この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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59話 悪魔の囁き

 街へ入って早々にベルディアと別れ、己はギルドへ、馬の方は商店通りへと向かっていった。宣言通り本当に敷物屋を物色するつもりらしい。

 白んだ朝焼けと靄さえ煙る石畳の道。商店が軒を連ねる中心街とは違い、ここは擦れ違う者とて少ない。民家の窓や煙突から立ち昇るのは朝餉の支度か、あるいは暖炉の火。

 静かだ。朝、人の営みが盛る寸前の、束の間の静謐。

 己の靴音ばかりが甲高く、街並に反響する。

 

「ジンクロウ!」

 

 そこへ、期せず。

 背後から掛かる声に振り返る。石造りの路面を蹴る鉄靴の重い音色。

 見馴れた黄色の上衣と草摺に白い甲冑、手甲脚甲。間違いなく重装備に相違ない全身鎧をものともせず、ダクネスが急ぎ駆け寄って来る。

 

「おうどうしたどうした。お前さん、庵に向かった筈だろう」

「お前が先に街へ発ったと聞いてな。急いで追って来たんだ」

 

 道を顧みても他の子供らの姿はなかった。

 

「ジンクロウ、お前に話がある」

「話?」

「何分にも人目を憚る内容だ。場所を変えよう。付いて来てくれ」

 

 言うや、ダクネスは己の腕を取って路地へ入った。なんとなればその胸に抱きかかえるように。

 この娘の強引さは常の事だ。今更力尽くの挙に出たとて驚きは少ないが。

 後頭で結われた馬の尾のような金髪が目前で揺れている。

 

「男の手を引いて裏路地に連れ込むなんざ、ちょいと見ねぇ内に随分破廉恥な子になっちまったなダー公よぅ」

「止してくれ。確かに不躾だとは思ったが、火急の要件で致し方なく────」

 

 脱力して手を振り解き、右肩を晒しながら半身に立つ。

 娘が振り返りこちらを見る。慌てたような、驚いたような、そういった面相をしている。

 

「ジンクロウ? 突然どうし」

「おのれは何者だ」

 

 それは戸惑った顔をしている。ダクネス────のような顔をした誰かが、娘子を模した“何か”が。

 

「おやおやおやこれはうっかり。我輩としたことが返答を誤ってしまったようだな」

 

 姿容は無論、声色に語調、細かな所作、果ては視線。それから見聞きできる特徴は全てダクネスであった。瞬き一つ以前まで、ダクネスを完璧に模倣した何かであったそれは、今や見る影もない。

 その声はよく通り、よく響く。なるほど十分に美声と評して差し支えなかろう。男声であった。

 それは実に芝居がかった調子で額に指先を当て首を傾げ、かと思えば天を仰ぐ。顎が反り返り、顔面がこちらからでは覗えぬまでに上体を仰け反った。

 そうしてそれは傀儡の挙動で元に戻る。

 その顔に、仮面を張り付けて。頭頂から鼻面までを覆う左右を白と黒に色分けしたそれ。両目の部分に、薄く笑みを象った穴を彫られている。

 不快な。見る者全てを嘲弄する笑み。

 現にそれは笑った。

 

「フフハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!」

 

 けらけらけらと笑い上げる声が、時折人らしさを失くす。肉の声帯から紡がれる音ではなく、無機質な、硝子を擦り合わせるかの異音。怪音に変わる。

 皮膚が粟立つ。その感触、この印象には覚えがあった。己自身にしてからどうして。どうしてか思い起こされる。

 アクア嬢、そして、エリス嬢を。

 似ても似つかぬ筈の彼女らと、根源的な質を同じくする眼前の怪人物。

 この世ならざるモノ。白紙に落ちた墨の一滴の如く、(うつし)に雑じる(かくり)

 

「よくぞ見破ったりと言ったところ。流石は今をときめく冒険者剣士シノギ・ジンクロウ殿だ。ちなみにどうやって見抜かれたのかな。参考までにお教えいただきたく存ずるがぁ……あぁなぁるほどいやいや皆まで言うな。まさか外見だけは立派なあの聖騎士にそんな変態趣味があろうなどとどうしてわかる。これは完全に我輩のリサーチ不足である。お詫びしよう」

「……」

「正解の返答はこんなところか? 『んっ、破廉恥などと……こんな早い時間から屋外の、しかもこんな住宅街で言葉責めとはっ。ジンクロウ、こんな裏路地の暗がりに連れ込んで私をよがらせてどうしようっていうんだ!?』と! ……再現しておいてなんなのだが、なんと度し難い性癖か。我輩もちょっとドン引きである」

 

 躁病のように矢継ぎ早で捲し立てるダクネスの皮を被ったその男は、無言を貫くこちらを気に留める様子もない。

 いや、それこそ、こちらが口を開くことなど頓着せぬとばかり。

 見透かすような、頭の内を見通すかの如き口ぶり……そうか。

 

「そう! 大正解だ。それが我輩の権能。思考を、記憶を、心を見通す。よければ見知り置いてくれたまえよ」

「物の怪風情が何用だ」

 

 腰に差した鞘を握り鍔に指を掛ける。間合は一足一刀。抜打ちに首を刎ねることすら容易い。

 今、そうして()()()だけの理由がおのれにあるか。有るならば疾くその無駄に回るばかりの舌を働かせよ。無かりせば、如何にする。

 この、我が前で、知己の子供の姿を掠め取り滴るような悪意をひけらかす貴様に、酌量を計らう意義を問うているのだ。

 無かりせば、斬るのみ。

 斬って捨てる。

 

「ふむ、風聞よりも存外に短気だなシノギ・ジンクロウ。子供、子供か。なるほど、貴様の逆鱗はその騒がしい子供達という訳だ」

「辞世の句はそれで構わんか」

「おぉいおい待て待て。ここで我輩を殺してしまうとその大事な大事な逆鱗を剥がされることになる。子供達が死ぬぞ?」

「────」

「……これはこれは」

 

 続く言葉を待っている。姿勢は変わらず、相対して不動。

 ただ、鯉口を切っただけだ。

 行為としてそれ以上の変化はない。思考を経ず、言葉を要さず、ただ一事実を体現する。

 

 死

 

 お前が今、土足で踏み入ろうとする領域、その意味を知れ。

 

「フフフ……よいな。よい殺意だ。実に芳醇。熟れ切った果実のように甘い。酒精すら匂い立つほどに……」

 

 人を小馬鹿にしたような態度は変わらない。しかし先程から微塵と感じられなかった警戒感の発露を気取る。

 同時に、滲む。それは……喜悦であった。

 

「しかし残念ながら、この種の悪感情は我輩の好みではないのだ。マクスならば涎を垂らして狂喜するだろうが」

「……」

「だが気に入った。巷で広まる英雄像などより余程に()()()()の男のようだな。ククク」

 

 人型が歪む。ダクネスという少女の形が崩れ、膨らみ沈み、折れ曲がり伸縮する。肉か、骨に見えたものは全て土塊だった。

 粘土細工を捏ね上げるように、甲冑が消え、衣装は黄色から黒へ、練り上げられたのは燕尾服。それを纏う一人の男。

 ただ一つ仮面だけをそのままに痩身の怪人物が出現する。白手袋の両手を広げ、鼻につく芝居調子で彼奴は言った。

 

「我輩の要件はシンプルだ。兇器を振るう兇気なる男シノギ・ジンクロウよ。貴殿にはこれより、機動要塞デストロイヤーの討伐に出向いてもらう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗がりに男の怒声が木霊している。

 石造りの地下室で声は内側を反響し続け、やがて一つ所に集約し混ざり、沈む。

 それは汚泥のようだが、泥など比べ物にならぬくらいに滑らかな液体で、所々にまだ形を

残す固体で、流動する塊の、複合物の、集合だった。

 魔石灯の朧な光をてらてらと照り返す。

 芳しい腐臭。

 死というものの抽象物。

 大量の髪が、赤から黒に変色した血溜まりの中で揺蕩い、まるで川のように流れを作っている。色の薄い、茶色や緑色、黄色が特に多い。

 男はそういう色を好んだ。いや、望む色は別にあった。けれどそれは手に入らないから近いもので代用した。

 代用品、代替物。ここにあるのはその残骸。それとも残飯だろうか。貪られた後の塵滓(ごみかす)であり、彼にとってはもはや無価値どころか臭い臭い有害物質に他ならない。

 害なる汚穢を踏み付けて、男はまた悪態を吐いた。

 

「クソッ!! クソクソクソ!! なんでだ! どうしてだ!? ああの、あの、あんな下賤な、冒険者風情が、冒険者の剣士風情がぁ!! ワシのぉ! ワシのララティーナをぉぉおおお!!」

 

 丸い器に満たされているものもまた、彼が壊した少女から搾り取ったものだ。

 処女の血は魔術の媒介物としてとても優れている。『遠見』の魔術に使うには大杯をなみなみ満たすほどの量を必要とするが、それを用立てることは彼にとって然して難事ではなかった。

 大杯の水面には街の風景が映し出されている。つい先刻に映した画を、繰り返し繰り返し再生している。

 白い甲冑を纏った金髪の少女に腕を抱かれ、路地へと消えていく青年の姿。

 それを血走った目で睨め下ろし、彼は咆哮した。嫉妬。憤怒。憎悪。嫉妬。嫉妬。僅かに淫欲。他の男に恋した女が凌辱されること(という妄想)に、彼は興奮を覚えたようだ。

 それも湧き出る憎悪によってすぐに掻き消えてしまったが。

 

「かひゅっ、ひゅう、ひゅっ、き、今日のキミは、ひゅ、と、と、とても素敵だアルダープ」

 

 杯を力任せに打ち払う。子供の癇癪より幼稚な精神性、利己と自己愛の塊のような彼。

 素敵な人間だった。

 キミは昔から魅力的な人間だったよ、アルダープ。

 

「?」

 

 はて、昔とはいつのことだろう。

 僕はいつキミと出会い、いつからここにいて、どうしてここにいたのだったろう。

 僕は誰だろう。水面に映る誰か、“何か”を僕は知っていた気がする。懐かしい感じが。

 

「? 懐かしい。ひゅうっ、かひゅっ、なつかしいって、なんだろう」

「マクス!! マァァアクス! 奴の記憶を消せ! あの男の、シノギ・ジンクロウの記憶を! 一切合切全てだ! 野の獣以下の廃人にしてしまえ!」

「ひゅっひゅっ、無理だよ、アルダープ。前にも言った。前にも、ひっ、ひゅっ、言ったっけ? あいつの呪は強過ぎる。肉ではなく骨でもなく、魂に根付いた呪。今の、ひゅう、僕では、無理だ。届かない」

「ッッ!! この役立たずがぁ!!」

 

 彼は僕の顔を蹴り、倒れた僕の腹を爪先で蹴り続けた。

 彼の顔は醜く歪み、口から粘った泡を吹く。憎悪に狂っている。あぁ。

 なんて綺麗なんだ、キミは。

 

「殺してやる! あの男は、どんな手を使ってでもぉ! 殺してやるぅ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 


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