のものだ。カンナ、お前がそれを読むのはまだ早い」

 カンナから大人の絵本を取り上げる。これはカンナの手の届かないところに保管しておかないといかんな。俺の机の引き出しにデスノートよろしく隠しておこう。

 

 「ワンワンワンワン!」

 騒いでいるのが気になったのだろう。俺の膝に座るカンナの膝に、ダックスフントが座る。その犬にトールが笑顔で話しかける。

 

 「いぬっころが…トールとヒキガヤさんのひと時を邪魔して何わめいてるんですか?死にたいんですか?」

 

 「やめろトール。前も言ったように知り合いの犬だ。傷物にするわけにはいかん」

 

 「おっと、そうでしたね。危ない危ない、うっかりころ…愛でてしまうところでしたよ。ドラゴンらしからぬかわいさを見せてしまうところでした☆」

  目が本気だった。

 

 「うーん、にしてもヒキガヤさんにそのような知人がいたとは驚きですね」

 さっきの態度とは裏腹にトールは膝に乗った犬の顎を撫で、目を細める。

 

 「それ俺に知人がいた事実に対して驚いてる感じになってるんだけど」

 

 「ちなみにそのような奇特な方はどのような変人なのでしょうか?」

 

 「なんで変人前提なんだよ。…まあどっちにしろ、明日になればわかる」

 

 「なるほど、そうですか。ではこの駄犬の持ち主がどのような人物か、楽しみに寝ることにしましょう」

 なぜか不敵に笑うトールを無視し、寝室へ向かう。もちろんついて来ようとするトールもカンナも無視した。

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 「やっはろー!いやー、ごめんね?ヒッキーの家カマクラもいるのにサブレ預かってもらっちゃって…」

 

 「いえいえ、全然大丈夫でしたよ!他ならぬ結衣さんの頼みでしたし、サブレと遊ぶの楽しかったですし」

 

 「そ、そう?小町ちゃんも受験で忙しかったと思うし、お礼は絶対するね」

 

 「はい、小町楽しみに待ってますね!」

 うちに犬を預けたのは由比ヶ浜だった。どうやら家族で旅行にいっていたらしい。小町と由比ヶ浜の電話でサブレの宿泊の件は決定していたので、俺は細かいところは知らないが。

 

 じゃあ。小町と由比ヶ浜は手を振りあう。由比ヶ浜はドアに手をかける。が、

 

 「と、ところでヒッキー」

 何か用があるのか。由比ヶ浜は俺の方に詰め寄る。

 

 「な、なんだ」

 距離が近い。近寄った分だけ俺も下がる。由比ヶ浜は深呼吸をし、一息に俺に尋ねる。

 

 「今日って午後暇かな?」

 

 「いや、大忙しだ」

 

 「あっ、そうなんだ…」

 即答する俺になぜか由比ヶ浜は声をしぼませる。いやだって本当に予定がいっぱいなんだもの。小町がニヤニヤと俺と由比ヶ浜を見比べているのが気持ち悪い。余計なことを言うんじゃないぞ小町。

 

 「そうだよね、お兄ちゃんはこれから昨日寝落ちしてみれなかった深夜アニメ見て、新作ラノベ買いに本屋に出かけなきゃならないもんね」

 

 「確かにそれは大忙しだね…ってそれ大忙しなの!?暇じゃないの!?」

 

 「バカ野郎。これ以上の予定があってたまるか。むしろ毎日それくらいしか楽しみがないまである。ぼっちから数少ない娯楽までうばうつもりか。鬼かお前は」

 

 「なんかあたしが悪いみたいになってる!?でもそれって明日でもいいんだよね…?」

 

 「ま、まあな」

 まさか由比ヶ浜に正論で返されるとは思っていなかった。ボケにはツッコむつもりでも正論への返答は用意していない。

 

 「じゃ、じゃあさ…今日花火大会あるの知ってる?」

 

 「一応存在だけは。それがどうした」

 

 「だからその…今日私これから時間あって…ヒッキーさえよければ、一緒に花火大会、行かない?」

 由比ヶ浜は上目づかいで目を潤ませて俺に聞いてくる。一般的な男子ならここで落ちていることだろう。しかし俺はすでにオチまで読み切っているのだ。

 

 「だってよ小町、行こうぜ」

 そしてここで気持ち悪く笑うことも忘れない。完璧、完璧である。断るでもなく俺から小町も一緒に行くことを決定事項にすることで、お互い不幸にならない。これを最善手と言わずしてなんというのか。

 

 しかしやり切った俺に対しての小町の目は白い。妹から痛い視線が刺さる。

 

 「ほんといつまでもごみいちゃんはごみいちゃんだね…」

 

 「あはは…」

 なぜか由比ヶ浜にも白い目で見られた。俺は間違えた選択はしていない。心外である。

 

 

 

 トールは駄々をこねる。

 「私も行きます行きます行きますぜっっっっっっっったいにヒキガヤさんと一緒にハナビタイカイ行きます!」

 

 あの後結局「小町へのお礼を買いに行く」という名目のもと、由比ヶ浜と二人で祭りに行くことになった。小町、余計なことを。

 

 「無茶いうんじゃねえよ。てかお前花火大会の意味わかって言ってんのか」

 

 「うぅ…よくわかりませんが、あの頭の軽そうな女になんでヒキガヤさんを独占されなきゃいけないんですか!」

 

 「わけのわからんことを。まあとにかく、お前を連れてくことはない。おとなしく家で待ってろ」

 

 「ぶー。…ヒキガヤさんのわからずや」

 

 「言ってろ」

 こいつは自分がどれだけ目立つか理解していない。外国人留学生、ではさすがの由比ヶ浜も騙されないだろう。と、信じたい。

 

 「ハチマン、つれてって」

 今度はしたからカンナに袖を引っ張られる。しかし俺より早く小町がカンナの頭をなでる。まて小町、それは俺の役目だろうが。お兄ちゃんの役目でしょうが。

 

 「カンナちゃん、お兄ちゃんと結衣さんの邪魔しちゃダメだよ」

 

 「もとはと言えばお前が仕組んだことだけどな」

 

 「何言ってるか小町よくわかんなーい」

 小町は手足をばたつかせるカンナを抱えながらいたずらっ子のように笑う。…はぁ。

 

 「行ってくる」

 俺はこれ以上グダグダと言われる前に玄関のドアを開いた。

 

 

 

 

 

 皆さんこんにちは!全国のお兄ちゃんの心の妹、比企谷小町です。たぶん小町視点今回くらいしかないので、貴重な小町の地の文皆さん楽しんでくださいね!

 

 さて、今回小町はかくかくしかじかありまして、由比ヶ浜さんとお兄ちゃんを一緒に祭りに行かせるという任務を無事果たしました。まったくお兄ちゃんがごみいちゃんのせいで小町は苦労しっぱなしですよ…。それに今は手のかかるのがお兄ちゃんだけじゃないんです。主に横にいる二人です。

 

 「あーあ、ヒキガヤさんほんとに行ってしまいました…私を置いて…置いてくなら縛っていってほしかったです…ヒキガヤさんの手で無理やり縛り付けてほしかったです…」

 

 「ハチマン…リンゴ飴…綿菓子…チョコバナナ…」

 

 どうやらそれぞれお兄ちゃんへの想いがあるようです。お兄ちゃんへの想いというより煩悩と物欲そのもののようですが。

 

 「さて、トールさんにカンナちゃん」

 諦めるのはまだ早いですよ、二人とも。

 

 「着替えましょう」

 小町はにやりと笑い、浴衣を掲げるのです。

 

 

 

 

 

 「むー、全然とれない!」

 

 人が多すぎる。どこを見ても人しかいない。人人人人。人の山。

 

 「人がごみのようだ」

 

 「なんで突然その名言!?…ヒッキー、全然金魚取れない~」

 夏祭り。俺と由比ヶ浜は小町へのお土産を買うべく屋台巡りをしていた。お土産を買うために祭りに来る、というのはどうも因果関係がおかしい気がするが、そこはかわいい妹のため。仕方がない。

 

 それにしても。

 

 「なんでいきなり金魚すくいなんだよ…」

 まあ理由は分かっている。最初に目についたものが金魚すくいの屋台だったのだ。…最初に見るのが一番くじ屋台とかじゃなくてよかった。破産まで追い込まれるところだった。

 

 「ほれ、そんな時間あるわけじゃねえんだからさっさと買い物済ませるぞ」

 

 「あ、あと一回だけ!」

 

 「いや、お前金魚取れるまで動く気ないだろ」

 すでに座り込み、荷物も俺に持たせている。

 

 「だってせっかくだから一匹くらいとりたいし…」

 

 「ならもう少し小さい奴狙えよ。なんでそんなデメキンみたいなの一点狙いなんだよ」

 

 「だ、だってどうせとるなら大きいほうがいいじゃん!」

 

 由比ヶ浜はいたって真剣な目でその金魚を見つめる。由比ヶ浜結衣、妙なところで野心家だ。これが雪ノ下ならばとりやすい金魚を片っ端からとり、金魚でいっぱいになった器を俺に見せつけてドヤ顔をするところだろう。光景が一瞬で頭に浮かんだ。

 

 「ちょっと貸してみろ」

 このままでは夜店が終わるまで粘りかねない。それでは小町からの任務が遂行できない。由比ヶ浜から金魚をすくうやつ(ポイというらしい)を受け取る。由比ヶ浜は拒否したが、時間がないことを告げるとしぶしぶ俺にポイを渡してくれた。

 

 金魚すくいはコツさえつかめばそう難しくない。

 紙の貼ってある側を表にする。斜めに入水し、全体を一気に水につけ、金魚を追うのではなく待つ。

 

 「まあ見てろ」

 俺は一匹の普通の金魚に狙いを定める。由比ヶ浜が短く声を出すが、無視してその金魚の下にポイをくぐらせる。しかし。

 

 「ああっ、破れちゃった…」

 

 「いや、ここからだ」

 

 そして俺は破れかけたポイをデメキンに向ける。ポイの「枠」にデメキンを一瞬乗せ、すぐにお椀を下にくぐらせる。

 

 取った。

 

 「ヒ、ヒッキー…それルール違反じゃ…」

 由比ヶ浜は目を細めて、誇らしげにお椀を掲げる俺を見る。言いたいことは分かる。しかしルール違反はしていない。きちんとポイで金魚をとっている。そもそも質量的に考えてあんなでかいのがこんな紙で支え切れるわけがない。先述した金魚すくいのコツはあくまで小さい金魚を狙う場合のものだ。素人が大物を狙うにはこれしかない。

 

 「兄ちゃん!」

 しかし目の前の屋台のおじさんから声がかかる。白髪の短髪で眼光は鋭く、タオルを額に巻いている、おじさんよりも「おやっさん」だろうか。はっきり言ってすごく怖い。

 

 おじさんは俺をしばしにらんだ後、由比ヶ浜にも目をやる。にらまれた由比ヶ浜も俺と同様固まる。屋台に似つかわしくない緊張の時間が流れる。

 

 そして。

 

 「がっはっは!やるねぇ。方法はスレスレだが、自分の女の前でそこまでしていい格好してえたあ気にいった!隣のないすばでぃの姉ちゃんも、色違いのこのデメキンもってきな!」

 

 普通にすごいいい人だった。

 

 「ヒ、ヒッキーの女って…ないすばでぃって…」

 由比ヶ浜は頬に手を当てて何やらブツブツと念仏のようにつぶやいている。が、そろそろ行かなければなるまい。

 

 

 

 

 

 「つ、次はどうしよっか?」

 もらった赤いデメキンを嬉しそうに眺めながら、由比ヶ浜が口を開く。そんなに欲しかったのか。

 

 「そうだな。小町へのお土産を買いに行くとしたら、常温でも問題ないものだろうな。だとすると…」

 

 「あれー、結衣ちゃんじゃん」

  

 由比ヶ浜に女三人グループから声がかかる。そのリーダー格らしき一人「サガミ」が俺を一瞥する。被害妄想でなければ、自意識過剰でなければ、鼻で笑われた気がした。

 

 「あ、さがみんだー。やっはろー」

 サガミと由比ヶ浜は一通り「まつりで偶然会った同級生」の会話を繰り広げる。しかしそこにあるべきではない悪意が漂っていたのは気のせいだったのだろうか。

 

 …なるほどな。

 

 「じゃあ俺、先にお土産買ってくるわ」

 

 「あっ、ヒッキー…」

 

俺は由比ヶ浜の制止を無視し、焼きそば屋台へ向かう。女子の社交場に役にも立たない、飾りにもならない男が居て良い道理はないのだ。

 

 

 

 

 

 「人がごみのようですね。少し減らしましょうか」

 人だらけの夏祭り屋台の中、トールさんは当然のように言い放ちました。ちょっと待って、その唐突に上に上げた手をひっ込めて。

 

 「本気でそのセリフを口にする人…ドラゴンがいるとは小町思いもよりませんでしたよ。言っとくけど絶対だめですから。炎だすのも尻尾出すのもツノ出すのも禁止!つまりとにかく目立つことをしないことと、お兄ちゃんに絶対見つからないこと。この二つが最低条件!いいですか?」

 

 「いや、たぶん私は大丈夫なんですけど…」

 トールさんは振り上げた手をしぶしぶ下ろし、ちらりとカンナちゃんを見ます。カンナちゃんは屋台の商品をかじりついて眺めていました。それだけ見ればほほえましい光景です、が。まずかったのは

 

 「カ、カンナちゃん!浮いてる浮いてる!」

 

 「これ、欲しい…」

 

 「はいはい、お面ね?買ってあげるから、お願いだから目立たないで。ここでお兄ちゃんに見つかっちゃったら元も子もないんだから」

 小町は屋台のおじさんから仮面を買い、カンナちゃんの頭に着けてあげます。どうやらご満悦のようです。しかし屋台の仮面って高いですよねー。小町も昔はお兄ちゃんにこれをねだって買ってもらってましたが、理由は「値段が高い」でしたからねー。いやはや―若かったな♪

 

 「小町さん小町さん!これで勝負しましょうよ!」

 次はトールさんからの呼び出しです。

 

 「トールさんもはしゃいでるし…金魚すくい?」

 

 「ええ。やりましょうやりましょう。早く早く」 

 トールさんも完全にはしゃいじゃってます。…小町も金魚すくいとなると少し胸が高鳴ります。あんまり胸ないですけど。

 

 「…いいですよ。小町はお兄ちゃんにだって小さいころから負けたことないんですから。受けて立ちます!」

 

「しかし獲物がこんな小さな魚では、せっかくの私と小町さんの勝負に少しふさわしくないですね…そうだ」

 トールさんは空を見てにやりと笑いました。いやな予感しかしません。

 

「ちょっと待っててくださいね」

トールさんは空に向かって飛びあがり、一瞬で見えなくなってしまいました。このくらいではもう驚きません。

 

トールさんをまつこと5分。空から声が聞こえます。

 「小町さん、おっまたせしましたー!!」

 

 …あれ?なんかトールさんだけじゃないような…

 

 屋台の光がトールさんを照らした時、小町すべてがわかりました。わかりたくありませんでしたけど。

 

 空から化物のような「魚」がいっぱい降ってきて、金魚すくい用のプールに飛び込んでいきました。すべてがひっくり返りました。

 

 「姉ちゃん、弁償頼むな」

 放心状態の私の耳に届いたのは、現実を突きつける無慈悲な屋台のおじさんの声だけでした。

 

 

 

 「トールさん」

 

 「…はい」

 正座したトールさんは今回はへこんだ顔をしています。なぜか過剰なほど落ち込んでいるようにも見えますが…何かあったんでしょうか。

 

 「初めてこんなに人がいるところに来て、はしゃぐのは分かります。でもまだトールさんはこっちの常識を知りません。とりあえず今日は小町の言うとおりにしてください」

 

 「はい」

 

 「べ、別にすべて小町の言うとおりにする必要はないですが…ただこの世界の常識に大きく外れちゃっダメ、というだけですから」

 

 「はい」

 

 「…きーてますか?トールさん」

 トールさん戻ってきてから少し様子がおかしいです。何かあったのでしょうか。

 

 「はい」

 

 「…聞いてませんよね、トールさん」

 

 「はい」

 トールさん、小町ではなくどこか別の方向を見ています。トールさんが今小町以外にここまで関心を向ける対象といえば。

 

 「トールさん」

 

 「はい」

 

 「お兄ちゃんのところ、いってきてあげてください」

 それ以外、小町にはあんまり思いつきません。

 

 「…はい。ありがとうございます」

 トールさんは私の方をみず、見えないドラゴンの姿になって飛び立ちました。横のカンナちゃんは今度はたこ焼き屋の前で動こうとしません。小町が買ってあげるから、ちょっと待ってて。

 

 まったく、比企谷家は手のかかる人が多い家です。

 

 

 

 

 

 私は知っている。

 

ヒキガヤさんの弱さを知っている。卑屈な思考を知っている。自己への嫌悪を知っている。濁った瞳を知っている。臆病さを知っている。多くの嘘を知っている。

 

 そして彼の欺瞞でしかない優しさを、私は知っている。そして今それは二人に、あの二人の女の子に向けられている。それも知っている。

 

 しかし私には分からない。理解できない。彼は人間が何よりも利己的で、排他的で、愚かであることを知っている。にもかかわらずなぜ彼はただ耐えているだけなのか。自らを傷つけ、他を傷つけまいとするのか。利己的な彼らはそれに感謝するどころか、気づきすらしない。ならばなぜ彼は人を「助け」ようとするのか。わからない。わからない。

 たぶん彼にもわかっていないのだ。だから私にもわからない。しかしわかっていることもある。

 

 そうしようとする時、彼の心が一瞬刺すように翳る。

 

 また彼の心に灰色がよぎったのだ。

 

 

 

 

 

 由比ヶ浜と合流し、雪ノ下陽乃さんとともに花火を見た。雪ノ下さんから一年生の時の俺と由比ヶ浜が関わった事故のことを聞いた。

 

 雪ノ下雪乃は、俺を轢いた車に乗っていた。

 

 「あ、あれ?私まずいこと言っちゃったかな…でもいいよね?もう終わったことなんだしさ」

 

 「まあそうですね。終わったことです。後ろばかり見ていてもろくなことがない。人生お先だって真っ暗なのに、過ぎたことなんか気にしてももう真っ黒でしかないっていうか、なんかもうね」

 

 中身がスカスカどころか、まったく中身のないことを俺は言う。言わなければならない。言わなければ俺ではないのだ。

 

 「そだね。君ならそう言ってくれるとおもったよ、比企谷君」

 

 雪ノ下さんは優しく笑う。

 「知らないふりをすれば誰も傷つかない。見えないふりをすれば誰も傷つけない。なにより自分がね」

 

 「何を言っているか、よくわかりませんね」

 

 そしてまた知らないふりをするのだ。

 

 

 

 

 

 打ち上がる花火の途中。それは突然だった。

 

 「ヒキガヤさん!」

 

 空から花火とともに、若葉色の少女が降ってきた。非現実的な光景へのツッコミは全く出てこなかった。その要因はそのその少女の容姿にきいんする。俺の思考も視界も、全てその容姿に奪われたのだ。

 

 その浴衣姿は、今まで俺が見たなによりも美しかった。

 

 「さあ、参りましょう」

 少女は返事を待たず、俺の手を取ってどこかに走っていく。花火会場からどこまでも駆けていく。なぜか彼女は笑っているように思えた。俺も笑ってしまっているのかもしれない。らしくはない。しかし悪い気分ではなかった。

 

 誰もいない広場までくる。喧騒はここまではほとんど届いていない。聞こえるのは夜の虫たちの声のみ。息ひとつ乱していない彼女は私の方に振り向く。

 

 「奇遇ですねヒキガヤさん。こんなところで会うなんてやっぱり私たちはともに惹かれ合う運命に…」

 

 「そんなわけあるか。…なんで来た、トール」

 人間ではない少女。少女ですらないドラゴン。彼女は人を食ったような笑みを浮かべる。

 

 「いやですねぇ。この格好で空を飛べるわけないでしょう?電車に決まってるじゃないですか」

 

 「…俺のきき方が悪かった。なぜ、ここにきた」

 

 「ヒキガヤさんのいるところにメイドトールあり、です」

 

 「答えになってねえ…その浴衣」

 

 「ああ、これですか」

 彼女はくるりと一回転する

 

 「これもメイド服と同じで私の鱗です。小町さんが実物を見せてくださったので、それをもとに私なりに作ってみたんですが…どうでしょうか」

 

 「…まあ、似合ってんじゃねえのか」

 

 「どうもです!」

 トールはニコニコする。彼女にとっては当然のことだ。似合わないわけがない。彼女のそれは言うまでもなく、比べるまでもなく、なによりも美しかった。

 

 「ここでお前と無駄話しているわけにもいかん。由比ヶ浜が待って…」

 

 「ああ、アレですか」

 トールは斜め上を見て、何でもないように言う。そして

 

 「どうでもいいじゃないですか、あんなの」

 

とびきりの笑顔で笑うのだ。

 

 何気ない一言。彼女にとっては当たり前で、当然の一言。しかしそれによって何かが割れる音がした。

 

 今更ながら思い知らされる。彼女は俺らとは違う。人間とは、違う。その思想も態度も美しさも人のそれではない。

 彼女は取り繕うことはしない。彼女の口から出てきた言葉はすべて偽りない彼女の気持ちなのだ。気持ちですらない。ただの事実なのかもしれない。彼らドラゴンは悠久の時を生き、人間を見続け、それを見抜く目を持ち合わせてしまったのかもしれない。

 

 「トール」

 俺は彼女の名を呼ぶ。呼び慣れた名のはずだ。しかし今までとは違うように感じてしまう。

 

 「なんですか?」

 

 「俺は由比ヶ浜のところに戻る」

 たぶん、戻るべきなのだ。戻らなければいけない。

 

 「なんでですか?」

 

 「なんでって…。一応今日はあいつと一緒にここに来てる。勝手に置いてくわけにはいかない」

 

 「どうして?」

 

 「…トール?」

 彼女は下を向き、声を絞り出すようにして出す。俺はそんな彼女を今まで見たことがなかった。彼女の美しさを知った今、そんな声が聞けるわけがないと思っていた。

 

 「ヒキガヤさん、そもそも今あなたはなぜ由比ヶ浜さんと別行動をとっていたんですか?」

 

 「見ていたのか」

 

 「いえ。でも私は比企谷さんのことなら何でも知っています」

 なるほど。文字通り「何でも」お見通しなわけだ。しかし俺は事実だけを言う。起こった事柄だけを事務的に、客観的に述べる。

 

 「クラスメイトの女子と由比ヶ浜が話し込んでいたからだ。男一人だけいても邪魔になるだけだからな」

 

 「ヒキガヤさん」

 トールは俺の言葉は意に介さない。

 

 「どうして、あの場から去ったんですか」

 燃えるような緋色の瞳に俺自身が映し出される。まるで丸裸にされているようだ。俺は彼女がうちに来た時の言葉を思い出していた。

 

 俺という人間を知りたい。

 

 「そんなことまでお前につぶさに報告する義理はねえよ」

 

 「そうですか…ではヒキガヤさん」

 トールまっすぐに俺を見る。

 

 「なんで彼女の質問に、ユキノシタハルノなる人物の質問に、嘘で返したんですか?」

 

 「…雪ノ下さんにもお前にも、やっぱりそれを報告する義理はない、な」

 

 「そうですか」

 

 彼女はただうなずく。なにに対してうなずいているのか。その了承にはどんな意味が込められているのか。

 

 そしてトールは何かを代弁する。

 

 「誰かに見てもらいたい。誰かに知ってもらいたい。誰かにわかってもらいたい。誰にも自分のことを知られたくない。理解されたくない。自分だけが周りを理解できていればいい」

 

 「随分と傲慢なやつがいたもんだな」

 

 「…あなたなら、そう言うんでしょうね」

 トールは卑屈な笑いを浮かべる。俺のように。俺がそうするように彼女は笑う。

 

 「ヒキガヤさん」

 よく名前を呼ばれる夜だ。

 

 「なんだ」

 

 「あなたは…」

 続きは聞こえなかった。

 

 何かが爆発する音がした。

 

 反射的に体が音の方へ向く。最後の花火が上がったのだ。寂しさを埋めるように連発された花火たちのショーも、いよいよフィナーレの始まりだ。そして次の瞬間には終わる。

 

 「きれい」

 

 同じ感想が重なった。その声が誰から発せられたものか、お互いに知らないふりをした。

 

 「じゃあ戻る」

 花火が完全に空から消えたのを確認し、俺はトールに短く告げた。

 

 「はい。行ってらっしゃい、です!」

 いつもの彼女は、いつものように俺を見送った。

 

 

 

 

 

 帰り道。突然いなくなったことにぶーたれていた由比ヶ浜はあんず飴ひとつでおとなしくなった。まったくわかりやすい娘である。

 

 そして由比ヶ浜とすら別れ、一人きりの帰り道。空を見上げるとそこには暗闇が広がっている。まばゆい花火につかれた目にはちょうど良い。このくらいの方が落ち着ける。

 

 「おかえり、お兄ちゃん」

 上を向く俺に眼前から声がかかる。そこには

 

 「なにやってんだ、小町」

 

 見慣れない浴衣姿の小町が立っていた。

 

 「はぁ?せっかく小町がこーんなかわいい浴衣姿でお出迎えしてあげてるんだよ?ほかにいくらでもいうことあるんじゃないの?」

 

 小町は袖をひらひらとはためかせ、こちらにウインクを送る。

 

 「ああ。ただいま。小町」

 手をポンと小町の頭に当てる。

 

 「…ええ!?何やってんのお兄ちゃん!」

 

 「お前が文句付けてきたんだろ。…まだなんか文句あるか?」

 街灯に照らされた小町の顔は少し赤い。

 

 「べ、別に文句はないけどさ…でも小町にだって心の準備があるって言うか…お兄ちゃん黙ってればちょっとはかっこいいんだし。べ、別にいつもよりはましっていう程度だけど…」

 

 「何言ってんだお前…まあ、いくか」

 

 「…うん」

 

 

 二人で夜風に当たりながらの帰り道。こうしていると昔小町といった祭りの帰り道を思い出す。

 「小町も祭り来てたのか」

 

 「え?」

 小町は自分の浴衣を眺め、今更乾いた笑いを浮かべる。

 

 「あー、これはそう、あれだよ。浴衣を着て気分だけでもお祭りを味わいたかった、みたいな?」

 

 「いや、首かしげてもだめだから。それに、口の横に綿菓子が」

 小町はあわてて口元を抑える

 

 「ついていないが」

 

 「は、はかったね、お兄ちゃんのくせに」

 小町はボカボカと俺の頭を叩きながらフンフンと鼻を鳴らす。

 

 「なーんだ、ばればれだったんだ。じゃあ、さ」

 上目遣いで俺を見る。

 

 「トールさんと会った?」

 

 「…会ってねえよ」

 

 「ふーん、そっか。じゃあもう一個」

 小町は視線を落とす。

 

 「トールさんと、何かあったの?」

 

 「話聞いてなかったのかよ。会ってすらいねえって…」

 

 「トールさん怒ってたよ」

 小町の声は怒っても、悲しんでもいなかった。そうあろうとしているように、ただあったことを伝えようとしているように思えた。

 

 「トールさんどっかのタイミングからお兄ちゃんのこと気にしてて、突然いなくなったんだ。で、戻ってきたと思ったらなんか怒ってた。たぶん、怒ってたんだと思う。なにに対してか知らないけど、小町あんなトールさん見たことなかったよ」

 

 「だからって俺と会ってたことにはならんだろ。案外まったく当たらない一番くじに腹立ててただけかもしれんぞ」

 

 「んーん、怒らせたのはお兄ちゃんだよ」

 まだごまかす俺に小町は言い切る。

 

 「なんでそう言い切れる」

 

 「だってトールさん、お兄ちゃん以外の人間なんてどうでもいいと思ってるもん。どうでもいい相手に腹は立てないでしょ?」

 

 なるほどな。

 

 何も言えない俺に小町はにやりと笑う。

 「お兄ちゃんとトールさんなんか似てるもん。今のお兄ちゃんとさっきのトールさん、そっくりの顔してるよ」

 

 それならば、問題は俺だけのものではないのかもしれない。

 

 「で、なにがあったの?お兄ちゃん」

 

 小町は最初と同じように俺に尋ねる。たぶん、普通なら答えるのだろう。ここまでわかってくれる妹に対して応えるべきなのだろう。

 

 しかしたぶん今は、何もわからない今は、これが正しいのだ。

 

 「なにもなかったな」

 

 「そっか」

 小町はフー、と息を吐きやれやれという風に首を振る。

 

 「面倒なのが二人に増えて、小町は大変だよ」

 

 「すまん、迷惑かける」

 

 俺が短く謝罪した瞬間、小町の目が光る。

 「今度アイスおごってよ」

 

 「へいへい」

 

 黙秘のツケは随分と高くついてしまった。

 


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