起きたらメロンが二つあった。
いや、メロンではない。その二つは持ち主の息遣いとともに上下し、見ようとせずとも意識は自然とそこに吸い寄せられた。これはなかなかのものですね。見たところによるとE…いや、Fくらいはあるのではなかろうか。
たわわと実った二つのそれを目の前にし、俺はやけに冷静だった。寝起きであること、あまりにも非現実であること、そして日常的にそのレベルのメロンを目にしていることが理由かもしれない。
いい加減わかりやすく言おう。
俺の上に、金髪巨乳でツノをはやしたメイドがまたがっていた。
…なんだ、まだ夢の中か。
「おはようございます、ヒキガヤさん!」
「…チェンジで」
俺の目をのぞき込む金髪の女性に反射的にそうつぶやいて布団を頭から被る。夢だからって無茶苦茶だ。親父、そっち系のプロ呼ぶときは家族のいない時にしてくれ。夢だとしても親のそんなところは見たくない。
「むー、なにがチェンジですか。変えられるわけないでしょ。大体、私をここに呼んだのは比企谷さんじゃないですか」
彼女は布団の上からボカボカと俺をたたく。
「俺は呼んでねえっつうの。請求は父親のところまで頼む。ちなみに親父の部屋は突き当たって左だ」
「わけのわからないことを言ってないで早く起きてください!さっきも言いましたが私に来てほしいと言ったのはあなたですよ、ヒキガヤさん。ヒキガヤハチマンさん」
名前を呼ばれたことでしぶしぶと布団から彼女を見る。少しの隙間から緋色の瞳と目が合う。満面の笑みが向けられる。
「おはようございます、ヒキガヤハチマンさん。あなたのお手伝いをしに、メイドトール、はるばるやってきました」
ビシッと彼女は敬礼をする。はいはい設定乙。ラノベの導入としては王道ではある物のなかなかよくできている。メイド、金髪、ツノというのはいささか設定過多の気もするが、材木座もこのくらいわかりやすいプロローグをだな…
…まて、トールだと?
俺はベッドから飛び跳ねる。目の前にはニコニコと笑顔を浮かべる金髪メイド。そしてよく見ると彼女の後ろには緑の尻尾が見える。…いや、そんなわけがない。
自らの馬鹿げた妄想を振り払い、また布団をかぶる。まったく時間の無駄だ。俺は夢の中でも寝ていたい。
「もう、いい加減起きなくていいんですか?さきほど妹さんは出ていきましたよ」
彼女の言葉に、俺は今度こそベッドから飛び跳ねる。時計をひっつかむと、時刻は8時20分。
や ば い。
俺は制服をひっかけ、教科書を鞄に放り込む。駄目だ、絶対に間に合わねえ。
突然焦りだした俺を金髪メイドは不思議そうに見つめている。なに、じゃあこいつも夢じゃねえのか。
しかし今はそこにかまっている暇はない。靴を履いてドアを開ける。しかし。
土砂降りの雨だった。
…俺は自転車通学である。バス停は近くはないうえに、雨の日は相当混んでいる。
呆然と突っ立っている俺の後ろにはまだ金髪メイドが立っている。彼女は俺を見てポン、と手を打つ。
「わっかりましたヒキガヤさん。ここはメイドトールにお任せください!」
胸をドンとたたいた彼女の体は、不思議な光に包まれる。
グングングングングン。
彼女の体が2倍、3倍、4倍…俺の家よりはるかに大きくなる。
…夢だ。これは悪い夢だ。
すっかりドラゴンの姿になったトールの背中に乗せられる。風と雨は見えない壁によってすべてよけられている。ドラゴン、たいてい何でもありである。
道中、先日の林間学校を思い出していた。
なぜ俺はこんなところにいるのだろうか。
この林間学校中、幾度同じことを自問自答したかわからない。平塚先生のせいであり、小町のせいであり、奉仕部に入部した俺のせいである。理由は分かっている。しかし。俺はこぶしを固める。すべての元凶は戸塚がかわいすぎるせいである。戸塚がいるから俺は帰れなくなってしまった。
そう、俺は現在小学生の林間学校にボランティアとしてお手伝いに来ている。山だ。夏だ。虫がいっぱいだ。子供が虫のようだ。不快だ。
とにかく不快な俺は、自由時間一人山の中をうろうろしていた。思えば千葉で生まれ育った俺は、こんなふうに山の中をうろつくなどという経験はしたことがなかった。こうして一人山の中にいると、どうも自分だけがこの世界に取り残されたような、世紀末のような気分になってくる。ここで空から女の子でも降ってきてくれればラノベ的には完璧なんだが。
俺は少し開けた場所に出る。そしてそこには何やらほかの者の気配があった。そこにいたのは謎の美少女でも宇宙人でもなかった。
そこには、巨大なドラゴンがいた。
さすがに予想だにしていなかった光景に俺は開いた口が塞がらない。よく見るとドラゴンは背中から血を流していた。俺はと言えばドラゴンの血も赤いのだ、とのんきに思った。
俺はその状況を受け入れられなかった。どんな現実でも甘んじて受け入れる俺、比企谷八幡だが、物には限度というものがある。人間には常識というものがある。ドラゴンには、住むべき世界がある。…こいつらがいてもいい世界は二次元の世界だけだ。モニターの向こう、原稿用紙の上だけなのだ。
つまりこれは現実ではない。
だから俺は、そいつの横に腰掛けた。現実ではないとするならば、これは夢だ。夢ならばイベントは起こしておいて損ではない。
「…なんだお前は」
ドラゴンが口を開く。口を開く、といってもドラゴンは巨大すぎてその顔は必死に見上げなければ見ることはできない。
「見てわからねえか?人間だよ」
「…人間にしてはいささか生気にかけているような気がするが」
ドラゴンは少し困惑気味に言う。失礼なドラゴンもいたものだ。
「こう見えてもアンデッドじゃねえよ。生きた人間だ。…この光輝く瞳を見てみろ」
俺は自慢の瞳をドラゴンに向ける。ドラゴンは俺を鼻で笑う。それと同時に鼻からは炎が噴き出す。おお、かっけえ…
俺は思わず少年心をくすぐられる。俺も息で人間を凍らせたりしてみたいものだ。空気を凍らせることならばお手の物なのだが。
「ますます人間には見えんな。そんな腐った瞳を持つ人間を私は知らない」
そんなドラゴンを今度は俺が鼻で笑う。
「そりゃあお前の人生…竜生経験が足りないだけだろ。俺は立派に母親と父親と小町を持つ人間だ。というか、俺こそ人間といっていいまである。汚いことをしたり、嘘をついたり、見て見ぬふりをしたり」
指を折りながら由比ヶ浜に言ったようなことを繰り返す。そう、それこそ人間である。
ドラゴンは一瞬瞠目するが、愉快そうに笑う。
「ふ、確かにそうかもしれんな。…少なくとも私の知っている人間も、そうだ」
ドラゴンの声のトーンが落ちる。
「ドラゴンってのも、なかなか大変なんだな」
俺は柄にもない言葉を吐く。夢の中かつ相手は人間ではない。それから最も離れた存在といっていいだろう。ちなみに猫のカマクラに雪ノ下の愚痴を言うのが俺の日課である。
ドラゴンはまた鼻から炎を吐き出し、空を見上げる。
「ああ。お前の幸薄そうな人生ほどではないが」
また失礼なことを繰り返すドラゴンは、遠い目をしたまま続ける。
「人間、な。私にとっては力もないくせに集団で住処を荒し、勝手に死んでいくだけの集団。どいつもこいつも野望だか使命だか言うものを高々と叫び、傲慢にも正義を語る。正義は自分たちと神にあると…高々数十年しか生きていない人間風情が」
ドラゴンの目はどこにも向かっていなかった。その目は何かを諦めたような、悟ったような色をしていた
。
俺はどこかの誰かを見ているような気になり、気恥ずかしくなって目をそらす
「…まあそりゃ勇者になるような人間だからな。傲慢じゃなきゃやってられねえだろ。ゴブリンの家庭も魔王の悩み事もドラゴンの都合も、いちいち考えてたら民を救えねえんだろうよ」
俺が吐き捨てた言葉に、ドラゴンは目を鋭く光らせる。
「私たちがいったい何をした。あいつらは勝手に私たちを危険視し、なにも奪うなと乞う。そのくせに自らは私たちの棲み処を当然のように荒し、奪っていく。正義はどちらにある、人間」
その問いかけの答えは、この竜の中では決まっているのだろう。有無を言わさぬ瞳で俺を見る。
だが、これは夢だ。俺の潜在意識が自らを正義とし周りを疎んでいるとするのであれば、そんな思いあがりも勘違いも正さねばならない。
だから俺は目の前のドラゴンではなく、自分に向けて言い放つ。
「何言ってんのお前。そんなの簡単なことだろ」
一つ息を吸う。
「少なくともお前は正義なんかじゃねえよ。
正義は数だ。数ってのはつまり力だ。力は腕っぷしの強さじゃない。それでねじ伏せられるなら、それを正義と呼ぶのなら、今お前はこうして俺の前に横たわっていることはねえだろ。
力は、つまり空気だ。「何をしてもいい」と集団に思わせる雰囲気だ。数を手にした集団ってのは、これが加速度的に高まる。仲間のみんなが言っているから絶対に正しい。その意識は集団の中で共有され、正義が生まれる。
だから人間っていう地上で一番の知能を持つ生き物を味方にした神様と勇者様は、正義なんだろうな。反対にまとまらなかったのか、そもそも絶対数が少ないのか、数を形成できなかったお前は、お前らドラゴンは相対的に言えば悪だ」
ドラゴンは何も言わない。黙って俺を見ている。そんな竜を俺ももう一度見る。…自分すら味方にならないなど、少し悲しすぎるか。
俺は少し自嘲気味に笑い、続ける。
「そして俺も悪だ。数に排他される側の人間だ。
…こう見えて俺も人間の中では高スペックの部類でな。能力が高いが故、集団は俺を恐れているらしい
だから悪でもいいだろ。それは力がある証拠だ。正義とかいう数に左右されちまうあいまいなもんより、自分の力で好きにできる悪の方がよっぽど気が楽だ。責任の所在もわかりやすい。自分のことは自分のせいだし、そして自分のおかげだ」
俺はそんなことを吐き捨てた。声は震えていなかっただろうか。
…夢とはいえ正義とか悪とかを語るのはさすがに恥ずかしい。頬が熱くなるのを感じる。こんなところで政府報告書をつづっていた弊害が出てしまった。夢の中ですら痛い俺、流石である。
しかし、ドラゴンからの返答はない。
夢ですら引かれるのか。俺はうんざりした気持ちでドラゴンを見る。
しかしその竜は、細い目を見開いて俺を見ていた。
「…貴様、名は何という」
「あ?名乗るほどの名はねえよ」
なぜ自らの自意識に名を名乗らねばならないのか。俺はそっぽを向く。しかし、ドラゴンは手を顎に当てて何度かうなずく。
「ふむ。ヒキガヤハチマン、か。その顔と頭に似つかわしい、おかしな名前だ」
「おい、なんで俺はドラゴンにすらディスられなきゃいけねえんだよ。つーかなんでわかったお前」
「読心術くらい造作もない」
ドラゴンはさも当然、というように短く告げる。なるほど、確かに当然か。ドラゴンの風体に思わず納得する。そのドラゴンには何ができてもおかしくない、と思えるほどの風格があった。
しかし、名を知られっぱなしというのもどうもフェアじゃない。俺はドラゴンを横目で見る。
「お前、名前は?」
「…竜の名を尋ねるか。つくづくおかしな男だ」
竜は鼻を鳴らし、咳ばらいを何度かし、胸を張る。
「我は天下の大飛竜。名をトールという」
「…雷の神様ねぇ。皮肉なもんだな」
某パズルゲームで神様の名前は結構な数が頭に入っている。まあリセマラだけでやめたけど。
ドラゴンは俺を見て、また何度かうなずく。その目に妖しげな光が宿った気がした。
「人間、時にドラゴンに貸しを作る気はないか?」
「ない」
俺は即答する。人間の女を見たらすべて美人局と思え。人外の言葉には耳を傾けるな。父親の教えだ。前半は酒を飲んだ勢いで、後半はドラクエをやりながら教えてくれた。親父がダメ過ぎて笑える。
大体、貸し借りほどあいまいな物はない。貸しも借りも、普通数値化しない。そこにあるのはお互いの認識の押し付け合いだけだ。あんなやってあげたのに、別に大したことじゃなかっただろ。そんな互いのずれは徐々に見過ごせないほど大きくなり、面倒になる。
しかしドラゴンは俺の返答を予測していたのか、嫌な顔はしなかった。
「ふむ。交換条件として私が差し出すものは、お前にとって悪くないと思うぞ」
ほう。返すものを先に言おうとは、このドラゴンなかなか良心的である。
俺はにやにやと笑うドラゴンを見直す。しかし思えばこのドラゴンは俺の夢の中の自意識の可能性が高いわけだから、そう手放しに思えないか。
「…お前の家に居ついてやる。どうだ」
「いや、けっこうです」
何言ってんのこのドラゴンは。突拍子もない竜の提案を俺は即座に辞退する。
「まあ聞け。お前に望みがないか聞いた時お前の心にはお前の妹の顔、受験という言葉が浮かんだ。…その二つはお前の目下の心配事なのではないか?
私には大抵のことはできる。家事炊事、何でもござれだ」
だから、何を言っているのだこのドラゴンは。
俺は相当おかしい余裕のドラゴンの言葉に、思わず言葉が詰まる。しかし。俺は自問自答する。確かに小町は今年受験だ。にもかかわらず奉仕部のこともあり、家のことは大体彼女に任せてしまっている。そのことは少し申し訳なくもあった。夢の中ですら妹のことを心配するとは、さすが俺。自分でも引いちゃうレベルの妹愛だぜ!
しかしそうはいっても、ドラゴンらしからぬ提案にだんだんと肩の力が抜ける。
「…何をすればいい」
俺はそっぽを向いて吐き捨てる。俺の妹愛はドラゴンと契約を交わすほどだったか…
俺の変わり身の早さに、ドラゴンはまた笑う。
「ふ。わかりやすいのかわかりにくいのかよくわからん男だ。
背中に剣が刺さっている。それを抜いてほしい」
言われて竜の背中を見る。どうやら流れている血はそこから出ているらしい。
わかりやすいのはお前だろ。というか俺の夢だろ。
「…厭世的なおかしなドラゴンかと思ったら、急に少年漫画っぽくなってきたな」
「?何を言っている」
ドラゴンは首をひねる。
「いや、こっちの話だ。…意外と普通の剣だな。これを抜けばいいんだな?」
「ああ。頼む。…ところで、妹のほかには何か望みはないのか?世界の半分程度ならばどうとでもなるぞ」
「なんだそれ、いらねえよそんな面倒なもん。大体世界をどうこうしようなんざ、正義のやることだろうが」
悪は世界征服なんて面倒なことはしない。それには確信が持てる。そんな面倒なことを世界のためにできる人間は、正義に決まっている。
ドラゴンはため息をつき、俺に白い目を向ける。
「…本当におかしな人間だ。はっきり言って張り合いがない」
「お前もドラゴンとしてはまともではないと思うけどな。…じゃあ、抜くぞ」
「た、頼む…いや、ちょ、ちょっと待て」
さっさと引き抜こうとする俺を、ドラゴンが止める。その額には大きな汗の雫が一つ。
「…」
「…」
沈黙が下りる。もしやこのドラゴン。
「何、お前もしかして怖いの?」
ドラゴンはビクリと体を震わせる。
「べ、別に、そんなことはない。あまり舐めた口をきくと殺すぞ人間」
ドラゴンは初めて俺にドラゴンらしくすごむ。しかし今更そんなことを、そんな文脈で言われても、威厳も恐怖もない。
「…おりゃ」
「はうっ!?」
俺は足をついて剣を引っこ抜くと、ドラゴンから妙な声が上がる。おい、気持ちわりいよ。
「ほれ、抜けたぞ。…すっきりした顔してんな」
やだなんか卑猥この会話。
「ああ、礼を言う。…人間、本当に妹のほかには、自分の望みはないのか?」
「だからねえっつってんだろ。別に俺はたいしたことはしてねえ。大体、そんなすぐに与えられるようなもんは偽物だろ。そんなもんいらねえよ」
夢だからだろうか、ドラゴンだからだろうか。少し話しすぎた。
しかしドラゴンは怒るでもなく、肩をすくめる。
「売った恩をわざわざ小さく見せるか。…生きにくそうだなお前」
「うるせえよ。なんでドラゴンにまで説教されなきゃなんねえんだ。…まあとにかくそういうことだから、元気で生きろよ。できれば背中に剣ささないようにな」
俺はそこに横たわって目を閉じる。そう、夢の中でさえ睡眠をとりたい俺は、とっても成長期。
「ふ。わかった。…お前もな人間」
「ああ」
短く言うドラゴンに、俺も短く返す。
まどろむ意識の中、はるか上空から声が聞こえた気がした。
「本当に、おかしな人間だ」
竜の背中に乗ってほんの少し。学校についた。はっや、ドラゴンはっや。早すぎる展開に俺の脳はいまだに追い付かない。意識は半分ベッドに張り付いたままだ。
金髪メイドの姿に戻ったドラゴンを前に、俺は頬をかく。
「あー、とりあえず助かった。…おい、ドラゴン」
俺は彼女を呼ぶが、彼女は頬を膨らませてぶーたれる。
「私にはちゃんとトールっていう名前がありますー。ヒキガヤさん」
「そうだったか。…トール」
俺は目の前の金髪メイドを見る。うむ。やはりこれは俺の知る世界じゃない。
「これって、まだ夢だよな?」
恐る恐る俺は尋ねる。しかし、返ってきた言葉は。
「いーーーーえ、ヒキガヤさん」
トールはニコニコと笑って、俺の頬をつねる。
「残酷なまでに、残酷な現実です♪」
…知ってましたよ、そんなこと。
俺は夢にしては冷たすぎる雨に、屋根の下から手を伸ばして大きくため息をつく。
レベル1の勇者がドラゴンを飼いならすとは、笑えない。
はい、どうなるでしょうか。
次回もよろしければ。