この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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8話 一太刀馳走

 

 

 

 一千万エリス。金銭感覚も少しばかりは備わってきた今日この頃、それが大金であることは言うまでもない。

 だが、その額がかの一振りに見合うかどうかはまた別の話となろう。

 刃の様をこの目にしたのはほんの一時のこと。しかし、その刃味はこの身でしかと味わった。あれは兇器(まがきもの)。その真正の理を顕した刃金。

 

「……」

 

 己の思考を顧みて、自嘲する。

 これではまるで妖刀に魅入られた狂い(・・)だ。

 兎にも角にも、あの刀の金銭的価値として一千万エリスは間違いなく破格だ。

 誰の作かも分からず、伝説の英雄が手にしていたなどという逸話もない。歴史的価値はその時点で希薄。武器としての高い性能は、残念ながら刀の妖しき力が全て台無しにしている。

 唯一、美術品的評価でのみそれは値札を付けることが能うのだ。

 故あっての一千万。

 されど、一千万。

 日々糊口を凌ぐに苦心し、無論のこと蓄財などありはしない身の上。即金で支払うには非現実的な額だった。さりとて二言を垂れる心算はない。

 そうして極短期の内にそのような大金を手にしたいと夢想するならば、それに見合うだけの対価を要する。

 命を、己が身を鬼一口へ投じる覚悟が。

 その上で、冒険者稼業なるものは最適である。それ(・・)さえ惜しまぬなら、どうとでも稼ぎ様があるのだから。

 

 

 

 場所は道も確かならぬ鬱蒼とした山中。早朝に街を出たが、枝間から覗く日は既に随分と高い。

 ギルドからの情報に誤差がないのならそろそろ目的の領域へ踏み込んでいる筈だ。

 討伐対象一番『白狼』。

 語感の通り、それは白い狼であるという。狼の他聞に漏れず群を形成し、集団で狩りを行う。近隣の牧場の家畜はもとより、時に人間の村落さえ襲うのだとか。

 しかし此度、常にない事態が起こっていた。

 白狼の生息圏は雪深い山奥。故に獲物を求めて麓に移動するのは少なくとも“冬季”に限られていた筈だった。そろりと木枯らしが吹き始めたとはいえ、控えめに見積もって今は秋口。

 ギルドの職員らも訝っていた。実際に被害に遭った麓住民など寝耳に水であったろう。

 風が吹けば桶屋の儲け話の例もある。何かが作用したのだ。常にない、何かが。

 不意の、その時だ。

 

「……」

 

 思考へと流れていた五感が気配を拾う。

 音だ。草叢を撫でる静かな音。踏んだ枯枝さえ折らぬほどに静謐な挙措。

 日が雲に陰り、林を薄暗がりが席巻し始めた。その向こう。居る。

 気色。目には見えぬ色。肌身に纏わり付き泡立てる、それは――殺気。

 

「くく、風上に陣取って見りゃ、早々に釣れたな」

 

 独り言の心算はなかった。そして(いら)えを期待したのでもない。

 が、相手方は律儀にも応対してくれた。草を掻き分け、押し隠していた気配を露にする。

 暗がりにその白い被毛は目立つ。本来は雪原の中でその身を隠す為のものであろうが、どういう訳か奴輩は冬を待てず山を下りて来た。

 一匹、二匹、三匹。続々増えていく。前と言わず、左右と言わず、背中にもその突き刺さるかの視線を無数に感じた。

 

「うぅん?」

 

 牙を剥き、赤らんだ歯茎を晒す狼の目。それらもまたぎらりと赤光(しゃっこう)を放った。その“三つ”の目が。

 なんと、額にもう一つ目玉があるのだ。

 瞳孔、虹彩を持たず血管も通わぬ。それは眼球ではなく、宝玉。受付嬢殿曰く、結晶化した魔力塊が額に隆起したものだそうだ。

 

「Grrrr……!」

「面妖な」

 

 その今更に過ぎる感慨に苦笑する。

 左手に携えたものに手を掛けた。全長二尺超。やや反りを持つ片刃の西洋剣(・・・)。サーベルと鍛冶屋は呼んでいたか。

 鍔から柄にかけては半円の護拳が渡されている。

 抜剣し、鞘は放った。素振りとばかり一閃、空を薙ぐ。

 

「Ga!」

 

 劈くような風切りの音に獣達は半歩退いた。

 その程度で怯む訳もない。武器を持った人間に対する当然の警戒心だ。そこに一切の緩み無し。

 多勢に無勢、油断などしてくれるなら苦労はないが。

 

「不足もまた無し。かっははは……そら、いつなりと来い!」

「Grrraaaa!!」

 

 号令とばかり、一斉に白い獣が己へと躍り掛かった。

 

 ――欺瞞(まやかし)である。一番槍は、我が後背の一匹だ。

 

 左脚を軸に半回転、半拍と要さず後方へ振り返る。そこには今まさに大顎を開け、食い掛からんとする狼があった。跳躍し、その身は中空。

 絶好の、斬り間。

 回転運動、正しく独楽の様相で、一文字に。

 首を斬り裂いた。両断には至らず皮肉で繋がった頭と身体が地に落ちる。

 

「シィッッ!」

 

 刃を返し、身を翻す。再度前方へ刃先を向けた。

 今度は二匹。左右から。右方の者を勢いのまま斬り飛ばし、左方はその顔面を踏み込んだ左足下で蹴り落とした。

 無論、こちらからも仕掛ける。

 脚に噛み付こうとした一匹を跳び越え、その後ろで出番を控えていたのだろう一匹に躍り掛かる。まるで自分はまだ攻撃などされぬとでも思っていたかのような、獣にあるまじき虚を衝かれた顔だ。

 脳天から打ち下ろす。白い頭が二つに裂け、不出来な赤い花が咲いた。

 横合いからまた一影、跳び出してくる。

 半歩身を引くだけで済む。

 

「Garr!?」

「隙有り、とはならんな」

 

 躱されたことが余程に意外だったのか、硬直しこちらを振り仰いだ犬面、その額の宝玉へ刃先を突き入れた。

 

「む!?」

 

 引き抜けば悲鳴すら上げず倒れ伏し、獣は絶命した。まさかと思えば、どうやら額の赤目こそ彼奴らの弱所であるらしい。何故そのように分かり易い位置に。そんな疑問が湧き――サーベルの切先を見て納得する。

 ほんの三分ばかり、刃が欠けていた。

 

「はっ、骨を斬ったとてこうはならんぞ」

 

 並ならぬ硬度。うっかりと刃筋がぶれ、半端な打ち込みを晒したなら弾き返されることだろう。

 気組みを今一度整え、周囲に視線を這わす。

 先程から狼共め襲い掛かって来ん。警戒の位が一段上がったようだ。それとも。

 

「どうしたぃ。臆したかよ!?」

 

 言葉など通じまい。しかし挑発は思った以上の成果を見せた。

 一匹が辛抱ならんと、単身襲い掛かって来たのだ。

 好都合この上ない。食らい付こうと開けた顎に合わせ、横一文字に剣を振り抜く。口の端へ斬り込んだ刃が頭部へ至り、上顎と下顎を分断した。

 一匹の凶行は途端、他の者へと伝播する。最初に見せた包囲襲撃、その統率が一瞬乱れた。

 隙だ。

 

「カァッ!」

 

 攻めあぐね脚を止めた者。攻め掛かるも仲間と足並みが揃わぬ者。

 案山子を斬るも同じである。一息に五匹、二息でもう五匹、地に這わす。

 そしてそういう者から斬り捨て行けば。

 

「あとは四分五裂」

 

 二十は居ただろう白狼も、今や四、五匹といったところ。

 隠れ潜んでいる者は勘定する必要もない。待ち伏せ、奇襲を狙うには数を失い過ぎている。

 詰みだ。

 

「GaaaaaAAAAA!!」

「……」

 

 正面から、その者は駆け来る。一際大きな体躯。あるいは群の頭目か。

 一直線。無策、無謀。だがその心情、理解に難くはない。

 狼でありながら、一騎打ちを挑むその愚行……称賛に価する。

 獣が跳ぶ。闇に白銀の影を刻んだ。寸分狂わず己を捉え貫く赤い目玉、残光が尾を引く。

 その目を見据え、待つ。頭上高く構えた大上段。

 (あぎと)が我が喉笛を食らう。それを先んじる。

 一剣は斬り、そして裂いた。

 二つへと分かたれた白い骸が己の背後に墜落する。

 血振るい、周囲を睨め付けた。もはや牙を剥く者も唸りを上げる者もない。怯え竦む静寂が暫し。

 程なく白狼達は、山の奥へと逃げ去っていった。

 

「ふぅぅ」

 

 残心を終え、意識下にて制御していた気息をようやく吐き出す。

 とはいえそれも、束の間のことに過ぎない。

 何故なら次の手番(・・)(つか)えているのだから。

 傾き始めた日の光。それは林に濃密な影を落とす。その奥から這い出してくる。

 

「…………よぅ、お出でなすったなぁ」

 

 白狼は既に去った。そも気配の質が違う。白狼のそれが鋭利な氷柱であるなら、彼奴のそれは激する業火。

 討伐対象二番『一撃熊』。

 言い得て妙な名である。その膂力の尋常ならざる凄まじさを一言のみで解さしめるのだから。

 現れたのは全高八尺を超える巨大な(けだもの)。黒い被毛で覆われている。身の高さは無論のことその厚みときたら、己が三枚重なったとしても到底足りはすまい。真実丸太と同等のあの手脚、何人の冒険者を粉砕してきたやら。

 熊などと銘打たれているが、その顔はむしろ鬼の形相を思い起こさせる。角がないことが不可思議でさえあった。

 今日この日、わざわざ選び二つの依頼を重複受託した甲斐があるというもの。白狼達の血の臭いに誘われ、こうして出向いてくれたではないか。

 

「オォォォォ……!!」

 

 依頼書を確認した際見付けたことだ。白狼の移動経路と熊の縄張りが、どういう訳か接していた。

 なればこれ幸い、横着をした。

 縄張りの内で血臭を撒き散らし暴れれば、当然現れてくれるだろうと。そう悪くない公算であったと自負している。

 勝手極まるこちらの都合など知ったことではないだろう。

 憤怒を露に、巨獣は凶相をさらに歪めた。

 我が気息は既に組み終えた。構えを取る。

 

「おめぇさんの縄張りに土足で上がり込んだせめてもの礼だ。その御名に倣い……一太刀、馳走仕る」

「グゥゥォォオオアァアアァアアアッッ!!」

 

 叩き込まれる咆哮と大腕。

 臆することはない。なぁに、誤ればただ死ぬだけだ。

 豪腕の間合へ、己の刃圏へ――――踏み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カウンターを布巾で拭う。これで何度目だろう。

 自覚はあるけれど止められない。

 開店前と閉店後に掃除をするのがウィズの日課だった。いつお客が来てもいいように、綺麗な店で出迎える為に、いつだって手を抜いたことはない。

 

「……」

 

 ふと、掛け時計を仰ぎ見る。閉店の時刻はとうに過ぎて、本格的に店仕舞いを終えている頃合。窓の外はすっかりと群青の夜闇で満ちてしまった。

 だのにウィズはまたカウンターの表面を磨き始める。そろそろ光沢どころか、鏡面化しそうな勢いだ。

 構わない。だって、待つことには慣れているから。

 

「……大丈夫かな」

 

 そうして、足元に置いた金属の箱を見た。

 まさか、本当に、この剣に買い手が付くなんて……自分で入荷しておいて酷い言い草だが。

 呪われた剣。魂喰らい。妖刀。いろいろな呼び方をされ、いろいろな人の手に渡り、渡った結果その人が斬られたり。とにかく悪評ばかりの品。

 けれど自分の目にはとても良い物に見えたのだ。そしていつかきっと、この剣を必要としてくれる人に出会えると……そう思って早数年、今では立派な倉庫の肥やしである。

 でも遂に、ようやく、その相応しい持ち主が現れた。

 ジンクロウ。あの不思議な青年。

 数多の魂を喰らってきたこの剣に臆すことなく向き合い、その身を斬られてなお欲しいと言ってくれた人。

 

「本当に、よかったですね」

 

 箱に眠る剣にウィズは笑いかけた。

 しかしそれでもまだ、心には不安が残る。

 青年は剣の金額を聞くと、時間をくれと言った。

 

『ご覧の通り、食うや食わずでな』

 

 悪戯を咎められた子供みたいな笑みだった。

 そして、青年は一括ではなく手付金を払った上で残額は賦払いにしてほしいとウィズに持ち掛けた。

 勿論ウィズは了承した。手付の額を決めることはおろか、ジンクロウに指摘されるまで証文すら用意しなかったが。残念ながら、手付金を僅かに支払い商品だけを持って逃げるかもしれない、などという発想はウィズの頭に無い。

 一千万エリスは大金だ。さしものウィズとて金銭感覚は人並にある(気でいる)。満額が支払われるまで何年でも待つ心算だった。

 けれど、彼は。

 

『手付は明日の夕刻には用意して参ろう。すまねぇがちょいと待っててくんな』

 

 軽やかにそう言うや、店を後にした。

 一千万エリスに対する手付金を一日で用意などできるものだろうか。ウィズでさえ疑問を呈する程だったが、生憎と尋ねるタイミングを逸してしまった。

 

「……」

 

 待つのは慣れている。

 不意に時計が鳴った。夕刻とは、もう呼べない時間だろう。

 掃除用具を仕舞い、店の鍵を閉める為に扉へと歩み寄る。そうしてサムターンを回そうとした時――扉が逃げた。

 

「あっ」

 

 というか、引き戸が引かれ、サムターンを取り逃がしたのだ。

 開かれた扉の先には、待ち人が立っていた。

 

「おぅ、遅くまでご苦労だな」

「ジンクロウさん!」

 

 口の端を持ち上げ、青年は笑った。

 

「いやぁ素材の回収だの査定だの手間取ってな。随分と待たせちまった」

「……いえ、いいんです。ちゃんと来てくれましたから」

 

 気付かぬ内にウィズも微笑を湛えていた。

 待つことには慣れている。来ない日を数えるのももう辛くはない。けれど、

 

「ふふっ」

 

 待ち人を出迎えるこの嬉しさは、終ぞ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「土産だ」

 

 そうして紙袋を娘に手渡した。

 娘は素直に受け取り、その予想以上の重さに驚いた様子だ。

 

「こ、これ、昨日頂いたケバブサンドですか? なんでこんなに……?」

「ああ、そりゃあな」

 

 両手に持ち替え、紙袋の中をウィズは覗く。紙片に包まれたけばぶが入っているだけ、のように見えるだろう。

 けばぶを一つ二つ退けると、ようやくその下のものに気が付いたらしい。

 

「へ?」

「討伐で五百、素材の買取で三百五十、迅速なる依頼達成になんぞ報奨として五十と色が付いた。故に、手付金は九百万エリスだ」

「え」

「残りの百万だが、悪ぃがツケにしといてもらえねぇかい」

 

 ぽかんとするウィズに片手合掌に頭を下げて拝む。聞こえているのかいないのか。

 思考の停止が数秒続き、娘が目を覚ましたのはまたぞろきっかり十を数えた頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィズの様子が元に戻ったのを見計らい、遂に目当ての品を手に取る。

 再封印とやらが効いているのか以前のように吸われる(・・・・)ことはなかった。

 不安げな娘の視線を背中に感じる。

 

「なんだぃ」

「あ、いえ、その。お売りしておいてなんですが、その剣、どうされるつもりですか?」

「無論使う」

 

 己には、刀剣を美術品として愛でる風雅などない。

 

「でも、どうやって……?」

「それを今より試すのよ」

 

 不遜に笑みを刻んで、右手で柄を握る。そしてその刀身を覆う鞘に左手を掛けた。

 

「な、まさか」

「念の為退いておれ」

 

 娘の応えは聞かず、掴んだ鞘を引き抜いた。

 途端、現れ出でたるは眼球を焼くほどに鮮烈な紅い刀身。鮮血の刃。

 手の中で、尋常ならざる力が暴れ狂う。逃さぬ。先日の二の舞は流石に飽いた。

 今にも己を刺し、斬り殺そうとする切先。しかし、今宵はそれを叶えてやろう。

 力の拮抗によって小刻みに震える刃、それを空いた左手で握り込んだ。

 

「!? ジンクロウさんっ」

 

 刃が手掌に食い入る。それではまだ足りぬ。

 故にほんの数寸、手の中で刃を走らせた。

 そこまでしてようやく、我が手には裂傷が刻まれ、そこから血が溢れ出てくる。いかにも赤々と血は刀身に沿って滂沱していく。

 それに比して、ウィズの顔は蒼白だった。

 

「何を、何をしているんですか!?」

「ほぉれ、見な」

「え?」

 

 血は流れ伝い、刃を濡らし――滴り落ちない(・・・・・・)

 

「はっ、飲んでいやがるぜ」

 

 ごくりごくりと美味そうに。長年の渇きを潤すかのように。

 程なく変化は表れた。

 刀身の紅色が消えていく。

 

「え? えぇ!?」

「ほぅ」

 

 血色を失くすが如く彩は消え、代わりに表出したのは鈍い銀。刃金の色艶。

 灯りを照り返す鋭い光は紛うこと無き正調の刀のそれだ。

 気付けば、己を斬殺せんとする怪力も、殺気すら鳴りを潜めていた。

 今一度刃を検める。

 

「かっはは、なんだぃ。紅など差さずとも十分に美しいではないか。のう?」

「へ!? あ、はい」

「いやいや、おめぇさん本当に良ぃい品を見付けてくれた」

 

 訳が分からぬと書かれた店主の顔に、今一度向き直る。

 

「感謝する」

 

 そして刀を鞘へと納めた。

 

 

 

 

 

 





白狼の描写は魔物感を出す為に盛りました。

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