この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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9話 捨て猫のようなもんだ

 早朝。

 冒険者ギルド併設の酒場、そのテーブルの一角に俺とアクアは座っていた。流石にこの時間は飲んだくれな冒険者の姿もなく、酒場は閑散としている。いつもの……習慣化してることに悲しみを禁じ得ないが……土木作業には行かず、何故こんな時間からギルドにいるかといえば、昨日の約束、延いてはその待ち合わせの為だった。

 不意に、ギルドの扉が開かれた。

 見れば思ったとおり、待ち人の青年が入ってくる。

 黒髪で、開襟シャツに綿のズボンと普通の格好。同年代の筈だが背は俺より高く(クソぅ)、顔立ちもどこか精悍で大人っぽい。

 ジンクロウ。自分と同じ新米冒険者だ。

 ジンクロウはすぐにこちらに気が付いて片手を上げた。

 

「おう、すまねぇ。待たせたか」

「いいや、全然。討伐に行くって言ってたにも拘わらず前日飲み過ぎて寝坊したどこかの誰かのお陰で今来たところだよ」

 

 じとっとアクアの方を見れば、目を逸らしついでに吹けもしない口笛をふしゅふしゅ言わせている。

 そんなアクアにジンクロウは笑った。

 

「ははは、アクア嬢は相当な酒豪と見える」

「ふふん、勿論よ。酒樽の一つ二つなら楽勝だわ」

「カズ、身を持ち崩さんよう、この娘の面倒しっかり見てやんな」

 

 真剣な面持ちと声音で、俺の目を真っ直ぐ見ながらジンクロウは言った。

 

「えー」

「人をアル中みたいに言わないでくれる!? カズマもなんでそんな嫌そうなの!? ねぇ!?」

 

 肩を揺するアクアをスルーしつつ、ふと気になるものが見えた。ジンクロウの左掌に包帯が巻かれている。

 

「ジンクロウ、その手どうしたんだ?」

「ん? おぉこいつか。なに、ちょいと刃物でな。大した傷じゃねぇよ」

「そうなのか……あ、そうだアクア。お前回復魔法が使えるんだよな? だったら怪我治してやれよ」

「ああ、別にいいわよ。はいじゃあ一回千エリスで」

「せこいことすんな」

「ぶー」

 

 迷い無く金を取ろうとする少女に溜息が出る。この拝金主義者っぷり、こんなんでも一応女神なのかと思うと夢が壊れるなぁ。

 アクアが手を翳す。すると淡い光がジンクロウの左手を包み込んだ。

 

「おぉ」

 

 プリーストの固有魔法ヒール。程なく光は止んだ。

 

「はい、これで大丈夫。包帯取ってもいいわよ」

「いやいや、こりゃあ(かたじけな)い」

 

 なんだかんだ、誰かを癒すのは当然のことと考えているのがこの少女の数少ない女神っぽいところだ。

 礼を言うジンクロウに、アクアも珍しく優しげな笑顔を見せた。

 するすると包帯を取り去り、露になった掌には。

 ――――未だ赤々と、一筋の裂傷が走っていた。

 

「?」

「え」

「……アクア、なんか治ってないっぽいけど」

「そ、そんな筈は。『ヒール』!」

 

 再度、アクアが呪文を唱える。今度はさっきよりも強い光がジンクロウの手を覆う。

 そうして光が止んだ後、現れた手には。

 やはり、傷があった。いや、心なし赤みが引いたように見えなくもないが。

 

「なっ、なんで、なんでよ!? なんで治らないわけ!?」

「ちょ、落ち着けアクア!」

 

 常にない取り乱し方にむしろこっちが驚く。

 アクアはそのままヒールを連打した。ぴかーぺかーと断続的に光るものだから、ギルドに来ていた他の冒険者や職員さんがなんだなんだとこちらを見る。

 そうして連続ヒールの的にされたジンクロウ。その左手は、赤みも引き薄皮が張り、一筋の傷痕だけを残した。治りかけの傷、といった感じ。

 ジンクロウは感心したように頷いた。

 

「ほぅ、大したもんだ。いや助かったぜアクア嬢」

「ちっとも助かってないわよ!!」

 

 アクアは全く納得行かない様子だ。

 

「なんで完全に消えないのよ! そんな古い傷でもないのにこんなのおかしいわ! 何より女神の私の癒しを受けておいて完治しないっていうのが一番腹立つ!!」

 

 なにやら自負心を傷付けられたらしいアクアは、頭を掻き毟って咆哮した。

 すると周囲の注目が何割か減る。目を逸らされたのだ。危ない人として。

 

「にしても、確かにおかしいよな……」

 

 曲がりなりにも、一応は、アクアとて女神。そうでなくとも、アクアのアークプリーストとしてのステータスは冒険者カードを見れば分かる通り本物だ。

 だというのに回復魔法の効きがこれ程悪いのはおかしい。

 

「こんなの、この傷に呪いでも掛かってなきゃ説明付かないわ」

「呪い?」

「そう。死と崩壊に寄った呪詛なら治癒とか浄化を相殺するから、回復魔法が効かないなんてこともあるの……それにしたって私女神なんですけど? 神よ。マジもんの神……!」

「なあジンクロウ。何か心当たりってないか? っていうかその傷どうやって出来たんだ」

「あん? あぁ、こいつなぁ」

 

 何故か珍しいことにジンクロウの歯切れが悪い。いや、別に長い付き合いでもないけど。

 ひょいと、ジンクロウは右手に携えた刀を持ち上げた。そういえばこっちの世界に来てから刀なんて初めて見た気がする。

 見たところ何の変哲も感じられない普通の刀だが。

 頭を抱えていたアクアが、それを目にした瞬間その場を跳び退った。

 

「ちょっ、え、なにそれ」

「ど、どうしたんだよアクア」

「は? へ? なにそのエグイ呪い。呪いっていうか存在」

 

 喜怒哀楽の激しいアクアであるが、こういった表情は初めて見る。怯え、だろうか。

 

「あんた、なんでそんなの持ってて平気なの? ドン引きなんですけど……」

「こいつぁそんなに危ねぇのかぃ」

「百年二百年じゃ利かない概念の熟成具合よそれ。たぶんっていうか確実に神代の武器。『触ったら死ね』とか意味解んないんですけど……」

「俺はお前が何言ってるのか解んねぇよ」

 

 触ったら死ぬ(・・)ではなく、死ね(・・)なのか。

 

「えっと、型○風に言うと、蓄積された神秘が私らレベル」

「○月風とか言うな。皆が皆解る訳じゃないんだから」

 

 ちょっと解り易いのがまた腹立つ。

 しかし、女神の力に対抗できるレベルってそれもう神ってことじゃ……この刀、神様なのか?

 

「それで斬られて出来た傷は回復魔法じゃ癒せないわ。少なくとも私クラスの力のあるプリーストでもない限り」

「……それ、実質人間には治しようがないってことか」

「そうよ」

「マジかよ」

 

 なにそれ恐い。

 だっていうのに、ジンクロウは握った刀をしげしげと眺めている。その顔はどこか面白がってさえあった。

 

「かっはは、酷ぇ話だ。ウィズめ、とんでもねぇものを寄越しやがって」

「ジンクロウ、悪いこと言わないから捨てよう。どっかに埋めてそれのことは忘れよう」

「なぁに、血をやってる内は大人しいもんだ。しっかり面倒見るからよ。な? 許せ」

「さらっと恐ろしいこと言うなよ! 拾った猫に餌やってるんじゃないんだから!」

「ははははは! そらぁ言い得て妙だ」

「笑い事じゃねぇよ!?」

 

 のらりくらりと躱すに躱され、結局この話は終わってしまった。

 どうやらジンクロウにこの刀を手放す気は毛頭ないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麗らかな陽気だった。

 疎らに雲を散らせた青空。視線を落とせば、周囲は見渡す限りの緑の平原。芝生を撫でる風が爽やかな緑の匂いを運んでくる。

 ああなんて長閑なのだろう。

 このまま寝転んで日向ぼっこしつつ昼寝でもしたい。きっと気持ちがいいに違いない。

 

「おうカズよ、呆けておる場合ではない。食われっちまうぞ?」

「ああああああああああ!?」

 

 そんな晴天の下、緑の丘で、俺はなんでかマラソンをしています。

 併走者は最近知り合った冒険者仲間のジンクロウ。

 追走者は蛙。ジャイアント・トードというおそろしくでかい蛙。

 ずしん、ずしん、すぐ背後で巨体が飛び跳ねる音が来る。全長五メートルはあるあんな奴に踏み潰されたら確実に死ぬ。

 だから逃げる。超逃げる。

 

「とはいえだ。いつまでもこうしちゃおれんぜ」

「んなこと言ったってさぁああ! どうしろってんだよぉぉおおおお!!」

 

 同じように追い掛け回されているジンクロウさんはなんでかすげぇ冷静だし。それが逆にこっちの焦りを助長してるというか。

 

「プークスクスっ! カズマー! ジンクロー! すぐ後ろまで迫ってるわよー! もっと速く走らないと潰されちゃうわよー! プゥーッアハハハハ!」

 

 離れた場所からこちらを眺め、腹を抱えてアクアが笑う。

 目に涙さえ浮かべて実に実に愉快そうですねクソったれ。

 

「あの女後でしばいたる……!」

 

 言ったとおりそれは後の話。今をどうにかせねばあの水色女しばき回すこともできなくなる。

 ずしん、背中の寸前、一際近くで蛙が着地した。

 

「ひぇええ!?」

「ヒエーだって! ヒエー! プークスクス! ふぅ~、しょうがないわねぇカズマ。助けてあげるわ。だから帰ったらあんたらはとりあえずアクシズ教に改宗」

「カズ、ちょいと見てな」

「え?」

 

 アクアの阿呆な物言いを遮るジンクロウの声。

 思わず隣を見たが、既に青年の姿はない。

 振り返る。

 そこには足を止め、巨大蛙と正面から向き合う背中があった。

 

「ジンっ――」

 

 蛙が跳ぶ、ジンクロウ目掛けて。

 潰される。

 その光景を幻視してぞわりと全身が総毛立った。

 地面が砕け、蛙の前足が埋まる。本気で俺達を潰しに来ていたのだと改めて思い知らされた。

 しかし、その下に青年はいない。

 蛙が着地する直前に、ジンクロウはほんの半歩後ろへと退がっていたのだ。

 かちり、金属の弾かれる音。鯉口が切られた音。

 蛙がまた頭を擡げようとした刹那。

 

「……」

 

 左手に携えた刀を抜いて斬った。結果から言えば、それだけの話だ。

 気付くとそこには、頭を二つにされた蛙が伏せをして動かなくなっていた。

 

「は?」

「確かにこの図体で跳んで跳ねられんのは厄介だが、動き自体は鈍い。着地してからも一度跳ねようとする合間は無防備もいいとこだ」

 

 かちり、いつの間にか刀は鞘に納まっている。刀身は見えなった。

 

「後はそうさな。間合をきちんと量るこった。そうすりゃ二尺ばかりちょいと退がるだけで、これこの通り」

 

 左手に持った刀の鞘先で無惨な蛙を指し示す。

 さっきから気付いてはいたが、もしかしなくてもジンクロウは蛙退治のレクチャーをしてくれているらしい。ただ、滔々と語られるジンクロウの言葉も、今はどこか遠くの出来事に感じる。

 呆然とする俺をどう思ったか、ジンクロウはにやっと笑みを浮かべて言った。

 

「な? 簡単であろう」

「できるかぁぁあああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年は絶叫した。

 無論である。無茶を承知で言っている。

 

「できねばならん。でなければ死ぬぞ」

「うっ……で、でもさ、いきなりこれはハードル高すぎるって! 剣振るとか以前の話だし!」

「そうだとも。基本の基のさらに前、おめぇさんはまず気組みから始めねばならん。本来ならな」

 

 一剣とは、一刀とは、それを振るうという事はなんぞや、などと悠長な講釈を垂れる心算は毛頭ありはしない。そんなものは、そもそも己が偉そうに口にして良いことでもない。

 

「だがそうも言っていられんだろう」

「まあ、生活掛かってますし……あの駄女神のこともあるし……」

 

 少年はどういう訳か冒険者なる稼業に拘りを持っている。斬った張ったで日銭を稼ぐ阿漕な商売だ。糊口を凌ぐだけならば真っ当な働き口は幾らでもあろう。

 何故そうしないかは解らぬ。のっぴきならない理由があるのやもしれん。

 そして己は、真っ当であれなどと少年に対し説教を垂れていい分際にない。

 ならばせめて、節介を焼く。請われた訳でも、義理筋合いのある訳でもないが。棒振り芸程度、教えても罰は当たるまい。

 

「うぅーん……」

「かはは! そんな神妙な顔をするな。一度でやって見せろなどと言いはせん」

 

 真剣な面持ちで低く唸る少年の様に笑声を上げる。

 言動は軽い癖に、妙なところで真面目な男だ。

 

「誰にも初心はあるものだ。おめぇさんはまだ若ぇ。何も焦るこたぁねぇよ」

「……それ、ジンクロウに言われてもなぁ。どう見ても同い年くらいだろ」

「さて、どうであろうな。人は見掛けに拠らねぇもんだぜ」

「へぇー、じゃあ今何歳なんだよ」

「うぅむ……数えるのを止めて久しくてなぁ。うん、俺にも分からねぇ。くくくっ」

「なんだよそれ! ……ぷっ、はははは!」

 

 少年と二人、暫し埒もなく笑い合った。

 区切りを齎したのは、青い髪をしたその娘であった。ずんずんと歩み寄ってきたアクア嬢は憤り顔を赤くして言った。

 

「いっつまで私のこと無視してる気!? 寂しいじゃない!! 男二人イチャイチャ楽しそうにしてさ!!」

「気色悪ぃこと言うんじゃねぇ」

「おい駄女神。性根が腐ってるとは思ってたけど、まさかそっち方面でも腐ってたのか……あの、あんまり近寄らないでください」

「ちっがうわよ! 腐女子じゃないからね私!? そりゃちょっと気になって薄めの本読んだことはあるけど……無言で距離取らないでよぉ!?」

 

 後退るカズマの腰に娘は縋り付いた。その縋る手をなんとしても外さんとカズマは娘を押し退けようとする。両者共に必死である。

 

「なによなによ! この前は『頼りにしてるぜ、俺の美しい女神様』とか調子のいいこと言ってたくせにちょっと強い仲間が出来たらもう私はお払い箱なの!?」

「美しいとか微妙に改竄してんじゃねぇよ! だいたいお前今んとこ女神らしいこと何一つしてないからな!? 精々壁塗りと内職が得意な自称女神の痛い子だからな!!」

「ぬぁあんですってぇぇえええ!?」

 

 少女は激怒した。カズマの罵詈雑言に腹を据えかねたとばかり。

 すっくと立ち上がるや、突然こちらに背を向けて走り出す。

 見ればその進路の先、地中から一匹の巨大蛙が這い出しているではないか。

 

「見てなさいよ! 女神の女神たる所以……その実力を!」

 

 その瞬間、強烈な光が辺りを照らし出した。

 発生源は娘の右手。

 

「私のこの手が煌き謳う! 女神の私を愚弄するカズマとジンクロウに思い知らせと、嘶き叫ぶぅ!!」

「己も含まれてんのは何故だ」

「放っとかれたの根に持ってんじゃないすかね」

 

 なかなかの走力。一町ほどの距離が見る間に縮まり、蛙はもはや目前。

 娘は光り輝くその拳を振り被った。

 

「ばぁぁあああくねぇつっっ!! ゴォォッドブロふぷぅ」

 

 アクア嬢の上半身が消えた。

 正確には、蛙がばくりと娘を頭から食んでいる。

 

「……」

「……」

 

 咥えた娘を飲み込もうと蛙が空を向く。口から突き出た二本の脚も同時に天上を差した。

 

「食われたぁぁあああああ!?」

「食われたなぁ」

 

 カズマと共に走り出す。

 蛙に歯は無い。咥え込まれた程度なら怪我も負わんだろうが。流石に捨て置くには余りに忍びない光景であった。

 獲物を食っている間、蛙はほぼ身動ぎもせずカズマの剣に頭を潰され即死した。

 

「うえぅううぅううぇえええ……!」

 

 口から吐き出されたアクア嬢は酷い有様だった。

 分泌液に塗れ、動く度粘性を持った糸を引く。童女のように泣きじゃくるのも無理はない。

 カズマと顔を見合わせる。言葉が見付からぬと、複雑な表情である。己もまた似たような顔なのだろう。

 

「いやぁ! 臆すことなく単身敵に向かって行くなど立派立派。なぁ? カズ」

「そうだよな! アクアすげぇよ! 流石は女神。すげぇ勇気だよ、うん。でもまあ、今日のところはアクアは後ろで待機しててくれ。蛙は俺とジンクロウでどうにかするから」

「うぅうぅううぅうぇぇえええぇえ……」

 

 その後、もう二匹ほど蛙を狩り、本日の討伐はお開きと相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 


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