この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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60話 鋼の蜘蛛

 羽衣のように薄く幽かな雲が青空を覆っている。朧雲の浮かぶ春の空であった。

 早くも天頂から傾き始めた日輪を仰ぎ、荒野を駆ける。

 黒毛が靡き、黒き馬体がうねる。しかし四脚の蹄が奏でる(あしおと)は驚くほどに静かだ。

 屍の馬は地を蹴らず、蹄は地表に触れることなく虚空を蹴っている。

 あたかも早駆るこの様は擬態であり、実態は飛行、飛翔に近い。ゆえにその速度は尋常の生き馬を凌いだ。鳥を後塵に蹴りやり、平地を直進する限りにおいてグリフォンの成鳥を超える。

 異形。紛れもなくそれは怪魔の仕儀。

 死霊が音もなく生者に忍び寄り、その魂を連れ去る為の(おぞ)ましき所業。

 それを使う。さも事も無げに。傲岸不遜に、速度というただ一つの性能を利せんが為に。

 “ソレ”に追随し、果ては凌駕するだけの速度を欲した。

 

「あれか」

 

 その時、遥か遠方、地平線の縁に湧き立つ土煙に気付く。まるで(つむじかぜ)が列なり大地を荒らしているかのような様。

 しかしてそれを為したるのは一つ。ただ一機。一城の動く砦である。

 黒い威容、鋼の蜘蛛を彼方に認む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔術合金製の巨大な蜘蛛が、約半日を待たずしてこの街へ到達する」

 

 機動要塞との名にし負う通り、それは自律稼働し走行する巨大な要塞であるという。

 多脚ゆえの走破性は悪路どころか山を跨ぎ越え、その脚力は王国一の駿馬すら凌ぐ。なによりも脅威なのはその質量。圧倒的、暴虐なる質量があらゆるものを轢殺する。圧殺し、壊滅し、塵埃に擂り潰す。

 集落はおろか都市を、果ては地形すら変える天象の如き機械仕掛けの怪物。

 

「アクセルの街は蹂躙されるだろう。都市機能を失い経済は止まり人の居住地として用を為さなくなる。残るのはただの瓦礫と土塊の山だ」

 

 機動要塞の踏み荒らした地には何も残らない。

 人はただその存在に怯え、それの襲来に際しては取るものも取らず逃げ出すのが唯一助かる術。

 

「しかぁしここに一人の英雄がいた! その男はこの駆け出しの街アクセルに突如として現れた流浪の剣士。数々の勇名を轟かせ、遂には魔王軍幹部が一角、首無し騎士すらその剣の一振りで打倒してみせた。民衆は希望を以て縋り期待を胸に抱くだろう。英雄が再び剣を取り、この天災のような危難さえ退けてくれるのではないか、と!」

「見込み違いも甚だしい話だ。も一つ言やぁ、この身が貴様の口車に乗ってやる道理もねぇな」

「見捨てるかね? アクセルを」

故郷(くに)を守るのは領主の務めだ。だが、それが当てに出来ぬというなら民草が発起せねばなるまい。そして街の防衛戦力として冒険者を雇い、駆り出すのもな。その御大層な要塞が街へ侵攻するのが事実だとして、早晩ギルドを通じて冒険者共に下知が回る。貴様がわざわざ己のような素浪人一匹を唆さずとも、万端準備を整え民と冒険者の総力で迎え撃つだろう」

 

 己一人とアクセルの全戦力を比較する。迎撃ないし邀撃戦、防衛戦に際しての勝算の多寡は考慮にも値しない。

 

「その通りだ。勝算うんぬんに関しては貴殿の謙遜としておくが、確かに街の戦力を糾合して事に当たれば対処は不可能ではない。特にその、頭のおかしい紅魔のアークウィザードや我輩にも見通せないただただ不快で忌々しいそのアークプリースト……ついでにそのリッチー。大出力の解呪(アンチスペル)と爆裂魔法の大火力が合わされば、さしもの機動要塞とて一溜りもあるまい。進行阻止だけならば、うぅむなるほど十分に可能と言えるな。実際のところ、我輩が見通す中でもその(ルート)は最も確実な勝ち筋だ」

「勝ち筋だと」

「ククク、そうだ。幾つか存在する未だ形を定めぬ“ミチ”の一つだよ」

 

 今のところ眼前の男の提案は妄言か、狂人の戯言を下回る。それほどに馬鹿げていた。事実その所作と言動は気狂いのそれ。真に受ける方がどうかしている。

 それでも、しかし。

 己はそれを一笑にふし、この場を去ることができた。あるいは更なる短慮にて、腰の刃金を抜きこの悪辣な邂逅を終わらせることさえできた。

 それでもなお、しかし。己はこの場に留まり、対する怪人物の弁舌を待っている。次なるその妄言を、聞き逃す訳にはいかなかった。

 

「住民と冒険者達による必死の迎撃によってデストロイヤーは止まる。幾人かの尊い犠牲を払って……そう、お察しの通り。未来ある尊い命を、子供達を代償に」

「……」

 

 それは見え透いた挑発。こちらの憤怒を煽る意図は明白にして瞭然である。

 たが、それを口から出任せと断ずるには、この怪物は知り過ぎていた。

 

「死因は様々だ。防御力だけしか能がない被虐性癖の聖騎士に小狡いだけの器用貧乏冒険者の少年、この二人は圧死と焼死が主だ。細部の流れは異なるが結果に然したる違いはない。そして特に死亡率が抜きん出ているのはそう、その紅魔の少女! 魔力枯渇によって虚脱し無防備なところを潰され焼かれ斬られ刺され射られ千切られ、クフフフ、なんとも憐れな」

 

 戦場に在って身体の自由を失うなどは、確かに論外の仕儀だ。死亡率、というよりそれは生存能力を著しく減じることになる。

 その危険は常のモンスター狩りであっても変わらぬ。

 だからこそカズマが、ダクネスが、時にアクアさえ、そして己とても、魔力を使い果たした後の娘子を背にして守って来た。

 仮に、機動要塞何某に抗する戦力へ娘子が加わると言い出すなら、魔法の行使と付随する諸々の危機からこれを守護するよう我ら一同が図るのは当然の成り行き。

 しかし彼奴は言い切った。

 

「少女は死ぬ」

「……」

「『何が見えている』か?」

 

 こちらが口を開く隙はなかった。煮え滾る腸から言葉(かたち)なき呪詛が漏れ出、怪人はそれをまるで莫逆の友の如くに出迎える。

 

「概ね全てだ。街の近郊でデストロイヤーを迎撃した場合、貴殿の大事な子供達、その内の一人二人が必ず死ぬ。デストロイヤーの攻勢が苛烈を極めるというのも一因だが、なによりその動力源たるコロナタイト爆発のタイミングが加速度的に早まるのが最大の原因だろう。無限に等しく熱量を生産し続ける魔力鉱石は慢性的暴走状態でエネルギー消費が追い付かず、我輩の見立てでは既にその溶融が始まっている」

 

 くつくつと楽しげに仮面の下の口端を歪めて男は笑う。取って置きの笑い話。そんな気色で。

 

「ふむふむなになに、テレポートでコロナタイトを何処か遠く放逐する? 良いアイデアだ。時間さえあるなら。しかし残念無念()()()()()どうしようともコロナタイトが臨界を迎えるのは冒険者達が要塞に乗り込む直前だ。とんだバッドタイミングもあったものだなぁ! フハハハハハ!」

 

 なにやら虚空の先に居ない筈の誰かを認めて話し掛けるような様だった。

 

「ああ、蘇生魔法をあまり過信しない方がいい。あれは損壊の激しい死骸には使えない。焼死体や、挽肉などは」

 

 狂いの行動を一々気に掛けたところで意味はない。

 意味。問うべき意味は。

 

「貴殿の選択肢は大きく三つ。一つはアクセルに留まり戦力を糾合しデストロイヤーを迎撃する。その場合、子供達の内一人ないし二人は確実に死ぬ。一つは街を捨てて子供達を連れて逃げる。その場合、貴人である聖騎士の娘がその頑なな責任感と義務感に殉じて一人轢殺される。一つは……今すぐに貴殿が急行し、要塞の脚を止める。当然だが我輩のおススメは三番だ」

「貴様の目的は何だ」

 

 この身を動かし、機動要塞何某を討つ。あるいはアクセルより己を遠ざける為に。あるいは、己に際立った武功を上げさせることで、何か、何かを起こしたいのか。連鎖的に、札を倒すようにして。

 何かを……何者かを刺激する?

 

「フハッ! 人間は愚かなほど幸福だという。貴殿は実に、不幸な男だなぁ。クハハハハハハハハハハ」

 

 仮面が()()()()。動く筈のない無機の面に、肉の表情が、哄笑が生じた。

 

「何故貴殿を選ぶ、か? それは我輩自身も知りたいところだ」

「なにぃ……?」

「シノギ・ジンクロウ、貴殿は何者か、と我輩は問いたい。貴殿の存在は実に不可解だ。百戦を超える闘争によって練磨された剣技、培われ積み重ね積み上げられた技量。それは人も魔も分け隔てなく斬り断つ兇器の沙汰だ。いや表現はシンプルな方がよいな。貴殿は強い。滅法強い。殊更強い。悪魔も────神すらも殺し果せるかもしれないほどに強い。そんな貴殿が傍に居ながら……どうしてあの少年は死んだのだろうな?」

 

 少年カズマ。悪賢く、機微に聡い小僧っ子。

 奴は一度死んだ。その首を刎ねられ、自ら拵えた血溜まりにその身を沈めた。

 少年の首をこの手に包んだ時、その命の、その魂の重みが喪失される感触を皮膚に覚えた。

 

「憐れ少年はデュラハン・ベルディアの凶刃に斃れた。だが、それは本来起こり得ぬことなのだ」

「どういう意味だ」

「そのままの意味だ。シノギ・ジンクロウ、貴殿が介在しなければあの少年があの日あの時あの場で殺されることはなかった。ベルディアは爆裂魔法の焦熱と大量の聖水に焼かれ爛れ、その剣技を発揮する間もなく浄め祓われ消え去る、筈だった」

 

 仮面に穿たれたその薄ら笑みの穴が、己の目玉を覗き込む。額が突き合わされるほどに近く。

 虚のように底知れぬ。奈落の闇の如く濃密な黒。仮面の下で魔が蠢動する。

 

「貴殿の存在が少年の、少年達の運命を変えた。歪めたと言ってもいい。そしてその歪みはまた現れ出ようとしている」

「……運命ときたか」

 

 ふ、と丹田から気息を吐く。

 柄頭を押さえ、刃を鞘に仕舞う。

 怪人は小首を傾げた。

 

「どうした。斬らんのか。そちらの兇刃は我輩を斬りたくて斬りたくて震え上がっているようだが」

「貴様に」

 

 斬るだけの価値を認めぬ。

 

「────ほほう。この我輩に、地獄の公爵に価値無しと、そう(のたま)うのか。人間」

「ああ」

 

 背を向ける。それを相手にする時間をこそ惜しんだ。

 やらねばならぬことは決した。業腹だが、是非も無し。

 己の内に定めた価値あるものを、護りに行く。征く。

 

「口車に乗ってやる。化け蜘蛛を一匹、仕留めてやる」

 

 あの折も、そしてこの事態も、己の業が歪めた仕儀だという。ならばそれを断ち切るのは己の役割。己の責めだ。

 

「フ、フフフ、ハハハハハ、ご武運を」

「……」

「ああそれと、グリフォンは使わん方がよいぞ。あの要塞には対空兵装が山と積まれている。地上を行くがいい。人間らしく、地を這って、な」

 

 ────悪魔からの純粋なアドバイスだ

 

 悪魔は悪魔らしい悍ましさで、高らかに哄笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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