この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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67話 戦を終えて、それが蠢動する

 夢現に垣間見ゆるその(かんばせ)は、いつ何時も涙に濡れていた。

 幼子の、泣く声がする。どうしたどうした。悲しいのか怖いのか、それともどこか痛いのか。どうすればいい? どうしてやれる?

 我ながら情けなし。強かに周章狼狽して、そっと頭を撫でて指で柔く髪を梳かす。それ以外に遣り様を知らなかった。それ以外に伝え方がわからなかった。

 お前が愛しいのだと、子に表してやることが。

 俺という男にはひどく難しい。

 だから、そう笑わんでくれ。“お前さん”ほどに巧くはあやせぬ。不器用で、とても及ばぬ男なのだ。

 刃金を振り回す以外に何の取り柄もない男なのだ。

 価値のない男だ。お前達以外には、何の価値も。

 

 

 これは、いつの記憶だ。

 俺とは誰だ。

 子。子供。愛しい我が子。我が子を抱くその女。愛した女。あれは。

 お前達は、俺の────

 

 

 

 

 

 一欠片、鼻から息を呑んで目覚め。

 白い天井を仰ぐ。六畳間ほどの小部屋だ。その窓辺の寝台に寝かされている。窓の外には白んだ薄明かりに煙る街並。肌を冷涼な空気が撫でた。夜明けの頃と時刻に当たりを付ける。

 粗い複合石材(コンクリート)の壁面を左目でなぞり、最後に寝床の傍らで眠るその娘を見付けた。

 

「……すぅ」

 

 黒栗毛の髪、華奢な身体に紅い衣装、肩に掛け布代わりの外套を羽織っている。紅い娘子、めぐみんは椅子に座ったまま己の腹の上に突っ伏していた。

 ふと、左腕が動かぬことを認める。触覚を失った左手は、娘子の小さな手にひしと握られていた。

 その左腕を無意識に動かした所為だろう。眠れる少女の瞼が震えた。

 そうして静かに、紅い瞳が覗かれる。暫し、霞がかった目を(しばた)いて、(ようよ)うと娘が己を捉えた。

 目に映る者を、その男が自身を見下ろしていることを。

 僅かに目を見張り、息遣いと共に唇が開きまた閉じる。言葉を探しあぐねて、あるいは文句の一つや二つや三つや四つ。一息に吐き切るには難しかろう。

 

「そんなところで寝ちまうと風邪を引くぞ、めぐ坊」

「……」

「なんだか不思議な心持ちだ。いや、お前さんの顔を見るのが随分久方振りのことのようでなぁ。カカッ、おかしなもんだ」

「っ……っ……!」

 

 お惚ける己の様に、途端娘は怒気を発した。しかし、それは結局燃え上がることはなく。

 娘は泣いた。ぽろぽろと止め処なく雨粒のような涙を流した。

 

「く、ぅ、っっ……!」

 

 首に取り縋り、胸板に顔を埋めた娘子がくぐもった嗚咽を落とす。

 それは熱く皮膚に溶け、熱く胸骨に響き、深く心の臓を打った。

 

「どうして……!」

「……」

「どうして、一人で行ったんですか! こんな、大怪我してまで、ひとりで……私達が、アクアがいなかったら怪我じゃ済まなかったんですよ!? あのまま、死んで……死んでたかも、しれないんですよっ!?」

「……そうだな」

 

 首に絡む腕にまた一層力が篭った。無責任に肯く男に対する、それは正当な憤怒であった。

 歯を食い縛るほどに娘の泣きじゃくる声は濁っていく。嗚咽はしゃくるように全身を震わせた。

 

「イヤ、です……もう……もうっ! っ、ふ、ぐぅ……カズマ、カズマだって一回、死んじゃって……死んじゃった。死ん、じゃった……血が、あんなに赤くて、たくさん、たくさん流れて……もうイヤ。あんなのは。仲間が死ぬのは、イヤ! イヤです!! 死なないでっ……死なないで、ください! お願いだからっ、死んじゃダメです……死んじゃ、イヤです……ジン、クロウ……ジングロ゛ヴ……!」

「ああ……すまなかった。すまなんだなぁ。随分、心配かけた。怖かったんだな……辛かったんだな」

「……ジンクロウ……」

「己が悪かった。お前さんが優しい子だと知っておったのにな。そして優しい子らのお蔭でこうして生き永らえたのだ。だからまた……こうして、お前さんの顔を見られたんだ」

「…………」

「ありがとうよ」

「っ!」

 

 そっと左手で、娘の後ろ髪を梳いてやる。

 娘は遂に声を上げて泣き始めた。涙やら鼻水やら流せるもの全部を滂沱させて。

 耳孔に泣き声が響く。それは今と、彼方に霞む過去へ。

 頭蓋の内へ、脳髄の深奥へ。あるいはもっと深く、遠い底へ。

 痛むほどに響き、沁みる。

 こりゃあ、なかなかに堪えるな。

 

 

 

 

 

 

「すんっ……はふぅ……」

 

 白んだ朝焼けが閃き、伸び上がり、街並を照らし出す頃に娘は泣き止んだ。泣き疲れたと言った方が正しかろう。

 目元を赤く腫らし、鼻水を啜って、しゃがれてしまった声で娘が呻く。

 

「すみません、包帯……酷いことになってます」

「ん? カカッ、こんなもんはどうせ取り換えるんだ。気にするこっちゃねぇよ」

「はい……」

 

 陽が昇り出したとはいえ明け方近く。季節柄まだまだ冷え込みは厳しい。

 娘子は椅子の上で肩身を縮め、羽織った外套の前を引き寄せた。

 掛け布団を払って、床の上を叩く。

 

「まだ眠かろう。ほれ、入りな」

「へっ? えっと、えっと……お邪魔します」

 

 娘は靴を脱いでから、おずおずと床の中に身を滑り込ませた。

 布団に半分顔を隠して、気恥ずかしいのか紅目が右往左往する。

 

「寒くねぇか」

「……あったかいです」

「そうかい」

「あ……すぐ教会の人を呼んだ方がよかったでしょうか」

「教会? ここがか」

「はい、エリス教会の治療院ですよ」

「ほぉ、そいつぁ奇遇だ。思わぬ形で約定を果たせた」

「約定?」

「まあまあ、一眠りした後でよかろうさ。お前さんも疲れたろう」

「……そうですね」

「苦労かけたな」

「ホントです。この礼は高く付きますからね」

「おぉ怖ぇ怖ぇ。どうかお手柔らかに頼みまさぁ」

「ふふん、それはジンクロウの態度次第です」

「ならご機嫌窺いからだなぁ。そうさな手始めに、皆で何か食いに行くとするか。何が食いたい?」

「えへへっ、そーですねー。前に市場の近くで食べたパスタ。それからー、ケバブもいいですね……突撃牛のステーキに……春キャベツとカエルの炒め物。鍋もいいですね……それから、デザートも。ワッフル、パンケーキ、チョコブラウニー、フルーツタルト、アイス……それから……それから……」

 

 指折り数える内に、いつしか娘は静かな寝息を立て始め。

 

「みんな……いっしょに……」

 

 そう囁いて子は眠りについた。

 先刻見下ろしたものより幾分か、安寧な寝顔がそこにある。

 それに卑しく安堵を噛んでいる。己が身命を手遊びの賽子の如くに軽んじる男が、血と臓物に塗れたこんな男が。

 

「……」

 

 娘が寝返りを打ってこちらを向く。ずれた布団を掛け直そうと右手を上げ、その“黒”を見止めた。

 厚く巻かれた包帯の合間から覗く指、掌、皮膚という皮膚尽く黒く墨を入れたように染まった手掌。石膏のように滑らかな漆黒色の手首。

 いっそ炭化して崩れ落ちてしまえばよかったのだ。そうすればもはや剣など握れまい。そうすればもう、子らを泣かせずに済む。

 単一能がようやくただの役立たずになる。そうなればいい。そうなれば。

 幼子の寝顔を見ながら、無責任に、無恥蒙昧に、俺はそんな夢想を抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 もぞもぞと右腕で何かが蠢いている。次なる目覚めは、そんな感触から始まった。

 めぐみんは相変わらず己の左隣で穏やかな寝息を立てている。

 では、これは如何なる事態か。

 

「……」

 

 右隣、布団の中に何かがある。何か、何者か。

 まずその白銀糸の髪が、布団の隙間から覗いていた。

 

「なにをしとる、フユノ」

「んっ」

 

 すぽんと頭を出したのは、白い細面。赤い瞳の雪女。美しい女生に化けし冬将軍その御霊であった。

 

「おはよう」

「ああ、おはよう。それで」

「めぐみん、ジンクロウと一緒に寝てた。ずるい」

 

 ぐぐぐと、右腕が総身に抱き寄せられる。

 上目遣いに己を見て、フユノは頬を膨らませた。

 日に日に人がましくなっているとは思っていたが、こんな甘え方まで覚えたか。末恐ろしいというか、勉強熱心だと感心してやろうか。

 

「添い寝くれぇいつでも構わねぇよ」

「……やたっ」

「だがな」

 

 無邪気に顔を綻ばせ、仔猫のように額を擦り付けてくる。実に健気で愛らしい、そう素直に感じ入る仕草だった。

 しかし。

 

「お前さん、なにゆえ裸なんだ」

「?」

 

 娘は心底不可思議そうな面で首を傾げる。

 心底不可思議なのは当方であるのだが。

 右腕を両の乳房と股座に挟み込んで、娘はさらに擦り付いて来る。きめ細かで滑らかな柔肌の触り心地は間違いなく極上のそれであるが、時刻と場所がそぐわねばただ毒になるばかりだ。

 

「火傷は冷やした方がいい……オレの体は冷たいから、少しでもジンクロウが楽になるなら、って……」

「そうか……そいつぁ」

「あと、こうすれば男はみんな喜ぶからってウィズが」

「……」

 

 拙宅にあの未通娘(おぼこ)の出入りを許したことは早計であったやもしれぬ。

 子の教育的に悪影響ならば蹴り出すことも考慮の内か……一人、密やかにそう念頭に置いた。

 溜息交じりに起き上がる。同じくフユノも起き上がる。しかし頑として娘は腕から離れたがらない。

 

「ともあれ、さっさと服を着な」

「ジンクロウは、オレがこうするの、嫌か……?」

「嫌か好いかと訊かれりゃ極楽と白状するっきゃねぇんだがな」

「じゃあシよう、ジンクロウ」

「ナニをとは訊かんぞ。子供の前だ。それに、いつカズめ等が訪ねてくるとも限らん……」

 

 扉が叩かれた。

 噂をすればなんとやら。謂われ有りしは故事成語なれど、諧謔と洒落が利き過ぎている。

 誰何もそこそこに扉が開かれ、カズマが、アクアが、ダクネスが、リーンにダスト、ゆんゆん、クリス、最後にウィズが。

 六畳間にぞろぞろとよくもまあ集まったもの。

 

「ジンクロウ! もう起きてたん、ぶふぉっ」

「あらら~、ジンクロウったらいろんな意味で元気そうね~でゅふふ」

「ななななな、なんと不埒な!? ふ、不潔な!? 一同集った病室で、こんな……なんと直球の羞恥プレイ!?」

「────」

「無言で杖振り被るんじゃねぇよリーン!?」

「わっ、わっ、わっ、私、おみ、お見舞いにって思って、あの、し、しし失礼しましたーーッ!!」

「キミねぇ……教会に遊びにおいでとは言ったよ? でもね……教会で遊べとは一言も言ってないよ!」

「ふ、フユノさん!? ほ、ホントに実行しちゃったんですか!?」

 

 騒々しいことこの上ない者共の驚きやら囃し立てやら憤怒やらを浴びる。なんとも賑々しい。ほとほと、病み上がりには喰いでが有り過ぎる。

 

「んっ、ん~……なんですかもー、病室では静かにしないとダメなんです……よ」

 

 そうして、俄かに喧しさを極めた病室の寝台で、ようやくお目覚めの娘子は目を擦りながら己を見、己に抱き着く裸身の女を見。

 瞳と顔を紅く発火させて、叫んだ。

 

「なにを、ナニをしてるんですかジンクローーー!!!?」

 

 遠く、朝の空に小鳥が鳴いた。

 斯くも平穏な日常が騒々しくも始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日を背に、王国検察官セナは黙してその書面に目を通す。内容を読み取る内に、縁なしの眼鏡の奥で眼差しは刻一刻険しさを増していった。

 机上に置かれた封蝋には、確と印璽による焼き付けが施されている。正当な血統の証拠、貴族の紋章が。

 

 ────魔王軍の尖兵、シノギ・ジンクロウを処断せよ

 

 正真正銘、それは現領主からの下命であった。

 

 

 

 

 


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