この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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デストロイヤー、落つ。



65話 落城

 

 牙城を目指し、その一路を駆ける。

 身動きを封じられた鋼の蜘蛛。彼奴は接近する騎影に対して今までにないほどの劇的な反応を見せた。これまで働いた我らの数々の無体が、遂にその堪忍袋の緒を引き千切ったのか。それとも、この騎馬武者の蛮行がいい加減怖ろしくなったか。

 機械仕掛けの怪物に意思などあろう筈もない。あるいは内部でそれを司る何者かが存在するやもしれぬ。いずれにせよ、喰い破ってから確かめてやる。

 彼奴は脚を失ったことで正しい要塞の有り様を取り戻し、その場に居を構えて城攻めを企てる愚か者を迎え撃つ。

 光条が射した。

 蜘蛛の背からこちらを狙う無数の“穴”。砲門だ。

 

「大筒か……!」

『魔力を加速して撃ち出している! 触れれば焼き切られるぞ!』

 

 本来は飛翔体に対する防備なのだろう。それが脚を()がれて地に伏した為に、その射程範囲が狭まり地上(こちら)を捕捉可能になった。

 吐き出される実体なき砲弾。閃光。

 一筋の光線が虚空を走り、それが大挙して流星の如くに降り注いでくる。

 馬体を手繰り、不規則に、小刻みに転身と跳躍を繰り返すことでその照準を振り切る。それは次々と撃発し、三尺にも満たぬ間合の地面を抉る。着弾箇所から煙が舞い、土の焦げ付いた臭いがした。

 

「カッ、火炙りは御免だぜ」

『あ! 言っとくがゾンビ馬だって熱いものは熱いんだからな!』

「なら尻を焦がされねぇ内に乗り込むぞ」

 

 光の雨より逃れ、躱し、脱す。

 己を、あるいは馬体を射線に収める熱波を刀で受ける。弾け飛ぶかと思われた光の塊は、触れたと同時に霧散した。

 ……いや、吸い取った。啜り喰らったのだ。この飢えた刃が。

 

「悪食め」

 

 また一矢、光の矢弾を喰い千切り、前へ。

 半ばから切断された脚の名残に跳び乗る。駆け登る。

 甲板は広々とした平地。中央に巨大な継ぎ目のない物見櫓が屹立し、要塞外部へ向けては各所に砲座が設けられている。

 座席があるということはつまりそこには座る者がいる。

 全身甲冑、いやさそれに似た意匠の人型。機械人形の兵士。

 其奴らは要塞の衛兵でもあるらしい。一騎の侵入者を制圧せんと、甲板上にぞろぞろ群がって来る。

 その時、物見櫓の根元が滑るように開いた。扉であった。

 奥の暗闇から金属の足音を踏み鳴らしてさらなる機械人形が姿を見せる。

 

「豪勢なこった」

『ふ、ゴーレム風情で愛馬と一体と成った俺を止められるものか』

「ほぉ、そいつぁ意気軒昂。頼もしいねぇ」

『ドヤァ』

「っつうわけで、この場はひとつお馬さんに(たの)むとしよう」

『なぬ!?』

 

 馬の背から跳躍し、直近の絡繰兵士の頭を蹴り付け、さらに跳ぶ。

 都合三回ほどそれを繰り返し、櫓の入り口に到達した。

 扉から外へ出ようとする兵士を一体、出会い頭、袈裟懸けに斬り捨てる。崩れ落ちたその背後に続くもう一体を、同じ軌跡を逆様に斬り上げた。

 

「暫く暴れたら、適当なところでずらかりな」

『お、おい! どうするつもりだ?』

「始末をつけるのよ」

 

 さらに背を叩く声を置いて、扉の奥へ踏み入る。蜘蛛の躯の奥底へ。

 真実、廊下の先には地下へ向けて坂が伸びていた。続々と湧いて出る兵士を行き掛けに斬り、あるいは打ち、蹴り退けて進む。

 城砦の通念として、侵入者阻止の為に複雑な構造を成しているのではと危惧したが……存外に通路は拓けて見通しも良く、部屋の配置も素直だった。これを作った人間は、あるいは正規の軍属ではなかったのかもしれない。

 勘働きでは、巨大な蜘蛛の腹のほぼ中央に差し掛かった頃。

 その大扉に突き当たった。

 

「!」

 

 扉に近付いた途端、握った柄から刃金の震えを感じ取る。そうして卑しいその“思念”をも。

 曰く、この奥に好物がある、と。

 取手や閂の類は見当たらない。何かしらの操作を要するようだ。

 カズマあたりならば要領よく開錠するのだろうが、生憎だ。

 

「シッ」

 

 一息に三度、刃で扉に三角形を描く。三角形の破片と化した扉を蹴り、一人分の抜け穴を穿って中へ入る。

 照明は点されていなかった。だのに、室内はひどく明るい。煌々と、目を焼くほどの暖光。赤と橙、それが極まって白を発し始めている。

 巨大な円筒形の硝子瓶。その中ほどに。

 砡である。人の頭ほどもある。それが赤熱し、燃え盛り、発光していた。

 

「こいつか」

 

 素人目にも見てわかるほどの危険物。距離を隔てたここからでさえ肌身を炙られるようだ。

 途方もないまでの(ちから)を生産している。

 見れば硝子瓶には無数の器械が張り付き、そこから無数の管が伸び、部屋の床や壁や天井から外へ繋がっている。

 間違いなく、これが動力。要塞の核にして、蜘蛛の心臓。

 如何にしてこれを止める。如何にして。

 手の中で刃金が震えた。寄越せ、と唸り声を上げていた。

 

「ま、これしかあるまいな」

 

 見上げるほどの硝子瓶へ近寄る。震えは刃金のそればかりではない。繋がれた器械や管、硝子、それらが小刻みに震撼している。

 中心に据えられた砡が、刻一刻と輝きを増していく。

 生産し発散する熱量か、魔力か、それが蜘蛛の消化能力を上回り始めたらしい。いよいよと。

 分厚い硝子を斬り裂く。乱雑に刃を入れられた途端に、それは砕け、弾け飛んだ。内部に閉じ込められていた熱気が一挙に解放されたのだ。

 腕で顔を覆い、踏み止まる。その際、破片に幾らか肌を裂かれ貫かれたが、お蔭で穴を広げる手間は省けた。

 器械に足を掛け、その中へ。

 

「ぐ、ぉ」

 

 熱波が己を出迎えた。歓待の抱擁と拒絶の膜。圧倒的熱気が支配する死間。

 皮膚がひりつく。目を開けていられない。ほんの微かな呼吸が喉と肺を焼く。

 浮き出た汗は一瞬にして消え去った。産毛が燃えて溶け、その燃え滓が皮膚に張り付く。

 

「は、は……ハハ」

 

 皮膚が爛れ始めた。皮下の肉が、脂が焼かれていく。血が沸騰し、全身を泡立てる。

 刀を掌中で回す。順手から逆手へ。

 切先を砡へと定めて。

 踏み込み。

 貫く。

 光が奔った。

 焦熱の地獄が花開く。赤と橙と白、白、白。視界が消える。白く解けてゆく。

 

「オオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 吼え立てる者は誰だ。喉を焼くように咆哮する者は。それすらわからぬ。

 しかして、応えるモノはあった。

 掌の中で、(ちから)を、魔力(ちから)を喰らうモノ。暴食の限りを尽くして、狂喜に絶叫する兇器(まがきもの)が。

 光が消えていく。貪られていく。

 紅蓮に染まる刀身。それはケタケタと妖しく笑った。

 気付けば周囲が暗い。灯りを落としたように、昏い。いや、あるいは、俺の目玉が(めしい)ただけか。

 石塊から刃が抜ける。もはや用済みとばかり。

 そのまま身体が後ろへ流れ、背中から床面に墜落した。

 衝撃が骨を軋ませる。痛みは、なかった。尋常に感じられる痛みがなかった。

 全身を覆うものが痛みなのかすら、もうわからなかった。

 意識が遠ざかる────

 

「…………ぎ」

 

 ────戻り、途切れ、また戻る。

 目を開こうとするのだが、右の瞼は上下に癒着して剝がれない。

 どうにか左目を開いて、昏い天井を認める。視覚が生きていることに驚いた。

 そして己がまだ生きていることが、なによりの不可思議であった。

 

「ク、クク……ぐ、がっ」

 

 身体を起こす。左腕は辛うじて動く。五指も開閉だけは能う。

 とりあえず、焼けて焦げ付き襤褸布と化した皮革のジャケットを破り捨てた。

 刀を杖に立ち上がる。逆手に持ち替えたのは正解だった。炭化した右手と一体化した柄は、もはや握りを変えられない。

 覚束ない足腰を叱咤し、扉の外へ出る。あれほど無際限に道々を賑わせていた機械人形達が、床の其処彼処に転がったまま動かず、静かになっている。

 苦労してそれらを踏み越えながら、進む。

 目指すところは出口、ではなく。

 

「ん……」

 

 蜘蛛の心臓部からも程近い位置にその部屋はあった。

 広間。最奥には玉座が据えられ、仕立ての良い白衣を纏った骸骨が腰掛けている。この要塞の主であろう。

 厄介な代物を暴走させ、造物主は暢気にくだばっていた訳か。

 くだらねぇ。とんだ笑い話だ。この焼け爛れた喉では悪態の一つも吐けやしない。

 石床に刃を突き立てる。

 宣言通り、とっとと始末をつけるとしよう。

 晴れて右手の延長に成り下がった刃金に念ずる。命ずる。

 存分に喰らったのであろうが。ならば火の一吹き、どうということもあるまい。

 そら、やれ。

 

「や゛、え゛……!」

 

 濁った奇声に刃は応じた。

 刀身が紅蓮となり、焦熱の地獄を顕現する。

 熱と火焔が石床を侵食していく。床を伝い壁を蝕み、天井に滲む。

 先の砡が発していた純粋な熱量とは遥か遠く異なるモノ。燃焼するのは悪意であり、殺意。炎の如き形をした異形の邪炎。

 石が、鉄が、火に吞み込まれていく。否、火に成り変わっていく。形を、存在を喰われている。

 時を置かず、鋼の蜘蛛は灰となろう。あるいは灰すら残さず消え去るだろう。

 残したところでこんなものは戦の火種にしかならぬ。燻らせて小火を出すくらいなら、燃やし尽くした方がいい。

 俺は綺麗好きなのだ。

 

「ク……」

 

 溶けた頬で笑み刻んで、玉座の間を後にする。

 一歩、一歩、歪に歩みを踏んで、出口を目指す。

 さらに一歩踏み出した時、膝から力が抜けた。そのまま崩れ落ち、前のめりに床面にへばり付く。

 立ち上がるのは、どうやら難しそうだ。

 壁際に這い寄り、それを頼りにしてどうにかこうにか上体を引き起こす。

 壁を背にして足を投げ出す。これで幾らか楽になった。

 邪炎は淀みなく広間から浸蝕を拡大している。煙も上げず、ひたすらに物質を取り込み、解き、無きものとしていく。

 いずれは、ここも崩れ去るだろう。

 この身を喰らい、消し去るだろう。

 まあ、それもよかろう。

 元よりこの身は異物。他の世界から呼ばれ、魔王なる存在に抗する為に新たな命を与えられ……といった方便とは関わりない。

 それはあの、不可思議な部屋で女神と名乗る少女と顔を合わせた時から知れたこと。己が、招かれざる客であった事実。

 

『運命を変えた。歪めたと言ってもいい』

 

 然り。まったく然り。正しい有様を歪曲させた。死すべからざる子を死なせた。

 ひきかえどうだ。この身は随分長く、永く、生きて来たように思う。生き汚さは極まった。醜悪なまでに。もう十分だ。

 思うに、己が居らずともこの機動要塞(でかぶつ)は葬られていた筈だ。カズマ、アクア、めぐみん、ダクネス、あの子らの活躍によって。己などよりも余程穏当に……いやそれだけはないか。

 あの喧しい者共のこと。それはそれは大騒ぎを巻き起こしたに違いない。

 一悶着、二悶着と湧いては弾け、そうして屹度(きっと)、全ては終息される。少なくとも()()よりは良い方へ。

 最後には、子供らが笑える方へ。

 悪くない。

 この喧しく騒がしく、可笑しなふざけた世界も。なかなかどうして素晴らしいではないか。

 良い子らに出会えた。

 良い子らと、ほんの一時を過ごせた。

 悪くない。

 悪く、ない────

 

 

 

 

 

 

 

「ダメ。貴方は生きるんです。ジンクロウ」

「……ん」

「私が貴方を招いたのは、死なせる為じゃありません。この世界で……」

 

 気付けば、銀髪の少女が傍らにあった。その細い肩を借りて、ゆっくりと坂を登っている。

 エリス嬢。

 

「生きて欲しい。この世界で、貴方として生きて欲しかった。他の誰でもない、前世の因縁など関係ない、シノギ・ジンクロウとして。あの出会いが奇縁で、神すら知らぬ偶然であったとしても。それは間違いなく運命なんですから」

「……」

「とても、素敵な運命でした。私にとって……貴方にとっても、そうであってくださるなら、嬉しいです」

 

 女神のように眩い微笑で女神は言った。随分と乱暴で稚気(いたいけ)な論法だ。

 これでは逝きたくとも逝き辛い。

 手厳しいねぇ、エリス嬢は。

 

「私はク・リ・ス。もぉ、いい加減ちゃんと呼んでよね」

「ク、ク……」

 

 頭上に光を仰ぐ。茜光差す出口の向こうに、ふと、声を聞いた気がする。

 

 ────ジンクロウ!

 

 喧しく、騒がしい声がする。かの悪賢い少年だろうか。それともあの元気な紅い少女だろうか。

 それとも。

 薄れゆく意識の闇の淵で、なにやらひどく、暖かな夢を見たような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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